2019年5月17日 (金)

孝明天皇の国家・国民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となった。

吉田松陰は、『講孟箚記巻の一』「梁恵王下篇第八章」において、「(注・漢は)天の命ずる所を以て天の廃する所を討つ。何ぞ放伐を疑はんや。本邦は則ち然らず。天日の嗣、永く天壌無窮なる者にて、この大八洲は、天日の開き給へる所にして、日嗣の永く守り給へる者なり。故に億兆の人、宜しく日嗣と休戚(注・喜びと悲しみ)を同じうして、復た他念あるべからず。若し夫征夷大将軍の類は、天朝の命ずる所にして、其の職に称(かな)ふ者のみ是に居ることを得。故に征夷をして足利氏の曠職の如くならしめば。直ちに是を廃するも可なり」。
(支那に於いては、天の命ずる所に従って天が排する者を討つといふ放伐思想を疑はない。わが國はさうではない。天照大御神の継嗣は天地と共に極まりなく永遠の存在であるので、この日本は天照大御神が開き給へる国で、天照大御神の継嗣が永く護り給へるものである。故に多くの人々は、良く天照大御神の継嗣と喜びも悲しみも共にして、他の思ひを持ってはならない。征夷大将軍の地位は、天朝の命ずるところに従って就任するのであるから、その職責にかなふ者のみその地位にゐることができる。だから、征夷大将軍が足利氏のやうに職務をおろそかにすることがあったならば、ただちにこれを廃しても構はないのである、といふ意)。

 

吉田松陰は、征夷大将軍がその職責を全うし得ず、夷狄を平らげることができなくなり、天皇のご信頼を失った場合はこれを打倒すべきであると論じたのである。この思想が徳川幕府打倒運動の正統性の根拠になる。

 

「天命が去った暴君を討ち倒すのは正義である」といふ支那孟子の「湯武放伐論」を日本的に昇華させ適用したのが松陰である。即ち、天照大御神の子孫(生みの子)であらせられる日本天皇は、神聖なるご存在であり、天そのものであり給ひ、日本の永遠の君主であらせられる。しかし、徳川将軍は覇者であり、征夷の職責を果たせなくなったらこれを討伐してよいといふ思想である。

 

孝明天皇の大御心にこたえ奉る変革が明治維新だった。嘉永六年(一八五三)にペリーが来航した。ペリーの軍艦は、江戸湾に侵入し、大砲をぶっぱなして示威行動を行ひ開国を迫った。かうした事態に対して徳川幕府は、軍事的衝突を避けつつ、全國の力を結集する必要に迫られた。

 

徳川幕府は、鎖国を国是としてゐた。ところが、鎖國といふ徳川氏政権掌握以来の基本政策を外國の脅迫によって修正することは幕府の権威と正統性を失墜する危険があった。そこで、國民的合意を達成するために、ペリーの要求に如何に対応すべきかを、朝廷にお伺ひを立て、各大名そして陪臣(大名の臣)にまで広く諮問した。

 

徳川幕府成立以来の「國政は一切徳川幕府に委任されてゐる。朝廷は政治に口出しはできない」といふ原則を幕府自身が踏み躙らざるを得なくなったのである。これは徳川幕府の自己決定権の喪失であり、徳川幕府が国防の任を全うし得ないことが満天下に明らかになったのである。幕府権威の大きな失墜であり、幕府瓦解の始まりであった。

「御家門筆頭」とされる越前福井藩主・松平慶永ですら、ペリーの開国要求に屈した幕府に対し「征夷大将軍の御重任は御名のみにて、上は天朝御代々、神祖(注・家康のこと)御始御歴世様方え対され、下は諸大名万民迄えも、御信義地を払い云々」(『安政元年二月三十日、阿部正弘宛建白書』)と批判した。

 

征夷大将軍の「征夷」とは、「夷を征討する」の意である。「夷」とは、第一義的には外敵のことである。征夷大将軍の最も重要な使命・責任を果たせくなっゐることがペリー来航によって明らかとなったのである。まさに徳川幕府の正統性が根底から崩れ始めたのである。

