2019年3月 8日 (金)

国民の心に沁みついてゐる「国家=悪」といふ観念を払拭することが大切である

安倍晋三総理は、その著『美しい国』で「戦後日本は六十年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトイン(四宮註・小生にとってはまことに聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、内蔵されていること、はめ込むこと、作り付けであること、といふ意。コンピュータ用語らしい)されてしまった。だから、国家的見地からの発想がなかなかできない。いやむしろ忌避するような傾向が強い。戦後教育の蹉跌のひとつである。」と論じてゐる。

 

 戦後日本において、欧米の国家思想が滔滔と流れ込んできた。国家を権力機構と見なし、「国家権力は本来悪であり、これを出来得るかぎり制限して、人民の権利を拡張しなければならない。また、君主と人民は対立関係にあり、君主制を打倒して人民が権力を掌握することが歴史の進歩である」「國家は人間を束縛するものであり侵略戦争を起こすものである。だからいづれは無くなってしまった方が良いし、國家の力は押さえた方が良いし、國家の言ふことは聞かない方が良い」といふ思想が蔓延した。今日それは続いてゐる。

 

日本国はいかなる國であるのか、そしていかなる国であるべきかを正しく把握してゐないと、即ち正しき国家観が確立されてゐないと、正しい『憲法』への回帰は行ひ得ないし『国歌・国旗』への正しい態度も養へない。

 

安倍晋三氏は「国家」について次のやうに論じてゐる。「そもそも、人間はひとりで生きているわけではないし、ひとりで生きられない。その人の両親、生まれた土地、その人が育まれた地域のコミュニティ、そして、それらをとりまいている文化や伝統や歴史から、個人を独立させて、切り離すことなどできないのだ。人は、『個』として存在しているように見えるが、その実体は、さまざまなものとつながっていて、けっして『個』ではない。国もまた、同じだ。人が生まれて成長して年をとっていくうえで、切り離せないものとして存在しているのである。ここでいう国とは統治機構としてのそれではない。悠久の歴史を持った日本という土地柄である。そこに私たちは慣れ親しんだ自然があり、祖先があり、家族がいて、地域のコミュニティがある。その国を守るということは自分の存在の基盤である家族を守ること、自分の存在の記録である地域の歴史を守ることにつながるのである」。

 

さらに安倍氏は、「天皇」について「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタベストリー(四宮註・これまた聞き慣れない言葉であるが、辞書によると、羊毛や絹、麻などを材料として、絵模様を織り出した綴織(つづれおり)のこと)だといった。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。」と論じてゐる。正しい見解である。

 

国とか国家といふ言葉には色々に意味がある。司馬遼太郎氏は、「英語で古代以来、自然にそこにある国をネーション(nation)と言い、憲法を柱にして法で構築された国家はステイト(state)と呼ばれる」(『風塵抄』)と述べてゐる。

このほか、カウントリー(countryといふ言葉もある。これは故郷とか生国といふ意味だといふ。

 

我々が限り無く愛する日本國とはいかなる國であるのだらうか。「國家」といふ言葉は「漢語」であるが「やまとことば」には「クニ」といふ言葉がある。この「クニ」といふ言葉は「懐かしい故郷」といふ意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」「クニの父さん、母さん」と言ふ時は、故郷といふ意味である。英語でいふと「country」である。ところが「クニに税金を取られる」という時の「クニ」は、行政機構・権力組織のことである。英語でいふと「state」である。

 

「母國」とか「祖國」とかいふ言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々が懐かしく思ふ「國」である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなはち「家」である。「國」と「家」は一體である。ゆゑに「國家」といふ言葉が生まれたのではなかろうか。

 

我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國家であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思ひ愛着を抱く人はそんなに多くはないだらう。そこを職場にしてゐる人以外は皆無に近いと思ふ。

 

権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。例へば「腐敗堕落した官僚や自民党が好き勝手なことをしてゐるから税金なんか納めない」と主張し、それを實行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加へられるだらうが…)しかし、「父祖の國」「母國」と表現されるところの「國」に生まれ育ち生きてゐる事實は否定できない。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を持つ國においては、無理に英語を用いて定義を分けなくても「国家とは悠久の歴史を持ち、日本国民が生まれ生活してきたところ」といふのが自然の観念である。

