2018年11月 8日 (木)

神話と祭祀は分かち難く一體である

 

 神話とは太古の「神聖な歴史の物語」という定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言い換えると、神話は、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。

 

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文学・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持っている。

 

 「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するという希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎えた時や、春四月を迎えた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉学などに励もうとする。それと同じように、日本人一人一人およびその共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しようという希望を持つ。明治維新という國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンであった。

 

 そして神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り伝えられると共に、儀礼・祭祀という生きた現実として継承される。太古の神聖な物語を「文献」と「行事」によって今日まで伝えているという意味で、神話という「文献」と祭祀という「儀礼」は一體である。

 

 大林太良氏は「(神話と儀礼は)分かちがたくたがひに結びついている。儀礼は神話によってその意味が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である」(神話学入門)と述べておられる。

 

 「祭祀」とは、「始まりの時」に行われた行事を繰り返し行うことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠などを行うことによって、罪けがれを祓い清めて、人としての本来の姿に立ち帰るという行事である。言い換えると、一切の私利私欲を禊祓い去って生成の根源に回帰するということである。「無私」になって神に一切を「まつろう」(従い奉る)から「まつり」というのである。

 

 そして日本神話は、天皇を祭り主とする大和朝廷による日本の祭祀的統一という歴史を背景として成立したのである。

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2018年10月 2日 (火)

天岩戸神話つにいて

伊耶那岐命に海原を治めなさいと命じられた須佐之男命は「母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣きわめいたので、伊耶那岐命に追い払われてしまった。そこで須佐之男命が黄泉の国へ行く前に天照大神のところへ挨拶に行こうと天に上っていくと、山川が鳴り騒ぎ国土が振動したので、天照大神は天上の国を奪いに来たのだと思われる。須佐之男命はそんな心は持っていないといわれ、誓約(うけい・どちらが正しいかを判断する神秘的な行事)をした。その結果、須佐之男命が勝ったので須佐之男命は勢いにまかせて大暴れする。すると天照大神は天の岩戸にお隠れになってしまう。そこで八百万の神々は色々な方法を用いて、天照大神を岩戸から引き出す。そして須佐之男命は天上の世界から追い払われて出雲の国にお降りになる、という物語が「天岩戸神話」である。

 

天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」という。悪い行為を善い意味に解釈することである。そして「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

 天照大神が天の岩戸の隠れることについては、次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

 

八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

 

中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。・…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 

 

桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再び再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。

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2018年9月16日 (日)

皇祖神・天照大御神について

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

 

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。故に、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同體の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。天照大御神は、日神に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるやうになった。天照大御神は、日の神=自然神と、皇祖神=祖先神との二つの面を持つ女性神であられる。

 

天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。ヒルメを「日の女」とする説もある。いづれにしても「太陽の女神・母神」といふ意である。

 

天照大御神は、女性神であるから武を尊ばれないといふ事は絶対にない。弟神の須佐之男命が高天原にお上りになって来た時、「善(うるは)しき心ならじ」と思し召され、弓矢で武装され、大地を蹴散らして雄叫びの声をあげられた。

 

天照大御神は、太陽神のもたらす光明温熱によって萬物が生育するという御神徳をも具有される。ゆへに穀靈であらせられる。稲にとって太陽の熱と光が生命の源である。そこで、稲穂の命即ち穀靈は、日の靈と不離一體であり、日靈と穀靈と皇室の祖靈とは一體の関係にあるといふ信仰が生まれたに違ひない。だから天照大御神をお祭りする神殿(神明造)が穂倉の形をしていゐるのである。

 

天照大御神は天津神であらせられるから、生物學上の人間としての女性であるとすることはできない。しかし、わが民族は、日の神・穀靈・皇祖神たる天照大御神を、新嘗祭を行はせられ機織をせられる「母神」=女性神として仰ぐ信仰を保持してきた。

 

天照大御神は「ひとり神」であらせられるとともに「母神」であらせられ、御子神=天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)をお生みになられた。天之忍穂耳命は「女神系の男神」であらせられる。天之忍穂耳命の御子神が邇邇藝命であらせられる。

 

鹿児島県川内市宮内町に、邇邇藝命の可愛山御陵が鎮まります。といふことは、われわれの祖先は、邇邇藝命は肉身を持たれる御存在であると信じたのである。女性神である天照大御神の御孫神・邇邇藝命は地上に降臨された肉身を持たれる御存在である。これは動かし難い否定すべからざる神話的真實である。単なる「御伽話」ではない。

 

