2020年6月23日 (火)

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる

大川周明氏は、「(日本精神・大和魂の最も著しい特徴は・注)綜合の精神、統一の精神、包容の精神であります。己を失はずして他を採り入れ、古きを失はずして新しきを採り入れ、すべての思想文化を具体的なる日本国民の生活の上に、それぞれの意義と価値とを発揮させてきた日本精神は、東洋の綜合的精神の生きた姿である」(『新東洋精神』)と論じてゐる。

今日の求められてゐる日本民族主義は、民族の伝統に回帰することによってその日本民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するといふ理想がなければならない。日本民族精神による世界平和確立への貢献が求められている。

日本建国の精神は世界平和の思想(八絋為宇・万邦共栄の精神)である。決して排他独善の精神ではない。大川氏が言われるように、包容の精神である。日本民族は、外来の諸文化・文明を包容し、包摂し、より高度なものとして来た。日本民族の包容性の中核に強靭なる日本傳統精神がある。


日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りといふ絶対に平和的な人間の生産活動といふのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るといふ信仰精神を回復しなければならない。

近代のいわゆる日本主義運動・維新運動の歴史を回顧すると、宗教の影響が大きいというか、宗教思想が維新運動において極めて大きな位置を占めている。


維新運動は、神道国学の思想が根幹となっていることは自明である。維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本国は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして国を変革し危機を乗り越える。これがわが国の光輝ある歴史である。

今日の日本も深刻な危機的状況にある。しかし、國體信仰を甦らしめることによって、必ずこの危機を打開することか出来ると信じる。神道精神・國體信仰は、決して偏狭にものではないし、独善的ではない。八紘を掩いて宇(いえ)となす精神であり、四海同胞の精神であり、真の世界平和の精神である。この精神に回帰し、世界に闡明することが大切である。

|

2020年6月14日 (日)

今日の新型コロナウイルス感染症の流行が、日本の維新変革のきっかけになる

「日本を取りもどす」「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズ・謳い文句で登場した安倍晋三長期政権は本当に日本を取り戻しつつあるでしょうか。外交・憲法など日本を失うような動きを見せているように思えてならないのですが…。

侵害コロナウイルス問題は、自治体と国家との連携の大切さを益々実感させました。この問題は、単に疫病の猖獗でなく、国家安全保障の問題としてとらえることが必要と思います。

安倍長期政権の憲法・国防安保に対する姿勢・実績についてそろそろ総括すべき時に来ているのではないでしょうか。

戦後レジームからの脱却には安倍四選が必須ですが、安倍総理の四選がいいのか、新総裁が選ばれるのがいいのか、判断は難しいところです。しかし、真の真正保守の姿勢を示す政治家は今見当たらないというのが現実であります。日本の自立・日本人の誇りの回復が行われねばなりません。その具体的な現われは、憲法改正・自主憲法の制定であります。

日本国民はこれまで長い間変化をこわがっていきました。しかし国民は新型コロナウィルスの猖獗によって国家が動きだし変革される事を決して恐がらなくなったようにも思えます。国民はしっかり覚醒して来たのでしょうか。

明治維新の直前にも、外國から傳播したコレラの流行により多くの人々が犠牲になった。このことが明治維新の理念たる「攘夷思想」勃興の原因の一つであった。コレラは日本では一九世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかった。

歴史は繰り返すと言ふが、今日の新型コロナウイルス感染症の流行も、日本の変革のきっかけになる。またさうしなければならない、日本民族は、何事も積極的にとらへ、國難を克服し、國家を変革してきた。つまり「ピンチをチャンスに変えた」のである。今回もさうであらねばならない。

日本の習近平来日の延期は、まさに新型コロナウイルス感染症の流行がその原因となった。聖武天皇が、広大無辺の日本傳統信仰によって外来仏教を包摂し一大宗教國家を建設され、内憂外患を撥ね退けられた如く、今日の日本も中華帝主義の日本侵略の危機を撥ね退ける時である。そして対共産支那外交の根本的転換を断行すべきである。今がそのチャンスである。

|

2020年6月 8日 (月)

