2020年9月14日 (月)

「道ある世」の回復を図られた後鳥羽上皇の大御心は、歴史の底流に脈々と流れ続けた

『承久の變』は、中世以後における「道統の継承」の源流であり淵源であった。『承久の變』以後も、わが國の道統は、祭祀と和歌を根幹として朝廷によって継承された。つまり、後鳥羽院の隠岐遷幸は武力戦では敗北であったが、「道の復興」といふ大事業に於いては、決して敗者ではあらせられなかった。後鳥羽上皇の御志はその後のわが國史に脈々と継承されていった。わが國體は外國の王朝交代・易姓革命とは無縁である。

後鳥羽上皇は、「道」と題されて、

「奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ」
(奥山の草木の茂り合ってゐる下も踏み分けて、本来、道のある世であると、天下の人に知らせやう)

といふ御製を詠ませられた。後鳥羽上皇が御年二十九歳の時、承元二年(一二〇八)五月二十九日『住吉社歌合』で、「山に寄する」と題されて詠まれた御製である。

正しい道が行はれなくなった世を正し、正しい道が存することを天下の民に知らせやうといふ強いご意志を示された御製である。「道ある世」即ち「道義國家」の回復を熱祷された御製である。「ますらをぶり」の御歌であり述志の御製である。

上三句は「道」にかかり、下句はその「道」を天下にあまねく明らかにしたいといふ強い御意思を示されたと拝する。武家政権によって「天皇中心の國體」が隠蔽されてゐる状態を正し、日本のあるべき道を明らかにしたいといふ大御心である。

後鳥羽上皇はこの御製で、単に鎌倉幕府の専横・北条氏による政治権力壟断を嘆かれたのではなく、「道」すなわち上古以来のわが國の道統が隠されてしまった世の中を嘆かれたのである。単に政治的なことをお詠みになったのではなく、傳統的な精神文化・藝術の復興をも願はれたと拝する。

武家の権力は、強い者が弱い者を倒して獲得した私的なものである。これを「覇道」といふ。後鳥羽上皇は、天皇の信仰的権威による國家統治といふ本来のわが國の國柄の回復が「正しき道」「あるべき道」であるとされ、「道の回復」を念願された。繰り返しいふが、『承久の變』は、朝廷が政治権力を武家から奪還するなどといふ低次元のことではなかったのである。

「われこそは新島守よ隠岐の海荒き波風心して吹け」
(自分こそはこれからの新しい島守なのだ。沖の海の荒い波風よ、心して吹け)

後鳥羽上皇が承久三年七月、隠岐に遷幸された時の御製である。この御製に対しても、「権力闘争の敗者のうめき・負け惜しみ」などと評する者がゐる。全く誤りである。これは、「おく山の」の御製と共に、道の継承に対する悲壮な御決意を表白された御製である。簡潔なお言葉と強い調べに、上皇のご決意とご感慨が偲ばれる。一切の「合理主義」「教条」による歴史解釈を超越した雄大にして激烈な御精神である。まさしく大御心である。

「承久の變」の後、幕府勢力が強大となり、一君萬民の日本國體は隠蔽された
が、「道ある世」の回復を図られた後鳥羽上皇の大御心は、歴史の底流に脈々と流れ続けた。まさに、武家専横の代といふ「おどろ」の下にわが國の「道」は一筋につながって行ったのである。

 保田與重郎氏は「日本の國と民と、さうして血統と神の永遠の誓ひの歌は、花鳥の風詠と竝行して、九重の奥で、しかも一等高い自信でつねにくりかへされてきたのである。それは後鳥羽院、順徳院から、龜山上皇、後宇多天皇、伏見天皇、花園天皇とへて、次は後醍醐天皇のもとに南山の憂國悲憤の歌となる。この最も高遠にして永遠な男子の志を展く歌は、維新先憂志士や神道國學者の述志をへて、維新行動志士によって民衆の歌になったのである。」「後鳥羽院が後世の詩人に教へられた事は、その大様の文藝王國の精神であり、一人でそれを支へる詩人の決意である。雄大で永遠な信念や國柄の久しい信仰を反映した大業は、現世の成敗とは無縁に、永久の未來にかけて永續し又開花の日を常にたくはへてゆくものであるといふことも、院が御自身の運命で教へられた最大の詩人の信念の一つである。」(『後鳥羽院』)と論じてゐる。

