2017年8月18日 (金)

剣の精神について

 天皇を君主と仰ぐ萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。天皇の統治したまえるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、そうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦い」を否定しているのではない。

 

 天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は、皇霊が憑依(注・のりうつること)すると信じられ、日本天皇の国家統治の精神、日本国の指導精神の象徴である。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代の天皇は、即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

鏡(八咫鏡・やたのかがみ)は「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象する、剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)は「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象する。玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)は「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」を表象する。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であるよりは呪術的機能を持った神であった。弓の弦を鳴らして鎮魂する祭事がある。 

 

剣は殺傷(人斬り包丁)の武器ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事にとりかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。

 

「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされてきた。剣を御神体とする神社もある。剣が礼拝の対象となっているのである。剣は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎して筑紫の県主五十迹手が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。平和は剣によってもたらされ、剣によって守られるのである。「占領憲法」の欺瞞的な「平和主義」を払拭し、神代より継承されてきた我が国の真の「平和精神」「剣の精神」を興起しなければならない。

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2017年8月 6日 (日)

 國家的危機状況において國民の愛国心・やまと心を興起せしめねばならない

村田清風の歌

しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗

 

 

 村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させた。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没。

 

この歌は、本居宣長の

 

しきしまの 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花

 

を本歌取りした歌。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬った。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌である。

 

 大和心・大和魂には二つの意義があると考える。一つは、日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の和魂は日本民族の強靱なる包容力のことであろう。もう一つは、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)である。

 

 この二つのは全く別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持っている魂であり精神である。宣長の歌はこの二つを「朝日に匂ふ山ざくら花」という言葉に結び合わせて歌っていると思う。

 

 日本は今日、中華帝國主義の侵略の危機にさらされ、北朝鮮にミサイルを飛ばされ國民を拉致され、韓國やロシアには領土を取られている。今こそ日本國民全体が愛國心・勇武の大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。

 

 國家的危機状況において國民の愛国心・やまと心を興起せしめねばならない。本居宣長・村田清風・眞木保臣・吉田松陰のような日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を発揮しなければならない。

                  

 眞木保臣

 

 おほ山の 峯の岩根に 埋めにけり 吾が年月の やまとだましひ

 

 吉田松陰

 

 かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂

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2017年7月20日 (木)

笠金村と大伴宿禰三中が歌った「もののふ」「武士」の原義

 

古代日本人の「武の心」は、『萬葉集』に収められてゐる歌に具体的に歌はれてゐる。

 

笠金村は次の歌を詠んでゐる。笠金村は傳未詳。作歌年代の明らかな歌は、霊亀元年(七一五・元正天皇の御代)から天平五年(七三三・聖武天皇の御代)までである。

 

「もののふの 臣(おみ)の壮士(をとこ)は 大君の 任(まけ)のまにまに 聞くといふものぞ」(三六九・武人として朝廷に仕へる男は、大君の仰せの通りに御命令の通りに聞き従ふものであるぞ)

 

 もののふたる者は、何事も大君の命令のままに従ふべきであるといふわが國のもののふの道(これを臣道とも言ふ)を詠んでゐる歌である。

 

 鎌倉・室町時代には上級武士、江戸時代の幕府では旗本、諸藩では中小姓以上の武士を、「侍(さむらひ)」と称した。「さむらひ」の原義は、『萬葉集』に収められてゐる大伴宿禰三中が部下であった丈夫部龍麻呂(はせつかべのたつまろ)が首を縊って自死した時にそれを悼んで詠んだ長歌において歌はれてゐる。

 

大伴宿禰三中は、系統未詳。遣新羅副使・摂津班田使(律令制下民に授けられた田んぼである口分田を民に分かち与へるために派遣された官吏)などを歴任。「宿禰」とは、天武天皇の代に定めた八色姓(やくさのかばね) の第三。もと、臣下を親しんで言った呼び名。「姓」とは、わが國の上代で、氏族の尊卑を表すための階級的称号。臣(おみ)・連(むらじ) ・宿禰(すくね) など数十種がある。

 

「天雲の 向伏(むかふ)す國の 武士(もののふ)と いはるる人は 天皇(すめろぎ)の 神の御門(みかど)に 外(と)の重(へ)に 立ちさもらひ 内の重に 仕へ奉(まつ)りて 玉かづら いや遠長く 祖(おや)の名も 繼ぎゆくものと 母父(おもちち)に 妻に子供に 語らひて 立ちし日より…」(四四二・天雲の垂れ伏す遠い國のもののふといはれる人は、天皇が神の如くにをられる皇居で、外の回りを立って警備し、奥庭におそばでお仕へ申し上げ、(玉かづら・長居に掛る枕詞)ますます長く祖先の名を継ぎ行くものなのだと、父母に、妻に子供に語って出発した日より…) 