葦津珍彦氏は、「後世でも、神話の神々を氏神とし、自分はその子孫であり、氏子とする信仰は生きてゐる。生理的には人間父母の子であるが、信仰的には神話の神を父母とし祖として生まれたとの信である。その信がなくては、日本の神道も神國も成立しえない。皇祖天照大御神は、まさに信仰上の皇室の祖であり、神話の神であってたゞの生理的人間ではない。だから神宮はあっても、生理的人間没後の御陵はない。南九州には神武天皇以前の歴代皇統の御陵がある。生理的に地上に現はられた皇統の祖として祭られたが、天照大御神は古代から高天が原の皇祖神として祭られたのである。天照大御神には御生まれはあるが死はなく、今も生きておられる。」(『神國の民の心』)と論じてをられる。

 

皇祖とは天照大神また皇孫邇邇藝命を始め神代の神々の御事であり、皇宗とは神武天皇以来御歴代の天皇の御事とされてゐる。つまり皇祖・邇邇藝命は肉身を持たれる生理的人間であらせられ「女系の男孫」であらせられるのである。皇統即ち皇室の血統は女系の男孫たる邇邇藝命から始まるのである。

 

葦津先生のいはれる通り、人は、生理的には人間父母の子であるが、信仰的には神話の神を父母とし祖として生まれた。まして、上御一人たる天皇は、天照大御神の生みの御子であらせられる。その絶対の信が、天皇の神聖性の根拠であるし、天皇が日本國をしろしめす「おほきみ」であることの根拠である。

 

日本民族は、男性を日子(ヒコ)といひ、女性を日女(ヒメ)といふ。人は、信仰的には日の神の子であるといふ信仰がある。人は単なる肉体ではない。神の分靈である。まして、現御神日本天皇は人にして神であらせられる。したがって、天皇としての御本質は、肉身が男性であられやうと女性であられやうと全く同じである。

 

「萬世一系」とは、皇祖神への祭祀を行ふのは、天照大御神及び邇邇藝命の御子孫・生みの御子であるといふ思想による。高天原の祭り主は、女性神たる天照大御神であらせられる。皇極天皇・持統天皇など歴代の女性天皇も祭祀を厳修せられた。祭祀國家・信仰共同体=日本國の祭祀主たるスメラミコトに女性がなられることには何の不思議もない。神武天皇以来、原則として男系の男子が皇位を継承してきた傳統は守らねばならない。しかし、「女性天皇は、皇統断絶」などといふことはあり得ない。

 

皇祖天照大御神は、古代における偉大なる女性ではなく、神話の女性神であり、日の神の神靈である。邇邇藝命は、天照大御神の「生みの御子」であられ地上に降臨された天孫であられ肉身を持たれる御存在である。すなはち神にして人であり人にして神であられる。邇邇藝命の御子孫である神武天皇そして御歴代の天皇は、女性神たる天照大御神そしてその生みの御子たる邇邇藝命の血統と靈統を継承されてゐるのである。さらにいへば御歴代の天皇お一方お一方も天照大御神の生みの御子であらせられるのである。

 

「神」とは古代の偉人ではなく靈的實在であり、人間は神の分靈であるといふ信を基本に確立してゐなければ、葦津氏のいはれる通り、「日本の神道も神國思想も成立しない」と思ふ。

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2018年8月 2日 (木)

天之御中主神について

 天之御中主神は<一即多・多即一>の神であり最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。

 

 <神と人との合一><罪の意識の浄化>を最高形態としてゐる信仰は、日本傳統信仰・神ながらの道である。全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である。日本傳統信仰の世界的に恢弘することが私たち日本民族の使命である。

 

 四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐます。自然は神の命の顕現である。

 

 日本の神とはいかなるものか。本居宣長の『古事記傳』には次のやうに書かれてゐる。「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ) に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其(ソ) を祀(マツ)れる社に坐御靈(イマスミタマ)をも申し、又人はさらにも云鳥獣(トリケモノ) 木草のたぐひ海山など、其余何(ソノホカナニニ) にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ) き物を迦微とは云なり」と。

 

 宣長は「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏(かしこ)きものが神である」と定義してゐる。「可畏し」といふ言葉の意味は、おそれおおい、もったいない、貴い、はなはだしい等々であらうが、それらを総合したやうな感情において神を考へるといふことであらう。日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。そこが一神教の神観念とは大きく異なる。

 

それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」という一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

 『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはち“唯一神”であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

 また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現していると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

 影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲学はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。これは、天之御中主神が、天地宇宙の根源神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられるからである。

 

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神と申し上げる天地の神々を包容される神である。

 

