2017年2月20日 (月)

我慢も限界

 

 自民党は、野党時代、「政府主催で建国記念の日を祝う式典を開催する」という公約を掲げた。自民党が政権を奪還し、「日本を取り戻す」を政治理念とする安倍晋三氏が総理総裁となり、愈々政府主催の建国記念の日奉祝式典が行われると期待していたが、今日に至るまで実現していない。これは一体どうした事か。これは公約違反などという生易しい問題ではない。まさに「日本を取りもどす」即ち国家再生・維新断行の根本問題の一つである。

 

「真正保守」と言われている学者・評論家・国民運動組織は、安倍晋三総理を批判することを遠慮しているようである。他の政治家例えば福田康夫氏や石破茂氏が総理として安倍氏と同じようなこと、即ち「戦後七十年談話」「建国記念の日の政府主催行事の不実行」「慰安婦問題の決着」「靖国神社総理参拝の不実行」などをしたら、大変の非難攻撃を行うであろう。私も安倍総理を正面から批判することを控えてきた。しかしもう我慢も限界といった思いである。

 

| | トラックバック (0)

2017年1月14日 (土)

日本こそ『強盛国家』にならねばならない

国家をグローバルな枠組みに従属させ、各国からナショナルなアイデンティティーを剥奪する動きが続いてきた。これに対する反発が世界各地域で起こっている。イギリスのEU離脱、トランプ大統領の登場、ドゥテルテ大統領の登場など、グローバル対ナショナルという構図が成立し、後者が前者に選挙で競り勝つという現象が世界各地で起こっている。こうした事態に日本は如何に対処し、如何なる立ち位置に立つべきであろうか。

 

アメリカという国は、わが國に対して、爆撃すれば相手が屈服すると思って、原爆投下・焼夷弾投下などの空爆を敢行し無辜の民を殺戮した。いくら日米同盟が大事だとは言っても、この事は忘れてはならないと思う。

 

アメリカのご都合主義に振り回されてきたのが戦後日本である。日本を二度と再びアメリカに刃向かわせないようにするために、「占領憲法」を押し付けたのに、朝鮮戦争が始まり共産国家との対決が激化するや、再軍備を迫って来た。「現行占領憲法」がある限り、日本は独立国家ではないし対米自立はあり得ない。

 

日米安保体制の枠内で憲法九条がどうの、安保法制がどうの、といったことを議論する時代は去ったと思う。日本は米国に軍事でも経済でも依存しない「偉大な国」になれば良いのである。わが国がアメリカと対等の立場に立ち、言いたいことが言える国になるためには、自主防衛体制を確立し、自主憲法を制定し、真の独立国家として再生しなければならない。

 

アメリカからの自立と共産支那の排除が必要である。その前提は、戦後体制の打倒である。自主防衛体制確立・対米自立・対共産支那の圧迫の排除とは「日本の核武装」である。最近、トランプ氏の登場で、核武装論議が起っている。日本は核武装すべきだが、トランプと雖も許さないであろう。米軍部が猛反対すると思う。アメリカは、日本がアメリカの軍事的保護下にいるのならいいが、日本が核武装をすると、あの真珠湾攻撃のようにアメリカに撃ち込んでくるのではないかという恐れを今も持っていると思う。

 

ただし、不本意ではあるが、共産支那・北朝鮮による軍事的脅威を受けている日本は、今はアメリカを敵に回してはならないと思う。それこそ共産支那の思う壺である。わが国が核武装し、自主防衛体制を確立するまでは、日米軍事同盟は必要である。この矛盾からいかに脱却するかが問題なのである。

 

戦後日本の復興は、アメリカの占領政策が成功したからではない。明治大正世代の日本人が優秀だったから復興したのである。日本人の血のにじむような努力で復興を遂げたのである。むしろアメリカは日本を弱体化しようと様々なことを行ったのである。

 

私は、ベトナムという国を見直している。フランスと戦い、アメリカと戦い、共産支那と戦い、屈服しなかったあの国を日本は見習わねばならないと思う。ベトナム・イスラエル・北朝鮮は大国ではないが、それなりの力を持ち、支那やロシアやアメリカの言いなりにならない。日本はこの点は見習わねばならない。支那・ロシア・アメリカの言いなりにならない国にならねばならない。