 

西洋の国家観は、ある特定の地域の内部で物理的暴力による支配機構といふ事らしい。国家は個人の抑圧装置としてゐる。個人にとって国家とは本質的に敵である。このやうな国家観で日本国の国柄を規定してはならない。

 

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」といふ思想による。これは國家を権力機構・支配統制組織としてのみとらへた考へ方である。

 

 しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取を行ひ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。


また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、仲間内で恐るべき闘争を繰り返し互ひに殺し合ってきた。

 

國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、外國の権力國家の侵略に協力してきた。戦後日本における「反國家・國家破壊の思想と行動」は惨禍しかもたらさなかったと言って良い。その残り滓が共産党であり立憲民主党の中にゐる。

 

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2019年1月17日 (木)

日本における『道』とは

 

 

「神ながらの道」とはいかなる道であろうか。それは「教条」や「掟」ではない。「神のみ心に随順しそれを行ふ」といふことである。日本の神々の道をそのまま踏み行ふことである。

 

小林秀雄氏は次のやうに論じておられる。「『道といふこと』とは、論(あげつら)はうにも論ひやうもない、『神代の古事(ふるごと)』であった。『古事記』といふ『まそみの鏡』の面にうつし出された、『よく見よ』と言ふより他はない『上つ代の形』であった。…『上つ代の形』とは、たゞ『天つ神の御心』のまゝであらうとする、『上つ代』の心の『ありやう』、『すがた』た他ならず…」(『本居宣長』)

 

つまり、「日本の道」とは、神のみ心のままであらうとする「道」の継承と言っていい。日本語には古来、西洋で言ふ「知識」とか「認識」というふ名詞は存在しなかったといふ。日本人は、単に知識を求めたのではなく、「道」を求めたのである。それが日本の学問即ち国学だったのである。「道を学び問ふ」事を大切にしたのである。 

 

人が道を歩むといふ具体的な行ひが、学問といふ精神的な「いとなみ」を言ひ表す場合にも用いられたといふ事は、日本人はそれだけ「実践・行ひ」を重んじたといふ事である。具体的に道を歩むといふ行ひの姿を以て精神的な道を探求することを表現したのである。

 

日本民族は、日本民族特有の思想や精神を理論・教条として言挙げしなかった。だから、日本には独自の思想教条理論は無かったのではないかと主張する人さへゐる。

 

しかし、理論・教条で説明する思想精神はそれだけ狭く限定されたものと言へる。日本の伝統精神は、祭祀・文藝・武道などの実際の「いとなみ」によって自然に継承されてきたのである。それだけ自由であり、広らかなるものである。

 

「日本の道」は祭祀・神話・和歌・物語によって伝へられてゐる。本居宣長は、「古(いにしへ)の大御世には、道といふ言挙もさらになかりき、其はただ物にゆく道こそ有りけれ、もののことわりあるべきすべ、万の教へごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国(あたしくに)のさだなり」(『直毘靈』)「主(むね)と道を学ぶ輩は、…おほくはたゞ漢流の議論理窟にのみかゝづらひて、歌などよむをば、たゞあだ事のやうに思ひすてゝ、歌集などは、ひらきて見ん物ともせず、古人の雅情を、夢にもしらざる故に、その主とするところの古の道をも、しることあたはず」(『うひ山ふみ』)と述べてゐる。

 

さらに本居宣長は、「日本の道」とは、「天照大御神の道にして、天皇の天下をしろしめす道、四海万国にゆきわたりたる、真の道」(『うひ山ふみ』)であると述べてゐる。

 

そしてそれは、理論・教条といふ形ではなく、『記紀神話』に示され、『萬葉集』に歌はれてゐる。日本の古の道・古人の雅情は、教条的な形で理論として伝へられてゐるのではなく、祭祀といふ信仰行事そして神話や和歌や物語によって伝へられてゐる。

 

『記紀萬葉』は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のやうな教義・教条が書き記されてゐる文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められてゐる。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ、抽象的な論議や理論をそれほど重んじなかった。

 

近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べてゐる。

 

平田篤胤は、儒教や仏教といふ外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の「道」を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は教義・教条ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じてゐるのである。国学とはさういふ学問なのである。

 

さらに近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説おかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり」と論じてゐる。

