2018年4月20日 (金)

偏向メディアが国を滅ぼす

何時も思っていることだが、新聞雑誌テレビは、商業であり、営利事業なのである。雑誌新聞の売り上げ増加、テレビ視聴率の向上が目的なのである。だから、ある事ない事センセーショナルに報道する。しかも私が許せないのは、営利目的なのに、正義の味方面していることである。深夜にさんざんセクハラ番組即ち異性に対する性的嫌がらせを煽るような番組を垂れ流している民放にセクハラ糾弾をする資格はない。

 

さらに、問題なのは、日本国家を転覆させようとする意図のもとに偏向した報道を行っているメディアの存在である。偏向マスコミ特に朝日新聞・テレビ朝日は、自民党安倍政権を何としても打倒するべく、キャンペーンを張っている。民進党左派・社民党・共産党は、革命政党・反日政党である。北朝鮮・共産支那・旧ロシアと同根の勢力だ。歴史と伝統の國日本を破壊することが彼等の最終目的である。こうした勢力が連立政権を樹立することは亡国への道である。

 

こうした状況にあって、わが日本は益々劣化していく。歴史と伝統の國・日本が滅びた方かいいと思っている連中が、今や最大の権力となっているメディアを牛耳っているのである。

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偏向メディアが国を滅ぼす

 

日本人の悪い癖は、ある特定の一人の人物を、みんなで寄ってたかって悪の権化として裁き、あることないこと暴き立てて糾弾し、責め苛むことです。戦争直後は「東条が悪い」。講和発効後は「吉田を倒せ」。第一次安保では「岸を倒せ」。佐藤長期政権では「ストップ・ザ・サトウ」、ロッキード金権問題では「田中内閣打倒」。その後しばらくありませんでしたが、今は「安倍一強政治打倒」。一人の特定の人物さえ打倒し抹殺すればすべてが良くなると考えているのです。政治家に対しては久しぶりに安倍攻撃が行われていますが、メディアによって一人の人を悪の権化として責苛む現象はますますひどくなっています。

 

最近の、「朝日新聞」「テレビ朝日」の安倍攻撃は異常です。余程安倍氏が憎いのでしよう。民進党などの亡国野党も安倍政権を何とかして打倒したいので、正義の味方ヅラして安倍攻撃をしているのです。

何回か掲載した文章ですが、以下のことを最近も痛切に感じていますので掲載します。

 

             〇

 

 

マスコミは、マイクやカメラを突き付けて「悪」と断定した人物を追い回す。市中引き回しの刑の現代版である。しかもテレビは繰り返しその映像を垂れ流し的に興味本位に放送する。そういうテレビ映像を見て育った子供たちが学校で特定の子供を寄ってたかって苛めるのである。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追ひかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、かういふやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがメディアである。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

 

              〇

私は「何が何でも安倍が正しい、安倍を擁護する」という考えではまったくありませんが、「何が何でも安倍が悪い、安倍を潰せ」という「朝日新聞」「テレビ朝日」の姿勢には激しい嫌悪感を覚えます。また、立憲民主・自由・共産党・民進党などの連立政権が誕生することは絶対に阻止すべきと思います。

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2018年3月24日 (土)

亡国野党・偏向メディアによる安倍昭恵さんに対する攻撃について

立憲民主・共産などの亡国野党そして「朝日新聞」「テレビ朝日]などの反日偏向メディアは、安倍昭恵さんへの非難攻撃を繰り返し、国会への証人喚問を要求している。日頃、女性差別反対、男女平等、女性の人権を守れ、などと主張している者どもが、一人の女性を責め苛んでいるのである。辻元清美は「ツイッターの『良いね』を押したから証人喚問しろ」などと言った。

 

先日も書いたが、国会の証人喚問は、人権蹂躙の人民裁判である。常日頃「人権尊重だ」と言っている連中こそ、徒党を組んで他人の人権を侵害するのである。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはいられない。これが「いじめ」である。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生・高校生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずる亡国野党・偏向メディアは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を作りだし、特定の人物を追いかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであらうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

戦後日本全体を覆ってきた精神が「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのが亡国政党であり、偏向反日メディアである。

 

戦争直後は「東条が悪い」、講和発効後は「吉田が悪い、吉田を倒せ」の大合唱、第一次安保の時は「岸を倒せ」、そして佐藤長期政権の時は「ストップ・ザ・サトウ」、さらにロッキード事件発覚の時は「金権政治家田中が悪い」、というように、戦後メディアそしてそれに煽られた國民は、特定の人物に批判を集中し、その人さえ倒せば日本は良くなるという風潮が作り出されてきた。

 

田中批判の後は、毎年毎年、日替わりメニューのようにそうしたことが繰り返されてきている。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。

 

われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

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2017年8月19日 (土)

偏向メディアの売国の所業

はっきり言って戦争とは敵と味方の殺し合いであり虐殺である。殺し合いや虐殺のない戦争などあり得ない。また、日本は、白色人種が行ったような計画的な一般市民の大量虐殺はしていない。広島・長崎への原爆投下、東京など各都市への無差別爆撃こそ、計画的な大量虐殺である。

 

しかるに、日本のテレ朝・NHKなどの反日メディアや共産党は日本の粗探しばかりやる。そればかりではなく、媚中政治家はわざわざ南京や盧溝橋に行って花輪を捧げたり謝罪をする。全く狂っているとしか言いようがない。まさに利敵行為であり、売国の所業である。

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2017年7月25日 (火)

、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない

日本人の悪い癖は、ある特定の一人の人物を、みんなで寄ってたかって悪の権化として裁き、あることないこと暴き立てて糾弾し、責め苛むことです。戦争直後は「東条が悪い」。講和発効後は「吉田を倒せ」。第一次安保では「岸を倒せ」。佐藤長期政権では「ストップ・ザ・サトウ」、ロッキード金権問題では「田中内閣打倒」。その後しばらくありませんでしたが、今は「安倍一強政治打倒」。一人の特定の人物さえ打倒し抹殺すればすべてが良くなると考えているのです。政治家に対しては久しぶりに安倍攻撃が行われていますが、メディアによって一人の人を悪の権化として責苛む現象はますますひどくなっています。

 

最近の、「朝日新聞」「テレビ朝日」の安倍攻撃は異常です。あることないことと言うよりも、ないことまでも書き立て言いたてているようです。余程安倍氏が憎いのでしよう。読売産経が自民党の手先なら、朝日は共産党の手先です。

 

何回か掲載した文章ですが、以下のことを最近痛切に感じていますので掲載します。

 

             〇

 

 

マスコミは、マイクやカメラを突き付けて「悪」と断定した人物を追い回す。市中引き回しの刑の現代版である。しかもテレビは繰り返しその映像を垂れ流し的に興味本位に放送する。そういうテレビ映像を見て育った子供たちが学校で特定の子供を寄ってたかって苛めるのである。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追ひかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、かういふやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがメディアである。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

 

              〇

私は「何が何でも安倍が正しい、安倍を擁護する」という考えではありませんが、「何が何でも安倍が悪い、安倍を潰せ」という「朝日新聞」「テレビ朝日」の姿勢には激しい嫌悪感を覚えます。また、共産党・民進党などの連立政権が誕生することは絶対に阻止すべきと思います。

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