2017年11月19日 (日)

日本人と支那人とは文化も習慣も民族性も根本的に異なる

 

支那人は全てではないとは思うが、嘘をつくことを悪とは思わないのではないか。特に権力国家としての支那は、政治目的・外交目的を達成するためには、どんな見え透いた嘘でも平気な国であることは確かである。毛沢東の葬儀の写真に、四人組が並んでいたのを平気の消してしまった國が支那である。毒入り餃子事件でも嘘のつきっぱなしだ。歴史問題で支那の言っていることは外交戦略上の嘘と断定して良い。「南京大虐殺」や「七三一部隊」の残虐行為などという事も、『愛国虚言』である。「白髪三千丈」という諺は嘘では無いのである。

 

共産支那では文化大革命の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたという。支那南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件があった。10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れたという。「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。身の毛もよだつような情報である。

 

「祭祀・禮」に関して、日本と支那との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生国で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

「郷党篇」には「公に祭れば肉を宿せず。」(君主の宗廟の祭りに供へた肉のお下がりはその日のうちに食べて翌日まで持ち越されなかった。)とある。

また、「為政篇」にある有名な「子曰はく、故きを温めて新しきを知れば、以て師爲る可し」(煮物の冷えたのをもう一回温めて飲むやうに、古くからの伝統を反復思索し習熟することによって新しい意味を知る。さういふことができる人が人の師になれるのだ。)とある。「温める」とは、とろ火で肉を煮詰めるやうに時間をかけて繰り返し習熟する意であるといふ。

このやうに支那においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。日本民族の信仰生活と、支那人のそれとは大きな違ひがある。

日本人と支那人の根本的違ひは、食生活であらう。加藤常賢先生は、「わが国のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、中国のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから中国人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

儒教には「釈奠」といふ行事がある。支那古代化に伝わる、先聖先師の霊

をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつること

を「釈奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ

意で、供物を神前に捧げて祭ることである。この「釈奠」では牛豚羊など

獣の生贄を供へる。

わが国では律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興し、その後昌平黌や藩校でさかんに行はれたといふ。

金谷治氏は、わが国における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。中国では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも国情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを伝えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事実のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)

 

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、支那では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによる。

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消している。

朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は中国生まれであるが、中国人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三国志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓国人』)と書いてゐる。

支那においては、最近まで食人の習慣があったのである。日本人と支那人は、同文同種だなどということは絶対にない。文化も習慣も民族性も根本的に異なることを我々はしっかりと認識しなければならない。

 

| | トラックバック (0)

2017年11月17日 (金)

今日アジアで覇道精神を實践し、軍事的・政治的拡張と侵略を行ってゐるのは共産支那である

孫文は、大正十三年(一九二四)十一月二十八日、神戸高等女學校において神戸商業會議所外五団体に対して「大亜細亜問題」と題して行った講演で、「貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本國民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と語った。

 

しかし、今日アジアで覇道精神を實践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行ってゐるのは共産支那である。さらに、五族共和どころか各民族を抑圧してゐるのは漢民族である。今日の共産支那には東洋王道精神もないし、仁義も道徳もない。

 

今日、東アジアにおける最大の覇道國家・侵略國家は支那である。清帝國は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。「中華人民共和國」=共産支那は、清帝國が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建國以来、「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ國境紛争」・「中越戦争」など十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。チベット・ウイグル・内モンゴルを植民地支配してゐる。

 

今日、支那を武力攻撃しようとしてゐる國などは存在しないのに、共産支那は軍拡を続けてゐる。何故軍拡を行ふ必要があるのか。日本及び台湾そしてアジア全域への侵略・覇権確立を目論んでゐるからである。「反國家分裂法」「領海法」の制定そして反日破壊活動を見れば、それは明らかである。共産支那帝國は一九九二年、「中華人民共和國領海法及び接続水域法」を制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓國、台湾、アセアン諸國と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが國固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

 

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義國家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じやうに、状況が整へば、「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾に、「尖閣及び琉球を解放する」と言ってわが國に、軍事侵攻を行ふ危険性がある。

 