保田氏の言ふ「未來の花の開花」は、武家専横時代の終焉である「明治維新」であった。

維新とは懸命なる戦ひであるが、単なる破壊や暴力ではない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しいものである。また歓喜に溢れたものでもある。維新變革には悲劇と挫折を伴ふ。而して詩歌は悲願と悲劇と挫折とを謳ひあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。須佐之男命・日本武尊・後鳥羽上皇・後醍醐天皇の御歌を拝すればこの事は明らかである。
國體が隠蔽されたといふ意味において、「承久の變」以後と、戦後日本が相似である。我々は、「奥山のおどろが下も踏み分けて道ある世ぞと人に知らせむ」との、後鳥羽上皇の大御心を體して、現代維新の戦ひを行はなければならない。

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2020年9月 7日 (月)

維新とは、霊の復活である。神代への回帰である。

維新とは、霊の復活である。神代への回帰である。明治維新が神武創業への回帰であった。現代維新は神代の回帰であるべきである。天孫降臨に回帰しなければならない。それは「神勅」の実現であり、神の復活であり、神話の再興である。今即神代の実現であり、高天原を地上への実現である。明治維新は王政復古だった。今日の維新は神政復古である。

神代への回帰こそ最高の理想である。天津日嗣日本天皇の実相顕現であり、神国日本・神の子人間の実相顕現である。天の岩戸開きである。

かかる考へ方は、神がかりであり、情緒的であり、観念的であるとの批判もあらうが、体制変革の根本に神への回帰が無ければ、砂上の楼閣である。いくら国家機構を変革し法律や権力を更新しても、様々な悪しき事象が無くならないことは現実と歴史が証明している。『大日本帝国憲法』といふ國體精神に則った理想的な憲法があっても、維新変革が必要だったのである。法律や制度を整えへるだけでは真の維新は成就しない。

わが国においては、国家変革即ち維新と信仰精神・神話の精神は不離一体である。大化の改新、建武中興、明治維新においては、神国思想・國體信仰がその中核にあった。昭和維新運動も然りである。政治制度の変革の根底に信仰精神が無ければならない。それは、日本伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。

日本国は単なる西洋的権力国家ではない。契約国家でもない。神が生みたまふた神の国である。別の言ひ方をすれば、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体であり祭祀国家である。その眞姿を開顕することが即ち維新である。


昭和維新は反近代・近代の超克の戦ひであった。今日においても、近代の悪弊は正されてゐない。それどころか、近代科学技術文明、近代政治体制が大きな矛盾をきたし、人類をそして日本を苦しめてゐる。今こそ近代の超克が目指されなければならない。

明治以来の欧化主義によって日本の近代を遂げ、国家と国民が物質的経済的の発展したことは事実である。しかし、その弊害たるや今や民族の存亡に関わるところまで来てゐる。国家・家庭が破壊され、自然も破壊され、人間生活も根底から破壊されようとしてゐる。これを打開するのは、日本伝統精神の復興しかない。

近代西洋の科学技術至上主義、営利至上主義、悪しき意味の人間中心主義が、世界を破壊へと導いてゐる。日本は、日本伝統精神によってこの危機を克服し打開して、祖国をそして世界を救済する使命を有するのである。