 

つまり日本の伝統精神即ち日本民族固有の「道」は事実の上に備はってをり、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないといふのである。抽象的・概念的な考へ方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見て、それを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたひあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

 

かういふ理論・理屈・教条を排するといふ日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を自由に柔軟に幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原基である。

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2017年3月 3日 (金)

日本の伝統的倫理精神と「教育勅語」

明治維新以後暫くの間、わが国の教育理念や教育体制が正しく確立してゐなかったと言はれる。明治天皇は、「欧化」「殖産興業」の国策を実現するために重視されてゐた「知育・生産技術教育偏重の教育」「漢学・国学の軽視・洋学偏重」を憂いたまい、日本の教育精神・倫理の根本は「忠孝精神にある」との大御心によって『教育勅語』を渙発あそばされた。

 

 

明治天皇は、明治十一年八月から十一月にかけて、東北・北陸、北海道を巡幸あそばされ,学校教育の實滋養を視察された。そして、徳育面が欠けていることを実感されたと承る。明治十二年、侍講代(天皇・東宮に学問を講じた官職)・元田永孚(えいふ・ながざね。日本の武士・熊本藩士、儒学者。男爵。大久保利通の推挙によって侍講となる)に、少年少女の勉学に資する道徳書の編纂を御下命になり、同十五年『幼学綱要』を著した。これは全国の学校に配布された。

 

明治十九年十月、明治天皇は東京帝国大学を視察された。小生の母校・二松学舎の浦野匡彦理事長が入学式の時に必ず言われた言葉を思ひ出す。「明治陛下が当時の東京大学を御視察あそばされた時、『一体日本の学問はどこにやるのか』とご下問があった。当時の文部省学校当局は慌てふためいて、東京大学に古典学科を作ったのであります」。

 

 明治二十年代の初めに確立されたわが国独自の近代国家体制は、政治の面では「大日本帝国憲法」によってその基礎が置かれた。他方、国民道徳の面からこの体制の支柱として位置づけられるのが「教育に関する勅語」(教育勅語)である。

 

「教育勅語」が発布されると、やがて国民道徳および国民教育の基本と位置付けられ、国家の精神的支柱として重大な役割を果たすこととなった。

 

『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

日本人の倫理・道徳の根本とはわが國においては、私心をなくして天皇と親にお仕えすること即ち「忠孝精神」が、日本人の理想の姿として傳えられてきた。

 

「忠」の字義は、意味を表す「心」と、音を表す「中」からなる形声字(意味を表さないで単に「音」だけを表す文字と、その字の意味そのままに用いた字を二つ合わせて一字にしたもの)である。「中」の表わす意味は「中空」。己の心を空しくして他人のために盡す心の意である。

 

「孝」は、意味を表す「老の省略形」と、音を表す「子」(カウ)からる形声字。「子」の音の表わす意味は「養う」意である。つまり親によく仕える意である。即ち、忠も孝も、己を空しくして君と親に仕える精神である。

 

天皇・両親に私心なくお仕え申し上げる心を汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言えば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」という。

 

「清明心」は「記紀」の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

「清明心」は、「記紀」の世界では須佐之男命の御精神であり日本武尊の御精神である。「清明心」の体現者が須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。

 

清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかわれてきた傳統なのである。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

こうした日本伝統精神が示された『教育勅語』を、青少年に正しく教えることは誠に大切であると考える。

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2017年1月22日 (日)

徳川光圀の尊皇精神 

 

徳川光圀は水戸藩第二代藩主。寛永五年(一六二八)に生まれ、元禄十三年(一七00)に没している。家康の孫である。

 

 光圀は明暦三年<一六五七>に歴史書・『大日本史』の編纂を命じた。完成したのは明治三十九年<一九0六>である。『大日本史』は、神武天皇から後小松天皇までの國史を漢文の紀伝體(歴史記述法の一つ。本紀(ほんぎ) ・列伝などの別を立てて記す)で編述し、その大義名分論に基づく歴史観は幕末の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えた。編纂には二百五十年の歳月を費やして明治の御代になって完成した。紀伝、志表合せて三百九十七巻、目録五巻、計四百二巻。長年月に亘って、父祖の業がかくの如く継承されたことは、古今東西未曾有のない驚異的なことである。