江戸前期の儒學者・神道家である山崎闇斎は、「孔子が大将となり、孟子が副将となって兵を率いて日本に攻めて来たら、彼らを擒(とりこ)にして、馘(くびき)ることが即ち孔孟の道を行ふ所以である」(『先哲叢談』)と言った。また、山崎闇斎の弟子・浅見絅斎(あさみ けいさい)は闇斎の言葉として次のやうに記してゐる。「山崎先生嘗て曰く…吾國の大義より云へば、堯、舜、文王にても、吾邦を下につけんとて取りに来たらば、西海の浦にて、石火矢にても撃ち殺すが大義なりと云」(『浅見先生聞問書』)。

 

孔子や孟子そして古代支那の聖王である堯、舜、文王といへども日本を支那の属國にするために攻めて来たら、これを撃滅することが「孔孟の道」であり、「大義」であるといふのである。江戸時代の儒學者・漢學者はこのやうな愛國精神を保持してゐたのである。これが日本儒教の真面目である。

 

わが國は今日、中華帝國主義による侵略の危機、ロシアによる北方領土=南樺太全千島不当占拠、北朝鮮によるミサイル攻撃の危機とわが國民の拉致、韓國による竹島不当占拠、といふ外圧に見舞はれてゐる。わが日本は「元寇」「白村江の戦」以来の未曽有の國難にある。今こそわが國民全体が、先人たちの愛國精神を正しく継承し、大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。わが日本は常に、朝鮮半島と支那大陸に対して警戒を怠ってはならない。わが國は国防体制をもっと強化すべきである。それが日本と東アジアの平和を築く唯一の道である。  

| | トラックバック (0)

2017年11月 9日 (木)

北朝鮮との関係について共産支那の学者が次のようなことを言っていました

先日行われたシンポジウムで、共産支那の学者が次のようなことを言っていた。

              〇

中国と北朝鮮はすでに同盟関係ではない。潜在的敵対関係である。中国の改革開放で、中朝関係は大きな変化が起こった。金正日が二〇〇〇年に中国東北地方(満州)に来た時に「視察に来た」と言った。「訪問」と言うべきだった。金正日は江沢民に「うちのお父さん(金日成)は、東北は私たちのものだと言っていた。毛沢東もそう言っていたとお父さんは言っていた」と言った。周恩来は北朝鮮に「私たちの祖先はあなたたちをいじめた。謝罪する」と言った。金日成は東北(満州)で訓練を受けた。毛周死去の後、中国の指導者の北朝鮮への考えは変わった」。

 

「北朝鮮は中ソ対立を巧みに利用して国益を確保した。今は、米中対立を巧みに利用して外交空間を確保している。北朝鮮は、中韓国交正常化で中国に裏切られたと思った。北朝鮮は中国の核の傘に入っていないと思うようになり、それが核保有の理由になった」。

 

「北朝鮮の外相が『核兵器はアメリカではなく中国を攻撃するためのもの』と言ったことがある」。

             〇

額面通りには受け取れないにしてもとても興味深い話であった。支那と北朝鮮がかつてのような友好関係にあるわけではないことは確かである。共産支那は、鴨緑江まで米韓両軍が来るのが嫌なのと、北朝鮮崩壊で数多くの難民が満州に押し寄せるのが嫌なだけであろう。

| | トラックバック (0)

2017年11月 5日 (日)

今日における『脱亜論』及び『大アジア主義』

 

近代日本の歴史は「脱亜論」と「アジア主義」が交錯した歴史だったという説がある。

 

「脱亜論」とは、新聞『時事新報』に明治十八年三月十六日に福沢諭吉が書いた掲載された無署名の社説である。この論文は、「東アジアの悪友である清国と朝鮮国とは、隣国という理由で特別な関係を持つのではなく欧米諸国と同じような付き合いかたにして、日本は独自に近代化を進めて行くことが望ましいと結論し、「我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と書かれている。明治日本は、変革の意志なく、「旧来の陋習」に固執する支那や韓国との関係は「謝絶」して、欧米との結びつきを強めるべきだという思想である。

 

「アジア主義」とは、欧米列強のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸国・諸民族が連帯し、アジアを解放しようという思想である。一口で言へば、『大西郷遺訓』に「文明とは道の普(あまね)く行はるるを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言ふには非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何を文明と言ひ、何を野蛮と言ふや、少しも了解するを得ず。真に文明ならば、未開の国に対しは、慈愛を本とし、懇懇説諭して開明に導く可きに、然らずして残忍酷薄を事とし、己れを利するは野蛮なりと言ふべし」といふ思想である。