これは神がかりでもないし、空論でもない。天地共に栄える豊穣の国の実現である。太陽の恵み、地の恵みによって国民すべてが麗しく明るく生きる日の本の国の実現である。

神国日本の祭り主であり、天壌無窮の神勅を継承され実現される天皇への帰一が、尊皇精神であり、忠であり、国家の理想実現である。

愛郷と言ひ、社稷と言ふも、その根底に天地の神々がゐます。科学技術至上・営利至上の日本から、道義国家日本・天地自然の神々が生きたまふ國への回帰は、道義の中心者、天地自然の神々への祭祀者・日本天皇への中心帰一、神聖権威への仰慕の心によって実現する。

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2020年6月23日 (火)

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる

大川周明氏は、「(日本精神・大和魂の最も著しい特徴は・注)綜合の精神、統一の精神、包容の精神であります。己を失はずして他を採り入れ、古きを失はずして新しきを採り入れ、すべての思想文化を具体的なる日本国民の生活の上に、それぞれの意義と価値とを発揮させてきた日本精神は、東洋の綜合的精神の生きた姿である」(『新東洋精神』)と論じてゐる。

今日の求められてゐる日本民族主義は、民族の伝統に回帰することによってその日本民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するといふ理想がなければならない。日本民族精神による世界平和確立への貢献が求められている。

日本建国の精神は世界平和の思想(八絋為宇・万邦共栄の精神)である。決して排他独善の精神ではない。大川氏が言われるように、包容の精神である。日本民族は、外来の諸文化・文明を包容し、包摂し、より高度なものとして来た。日本民族の包容性の中核に強靭なる日本傳統精神がある。


日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りといふ絶対に平和的な人間の生産活動といふのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るといふ信仰精神を回復しなければならない。

近代のいわゆる日本主義運動・維新運動の歴史を回顧すると、宗教の影響が大きいというか、宗教思想が維新運動において極めて大きな位置を占めている。


維新運動は、神道国学の思想が根幹となっていることは自明である。維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本国は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして国を変革し危機を乗り越える。これがわが国の光輝ある歴史である。

今日の日本も深刻な危機的状況にある。しかし、國體信仰を甦らしめることによって、必ずこの危機を打開することか出来ると信じる。神道精神・國體信仰は、決して偏狭にものではないし、独善的ではない。八紘を掩いて宇(いえ)となす精神であり、四海同胞の精神であり、真の世界平和の精神である。この精神に回帰し、世界に闡明することが大切である。

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2020年6月14日 (日)

今日の新型コロナウイルス感染症の流行が、日本の維新変革のきっかけになる

「日本を取りもどす」「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズ・謳い文句で登場した安倍晋三長期政権は本当に日本を取り戻しつつあるでしょうか。外交・憲法など日本を失うような動きを見せているように思えてならないのですが…。

侵害コロナウイルス問題は、自治体と国家との連携の大切さを益々実感させました。この問題は、単に疫病の猖獗でなく、国家安全保障の問題としてとらえることが必要と思います。

安倍長期政権の憲法・国防安保に対する姿勢・実績についてそろそろ総括すべき時に来ているのではないでしょうか。

戦後レジームからの脱却には安倍四選が必須ですが、安倍総理の四選がいいのか、新総裁が選ばれるのがいいのか、判断は難しいところです。しかし、真の真正保守の姿勢を示す政治家は今見当たらないというのが現実であります。日本の自立・日本人の誇りの回復が行われねばなりません。その具体的な現われは、憲法改正・自主憲法の制定であります。

日本国民はこれまで長い間変化をこわがっていきました。しかし国民は新型コロナウィルスの猖獗によって国家が動きだし変革される事を決して恐がらなくなったようにも思えます。国民はしっかり覚醒して来たのでしょうか。

明治維新の直前にも、外國から傳播したコレラの流行により多くの人々が犠牲になった。このことが明治維新の理念たる「攘夷思想」勃興の原因の一つであった。コレラは日本では一九世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかった。

歴史は繰り返すと言ふが、今日の新型コロナウイルス感染症の流行も、日本の変革のきっかけになる。またさうしなければならない、日本民族は、何事も積極的にとらへ、國難を克服し、國家を変革してきた。つまり「ピンチをチャンスに変えた」のである。今回もさうであらねばならない。

