2018年7月20日 (金)

日本と支那との文化的差異

 

「共産支那政府」は、いはゆる「過去の歴史問題」を持ち出して、常にわが國を非難し内政干渉を繰り返し、自國民に長年にわたって「反日教育」を行って来た。尖閣諸島や東シナ海ガス油田開発問題などでわが國に対して軍事侵略を行ふ危険さへある。今や「共産中國」はわが國にとって最大の脅威となってゐる。

 

これに対し、わが國の姿勢はあまりにも軟弱である。「共産支那」がどんなに理不尽な事をしても正当なる対処も出来ない。その原因はわが國民の多くが「日本は、五千年の歴史と傳統を持つ『中國』から文字・思想・宗教・美術など多くの文化・文明を学んだ。わが國は『中國』に感謝しなければならないのに、近代において『中國』を侵略した」といふ誤った認識を持ってゐることにある。

 

支那から傳はってきた漢字によってわが國は「文字」を持ったといふことは事實である。しかし、支那では、つい最近まで漢字を読み書くことのできる人は一部の知識人に限られてゐた。文学・彫刻・建築・絵画など他の藝術も、支那よりも日本の方が洗練され高度にものになってゐる。つまり、日本は支那から色々な文化・文明を輸入したが、支那をはるかに超えた高度な文化・文明をつくりあげた。日本人は、「日本は『中國』の文化的精神的属國である」といふ誤った認識を払拭すべきである。

 

支那は「禮」を全く忘却し喪失した國となり日本國に「禮」は生きてゐる

支那は「禮文化の國」といはれる。「禮」とは、社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物などのことである。

 

「禮儀」といふ言葉がある通り、「禮」とは抽象観念ではなく、實際の行動・動作である。

 

宇野精一先生は、「(『論語』顔淵篇に「克己復禮を仁となす」とある・註)克己とは己の私欲に打ち克つことであり、複禮とは禮――倫理規範の意味における行為の標準――に立ちかえってこれを實践するという意味である。仁は孔子の根本教義であるから、これを實践する方法たる克己復禮は、正しく孔子の實践道徳の根本方法と考えてよかろう。…要するに孔子において、倫理の原理としては仁、實践としては礼が最高の標準であった。」(『儒教思想』)と論じておられる。

 

ところが、今日の支那及び支那人ほど「禮を失する行為」を繰り返し、私欲を最優先させてゐる國及び國民はない。

 

貝塚茂樹氏は、「徳川時代、元禄の頃から『論語読みの論語知らず』という諺が出来た。書物の上で理論を理解しているが、實行が少しもともなわない偽学者をそしって、いかに『論語』の存在が一般町人の世界に身近かったかを示すことばである。」(『世界の名著3』所収・「孔子と孟子」)と論じ、さらに、林泰輔氏(註・漢学者。東京高等師範学校教授)の、「中國及び朝鮮・安南(ベトナム)においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀()いて、その精を棄つるの憾みあり。わが邦人のこれを読むは、然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに國本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)といふ論説を引用してゐる。

 

和辻哲郎氏は、「儒教を生みまた儒教を奉じているはずのシナの歴史が、儒教の道理に反する事蹟を数限りなく含んでいる…賤しい身分のものが君を殺して、帝王になる。夷狄としていやしめている異國人に征服せられてその夷狄に服従する。そういう事蹟はいくらでもある。即ちシナの歴史は儒教の理が空理にすぎぬことを實証しているのである。」(『尊王思想とその傳統』)と論じてゐる。

 

支那は、『論語』の國・儒教の國であるが、権力者も民衆も、『論語』に書かれた道義精神とはかけ離れた生活を営んできた。

 

日本は、神道といふ傳統信仰を基本に置きながら、外来思想・宗教を自己のものとして来た。本家本元の支那で「儒教倫理」は實行されず、官僚・知識人の教養にすぎなくなり、さらには権力者の体制維持のイデオロギーと化した。わが國においては、國民全体が『論語』に示されてゐるやうな倫理精神を自然に實行してゐる。

