2017年11月15日 (水)

愛国心・ナショナリズムと尊皇精神・國體観念

 

維新運動・愛国運動・民族運動・真正保守運動と言われてゐる運動の基本は何か。何を目的としてゐるのか。排外主義と愛国心・国粋主義とは同じなのか。ナショナリズムと日本伝統精神の関係はどうか。日本主義とは何か。具体的にどういふことを為すべきか。これは重大な問題である。

 

日本精神・日本主義・民族主義・国粋主義・愛国主義・民族精神・日本伝統精神といふやうに維新運動の基本に置く思想の名称も色々ある。それぞれ微妙な違ひがあるやうに思へる。私は、基本にあるべき思想精神は「尊皇愛国」「敬神崇祖」といふ日本伝統精神であると思ふ。

 

「愛国心」とは個人が運命共同体として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識であるといはれてゐる。「愛国心」といふ言葉が使はれ出したのはおそらく明治以降であらう。「愛国心」「ナショナリズム」といふ言葉は、明治以後外国との交渉や競争が激しくなってきてから顕在化したと言へる。

 

日本民族の国を愛する心の特質は、「尊皇愛国」といふ言葉もあるやうに、萬邦無比といはれる日本國體精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。日本人における愛国心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇しさらに麗しい日本の自然を愛するごく自然な心である。

 

日本人にとって愛する祖国とは本来的に「天皇の御代」即ち「君が代」なのである。これが日本の愛国心の特質である。ゆえに『国歌・君が代』こそ、最大の愛国歌と言ふことができる。日本における愛国心とは「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

 

そして、「防人」が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神国思想が勃興し、幕末において欧米諸国のアジア侵略を脅威と感じた時も『尊皇攘夷』が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも國體精神である。日本における愛国心・ナショナリズムは尊皇精神・國體観念と一体である。

 

大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなやうに、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。最近の日本も、愛国心・ナショナリズムが勃興しつつある。そしてそれは尊皇精神。日本伝統精神と一体のものでなければならない。

 

国粋主義・愛国主義と排他主義・排外主義・民族差別とは全く異なるといふことを確認したい。我々は、中華帝国主義や北朝鮮独裁政権の我が国に対する恫喝や攻撃、韓国の反日行為・竹島選挙に対しては厳しく対峙しなければならない。しかしそれは、全ての支那人や韓国朝鮮人を敵視し差別し排除することではない。無論不良外国人・反日外国人・不法外国人は排除しなければならないが、支那人・朝鮮人だから排除し差別することではない。

 

わが民族は本来大らかにして明るい民族である。八紘一宇・四海同胞の精神は大切にしなければならない。自分の主張と異なる主張をする人に対して、「あいつは朝鮮人だ」とか「ユダヤの手先だ」とか言って攻撃する人がいるようだが、これは日本精神ではない。

 

日本民族は、古来極めて柔軟な精神・文化感覚を持ってきた。大らかに外来文化・文明を包容摂取してきた。しかしその根底には、強靭なる国粋精神・民族精神・伝統精神があった。だからこそ、柔軟に外来文化を摂取しそれ日本化し洗練し高度なものにしてきたのである。

 

しかし、天皇を君主・祭り主と仰ぐ日本國體を破壊せんとする者共は、決してこれを許してはならない。また、我が国の主権・領土を侵し、日本国民に害を及ぼす勢力に対しては、厳しく対峙しなければならない。これは当然のことである。笹川良一氏は、「世界は一家、人類は兄弟」と言はれたが、その一方で、「戸締り用心、火の用心」とも言はれた。理想と現実というものはよくよくわきまえなければならないといふことである。

 

有志による韓国・支那糾弾活動における行き過ぎだ言動ばかりが批判されてゐるやうだ。しかしこれはあまりにも一方的である。ソウルや北京・上海などで行はれる反日デモにおいて、天皇陛下の御真影、日本の政府要人の写真、そしてわが国の国旗を焼いたり踏みつけたりする行為をしてゐる。品格の無い行動をしてゐるのは心無い韓国民・支那国民であることを忘却してはならない。

 