 

徳富蘇峰氏は「(注・ペリー来航は)日本国民に向かって、一面外国の勢力のはなはだ偉大なるを教え、一面徳川幕府の無能・無力なるを教え、かくのごとくにして徳川幕府恃むに足らず、恐るるに足らず、したがって信ずるに足らざることの不言の教訓を、実物を以て示した…これがために二百五十年間全く冬眠状態であった京都の眠りを覚まし、たとえて言えば従来神殿に鎮座ましましたるものが、現つ神の本面目に立ち還り、ここにはじめて京都における朝廷自身が、実際の政治に関与し給う端緒を開き来った。」(『明治三傑』)と論じてゐる。徳富蘇峰氏の「現つ神の本面目に立ち還り」といふ指摘は重要である。

 

孝明天皇は、文久三年(一八六三)三月十一日、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖(かもみおや)神社行幸攘夷祈願を行はせられた。これには、征夷大将軍・徳川家茂および在京中の諸大名が供奉した。四月十一日には、石清水社に行幸あらせられ、攘夷の叡願があった。さらに二十一日には、賀茂蔡を行はしめ、外患一掃を祈願された。国難にあたり、特に神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の国家御統治の根幹である。孝明天皇の国家・国民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となった。

 

 

|

2019年5月16日 (木)

孝明天皇の震怒・御深憂が、尊皇討幕運動を活発化させた


安政五年(一八五八)一月、幕府は朝廷に『日米修好通商条約』批准の勅許を奏請したが、朝廷は外國の勢威を恐れた屈辱的な開國をお許しにならなかった。同年六月、大老就任直後の井伊直弼は、孝明天皇の勅許を得ずして、アメリカと『日米修好通商条約』を調印し、無断調印の責任を、堀田正睦、松平忠固に着せ、両名を閣外に追放した。

第百二十一代孝明天皇は条約締結に震怒あそばされた。『岩倉公實記』の「米國条約調印ニ付天皇御逆鱗ノ事」によると、孝明天皇は、「時勢のここに至るは御自らの徳の及ばざるところなりと深く幕府の専断を嘆かせたまひ、六月二十八日、関白・九条尚忠などに下された宸筆の『勅書』において、「関東の処置は神州の瑕瑾と為り、皇祖列聖に対せられ、御分疎(注・細かく分けて説明する。弁解する)の辞なきを以て、天位を遜がれ給ふ可き旨を親諭し給ふ」たといふ。

そしてその「勅書」には、「所詮条約許容儀者如何致候共神州瑕瑾、天下之危急之基。(御名)ニ於イテハ何國迄モ許容難致候。然ルニ昨日、武傳披露之書状見候ニ、誠ニ以存外之次第、實ニ悲痛抔申居候位之事ニ而無之、言語ニ尽シ難キ次第ニ候。…此一大事之折柄愚昧(御名)憗ヰニ帝位ニ居り、治世候事、所詮微力ニ及バザル事。亦此儘帝位ニ居リ、聖跡ヲ穢シ候モ、實ニ恐懼候間、誠以歎ケ敷事ニ候得共、英明之人ニ帝位ヲ譲リ度候。」と仰せになり、条約締結は神國日本を傷付けることであり、このやうな一大事が起こったのでは皇位についてゐることはできないと、譲位の意志を示された。天皇御自らが譲位のご意志を示されるといふことは、實に以てあり得べからざることにて、それだけ、孝明天皇の御憂ひは深かったのである。

さらに、孝明天皇は八月五日の『御沙汰書』に於いて「条約調印為済候由、届け棄て同様に申し越し候事、如何の所置に候哉。厳重に申せば違勅、實意にて申せば不信の至りには無之哉。…朝廷の議論不同心の事を乍承知、七月七日、魯西(ロシア)も墨夷の振合にて条約取極候由、同十四日、英吉(イギリス)も同断、追々仏蘭(フランス)も同断の旨、届棄ニ申越候。右の次第を捨置候はゞ、朝威相立候事哉。如何に当時政務委任管于関東の時乍も、天下國家の危急に拘る大患を、其儘致置候ては、如前文奉対神宮已下、如何可有之哉。」と幕府への強い不信感を表明せられてゐる。