 

今日において、この二つの思想と言うか考え方をどう学ぶべきか。わが国は、日清・日露戦争は勝利し、第一次大戦では戦勝国になった。その後、アジアでの影響力を強め、貢献もしたが、大東亜戦争で敗北した。今日及び今後の日本を考えるうえで、この近代日本の対外関係史から学ぶべきことは何であろうか。

 

今日唯今においては、結論して言えば、この二つの思想を融合させるべきなのである。即ち、今日アジアを侵略し支配せんとしている國は共産支那である。そして韓国はその属国に成り果てようとしている。かかる「亜細亜東方の悪友を謝絶する」べきである。そして、他のアジア諸国およびアメリカと同盟関係を深めて、「中華帝国主義」のアジア侵略の野望を打ち砕くべきである。これが今日における「脱亜論」と言うよりも「脱支那論」である。

 

今日のおける「大アジア主義」は、「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸国・諸民族が連帯し、アジアを「中華帝国主義」の桎梏下から解放せんしする思想である。アジア情勢は危機に瀕している。わが国は、自国の力を強めると共に、アメリカやアジア諸国・太平洋諸国との連帯を深めて、「中華帝国主義」に対処すべきである。「集団的自衛権行使容認」「日米安保体制強化」はその第一歩である。そして「自主防衛体制」確立に進むべきである。

|

2017年10月22日 (日)

支那という呼称について

 

 渡辺はま子という歌手がおられた。戦前においては、『支那の夜』『蘇州夜曲』『愛国の花』、戦後においては『サンフランシスコのチャイナタウン』『ああモンテンルパの夜は更けて』というヒット曲を飛ばした大歌手である。戦前は支那大陸の戦地の慰問、戦後はフィリッピンのモンテンルパに収容されていた日本人戦犯者の釈放運動に挺身した文字通り<愛国の花>である。ところが渡辺はま子女史の最大のヒット曲『支那の夜』はテレビなどで歌うことはできなかった。「支那という呼称は蔑称であり『中国』といわなければ国際問題になる」というのがその理由であったという。日本人の誤った観念がこの名曲を歌ったり聞いたりする機会を奪ったのだ。

 

 マスコミ・出版界では支那という呼称は禁句である。ところが、なぜ支那が蔑称となるのか納得のいく説明はない。というよりもできないのだ。支那が蔑称であるのなら、支那そば・東シナ海・インドシナ半島という呼称も蔑称になる。

 

 支那という呼称をわが国およびわが国民が用いたとて支那及び支那人を蔑視したことにはならない。そもそも何処の国もそして国連などの国際機関も支那のことを支那「China」と呼称している。

 

 支那とは、秦帝国(始皇帝が周および六国を滅ぼして天下を統一した王朝)の「秦(シン)」の音変化に由来し、サンスクリット語の仏典を漢訳した時から漢字では支那と書くようになった。以来、支那人自身が用いてきた言葉である。だから諸外国も支那と呼称するようになり、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などでも支那と呼んでいる。英語ではChina(チャイナ)と呼称した。支那は歴史的名称であり、わが国も支那と呼称するようになったのである。何故にわが国民が支那を支那と呼称すると差別・蔑視になるのか。

「中国」という国はこの地球上に存在しない 

 

 また、中華人民共和国・中華民国という国は存在していても「中国」という国はこの地球上に存在しないし、かつて一度も存在したこともない。支那大陸に中国という国は存在しないのだから支那を中国と呼ぶことはできないのである。

 

 わが国は古代より「日本」が国号である。ところが、支那は「五千年の伝統」などと威張ってはいるが、革命が繰り返されて、一つの王朝が継続してこなかった。したがって一つの国号が続かなかった。すぐ思い浮かぶだけでも隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と実に多く国名が変わった。こんなに国名が変化しているのにわが国に対して「中国と呼ばなければ駄目だ」などと指図する資格はない。

 

 わが国には葦原中国(あしはらなかつくに)という国号もある。江戸前期の儒学者・山鹿素行が赤穂配流中に著した歴史書は『中朝事実』という。中朝とはわが日本のことである。つまり、わが日本国も中国なのである。

 

 日本のみが支那と呼んではいけないというのは日本に対する差別である。日本に対してのみ支那を中国と呼ばせるのは、支那が日本を属国と思っているからであり、日本人を西洋人より下に見て、差別し蔑視しているからである。こうしたシナの日本に対する差別観念は中華思想から来ている。