また、現実に我が国にミサイル向け、我が国を侵略せんとし、我が国の主権を侵害し、固有の領土を不法占拠し、我が国民を拉致してゐるのは支那・韓国・北朝鮮であることを忘却してはならない。「暴虐支那・韓国・北朝鮮」に対して厳しく対峙しなければならない。

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2017年11月 8日 (水)

私が「赤尾由美さんを励ます会」で話したこと

小生は「赤尾由美さんを励ます会」で次のようなことを話しました。

 

「戦後、『愛国』という言葉はタブー視されて来ました。そうした中で赤尾由美さんの叔父であられる赤尾敏先生は、『大日本愛国党』の総裁として果敢に戦われました。『愛国』という言葉はまさに赤尾敏先生によって戦後日本に於いて生き続けてきたと言っても過言ではありません。

 

私は団塊の世代として日教組の偏向教育を受けましたか、家庭では自衛官であった父そして母の教育で、皇室を敬う心、国を愛する心を培う事が出来ました。そして十代では、町中に愛国党のビラが貼られており、政治思想は赤尾敏先生の影響を受けました。また受験勉強では旺文社の赤尾好夫氏の影響も受けました。このお二人の『赤尾氏』は小生の青春時代において大きな影響を受けた方であります。

 

赤尾敏先生の血筋血統を継いでおられる赤尾由美さんがこうして活躍なさっていることは大変素晴らしいことです。今日、女性の政治家が増えています。昔『愛国婦人会』というのはありましたが、辻元清美・土井たか子、何とかシオリとか言う人たちはまさに『亡国婦人会』であります。

 

リベラルだ、民主主義だ、平和だと叫ぶ連中がいますが、真の『自由』『民主政治』『平和』は『国を愛する心』即ち『愛国心』が基本となって成立するのです。赤尾由美さまは、真の『愛国婦人』として今後一層のご奮闘をされることを心より念願します」。

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2017年11月 6日 (月)

「大和心」を興起しなければならない

偏狭なナショナリズムは良くないとか、健全なナショナリズムは良いとかいう議論があります。一体、偏狭とはどういう事なのか、健全とはどういう事なのかはっきりしません。ナショナリズムとは、「ある民族ある国家が他国他民族から圧迫を受けた時にそれに抵抗する精神及び行動」と定義されると思います。

 

わが日本は今日まさに支那および朝鮮半島から外交的・軍事的圧迫を受けています。これを跳ね除けるために国民が一致団結して事にあたるのは、偏狭では決してありません。当然のことであります。独立国家として健全なあり方であります。

 

ナショナリズムとは、国語で言えば愛国主義・民族主義という事になるのでしょうが、戦後日本は余りにも愛国主義・民族主義を忘れ果ててきたのではないでしょうか。やまとごころ・やまとだましいの復興こそが今最も大切であると思います。やまとごころは決して偏狭にして独善的な精神ではありません。

 

日本は今日、文字通り有史以来未曾有の危機にあると思います。今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心を発揮して國難に当たるべき時であります。

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

 

これは村田清風の歌です。村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させました。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没しました。

 

本居宣長の

 

「しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

を本歌取りした歌であります。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬りました。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌です。

 

今こそ、われわれ日本民族は、こうした戦闘的「大和心」を興起せしめねばならないと思います。これは偏狭でもなんでもない。国民として当たり前の姿勢です。

 

外患の危機を乗り越えるには、唐新羅侵攻の危機・元寇・明治維新の危機を乗り切った我が國の歴史に学ぶことが大切であると考えます。

 

 

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2017年10月18日 (水)

立憲民主・社民・共産を政治の世界から排除すべし

すでこの欄に掲載した主張をまとめたものですが、本日私が行ったこの度の総選挙に関する私の考えを語ったスピーチの草稿を掲載します。

             〇

偏向メディアは、共産・社民両党を繰り返し「リベラル」と報道している。「リベラル」という言葉は、定義が全く曖昧だ。独裁専制国家共産支那・北朝鮮を結果的に利する立場を取る政治勢力・政治家を「リベラル」と呼ぶ全く間違っている。

 

