2016年12月24日 (土)

最近思ったこと

 言語の乱れが國家の混迷を招来する。現下のわが國の今日の日本の様相は文字通りそれである。何でも英語で言えば良いと思っている人が多い。最近は、「ボーダーレス」とか「グローバリゼーション」という言葉が乱れ飛んでいる。「ボーダーレス」とは境界線喪失ということであり、「グローバリゼーション」とは世界化・國際化ということだそうである。日本語の方がよっぽど分かりやすいのに、何故にわざわざ英語で言うのか。

 

 今日の日本は、日本と外國・保守と革新・男と女・堅気とやくざなどの境界線が喪失しつつある時代だという。そして境界線喪失現象が社會の進歩だと思っている人もかなりいる。

 

 男女の境界線がなくなったというのは街を歩けば分かる。男のくせに耳飾りを化粧をしてナヨナヨ歩く若者が増えている。また、これはだいぶ以前からだが女がプロレスなどの格闘技をする時代である。さらに、レズやホモが増えているどころか男同士・女同士の「結婚」すら珍しくなくなっている。

 

 大分以前のことだが、当時の野党・新進党が國會内で座り込みをしたことがある。その時、中曽根康弘元総理が「女性議員を先頭にして座り込みをさせるのは良くない」と批判したら、小池百合子さんが「女性に対する差別だ」とか言って中曾根氏のところに抗議に行ったことがある。昔から日本には、戦さや喧嘩などで「女子供には手を出さない」という不文律がある。小池百合子さんはそれをも差別と言うのだろう。であるならば國賊に対するテロの対象から女性を除外することはできなくなる。

 

 日本人と外國人の境界線もなくなっている。と言うよりも、日本人のくせに祖國の歴史を悪し様に罵る日本人が多くなっている。支那・韓國・フィリッピンなどにわざわざ出かけて行って根掘り葉掘り戦争中の日本軍の「悪行」とやらを野良犬の如く嗅ぎ回る「學者文化人」「マスコミ人」がいる。自分の生まれ育った國を悪く言うことに快感を覚える人間は、血は日本人の血が流れ肉体も日本人なのであろうが、その魂は反日國家に売り渡していると言っても過言ではない。

 

 政治の世界も「保守と革新」というか「右と左」の境界が分からなくなっている。と言うよりも、保守政治家といわれる人の中に、社民党・共産党と同じような考え方を持つ人つまり反日思想・自虐思想を持つ人が増えてきている。そりどころか、亀井静香のように、昭和天皇に対し奉り、誹謗中傷する政治家もいる。

 

 これは外國語ではないが、「人権」「差別」という言葉も多く使われている。「人権侵害だ。差別だ」と言われると、もう返す言葉がなくなってしまうのが今の風潮である。「差別」を辞書で引くと、「①差をつけて扱うこと。わけへだて。「~待遇」②区別すること。けじめ。」とある。たしかに、不当な差別はあってはならないし解消されなけばならない。しかし、全く平等な世の中というのはあり得ない。

 

 それどころか、「区別すること。けじめ」という意味の「差別」や、男女・國家民族・地域の「境界線」があってこそ、文化が生まれ、平和が維持され、道義が守られるのだ。みんなが平等であるべきだということになると、天才も秀才も否定され文化・文明は生まれないし発達もしなくなる。芸術の創造と継承そして伝統護持もできなくなる。「あの人の作品はこの人の作品よりも良い」という「差別」があってこそ文芸・美術・音楽などの芸術や文化が存在するのである。「差別」から文化が生まれるのである。また、國家・民族の境界があるから各國家・民族の伝統文化が守られ継承されるのである。

 

 親と子のけじめ・差別がなくなりつつあるから家庭崩壊が起こり、教師と生徒のけじめ・差別がなくなりつつあるから學級崩壊・教育荒廃が起こっているのである。

 

 さらに言えば、「人間は全て平等だ」とか言って、皇室の御存在を否定する輩がいるが、皇室への國民の尊崇心の希薄化は國家崩壊の予兆である。天皇及び皇室という高貴なる御存在こそ、わが國の存立の基礎である。