 

一方、共産支那は今や軍事大国・侵略国家の顔を持っている。日本に公害・自然保護対策などの協力をしてもらいたい時には開発途上国の顔を使い、わが國の領土や資源を奪おうとする時には、軍事大国・侵略国家としての顔をして迫ってきている。

 

共産支那は「日中国交」樹立時には、「ソ連は覇権国家だ」と主張し、日米安保も容認し、わが國の北方領土返還要求を支持していたが、日本の経済技術援助のお蔭で経済発展に成功すると、支那自体がアジアにおける覇権国家となり、日本をはじめとしたアジア諸国に脅威を与えている。『恩を仇で返す』とはこのことだ。

 

わが国は共産支那のこうした戦略に毅然とした態度でのぞまなければ、やがて支那の属国になるか、さもなければつぶされる。

 

今後の日本は、いかにして「中華帝国主義」の侵略から祖国を守るかが最大の課題である。「対米自立」の根本に、まず以て日本の敗戦国意識の払拭そして日本の真の自立が確立されなければならない。北朝鮮ではないが日本こそ『強盛国家』にならねばならない。

 

| | トラックバック (0)

2017年1月12日 (木)

今日思ったこと

ご譲位に関連して色々報道が行われているが、陛下の御裁可を仰いでいるのであろうか。

| | トラックバック (0)

日本の今日的使命

米ソ二超大国による冷戦構造が崩壊した後、世界は平和にるという期待が持たれたが、全くそうはならなかった。むしろ、民族問題・領土問題・資源問題・宗教問題などで冷戦どころか熱い戦いが世界各地で起こっている。

 

資本主義と共産主義は共に、世界各民族・各国家の歴史と伝統を無視し破壊するグローバリズムの思想である。資本主義も共産主義も共に、人間の経済的物質的豊かさを実現することを至上の目的とし、人間の道義精神、国家民族傳統精神を軽視あるいは無視する思想である。

 


アメリカ覇権主義、共産支那の中華帝國主義、ロシアの拡張主義、さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く狭間にあって、わが日本は、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦わなければならないにもかかわらず、残念ながら、国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、内部から破壊されつつある。

 

グローバリズムの推進によって、多くの国家が世界を一つの市場として利害を共有すれば、世界規模の戦争勃発の危険性を大きく低下させ平和が実現するという考え方があった。しかし、現実には、各国の利害が衝突すると共に、持てる国と持たざる国との格差が広がっている。また無資源国が高値で資源購入を余儀なくされる状況になりつつある。

 

そしてグローバリズムの市場共有を放棄し武力行使をする国が再び出始める可能性も生ずる。つまり、再びブロック経済第二次世界大戦を勃発させた時に近い状況になりつつある。グローバリズムこそ、世界平和実現を阻む大きな要因になっている。

 

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるという精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇の御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるという精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持っているのである。

 

世界各国各民族にはそれぞれ伝統精神・傳統文化を保持している。世界の愛国者は、グローバリズムすなわち市場原理主義と共産主義という二つの覇権思想を否定し、各国各民族の個性・立場・歴史・傳統を尊重し合い、真の意味の平和な世界を実現しなければならない。そのさきがけの役目を果たすのが日本である。

| | トラックバック (0)

2017年1月11日 (水)

維新について

 

 今日の危機的状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

 

明治維新前夜は、アメリカなどの西欧列強が徳川幕府の弱体化に付け入って武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫って来た。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力=徳川幕藩體制を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。かうした状況を打開し、王政復古すなはち天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けやうとしたのが明治維新である。

 

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、またその変革の是非を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。辛亥革命は阿片戦争が影響した。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

 

 國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を撃ち攘ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

 

「尊皇攘夷」の起源は、貝塚茂樹氏によると、北狄や南蛮の侵略にあった古代支那(周の末期)の都市國家群・支那民族が、危機を乗り越えやうとした時の旗幟(きし)である。ただし支那の場合は、「尊皇」ではなく「尊王」である。

