2017年4月22日 (土)

国家的危機と大西郷の精神

 

今日、北朝鮮のミサイル攻撃・共産支那の軍事的圧迫という日本は大きな危機に瀕している。古代日本の大変革たる大化改新は、支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻と言う外圧危機下に行はれた。明治維新もまた西欧列強の外圧の危機下に行われた。

今日の日本のこの国家的危機に際して、一大変革の時期が到来したと考えるべきである。その意味においても、明治維新三傑の筆頭にあげられる大西郷の精神に思いを致すべきと考える。

明治維新の基本精神は「尊皇攘夷」である。天皇を君主と仰ぎ、國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。そしてそれは、吉田松陰先生と並んで明治維新最大の功労者である大西郷の精神でもある。

 

 西郷隆盛は、文久二年(1862年)、薩摩藩主の父・島津久光の逆鱗に触れ、沖永良部島に流された時に『獄中有感(獄中感有り)』と題する次の詩を詠んだ。

 

「朝蒙恩遇夕焚坑   朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる

人生浮沈似晦明   人生の浮沈晦明に似たり

縦不回光葵向日   たとひ光を回らさざるも葵は日に向ふ

若無開運意推誠   もし運開くなきも意は誠を推す

洛陽知己皆為鬼   洛陽の知己皆鬼となり

南嶼俘囚独竊生   南嶼の俘囚独り生を竊む

生死何疑天付与   生死何ぞ疑はん天の付与なるを

願留魂魄護皇城   願はくは魂魄を留めて皇城を護らん」

 

勝海舟ゆかりの洗足池(東京都大田区)に西郷隆盛の遺徳を顕彰する留魂碑が建立されてゐる。その碑には西郷自筆のこの「獄中有感」の詩が刻まれてゐる。

 

この詩は、「朝に主君の恩遇を受けたと思うと夕には生き埋めにされる。人生の浮き沈みは、昼と夜の交代に似ている。葵(ヒマワリ)は太陽が照らなくても、いつも太陽の方を向いている。もし自分の運が開けなくても、誠の心を抱き続けたい。京都の同志たちは皆、国難に殉じている南の島の囚人となった私ひとりが生き恥をさらしている。人間の生死は天から与えられたものであることは疑いない。願うことは死んでも魂は地にとどまって皇城(天皇の御所)を守護したい」といふほどの意である。

 

平泉澄氏はこの詩について「西郷の詩として傳へられるもの百数首、その中に於いて最も重要なるものとして、私は此の詩をあげたい。その一生の間、厄難多く、島流しにあふ事も前後三回に及んだが、運命の浮沈いかにあらうとも、皇城を仰ぐ忠誠の一念はかわるものでは無い」「末句『願はくは魂魄を留めて皇城を護らん』といふに至っては、皇国の道義、発揮せられて余蘊なく、日本男児の真面目、描出して明々白々なるを見る」(『首丘の人大西郷』)と論じてゐる。

 

影山正治氏はこの詩について、「寺田屋事件に於て有馬新七らを失ひ、月照を失ひ、齊彬公を失ひ、東湖を失ひ、その他多くの先輩盟友既に無く、一人南島の獄中に沈思回想して無言の慟哭をなして居るのだ。…『生死何ぞ疑はん天の付与なるを、願はくば魂魄を留めて皇城を護らん』南洲五十年の全生命、凝ってこの一句に結晶してゐる。かくて五十年の生命は悠久無限の大生命に飛躍したのだ」(『大西郷の精神』)と論じてゐる。

 

「願くば魂魄を留めて皇城を護らん」こそ、「大西郷の精神」の根幹・尊皇攘夷精神である。

 

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」なわが国領土に対する侵略策謀・反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されてゐる今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

 

今日の危機的状況を打開するためには、南洲精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

 

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2017年4月20日 (木)

「尊皇攘夷」の精神について

明治維新における「攘夷」とは、かたくなな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ維新の志士たちは時代の趨勢を正しく把握してゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。

 

