2018年9月20日 (木)

和歌は、日本の時間と空間を無限に充たす文藝である

 

中河与一氏は、「古代人との心の交通といふことが次第に困難になる時、和歌形式こそはその形式が決定してゐるために、自由に古代人と心が通じあふことができるのである。すなはち三十一字を知ってゐさへすれば、われわれは…最も自然に、ほとんど何の困難もなく、古代人の心に想到するのである。和歌形式といふもののもつ最も重要な一つの意味がここにある…。」「(和歌は)は古代人と現代人とをむすぶだけではなく、さらに高貴の人々と低き人々とを連結した。吾等は萬葉集の中に天皇をはじめ皇統に属する方々の歌をよむと同時に、下って遊行笑婦の歌をさへそこに詠むのである。大體ヨーロッパに於ては藝術的趣味といふやうなものは、一部の階級にのみ属したものであるが、それが三十一字形式のためにわが國に於ては全體的に流通し、然もこれが民族全體を一つの発想に結びつけるところの役目をしてゐるのである。即ち三十一字は民族の縦と横とを結ぶものであって、その発想の永遠的な聡明さは世界の比類を見ないと云っていい。」(『中河与一歌論集』)と論じてをられる。

 

『萬葉集』の歌を讀むことによりを、今から千数百年昔の日本人のまごころの表白に今日のわれわれが共感し感動することができる。とくに『萬葉集』は貴族や武士や僧侶の歌だけではなく、上御一人から一般庶民・遊女の歌まで収められてゐる。

 

『萬葉集』の相聞歌を讀めば、古代日本人の戀心を知ることができ、防人の歌を讀めば戦争に赴く時の古代日本の若者たちの心を知ることができる。東歌を讀めば当時の東國庶民の天真の心を知ることができる。もちろん、天皇御製を拝承すれば、萬葉時代の天皇様の大御心を知ることができる。古代と現代の心の交通が和歌によって為される。このやうに和歌は、時間的に縦に貫く役割を果たす。時間を超越して神代と古代とを直結する文藝が和歌である。

 

一方、地位や貧富の差・老若男女の違ひ・地域や身分を超えた人と人との心の交通が和歌によって為される。和歌は、空間的に横に貫く役割を果たす。和歌は、地位や身分の上下や違ひも超越して日本人を結んでしまふのである。上御一人から下萬民を直結するものである。

 

つまり、時間と空間の中心点に和歌といふものが立ってゐるのである。時空を超越して、時間的には今と神代と直結する文藝、そして空間的には身分や貧富の差を超越して日本人を結びつける文藝、それが和歌である。永遠の時間と無限の空間を充たす文藝が和歌である。言ひ換へると日本民族を時間といふ縦軸と空間といふ横軸で一つに結び付ける文藝が和歌である。

 

上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。すなはちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。

 

日本人のまごころの表白であり魂の訴へかけである『やまとうた』は、都や中央に住む権力者や勝利者の声ではなく(勿論さういふ人々の歌も含まれるが)、田舎や辺境に生活する庶民といはれる人々や疎外者・敗北者の声が重要な位置を占める。上御一人におかせられても、崇徳上皇・後鳥羽院・後醍醐天皇など辺境にお遷りになられた天皇の御製に感動を呼ぶ素晴らしい御歌が多い。

 

一時期、「小説」や「評論」を「第一藝術」とし、「和歌」や「俳句」を「第二藝術」としてこれを軽んずる傾向があった。また和歌を「奴隷の韻律」などとしてこれを否定する人もゐた。そして和歌や俳句はやがて滅びるとまでいはれた時期があった。しかし、和歌も俳句も未だに滅びてはゐない。

 

「第二藝術論」は、和歌が民衆に愛された定型詩であることを逆に証明してゐる。すなはち和歌や俳句は、一部の専門家のみによって創造される藝術・文藝ではないのである。和歌が、記紀・萬葉集時代から現代にいたるまで滅亡することなく、日本国民全体によって継承され創造されてきたといふこと自體が、日本文藝における和歌の大きさを証明する。

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2018年6月22日 (金)

安部龍太郎氏と

   