 

日本及び日本人は、支那及び支那文化」に対してみっともない劣等感を抱く必要はさらさらないのである。わが國は、支那や朝鮮から多くの文化・文物を輸入した。しかし、その属國となることはなかった。今後の日本もさうであらねばならない。

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2018年7月19日 (木)

海洋国家日本は大陸国家・半島国家に深入りすべきではない

東アジアにおいて、大陸国家と半島国家・海洋国家とに分けられる。支那は大陸国家であり、朝鮮は半島国家であり、日本や東南アジア各国は海洋国家である。戦争が起こる確率が高いのは、半島国家である。

 

「東アジア共同体」などということが言われたことがあったが、日本と支那が「共同体」を形成するということは、日本が大陸との関係を今日以上に深めるということである。これまでの歴史で、日本が大陸に進出して成功したためしはない。

 

戦前は、軍事的・政治的に大陸に深入りして、ソ連中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦いとなって日米戦争にまで進み敗北した。戦後は、経済的に深入りして、金と技術をまきあげられ、共産支那を軍事大国にしてしまい、かえってわが國の安全と独立が脅かされている。

 

東アジア各国の、経済協力、文化・芸術の交流、そして災害・疫病・環境問題の協力などは必要なのであろうが、わが国がきちんとした国家戦略と自主防衛体制を確立しないままに大陸や半島に深入りして積極的に関与するのは、支那大陸に深く進出して行った戦前のわが國の過ちを繰返すこととなると考える。

 

支那は「中華思想」という差別思想・侵略思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸国を侵略してきた。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。

 

共産支那は、朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突など数々の戦争を起こし、チベット・内蒙古・満洲・東トルキスタン(新疆ウイグル)に対して侵略支配を行なっている。そして、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・南沙諸島などへの武力侵攻を企て、東シナ海の支配を確立せんとしている。

 

「中華思想」とは、國家的民族的規模での「功利主義」「利己主義」「自己中心主義」である。「中華の繁栄」のためなら他国を侵略しても良いし、他国が滅んでも良いという思想である。今日のアジアにおける最も大きくまた最も危険な軍国主義国家、軍事大国、侵略国家は共産支那=「中華人民共和国」である。

チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、支那民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。

 

そして今日唯今も、中華人民共和国は、軍事力強化に狂奔している。「海洋強国」を国家戦略に掲げて海洋権益の拡大を進めている。 共産支那はすでに南シナ海の制海権を掌握しており、国産空母が完成すれば東シナ海の制海権も掌握するであろう。「一帯一路」などというのはまさに「中華帝国主義」の別名である。

 

共産支那の李鵬元首相はかつて「日本という国は五十年後にはなくなっている」と言ったという。まさにわが國は「中華帝国」に属国化され、日本国は独立は失われる危険がある。そんな悪夢を現実にしてはならない。

 

アメリカの従属下から脱するということは大切である。しかしそれと引き換えに支那の従属下に入ることだけは避けなければならない。

 

要するに日本に対して核兵器を向けている国と友好などあり得ない。日本の国連への拠出金は全体の一九%なのに、常任理事国になれないのは何故か。日本から経済援助によって「四つの現代化」を成し遂げ、軍事力を飛躍的に強化し、核兵器を持ち、国連の常任理事国になっている共産支那が反対しているからである。

 

アジア各国との友好は大切である。しかし、支那大陸への深入りは絶対に慎むべきである。日本の軍事的自立を前提としない「日中協力」は軍事大国・アジア最大の侵略国家共産支那のアジア支配に協力するだけである。海洋国家日本は海洋国家と深く連帯して行けばいいのである。

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2018年7月 9日 (月)