 

 日本國の長い歴史の中で、「攘夷」の精神は静かに表面に出ず脈々と継承され生き続けたのであるが、白村江の戦いの敗北・元寇・幕末・大東亜戦争といふ外患の時期においてこの精神が昂揚した。

 

 大化改新と明治維新は共通する面が多い。それは外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外國文明・文化の受容である。大化改新後の律令國家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

 

維新のことを日本的変革といふ。日本の伝統精神に基づいた変革が維新であり、日本の本来あるべき姿即ち天皇中心の國體を開顕する変革が維新である。維新と革命の違ひは変革の原理を天皇とするか否かである。ゆゑに明治維新は革命ではない。

 

また、神武建國の精神に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではない。日本の道統への回帰である。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのである。これを「維新とは復古即革新である」と言ふ。

 

徳川幕藩体制から天皇中心の統一國家への転生は、体制変革のみならず、精神の変革がその根底にあった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本國體が、現実の國家運営の基盤として正しく開顕してゐることにある。

 

 近代のみならずわが國の歴史が始まって以来、日本國家を統合する<核>が天皇であった。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を護り、かつ変革を為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。わが國は、どのやうな困難な時期においても、常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

 

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

 

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は、外来文化・宗教・文明を受容しても、その中核には、天皇を中心とするわが國體精神があった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。

 

日本人は優秀である。その優秀さは、勤勉性、高い道義心、協力と献身の精神の旺盛さ、謹厳実直さなど色々挙げられるだらう。

 

わが國の祭祀主は、上御一人日本天皇であり、天皇はもっとも清浄な御方であり、現御神であらせられる。天皇が政治・軍事・文化・宗教の最高権威者であらせられる。天皇帰一の國體の開顕が維新である。内憂外患交々来たると言った状況にある今日こそ、維新断行の時である。

| | トラックバック (0)

2017年1月 6日 (金)

東條英機元総理と大東亜戦争

 

東條英機元総理は、大東亜戦争とりわけ日本と米英との戦争について『検事の論告より受けたる所感の要点』(昭和二十一年六月五日)といふ獄中で処刑を目前して記した文書で次のやうに総括してゐる。

 

「日本は果たして文明に宣戦せりや。戦争は人類の文明生活に破壊を招来するものにして、従て何れの國家も極力避く可きは論を待たず。之れがため平時國際上戦争の原因発生を紛争の危険前に抑止し、常に互譲の精神を以て之れを阻む迅速なる解決を必要とす。殊に大國國家において然り。…大國の威力を以て小國を屈従し正常なる発展を阻止せんとし然も其の目的を達せんがためには其の生存を脅威せんとするが如き行為は果して之れを以て文明的行為と認むべきや。

一、過去数世紀に欧米の東亜侵略、而して其の搾取政策の前に帝國及東亜民族が其の桎梏の前に苦悩せしかは之れを暫く置くも

二、第一次欧州大戦后の英米の帝國に対する國際圧迫。

三、某々大國に於ける東亜移民の排斥。高関税政策、経済ブロックの結成に依る帝國貿易振興の抑制。

四、支那に於て日支相戦はしむる政策の採用。

五、人種差別待遇。

六、大東亜戦直前に於ける平和通商破棄及経済的脅威。

七、日米交渉終期に於ける帝國に対する受入得ざる策、至難なる提案。

検事の論告に依れば、日本は文明に宣戦せりと称するも、寧ろ文明に宣戦せるは以上の事實より帝國を戦争に追い込みたる英米側に存し其の責任は其の負ふべきものなり。蓋し日本は自己の生存を保証せんがため及東亜國民の生存を永久に確立せんがために戦へるものにして、之れ換言すれば人類の真の文明を求めしがためなり(以下略)」。

 

大東亜戦争とはいかなる戦争であったかを記した血を吐くような文章である。東條英機元総理を始め、我が國の枢要な地位にいた人々二十八名を「文明」と「平和」の名によってその責任を裁くといふ『極東國際軍事裁判』に対する痛烈なる批判である。

 