 

 「境界線の喪失」は決して時代の進歩ではなく、國家の崩壊・文化の退化・道義の頽廃の同義語である。

 

 「皇紀」とは、日本の紀元を、日本書紀に記されている神武天皇が大和橿原の地に都を開かれ即位された年(西暦紀元前660年)を元年として起算したものである。天皇國日本はキリスト教國家ではないのだから、西暦よりも皇紀を重んじるべきである。

 

 わが國民は有史以来どんな國難に遭遇しても絶望せず、これを打開して来た。そしてその基は、明治維新が尊皇攘夷の精神で断行された如く、日本國民の尊皇精神であり國を愛する心である。今日もまたそうであらねばならない。

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2016年10月 2日 (日)

「一君萬民」の國體明徴化による國難の打開

ペリー来航より約五十年も前の文化元年(一八〇四)、長崎に来航したロシアのロザノフに対する幕府の対応に不満を抱いたロシアは、文化三年から翌年にかけて、わが國領の樺太を攻撃した。幕府は文化四年にこの事件の概要を朝廷に報告した。

 

今谷明氏はこの事を、「幕府自らの軍事力に自身を喪失した時、天皇の権威に依存するという体質があらわれた。…秀吉のいう『日本は神國』、家康のいう『日本は神國仏國』のごとく、外圧を意識したときの民族のアイデンティティーが神國思想としてもちだされる構造は、秀吉時代以来、一貫したものであった」(『武家と天皇』)と論じてゐる。

 

さらに、阿片戦争で清國が敗れ、わが國にも外國船が頻繁に現はれるようになり、対外的危機が深刻化した弘化三年(一八四六)八月、この年の二月に御年十六歳で即位された孝明天皇は、海防の強化を命じた勅書を幕府に下されると共に、最近の対外情勢の報告を幕府に求められた。

 

藤田覚氏は、「朝廷は、幕府に対して対外情勢の報告を要求できる、幕府は朝廷に報告する義務があるという慣行は、文化四年を先例とし、弘化四年に確認され、この後頻繁に幕府は朝廷に報告するようになった」(『幕末の天皇』)と論じてゐる。

 

徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に委任されてゐる。朝廷は政治に口出しさせない」といふ原則を幕府自身が踏み躙らざるを得なくなったのである。これが幕府の権威の大きな失墜であり、幕府瓦解の始まりであった。

 

孝明天皇は、弘化四年(一八四七)四月二十五日に石清水臨時祭を挙行され、異國船撃退を祈願された。

 

嘉永六年(一八五三)にペリーが来航した。孝明天皇は、御年二十三歳であらせられた。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行った。わが國に開港を迫ったアメリカは、決してわが國に親愛の情を持ってゐたわけではなく、わが國を勢力下に置かうと企図してゐたのである。それはペリーが幕府に提出した『國書』を見れば明らかである。

 

鎖國といふ徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは、幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで幕府は、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを朝廷・各大名そして陪臣(註・大名の臣)にまで広く諮問した。

 

この事実もまた、國家の大事を徳川幕府のみで打開できないといふ幕府の弱體化・権威の失墜を天下に示し、日本國は天皇中心國家であるといふ古代以来の國體を明らかする端緒となった。これが明治維新の原理たる「尊皇倒幕」「尊皇攘夷」の精神の生まれた根本原因である。

 

ペリー来航直後の小浜藩(今日の福井県西部地方)の布告には、「上御一人様より、下末々迄心を合せ此御國(注・日本國の事)を守り、昔より之れ無き恥を取り申さざる様に骨折候事第一の心得に候。去(さる)に依り、他國(註・他の藩の事)の御領地のと申差別なく、日本國中一家内同様の心得にて、萬々異國船参り無作法を致し候時は、上下男女の差別なく命を捨て此御國を守り候心得第一の勢にて候」とあった。

 

群雄割拠の幕藩体制を超克して、天皇中心の統一國家の真姿に回帰することによって外國の侵略から祖國を守るべしを論じてゐる。つまり、幕末の祖國の危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一体感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰いだのである。國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇がゐまさねばならなかったのである。明治維新後の近代日本における「一君萬民」の國體明徴化そして皇軍創設は、かかる精神に基づくのである。