神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます

「旅は生ける学問なり」といふ言葉があります。まさしくその通りです。文献で分かったつもりでも、實際に歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多いのです。

大和の国を旅すると、日本国の生成は、まことに麗しい歴史であることを實感します。神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐます。神国日本といふのは決して嘘ではありません。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切であります。傲慢になったり排他的になってはならないと思ひます。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體であります。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふということであります。

神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐます。神話とは遥か遠い昔の傳説ではありません。今日唯今の生きてゐるのであります。太古の祭りが今日も皇室祭祀に継承されてゐるのです。天皇・皇室のご存在の有り難さをしみじみと感じてをります。

大和地方の多くの神社に参拝し、自然を愛でると、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感します。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神であります。

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐます。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、疫病は猖獗し、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではありません。

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられます。支那や朝鮮に横溢してゐる共産主義独裁思想もその亜流です。これを根本的に是正すべき時に来てゐます。

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へます。

|

2020年4月 8日 (水)

今回の国難によって今までの日本を反省し、立て直す機会になることを願います

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍総理は政府の対策本部で7都府県を対象に、法律に基づく「緊急事態宣言」を4月7日に発令し「仕事は原則自宅で行うようにしていただきたい」と訴えた。

私は原稿執筆を仕事としているので、仕事は自宅で行ってゐます。ですから今回の「非常事態」は私の日常生活にそれほど大きな変化を及ぼしません。テレビニュースで繁華街が閑散としている有様を見て、たまにはこういうことがあってもいいのではないかと思っているくらいです。しかし繁華街でお店を営業などして色々な仕事をしている人々にとっては死活問題ですから、そんなことを言うのはあまりに無責任ということになります。

しかし、若者たちがあまりに遊び呆けてゐる姿を見て腹を立てていたというのも事実です。

ともかく、今回の国難によって今までの日本を反省し、立て直す機会になることを願います。わが国は国難を契機として、一大変革を成し遂げてきた歴史を有する国であります。この度もそうであせねばなりません。色々批判全すべきことはあっても、安倍総理と小池都知事には健康に留意して奮闘して頂きたいと思います。

|

2020年3月 6日 (金)

新型コロナウイルス感染症の流行を、日本の変革のきっかけにすべし

支那湖北省武漢市で2019年12月に発生が報告された新型コロナウイルス感染症は、世界各地に感染が広がってゐる。そして世界各国で多数の人に感染し、亡くなってゐる。致死率は非常に高い。
おそらくコウモリがこの新型コロナウイルスの起源となったウイルスを保持してゐると考へられてゐる。
新型コロナウイルスが動物由来であるとの確定的な証拠は見つかってゐないが、その遺伝子配列が、コウモリ由来のSARS様コロナウイルスに近いため、コウモリがこの新型コロナウイルスの起源となった可能性が考へられてゐる。そして武漢市民はその蝙蝠を日常的に食用にしてゐる。
新型コロナウィルスは、未知の部分が多い上に、様々な情報が錯綜してゐて、不安を抱へてゐる人も多い。

支那で発生した疫病が日本に入ってきて大きな被害をもたらし多くの人々が犠牲になったのは、今回が初めてではないことは言ふまでもない。古代日本においても、『日本書紀』には、垂仁天皇の御代に疫病がが流行してゐたことが記されてゐる。
『倭名類聚抄』には“疫”の字の意味について「民が皆病むなり」とある。
国史上、最初に我が国で疫病が流行したのに、痘瘡(天然痘)であったといふ。文明・文化・社会の発展と海外との交流拡大による人や文物の往来に伴ひ、それまで疫病が発生しなかった日本にも支那・朝鮮から疫病が伝播した。
コレラは日本では一九世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかった。
わが国においては、朝鮮との交流が増えて、仏教伝来と時を同じくして痘瘡(天然痘)が持ち込まれ、日本最初の疫病大流行となった。
このことに反発し対抗したのが日本伝統信仰たる神道護持の立場に立った物部氏である。そして渡来系氏族で仏教を尊崇した蘇我氏との対立が起こった。その背景には、朝鮮から伝播した疫病である痘瘡(天然痘)の流行があった。
そして天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家日本の眞姿回復の日本最初の大変革たる大化の改新断行の原因の一つとなった。
ただし、わが国は日本の独自性を保ちつつ、仏教を大きく包容摂取したことは、聖武天皇の御事績を拝して明らかである。
明治維新の直前にも、外国から伝播したコレラの流行により多くの人々が犠牲になった。このことが「尊皇攘夷思想」勃興の原因の一つであった。
歴史は繰り返すと言ふが、今日の新型コロナウイルス感染症の流行も、日本の変革のきっかけになると思はれる。またさうしなければならない、日本民族は、何事も積極的にとらへ、国難を克服し、国家を変革してきた。つまり「ピンチをチャンスに変えた」のである。今回もさうであらねばならない。
習近平来日の延期は、まさに新型コロナウイルス感染症の流行がその原因となったのである。対共産支那外交の根本的転換を断行すべきである。