「リベラル」とは一体何なのか。共産党の志位も小池も「リベラル」という言葉を口にしないと思う。

 

社会主義・共産主義は、国民の自由を圧殺し、権力による統制国家・専制独裁国家を建設した思想である。実際にロシア・共産支那・北朝鮮などの社会主義・共産主義国家はそういう国家である。

 

中国共産党・朝鮮労働党は、世界の中でもっとも「自由」を圧殺している政党である。日本共産党・社民党は中国共産党・朝鮮労働党と同根である。この二つの政党は、戦後一貫して北朝鮮・共産支那と「友好関係」「兄弟関係」にあり続けてきた。だから自民党政権やアメリカに対しては激しく非難攻撃しても、共産支那・北朝鮮の独裁政治、強権政治・民衆圧迫・軍事侵略についてはあまり批判しない。偏向メディア・共産党・社民党(旧社会党)は、戦後一貫して共産支那・北朝鮮の手先であったが、今もそうなのである。まさに排除すべきである。

 

リベラル=自由を圧殺する社会主義共産主義政党を「リベラル」などと言うのは全く間違っている。と言うよりも偏向メディアに巣食っている共産主義者・社会主義者の謀略・情報操作である。

 

報道によると、枝野幸男氏は「私は日本国民の生活の安心、立憲主義、民主主義、自由な社会を守っていくために立憲民主党を結成することを決意した」と語った。

 

てあるならば立憲民主党は、「民主主義、自由な社会」を破壊する左翼全体主義集団すなわち共産・社民とは共闘できないどころか、これを敵として戦わねばならないはずである。しかし、そうではないのは、立憲民主党も共産・社民と同質なのである。 

 

「保守」「革新」という区別があるが、これも定義がまことに曖昧だ。「保守」と言っても「現状維持」戦後体制擁護」という「保守」と、「國體護持」「戦後体制打倒」という「保守」がある。

 

近年は「真正保守」という言葉が出てきた。「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体日本の國體」を守るのが真の保守である。それを「真正保守」と言うと思う。また、歴史問題で自虐的な思想を抱いていないことも大切である。

 

国防問題や外交問題でまともなことを言っている政治家でも、肝心要の國體や歴史問題で、全く期待を裏切るようなことを言う人がいる。実に困ったことである。

 

尊皇精神を保持し、日本の傳統精神を重んじる政治家は、国防・安保・教育・憲法などのことでも正統な主張をする。ところが、尊皇精神が希薄で、日本の傳統精神について正しい理解がなく、歴史観もおかしい人は、他の事でもおかしな主張をする。また権力型政治家が多い。

 

今度の選挙について言えば、いろいろ不満はあっても、國體護持政党を支持する以外にない。亡国政党・利敵政党に政権を取らせてはならないと考える。

 

また国難に対処する国家体制の強靭化ということを考えれば、ブームや風に乗って政治家になろうという人たちに政権を委ねることはできない。となると、やはり自民党に入れるしかない。

 

小池百合子さんが、民進左派を排除したことを高く評価する。

しかし、小池さんが衆議院議員にならないのだから、小池さんが代表を務める政党が政権を掌握しても、小池さんが総理大臣になることはできない。防衛大臣・外務大臣にもなることはできない。また小池新党で当選する人々がどういう人たちか全くわからないし、政治経験が未熟な人も多いであろう。それでは、国難の時期に強力なる政府を作ることはできない。

 

従って、今度の選挙で小池新党に票を入れることは出来ない。色々不満はあっても、自民党に入れるしかない。

 

ともかく立憲民主・社民・共産を政治の世界から排除することが大切である。

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2017年10月 6日 (金)

天皇中心帰一の國體精神と國難打開

 

幕末期における現御神信仰・尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いはゆる御蔭参り)が行はれ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきてゐた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百萬人に達したといふ。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないといふことが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君萬民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないといふことが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君萬民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

 

西欧列強の日本侵略から日本を守りぬくためには、全國的な統一國家建設が絶対必要条件であった。封建的各藩の分立を廃して統一國家を建設しなければならない。國家の中心を正しく確立しなければならない。もっともっと強力な國家統一・國家体制強化の牽引力が必要であった。この牽引力は、単に権力・軍事力に依拠するのでは駄目である。もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、その力を喪失してしまへば、國を支配者たるの地位も失ふのである。

