2018年3月 5日 (月)

台湾独立論

 民族とは「言語、地域、経済生活、及び文化の共通性のうちにあらわれる精神の共通性・運命共同意識を基礎として、時間的経過の中で歴史的に構成された人々の堅固な運命共同体である」といわれている。民族と人種とは異なる。台湾人と支那人は、歴史・伝統・文化・言語・基本的生活様式・運命共同体意識が異なっている。台湾人は支那人とは異なった民族である。ゆえに、台湾は民族自決の原則にしたがって支那の支配下から独立するべきなのである。

 

 さらにいえば、台湾は今まで「支那の一部」ではない。明朝において、台湾は明の領土でなかったことは明代の地図に明らかであるし、明朝はオランダの台湾占領と領有に同意している。また清朝においても、台湾は清の植民地であり移住民の島であったに過ぎない。明治六年、わが国の沖縄漁民が台湾に漂着して台湾先住民(いわゆる高砂族)に捕らえられて殺害されたことについて、日本政府は、清国に問責すると、清国政府は「台湾は王化(注・清の皇帝の影響下にあること)の地ではなく、その民は化外(注・清の影響下の外)の民である。……その乱暴あるいは無礼に対して責任を負うことはできない」と陳述した。

 

 日清戦争後、「下関条約」によって日本統治下にはいった。そして終戦まで五十一年間日本が統治した。この間台湾は近代化が行われ発展を遂げた。

 

 本来なら、台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのだ。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「支那領」にしてしまった。

 

しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もないのである。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。

 一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動・「二・二八事件」は、台湾人の「反支那感情」「反国民党感情」の爆発である。台湾人たちは勇敢に戦い、最初は優勢のうちに戦いを進めた。「汚職の一掃・台湾人の自治拡大要求」を根幹とした要求を国民党に突きつけた。ところが、三月八日、大陸から約一万三千人以上の国民党軍応援部隊(戦争直後に来た兵隊たちと違ってアメリカ式の装備を付けた精鋭部隊)が台湾に上陸し、無差別の機関銃掃射を行った。また、事件に参加した者は勿論、多くの台湾人有識者・知識人・指導者などが逮捕・拷問・虐殺された。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数・二万八千人となっているという。実際には、四万とも五万とも言われている。

 

 大陸を追い出されて台湾にやって来た中華民国政府は亡命政権であり、台湾人にとっては外来政権であった。台湾は、戦後五十年間、「中華民国」という名の亡命政権・外来政権の残忍な植民地支配下にあったのである。今日「統一」という名の共産支那の台湾侵略支配が現実のものとなれば、「中華人民共和国」という名の新たなる外来政権による植民地支配の始まりとなるのである。

 

 ともかく二・二八事件とその後の暴虐なる恐怖政治によって、台湾人から「支那は日本の統治から台湾を『解放』してくれたわが祖国」という感情は雲散霧消し、「我々は支那人ではない」「支那人にはなりたくない」という自覚が強くなった。ナショナリズムは外部からの圧力を排して民族の独立を勝ち取ろうとする国民的規模の精神と行動である。二・二八事件とその後の長期にわたる国民党政権による植民地支配という歴史が、台湾人ナショナリズムを勃興させたのである。

 

 二・二八事件以来今年で七十一年を経過した。この間に台湾人は、「台湾は支那とは全く異なった民族であり国家である」という国民的規模の台湾人ナショナリズム・台湾民族精神が強固に確立された。台湾人のナショナリズムは、今日、将来の台湾独立・建国へ向けて燃え盛っているのである。我々日本人は、民族自決の大義の上から、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない。

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