 

 『大日本史』編纂は、一つの著述というより一つの學派の形成と言っていい。しかもそれは経済的にも大事業であった。光圀はそのため二百名以上の學者を四百石から百五十石くらいの禄で抱えた。

 

 ただし、『大日本史』の修史(歴史の編集)の方法は、支那の朱子學(朱子が大成した儒學。格物致知<物の道理をきわめつくして、自分の後天的の知をきわめること>を眼目とする実践道徳を唱えた)の史観の強い影響下にあった。『大日本史』が神武天皇の御代から始まり、神代のことが記されていないのは、「實に據って事を記す」という史観の建て前からで、「記紀」の神代の記述を史実と認めることができないという理由に基づいたと言われている。

 

 また明治維新の思想的原動力の一つは『楠公精神』(楠正成の勤皇精神とその行動)である。楠公崇拝の機運が高まったのは、徳川光圀が湊川に『嗚呼忠臣楠子之墓』と刻された石碑を建てたことが、与かって最も力があった。

 

 さらに光圀は、幕府に対して天皇御陵の修復を進言した。元禄及び享保の時代に幕府が幾分御陵修復を行ったのは光圀や柳沢吉保の進言によったものという。斉昭は光圀の志を継承し、天保四年(一八三三)藤田東湖の妹婿・桑原信毅を京都に送り、山陵調査に当たらしめている。斉昭は鷹司関白や幕府に対し、山陵修補を促した書簡を多く送っている。しかし幕府の対応は冷淡であった。水戸徳川家の尊皇精神は理論だけでなく実行を伴っていたのである。

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2016年12月25日 (日)

天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家日本の本質

 日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

 したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、世界の多くの國々のやうな征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

 日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽神・天照大神を最も尊貴なる神として崇めた。

 

 天照大神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる天皇は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。そして、天照大神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。

 

 そして、祭り主たる天皇を、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者として仰いだ。

 

 つまり、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體(神の國)なのである。

 

 天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した『日本神話』には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られる時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

 それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されている。

 

 さらに、「吾が高天原に所御(きこしめす)斎庭の穂(いなほ)を以ちて、また吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし」(私の高天原に作っている神に捧げる稲を育てる田の稲穂を私の子に任せよう、といふほどの意)といふ御命令を下された。

 

 天孫降臨神話の意味するところは、穀物を實らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)が、地上に天降り稲穂を實らせるといふことである。それがわが日本の始まりなのである。そして、天照大神の神靈をそのまま受け継がれた「生みの子」たる邇邇藝命及びその御子孫が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐるのである。

 

 天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命という御名前は、「天地に賑々しく實ってゐる太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」といふほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。この國の人々の生命の糧である稲穂が毎年豊かに實るやうに、といふ古代日本人に共通する切なる願ひが天孫降臨神話を生んだのである。   

「日の御子」は日本の祭祀と政治と軍事を統べる最高のお方

 

 『魏志倭人傳』には、「一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能(よ)く衆を惑す」と書かれ、古代日本に祭祀主としてヒミコ(日の御子)といふ女王がをられたと記されてゐる。

 

 『魏志倭人傳』とは、支那の『三國志』のうちの『魏書東夷傳』の中の倭人(日本人のこと)に関する約二千字ほどの記事のことである。ここに書かれてゐることは古代日本の史實そのままではない。三世紀前半に日本に渡来した支那人(魏の國の人)の見聞に基づいてゐるらしく推測される。しかし、その頃の日本の九州(筑紫)に来た支那人が「水行十日陸行一月」の遠隔地即ち大和地方のことを傳聞したことをもととしてゐるといふ。ゆゑにその頃のことをいくらか反映して記されてゐると思はれる。          

 

 古代日本の「祭祀」を「鬼道」などと蔑視し、祭り主たる「日の御子」に「卑弥呼」(いよいよ卑しいと呼ぶ)などといふ侮蔑的な文字が当てられてゐるが、「日の御子」とは、太陽神の御子といふ意味である。そして神を祭り、神の意志を民に傳へ、民の願ひを神に申し上げることのできる靈能を有する人が、政治的統治者となったのである。「日の御子」は古代日本の祭祀と統治と軍事を統べる最高のお方なのである。

 