 

 中国とは中華の国の略称なのだろう。支那は世界の中心・地球の真ん中にあって文化が華のように咲き誇っているという思想である。支那は世界帝国であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝にみつぎものを差し上げること)する属国の形式でしか外国の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。世界各地の支配者はシナの皇帝の冊封(天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること)によってその地位と権力を認められる、とする。こうした中華思想には対等な外交関係はあり得ない。

 

 それだけではなく、周辺諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と獣や虫けらのように呼んでこれを蔑視し侮った。東夷とは東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指した。西戎とは西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。南蛮とは南方の野蛮人のことで、インド支那など南海諸地方の民族を指した。北狄とは北方の野蛮人のことで、匈奴(きようど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指した。これが中華思想の基本的考え方のである。

 

 このように中華思想こそ、とてつもない帝国主義思想・差別思想なのである。そしてこの中華思想が支那歴代王朝の精神であり、「共産支那」といえども中国という呼称に固執している以上変化はない。毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平は支那の皇帝であり、国内的には残虐にして強固な独裁体制、国外的には侵略思想・差別思想を持ち続けた。ニクソンも田中角栄も毛沢東に朝貢したのである。

 

 支那人自身が自分の国を中国と呼称するのは自由である。それと同様日本人が支那を支那と呼称するのは日本人の自由である。わが国に対してのみ「支那と呼ばずに中国と呼べ」と強要するのはおかしいし、それに唯々諾々と従う日本人もおかしい。

 

 前述したように中国という国家は存在しないのだから支那のことを中国と呼ぶのはおかしい。ただそれだけの話である。

 

 「中国という言葉はすでに定着しているのだから、中国を刺激してまで無理に支那と呼称することはない」という意見があるが大間違いである。これはわが国の尊厳性・文化の独自性の保持、突き詰めればわが国の独立に関わる問題なのである。

 

 世界の先進国で支那を中国と呼んでいる国は日本以外にない。支那大陸に盤踞する「共産支那」は近年とみに軍事力を強化し、アジアにおける覇権確立を狙っている。そしてわが国固有の領土・尖閣諸島侵略の機を窺い、わが国を政治的・軍事的・経済的・文化的に隷属させようとしている。わが日本は支那共産政権のこうした野望を打ち砕きわが国の独立と自由を守らねばならない。支那の強要によってわが国が支那のことを中国などと呼称する自体、わが国にとってこれほどの屈辱はないし、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国が中華思想に侵略され支那に併呑される原因となる。わが国及びわが国民が支那を中国と呼ぶことは、わが国及びわが国民が支那の支配下に日本が入ることである。

| | トラックバック (0)

2017年8月23日 (水)

今日における「大アジア主義」とは

 

葦津珍彦氏は、「(私は)頭山満先生は、明治維新の原動力となった『尊皇攘夷』の精神を、もっとも純粋に継承し、それを純粋に発展させることに生涯をかけた人であると思っている。その生涯の活動は、きわめて多様多彩であり、多面的でもある。先生の純粋なる『尊皇攘夷』の精神は、明治時代の条件に中で、鹿鳴館的な欧化貴族主義に対する猛烈な反発となり、韓国独立党、金玉均への親交ともなり、中国革命家、孫文一党への侠援ともなる。あるいは、ロシア帝国への開戦論ともなり、インド革命家への同情ともなる。孫文は、この精神を『大アジア主義』と呼んだ。私は、孫文が『大アジア主義』と呼んだ東洋解放思想の立場から頭山先生の足取りをたどって本書を書いた」(『大アジア主義と頭山満』)と論じてゐる。

 

「大アジア主義」は在野の維新運動者たち=頭山満、内田良平などによって脈々と継承され且つ実践された。アジアの解放のために、アジア諸国の革命家、独立運動家を日本政府の意向に反してまで支援した。

 

今日においても、アジア諸国において、否、全世界諸国に於いて各国の伝統文化歴史に回帰しその上に立った新たなる変革が行はれるべき時が来てゐる。

 

米ソ二超大国による冷戦構造が崩壊した後、世界は平和になったかと言ふと決してさうではない。むしろ、民族問題・領土問題・資源問題・宗教問題などで冷戦どころか熱い戦ひが世界各地で起こってゐる。