竹島・尖閣問題について

 竹島はわが国の領土であり、明確に日本の排他的経済水域に入っている。しかるに竹島を韓国領とする理不尽な主張を繰り返し、現に警備隊を常駐させている。また、尖閣諸島は、日本固有の領土でありわが国が実効支配している。

   

 竹島及び尖閣諸島についての日本の領土権の主張は、国際司法裁判所で勝訴できると確信できる正当なもので、韓国・共産支那に対して正々堂々日本の主張を貫くべきである。

 

 国家にとって固有の領土を守ることは、国家主権の大前提である。領土問題という国家の主権に関わる問題においては、我が国は姑息な妥協をせず、毅然として正論を貫かねばならない。

 

 とりわけ竹島は、韓国警備隊が軍事力を以て不当に占領している。このことに対して我が国政府は断固たる対応ができないのはまことに残念である。

 

 竹島の領有権について国際司法裁判所の判断を仰ぐことを韓国側が拒否している。これは韓国の主張に正当性がないからである。

 

 明治三十八年(一九〇五年)のわが国政府による竹島編入の時、韓国は日本に外交権を奪われて抗議できなかったと言うが、その頃韓国は日本の保護領ではなかった。当時の韓国は、竹島に関心が無かったのだ。

 

 また、「サンフランシスコ講和条約」で竹島は日本領土と確定した。同条約で日本が放棄した地域に竹島は入っていない。韓国は日本に竹島を放棄させ韓国領にせよと要請したが米英は否定した。竹島が日本固有の領土であるのは明白である。

 

 しかるに、韓国は昭和二十七年に李ラインをひいて実力を以て竹島を占領する暴挙に出た。そして、漁民の拿捕にわが国国民は切歯扼腕した。日本は海軍を解体されていたし憲法九条の制約があるので十分な措置ができなかった。しかし、昭和二十七、八年に我が国の海上保安庁は四回にわたって巡視船を竹島に派遣し命懸けで標識を立てた。

 

 日本は「日韓基本条約」締結の時、竹島問題の国際司法裁判所への提訴を韓国と合意すべきだった。

 

 韓国は「日本は『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』と書かれた憲法があるから、日本に何をしても日本は反撃しない」と甘く見ている。さらに、韓国は反日感情を国内政争の道具にして煽っている。

 

韓国は、戦後反日教育を受けた世代が中心になっていて、反日感情は強まっている。日本時代を知らない人が増え反日運動が愈々強まっている。

 

歴史認識について屈辱外交を繰り返している限り竹島は返って来ない。韓国との歴史問題は、「日韓条約」で決着がついている。しかるに我が国政府は歴史問題についての韓国側の理不尽な脅し対して適切な対応が取れないでいる。それは韓国対してのみならず支那に対しても同じである。

 

福田康夫元総理がいわゆる「南京大虐殺記念館」なるところに花を捧げ、鳩山由紀夫元総理がソウル市内の西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)で土下座をした。このような元総理の行動が、わが国が対朝鮮、対支那外交で屈辱的対応をしなければならなくなっている原因の一つである。

 

 何よりも日本の外交姿勢が問題なのである。日本の軟弱なる外交姿勢が続けば竹島はおろか対馬まで領土要求されるかもしれない。支那・韓国に対して毅然とした発言すべきである。わが国政府は、竹島及び尖閣諸島問題について独立国家としての正当なる姿勢を堂々と貫くべきである。

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2018年6月23日 (土)

共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である

今日のアジアにおいて最も好戦的・最も侵略的な国は支那共産政府である。朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突・チベット侵略など数々の戦争を起こし、国内においても国共内戦から大躍進運動、文化大革命、天安門事件まで武力行使が行われ、自国民六千万人(少なく見積もっての話。もっと多いことは確実)を殺戮している。そして今も、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・沖縄・南シナ海などへの武力侵略を企て実行している。

 