日本の習近平来日の延期は、まさに新型コロナウイルス感染症の流行がその原因となった。聖武天皇が、広大無辺の日本傳統信仰によって外来仏教を包摂し一大宗教國家を建設され、内憂外患を撥ね退けられた如く、今日の日本も中華帝主義の日本侵略の危機を撥ね退ける時である。そして対共産支那外交の根本的転換を断行すべきである。今がそのチャンスである。

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2020年6月 8日 (月)

神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます

「旅は生ける学問なり」といふ言葉があります。まさしくその通りです。文献で分かったつもりでも、實際に歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多いのです。

大和の国を旅すると、日本国の生成は、まことに麗しい歴史であることを實感します。神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐます。神国日本といふのは決して嘘ではありません。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切であります。傲慢になったり排他的になってはならないと思ひます。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體であります。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふということであります。

神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐます。神話とは遥か遠い昔の傳説ではありません。今日唯今の生きてゐるのであります。太古の祭りが今日も皇室祭祀に継承されてゐるのです。天皇・皇室のご存在の有り難さをしみじみと感じてをります。

大和地方の多くの神社に参拝し、自然を愛でると、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感します。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神であります。

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐます。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、疫病は猖獗し、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではありません。

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられます。支那や朝鮮に横溢してゐる共産主義独裁思想もその亜流です。これを根本的に是正すべき時に来てゐます。

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へます。

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2020年4月 8日 (水)

今回の国難によって今までの日本を反省し、立て直す機会になることを願います

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、安倍総理は政府の対策本部で7都府県を対象に、法律に基づく「緊急事態宣言」を4月7日に発令し「仕事は原則自宅で行うようにしていただきたい」と訴えた。

私は原稿執筆を仕事としているので、仕事は自宅で行ってゐます。ですから今回の「非常事態」は私の日常生活にそれほど大きな変化を及ぼしません。テレビニュースで繁華街が閑散としている有様を見て、たまにはこういうことがあってもいいのではないかと思っているくらいです。しかし繁華街でお店を営業などして色々な仕事をしている人々にとっては死活問題ですから、そんなことを言うのはあまりに無責任ということになります。

しかし、若者たちがあまりに遊び呆けてゐる姿を見て腹を立てていたというのも事実です。

ともかく、今回の国難によって今までの日本を反省し、立て直す機会になることを願います。わが国は国難を契機として、一大変革を成し遂げてきた歴史を有する国であります。この度もそうであせねばなりません。色々批判全すべきことはあっても、安倍総理と小池都知事には健康に留意して奮闘して頂きたいと思います。

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2020年3月 6日 (金)

新型コロナウイルス感染症の流行を、日本の変革のきっかけにすべし

支那湖北省武漢市で2019年12月に発生が報告された新型コロナウイルス感染症は、世界各地に感染が広がってゐる。そして世界各国で多数の人に感染し、亡くなってゐる。致死率は非常に高い。
おそらくコウモリがこの新型コロナウイルスの起源となったウイルスを保持してゐると考へられてゐる。
新型コロナウイルスが動物由来であるとの確定的な証拠は見つかってゐないが、その遺伝子配列が、コウモリ由来のSARS様コロナウイルスに近いため、コウモリがこの新型コロナウイルスの起源となった可能性が考へられてゐる。そして武漢市民はその蝙蝠を日常的に食用にしてゐる。
新型コロナウィルスは、未知の部分が多い上に、様々な情報が錯綜してゐて、不安を抱へてゐる人も多い。