真の攘夷精神を端的に示してゐるのが土佐藩士・中岡慎太郎(名は道正。薩長二藩の提携に尽力。坂本竜馬とともに刺客に暗殺された)が慶應二年(一八六六)に書いた次の文章である。

 

「それ攘夷と云ふは、皇國の私言にあらず。その止むを得ざるに至っては、宇内(註・世界中)各國、皆これを行ふものなり。米利堅(註・アメリカ)かつて英國の属國なり。時に英吉利(註・イギリス)王、利を貪る日々に多く、米民ますます苦しむ。因って華盛頓(註・ワシントン)なる者、民の辛苦を訴へ、是に於て華盛頓、米地十三邦の民を帥(ひき)ゐ、英人を拒絶し鎖國攘夷を行ふ。此より英米連戦七年英ついに不勝を知りて和を乞ひ、米利堅是に於て英属を免れ独立し、十三地同盟、合衆國と号し一強國となる……皇國当今、和親開港の如きは、幕吏彼の兵威に怖れ、上天子の勅意に違ひ、義理の当否、國の利害を計らず、……往々彼(註・外國)の命ずる所のまま(註・関税権を奪はれたこと)にて、萬民殆ど途端に苦しむ。……是故に萬々願くば天下の士民、……薪に座し胆を嘗むるの思を為し、……吉田松陰の攘夷の志によって海外に渡り、彼の長を取らんと企てしことなどを思ひ、その心を心とし、上下一致学術に励み、兵力を養ひ、早く攘夷の大典を立て、諸港の条約を一新し(註・不平等条約を改正すること)……会稽の恥(註・外國から受けたひどい辱めのこと)を雪(そそ)がざれば、死するとも止まずと決心する…」(『愚論ひそかに知人に示す』)。

 

この文書は、攘夷とは外國の侵略から祖國を守るために戦ふことであり、徳川幕府それを実行できなかったのであり、日本中の人々は上下一致して、耐へ難きを耐へて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと論じてゐる。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるといふのである。これが明治維新をめざした人々の攘夷の精神であった。

 

井伊直弼主導の幕府の開港策は進歩的であり、朝廷などの攘夷の主張は保守的とするのは誤りである。上御一人・孝明天皇も、草莽の士・吉田松陰も、わが國の神代以来の伝統精神を回復し民族の主体性を確立し独立を堅持した上での外交との交際を期したのである。

明治維新前夜は、アメリカなどの西欧列強が徳川幕府の弱体化に付け入って武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫って来た。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力=徳川幕藩體制を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。かうした状況を打開し、王政復古すなはち天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けやうとしたのが明治維新である。

 

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、またその変革の是非を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も第一次世界大戦の影響下に行はれた。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

 

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

 

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

 

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を打ち払ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき

情念である。

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2017年4月17日 (月)

中村武彦氏の先見

中村武彦氏は、その著『私の昭和史』の「まへがき」において、「今日、日本は国際化、グローバル化の怒涛に襲はれてゐるが、終戦の大詔に仰せられたように「世界ノ進運ニ後レザラム」ためには先ず「國體ノ精華ノ発揚」が大前提であらねばならぬ。國體どころか国是も世界戦略もなく、国の主権と主体性を守る気概もない日本の現状は既に亡国と言はねばならぬ」と論じてゐる。

 

この文章は、平成十六年十二月八日の執筆と記されてゐる。大変な先見の明と言はねばならない。

 

アメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く狭間にあって、わが日本は、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦わなければならない。

 

近年、「グローバリズム」ということが喧伝されてきた。しかし、現実社会は「グローバリズム」の市場共有を放棄し武力行使をする国が再び出始める可能性も生じてきている。つまり、再びブロック経済第二次世界大戦が勃発した時に近い状況になりつつある。

 

今、市場原理主義の問題をはじめ、日本も世界も大変な混乱期にある。

 

笹川良一氏は生前、「世界は一家、人類は兄弟」という標語を宣伝していた。そしてその一方で、「戸締り用心、火の用心」という標語の宣伝していた。世界が一家なら戸締りはいらないはずなのだが、そうはいかないというのが現実なのである。『東アジア共同体』『国連中心主義』『友愛の海』などという現実離れした考え方は実に以て危険千万である。

