2012年8月13日 (月)

『元禄名槍譜・俵星玄蕃』『ああモンテンルパの夜は更けて』について

今日の会合で歌わせていただいた『元禄名槍譜・俵星玄蕃』『ああモンテンルパの夜は更けて』について書かせていただきたい。

『元禄名槍譜・俵星玄蕃』は、三波春夫氏が歌った長編歌謡浪曲である。高校時代にレコードを購入して憶えて以来、今日まで家の中で、あるいは色々な会合で歌い続けている小生の愛唱歌である。

赤穂浪士の吉良邸討ち入りを助けた槍の名人・俵星玄蕃を主人公にした歌謡浪曲で、歌い切るには約十五分くらいかかる。忠臣蔵のテーマである「主君のために尽くすまごころ」「忠義の心」は、日本人の心情の中でも最も大切なものであり、多くの人々が共感する。

「かかる折りしも一人の浪士が雪をけたてて サク、サク、サク、サク、サク、サク、 『先生』『おうッ、そば屋か』

いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、 まことは杉野の十兵次殿、わしが教えたあの極意、 命惜しむな名おこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ、 さらばさらばと右左」というところがクライマックスで、歌っている本人もしびれる。

『ああモンテンルパの夜は更けて』は、渡辺はま子さんが歌った。フィリッピンの捕虜収容所に収容されていた日本人捕虜の方が作詞・作曲した歌である。渡辺はま子さんのところに送られてきて、それをレコード化し大ヒットした。

渡辺はま子さんは、苦労してフイリッビンに赴き、捕虜収容所を慰問し、この歌や「支那の夜」などの数多くのヒット曲を歌った。そして当時のキリノ大統領と面会し、この歌のオルゴールを聞いてもらった。キリノ大統領は感激した。そしてその後『戦犯釈放運動』が行われ、「戦犯」と言われた人々は、帰国することが出来た。

渡辺さんは、「帰国したと言っても三つの帰り方があった。一つは、遺骨になって帰国、一つはそのまま巣鴨プリズンに収容、もう一つはそのまま自由の身でした」と語っていた。

私は、故野村秋介氏にフィリッピンに連れて行っていただいた時に、モンテンルパ刑務所を見学し、実際に死刑が執行された処刑台のそばでこの歌を歌わせていただいた。涙があふれてとどまらなかった。

私には、渡辺はま子さんと三波春夫氏は、好きな歌手というよりも、尊敬する歌手である。渡辺さんは、戦時中は戦地に行って多くの皇軍兵士を慰問し、戦後は、いわゆる戦犯釈放運動に活躍された。文字通り渡辺先生の大ヒット曲の名の通りの「愛国の花」であられた。

三波春夫氏は、日本人の心情・日本の伝統精神をテーマにした多くの歌を歌われた。また、歴史に関する著書も書かれた。

今日は多くの同志の方々の前、そして夏の夜空の下で、この二曲を気持ちよく歌わせていただいた。主催者であられる犬塚博英・山口申両氏をはじめとした民族革新会議の方々、そして出席された多くの同志の方々に感謝する。

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2006年1月18日 (水)

千駄木庵日乗一月十八日

 この日誌を『千駄木庵日乗』と名付けることにしました。もともと、小誌『政治文化情報』でも用いてゐるのですが、永井荷風の『断腸亭日乗』を真似したものです。『日乗』とは日記といふ意味です。

永井荷風は私が最も好きな近代作家です。反骨精神があり、下町情緒を愛し、近代日本に対する深く鋭い批判精神を持った作家です。また、小説そのものも大変面白いと思ひます。

小生が尊敬する作家である中河与一氏の『天の夕顔』を高く評価したのが永井荷風でありました。そして荷風の全集を買ひ、全作品を読みました。

『政治文化情報』の読者から、「四宮さんは出家したのですか」といはれた事もあります。「千駄木庵日乗上人」といはれました。日蓮宗の坊さんになったと勘違ひしたやうです。また別の人からは、『日本蕎麦屋を始めたのですか』ともいはれました。

荷風の日記にははるかに及びませんが、これからもどうかご覧頂きたく存じます。

今日は、午後は、今晩と明日の『萬葉集講義』の準備。

午後六時半より、南大塚社会教育会館にて、『万葉古代史研究会』。萬葉集作者未詳歌を講義。

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