 東條英機氏はその『遺書』において「開戦当初の責任者として敗戦のあとを見ると、實に断腸の思いがする。今回の刑死は、個人的には慰められておるが、國内的の自らの責任は死を以て贖(あがな)えるものではない。しかし國際的な犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ、力の前に屈伏した。自分としてはまた國民に対する責任を負って、満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、また下級者まで刑が及んだことは實に残念である。天皇陛下に対し、また國民に対しても申しわけないことで、深く謝罪する」と書いてゐる。

 

 東條英機氏は、昭和二十三年十二月二十三日、東京巣鴨にて殉難された。辞世において、

 

「たとへ身は 千々に裂くとも 及ばじな 栄えし御世を 堕せし罪は」

「続くものを 信じて散りし 男の子らに 何と答へん 言の葉もなし」

「さらばなり 苔の下にて われ待たむ 大和島根に 花薫るとき」

 

と詠んでゐる。

| | トラックバック (0)

2016年12月27日 (火)

外交について

共産支那や北朝鮮やロシアは外交駆け引きがうまいと言われるが、共産支那や北朝鮮やロシアの外交官は命懸けなのだと思う。下手なことをすれば収容所送りになる。日本の外交官はそういう危険は全く無い。

 

また、日本の政治家は権力闘争に負けても、刺客とやらを選挙区に立てられるくらいなものであるが、共産支那・北朝鮮・ロシアと言った独裁国家の政治家・官僚は、独裁者に疎んじられたり権力闘争に負ければ命に関わる。権力を失えば、何時殺されるか、投獄されるか分からない。張成沢・薄熙来を見ればそれはあまりにも明らかである。

 

そういう国を相手としているのだから、日本の甘っちょろい外交では太刀打ちできない。だから何時もしてやられて金や技術をふんだくられ、何時までも歴史問題とやらで謝罪されられ続けているのだ。

 

しかし、政治家や外交官にのみ責任を押し付けることはできない。反日野党・メディアの反日的・売国的姿勢が日本の外交をおかしくする元凶である。

| | トラックバック (0)

2016年12月26日 (月)

天皇陛下の御聖徳を冒瀆し奉る亀井静香を糾弾する

天皇への國民の「かしこみの心」が國家の安定が保たれて来た根源である。天皇陛下への「かしこみの心」のない政治家・権力者は厳しく排撃すべきである。

 

亀井静香氏は、『月刊日本』平成二十九年一月号で「天皇陛下には基本的人権はない。人間ではない。譲位を認めるべきではない」と主張してゐる。また、「天皇陛下の本来のお務めは宮中祭祀と国事行為であって、被災地や激戦地に行かれることではない」とも述べてゐる。亀井氏は祭祀が、天皇陛下の最も重要なお務めであることは認めてゐる。

 

日本天皇は、日本国の祭祀主であらせられ、現御神であらせられる。また「国民」ではあらせられない。上御一人であらせられる天皇陛下は、国民としての権利即ち「民権」はお持ちになっておられない。そんなことは亀井氏が声高に主張しなくとも当たり前のことである。

 

しかし、祭祀主日本天皇は、現御神として神聖にして最尊最貴の権威を持っておられる。そして祭祀主・現御神たる天皇陛下の御心に対し奉り、絶対的に従ひ奉るのが臣民の道である。祭祀主・現御神としての天皇陛下の神聖性・尊貴性を正しく語ることをせず、「天皇は人間ではない。人権はない」と主張する亀井氏には、天皇陛下に対するかしこみの心、尊崇の念が希薄であると言はざるを得ない。

 

まして亀井氏は、同じ『月刊日本』本年十月号において、「昭和天皇は明治憲法下において、日本國と日本國民を救うことができるお立場でありながら、そうされなかった。大東亜戦争が始まる時、昭和天皇は日本が破滅的な状況へ向かうのをお止めにならなかった。また戦争が終わる時、昭和天皇は広島長崎への原爆投下とソ連参戦までご聖断を下されなかった。もっともっと悲惨な状況になる前に降伏することができたのではないか。そして戦いに敗れた後、勝者による戦争責任の追及が進む流れの中で、東京裁判に東条英機以下七人の首を差し出された」などとし歴史的事実を全く無視した不敬千万なことを言って、昭和天皇の御聖徳を冒瀆し奉ったのである。断じて許し難い。

