2014年12月25日 (木)

故三潴信吾氏の國體論・憲法論

平成十一年五月八日に開かれた『憲法懇話会』にて、故三潴信吾氏が「自主憲法制定の基本方針」と題して講義され、次のように語られた。

「憲法改正より自主憲法制定が正しい。吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。『二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をする』とはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

 

日本の祭政一致が外國人にはよく分からなかったので、祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならないとした。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。

 

『帝國憲法』には『万世一系の天皇が統治する』と書かれている。憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべし。美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステートと憲法の拠って立つ基本が國體。

 

西欧デモクラシーは数だけで考えるから衆愚政治になる。質をチェックする必要があるので上下両院が設けられた。衆議院は量、貴族院は質に重点を置く。数を質で評価する機関が枢密院。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

 

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會を國権の最高機関というのはおかしい。

 

皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。

 

エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。

 

元号法は次の元号決定の手続き規定。元号は慣習法に根拠がある。

 

英國・デンマーク・オランダという王制の國に行って『貴國は民主主義國家ではない』と言ったら笑われる。

 

現行憲法には、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』とあるにもかかわらず、『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」と語られた。  

 

千駄木庵主人曰く。「君主制國家が民主國家ではない。君主制はやがてなくなる」という議論は現実によって完膚なきまでに否定されている。民主主義・人民を國家の名称にまで用いている國(朝鮮民主主義人民共和國)が世界中で最も独裁的・侵略的な國であり人民が貧困と飢えに喘ぎ餓死している。ソ連・支那・ラオス・イランなどを見て明らかなように王制・君主制を打倒した國は民主國家になるどころか全く正反対の独裁専制國家になっている。三潴先生には本当に色々貴重なこと大切なこと教えて頂いた。心よりご冥福を祈らせていただきます。

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2013年12月 7日 (土)

木造建築及び煙草について

以前、『日経』のコラム欄に、佐伯一麦という作家の方が。大要次のようなことを書いていた。

 

「鉄筋コンクリートの床があらわになった空間は、人の声を硬く撥ね返し刺々しくする。木造家屋で話をすると自分の声が天井などに柔らかく吸収され、自然な口調になる。学校でのいじめ問題も、校舎が鉄筋コンクリートになったため、声が硬く反響する空間で、苛立ちや拒絶が倍加するのではないか」。

 

小生の小学校時代は、戦後建てられた木造モルタル造りの校舎で、冬は石炭やコークスを使ったストーブで暖をとった。窓などから隙間風が入って来た。子供たちの殆どは手の平や耳たぶにしもやけが出来ていた。給食も不味かった。一クラス五十人以上のすし詰め学級だった。

 

勿論、いじめっ子は致し、いじめもあった。しかし今のような陰惨ないじめはなかった。自殺に追い込むというような歯止めのきかないいじめはなかった。

 

校舎が立派になり鉄筋コンクリート、冷暖房付きなり、給食がうまくなり、「教育施設」が充実しても、決して子供たちが伸び伸びと明るく健全に育っているというわけではないようである。これは、学校に限ったことではない。人類全体が、科学技術が進歩発展し、生活が快適になっても、人と人との争い、国家民族同士の戦争は、ますます激化しとどまるところを知らない。むしろ科学技術が進歩発展しているだけに、戦争の惨禍がよりひどくなっている。

 

日本の建物を全部木造に戻すということは不可能だが、内部だけでも出来るだけ木と紙を使った建物にしてほしい。

 

先日、神田学士会館の喫煙コーナーに煙草を吸いに入ると、お年を召した男性の方が煙草を吸っておられた。その方曰く「煙草を吸う民族や地域はあまり争い事や戦争は起らない。アメリカは禁煙大国だが戦闘的だ。コーヒーは心を落ち着かせる効能持つ。煙草とコーヒーはむやみに抑制すべきではない」という意味のことを言っていた。ご職業を聞くと、ある有名なコーヒーメーカーの元社長・現顧問とのことであった。

 

のみ過ぎは良くないに決まっているが、煙草は決して百害あって一利なしとは言えない。精神を落ち着かせる効能がある。ただし、煙草を吸う人は戦闘的ではないというのには少し疑問がある。共産支那の初代皇帝・毛沢東も、北朝鮮の初代皇帝・金日成も愛煙家であったが、残虐さ・戦闘的という面では比類がない人物であった。

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2013年6月11日 (火)

感謝しなければならないこと

昨日の『クローズアップ現代』は「三浦雄一郎氏の若さの秘密」というテーマだった。登場した医師が「六十代・七十代、八十代の人でも、買い物、掃除・洗濯、読書、原稿書きをしている人は、大脳前頭葉の委縮が防げる」と言っていた。私は、毎日、買い物、掃除・洗濯、読書、原稿書きのすべて実行してきているし、これからも実行し続けなければならない。そうした境遇であることを感謝しなければならない。合掌。