今日世界最大の帝国主義国家、軍事大国、侵略国家は「中華人民共和国」である。内モンゴル・チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、漢民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。そして、わが国領土領海の侵犯・尖閣諸島への侵略策謀などを展開している。

 

「中華」を名乗っている支那大陸の政権は、有史以来、帝国主義的侵略支配を意図する政権なのである。

 

支那共産政府の現在の領土の六三%は一九四九年まで支那人以外の人々の領土だった。アジア最大の侵略国家は支那共産政府である。サッチャー元英国首相は「大英帝國も大日本帝國もなくなったが、中華帝國は残っている」と言った。その支那共産政府がわが国を侵略国家・軍国主義国家呼ばわりするのは、文字通り盗人猛々しいというほかはない。

 

民族運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那に対する土下座外交・謝罪外交・経済技術協力を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴えて来たことがいかに正しかったかが、今日証明されている。

 

アジアの平和と安定にとって最大の脅威が支那である。共産支那を押さえるためには、「強い日本」にならなければならない。断乎として共産支那の恫喝と脅迫を撥ね退け、侵略策謀を粉砕しなければならない。自主国防体制の確立が急務である。これに反対する輩は、侵略国家支那の手先である。

 

日本固有の領土尖閣諸島での共産支那の傍若無人な無法行為と圧力外交は許し難い。日本だけではなく、共産支那はアジアの国々に侵略の牙を向けている。

 

共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である。また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

 

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制を確立しなければならない。

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2018年6月19日 (火)

支那共産党の幹部や政府の官僚たちは国家を私物化し人民を食い物にしている

 

私は文革終結の後、天安門事件の前という時期に、数人の同志と共に約二週間ほど支那大陸を旅したことがある。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。日本では考へられないことだ。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

 

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる観光地のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無い所が多かった。女性の旅行者は本当に困ったであろう。

 

また、支那は「張り紙」「標語」も多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。國民党独裁体制下即ち「中国人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

 

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

 

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。近代中国の父といわれる孫文は、このことをなげいた。色紙をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)。

 

台北は、台湾でも所謂外省人即ち支那人が多い町である。支那の権力者は国家さへ私物化する。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。毛沢東は、権力掌握後、國家を私物化したのみならず、多くの同志・国民を虐殺した。今日の支那共産党の幹部や政府の官僚たちも国家人民を食い物にしている。党と国家の指導者の居住地である北京の中南海の入り口には、『人民の為に服務せよ』と書かれた大きな看板があった。こうした看板が掲げられているのは、党幹部が人民のために服務してゐないからである。

 

共産支那は、北朝鮮とその体質は全く同じである。権力闘争に敗れたら、殺されるか獄に入れられる。毛沢東時代は、過去のこと思ったら大間違い。習近平による周永康、薄熙来、徐才厚などの粛清事件などを見ても明らかである。薄熙来・周永康は、劉少奇・彭徳懐・賀龍のようになぶり殺しにされなかっただけまだましかもしれない。

 

ある支那問題専門の学者の方から、「中国の皇帝は、即位する前は、多くの人々を殺して、即位した後、『聖人・君子』になる」という話を聞いたことがある。

 

「共産支那帝国」の「皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前どころか即位した後も、文革などで数千万の人を殺したと言われる。革命の同志であった劉少奇国家主席など多数をなぶり殺しにした。習近平もまた同じことをやっているのだ。

 

また別の「中国問題の専門家」の方は私に「中国の権力者は、普段は聖人君子のようにふるまっているが、ある日突然極めて残虐になる」と語っていた。

 

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれている。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史である。また、今日の「中国人民」も道義精神を忘却している人が多い。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、現実には、金儲けのためなら何をしても良いというような意味に理解されている。

 

わが日本は支那とはよほど注意して付き合わねばならない。支那も朝鮮もまともな国ではないのである。前近代的な専制支配国家であると言っても決して間違いではない。友好関係とか互恵関係などが構築できるものではない。