 

アメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く狭間にあって、わが日本は、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦はなければならない。

 

「大西郷の精神」「大アジア主義」は今日においてこそもっとも大切である。何故なら今の日本は、幕末・明治のわが國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れてゐるからである。そしてアジアにおいて中華帝国主義の暴虐が吹き荒れてゐるからである。

 

日本民族は誇りを回復し、かつて白色人種の世界支配からアジア・アフリカを救ったように、今日においてはアジアにおける最大の覇権国家・軍国主義国家たる共産支那のアジア侵略支配策謀を粉砕するために努力しなければならない。

ただし、近代日本の大陸および朝鮮半島との関係史に学ぶことは、支那大陸・朝鮮半島に、政治的経済的軍事的に深入りしてはならなといふ事である。

 

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなった。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

 

戦後の「日中友好」「日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、経済的に深入りして金と技術を支那や韓国に投入し、共産支那を軍事大國にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、主権と安全と独立が脅かされてゐる。北朝鮮に対しても朝鮮総連を通じて事実上の経済支援を行ったが、今日わが国の核攻撃の恫喝を行ってゐる。

 

今日の共産支那の國内情勢、共産支那によるわが國などアジア諸國に対する悪行を見ると「道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め」(福澤諭吉「脱亜論」)、アジアを「残忍酷薄」「野蛮」(「大西郷遺訓」)に侵略し支配せんとしてゐる國は、共産支那である。

 

支那と朝鮮が日本にとって福澤諭吉が言った「悪友」であることは今日ますます事実として明らかになってゐる。今日のアジアにおいて、「殘忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻」な国は、共産支那と北朝鮮である。共産支那と北朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振ふより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

 

今日における、「大アジア主義」とは支那・朝鮮との関係の「謝絶」であり、台湾、ベトナム、フィリッピン、オーストラリア、アメリカといふ海洋国家との連携である。

 

中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」とやらをするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために、わが國の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

 

アジア情勢は危機に瀕してゐる。わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義と暴虐北朝鮮に対処すべきである。

 

「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破し、そして暴虐無比な金正恩政権を打倒し、アジア諸國・諸民族が連帯し、アジアの真の平和を確立することが求められてゐる。

 

 

| | トラックバック (0)

2017年4月29日 (土)

『大アジア主義』について

大アジア主義とは、「白色人種のアジア侵略植民地支配にアジアが一つになって対抗する」精神と行動であると考へる。この「大アジア主義」を端的に表現した文章は、(『大西郷遺訓』に示された西郷隆盛の次の言葉であらう。

 

「文明とは、道の普く行はるゝを言へるものにして、宮室の荘厳、衣服の美麗、外觀の浮華を言ふに非ず。世人の西洋を評する所を聞くに、何をか文明と云ひ、何をか野蠻と云ふや。少しも了解するを得ず。眞に文明ならば、未開の國に對しては、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、然らずして殘忍酷薄を事とし、己を利するは野蠻なりと云ふべし」。

 

大アジア主義の原点は、「南洲精神」である。科学技術文明が発達した西洋列強は、その力によって、アジア・アフリカを侵略支配し、圧政と搾取を行った。これはまさに文明にあらずして「殘忍酷薄を事とする」行為であり、「己を利する」政策であったと言へる。

 

イギリスは、数世紀にわたって侵略と征服とによって全世界に広大なる領土を獲得し支配し搾取してきた。アメリカは、米西戦争(べいせいせんそう)を契機として太平洋及びアジアに侵略の牙を向けるようになった。米英の世界制覇の野望は、人類の災厄、世界の禍根であった。

 

かうした西欧列強の非文明的所業を破砕し、アジアを王部列強による植民地支配の桎梏下から解放しようといふ思想が「大アジア主義」である。

 

「尊皇攘夷」の旗印で戦はれ、断交された明治維新は我が国をして西欧列強による侵略・支配下に置かれることを防ぐ大いなる戦ひであった。そしてそれは成功した。

 

明治維新の原動力は、支那に対する英国侵略を見た当時の日本の青年たちの驚き即ち「明日はわが身である」といふ認識があったと思ふ。アジア侵略植民地化に対抗して祖国を守ろうとする危機意識が明治維新の原動力の一つであった。「尊皇攘夷」の精神は、天皇を君主と仰ぐ國體を明らかにして外敵を打破するといふ思想である。