孝明天皇は、

「あぢきなやまたあぢきなや蘆原のたのむにかひなき武蔵野の原」

との御製を詠ませられた。(御詠年月未詳)

大橋訥庵(江戸後期の儒学者。文久二年、坂下門外の変の思想的指導者として捕縛され、拷問により死去)は、「幕府果して能く天朝を崇敬し、征夷の大任を顧みて、蛮夷の凌辱を受ることなく、神州に瑕瑾を付けず、然ればそれより大功と云ふ者なきゆえ、天朝にて眷顧を加へて優遇し玉ふべき、固より論なし。然るに後世の幕府のさまは、余りに勢威の盛大なるより、天朝を物の数とも思はず、恭遜の道を失ひ尽して、悖慢の所行甚だ多し。且や近年に至るに及んで故なく夷蛮に腰を屈して、國の醜辱を世界に顕し、開闢以来になき瑕瑾を神州に付けたれば、其罪細少のことと云んや。」(『文久元年九月政権恢復秘策』・徳川幕府が、天皇・朝廷を崇敬し征夷大将軍の使命を正しく果たしてゐれば、外敵の凌辱を受けることなく、神國日本を傷つけることもない。さうであれば大変な功績である。しかし今の幕府はあまりに威勢が大きいので、朝廷をものの数とも思わず、朝廷に対して慎み深くする道を失ひ、驕慢の所業が甚だ多い。しかも近年理由もなく外敵に屈して、國が辱めを受けることを世界に示し、日本國始まって以来無かったやうな傷を神國日本に付けた。その罪は小さいなどと言ふことはできない、といふ意)と論じた。

これは、徳川幕府が、天皇・朝廷を軽んじて来たのに、肝心要の外敵を征伐するといふ「征夷大将軍」の使命を果たすことができないといふ、まさに徳川幕府最大の罪を追及した激烈な文章である。明治維新といふ尊皇倒幕・尊皇攘夷の一大変革の基礎理論を主張してゐる。

梁川星厳(江戸末期の漢詩人。梅田雲濱・吉田松陰などと交流があったため、「安政の大獄」で逮捕されるはずであったが、「大獄」の直前に逝去)は、徳川幕府がペリーの恫喝に恐怖し、何ら為すところなく、安政五年(一八五八)に『日米修好通商条約』を調印したことに憤り、次の詩を詠んだ。

「紀事
當年の乃祖(だいそ)氣憑陵(ひょうりょう)、
風雲を叱咤し地を卷きて興る。
今日能はず外釁(がいきん)を除くこと、
征夷の二字は是れ虚稱。」
(その昔、なんじ(徳川氏)の祖先(家康)の意気は、勢いを盛んにして、人を凌(しの)いでゐた。大きな声で命令を下し、風雲を得て、地を巻き上げて、勢いよく興った。今日(こんにち、)外敵を駆除することができなければ、徳川氏の官職である征夷大将軍の「征夷」の二字は、偽りの呼称呼び方になる、といふ意)

徳富蘇峰氏はこの詩を引用して、「(ペリー来航は・注)一面外國の勢力のはなはだ偉大なるを教え、一面徳川幕府の無能・無力なるを教え、かくのごとくにして徳川幕府は恃むに足らず、恐るるに足らず、したがって信ずるには足らざることの不言の教訓を、實物をもって示した…(天皇は・注)現つ神の本面目に立ち還りここにはじめて京都における朝廷自身が、實際の政治に関与し給う端緒を開き来った。…政権の本源は朝廷にあることを朝廷自身はもとより、さらに一般國民にも漸次これを會得せしめ」(『明治三傑』)た、と論じでゐる。

もともと戦國時代の武士の覇権争ひの勝者・覇者であった徳川氏は、その力を喪失してしまへば、國の支配者たるの地位も失ふのである。今日の外患の危機も、日本國民が、天皇中心帰一の國體精神を正しく體得し、強い愛國心を持つことによって打開できると確信する。

|

2019年5月 8日 (水)