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2018年6月14日 (木)

河野洋平の売国発言を糾弾する

報道によると、河野洋平は六月十三日、都内で開かれた講演会で政府の対北朝鮮政策に関連し、「今、日本がやらなければならないことは、朝鮮半島の植民地化について申し訳なかったとおわびをすることだ。韓国に対してはおわびして経済援助などを行ったが、北朝鮮とはまだ国交もなく、できずにいる。韓国と同じくらいは北朝鮮にもしないといけない」「拉致問題という大変難しい深刻な問題があるが、国交も正常化されず、植民地問題も処理できてない国に対して、ただ『返せ、返せ』とだけ言っても解決しない。国と国との関係を正して返してもらう手順を踏まざるをえないのではないか」と語ったという。

 

河野洋平の国籍を疑いたくなるような売国発言だ。我が国による朝鮮半島統治は、謝罪や賠償をしなければならないような悪事では全くない。未開の地であった朝鮮半島を、近代化し、農地山林の整備、経済施設建設、産業振興、教育施設建設、道路・鉄道整備、などのいわゆる社会資本を飛躍的に整備し、人口を増加させ、朝鮮半島を驚異的に進歩発展せしめた歴史的偉業であった。日本の朝鮮統治は、感謝されて当然の偉業であった。

 

また、北朝鮮に蟠踞する金王朝は、ソ連侵略軍が連れて来た傀儡政権である。彼には朝鮮半島の北半分を支配する正統性は全くない。しかも北朝鮮に住む人々を七十年にわたって、自由を奪い、苦しめ、殺し、餓死させてきた悪魔集団である。こんな奴らと日本が「国交正常化」「お詫び」「経済援助」などをする必要は毛筋の横幅ほどもない。

 

こんな暴論を言う売国者が自民党の総裁・外相・官房長官をつとめていたのだ。まことに由々しき事である。

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2018年6月11日 (月)

日韓併合について

 

 明治維新を断行したわが国は、李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を侵略しようとしたロシアの野望を撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。当時の朝鮮半島が独立国家として自立していれば、わが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して「事大主義」(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本である。「朝鮮併合」はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。わが国の朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。 

 

 「江華島条約」(明治八年)から「日韓併合」(同四十三年)に至るまでの間、日本の対朝鮮半島政策において明治の父祖が一貫して心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして日本および朝鮮を守り抜くかということであった。隣接する朝鮮半島とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全に対する脅威であった。

 

 ゆえに、日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、「朝鮮独立」を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

 

 「朝鮮併合」以前の朝鮮半島は混乱の極にあった。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。「朝鮮併合」の翌年支那に辛亥革命が起こり,清朝は滅亡している。

 

 日露戦後の明治三八年(一九○五)、「第二次日韓協約」が調印されて韓国は我が国の保護国とされ、外交権を日本が掌握した。そして、韓国統監府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。その伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は「自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように」と常々申していた」と語ったという。

 

 以来、日本にとっての朝鮮は植民地というより日本国土であった。日本国民は、朝鮮・台湾を統治するにあたって本土と同じ待遇を与えた。そして本土以上の投資を行った。台湾と朝鮮の総督府、台北駅・ソウル駅を見れば明らかである。日本の何処のにもあのような立派な建物はなかったし、駅舎もなかった。狭量な金泳三は歴史的建築物の旧朝鮮総督府を壊してしまった。台湾の旧総督府は総統府としてそのまま使われている。

 

 しかし伊藤博文公の朝鮮に対する真摯な心を韓国民の一部は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺された。これが、「日韓併合」の直接原因である。                

 

日本に併合されることによって近代化が達成できるということは朝鮮改革派の合意だった。明治四三年(一九一○)の「日韓併合条約」締結(初代総督寺内正毅)は、日本の強圧によるのではない。日本に併合されることによって朝鮮の近代化・文明開化が達成できるということは、当時の朝鮮改革派の合意であった。一九○四年(明治三七年)の日露戦争では、東学党(民間宗教)の教徒五万人は日本と共にロシアと戦った。さらに、一進会の前身の進歩会の人々三五万人がこれに加わった。