 

葦津珍彦氏は、「明治維新を推進した攘夷の精神といっても、その根底の意味は、アジアに進出してきた欧米の非道残忍な、侵略の圧力に対抗して、祖国の独立を守り、アジアを防衛しようという精神である。近ごろの人には、日本の攘夷思想を、未開野蛮な頑迷なものだったように思って軽蔑する人が多いが、それは誤っている。…白人の科学と技術とは、東洋人を征服し、東洋を掠奪するために使用されたのである。十九世紀の列強の白人たちの行為は、戦慄すべきものであった」(『大アジア主義と頭山満』)と論じてゐる。

 

明治維新の精神には、西欧列強の侵略を撥ね退ける姿勢の根本に「尊皇思想」があった。わが國肇国以来の國體精神を変革の原理とした。支那は、皇帝によって変革が否定されたが、わが国は天皇が変革の中核となった。ここに、日本と支那との大きな違ひがあった。

 

明治維新後の近代化は、多くの矛盾や失敗があった。しかし、西欧列強の支配下に入ることなく、自主の國としての近代国家を形成した。それは、わが國の自主性を保ちつつ、欧米文化を取り入れ、近代化を為し遂げることができた事による。

 

西郷隆盛はさらに、「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、先づ我國の本體を立て、風教を張り、而して後、徐(しづ)かに彼の長所を斟酌すべし、然らずして猥りに彼に倣はゞ、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからざるに至るべし」(『大西郷遺訓』) と論じてゐる。

 

この西郷隆盛の思想は、今日問題となってゐるグローバリズムとナショナリズムの対立を止揚する重要な考へ方である。まづ以て、日本の伝統的な國體精神を強固に確立し開顕した上で近代化を達成すべしといふ思想である。

 

『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った「大西郷の精神」こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

| | トラックバック (0)

2017年4月26日 (水)

台湾について小生が書いた手紙

以前、同志にお出しした書状を掲載いたします。

 

               〇

 

何時もお心にかけて頂き恐縮です。

 

貴兄が最初に訪台された次の年の昭和四十八年に、小生も初めて訪台しました。戒厳令下でした。街角に白手ヘルメットをかぶった憲兵が交通整理をしていました。終戦直後の日本でМPが交通整理をしていた写真を想起しました。

 

しかし、同じ時期の韓国のような暗さはなかったように思います。午前十二時以降外出禁止ということもなく、全体的にはというか表面的には明るい雰囲気でした。島国であること、南国であることが関係しているのでしょう。そもそも台湾人は本来的な明るい民族で、柔軟にして強靭であります。日本人と共通するところがあります。しかしピリッとした雰囲気はありました。

 

民主化以降の台湾にも行きましたが、そうした雰囲気が無くなっていることがむしろ心配になりました。昔の「新公園」は今、「二・二八記念公園」になっていますが、何とホームレスがいるのには驚きました。忠烈祠の「衛兵の交替」で衛兵をからかっている若者がいて、それを誰も止めようとしないことにも驚きました。国民党独裁体制下では即刻逮捕でしょう。何か民主化後の台湾は日本と同じように緊張感というかピリッとしたところが無くなったようです。これで良いのかどうか。しかし、独裁体制よりも自由民主体制が良いことは確かです。

 

小谷秀二郎、藤島泰輔両氏は懐かしいお名前ですね。小谷氏とは台湾でもお目にかかりました。

 

二松学舎の大先輩が当時の台湾省議会の事務総長(正式名称は忘れました。秘書長でしょう)をしておられました。お目にかかった時、私が「戒厳令は一週間か二週間で終わるのが普通ですが、何十年も敷かれっぱなしというのは台湾だけですね」と言ったら苦笑いをしておられました。

 

酒家にも行きました。日本で言えば料亭ですね。訪台する前、「台湾に行ったら支那という言葉を使ってはいけない」と言われたのですが、酒家には日本の懐メロの歌集があり、「支那の夜」も載っていました。私が「支那の夜」を歌うと拍手喝さいを受けました。もっとも一緒に呑んだ人々は、いわゆる外省人ではなく台湾人でしたが。「俵星玄蕃」も大いに喜ばれました。

 