今こそ日本國民全体が愛國心・大和魂を発揮して國難に当たるべき時である


 『男らしさの美學』という文章で三島由紀夫氏は「私は日本で革命を成功させる一番いい方法は、日本の政界、財界、文化界のおえら方、いはゆる支配勢力を全員数珠つなぎにして、全裸で、銀座を歩かせることだ。…その醜悪さに民衆は、自分たちを支配してゐた権力の實態を直ちに知るだらう。この世を支配してゐるのは美ではない。といふことを端的に知るだらう。美の革命が即座に起るだらう。男が服装において、肉體の線を出せば出すだけ、權力乃至地位の威嚴と抽象性が弱まる」と論じた。

 三島由紀夫氏はまた、『行動學入門』で、「武器といふ一定の目的を持った道具を使って、人間がその武器と同一化して、目的に向かってまっしぐらに突進することを、行動といふものの定義と考へていいと思ふ。なぜならわれわれの行動は目的なしにはあり得ず、われわれの肉體的行動は男である以上戰ひなしにはあり得ないからである」と書いている。
三島氏にとって行動・行為とは武器を持った戦いであったのである。

「三島由紀夫氏辞世

益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」

直訳すると、「日本男児が腰に差してゐる太刀の刀が鞘に合はないために持ち歩くと音がすることに幾年も耐えてきたが今日初霜が降りた」といふ意である。

しかし、「鞘鳴り」とは単に音がするといふ物理的な意味ではない。その刀剣に宿ってゐる靈がさやさやと発動するといふ意味である。刀が靈力を発揮したくて発動するのを何年間も耐えたといふ意味である。

「楯の会」決起の際の『檄文』にあるところの「我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒する者を待つわけには行かぬ」といふ叫びに呼応する歌なのである。

高崎正秀氏は、「今も刀剣を幾ふりと数へるのは、鞘に納めてさやさやと鎮魂した処にさやの名が起った様に、やはり魂触りした前代呪儀の名残を示すものであった」(『神剣考』)と論じてゐる。

日本語のサ行は、ものごとの「新鮮さ・神聖さ」をあらはす語彙が多く含まれる。早乙女・さっぱり・爽やか・栄える・榊・ささ(酒のこと)・幸・颯爽と、などである。

戸田義雄氏は、これらの言葉について「『早乙女』の『さ』は接頭語で、元来稲を指す言葉でした。神聖な稲が『さ』と発音されました。…日本人のことばの生活が、何を一番貴いと実感して来たか、を物語ってくれている。…稻、榊、酒・早乙女、はみな穀霊の豊穣を祈る神道祭祀と農耕儀礼に関係ある。全体が命の蘇った神聖、新鮮で栄を約束する感覚の『サ行音』で発音されている」(『日本人の感性』)と論じてゐる。

「鞘鳴り」とは、刀剣に籠ったさやさやと魂が発動して罪穢れを祓ひ清めんとする神聖なる音なのである。日本刀に気高さがあり、気品があり、神秘性があるのは、霊が籠ってゐるからである。

剣や玉など呪器に籠る霊力を振はせることによって、人間などの力を復活させることを「魂触り」と言ふ。御神輿が練り歩くのも、神体等を揺り動かすことにより神霊を活性化させる意義があるそれと。同じく剣を振る事によって本来活力を失った魂を再生し活力を再生させる。鎮魂は、ミタマシズメ・ミタマフリと言ひ、枯渇した人間の魂を振り起し、復活させ、衰微した魂の生命力を再生し復活させる行事である。

「刀は武士の魂」として大切にされて来たばかりでなく、神社の御神体即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。

そして昭和五十四年五月二十五日大東神社にて割腹した影山正治氏は

「身一つをみづ玉串とささげまつり御代を祈らむみたまらとともに」

という辞世をのこしている。

愛国尊皇の心を張りつめた精神で歌ふ時、やはり日本伝統の文学形式即ち和歌で表現されることが多かった。漢詩にもすぐれたものがあるが、和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