 

 一九○四年に結成された「一進会」という近代的な大衆政治組織は、朝鮮王朝と守旧勢力を打倒し、日本と連携して近代化を為し遂げようとした。そして、日韓併合・開化啓蒙運動を展開し、一時期は百万をこえる組織となった。

 

 この大韓帝国内の強力な民意に従い、日本が合法的な手続きを経て朝鮮統治権を持ったのである。「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれを勧め、支持したものである。当時韓国内に百万人の会員がいた一進会は、「併合嘆願書」を韓国十三道からの「併合嘆願書」と共に、韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に提出し、皇帝の「御沙汰書」により、内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 

 当時の国際法では、政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされたのである。「日韓併合」は法的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。

 

 「日韓併合」に対して、韓国・北朝鮮側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、以上述べて来た通り、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではない。

 

それは、明治四十三年八月二十九日の「韓国併合に付下し給へる詔書」に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された「総督府官制改革の詔書」に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されていることによって明らかである。

 

 したがって、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。

 

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 日本の朝鮮統治により、朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。

 日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。 

 

 韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

 

 日本の朝鮮統治は、朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行うことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。

 

 日本が大東亜戦争で敗戦に追い込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

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2018年6月10日 (日)

今日における「脱亜論」「大アジア主義」

 

 

今日及び今後の日本とアジアを考へる上で、近代日本の対外関係史から学ぶべきことは何であらうか。今日において、「脱亜論」と「大アジア主義」の二つの思想をどう学ぶべきかが大切である。

 

頭山満と盟友関係にあり、共に「大アジア主義」を唱へた孫文は、大正十三年(一九二四)十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体に対して行った講演で「貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本國民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と語った。

 

しかし、今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行ってゐるのは共産支那である。さらに、五族共和どころかトルキスタン、モンゴル、チベットなど諸民族を抑圧してゐるのは共産支那である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。今日の支那は、権力者が富と権力を独占し、まさに清朝時代に戻ったと言ってもいい。

 

今日の支那・朝鮮の國内情勢、支那によるわが國などアジア諸國に対する悪行を見ると、福沢諭吉の「脱亜論」における激語を再び発したくなる。今日、「道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め」(「脱亜論」)、アジアを「残忍酷薄」「野蛮」(「大西郷遺訓」)に侵略し支配せんとしてゐる國は、欧米にあらずして共産支那である。そして韓國はその属國に成り果てようとしてゐる。かかる「亜細亜東方の悪友を謝絶する」べきである。そして、他のアジア諸國およびアメリカと同盟関係を深めて、中華帝國主義のアジア侵略の野望を撃ち砕くべきである。これが今日における「脱亜論」と言ふよりも「脱支那論」であり「大アジア主義」である。

 

近代日本の大陸および朝鮮半島との関係史を回顧すると、日本は大陸および半島に政治的経済的に深入りしないことが大切であることがわかる。「東亜」とか「アジア」と一括りにして東亜解放・アジアナショナリズム・大アジア主義を標榜して大陸に政治的・軍事的・経済的に深入りしことにより、日本は亡国の危機に陥ったのである。

 

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなったことは事実である。これまでの歴史で、日本が大陸に深く進出して成功したためしはない。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

 

戦後の「日中友好、日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、支那と韓国に経済的に深入りして金と技術を投入し、共産支那を軍事大國・強大なる反日国家にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、わが国の主権と安全と独立が脅かされてゐる。

 

支那と南北朝鮮が日本にとって「悪友」であることは今日ますます事実として明らかになっている。支那朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振ふより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

 

アジア情勢は危機に瀕してゐる。わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義に対処すべきである。

 