 

「東照大権現」などと徳川家康の神聖性を強調しても、たかだか二百余年前に天海といふ僧侶によってつくりあげられた宗教的権威・疑似神話ではとても全國民的に精神的統一の中心とはなり得なかった。全國民が真に日本民族としての運命共同意識を強く保持し燃え立たせ得る精神的な基盤に依拠しなければならない。さうした精神的基盤は、神代以来の神聖権威の体現者・保持者であらせられる日本天皇への尊崇の念即ち尊皇精神であらねばならない。

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた國民的自覚によって行われたが、この國民的自覚は日本を神國とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」「(註・明治維新で)封建制度は再び顛覆せられた。中央集権的國家は再び形成せられた。永い封建制度の間を通じて権力なき権威であった天皇の権威は、依然として将軍の権力よりも上にあり、依然として國民の全体性を表現するものである、ということが明白に示された。原始的な信仰は決して死んではいなかった。」(『風土』)と論じてをられる。

 

皇祖神たる天照大御神は伊勢皇大神宮に祀られると共に、天皇がその地上におけるご代理=現御神としての役目を果たされた。

 

日本民族精神の基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。日本國民の國を愛する心の特質は、「尊皇攘夷」「尊皇愛國」といふやうに萬邦無比といはれる日本國體の精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。今日の外患の危機も、日本國民が、天皇中心帰一の國體精神を正しく体得し、強い愛國心を持つことによって打開できると確信する。

 

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2017年8月16日 (水)

許し難い祖国解体を目的とする偽装運動

昨日も書きましたが、偏向マスコミや似非平和運動屋たちは、日本・アメリカなどの戦争行為・歴史問題・人権問題に対しては、根掘り葉掘りあることないことがなり立てますが、旧ソ連・共産支那・北朝鮮の戦争行為・歴史問題・人権問題に対しては、そのようなことはしません。左翼勢力が支那大使館や朝鮮総連に対してデモを行ったことなど一回もありません。彼らの平和運動・人権運動・歴史問題への取り組みは、支那北朝鮮の手先として祖国解体を目的とする偽装運動なのであります。

彼らは日本軍の戦時中のことを野良犬のように嗅ぎ回って問題にします。ところソ連ロシアによるわが同胞殺戮・強姦・シベリアへの拉致・十万人以上の大量殺戮、満洲・朝鮮北部・樺太千島侵略、そして共産支那の自国民虐殺、チベット・東トルキスタン・内蒙古侵略支配はあまり問題にしません。こういう者共を売国奴と言わずして何と言うのでしょうか。

戦後のいわゆる「反戦反核平和運動」そしてテレ朝・朝日新聞・NHKなどの反日メディアは、ずっとそういう姿勢を貫いてきました。断じて許し難いと思います。

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2017年5月 1日 (月)

今日思ったこと

偏向メディアがどう批判しようと、民進党がどう攻撃しようと、安倍内閣の支持率は下がらないし、民進党の支持率は上がらない。

 

テレビで垣間見る大阪の学校法人経営者夫妻の言動は、「恭儉己レヲ持」してもいないし、「徳器ヲ成就」してもいない。こういう人物が経営する学校法人が、幼児に「教育勅語」を暗唱させる資格はないと思う。

 

ただし、総理夫人の脇の甘さと、閣僚の資質の劣化は批判されなくてはならない。

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2017年4月19日 (水)

日本は強靭にそして柔軟に生きて行くことが大切

今日はからりと晴れあがり、気温も高く、初夏到来と言った感じです。桜の花も散り果て、銀杏の葉は青々と大きくなりつつあります。四季の変化というのは本当に不思議です。

 

わが国は、湿度が高く、緑が多く、水も清らかです。台風が来て多くの被害をもたらしますが、地上の穢れを祓い清める働きをします。そして台風一過の晴天に恵まれます。さらに、火山の噴火や地震がよく起ります。

 