今日の日本はまさしく亡国の危機に瀕している。今こそ、その危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が祖国への愛・至尊への恋闕の思い歌ひあげる和歌の復興なのである。今こそ日本國民全体が愛國心・大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。

|

2019年4月29日 (月)

日本の國家変革は「天皇中心の日本國體の真姿顕現」が基本である

皇極天皇四年(六四五)六月、中大兄皇子によって、蘇我蝦夷・入鹿父子が誅殺された。中大兄皇子は、舒明天皇を御父とし、皇極天皇を御母とした皇子であらせられる。皇子は、幼い頃から、蘇我氏の専横に憤りを感じておられたと承る。山背大兄皇子一族が蘇我氏によって滅ぼされる事件を見て、何としても蘇我氏を打倒しない限り、天皇中心の國體を護ることは出来ないし、日本の正しい國づくりはできないと判断され、蘇我氏誅滅を決意されたのである。

まず、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を誅殺し、ついで蘇我蝦夷を攻め滅ぼした。これはまさに劇的な大事件であった。

蘇我氏の専横は、崇峻天皇の弑逆、山背大兄皇子一族の殲滅など、その極に達していた。大化改新は、蘇我氏という悪逆無道の逆族を滅ぼして、天皇中心の國體を明らかにすることがその根本目的であった。それは聖徳太子の『十七条憲法』の精神の継承でもあり、実現でもあった。 

それは、大化二年の中大兄皇子の奏言(天皇に申し上げる言葉)に「天に双の日無く、國に二の王無し。是の故に天下を兼併して萬民を使ひたまふべきは、唯天皇のみ」(『日本書紀』)と示されていることによって明らかである。

一方、対外関係も、支那大陸において中央集権的な唐が成立し、その対外進出政策が顕著になり、朝鮮半島において新羅勢力が勃興し、わが國は極めて危険な立場に立つことになった。まさに内憂外患交々来るといった状況だったのである。それは幕末・明治維新期と相似である。そればかりでなく、今日唯今の日本の状況とも酷似している。

大化改新は日本建國以来最初の大きな國家変革である。そして大化改新以来今日まで日本の國家変革は、承久の変即ち後鳥羽上皇による北条氏討伐の御行動も、建武中興も、明治維新も、そして昭和維新運動も、「天皇中心の國體の明徴化」言い換えれば「天壌無窮の御神勅への回帰」「神武建國への回帰」がその基本であった。

皇極天皇四年六月十九日、天皇及び皇太子(中大兄皇子)は、大槻樹下に群臣を集めて、次のように天神地祇に誓われた。そして、年号を建てて、大化元年とした。

「天覆ひ、地載せて、帝道(きみのみち)は唯一なり。しかるに末代澆薄(すえのようすら)ぎて、君臣序(ついで)を失へり。皇天、手を我に仮(か)し、暴逆を誅し殄(う)てり。……自今以後、君に弐(ふたつ)の政(まつりごと)無く、臣は朝(みかど)に弐(ふたごころ)あること無し。」

これはまさに聖徳太子『憲法十七条』の「詔を承けては必ず謹め、君をば天とし、臣をば則ち地とす」「國に二君なく、民に両の主無し。率土の兆民、王を以て主と為す。所任(よさせ)る官司は皆是れ王の臣たり」の御精神を受け継いだものである。

大化改新以前は、各豪族(氏上)もまた「きみ」(君)であり、天皇はその氏上を統合する「おおきみ」(大王)であらせられたのであるが、天下に君たるお方は天皇ただお一方であるという、神代以来の一君萬民の國體のあるべき姿を明らかにせられたのである。

さらに重要なのは、大化改新において、「公地公民制」が採用されたことである。諸氏族の私領私民に対して氏上が君たることの否定であり、私領私民の否定である。これは、一君萬民の國體が明らかにするための当然の変革である。

これらの変革は、明治維新における徳川幕府打倒・廃藩置県と相似である。大化改新後、時間が経過して武家社會になると、この大化改新の精神が忘却され隠蔽されて、各地の武将・大名を「君」と仰ぐようになるのである。