天之御中主神は、<一即多・多即一>の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。ゆへに、天之御中主神は祭祀の対象とはならなかったのである。

 

『古事記』冒頭の五柱の「別天神」および國之常立神・豊雲野神は、形体を隠した隠身の神と仰がれた。身を隠したまふとは、隠身(かくりみ)になられることである。「かみ」とは「かくりみ」から「くり」を除いた存在であり、「神」とは「隠身(かくりみ)」のことであるといふ説もある。

 

なほ天之御中主神について、萩野貞樹氏の著書『歪められた日本神話』に詳しく論じられてゐる。萩野氏は、「アメノミナカヌシの神は後代の造作神だ」といふ説に対して、「この予断の甚だしさにはやや呆然とせざるを得ない。」「天の観念また天空神の信仰というものは、世界の最も未開と考えられている諸部族にあっても、ほとんど普遍的に見られるものである。」「天・天神の観念はなかったとする津田(四宮註・左右吉)の断定は、記紀神話の記述から歸納されたものでなく、記紀神話に現れた『アメ』や『アマ』を名に冠する神々を『主要でない』としてわざわざ除外し、『高天の原』という重要な観念も『政治的寓意』のものとして除外して、その残りのものについて見たところ『天神』の観念はなかった、と言っているに過ぎない」と論じてをられる。

 

さらに、天之御中主神が祭祀されてゐないといふ説に対して、「ほとんど全部の日本人学者はアメノミナカヌシノカミについて…『祭祀の痕跡がない』ことを理由にして後世の造作神であるとしている。」「古文献にアメノミナカヌシがないかといえばそんなことはない。…古事記…日本書紀…古語拾遺…続日本紀…日本後紀…新撰姓氏録にも出ている。彼等はその『現に出ているもの』を…除外し、残ったものについて見て『痕跡がない』と言っているのにすぎない。」「宮中八神にはもとより八柱の神しかない。古代に祭祀を受けた神はわずか八柱だというのであろうか。」「古事記は、タカミムスビ・カミムスビの祭祀についても記述していないのである。ウマシアシカビヒコヂ、アメノトコタチ、クニノトコタチの祭祀も記さない。」「アメノミナカヌシだけが祭祀の記録がないとに言うのは、作為的なトリックと言うしかないものなのである」と論じてをられる。

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2018年5月22日 (火)

高御産巣日神・神産巣日神は「天地生成の働き」を神格化し表現した神名

 

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆゑに「結び」を産靈」とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。

 

「むすびの神」単なる理念の神ではない。具体的お働きをされ日本人の信仰生活に深く関はる神であられる。

 

 日本神話においては、神が天地を創造するのではなく、天地は神と共に「なりませる」存在である。人間の祖先神は天地生成の神とつながってゐる。

 

天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

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2018年5月20日 (日)

天之御中主神は〈一即多・多即一〉の神であり最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神

 

 〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本傳統信仰・神ながらの道である。全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である。日本傳統信仰を世界に恢弘することが私たち日本民族の使命である。四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐます。自然は神の命の顕現である。

 

 日本の神とはいかなるものか。本居宣長の『古事記傳』には次のやうに書かれてゐる。「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ) に見えたる天地の諸(モロモロ)の神たちを始めて、其() を祀(マツ)れる社に坐御靈(イマスミタマ)をも申し、又人はさらにも云鳥獣(トリケモノ) 木草のたぐひ海山など、其余何(ソノホカナニニ) にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて、可畏(カシコ) き物を迦微とは云なり」と。

 

 宣長は「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏(かしこ)きものが神である」と定義してゐる。「可畏し」といふ言葉の意味は、おそれおおい、もったいない、貴い、はなはだしい等々であらうが、それらを総合したやうな感情において神を考へるといふことであらう。日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。そこが一神教の神観念とは大きく異なる。

 

それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」といふ一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

 『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

 

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

 

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、独神(ひとりがみ)すなはぢ唯一神゛であり、宇宙の根源神である。この「造化の三神」は、宇宙根源神・絶対神の「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり一体の御存在である。

 

 また、「宇摩志阿斯与訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)」「天常立神(あめのとこたちのかみ)」の二柱の神も「みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されている。「國之常立神(くにのとこたちのかみ)」「豊雲野神(とよくもぬのかみ)」も「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

計七柱の神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。七柱の「独神」がをられるのは、唯一神の多くの働き・性格を「神名」によって表現していると解釈できる。「多即一・一即多」である。

 