|

2020年3月 1日 (日)

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である

「維新」とは、現代の汚れを祓ひ清め、天皇を祭祀主と仰ぐ國の本来の姿を回復して現状を変革することである。大化改新も、建武中興も、明治維新もさういふ精神に基づいて行はれた。日本においては傳統回帰と変革が一つである。だから維新を<復古即革新>といふ。

この場合の「復古」とは時間的過去に逆戻りすることではない。時間を超越した「祖型」「原初」「始原」「始まりの時」「久遠元初」「永遠の今」への回帰である。傳統精神の新たなる発見である。日本の傳統精神を復活せしめて硬直し腐敗した現代を一新することである。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、國民の幸福と國家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本國の道統を原理としなければならない。日本における革新は、古きものの土台の上に立脚する。

東日本大震災など近年多発する自然災害は、自然の脅威が如何に恐ろしく、原発などの科學技術が人間に大きな危害を加へるものであるかが体験された。

欧米の科學技術による人間生活の進歩と発展を至上命題としてきた戦後日本、もっと言へば近代日本への反省が必要である。それには、自然の中に神を見る日本傳統信仰に回帰する以外にない。

体制変革や法律の整備は大切である。しかし、その根本に神への回帰が無ければならない。いくら國家機構を変革し法律を更新しても、様々な悪しき事象が無くなることがないことは現實と歴史が証明してゐる。

『大日本帝國憲法』といふ國體精神に則った理想に近い憲法があっても、昭和の御代において維新変革運動が起った。法律や制度を整へるだけでは真の維新は成就しない。

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である。それは「神勅」の實現であり、神話の再興であり、「今即神代」の實現であり、「高天原を地上へ」の實現である。

わが國においては、國家変革即ち維新と信仰精神・神話の精神は不離一体である。大化の改新、建武中興、明治維新において、神國思想・國體信仰がその中核にあった。現代の維新変革然りである。政治制度の変革の根底に日本傳統信仰が無ければならない。

かかる考へ方は、情緒的であり、観念的であるとの批判もあらう。しかし、今こそ自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神に回帰すべき時である。

現代文明とは、科學の論理によって技術の革新を行ふ文明のことである。現代文明は西洋科學技術文明が主流となってゐる。そしてそれは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

反面、現代文明は今日、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻をもたらし、没落の時期に差しかかってゐる。現代文明の欠陥を是正し、欧米科學技術文明を反省し、新たなる文明を形成しなければならない。

日本傳統信仰は、山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の男子)」であり「日女(ひめ・日の神の女子)」なのである。日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと信じ、人も國土も神が生みたまふたと信じる。

闘争・戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそ、一切の自然や人に神が宿るといふ大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統信仰が大きな役割を果たすと考へる。日本傳統信仰の祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體たる日本國の本姿回復によって現代の危機を救済する大変革即維新が断行されならない。

|

2019年12月13日 (金)

維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である

明治二十三年十月三十日に渙発された『教育勅語』にし示された「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の「皇祖」は伊邪那岐命伊邪那美命二神及び天照大神の御事であり、「皇宗」は神武天皇の御事である。「國ヲ肇ムル」とは、國生み及び天孫降臨と神武建國の御事である。「國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されてゐる以上そのやうに拝するのが自然である。しかし、『教育勅語』渙発に際して、さうしたことに否定的な見解を示した人がゐた。