 

日本には、飛鳥・奈良時代にも、グローバリズムの波が押し寄せて来た。しかし、日本はそんな波に呑みこまれることなく、国家体制を整備し、文化的にも経済的にも自立した国家を作り上げた。それが大化改新であり、藤原京・平城京の造営である。そして平安京の造営を造営し、その後平安時代という平和な時代を迎えた。

 

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際会したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代国家を建設した。

 

その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、仏教のみならず外来文化・文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。

 

現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

 

にもかかわらず、残念ながら、国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、内部から破壊されつつある。

 

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるという精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるという精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。

 

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきた。

 

世界各国各民族にはそれぞれ伝統精神・傳統文化を保持している。グローバリズムすなわち市場原理主義と共産主義という二つの覇権思想を否定し、各国各民族の個性・立場・歴史・傳統を尊重し合い、真の意味の平和な世界を実現しなければならない。

 

 

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2017年3月31日 (金)

「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した吉田松陰の辞世歌

安政六年十月二十日、死罪に処せられることを察知した松陰は、故郷の父叔兄に宛てた手紙において、「平生学問浅薄にして至誠天地を感格すること出来申さず、非常の変に立到り申し候。」と書き、

 

「親思ふこころにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん」

 

といふ歌を記した。あふれるばかりの思ひとはりつめた精神が五・七・五・七・七といふ定型に凝縮されてゐる。この松陰の歌こそ、「忠孝一本の國民精神」を命懸けで表白した歌である。

 

徳富蘇峰はこの歌について「死するに際して、第一彼れの念頭に上りし者は、その父母にてありしなり。…かくの如き人にしてかくの如き事を作す、不思議なる忠臣を孝子の門に求るの語、吾人実にその真なるを疑う能ず」(『吉田松陰』)と論じてゐる。

 

そして、吉田松陰は判決が下る直前の安政六年十月二十五日から二十六日にかけて『留魂録』を書きあげた。その冒頭に、

 

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」

という歌を記した。

 

末尾には、

 

「心なることの種々かき置ぬ思のこせることなかりけり」

「呼たしの声まつ外に今の世に待へき事のなかりける哉」

「討れたる吾をあわれと見む人は君をあかめて夷払へよ」

「愚なるわれをも友とめつ人はわかとも友とめてよ人々」

「七たひも生かへりつゝ夷をそ攘はむこゝろ吾忘れめや」

 

といふ辞世の和歌を記した。

 

「討れたる」の歌は、文字通り命を懸けた尊皇攘夷の志の表白である。日本の國家的危機を救ふ根本原理は、実に「君をあかめて夷払へよ」即ち「尊皇攘夷」である。

 

十月二十七日朝、死罪の判決を受けた松陰は、

 

「吾 今 為 國 死 死 不 負 君 親 悠 悠 天 地 事 観 照 在 明 神」(吾今國の為に死す 死して君親に負かず 悠悠たり天地の事 観照明神に在り)

といふ辞世の漢詩を遺した。

 

明治元年(一八六八)九月、明治天皇御東行に供奉した松陰門下の木戸孝允は、その「日記」九月二十一日の項に、「(注・安政六年)六月中旬深川に至り、松陰師の江戸拘引せらるを聞き、歎驚及ばず。同秋続きて江戸に至る。而し間日なく終に幕府の為殺戮を受く。窃に其の首体を奪ひて骨原(こつがはら)に葬る。其の後若林に改装し、又甲子(元治元年)の変(注・第一次長州戦争)、幕の毀つところとなる。此の間の事言ふに忍びざるなり。余、今日生存して未曽有の盛事に遭遇し、鳳輦に扈陪して関左(注・南を向けば東は左であるところから関東のことをいふ)に入り、而して諸同志に見る可からず。悲歎こもごも到る。…往時を追憾し、涕雨の如し」と記した。

 