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2011年12月21日 (水)

二宮清純氏の講演

十二月十三日の『一水会フォーラム』における二宮清純氏の講演を報告します。

「清武問題は告訴合戦。裁判が、どちらが正しいかを明らかにする。アメリカなら清武が言っていることが正しい。渡辺恒雄氏はオーナーではない。二重権力になっている。オーナーではないのに人事をひっくり返すのは問題。プロ野球は私物なのか、公共財なのか。文化的公共財と言われる。それが私物のようなに扱われていいのか。プロ野球再編問題で、縮小に私は反対した。渡辺氏は八球団一リーグにしようと言った。銀行なら合併しても構わない。公共財はそんなに簡単に扱われていいのかという問題。『地方の人口が減って来で檀家も減って来たので、日蓮宗のお寺と浄土宗のお寺を合併して一つにしよう』というのと同じような乱暴な話。コンビニの合併とは違う。

愛郷心の根本は『おらが街のサッカーチーム』という意識。それを簡単に切り捨てると国全体が危うくなる。一木一草にも魂が宿っている。八百万の神が宿っている。そういう文化が一瞬にしてなぎ倒されてしまう。スポーツは心の財産。スポーツが出来るのは地域密着。お互いが関わりあう。日本の素晴らしさを取り戻すにはスポーツが一番いい。スポーツの副作用はない。スポーツが盛んになって困ることはない。これだけの素晴らしい文化を日本が軽視している。日本のスポーツの原点はお祭り。心に財産が必要。

相撲の不振と地方の疲弊は繋がっている。以前は北海道・青森は力士の宝庫。今は北海道出身の力士は一人もいない。地方の神社に相撲場は無い。学校の砂場で相撲をとる子はいない。日本人力士が弱いのは誰の責任か。学校の現場で相撲を取らせるべし。相撲を教える人が少ない。元力士が教えてもいいのではないか。相撲取りに対するリスペクトがなくなっている。四股を踏むのはウォーミングアップではない。地霊を鎮めるためという。そのことを力士が知らない。協会に親方が教えない。相撲は国技であり神事の要素がある。市町村や学校が相撲を奨励する必要あり。

スポーツによる国威発揚の典型は北京五輪。しかし、チョモランマにまで聖火を持って行くことに反発があった。官僚主義の悪いところ。私は愛媛出身。小学校時代には相撲大会があった。

不心得者は何処の世界にもいる。全部が腐っているというのは酷。日本のスポーツはお祭りであり、地域密着であり、老若男女が支えるもの。その一方で国際競争も考えねばならない。日本対台湾対アメリカのワールドシリーズをすればいい。競争と共存が大事。高野連は銚子商業と高知商業が大漁旗を持ち込むのを禁止した。強度に合った応援があっていい。ところがみんな同じような応援になった。」

              ○

相撲が大好きだったが、最近は見ない。上位力士に外国人力士が増えたからである。別に外国人を差別するわけではない。しかし日本の国技と言われる相撲はやはり日本人に活躍してもらいたい。また最近の相撲には水入りになるほどの熱戦というのが少なくなってきた。スポーツはお祭りであり、地域密着という説には全く同感である。

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2011年1月14日 (金)

健康診断を受けて思ったこと

個人的なことであるが、今日の健康診断では心電図も血圧も特に異常はなかった。しかし、太り過ぎは何とかしなければならないとのことである。約二十キロ多いという。医師は、夜の食事の量をできるだけ少なくするべしと言う。私の最大の楽しみは、夜、一杯やりながら、おいしいものを食べることである。これが最大の楽しみであり、安らぎでもある。この楽しみを無くすことは全く不可能に近い。この楽しみを無くすことは生甲斐を無くすことでもある。肥満を治すよりも楽しみを続けること方が良い。これが現在の偽らざる心境である。しかし、次回の往診で糖尿の検査をしてもらうことになっている。その結果がどう出るかが問題である。

食事・読書・音楽鑑賞が私の人生における三つの楽しみである。それに、歴史探訪・美術館・博物館見学も好きである。だから、比較的よく歩く方である。これからも、これは熱心に続けたいと思う。

以前は、カラオケで熱唱するのが大きな楽しみであった。しかし、今はあまりやらない。父が病院で苦しんでいることを考えると、大きな声で歌を歌うことができないのである。歌っても楽しくない。

私の好きな歌手は、田端義夫・渡辺はま子・田谷力三・三波春夫氏などである。田端氏以外は他界されてしまった。子供の頃から好きだった役者もほとんど今はいなくなった。嵐寛寿郎・上田吉二郎・島田正吾・辰巳柳太郎・渥美清氏などである。これらの人々の当たり役のセリフはよく覚えている。女優では、千石規子・山田五十鈴のファンである。

健康の話からそれてしまったが、ともかく、これからも無理をせず地道に歩んでいきたいと思う。

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