新田均氏はその著において大要次のやうに論じてゐる。「『教育勅語』発布後文部省は解説書を井上哲次郎(注・東京大学教授。哲学者)に依頼した。井上の草案では、勅語の『皇祖』は『天照大御神』、『皇宗』は『神武天皇』であると説明していた。井上(注・井上毅。大日本帝國憲法制定に参画、法制局長官となり、『教育勅語』など詔勅・法令を起草。枢密顧問官・文相などを歴任。)は文句をつけて『皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇』とするよう求めた。彼は、君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」(『「現人神」「國家神道」という幻想』)

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。「勅語には『皇祖皇宗』の道とあり『祖先』の遺風とある。これをもって、皇祖皇宗を初めとして各地の神社の民族祖神の『神靈』の意と解すれば、勅語は神道の強力な一拠点となり得る。明治天皇の勅語としては、かく解するのは決して無理ではない。しかしそれを神宮神社の『神靈』と結びつけることには『神道を國教化するもの』としての強い反抗の底流があった。その反抗の強力なことを知ってをればこそ、井上毅は、とくに厳重な前提条件として尊神とか敬神とか『神靈』を意味する語を絶対に避けねばならないとし、神靈存否の論は、各人の解釈に任せて、勅語そのものの関知せざるところとした。この明治的合理主義官僚が、神社局の思想となる時には、『神靈については当局は関知せず』として、神道独自の精神を放棄して、一切の合法的宗教、哲学との妥協にのみ神経を労して、神宮神社をもって、歴史的偉人の記念堂(モニュメント)と同視して、神道精神を空白化することになる。」(『國家神道とは何だったのか』)

新田氏によると加藤玄智(大正・昭和期の宗教学者)は「わが國明治以来教育界の通弊は、その實証主義、科学萬能主義で在り、それに加ふるに,迎合外交と追随教育の幣は、教育勅語に仰せられた皇祖皇宗を解するに、単なる人間としての祖宗、すなわち人祖人宗に外ならないものとして、これを解し奉ってをった。…」と批判していたといふ。加藤玄智の批判は正しいと思ふ。

「皇祖」を神武天皇のみし、「肇國」を神武建國のみとすることは、『天壌無窮の御神勅』の否定につながる考へ方であり、神話の精神を隠蔽するものである。日本國體は神話を基礎とするのだから、神靈への信を無視し否定した國體精神・國家主義は真の國體精神ではない。

神霊への信仰を排除し神社を歴史的偉人の記念堂のごときものとするのは、明らかに傳統信仰の隠蔽であり、祭祀国家の破壊である。今日の「靖国神社を排除した國立戦没者追悼施設建設」につながる思想である。ここに葦津氏のいふ「明治的合理主義官僚」の日本傳統信仰に対する無理解といふ大きな欠陥が表れてゐる。かうしたことが、祭祀國家・皇道國家日本の本姿を晦ませて日本を覇道化させた原因だと言ひ得る。

村上重良氏らの「國家権力が神道を人民支配のイデオロギーとするためのバイブル・経典が『教育勅語』であった」といふ主張は誤りである。むしろ國家権力による神道精神の隠蔽が行はれたことが近代日本の過誤の根本原因であったと考へる。

神靈への信を忘れ天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同体から遊離した國家至上主義は誤りである。維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である。宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきてゐる一神教の世界では、まったく考へられないことだらうが、神社神道・日本傳統信仰は、佛教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ・柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

日清戦争、日露戦争の勝利は、「脱亜入欧路線」の勝利ではない。日本精神を保持して西洋傳来の武器を使用して戦ひ勝利したのである。まさに「和魂洋才」の勝利だった。ところがその後の日本は、「和魂」を忘却し、上滑りな「洋才國家」の道を歩むこととなった。西郷隆盛の言った「野蛮」を尊しとするやうになった側面がある。「明治維新の精神」は日露戦争勝利の後、国民精神の弛緩によって矮小化されもわが国は西洋覇道の道を歩んだのである。日露戦争の勝利は、それまで西欧列強によって支配されていた有色民族・アジアアフリカ諸國諸民族を感激させ希望を与へた。しかし、日本自身は、勝利に奢り、明治維新の精神を忘却してしまったのである。