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2013年7月26日 (金)

いわゆるレイシズムについて

いわゆるレイシズムについて、本日参加した討論会に於いて次のようなことを論じました。以前にもこのブログに同じ趣旨の拙論を掲載しましたがあらためて掲載します。

 

レイシズムといふ言葉が最近わが國において頻繁に聞かれるようになった。日本語で言へば人種差別・人種主義のことだといふ。歴史上もっとも典型的な人種差別は、白人による有色人種に対する差別・迫害である。オーストラリアや北米・南米における先住民殺戮・迫害、黒人奴隷の売買・使役、ユダヤ人迫害虐殺などのことをレイシズムと言ふのである。レイシズムは規模が大きく計画的であり長期間に及ぶ。レイシズムは人類発生以来歴史的に存在して来たと言へる。

 

アジアにおいても支那民族による他民族の差別・迫害が最も顕著であり大規模であり長期間に及んでいる。有史以来と言っても良い。共産支那によるチベット侵略・支配によって百二十萬人のチベット人が命を失った。これはチベットの人口の五分の一に相当するといふ。さらに、共産支那による東トルキスタン侵略・支配によって、「計画生育」といふ名目で八百五十萬人もの人々が強制中絶させられ、五十回もの核実験によって七十五萬人の人々が放射能中毒で死亡し、「政治犯」として五十萬人もの人々が処刑されたといふ。支那民族は全体として過酷残忍な性情を持ってゐることは、史家が指摘してゐる通りであるし、事実である。

 

「小中華」と言はれる韓国・朝鮮も他民族に対する差別は根強い。ベトナム戦争の時、南ベトナムに派兵された韓國軍は、三十萬人を超すベトナム人を虐殺したとも言はれ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン(註・大韓のこと)」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて韓國軍の残虐行為を忘れまいと誓ひ合っているといふ。

 

レイシズムとはこのような共産支那のチベット・東トルキスタンにおける大量虐殺、韓國軍のベトナムにおける大量虐殺のことを言ふのである。

 

わが國は今日、共産支那によって尖閣・沖縄侵略の危機にさらされてゐる。韓國によって竹島を奪はれてゐる。北朝鮮によってわが国民が拉致されてゐる。これに対して抗議運動が首都東京において行はれるのは当然である。今日わが國しかも東京の新大久保といふ町で限られた人数で行はれてゐる反支那・反韓國朝鮮デモで一部過激な言動があったからとて、それをレイシズムと決めつけることはどうか。在日韓國・朝鮮・支那人及び日本を訪問してゐる韓國・朝鮮・支那人を大量虐殺したわけでもないし、暴力的迫害してゐるわけでもない。今日、わが國内で、行はれてゐる反支那・反南北朝鮮デモなどをレイシズムと規定することが誤りだと思ふ。我々日本人が、レイシズムに対して批判の声をあげるのなら、支那・韓國に対してあげるべきである。

 

日本民族は、國家的危機に瀕した時に、日本を侵略せんとする他の民族・他の國家と果敢に戦った。しかし、わが国においては特定の民族・人種に対する計画的に長期間にわたる大規模な迫害・殺戮は全く行はれなかった。つまりわが國はレイシズムとは無縁である。

 

日本の主権を侵害し、日本の領土を奪ひ、日本國内で反日活動を行ってゐる支那人、朝鮮人に対する反撃といふか、抗議活動である。行き過ぎた言動はやめるべきであるが、これをレイシズムと規定するのなら、支那韓國で行はれてゐる反日デモもそして政府要人、マスコミ人などによる反日発言はもっと過激なレイシズムといふ事になる。支那・韓國の暴虐には目をつぶり祖国日本における外国への糾弾活動のみを批判することは許されない。

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2012年12月 7日 (金)