支那で発生した疫病が日本に入ってきて大きな被害をもたらし多くの人々が犠牲になったのは、今回が初めてではないことは言ふまでもない。古代日本においても、『日本書紀』には、垂仁天皇の御代に疫病がが流行してゐたことが記されてゐる。
『倭名類聚抄』には“疫”の字の意味について「民が皆病むなり」とある。
国史上、最初に我が国で疫病が流行したのに、痘瘡(天然痘)であったといふ。文明・文化・社会の発展と海外との交流拡大による人や文物の往来に伴ひ、それまで疫病が発生しなかった日本にも支那・朝鮮から疫病が伝播した。
コレラは日本では一九世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかった。
わが国においては、朝鮮との交流が増えて、仏教伝来と時を同じくして痘瘡(天然痘)が持ち込まれ、日本最初の疫病大流行となった。
このことに反発し対抗したのが日本伝統信仰たる神道護持の立場に立った物部氏である。そして渡来系氏族で仏教を尊崇した蘇我氏との対立が起こった。その背景には、朝鮮から伝播した疫病である痘瘡(天然痘)の流行があった。
そして天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家日本の眞姿回復の日本最初の大変革たる大化の改新断行の原因の一つとなった。
ただし、わが国は日本の独自性を保ちつつ、仏教を大きく包容摂取したことは、聖武天皇の御事績を拝して明らかである。
明治維新の直前にも、外国から伝播したコレラの流行により多くの人々が犠牲になった。このことが「尊皇攘夷思想」勃興の原因の一つであった。
歴史は繰り返すと言ふが、今日の新型コロナウイルス感染症の流行も、日本の変革のきっかけになると思はれる。またさうしなければならない、日本民族は、何事も積極的にとらへ、国難を克服し、国家を変革してきた。つまり「ピンチをチャンスに変えた」のである。今回もさうであらねばならない。
習近平来日の延期は、まさに新型コロナウイルス感染症の流行がその原因となったのである。対共産支那外交の根本的転換を断行すべきである。

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2020年3月 1日 (日)

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である

「維新」とは、現代の汚れを祓ひ清め、天皇を祭祀主と仰ぐ國の本来の姿を回復して現状を変革することである。大化改新も、建武中興も、明治維新もさういふ精神に基づいて行はれた。日本においては傳統回帰と変革が一つである。だから維新を<復古即革新>といふ。

この場合の「復古」とは時間的過去に逆戻りすることではない。時間を超越した「祖型」「原初」「始原」「始まりの時」「久遠元初」「永遠の今」への回帰である。傳統精神の新たなる発見である。日本の傳統精神を復活せしめて硬直し腐敗した現代を一新することである。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、國民の幸福と國家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本國の道統を原理としなければならない。日本における革新は、古きものの土台の上に立脚する。

東日本大震災など近年多発する自然災害は、自然の脅威が如何に恐ろしく、原発などの科學技術が人間に大きな危害を加へるものであるかが体験された。

欧米の科學技術による人間生活の進歩と発展を至上命題としてきた戦後日本、もっと言へば近代日本への反省が必要である。それには、自然の中に神を見る日本傳統信仰に回帰する以外にない。

体制変革や法律の整備は大切である。しかし、その根本に神への回帰が無ければならない。いくら國家機構を変革し法律を更新しても、様々な悪しき事象が無くなることがないことは現實と歴史が証明してゐる。

『大日本帝國憲法』といふ國體精神に則った理想に近い憲法があっても、昭和の御代において維新変革運動が起った。法律や制度を整へるだけでは真の維新は成就しない。

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である。それは「神勅」の實現であり、神話の再興であり、「今即神代」の實現であり、「高天原を地上へ」の實現である。

わが國においては、國家変革即ち維新と信仰精神・神話の精神は不離一体である。大化の改新、建武中興、明治維新において、神國思想・國體信仰がその中核にあった。現代の維新変革然りである。政治制度の変革の根底に日本傳統信仰が無ければならない。

かかる考へ方は、情緒的であり、観念的であるとの批判もあらう。しかし、今こそ自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神に回帰すべき時である。

現代文明とは、科學の論理によって技術の革新を行ふ文明のことである。現代文明は西洋科學技術文明が主流となってゐる。そしてそれは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