大化改新はただ聖徳太子の御精神を継承し実現しただけではなく、神代以来の天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体としての日本國の本姿を顕現せしめた変革であった。

|

2019年4月18日 (木)

国家的危機と大西郷の精神


西郷隆盛が鹿児島に帰ってから作った私学校とは、賞典学校と銃隊学校、砲隊学校そして開墾社と私学校分校を含めた総称で、その綱領は、「一、道を同し義相相協(かな)うを以て暗(ひそか)に聚合(しゅうごう)せり。然らば此理を研窮し、道義においては一身を顧みず必ず踏行うべき事。一、王(きみ)を尊び民を憐むは学問の本旨、然らば此天理を極め人民の義務に臨みては一向(ひたすら)難に当り一同の義を立つべき事。」の二つであった。西郷精神の指標ともいうべきもので、人間にとって大事な学問や教育は、つまるところこの二つのためにあるというのが西郷の思想であった。王を尊び民を憐む心をつきつめて行けば、この時期、反政府的にならざるを得なかったのである。

 

今日、日本は内治外交共に大きな危機に瀕している。古代日本の大変革たる大化改新は、支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻と言う外圧危機下に行はれた。明治維新もまた西欧列強の外圧の危機下に行われた。

 

今日の日本のこの国家的危機に際して、一大変革の時期が到来したと考えるべきである。その意味においても、明治維新三傑の筆頭にあげられる大西郷の精神に思いを致すべきと考える。

 

明治維新の基本精神は「尊皇攘夷」である。天皇を君主と仰ぎ、國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。そしてそれは、吉田松陰先生と並んで明治維新最大の功労者である大西郷の精神でもある。

西郷隆盛は、文久二年(1862年)、薩摩藩主の父・島津久光の逆鱗に触れ、沖永良部島に流された時に『獄中有感(獄中感有り)』と題する次の詩を詠んだ。

「朝蒙恩遇夕焚坑   朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる
人生浮沈似晦明   人生の浮沈晦明に似たり
縦不回光葵向日   たとひ光を回らさざるも葵は日に向ふ
若無開運意推誠   もし運開くなきも意は誠を推す
洛陽知己皆為鬼   洛陽の知己皆鬼となり
南嶼俘囚独竊生   南嶼の俘囚独り生を竊む
生死何疑天付与   生死何ぞ疑はん天の付与なるを
願留魂魄護皇城   願はくは魂魄を留めて皇城を護らん」

勝海舟ゆかりの洗足池(東京都大田区)に西郷隆盛の遺徳を顕彰する留魂碑が建立されてゐる。その碑には西郷自筆のこの「獄中有感」の詩が刻まれてゐる。

この詩は、「朝に主君の恩遇を受けたと思うと夕には生き埋めにされる。人生の浮き沈みは、昼と夜の交代に似ている。葵(ヒマワリ)は太陽が照らなくても、いつも太陽の方を向いている。もし自分の運が開けなくても、誠の心を抱き続けたい。京都の同志たちは皆、国難に殉じている南の島の囚人となった私ひとりが生き恥をさらしている。人間の生死は天から与えられたものであることは疑いない。願うことは死んでも魂は地にとどまって皇城(天皇の御所)を守護したい」といふほどの意である。

平泉澄氏はこの詩について「西郷の詩として傳へられるもの百数首、その中に於いて最も重要なるものとして、私は此の詩をあげたい。その一生の間、厄難多く、島流しにあふ事も前後三回に及んだが、運命の浮沈いかにあらうとも、皇城を仰ぐ忠誠の一念はかわるものでは無い」「末句『願はくは魂魄を留めて皇城を護らん』といふに至っては、皇国の道義、発揮せられて余蘊なく、日本男児の真面目、描出して明々白々なるを見る」(『首丘の人大西郷』)と論じてゐる。

