2017年7月12日 (水)

「言霊のさきはふ國」日本

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。

 

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

日本では太古から、天地自然の奥に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐた。そのまつりごとにおいて祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが祝詞である。それが「やまとうた」(和歌)の起源である。

 

祭祀における「となへごと」は「やまとうた」のみならずわが國の文藝全体の起源である。「やまとうた」はまつりごとから発生したのである。日本人の言霊信仰が歌などの日本文藝を生んだといへる。

 

「敷島の日本(やまと)の國は言霊のさきはふ國ぞまさきくありこそ (敷島の大和の國は言霊の力によって、幸福がもたらされてゐる国です。どうか栄えて下さい、といふほどの意)」

 

これは、『萬葉集』柿本人麻呂歌集に収められてゐる歌である。この歌は言霊の霊力が発揮されて、人の幸福が実現することを祈り予祝した歌である。

 

山上憶良の「好去好来(かうこかうらい)歌」(遣唐使の出発に当たってその無事を祈り祝福した歌)には、

 

「神代より 言ひ傳(つ)て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言霊の 幸はふ國と 語り繼ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり…。(神代以来言い伝えられて来たことですが、そらみつ大和の國は皇神の威徳が厳然としてゐる國であり、言霊が幸をもたらす国であると、語り継ぎ、言ひ継いでき来ました。それは今の世の人もことごとく目の当たりに見て知っゐます…、といふほどの意)」

 

と歌はれてゐる。この憶良の歌について保田與重郎氏は、「憶良は、實は専ら儒佛の思想を喜んだ人で、その方では當時の代表的な文人であるが、その人が歌った歌の中に、言霊の幸ふ國を云ひこれを今の目のまへに見たと歌ひ、聞いたと云うてゐるのは、却って、かういふ傾向の人の言葉だけに、尊い道のありさまを云ふものである。…萬葉集のありがたさは、かういふ道のありさまを示してゐるところにある。」(『言霊私観』)と論じてゐる。 

古代日本人は、言葉の大切さ、偉大さを本然的に強く自覚し信じ、言葉の霊力によって、幸福がもたらされてゐる国が大和の国であると信じてゐたことが、この二首の歌によって理解できる。

| | トラックバック (0)