反面、現代文明は今日、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻をもたらし、没落の時期に差しかかってゐる。現代文明の欠陥を是正し、欧米科學技術文明を反省し、新たなる文明を形成しなければならない。

日本傳統信仰は、山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の男子)」であり「日女(ひめ・日の神の女子)」なのである。日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと信じ、人も國土も神が生みたまふたと信じる。

闘争・戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそ、一切の自然や人に神が宿るといふ大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統信仰が大きな役割を果たすと考へる。日本傳統信仰の祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體たる日本國の本姿回復によって現代の危機を救済する大変革即維新が断行されならない。

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2019年12月13日 (金)

維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である

明治二十三年十月三十日に渙発された『教育勅語』にし示された「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の「皇祖」は伊邪那岐命伊邪那美命二神及び天照大神の御事であり、「皇宗」は神武天皇の御事である。「國ヲ肇ムル」とは、國生み及び天孫降臨と神武建國の御事である。「國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されてゐる以上そのやうに拝するのが自然である。しかし、『教育勅語』渙発に際して、さうしたことに否定的な見解を示した人がゐた。

新田均氏はその著において大要次のやうに論じてゐる。「『教育勅語』発布後文部省は解説書を井上哲次郎(注・東京大学教授。哲学者)に依頼した。井上の草案では、勅語の『皇祖』は『天照大御神』、『皇宗』は『神武天皇』であると説明していた。井上(注・井上毅。大日本帝國憲法制定に参画、法制局長官となり、『教育勅語』など詔勅・法令を起草。枢密顧問官・文相などを歴任。)は文句をつけて『皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇』とするよう求めた。彼は、君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」(『「現人神」「國家神道」という幻想』)

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。「勅語には『皇祖皇宗』の道とあり『祖先』の遺風とある。これをもって、皇祖皇宗を初めとして各地の神社の民族祖神の『神靈』の意と解すれば、勅語は神道の強力な一拠点となり得る。明治天皇の勅語としては、かく解するのは決して無理ではない。しかしそれを神宮神社の『神靈』と結びつけることには『神道を國教化するもの』としての強い反抗の底流があった。その反抗の強力なことを知ってをればこそ、井上毅は、とくに厳重な前提条件として尊神とか敬神とか『神靈』を意味する語を絶対に避けねばならないとし、神靈存否の論は、各人の解釈に任せて、勅語そのものの関知せざるところとした。この明治的合理主義官僚が、神社局の思想となる時には、『神靈については当局は関知せず』として、神道独自の精神を放棄して、一切の合法的宗教、哲学との妥協にのみ神経を労して、神宮神社をもって、歴史的偉人の記念堂(モニュメント)と同視して、神道精神を空白化することになる。」(『國家神道とは何だったのか』)

新田氏によると加藤玄智(大正・昭和期の宗教学者)は「わが國明治以来教育界の通弊は、その實証主義、科学萬能主義で在り、それに加ふるに,迎合外交と追随教育の幣は、教育勅語に仰せられた皇祖皇宗を解するに、単なる人間としての祖宗、すなわち人祖人宗に外ならないものとして、これを解し奉ってをった。…」と批判していたといふ。加藤玄智の批判は正しいと思ふ。

「皇祖」を神武天皇のみし、「肇國」を神武建國のみとすることは、『天壌無窮の御神勅』の否定につながる考へ方であり、神話の精神を隠蔽するものである。日本國體は神話を基礎とするのだから、神靈への信を無視し否定した國體精神・國家主義は真の國體精神ではない。

神霊への信仰を排除し神社を歴史的偉人の記念堂のごときものとするのは、明らかに傳統信仰の隠蔽であり、祭祀国家の破壊である。今日の「靖国神社を排除した國立戦没者追悼施設建設」につながる思想である。ここに葦津氏のいふ「明治的合理主義官僚」の日本傳統信仰に対する無理解といふ大きな欠陥が表れてゐる。かうしたことが、祭祀國家・皇道國家日本の本姿を晦ませて日本を覇道化させた原因だと言ひ得る。