 そして「日の御子」は太陽神を地上においてそのまま體現される御方であるから、現御神(現實に現れた神)と仰がれることになったのである。

 

 このやうに、三世紀の日本は既に天皇・大和朝廷によって統一されてをり、天照大神信仰・現御神日本天皇仰慕の心による中核とする信仰共同體としての國家の統一が成立してゐた。大和や河内などにある天皇陵をはじめとした多くの古墳は、信仰共同體の精神的エネルギーの結晶である。祭り主天皇の神聖なる権威を崇める心が美しい前方後円墳を作り出したのである。

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2016年11月19日 (土)

『大日本帝国憲法』第一条について

伊藤博文は、その著『憲法義解』において、「恭て按するに天皇の宝祚は之を祖宗に承け之を子孫に伝ふ国家統治権の存する所なり而して憲法に殊に大権を掲けて之を条章に明記するは憲法に依て新設の義を表するに非すして固有の國体は憲法に由て益々鞏固なることを示すなり」と論じた。

 

天皇の国家統治の大権を成文憲法に明記するのは、「新設の義を表するに非すして固有の國体は憲法に由て益々鞏固なることを示すなり」と論じてゐるところが大事である。天皇は、「成文憲法」に基づいて国家を統治されるのではないことを明確に示したのである。

 

「第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」

 

この条文について伊藤博文は、「皇統一系宝祚の隆は天地と与に窮なし本条首めに立国の大義を掲け我か日本帝国は一系の皇統と相依て終始し古今永遠に亘り一ありて二なく常ありて変なきことを示し以て君民の関係を万世に昭かにす。統治は大位に居り大権を統へて国土及臣民を治むるなり古典に天祖の勅を挙けて瑞穂国是吾子孫可王之地宣爾皇孫就而治焉と云へり」と論じ、天皇の国家統治は、『天壌無窮の御神勅』に基づくことを明示した。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

 

「治める」ということについて大原康男氏は「『ヲサ』『ヲサム』を『すべて散在してるものを一つにまとめること、或ははなれてゐるものを一つにすること』とする…『乱れた糸の筋を揃え、秩序正しく物みなその所を得る』という意義を有する漢語の『治』と『正しい位置を与える』意のregieren床の『をさむ』は、語義において相通ずるものをもっているといえよう。『ヲサム』は『一定の階層秩序と強制の体系』を内容とする普遍的“統治”概念語であるということができる」(現御神考試論)と論じておられる。

 

すなわち、天皇が日本国を治められるのは、日本国の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものにその所を得さしめることなのである。明治天皇の『天下億兆一人も其處を得ざる時、皆朕が罪なれば、…』(明治元年三月十四日に示された『明治維新の御宸翰』)という御精神こそ天皇統治の本質であると拝する。

 

さらに明治陛下はその御宸翰で、『朕身骨を労し心志を苦め艱難の先に立、古(いにしえ)列祖の盡させ給ひし蹤(あと)を履み治蹟を勤めてこそ始て天職を奉じて億兆の君たる所に背かざるべし』と仰せになっている。

 

日本天皇は、『朕は国家なり』と言うような国家国民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本国に君臨されているである。故に天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままということである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したという。

 

天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝はは民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。この違いは支那と日本の国家の成り立ちとその後の歴史の違いによると思われる。 

 

天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が国家の中心にいまし、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。

 

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

 

ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。大日本帝国憲法は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかったのである。大日本帝国憲法は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

 

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2016年11月11日 (金)

国学について

 

 日本民族の倫理精神と日本の国の歴史と文学を研究し、結合した学問を築こうとする学問が、国学である。そしてその学問は徳川時代中期に発生し幕末という国難の時期に大成した。外圧という有志以来未曾有の危機をどう打開するかという情熱・慷慨の志の上に立っている学問であって単なる知識を求める学問ではない。実行と変革を目指す学問である。もっとも日本らしい学問といっていい。

 

 日本民族の生活を対象とし、日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求する学問が国学である。つまり日本の文学・歴史・国語の中から理想を見出し、さらに理想を今日において実現しようとするのである。

 