明治維新断行後、明治天皇に供奉して東京に来た木戸孝允は、吉田松陰が処刑された当時の事、そして第一次長州戦争の時、世田谷若林の長州藩の土地に埋葬された松陰の墓まで毀損されたことを思ひ出してゐるのである。

 

維新の先駆者たる吉田松陰の志は門下生達に強烈に引き継がれ大きく花開き、徳川幕府は打倒され、維新が成就した。現代においても、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切であると考へる。

 

内憂外患交々至るといった状況にある今日こそ、吉田松陰の如く、日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂を奮ひ立たさなければならない時である。

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2017年2月28日 (火)

 「やむにやまれぬ大和魂」

 

 「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 吉田松陰の安政元年、二十五歳の時の歌である。安政年三月、吉田松陰は伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時に、此の歌を詠んだ。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。

 

赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。

 

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々に知られている。溢れるばかりの思いと、はりつめた精神が、五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 

 片岡啓治氏はこの歌について、「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。

 

日本人は、やまと歌という日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露でしてきた。やまと歌は、日本人に神から与えられたまさに最高の文藝形式である。

 

 明治維新において神武建国への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。

 

その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切である。そのためにも志士たちの詠んだ詩歌を学ぶべきであるし、自己自身も歌心をもつべきである。

 

言うまでもなく明治維新は革命ではなかった。革命とは歴史と道統を否定した変革である。近代においては共産主義革命思想がそれである。共産主義革命運動からは美しい日本の歌は決して生まれなかった。

 

 維新とは「復古即革新」である。「復古」とは永遠に新しい命を持つところの「日本の道統」を踏み行うことである。復古即革新は永遠の日本的変革の原理である。そしてそれはやまと歌によって継承されているである。

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2017年2月18日 (土)

日本伝統信仰・祭祀・維新

 わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道というものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきわめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、「神」とか「罪」に関する考え方が全て祭祀という実際の信仰行事と不可分的に生まれてきたように、抽象的な論理や教義ではない。生活そのものの中に伝統信仰が生きているのである。

 

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践なのである。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来ている。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀という現実に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

 その天皇の祭祀の精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇の祭祀において、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行われているのである。

 

 わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

 今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

 日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹である。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰のである。

 

 我が國伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰である。それは我が國伝統信仰が、前述したように、國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

 だからこそ、神道の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

 今日「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=神社神道を排斥する輩こそ排他独善の教義を信ずる者共なのである。

 

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

 今日の我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができる。

 

 維新とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

 國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を今此処に回復することが維新である。

 

 実際、日本民族は、全國各地で毎日のように禊と祭りを行っている。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

 國家を愛することができなくなっているのは、國民の多くが國家に対して誤った見方をしているからである。精神的共同體としての國家と権力機構・経済體制としての國家とをはっきり区別して考えなければならない。権力機構・経済體制としての國家がいかに混乱し破滅的状況にあっとしても、精神的共同體としての國家は永遠に不滅である。

 

 わが國の歴史を顧みても、これまで、壬申の乱、南北朝時代、応仁の乱そしてそれに続く戦國時代、さらに大東亜戦争の敗北というような大混乱・大国難の時代も経験したが、天皇を中心とする精神共同體としての國家・日本は生き続け、國家的・民族的統一を全く喪失する事なく必ず太平の世を回復してきた。

 

 我が國國民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきている。

 

 今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に國家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

 

愛國運動・維新運動とは、現代に危機感を抱いている者たちによって行われる運動である。維新変革は、この國を何とかしなければならないという情熱を持つ者によって行われる。情熱は時として誤れる方向に突っ走ることがある。それを防ぐためには、深い神への祈り、神を祭る心、神の意思通りに生きんとする心を持たなければならない。

 

 明治維新が徳川幕藩體制を打倒して天皇中心の國體を明らかにした変革であった如く、現代における禊祓いとは、今日の日本に巣食っている邪悪な者共を殲滅することである。そして現代における祭りとは、禊祓いの後に天皇國日本の真姿を回復することである。

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