2018年1月 4日 (木)

日本文化と現代の混迷

 

暇を見つけてはいろいろな展覧会に行くようにしています。心が洗われ、安らぎを得ることがあるからです。また歴史などの勉強にもなります。つくづく思うのは、書道・絵画・彫刻・工芸などいずれの分野においても日本人は優秀であり、日本人の創造した文化は素晴らしいということであります。外国から文化・文明を輸入し、それを洗練させ、より高度なものにするというのが日本の特質であります。日本民族は包容力・摂取力があるということであります。その包容力の中核に、日本独自の文化感覚があるのであります。

 

また、日本の芸術・文芸は、皇室・宮廷を中心に継承されてきています。日本皇室は三島由紀夫氏の言われたとおり、「文化の中核」なのであります。天皇・皇室がなくなれば、日本は日本でなくなるのであります。

 

混迷の時期にある現代世界において、東西両文明の融合、物質文明と精神文化の調和、各民族宗教の融和による現代の救済を実現するために、強靱ではあるが柔軟性と寛容性に富む日本文化伝統が大きな役目を果たすと考えられます。さらに、日本の宗教的柔軟性・無限包容力は、地球上の様々な民族や国々や宗教や文化が互いにその独自性を保持しつつ融和し調和していくために大きな働きをするのではないでしょうか。

 

日本民族は、アジアの中にあり、アジアの各地の文化を吸収して来ました。そして日本へ輸出した国においてすでに衰退してしまった文化を今日においても温存させ発展させ洗練させてきました。今後もそうでありましょう。

 

これまでの日本は外国から文化を輸入することが多く、外国へ輸出することは少なかった。今日の世界は、文化・文明そして思想・宗教が行き詰まりを見せ、混迷の時期を迎えています。こうした時期において日本は、これからは日本の文化的特質をによって世界的混迷打開のために貢献するべきでありましょう。

今こそ、神話時代から今日に至るまで続いている日本文化の融合性・包摂性を、政治・思想・教育・外交というあらゆる面において積極的に開顕していくべき時であると思います。今日世界は新しい時代を迎えようとしています。それは日本の時代であります。

| | トラックバック (0)

2017年11月28日 (火)

天皇・皇室は日本文化の包摂性の核心

 

 日本民族が異文化との交流を持つ以前の時代の精神、即ち純日本精神ともいうべき精神は、異文化との交流が活発になり日本民族が異文化の影響を強く受けるようになっても決して消滅することはなかった。消滅するどころかますます強靱になっていった。

 

 日本は多くの外来思想を摂取したが、決して無批判取り入れたのではない。むしろ日本の主体性・独自性を高めるために外来思想を借用したといってもいいくらいである。

 

 日本の農耕文化を基底にした信仰共同体の祭り主・日本天皇が、日本の文化的・宗教的中心に存在したという尊い事実が、日本が実に積極的に次々と大陸から外来文化を受け入れても、日本の独自性を喪失しなかった最も大きな原因である。天皇及び皇室が日本文化の独自性の核として不動に存在していたがゆえに、外来文化を積極的に受入れ融合しても日本の独自性を喪失することはなかったのである。

 

 山口悌治氏は「主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造。…その構造の『核』となってゐるものが、日本民族の神話なのである。…特殊性と普遍性といってもいいし、…ナショナルなものとインターナショナルなものとの関係ともいへる。…これらは次元を異にして互ひに矛盾してゐるものではない。本来一つのものが二つに分れて機能し、二つの機能が一つに作用し合って生々発展の無限の契機を生み出すのである」「(日本人が注)仏教を生きるとは、インドをおのれの祖先と感ずることではなくて、仏法をこの国に実現して仏国土となすことだったのである。儒学を骨肉とするとはシナをおのれの祖先と感ずることではなくて、王道国家をこの国に現成するといふことだったのである。」(『萬葉の世界と精神』)と論じておられる。

 

 この主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造の『核』となってゐる日本民族の<神話>とは、『古事記』『日本書紀』という文献にのこされている神話のみではなく、今日に生きている神話である<祭祀>とりわけ<天皇の祭祀>でもある。信仰共同体日本の祭り主・日本天皇の御存在が、特殊性と普遍性、ナショナルなものとインターナショナルなものを統一し包み込む中心であり、日本文化の包摂性の原点である。

 

 倉前盛通氏は日本文化の独自性の保持能力のことを『情報制御装置』と表現して次のように論じておられる。「国家も生物と同じように、自動制御装置なしには生き残れない。日本において、このような自動制御装置の源泉になったものは、…日本民族固有の高度化された“自然祭祀”であった…何でも新しいものに飛びつく新しがり屋であり、何でも外国のものを崇拝する外国かぶれの癖があり、…外国の単語を会話の端にはさんで喜んでいるような、まるで自主性のない民族に見えながら、日本人ほど古代からの共同体祭祀を守り続けてきた民族はない」(『艶の発想』)