 しかもその理想は日本一国に限定されるものではなく、世界に通用する理想として学問的に樹立しようとしたのである。国学が外国からの侵略をどう防ぐかという国家的状況の中で生まれた学問だからそれは当然のことであろう。つまり、日本の伝統的な精神によって世界に寄与しようという広大な精神によって打ち立てられた学問が国学なのである。そういう意味で、国学は日本の独自性を探求する学問であると共に、その普遍性をも目指したといっていい。

 

 理想を求めるということは、現状の変革を目指すということである。ゆえに、国学は変革の学問である。実際国学は水戸学と共に明治維新の変革の原理となった。

 

 国学が日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求しようとしたということは、言い換えれば、日本の『道』を求めたということである。神話の世界から発する日本民族の『道』というものを探求した学問が国学なのである。その『道』とは、古代日本人の生活における「しきたり」といってもよいかもしれない。国学はそうしたことを対象とする学問である。

 

 神話の世界から発する日本民族の『道』は、今日、「神道」という言葉で表現されている。神道とは、日本本来の信仰精神・生活規範であり、国学はそのことを学ぶのである。日本民族のみならず世界各民族の文学も芸術も道徳もそして生活全般も、その民族の信仰生活がその起源となっている。

 

 近世国学者は、抽象的・概念的な考え方に陥った儒教や仏教の教条万能・議論偏重の思想傾向を排撃した。そして素直なる心を持って我らの祖先の行いを見、自分もそれに身を以て実行しようという志を持つ生活観を持つべきだと主張した。 

 

 それでは、国学における「道」、「神道」の「道」とはいかなる道であろうか。それは「教条」や「掟」ではない。「神のみ心のままに行う」ということである。日本の神の「行い」をそのまま踏み行うことである。

 

 小林秀雄氏は次のように論じておられる。「『道といふこと』とは、論(あげつら)はうにも論ひやうもない、『神代の古事(ふるごと)』であった。『古事記』といふ『まそみの鏡』の面にうつし出された、『よく見よ』と言ふより他はない『上つ代の形』であった。…『上つ代の形』とは、たゞ『天つ神の御心』のまゝであらうとする、『上つ代』の心の『ありやう』、『すがた』た他ならず…。」(『本居宣長』)

 

 つまり、神のみ心のままであろうとする「かたち」の継承が「道」といっていいのかもしれない。

 

 日本語には古来、西洋でいう「知識」とか「認識」という名詞は存在しなかったという。日本人は、単に知識を求めたのではなく、「道」を求めたのである。それが日本の学問だったのである。「道を学び問う」事を大切にしたのである。

 

 「道」とは人が歩む道である。人が歩むという具体的な行いが、学問という精神的な事柄を言い表す場合にも用いられたという事は、日本人はそれだけ「実践・行い」ということを重んじたということである。具体的に道を歩むという行いの姿を以て精神的な道を探求することを表現したのである。知行合一の『陽明学』が日本人に好まれたのはこういうことが原因になっているのかもしれない。

 

 日本民族は、思想や精神を理屈として言挙げしなかった。『日本思想とはこういう思想である』と説明しがたいから、理解に苦しむという人が多い。しかし、日本の思想とは「道」であるから、日本の文芸や武道や茶道などあらゆる行為に自然に現れているのである。言葉で説明できる思想精神はそれだけ狭く限定されたものである。

 

 したがって、日本の道すなわち倫理精神・信仰精神は、教条的な形で理論として伝えられているのではなく、言葉の芸術である文芸(和歌や物語)によって伝えられている。『萬葉集』はその典型である。

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2016年10月23日 (日)

日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現である

 麗しき國日本は、村落共同體から出発して、次第にその範囲を広め、日本という國家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする傳統信仰によって結合している共同體である。その信仰共同體の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という國とはいかなる國であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同體である」と答えるのが正しいのである。

 

 我々日本人が理想とする國家とは、麗しい天皇中心の信仰共同體とこれを統治する政治機構が包含され一體となったものである。    

 

 國家が、暴力装置・支配と被支配との関係の機関的存在であるとして扱われ、國家に對する愛が薄れ共同體意識が無くなりつつある現代において、このことを正しく認識することは非常に重要であり最大の課題であると言える。

 