明治中期以後、金銭営利を求める風潮が横溢し、明治維新の理想、清潔なる國體精神は混濁し、「文明開化」の悪しき側面即ち欧米追従・強い者勝ちの西洋覇道精神・近代合理主義が世を支配するやうになった。近代日本において、「文明開化」「近代化」のために傳統信仰が晦まされてしまった。

勿論、西欧諸國との拮抗、とりわけ帝國主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。日本が「富國強兵」の道を歩まねばならなかったのは当然であるし、否定することは出来ない。「富國強兵」を實現するために西洋の文物を学び取り入れることも大切であった。しかし、その根底に日本傳統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。欧米近代の國家の侵略による植民地化を跳ね除けるために富國強兵政策がとられたのは正しい選択であった。しかし、「脱亜入欧」は誤りであった。

天皇國日本には、「侵略」「排外」などといふ事はあり得ない。傳統信仰を無視した近代化・富國強兵は日本魂を消失したものであるがゆゑに大きな矛盾を抱へ失敗を招来した。だからこそ、神の回復・信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復を目指した昭和維新運動が起こったのである。

|

2019年12月 7日 (土)

安倍総理の「日本を取り戻す」と「復古即革新」

「日本を、取り戻す」は、平成二十四年から安倍晋三氏と自由民主党が使った自民党政権公約の題名である。同年に行なわれた自由民主党総裁選挙でこの言葉を使い、安倍氏は勝利した。さらに同年に行なわれた第46回衆議院議員総選挙でも自民党は大勝した。

 

安倍晋三氏は平成二十五年の著書でこの言葉について「これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」と説明した。

 

 

安倍氏が取り戻すべき「日本」とは何時の事であるかというとそれは、「戦後ではない時代であるということになる。この考え方は、私は概ね正しいと思う。戦後日本の混迷から一日も早く脱却することが大切である。

 

しかしながら、戦前の日本が理想であり、戦前回帰が正しいとするわけにはいかない。戦前の日本が理想の國であったのなら、昭和維新運動は起らなかったはずである。やはり吾々は明治維新への回帰そして神武創業へ回帰を目指さねばならない。

 

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。復古即革新である。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

 

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

 

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれた。季節は三月ごろが多かった。

 

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、皇祖神への御崇敬のまことを御自ら捧げられることとなった。

 

そしてこの年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

 

古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

 

|

2019年12月 6日 (金)

祭祀と維新

 神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の傳統的な信仰である。

 「維新」とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、キリスト教や浄土思想の説くような遥か彼方にある天國とか極楽浄土ではない。今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。

 今日唯今も実際に全國各地で毎日のように行われている禊と祭祀は信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 日本傳統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本はになっているのである。日本傳統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。いかなる困難があろうとも、この道を歩み続けねばならない。

|

2019年12月 5日 (木)

復古即革新論=「神武創業ノ始ニ原」くとは「祭政一致」の再興である

『王政復古の大号令』に示された「神武創業ノ始ニ原」くとは、「祭政一致」の再興である。「祭政一致」とは、神をまつり神の御心のままに政治を行ふといふことである。

明治天皇は、明治元年十月十七日渙発の『祭政一致の道を復し氷川神社を親祭し給ふの詔』において「神祇を崇(たふと)び祭祀を重ずるは、皇國の大典にして、政教の基本なり。…方今更始の秋(とき)、新に東京を置き、親しく臨みて政を視る。将に先づ祀典を興し、綱紀を張り、以て祭政一致の道を復せむとす」と示された。