 

 故郷を出発する時の朝廷奉仕の確固たる覚悟が、上司の三中によって歌はれてゐる。「天雲の 向伏(むかふ)す國」は、「遠い國」につく慣用句で自死した丈夫部龍麻呂の出身地のこと。東國の出身であったらしい。

 

 「もののふ」はこの場合は『萬葉集』原文(萬葉仮名)に「武士」とあり、皇居を警備する武官を念頭に置いた。「天皇の神の御門」は現御神信仰に基づく言葉である。

 

 「さもらふ」は様子を伺ひ機を待つといふ意であるが、この言葉から「さむらひ」(武士)といふ言葉が生まれた。

 

 「祖の名も 繼ぎゆくものと」に、家の名・名誉を重んじ祖先を尊ぶ心が表白されてゐる。朝廷への御奉公は祖先(おや)の名を負ふてするのである。そこからおのづから敬神崇祖の念が生まれる。

 

祖先も、親も、共に「おや」と呼ぶのは、生みの親も遠い祖先も同一の存在と考へたためであった。「親」と「祖」との間に言葉としての区別はなかった。強いて区別する時は「遠つ親」といふが、先祖のことは「おや」と言ふのが普通であった。ここにわが國の久遠即今・今即永遠の観念がある。笠金村と大伴宿禰三中の二首の歌に「もののふ」「武士」の原義が歌はれてゐるのである。

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2017年7月17日 (月)

「武の精神」「剣の精神」こそ、國民の道義精神の要である

わが國の武士は太刀を「力と勇気と名誉と忠誠の表徴」として尊んだ。そればかりでなく太刀は神聖なものとして尊ばれた。太刀を御神体とする神社もある。

 

日本武尊が「床の辺に 吾が置きし つるぎの大刀」と歌ってをられるやうに、太刀は床の間に置かれた。太刀に対する侮辱はその太刀の持ち主に対する侮辱とされた。刀鍛冶は単なる工人ではなく、神聖なる職に従事するものであった。刀鍛冶は斎戒沐浴して工を始めた。太刀を作ることは神聖な宗教的行事とされた。

 

太刀(タチ)の語源は、「断()ち」であり、「顕()ち・現()ち」である。罪穢を断つと共に、罪穢を断った後に善き事を顕現せしめるといふ言霊である。罪穢を祓ひ清めた後、神威を発動せしめる意である。太刀によって邪悪を滅ぼし、穢れを清め、本来の清らかさを顕現せしめるのである。

 

太刀は「幾振り」と数へられるやうに、魂ふり(人の魂をふるい立たせ活力を与へ霊力を増殖させる行事)のための呪具でもあった。剣や玉など呪器に籠る霊力を振はせることによって、人間などの力を復活させる行事が「魂触り」なのである。

 

御神輿が練り歩くのも、神体等を振はせ揺り動かすことにより神霊を活性化させる意義がある。それと同じく剣を振る事によって本来活力を失った魂を再生し活力を再生させる。

 

鎮魂は、ミタマシズメ・ミタマフリと言ひ、枯渇した人間の魂を振り起し、復活させ、衰微した魂の生命力を再生し復活させる行事である。日本の剣は人の命を絶つための道具ではなく、人の命を生かす道具なのである。まさに「活人剣」なのである。

 

太刀・剣には魂が籠ってゐると信じられ、太刀を授受することは精神的・魂的な信頼関係が成立したことを意味する。敗者から勝者へ太刀・剣が奉られるのは、恭順の意を表する象徴的行事である。

 

小野田寛郎氏がそれを行ったことは多くの人が記憶してゐるところである。小野田氏がルパング島で発見された後、当時のフィリッピンのマルコス大統領に軍刀を差し出した。軍人の魂であるところの軍刀を差し出すといふことは恭順の意を表するといふことである。小野田氏は昭和の御代において武人の伝統を継承した人物だったのである。

 

さらに言へば、「タチ」は「タツ」と同じ語源であり、それは「龍(タツ)」である。龍神は水の神であるから、水源地である山奥には龍神の祭った神社が鎮座する。蛇を祭った社(やしろ)も水の神である。道を歩いてゐて、蛇を見ると光ってるやうに見える。「龍」や「蛇」は長くて光る動物であるので、「刀」とよく似てゐる。ゆえに「刀」は「龍・蛇」を連想させる。

 

また、雷が鳴ると必ず雨が降る。だから水の神と雷神とは近い関係にあると考へられた。雷の稲妻は、光を放つので太刀を連想した。このやうに、「刀」「龍」「蛇」「水の神」「雷神」はきはめて近い関係にあるものと信じられた。