木造建築・煙草・コーヒーの効能について

『日経』のコラム欄に、佐伯一麦という作家の方が。大要次のようなことを書いている。

「鉄筋コンクリートの床があらわになった空間は、人の声を硬く撥ね返し刺々しくする。木造家屋で話をすると自分の声が天井などに柔らかく吸収され、自然な口調になる。学校でのいじめ問題も、校舎が鉄筋コンクリートになったため、声が硬く反響する空間で、苛立ちや拒絶が倍加するのではないか」。

小生の小学校時代は、戦後建てられた木造モルタル造りの校舎で、冬は石炭やコークスを使ったストーブで暖をとった。窓などから隙間風が入って来た。子供たちの殆どは手の平や耳たぶにしもやけが出来ていた。給食も不味かった。一クラス五十人以上のすし詰め学級だった。

勿論、いじめっ子は致し、いじめもあった。しかし今のような陰惨ないじめはなかった。自殺に追い込むというような歯止めのきかないいじめはなかった。

校舎が立派になり鉄筋コンクリート、冷暖房付きなり、給食がうまくなり、「教育施設」が充実しても、決して子供たちが伸び伸びと明るく健全に育っているというわけではないようである。これは、学校に限ったことではない。人類全体が、科学技術が進歩発展し、生活が快適になっても、人と人との争い、国家民族同士の戦争は、ますます激化しとどまるところを知らない。むしろ科学技術が進歩発展しているだけに、戦争の惨禍がよりひどくなっている。

日本の建物を全部木造に戻すということは不可能だが、内部だけでも出来るだけ木と紙を使った建物にしてほしい。子供だけでなく、大人も、コンクリートに囲まれた空間で、煙草も吸えないでイライラしていると、やはり争い事を起こすことが多くなるのではなかろうか。

先日、神田学士会館の喫煙コーナーに煙草を吸いに入ると、お年を召した男性の方が煙草を吸っておられた。その方曰く「煙草を吸う民族や地域はあまり争い事や戦争は起らない。アメリカは禁煙大国だが戦闘的だ。コーヒーは心を落ち着かせる効能持つ。煙草とコーヒーはむやみに抑制すべきではない」という意味のことを言っていた。ご職業を聞くと、ある有名なコーヒーメーカーの元社長・現顧問とのことであった。

のみ過ぎは良くないに決まっているが、煙草は決して百害あって一利なしとは言えない。精神を落ち着かせる効能がある。ただし、煙草を吸う人は戦闘的ではないというのには少し疑問がある。かの共産支那の初代皇帝・毛沢東も、北朝鮮の初代皇帝・金日成も愛煙家であったが、残虐さ・戦闘的という面では比類がない人物であった。

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2012年1月 6日 (金)

「現御神信仰」について

歴代の天皇は、御肉體は変られても、『記紀・萬葉集』に示されている「やすみししわが大君 高光る日の御子」(四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子、というほどの意)といふ神聖なる本質・神格は全く同じである。歴代の天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれる。これを「現御神信仰」と申し上げる。

 即位の大典と大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。

 天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は「高天原からの天津神から継承されている神聖な」という意で、「日嗣」は「天照大神から伝えられた『日霊』を継承する」という意である。 

天皇は、日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在であらせられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されるのである。

 天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承されると共に、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まりまします。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではない。   

 

 昭和天皇は、昭和三十五年に、

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

と歌われている。

同三十四年には

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

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2011年7月19日 (火)

「コンクリートから人へ」の欺瞞性

今日、資料の整理をしていたら、大震災当日の『日経新聞』朝刊の文化欄で、田中輝彦氏(川嶋建設顧問)が、「家を一歩出ると道路があり、橋や鉄道も当たり前のようにある。家の中に目を向けると、水は遠く離れた貯水池やダム、電気は発電所から届けられる。堤防は災害から人々の生活を守る。これらの施設はすべて土木技術によって作られている。…土木工事などの公共事業には、最先端の素材や技術が投入される。土木は人間の知恵と科学技術の成果であり、日本の土木技術は世界トップクラスだ。土木は国づくりをになう」と論じているのを発見した。