もっと驚いたのは、台湾人の人々が、戦後国民党と共に台湾に来た支那人たちを「奴ら」「チャンコロ」と言った事です。見ると聞くとは大違いを実感し、ある種のカルチャーショックでした。

 

また当時台湾は「自由中国」という宣伝をしていました。そういう名前の政府の宣伝雑誌もあったと思います。ところが、「自由」どころではない。全くの国民党独裁体制、蒋介石独裁体制の国でした。「共匪が大陸を占拠中である」という理由で立法院委員、国民大会代表の選挙が行われなかったのですから…。

 

大衆酒場で呑んでいると、隣の席の中年男性が話しかけて来て、「あなた方は日本人ですか。私は元日本陸軍上等兵ですよ。戦争が終わって日本語はお国に返しましたが、『大和魂』は今でも持っていますよ。台湾に女を買いに来る今の日本人より私の方が『大和魂』がありますよ」と言われた時は本当に感激しました。

 

その二、三年後、亜東青年協会という小生の友人が関わっていた団体の訪台団に参加した時は、李煥という人に会いました。蒋経国が統括する中国青年反共救国団主任でした。この人は、後に国民党秘書長になったと思います。今『中国青年反共救国団』など言うものは無くなっているのでしょうね。国民党は第三次国共合作をしようとしたのですから…。そう言えば『中国大陸災胞救済総会』という大仰な名稱の組織もありました。方治という理事長にも会いました。蒋介石の指示で琉球独立運動を支援していた人という事です。『中国大陸災胞救済総会』という団体も今は無いでしょう。

 

台湾における国民党支配体制を維持するために「第三次国共合作」を企んだ馬英九・連戦という国民党指導者は蒋介石の遺言『光復大陸国土、実践三民主義、堅守民主陣容、復興民族文化』を蹂躙したと思います。

 

しかし貴兄が言われるように、アジアにおいてそして世界において、「反中国感情」はますます高まって行くと思います。日本がそれを主体的に戦略的に主導して行くことが大事であると思います。「中華帝国主義」を粉砕せねばなりません。

 

この度はまことに有難うございました。益々のご健筆を祈り上げます。

 

四宮正貴 合掌

| | トラックバック (0)

2017年4月19日 (水)

今日思ったこと

アメリカは北朝鮮のICBMがアメリカ本土に届く恐れが生じると、「消極的忍耐」とやらを捨てて、積極的に北朝鮮に軍事的圧力をかけるようになった。そして日本・韓国という同盟国と一緒に行動すると言い出した。身勝手と言えば身勝手だ。

 

北朝鮮も、「北の反撃でいちばん被害を受けるのは日本だ」と脅した。さらに、「日朝国交正常化が早く実現して、日本人の遺骨が早く日本に戻れば家族にとっても良いし、我々にとっても良い」と言い出した。これは、日本にアメリカの北攻撃に反対してほしいうシグナルだ。

 

日本は、一日も早く、自主防衛体制を確立して、他国の思惑や身勝手さに翻弄されないようなしなければならない。

| | トラックバック (0)

2017年4月18日 (火)

今日思ったこと

民進党などの亡国野党は、北朝鮮によるミサイル攻撃の危機に対して、何ら具体的方策を示していない。反日偏向メディアは不安を煽るばかりで、やはり何の具体的方策を示さない。そればかりではなく、テロ防止・治安維持・国家防衛のための法整備国防安保体制強化に対して狂気の如く反対してきた。そして日本会議問題・森友問題・閣僚の失言に関してまるで天地がひっくり返るような大騒ぎをして安倍総理夫妻や自民党政府を糾弾し、「一強体制を撃ち破る」とか言って、政府攻撃に終始している。全く国家の安全よりも政府転覆の方が大事なのである。

 

我々は北朝鮮、共産支那という外敵そして亡国野党偏向メディアという内なる敵に対して、毅然として戦いを挑まねばならない。それは安倍政権を擁護するためではない。国家民族の安全を守るためである。

 

日本が核武装していれば北朝鮮も支那も日本に軍事的恫喝を加えることはできないのである。日本の核武装を急ぐべきだ。それが達成できるまでは、アメリカとの軍事的協力しか日本の安全を守る方策は残念ながら無いのである。わが国が攻撃される前に敵を叩き潰すべきと思う。その時期と方法は、日米両軍の判断によるであろう。

| | トラックバック (0)