 

昭和殉難者について昭和天皇は次のように仰せになってゐる。

戦争責任者を連合國に引き渡すのは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」(木戸幸一日記・昭和二十年八月二十九日)

「戦犯といえども米國より見れば犯罪人ならんも我國にとりては功労者なり」(同・昭和二十年十二月七日)〉

「戦争の責任は全て私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする」(マッカーサーとの會見・昭和二十年九月二十七日)。

 

このように無私にして仁慈の大御心を示された先帝陛下対し奉り、「東京裁判に東条英機以下七人の首を差し出された」などとし歴史的事実を全く無視した不敬千万なことを言って、先帝陛下の御聖徳を冒瀆し奉ったのである。断じて許し難い。

 

わが國の道義精神の中核は、神を祭られる天皇の神聖なる権威である。日本國民は、天皇の神聖なる権威を通じて道義心を自覚した。ゆゑに天皇は道義の鏡といはれてきた。日本國の祭祀主として神聖なる御存在であられる天皇に対し奉り國民が清らけく明らけく仕へまつる心=清明心が道義の基本である。

 

しかし、「天皇および皇室は日本の道義精神の中核であり鏡である」といふことは、天皇に完全無欠な佛教や儒教やキリスト教でいふところの「聖人」になって頂くことではない。それは、天皇が和歌をはじめとした日本文化継承の中心者であらせられることが、天皇に柿本人麻呂や芭蕉のやうな「歌聖・俳聖」になっていただくことではないのと同じである。

 

誤解を恐れずに言へば、連綿たる道統と血統に基づく天皇の神聖性・正統性と、歴代天皇お一人お一人のご人格とは別である。もちろん、祭祀主としての天皇は日本國におけるもっとも神聖にして清らかなる御存在であるけれども、道徳的に政治的に絶対無謬の御存在ではない。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は『善悪の彼岸』にいたのである。ここに上代の道徳的評価意識の第一次の特徴がある。…スサノヲの命は親イザナギの命に対して不孝であった。夫婦喧嘩、兄弟喧嘩は神々や皇族の間に盛んに行われている。…後代の道徳思想においては最も非難すべきものとせられているにかかわらず、神聖な神々の行為として、平然と語られているのである。…神々の行為には確かに悪もある。しかし神々は善事にまれ悪事にまれ『真心』に従って行なうゆえに、すべてそのままでいいのである。神々の行為は善悪の彼岸において神聖なものである。」(『日本古代文化』)と論じてゐる。

 

道徳的政治的法律的な善悪の区別・硬直した倫理教条もしくは自己の思想信条によって、神々や御歴代の天皇のご行動を評価してはならないのである。わが國史において、後代の道徳思想政治思想から見ればあるいは「失徳の天子」といはれる天皇がをられたかもしれない。しかし、基本的に日本民族が太古以来の絶対尊皇精神を保持してきたから、禅譲放伐・易姓革命が起らず、天皇中心の國體が護持され、國家民族の安定が基本的には保たれてきたのである。その根源には、祭祀主としての日本天皇の神聖性への國民の「かしこみの心」があるのである。

 

日本人が古代から抱いてきた現人神(あらひとがみ)思想=現御神(あきつみかみ)信仰は、天皇がイエス・キリストのやうに海の上を歩いたりする超人であるとか何の間違ひも犯されない全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。

日本物語文學の祖とされる『竹取物語』(成立年代不明・作者不明)では、かぐや姫に求婚した天皇が「天竺の宝物を持って来てくれ」などといふ難題を言ひかけられて大いに悩まれることが記されてゐる。日本人の現御神信仰が天皇は絶対無謬の御存在であり全知全能の神とする信仰であったら、このやうな物語が生まれるはずがない。 

 