 今日、グローバリズムという言葉があるように國家とか民族を軽視あるいは否定する傾向が現れている。しかし、世界・地球・人類に共通して存在する思想・精神は、それぞれの國家・民族固有の思想・精神として発現する。言語一つとって見てもしかりである。世界共通語などというものは本来存在しない。各民族・各國にそれぞれ特有な言語すなわち國語がある。英語が世界で通用している便利な言葉だからといって、英語だけに世界の言語が統一されることはあり得ない。

 

 一定の共同體を形成する人々に共有される言語、生活様式、倫理観を総称して「文化」というのであり、固有の文化を共有する人々のことを「民族」と言うのである。

 

 言葉は文化そのものである。國家・民族は共通の言語(國語)を使う者によって成立する。各國各民族の國語を基礎とし言葉と一體である文化は、各民族・各國家特有のものとして創造され継承されてきている。各民族・各國家の固有の文化を否定することは、世界の文化・地球の文化全體を否定することになる。

 

 和辻哲郎氏は、「人倫の實現は、個人がいきなり抽象的な人類の立場に立つことによって、なされ得るものではない。それは個人がいきなり人類語を話そうとするようなものである。人倫は常に一定の形態を持つ共同體において、すなわち家族とか民族とかの形態において、實現される。」(近代歴史哲學の先駆者)「絶對精神がただそれぞれの特殊な民族精神としてのみ働くということ、すなわち特殊的形態において己を現わすのではない普遍的精神というごときものは抽象的思想に過ぎぬ。…真の絶對者はあらゆる特殊相對をも己とするものでなくてはならない。…生ける主體的全體性が特殊的民族的となることなしに活動したことは、かつて一度もなかったし、またあり得ぬであろう。」(続日本精神史研究)と論じている。     

                        

 人間は、民族とか國家とかを離れて存在するものではない。必ず何処かの民族に属し何処かの國の國民である。抽象的な世界人類というものは存在し得ない。血統・風土・地域性・言語・歴史・傳統・文化というものを離れた人間などというものは存在し得ないからである。

 

 日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現なのである。天皇國家日本の真姿顕現こそが世界的理想國家・真の自由なる國家の建設である。日本國に日本民族として生を享けた誇りと喜びを回復しなければならない。       

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2016年10月17日 (月)

天皇を祭祀主・君主と仰ぐ信仰共同體國家日本

 

 日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

 したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

 日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大御神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊ばれた。そして、古代日本人は太陽神・天照御神を最も尊貴なる神として崇めた。天照大御神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。

 

 天照大御神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる日本天皇は、天照御神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。祭り主たる天皇は、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者・君主として仰がれた。

 

 古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

 大和朝廷による祭祀的統一によって、日本民族が狭い部族的あるいは地縁的な共同體の分立から、今日の日本國の原形である全體性を確立した。その中心にあったのが<天皇の祭祀>である。これが「祭」と「政」の一致なのである。かかる意味において、日本國は天皇を中心とした信仰共同體なのである。

 

天皇国日本は、そこに住む人々の共同の意識・倫理観・信仰精神と共にある。祭祀主たる天皇は権力者でもないし権力機関でもない。その共同体に生活する国民は、天皇の大御宝と尊ばれ、神の子として育まれ、美しいものへの憧憬憬の心を育てられて生きてきた。

 

その信仰共同体としての国は、母なる大地であり、まさに祖国であり母国である。日本国は、親と子との関係と同じ精神的結合によって形成されてゐるのである。

 

祭祀主たる天皇は、地上における天照大御神の御代理即ち現御神であらせられるのであって、國民が作った成文法によって制限され、規制される存在ではない。

 

伊藤博文は、明治十五年の岩倉具視宛の書簡で、「…我皇室の如きは、二千五百有余年、邦国の体裁を固定せざる以前に於て、既に君主の地位を占む。豈に国憲を定め国会を起すの時に至り、始めて君主たる事を認めらるゝを俣たんや。」(『伊藤博文傳』中巻)と書いてゐる。

 

成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇國日本の道統を破壊したり否定した制約したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇國日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。戦勝國によって押し付けられた『占領憲法』の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない。天皇の「詔」「大御心」が最高最尊の「法」である。「成文憲法」は「権力の制限規範である」と言はれる。であるならば、「國政に関する権能を有しない」とされる天皇が、『現行占領憲法』の制約を受けることはあり得ない。

 

