2012年9月17日 (月)

『一水会結成四十年大会』における登壇者の発言

『一水会結成四十年大会』における登壇者の発言。ただし小生がメモを取ることが出来た発言のみです。もっと多数の方々が登壇し、祝辞を述べました。

          〇

木村三浩代表「日本恢復のための新たな連帯と前進を期して運動していきたい」。

西部邁氏「近代主義の権化がアメリカ。近代主義が座礁しようとしている。日本人がその事に気が付いていないことが危機の真相」。

田原総一朗氏「イラクに木村氏と一緒に行った。木村氏は世界の反体制派にパイプがあって素晴らしい。天皇陛下を二千年護って来ている國は日本以外に他にない。私はその事を今『中央公論』に書いている。やっと木村さんたちの言葉が世論になって来た。木村さんたちの運動の成果」。

猪瀬直樹氏「尖閣の地主との交渉の下働きをしてくれたのは木村さん。官邸は札束で頬をたたいて横取りした。功労者は木村君」。

| | トラックバック (0)

2012年8月 9日 (木)

島村宜伸君の旭日大綬章受章を祝う会

『島村宜伸君の旭日大綬章受章を祝う会』における登壇者の発言は次の通り。

中曽根康弘元総理大臣(テレビメッセージ)「島村宜伸先生は、私の補佐官を務めた無二の親友。今後も国家のために活躍してもらいたい。謙虚で他人の言う事を良く聞く人。島村君の悪口を言う人はいない。四十年間の友情があり、頼みにしている」。

麻生太郎元総理大臣「義理と人情と痩せ我慢が島村宜伸の真骨頂。学習院大学の先輩であり、全く勝つ見込みのなかった総裁選の推薦人になっていただいた」。

安倍晋三元総理「小選挙区制導入の時、守旧派のレッテルを貼られながらも頑張られた。その頃、よく議員会館の事務所伺って色々お話しをうかがった。先生の事務所に行くと元気になった。おいしいキャンディを頂いた」。

島村宜伸氏「江戸川区葛飾区は私が政治家になる前は、下水道の普及率は十%だった。汲み取りだった。今は百%になっている。中曽根先生には師匠として仕えてきた。先生は世界の宝物」。

三宅久之氏、佐久間良子さん、茂木友三郎キッコーマン()名誉会長等多数が祝辞を述べたが、立食形式だったのでメモを取ることが出来なかった。

         ○

島村宜伸氏と初めてお会いしたのは、もう四十年近く前になると思う。小生の学生時代の同氏であり友人であった樺山卓司氏(前都議・故人)が初めて葛飾区から区議選に出る直前、樺山氏の母上が経営する料理学校で島村氏を招いた勉強会が開催された時である。オウム真理教の地下鉄サリン事件の時、島村氏が文部大臣を務めていた。小生は宗教法人法の改正について書状でいろいろ意見を述べさせていただいた。また、島村氏が、創価学会から執拗な攻撃を浴びた時も、激励のお手紙を差し上げた。島村氏自身から鄭重なご返事を頂いた。

私がいろいろ勉強させていただいている久保田信之学習院女子大学元教授と島村氏とが懇意なので、久保氏の勉強会でご一緒した。

そのようなことがあり、私は島村氏に親近感を持っているし、その政治姿勢を評価している。

私が若い頃から活躍していた政治家が次第に引退したり、亡くなったりしているのは大変さみしいことである。浜田幸一氏も亡くなった。「朝生」のパーティなどでお会いしたが、なかなか愛嬌のある人であった。

しかし、島村宜伸氏や、今日もパーティでお会いした奥野誠亮先生はまだまだお元気なのは嬉しいことである。一層のご活躍を祈る。

| | トラックバック (0)

2006年4月 9日 (日)

千駄木庵日乗四月八日

午後五時より、同志たちと靖国神社昇殿参拝。

その後、『九段下沙龍』開催。当面する諸問題について討議。

わが国は、外圧がきっかけとなって変革を成し遂げて来た。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行なわれた。蒙古襲来は建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機があった時に行なわれた。今日もまた外圧の危機に晒されている。今こそ、大変革を成し遂げなければならない。

蒙古襲来により日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮社の神職・中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌)

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫・藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

という歌が生まれた。

禅宗の僧侶・宏覚も蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には、

「末の世の末の末まで我国はよろづの国にすぐれたる国」

という歌を記した。

こうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。

 このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心を継承してきているのである。徳川時代の末に至りペリーの来航から明治維新の断行までの内憂外患大変革の時期は、その愛国心・日本ナショナリズムは火の如く燃え上がり、数々の和歌に表現された。

今日の政治家も変革・改革という言葉を連発しているが、危機を脱出するためには、単に政治体制の変革だけでなく、国民精神の革新・日本伝統精神の復興が行なわれなければならない。そしてその中核が、祖国への愛・至尊への恋闕の思いをうたいあげる和歌の復興なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)