村上重良氏らの「國家権力が神道を人民支配のイデオロギーとするためのバイブル・経典が『教育勅語』であった」といふ主張は誤りである。むしろ國家権力による神道精神の隠蔽が行はれたことが近代日本の過誤の根本原因であったと考へる。

神靈への信を忘れ天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同体から遊離した國家至上主義は誤りである。維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である。宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきてゐる一神教の世界では、まったく考へられないことだらうが、神社神道・日本傳統信仰は、佛教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ・柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

日清戦争、日露戦争の勝利は、「脱亜入欧路線」の勝利ではない。日本精神を保持して西洋傳来の武器を使用して戦ひ勝利したのである。まさに「和魂洋才」の勝利だった。ところがその後の日本は、「和魂」を忘却し、上滑りな「洋才國家」の道を歩むこととなった。西郷隆盛の言った「野蛮」を尊しとするやうになった側面がある。「明治維新の精神」は日露戦争勝利の後、国民精神の弛緩によって矮小化されもわが国は西洋覇道の道を歩んだのである。日露戦争の勝利は、それまで西欧列強によって支配されていた有色民族・アジアアフリカ諸國諸民族を感激させ希望を与へた。しかし、日本自身は、勝利に奢り、明治維新の精神を忘却してしまったのである。

明治中期以後、金銭営利を求める風潮が横溢し、明治維新の理想、清潔なる國體精神は混濁し、「文明開化」の悪しき側面即ち欧米追従・強い者勝ちの西洋覇道精神・近代合理主義が世を支配するやうになった。近代日本において、「文明開化」「近代化」のために傳統信仰が晦まされてしまった。

勿論、西欧諸國との拮抗、とりわけ帝國主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。日本が「富國強兵」の道を歩まねばならなかったのは当然であるし、否定することは出来ない。「富國強兵」を實現するために西洋の文物を学び取り入れることも大切であった。しかし、その根底に日本傳統精神・倫理観がしっかりと確立してゐなければならなかった。「和魂洋才」とはかかることを意味したのだと考へる。欧米近代の國家の侵略による植民地化を跳ね除けるために富國強兵政策がとられたのは正しい選択であった。しかし、「脱亜入欧」は誤りであった。

天皇國日本には、「侵略」「排外」などといふ事はあり得ない。傳統信仰を無視した近代化・富國強兵は日本魂を消失したものであるがゆゑに大きな矛盾を抱へ失敗を招来した。だからこそ、神の回復・信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復を目指した昭和維新運動が起こったのである。

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2019年12月 7日 (土)

安倍総理の「日本を取り戻す」と「復古即革新」

「日本を、取り戻す」は、平成二十四年から安倍晋三氏と自由民主党が使った自民党政権公約の題名である。同年に行なわれた自由民主党総裁選挙でこの言葉を使い、安倍氏は勝利した。さらに同年に行なわれた第46回衆議院議員総選挙でも自民党は大勝した。

 

安倍晋三氏は平成二十五年の著書でこの言葉について「これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」と説明した。

 

 

安倍氏が取り戻すべき「日本」とは何時の事であるかというとそれは、「戦後ではない時代であるということになる。この考え方は、私は概ね正しいと思う。戦後日本の混迷から一日も早く脱却することが大切である。

 

しかしながら、戦前の日本が理想であり、戦前回帰が正しいとするわけにはいかない。戦前の日本が理想の國であったのなら、昭和維新運動は起らなかったはずである。やはり吾々は明治維新への回帰そして神武創業へ回帰を目指さねばならない。

 

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。復古即革新である。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

 

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

 

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれた。季節は三月ごろが多かった。

 

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、皇祖神への御崇敬のまことを御自ら捧げられることとなった。

 

そしてこの年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。

 

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

 

古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

 

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