和辻哲郎氏は、「(天皇が神聖な権威を担ふといふ傳統、皇統が天つ日嗣として神聖であるといふことは・註)この傳統を担っている現人をそのまま神化しようとするのではない。従ってそこには天皇の恋愛譚や、皇室内部における復讐譚などを数多く物語っている。これらは天皇の現人性を露骨に示すものと言ってよいであろう。しかしかく現人たることなしに現人神であることはできない。現人でありながらしかも現人たることを超えて民族的全体性の表現者となり、その全体性の根源から神聖な権威を得てくるということ、従ってこの権威はただ一系であり不易であるということ、それを記紀の物語は説き明かそうとしたのである。」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。

 

現御神あるいは現人神とは、読んで字の如く、現実に人として現れた神といふことである。人でありながら神であり、神でありながらながら人であるお方が、祭り主であられる日本天皇なのである。それを名詞で表現したことばが現人神・現御神なのである。 

 

そしてこの場合の神とは、キリスト教や回教の神のような超自然的・超人間的な神なのではない。だから現御神であらせられる天皇御自身、神仏に祈願を込められ、天皇の御名において神々に御幤を奉られるのである。

 

葦津珍彦氏は〈現御神日本天皇〉の意義について次のやうに論じてゐる。「天皇おん自らは、いつも過ちなきか、罪けがれなきかと恐れて御精進なさっている。天上の神になってしまって、謬つことなき万能の神だと宣言なさった天皇はない。…現御神とは、地上において高天原の神意を顕現なさる御方というのであって、決して無謬・無過失の神だというのではない。」「現人神というのは人間ではないというのではない。人間であらせられるからこそ、皇祖神への祭りを怠らせられないのである。天皇は、神に対して常に祭りをなさっている。そして神に接近し、皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断に努力なさっている。天皇は祭りを受けられているのではなく、自ら祭りをなさっている。祭神なのではなくして祭り主なのである。その意味で人間であらせられる。けれども臣民の側からすれば、天皇は決してただの人間ではない。常に祭りによって皇祖神と相通じて、地上において皇祖神の神意を表現なさるお方であり、まさしくこの世に於ける神であらせられる。目に見ることのできる神である。だからこそ現御神(現人神)と申上げる。」(『近代民主主義の終末』)。

 

現御神(現人神)日本天皇は、天つ神・皇祖神の御子としての神聖なる権威を担って、目に見える人の姿として、現実に地上に現れられた神であらせられる。そして、皇祖天照大神の住みたまふ天上界(高天原)と地上とは隔絶した関係ではなく、常に交流してゐる関係にある。

 

日本人の傳統信仰は、皇祖神と天皇の関係ばかりでなく日本の神々と一般國民も種々の形で交流し、両者の間に超えがたい区別などはないのである。神はしばしば人の姿をとって現実世界に現れ、人の口を借りて神意を傳へんとする。

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろひ奉る御方であり、神のみ心を伺ひ、それを民に示される御方である。また民の願ひを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。

 

「祭る」とは無私になって神にまつろふといふ事であり、祭る者が自分を無にして祭られる者=神に従ふといふ事である。「祭り」とは神人合一の行事である。天皇が祭り主として「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐ時には「この世に生きたまふ神」すなはち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

「天皇に人権はない」などと慎みのないことを言って、天皇陛下の御意志・御心を拳拳服膺せず、「サボタージュすべし」などと主張する亀井静香氏を厳しく糾弾しなければならない。

| | トラックバック (0)

2016年12月23日 (金)

明治以後における尊皇攘夷運動

 

天皇を中心とした日本国を欧米列強の侵略支配から祖国を守り、世界の中で完全独立国家として屹立させることが明治維新の理想であった。それが尊皇攘夷の精神である。しかし、明治維新後に於いても、「不平等条約」が存続し、日本は西欧列強と対等の立場に立っているわけではなかった。それどころか、文明開化に美名のもと、日本は欧化の風に侵された。

 

明治維新の理想を実現させるべく在野で運動したのが玄洋社をはじめとする愛国運動であった。そしてそれは、欧米列強に屈従する政策を取る政府、欧化の風に侵された文化文明、この二つを粛正することを目指した戦いであった。

 

民権と国権は相対立するととらえる説があるが、決してそうではない。国権とは、民権を圧迫する国家権力のことではなく、祖国の独立のことである。

 