今日における「大アジア主義」は、「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸國・諸民族が連帯し、アジアを「中華帝國主義」の桎梏下から解放するといふことである。

 

今日唯今における、「脱亜」とは清・朝鮮との関係の「謝絶」であり、「入欧」とは海洋国家との連携である。台湾、ベトナム、フィリッピン、オーストラリア、アメリカと連携して、中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。

 

支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」をするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために、わが國の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

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2018年2月12日 (月)

今日思ったこと

孫のような小娘に気を使い、下座に坐る名目上の「国家元首」は何とも哀れ。

 

また、叔父を殺し兄貴を殺した男の妹、韓国に何時核を撃ち込むか分からないような男の妹を招待し歓待する韓国大統領というのは、余程の馬鹿か、北朝鮮の手先である。

 

北朝鮮が韓国に核を撃ち込まないという意見があるが全く間違っている。自国民がわずか10年余りの間に500万人も餓死しているのに贅沢三昧をしている独裁者、自分の叔父と兄貴を残忍に殺す独裁者が、「同じ民族だから韓国に核を撃ち込まない」などということがあるはずがない。

 

第一、突然韓国に侵略を開始し、南北合計で五百万人も殺した歴史、アウンサン廟テロ事件、大韓航空機事件などを起こしている歴史を見れば、北朝鮮が韓国に核を撃ちこむはずはないどということは絶対にあり得ない。

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2017年11月19日 (日)

日本人と支那人とは文化も習慣も民族性も根本的に異なる

 

支那人は全てではないとは思うが、嘘をつくことを悪とは思わないのではないか。特に権力国家としての支那は、政治目的・外交目的を達成するためには、どんな見え透いた嘘でも平気な国であることは確かである。毛沢東の葬儀の写真に、四人組が並んでいたのを平気の消してしまった國が支那である。毒入り餃子事件でも嘘のつきっぱなしだ。歴史問題で支那の言っていることは外交戦略上の嘘と断定して良い。「南京大虐殺」や「七三一部隊」の残虐行為などという事も、『愛国虚言』である。「白髪三千丈」という諺は嘘では無いのである。

 

共産支那では文化大革命の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたという。支那南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件があった。10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れたという。「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。身の毛もよだつような情報である。

 

「祭祀・禮」に関して、日本と支那との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生国で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

「郷党篇」には「公に祭れば肉を宿せず。」(君主の宗廟の祭りに供へた肉のお下がりはその日のうちに食べて翌日まで持ち越されなかった。)とある。

また、「為政篇」にある有名な「子曰はく、故きを温めて新しきを知れば、以て師爲る可し」(煮物の冷えたのをもう一回温めて飲むやうに、古くからの伝統を反復思索し習熟することによって新しい意味を知る。さういふことができる人が人の師になれるのだ。)とある。「温める」とは、とろ火で肉を煮詰めるやうに時間をかけて繰り返し習熟する意であるといふ。

このやうに支那においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。日本民族の信仰生活と、支那人のそれとは大きな違ひがある。

日本人と支那人の根本的違ひは、食生活であらう。加藤常賢先生は、「わが国のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、中国のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから中国人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

儒教には「釈奠」といふ行事がある。支那古代化に伝わる、先聖先師の霊

をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつること

を「釈奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ

意で、供物を神前に捧げて祭ることである。この「釈奠」では牛豚羊など

獣の生贄を供へる。

わが国では律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興し、その後昌平黌や藩校でさかんに行はれたといふ。

金谷治氏は、わが国における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。中国では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも国情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを伝えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事実のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)

 

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、支那では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによる。

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消している。

朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は中国生まれであるが、中国人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三国志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓国人』)と書いてゐる。

支那においては、最近まで食人の習慣があったのである。日本人と支那人は、同文同種だなどということは絶対にない。文化も習慣も民族性も根本的に異なることを我々はしっかりと認識しなければならない。

 

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