 

天皇の統治したまへるわが日本國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「剣の心」「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

「三種の神器」には、日本國體精神、日本天皇の国家統治の基本精神が表象されてゐる。「三種の神器」には、皇霊が宿ると信じられ、日本天皇の國家統治、言ひ換へれば日本民族の指導精神の象徴である。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる承る。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐるのである。

 

これらは別々の観念として傳えられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。日本國體精神、日本天皇の国家統治の基本精神には厳然として「武の精神」「剣の精神」が継承されてきてゐるのである。

 

現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまひ、頽廃と残虐の時代になった。「武」を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳としされ、「平和と民主主義」を謳歌してゐる今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発してゐる。

 

 三島由紀夫氏は、昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷台状で自決された際の『檄文』で、「生命の尊重のみで、魂が死んでもよいのか」と訴へられた。まさに、現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまひ、頽廃と残虐の時代になってしまった。

 

 さらに三島氏は『檄文』において「軍の名を用ゐない軍として、日本人は魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである」と訴へてゐる。

 

 魂の腐敗と國家の欺瞞は、「軍國主義國家」であったと言はれる戦前の日本にはあり得なかったやうな、「人命尊重」といふ言葉が空しくなる残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた。 

 

 國家を守るといふ「武の精神」「剣の精神」こそ、國民の道義精神の要である。武と國家、國防と道義は不離一体の関係にあるのである。今日の日本において、「武の精神」「剣の精神」を復興せしめねばならない。

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2017年7月15日 (土)

 『萬葉集』と「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復

 

 『萬葉集』の中心の時代は、天武天皇の御代から、孝謙天皇の御代にかけてである。その時代は決して太平の世ではなかった。大化改新・壬申の乱といふ大変革・大建設の時代であり、支那朝鮮からの武力侵攻の危機もあった。「やまとうた・和歌」をはじめとした優れた文藝はさうした時代に生まれる。変革・建設・戦ひと「和歌」とは切っても切れない関係にある。

 

 今日のわが國も萬葉時代とまったく同じ内憂外患交々来たるといった危機的状況にある。それは逆に変革の時代でありさらなる発展の時代であるとも言へる。國家的危機を乗り越へ偉大なる変革を成し遂げた萬葉時代の日本民族精神に學び回帰すべきである。

 

 保田與重郎氏は、「わが國の歴史に於いてみても、國民思想の樹立の契機となる重大な問題は、壬申の亂を峠とする時代の國の人心と人倫の歸趨にある。…萬葉集に於ては、はるかに一般國民精神の動向を臣民に道に於てあまねくうつし、しかも最もよく國の倫理の大本を護持して、當時二百年前後にわたる海外文化の影響下の日本にあって、わが固有の文化の流れを傳へた歴史の精神が如何に己を持して動かなかったかを示す點で國の精神の重きを思はせて實に感謝に耐へないものがある」(『萬葉集の精神』)と論じてをられる。

 

『萬葉集』には大変革・大建設の時代の息吹きに満ち満ちた日本民族の精神が歌はれてゐる。『萬葉集』の中核精神は、國家の危急時に、わが國民が如何にして天皇を中心とする國體を守り、國民が神と天皇に仕へ奉ったかが表白されてゐる。歌の調べの美しさも、慟哭も、みなこの一点より解さねばならない。萬葉歌のみならず和歌を學ぶとは、和歌の道に傳はった日本傳統精神に回帰しそれを踏み行ふことなのである。

 

今日の日本において特に取り戻さなければならないのは萬葉時代以来の「武の心・もののふの心・ますらをぶり」である。

 

大東亜戦争敗北以後、「武の心・もののふの心・ますらをぶり」が否定され隠蔽され続けてきた。『現行占領憲法』の三原理のひとつに「平和主義」といふのがあるが、これは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。ゆへに、日本及び日本國民は今後一切いかなることがあっても、武力・戦力・國軍は持たない、武力の行使はしない、戦争はしないことを決意する」といふ思想である。それは戦勝國による日本弱体化思想以外の何ものでもない。

 

國家を守る精神こそ、國民の道義精神の要の一つである。國防と道義は不離一体の関係にある。「國民」は、運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感があってこそ、「國民」である。

 

崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さへよければ他人はどうなってもいいといふ考へ方に陥ってゐる現代の青少年によって、凶悪無比なる犯罪が繰返されてゐる。軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の平和も、眞の道義も希薄になってゐるのである。 

 

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し實現するために國防力・軍事力が不可欠である。そしてその根幹として、日本國民一人一人が「武の心・もののふの心・ますらをぶり」の回復がなければならない。 

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