さらに、明治天皇は、明治三年正月三日『神靈鎮蔡の詔』を発せられ、神武天皇が橿原建都の後四年二月二十三日に発せられた『天神を祀り大孝を述べ給ふ詔』の大御心を継承されて、「朕、恭しく惟みるに、大祖の業を創(はじ)めたまふや、神明を崇敬し、蒼生を愛撫したまひ、祭政一致、由来する所遠し。朕、寡弱を以て、夙に聖緒を承け、日夜怵惕(じゅつてき)して、天職の或は虧(か)けむことを懼る。乃ち祇(つつしみ)てい天神・地祇・八神曁(およ)び列皇の神靈を、神祇官に鎮祭し、以て孝敬を申(の)ぶ。庶幾(こひねがは)くは、億兆をして矜式(きょうしき)する所有らしめむ」と宣せられた。

影山正治氏は、「『諸事神武創業ノ始ニ原カム』ことを御眼目とされた明治御維新は、何よりも先づ祭政一致の大道大義を明らかにすることを以てその根本第一義とされた」(『古事記要講』)と論じてゐる。

復古の精神即ち祭政一致の精神は具体的には次のやうな形で現れた。明治四年十二月十二日付の左院(明治初期の立法諮問機関)の『建議』に「一、天照大神の神殿を禁域の中央に造立し、國家の大事は神前に於て議定すべきこと。…文武百官拝任の日は必ず神殿に拝して誓文を奉り、神教を重んじて皇室と共に國民を保安するの誠心を表せしむべ事。」とある。

「祭政一致」の制度を確立して、政治家・官僚はもちろん國民すべてが天神地祇へのかしこみの心を持って政治を行ひ、生活を営ませやうとした。神祇官の再興もその一環であった。

神祇官とは、律令制で、太政官と並ぶ中央最高官庁である。朝廷の祭祀をつかさどり、諸國の官社を総轄した。明治維新政府は、慶応四年(一八六八)閏四月、太政官七官の一として神祇官を再興し、神祇・祭祀をつかさどらしめた。明治四年(一八七一)八月八日にその規模を変じて神祇省と改称した。

「神武創業への回帰」といふ雄大にして宏遠なる精神は、近代日本の出発において、傳統を重んじつつ柔軟にして自由な変革を實現せしめる原基となった。

大原康男氏は、「(神武創業への回帰は・注)『歴史的拘束性』を否定して近代化への推進力となったが、同時にそれは急進的な欧化への歯止めともなっていた。従って復古即革新といふスローガンがいい意味でプラグマチックに活用されたことは否めないが、それも神武天皇の再臨としての明治新帝が担う傳統的な権威へのコンセンサスがあってのことだ。『古代的原理への回帰を下敷きにした近代國家の確立』というユニークなテーゼは非欧米諸國で近代化に成功した唯一の國日本の謎を解く鍵でもある」(『國體論と兵權思想』・「神道学」昭和五十五年五月号所収)と論じてゐる。

明治維新が力強く生き生きとして創造性に富む変革となった原因は「諸事神武創業ノ始ニ原カム」とする精神と「我國未曽有ノ変革」といふ自覚である。しかもこの二つの精神は、明治天皇の大御心として全國民に示された。復古の精神を基本に置きつつ自由大胆なる変革が断行できた。

この自由な発想の「生みの親」は實に、洋学者でもなければお雇ひ外國人でもない。實に國学者・玉松操であった。『岩倉公實記』には次のやうに書かれてゐる。「具視王政復古ノ基礎ヲ玉松操ニ諮問スル事、…具視以謂ク建武中興ノ制度ハ以テ模範トスルニ足ラズト。之ヲ操ニ諮問ス。操曰ク、王政復古ハ務メテ度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニセンコトヲ要ス。故ニ官職制度ヲ建定センニハ当ニ神武帝ノ肇基ニ原キ寰宇ノ統一ヲ図リ、萬機ノ維新ニ従フヲ規準ト為スベシ。」
「度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニ」した大変革が行はれる精神的素地は、實に「神武創業」への回帰といふ復古精神であった。

要するに、明治維新とは、「諸事神武創業の始に原く」=天皇の國家統治・祭政一致・一君萬民のわが國本来の姿=國體の開顕によって「未曽有の変革」を断行することだったのである。

|

より以前の記事一覧