日本人は自然を敵とすることなく、自然とよく調和して生きてきました。台風や地震などの自然の猛威に対してすらそれによく耐え忍んで生きてきました。

 

このようなわが國の風土が、日本人の柔軟にして強靭な精神力そして清潔さを好む性格を生んだと思います。

 

大東亜戦争の敗北という建国以来の大きな苦難を経験しましたが、短期間で力強く復興を遂げました。これも日本人が風土の中から培ってきた力によるものと思います。日本人は自然と対立し自然を憎むということはあまりないと思います。

 

終戦の時は、「敗戦」を「終戦」、「占領軍」を「進駐軍」、「隷属の下」を「制限の下」などと言い換えました。そして敗者の悲哀をいくらかでも払いのけたと思います。これは、神話の世界からの伝統である「告り直し」「言い直し」「聞き直し」であると思います。

 

また、戦争ではアメリカから大変な仕打ちを受けましたが、戦争が終わってしまえば、それほど深く憎んだり敵対したりしませんでした。それが日本人の長所でもあり、短所でもあると思います。

 

ともかく、これからも、わが日本は強靭にそして柔軟に生きて行くことが大切だと思います。

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2017年4月13日 (木)

今日思ったこと

日本という国は何という国でしょう。国家的危機であるというのに、一学校法人の不祥事で大騒ぎ、そしてスケート選手の引退でも大騒ぎしています。これはメディアの姿勢が全くおかしいからです。

 

民進党は、学校法人問題で、安倍政権を責め立て、政治を混乱させて、政権を奪取せんとしているのであります。しかし、そうは問屋がおろさず、民進党の支持率は低迷したままです。また都議会では離党議員が相次いでいます。国会でも、長島昭久氏が離党しました。

 

社民・共産両党を含めた連合政権ができたら、日本はどうなるのでしようか。対外関係だけに限っても、支那と北朝鮮による我が国への軍事的政治的圧迫をはねのけることはできなくなります。民進・社民・共産の連立政権は何としても阻止しなければなりません。

 

日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを本当に真剣に考えるべきであります。日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなります。志位・辻元・福島などという輩が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとします。

 

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2017年4月11日 (火)

長島昭久氏の民進党離党について

長島昭久氏が民進党を離党しました。長島氏は「保守政治家」であることを強調していました。

一体保守とはどういうことを意味するのでしょうか。現状維持という意味なら、近年は守旧派とか抵抗勢力という言葉があります。

 

真正保守という言葉があります。これは現状維持という意味の保守ではなく、日本の国柄、伝統、歴史を守るという意味で使われております。私は現行憲法の原理を墨守し戦後体制を容認する立場こそ「守旧派」だと思います。真の保守とは言うまでもなく「國體護持」です。

 

長島昭久氏は、「伝統と革新」第十九号(平成二七年五月発行)に置いて小生のインタビューに答え、「『保守の真髄は何か』と問われれば、私は皇室を尊ぶということ、この一点に尽きる…一番の大本となるのは、神話を含めて、天皇、皇室を尊ぶということです。…日本および日本人の大本は皇室だという信念こそ、保守の真髄だと思っています」と語りました。

 

「國體護持」という正統なる信念と思想を持っている長島氏には、日共という國體破壊勢力と選挙共闘するなどということはとても耐えられなかったのでしょう。今回の長島氏の民進党離党は快挙です。

 

前原誠司氏も『伝統と革新』第二〇号(平成二七年初月発行)に於いて、小生の質問に答えて「日本人と日本の骨格を成ししているのが皇室だと思いますし、皇室のない日本というのはやはり考えられない。日本の心、伝統、文化、日本人の拠り所が皇室だと私は思います」と語りました。

 

前原氏も、真の保守政治家だと思います。

 

自民党の中にも國體観が正しく確立していない政治家がいます。「真の保守」と「守旧」「現状維持」との区別を明確にしなければなりません。國體護持こそ真正保守であり、この立場に立つ政治家が力を増すことを願います。そして國體破壊勢力を殲滅しなければなりません。明治維新の歴史を見ても明らかなように、真の保守とは真の革新であります。

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