 この信仰共同体の祭り主が天皇であらせられる。外来の文化も思想も、日本の独自性・日本の伝統信仰が厳然としてあるがゆえに寛容に包容したのである。日本の独自性を保守し伝統を大切にすることが、外国から新しいものを取り入れる素地だったのである。日本伝統精神はあくまでも護り抜くという自主精神が、如何なる外来文化をも受入れそれを包摂・融合する拠り所となっていたのである。その自主精神の体現者が天皇であらせられる。

 

 日本の独自性を保守し伝統を大切にすることの中心点に千古一貫して皇室の存在があった。日本の最も古き伝統の保持者たる皇室が新しき外来文化文明を消化したのである。

 

 三世紀に大陸から多くの文明が渡来した。それはまず皇室にもたらされ、やがて全国に普及した仏教がその最もよい例である。壬申の乱は唐文化の輸入に熱心であった近江朝廷と日本古代信仰を重視した天武天皇のとの戦いであったといわれる。しかし、天武天皇は、乱の後の天武天皇二年(六七三)に、壬申の乱の戦没者慰霊のため、飛鳥の川原寺において一切経の写経をなさしめた。天武天皇は、『古事記』の編纂を命じられ、神道精神を基本にした政治を行われた。しかし一方でこうして外来宗教たる仏教も重んじられた。以後、朝廷においては儒教・仏教という外来宗教・思想そしてそれに基づく様々な制度を用いるようになった。

 

 とりわけ仏教は、皇室によって全国に普及した。持統天皇の御代(西暦六八六~六九六)に全国に六四八の寺院がつくられた。天平十三年(七四一)には、聖武天皇により全国に国分寺・国分尼寺建立の勅命が下された。また東大寺大仏の造立も行われた。このように仏教は日本伝統信仰の祭祀主である天皇によって公認され全国に広められた。

 

 天皇及び皇室は、日本の保守の中心であるとともに革新の中心でもあったのである。明治以後の近代化も、『五箇条の御誓文』を拝しても明らかなように日本文化の保守の中心である天皇の大号令によって行われた。日本的変革即ち維新の原理が<復古即革新>とされるのは実にこういうことなのである。そして大化の改新・明治維新を見れば明らかな通り、日本の変革のすなわち維新の原点には常に天皇がいましたのである。

 

 日本の文化伝統は決して偏狭なものではなく、大らかにして開放的、そして革新の気に満ちたものである。そして日本天皇は民族の独自性・求心力の核であったが、それと同時に世界性・開放性・変革性の中心でもあったのである。

  

| | トラックバック (0)

2017年7月12日 (水)

「言霊のさきはふ國」日本

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。

 

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが祝詞である。それが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

祭祀における「となへごと」は「やまとうた」のみならずわが國の文藝全体の起源である。「やまとうた」はまつりごとから発生したのである。日本人の言霊信仰が歌などの日本文藝を生んだといへる。

 

「敷島の日本(やまと)の國は言霊のさきはふ國ぞまさきくありこそ (敷島の大和の國は言霊の力によって、幸福がもたらされてゐる国です。どうか栄えて下さい、といふほどの意)」

 

これは、『萬葉集』柿本人麻呂歌集に収められてゐる歌である。この歌は言霊の霊力が発揮されて、人の幸福が実現することを祈り予祝した歌である。

 

山上憶良の「好去好来(かうこかうらい)歌」(遣唐使の出発に当たってその無事を祈り祝福した歌)には、

 

「神代より 言ひ傳(つ)て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言霊の 幸はふ國と 語り繼ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり…。(神代以来言い伝えられて来たことですが、そらみつ大和の國は皇神の威徳が厳然としてゐる國であり、言霊が幸をもたらす国であると、語り継ぎ、言ひ継いでき来ました。それは今の世の人もことごとく目の当たりに見て知っゐます…、といふほどの意)」

 

と歌はれてゐる。この憶良の歌について保田與重郎氏は、「憶良は、實は専ら儒佛の思想を喜んだ人で、その方では當時の代表的な文人であるが、その人が歌った歌の中に、言霊の幸ふ國を云ひこれを今の目のまへに見たと歌ひ、聞いたと云うてゐるのは、却って、かういふ傾向の人の言葉だけに、尊い道のありさまを云ふものである。…萬葉集のありがたさは、かういふ道のありさまを示してゐるところにある。」(『言霊私観』)と論じてゐる。 

古代日本人は、言葉の大切さ、偉大さを本然的に強く自覚し信じ、言葉の霊力によって、幸福がもたらされてゐる国が大和の国であると信じてゐたことが、この二首の歌によって理解できる。

| | トラックバック (0)