大震災発生当日の朝刊にこういう論文が掲載されたのは実に不思議であるし、示唆的である。

民主党は「国民生活が第一」と「コンクリートから人へ」という二つを選挙の時に鳴り物入りで訴えた。国家予算の配分で、ダム・道路・堤防などの公共事業・土木事業から、教育や福祉に回そうという政策である。これは国民の多くに支持を受けた。そして、土木工事や公共事業がまるで悪事のように喧伝された。

しかし、今度の東日本大震災で、いかに防災・治山治水そして土木事業が大切であるかが身に沁みてわかった。確かに川岸や海岸線に堤防が作られる事によって景観は壊され、それまでの美しい自然は破壊されることも多かった。

自然が人間にやさしく接してくれる時は、ダムの堤防も要らないかもしれない。しかし、今回の大震災によって、自然が怒り狂い、自然が人間に襲いかかって来た時、いかに堤防やダムや道路が大切であるかが分かったのである。

耳触りのいい言葉、政策は、やはり疑ってかかる必要があったのである。むしろそういう政策やマニフェストと称するものが、「国民生活第一」どころか、「国民生活」を根底から破壊するのである。「戦争になるから国防予算を減らせ」というのと同じ発想である。

「自然と共生」とか「コンクリートから人へ」という耳触りにいい言葉の「本当の意味」を今一度考えなおすべきである。それは、自然と人間の関係を問い直すことでもある。

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2009年12月29日 (火)

亀井静香氏の暴論について

亀井静香国民新党代表の「権力の象徴だった江戸城に今もお住まいになるのは、お立場上ふさわしくないのではないか。京都か、(亀井氏の地元の)広島にお住まいになればいい」「明治期に幕府の権力の象徴の跡に入られたことが、その後の歴史で、政治利用みたいな形になってしまった」という発言は、まったく誤っているし、天皇に対し奉り非礼きわまる発言である。

(亀井氏の地元の)広島にお住いになればいい」とは何事であろうか。これこそまさに悪質なる常軌を逸した「政治利用」である。このような発言を行った亀井氏は、世が世があれば、切腹ものであり、天誅の対象になる発言である。亀井氏は軽い気持ちで言ったのであろうか、陛下に対し奉り、軽い気持ちでものを申し上げることがそもそも間違っている。

亀井氏は、「天皇が政治に全く関わられず、江戸幕府時代のように、事実上京都御所に軟禁し奉るべきだ」と考えていると理解しても誤りではない。

しかし、江戸以前と近代以後の國體を分けて考えること間違いである。有史以来、天皇の御本質は、現御神であらせられ、祭祀主であらせられ、國家國民を信仰的文化的政治的に統合する君主であらせられる。その本質の上にそれに則って帝國憲法の「天皇条項」が規定されたのである。そして、天皇は、東京にお遷りになり、日本国の統治者としてのお役目を果たされてきたのである。

御歴代の天皇が政治権力の實際の行使者であられた時期は少なく、政治権力の権威の源泉として君臨されてきた時期が長い。しかしそれは、天皇が政治に全く関わりを持たれなかったという事ではない。中古・中世においては摂政関白を任命されたのは天皇であり、近世において征夷大将軍を任命されたのは天皇であり、近代において内閣総理大臣を任命されたのは天皇である。天皇は日本國の統治者として政治的権威を保持されてきた。それがわが國の傳統である。

徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。徳川幕府成立自體が天皇・朝廷の神聖権威に依存したのである。

伊勢の皇大神宮は、日本の君主であられる天皇の祖先神をおまつりしているがゆえに、江戸時代においても全國民に尊崇された。江戸時代においても、天皇は日本國の統治者・君主として國家と國民を統合せられていた。

 

これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國會において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

しかしながら、江戸時代は、京都に天皇がおわしまし、江戸に征夷大将軍がいたことにより、「天に二日なし」「一君万民」「天皇帰一」の國體が隠蔽されてしまった。天皇陛下に京都にお遷り願うということは、江戸時代のように、天皇帰一・一君万民の國體を隠蔽することとなる。

天皇陛下を権力者の政治利用からお護りするためには、天皇陛下に京都にお遷り願うというのではなく、小沢一郎や亀井静香のような、尊皇精神希薄にして、天皇を政治利用しようとする政治家を、日本国から駆逐することが必要なのである。

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