 影山正治氏は、「古代の日本人は萬ものを神に於て理解しようとした…神は無數であって八百萬の神である。しかし萬神一に歸すれば天之御中主神であって、決して云ふ所の低い庶物崇拝ではない…萬物を『いのち』に於て把握し『神』に於て理解する日本人の宇宙觀はまことに比類なきものと云はねばならない。日本に哲學なしなどゝ考へるのはとんでもない間違ひで、人類今後の思考の哲學はまさにこの日本神話の根源から發するものである」(『古事記要講』)と論じてをられる。

 

 

『古事記』冒頭の五柱の「別天神」および國之常立神・豊雲野神は、形体を隠した隠身の神と仰がれた。身を隠したまふとは、隠身(かくりみ)になられることである。「かみ」とは「かくりみ」から「くり」を除いた存在であり、「神」とは「隠身(かくりみ)」のことであるといふ説もある。

 

日本國の神社には、太陽神・皇室の祖先神であられる天照大御神や、その弟神で豊饒神であられるの須佐之男命などをお祭りした神社は多いが、天之御中主神を個別神として祭った神社は非常に少ない。これは、天之御中主神が、天地宇宙の根源神であると共に八百萬の神々の「御親神」であられるからである。

 

天之御中主神は、〈一即多・多即一〉の神であり、最高の根源神であるとともに萬物・萬生包容の神である。無限の可能性を有する大いなる宇宙主宰神・宇宙本源神が天之御中主神である。八百萬の神々は天之御中主神が無限の姿に現れ出られた神々である。

 

天之御中主神は、天地生成の根源神であられるが、「唯一絶対神」として他の神々をと対立しその存在を許さない神ではない。八百万の神と申し上げる天地の神々を包容される神である。

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2018年4月22日 (日)

天岩戸神話について

伊耶那岐命から「海原を治めなさい」と命じられた須佐之男命は「母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣きわめいたので、伊耶那岐命に追い払われてしまった。そこで須佐之男命が黄泉の国へ行く前に天照大神のところへ挨拶に行こうと天に上って行くと、山川が鳴り騒ぎ国土が振動したので、天照大神は須佐之男命が天上の国を奪いに来たのだと思われる。須佐之男命はそんな心は持っていないと言われ、誓約(うけい・どちらが正しいかを判断する神秘的な行事)をした。その結果、須佐之男命が勝ったので須佐之男命は勢いにまかせて大暴れする。すると天照大神は天の岩戸にお隠れになってしまう。そこで八百万の神々は色々な方法を用いて、天照大神を岩戸からお出になって頂く。そして須佐之男命は天上の世界から出雲の国にお降りになる、という物語が「天岩戸神話」である。

 

 天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」という。悪い行為を善い意味に解釈することである。「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

 天照大神が天の岩戸の隠れることについては、さらに次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

 

 八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

 中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。・…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

 日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

 そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が隠れる日」であり「新しい太陽が再生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは古い太陽の隠退であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生であると考えられる。ただし、これは一つの解釈である。

 

 この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。

 

 桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。

 

 祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現する。

 

 祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によって一層の活力を持って再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰であると考えられる。

 

 そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。  

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2017年7月18日 (火)

「もののふの道」=日本武士道とは

 

 「もののふ」とは、武人・武士のことをやまとことば(和語すなはち漢語や西洋などからの外来語に對し、日本固有の語)で表現した言葉であり、雅語(上品な言葉。正しくてよい言葉。特に、和歌などに使ふ、平安時代風の言葉)的表現である。

 

 「もののふ」とは、「宮廷を守護する者」即ち「物部(もののべ)」の音韻が変化した語であるといふ。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だった。

 

 「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(群れ・組。世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。 

 

物部氏は饒速日命の後裔にして武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討って勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。用命天皇崩御直後(用命天皇二年・五八七)、仏教受容を唱へた蘇我氏と物部守氏が戦ひ、物部氏は滅びた。

 

霊的力即ち巫術(超自然的存在が人にのりうつり、その人を通して話し、行動するもの)を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧する役目を帯びた者たちが「もののふ」(物部)であった。

 

折口信夫氏は、「(古代日本では)多くは巫術を以て戰場に臨み、敵軍を守る精靈を抑壓する者だったらう。大體、男軍其ものが既に、軍靈を使って、敵軍の守護靈を壓倒することを第一義にして居た。其爲に戰士のことを靈部(物部)と言ったのである」(『大倭朝廷の刱業期』と論じてゐる。

 

『日本書紀』の神武天皇御東征の折の長髄彦(ながすねひこと)との一戦のくだりに「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむに若かじ。かからば則ち曽て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ」と記されてゐる。

 