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安部龍太郎氏と

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2018年6月 4日 (月)

山上憶良が遣唐使への餞の歌に詠んだわが日本独特の「言靈信仰」

山上憶良は「好去(かうこ)好來(かうらい)の歌」と言ふ遣唐使への餞に詠んだ長歌で、

 

「神代より 言ひ傳來()らく そらみつ 倭(やまと)の國は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言靈(ことだま)の 幸(さき)はふ國と 語り繼ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり」【神代以来、言ひ傳へられてきたことだが、天皇國日本の神の威徳が厳然としてゐる國、言葉の精靈が働いて幸福にして下さる國であると、語り継ぎ、言ひ継いできた。今の世の中の人も悉く、目の前に見てゐるし知ってゐる】

 

と歌った。 

 

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

「言靈の幸はふ國」とは「日本は言葉の靈が栄える國であり、言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈の力が発揮されると信じた。

 

『御託宣』『神示』は神靈が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。『祝詞』にも『歌』にも靈が籠められてゐる。『祝詞』を唱へ『歌』を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言靈のさきはふ國」と言はれるわが國においては、『祝詞』や『歌』は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。

 

やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝とりわけ「やまと歌」の起源である。他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

古代日本人は、言葉の大切さ、偉大さを本然的に強く自覚し信じ、言葉の靈力によって、幸福がもたらされてゐる國が大和の國であると信じてゐた。

 

山上憶良は、唐といふ外國に対する「皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國」たる天皇國日本の國家意識の表白として、遣唐使への餞の歌にわが日本独特の「言靈信仰」を歌ったのである。山上憶良が近代的意味での「社会派歌人であった」とか、「支那文化にとっぷりとつかった歌人であった」といふ決め付けは訂正されねばならない。

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2018年4月 9日 (月)

日本文藝の起源

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって分かるといふ。

 

ことばを大切にし、ことばに不可思議にして靈的な力があると信じたがゆゑに「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが祝詞となったのである。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

 

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。和歌は神聖な文藝であると考へられていた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

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2017年12月24日 (日)

わが國の傳統的な美感覚「もののあはれ」とは

「あはれ」という言葉は、「もののあはれ」という日本人特有の美感覚の基である。「もののあはれ」の「もの」は、外界の事物。「あはれ」は、自分の感情。日本の文學精神の主流になった感性であり、自然・芸術・恋愛など人生の出来事に触発されて生ずるしみじみとした趣き・情感のことと定義される。「もののあはれ」という言葉が最初に登場したのは『土佐日記』の船出の悲しさを語ったところである。

 

藤原俊成(『新古今和歌集』の代表的歌人)は、

 

「恋せずば人は心もなかるべしもののあはれもこれよりぞ知る」(恋をしないのは人の心がないのと同じだ。もののあはれも恋をすることによって知る、という意)

 

と詠んだ。近世の國學者・本居宣長はこの俊成の歌を解説して、「大方歌の道はあはれの一言に帰す。さればこの道の極意を尋ぬるにまたあはれの一言よりほかになし。伊勢物語も源氏物語もあらゆる物語もその本意を尋ぬればあはれの一言にてこれをおほふべし」と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれ」は日本文芸の一番大事な基本精神であると説いた。宣長は、「よきことにまれ、あしきことにまれ、心の動きてああはれと思はるることがもののあはれ」と説いた。そして宣長自身

 

「ことしあればうれしたのしと時々に動くこころぞ人のまごころ」(『玉鉾百首』)

 

と詠んだ。

 

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の序は、「鬼神をもあはれと思はせるものが和歌である」と説いている。「もののあはれを知る心」とは、外界の事物に対する自分の心の態度のことであり、自然な心の動である。それが日本文芸の原点である。

 

しかし「もののあはれ」をやや客観的に見て美しい調べにして表現しなければ芸術としての歌にはならない。自分の情念を客観視して調べに乗せて表現し他者に美しく傳へ他者をも感動させる文藝、それが和歌である。

文藝とは哲理や理論・教条を説くものではない。「もののあはれ」を訴えるものである。人間が物事に感動した思ひといふものを、和歌や物語の形式で美しく表現する、それが文芸である。

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