 ともかく日の神を祭る祭祀共同体が我が国の起源であり本質である。権力・武力によって統一されたり建国された國ではないのであるから、欧米の諸国家とはその成り立ちが全く異なるのである。ゆゑに、欧米国家観によって我が國體を規定してはならない。

 

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2016年10月15日 (土)

天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある

日本国家の神話的起源思想の特色は、国家成立の三要素たる君主、国土、人民が、神霊的・血統的に一体であるところにある。即ち「皇祖神たる天照大神」と「国土」と「国民の祖たる八百万神」が、伊耶那岐命・伊耶那美命から生れでた「はらから」といふ精神にある。

 

『古事記』の「国生み神話」には次のやうに語られてゐる。伊耶那岐命は伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(註・かれ。だからの意)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふた。

伊耶那岐命が「国土(くに)を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、国土創造の話に転換されている。これは日本神話の特色で…」(『天つ神の世界』)と論じられてゐる。

 

岐美二神は、単に大地の創造されたのではなく、国土の生成されたのである。太古の日本人は劫初から、国家意識が確立してゐたのである。世界の他の国よりも我が国は国家観念が強かったといへる。この場合の「国家」とは権力機構としての国家ではないことは言ふまでもない。

 

岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、国生みを行はれた。二神の「むすび」「愛」によって国土が生成されたのである。国土ばかりではなく、日本国民の祖たる八百萬の神々もそして自然物も全て岐美二神の「むすび」よって生まれたのである。日本神話においては、天地が神によって創造されたのではなく、岐美二神の「愛・むすび」によって国土が生まれたのである。日本といふ国家は、人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培はれた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが「祭祀国家」「信仰共同体」としての日本なのである。

 

「むすび」の語源は、「生()す」である。「草が生す」「苔が生す」といはれる通りである。つまり命が生まれることである。故に親から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)と言ひ、女の子を「むすめ」(生す女)と言ふのである。

 

「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合することである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿ってゐると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」といふ言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合はせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」と言ふ。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。日本国土は、伊邪那岐命と伊邪那美命との「むすび」によって生成されたのである。

 

『古事記』にはさらに、「伊耶那伎大神…筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。…左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照大神」と語られてゐる。

 

皇祖神であらせられる天照大神は、伊耶那伎大神から生まれた神なのである。つまり、国土自然の神々、日本国の君主であらせられる天皇の祖先神たる天照大神も、日本国民の祖たる八百萬の神々と同じく伊耶那伎大神から生まれたのである。

 

日本神話では、神と、国・自然・人間は相対立し支配被支配の関係にあるのではなく、同じ神から生まれ、生命的・霊的に「はらから」の関係にあるのである。これが我が国太古からの国土観・人間観・自然観である。

 

ここに日本神話の深い意義がある。神と人とが契約を結び、神は天地と人間を創造し支配するといふユダヤ神話と全く異なる。

 

この神話物語は、日本国においては、君主と国民と国とは対立関係にあるのではなく、同じ神から生まれた「はらから」の関係にあることを示してゐる。

 

村岡典嗣氏は、「(国家の神的起源思想の特色として・註)国家成立の三要素たる国土、主權者及び人民に對する血族的起源の思想が存する。即ち皇祖神たる天照大神や青人草の祖たる八百万神はもとより、大八洲の国土そのものまでも、同じ諾册二神から生れでたはらからであるとの考へである。吾人は太古の国家主義が実に天皇至上主義と道義的關係に於いて存し、天皇即国家といふのが太古人の天皇觀であったことを知る。皇祖神が国土、人民とともに二神から生れ、而も嫡子であると考へられたのはやがて之を意味するので、換言すれば天皇中心の国家主義といふに外ならない。」「日本の國家を形成せる國土(即ち大八洲)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの神的また血的起源であるといふことである。」(『日本思想氏研究』四)と論じてゐる。

 

国家成立の三要素たる国土・君主・国民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある。天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。霊的魂的に一体の関係にある。これを「君民一体の国柄」といふ。

 

神話とは、現実の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。また、神話とは、現実の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。日本国の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。日本国の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。わが国は、信仰的・祭祀的統一によって形成された国家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。

 

祭祀国家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本国の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。わが國體が万邦無比と言われる所以もここにある。

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