古代日本における戦ひは靈力の戦ひであったのであり、それに従事する士が「もののふ(靈部)」であった。とりわけ上御一人の「みいくさ」は、日の神の御神靈を祭りその神威を背負ひて神のまにまに戦はれたのである。

 

「神武」「天武」「文武」「聖武」といふ御歴代天皇の御諡号は、文武對立の武ではなく神威と一体の武である。

 

日本の武士が戦場に於いてお互ひに名乗りをあげたのは、互ひに名乗り合ふことによって相手方の靈を圧伏する意義があったと思はれる。

 

「もののふのみち」(「漢語」でいふ「武士道」)は、物部、大伴の二氏によって明確なる史實として表現せられた。

 

 なほ、「もののふ」を漢語で「武士」(ぶし)といふのは、折口信夫氏の説では、野に伏し山に伏して主君のために仕へる者であるからといふ。

 

もののふの道(武士道)とは、古代日本(古事記・萬葉時代)においては、天皇・朝廷に忠誠を尽しお護り申し上げる精神そのものである。それが原義である。日本武尊の御生涯を拝してもそれは明らかである。

 

もののふの道(武士道)とは、「尊皇心」「祖先を崇拝する心」「父母に對する孝の心」そして「名誉心(名を惜しむ心)」などがその内容となってゐる。名誉を重んずる心は、自己の一身を忠義・戀闕の對象(天皇・祖先・親・家)に捧げることに十分なる理由を与へた。

 

かうした日本の傳統的倫理観念が、人並み優れて強い男子といふ武士(もののふ)に、節度・忍従・帰服の心を付与した。「武」によって立つ者に道徳を与へたのは尊皇精神を中核とする日本傳統倫理精神であった。

 

新渡戸稲造氏は、「仏教の与え得ざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教義によりて刻みこまれたる主君に對する忠誠、祖先に對する尊敬、ならびに親に對する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。」(『武士道』)と論じてをられる。

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2017年6月13日 (火)

天の岩戸の隠れの神話について

 天照大神の天の岩戸の隠れの神話には次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

 

 八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が御手を引いて、天照大神にお出ましいただくのである。

 

 中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

 日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

 そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

 この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再び再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。決して天照大神の御心に反して無理矢理天岩戸の中から引っ張りたす、などという神話ではないのである。

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2017年5月25日 (木)

天岩戸神話について

天岩戸神話について松前健氏はその著『日本の神々』において次のように論じている。

 

「石窟戸神話については…天皇の御魂を鎮める鎮魂祭と結びついた神話であった…。鎮魂祭は仲秋すなわち旧十一月の寅の日に行われ、新嘗祭の前日であった。この祭りの趣旨は『令義解』に、『遊離の運魂を招き、身体の中府に鎮む』と言うように、そもそもが天皇の霊魂を呼び返し、体にこめようとする、一種の魂返しの呪法で、『天武紀』十四年などでは、『招魂』(たまふり)という字を当てているのである。この天皇の一種の健康呪法ともいうべきものがアマテラス崇拝と関係し、日神自身の死と復活が、この時の鎮魂歌に歌われているのである。…この鎮魂祭は、冬至のころの太陽祭儀であり、冬に衰える太陽の高熱の回復のため、その神の裔(すえ)としての日の御子であり、かつその化身であると考えられた天皇に対してタマフリを行なったのが趣意であろうことはすでに定説化している。…冬至は、農耕民族においては、『古い太陽が死ぬ日』でもあったし、また新しい太陽が誕生する日でもあった。この衰弱死する古い太陽が磐隠りするアマテラスであり、このときふたたび生れ出る太陽が、『磐戸を開いて出現する日の御子』である。」

 

『天岩戸隠れ』の神話は、明るく楽しく爽やかな太陽神再生のお祭りであり、日の御子であらせられる現御神日本天皇の再生復活の祭りなのである。嫌がる神をそのご意志に反して無理やり岩戸から引っ張り出す、などという、あたかも吉良邸に討ち入った赤穂義士が吉良上野介を炭小屋から引っ張り出したような闘争的な話ではないのである。

 

八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするという、まことに明るく楽しいお祭りなのである。

 

八百万の神々が天岩戸の前でのお祭りで集団で舞い踊り、大笑いし、大騒ぎをするなかで、死からの復活=起死回生を喜んだのである。それは日本中世の「踊念仏」、江戸末期の「ええじゃないか踊り」とよく似ているのである。また、祭祀における直会とも似ていると言える。

 

楽しく明るい祭祀と饗宴を行うことによって。新たなる生命の復活、天照大神の新たなるお出ましが実現するのである。天岩戸神話はそうしたことを物語っているのである。

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