明治新政府は、「脱亜入欧」「文明開化」「富國強兵・殖産興業」の道を突き進んだ。つまり、欧米の文化・文明を取り入れて日本を近代化し、國を富ませ、軍事力を強固にし、生産を増やし産業を発展させることを目指したのである。

 

明治初期に岩倉使節団に参加して欧米を視察した政府高官たちの基本的観念には、第一に、欧米の文明に対する高い評価があり、第二に、アジアに対する蔑視とは言わないまでも欧米に比較してアジアは未開であるという認識があり、第三に日本の発展は、アジアから脱して欧米に入ることによって達成されるという考え方である。そして大久保利通・岩倉具視などは、その能力がわが日本にはあると確信した。これはまた、『五箇条の御誓文』の「知識を世界に求め大に皇基を振起すべし」という大御心に沿うものであると考えたのであろう。

 

大久保利通は、明治七年に書いた『殖産興業に関する建議書』には、「必ずしも英國の事業に拘泥して、之を模倣す可きにあらずと雖も、君民一致し、其國天然の利に基き、財用を盛大にして國家の根抵を固(かと)ふするの偉績に至りては、我國今日大有為の秋に際して宜しく規範と為すべきなり、況や我邦の地形及天然の利は、英國と相類似するものにあるに於ておや、……」と記している。わが國と國柄および天然自然条件が類似する英國を規範として殖産興業につとめるべきであるという主張である。 

 

東洋の伝統を否定あるいは軽視して西洋型の帝國としての日本帝國を建設せんするこの大久保路線は、反対者によって『西洋覇道路線』とも名付けられる。そしてこの路線は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋らによって継承される。

 

さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。後のマルクス主義などの西洋革命思想による日本の変革運動がそれである。

 

 

明治新政府の「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。明治第二維新運動では、西郷隆盛、江藤新平、島田一郎などが命を捧げたが、未完に終わった。

 

その精神と行動を継承する在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動である玄洋社は、明治十四年二月、福岡に創設された。「皇室を敬体戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」の三箇条を憲則に掲げた。

 

明治二十一年に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、そしてそれに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。    

 

そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的原因にも関わる今日的課題なのである。

 

 

| | トラックバック (0)

2016年12月21日 (水)

わが国政府は、終戦時の旧ソ連=ロシアの暴虐行為・侵略に対して謝罪と賠償を求めるべし

二階俊博自民党幹事長は、十二月十五、十六両日の日ロ首脳会談について、十六日に、記者団に対して、「国民の大半はがっかりしていると心に刻んでおく必要がある」と述べた。さらに二階氏は、十九日には、「ロシアの終戦当時のことについて一言おわびを言ってもらうぐらいのことがあってもよい」と語った。

 

二階氏は対共産支那の姿勢では大いに批判すべきところのある人だが、今回のこの発言は首肯できる。特に終戦時のロシアによるわが国国民に対する暴虐行為についての発言は正しい。

 

昭和二十年八月九日、旧ソ連=ロシアは「日ソ中立不可侵条約」を踏みにじって満州、朝鮮半島、北方領土=南樺太全千島などに攻め込み、侵略を開始した。

 

旧ソ連は日本から日米の終戦交渉を依頼されていたにもかかわらず、「日ソ中立不可侵条約」を一方的に破棄し、米軍による原爆投下、日本全土への空襲などによって気息奄々としていた日本に対し、宣戦を布告した。

 

ロシア軍=旧ソ連軍は、満州に侵攻、更に千島・樺太に上陸し、略奪・強姦・殺戮など悪逆・暴虐の限りを尽くした。

 

更に、100万人以上の日本人を拉致し、シベリアに強制連行し、強制労働をさせた所謂『シベリア抑留』で50万人以上を大虐殺した。

 

ロシアは戦後七十一年を経過しても、一切謝罪していない。ロシアの行為は「一言のお詫び」では済まされない。わが国政府は、この事実を対ロシア外交交渉に於いて強く指摘し、ロシアの謝罪と賠償を要求するべきだ。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