影山正治氏はこの詩について、「寺田屋事件に於て有馬新七らを失ひ、月照を失ひ、齊彬公を失ひ、東湖を失ひ、その他多くの先輩盟友既に無く、一人南島の獄中に沈思回想して無言の慟哭をなして居るのだ。…『生死何ぞ疑はん天の付与なるを、願はくば魂魄を留めて皇城を護らん』南洲五十年の全生命、凝ってこの一句に結晶してゐる。かくて五十年の生命は悠久無限の大生命に飛躍したのだ」(『大西郷の精神』)と論じてゐる。

「願くば魂魄を留めて皇城を護らん」こそ、「大西郷の精神」の根幹・尊皇攘夷精神である。

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」なわが国領土に対する侵略策謀・反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されてゐる今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

今日の危機的状況を打開するためには、南洲精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち維新を断行しなければならないと信ずる。

 

 

|

2019年3月22日 (金)

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

|

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

|

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

|

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

|

維新運動の今日的使命

 祖国日本は益々混迷を深めている。 国際的には、民族紛争・宗教紛争・領土紛争が各地でまき起こり、わが国も北朝鮮・共産中国の軍事的脅威・アメリカの経済支配の脅威にさらされている。

 国内的には、保守と革新の区別がつかなくなり、体制側の中に、日本国民としての自覚と誇りを喪失して、皇室を軽んじ、靖国神社解体の狂奔し、元号を用いず、現行憲法の三原理を肯定し、自虐史観に汚染された反日本・非日本勢力が浸透している。とりわけ、皇室への尊崇の念の希薄化は最大の問題である。 

 また戦後日本・現代の日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに憲法があることは言うまでもない。憲法は国家の基本法であり、「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている。

 現行憲法は「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 銃剣の圧力のもとに無理やり押し付けられた憲法すなわちアメリカという戦勝国側の作文通りの憲法であるからこういうことが書かれているのである。
 
これは、戦勝国の押付けである現行憲法の三原理である「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を堅持するということである。しかも大東亜戦争を侵略戦争であると断定した上でそういうことをしようというのである。

屈辱的なこの詫び証文を肯定した上で、現行憲法の一部の条文を変えるするということは誤りであれ神の改憲にはならない。

もしもそうした憲法改正が実現した場合、大東亜戦争はわが国の侵略であったという歴史認識の上に立ち、「三原理」を基本とした憲法が、わが国の自主的な意志によって制定されることとなるのである。つまり、日本人自身の手による亡国憲法が制定されるということである。

 憲法改正或いは自主憲法の制定は国家緊急の課題である。しかし、現行憲法の最大の欠陥は、憲法三原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正にはならない。
 
小生は憲法の専門家ではないから極めて杜撰な論述なると思うが、憲法三原理は根本的に見直されなくてはならないと信じる。
 
まず「主権在民」「国民主権」という原則からしておかしい。わが国は三千年前に建国された天皇を中心とする信仰共同体国家である。欧米のような契約国家でもなければ権力国家でもない。ゆえに、君主と国民が対立関係にある国家ではない。従って「主権」(この定義も色々あるようだが)が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体わが国の国柄とは相容れない。

 現行憲法の「平和主義」というのは前述した通り「わが国は大東亜戦争という侵略戦争をしたので、これからもなにをするか分からない言わばオウム真理教のような国ですから、アメリカやソ連・中国といった公正と信義のある国に生存も安全すべて任せる」というエセ平和主義である。

 「基本的人権の尊重」も字面は正しいし、文句のつけようもないが、基本的人権の土台に、正しい道義心すなわち言ってみれば「基本的人徳」がなければならない。ところが戦後の風潮を見れば明らかなように、日本国民の多くは、誤れる「個人主義」「平等主義」「欲望民主主義」に陥り、「自分さえよければそれでいい」「他人のこと、いわんか国家社会なんてどうなってもいい」という考え方に支配されている。これが今日の道義頽廃の最大原因である。

 ともかく、現行憲法の三原理が今日の日本の混迷の元凶なのである。これを基本的に見直さなければ真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。戦勝国の押付けであり日本国を混迷に導いた現行占領憲法の無効を確認し、日本国家の道統に基づいた自主憲法を制定しない限り、日本国は真の独立国家たり得ないのである。また、大東亜戦争はわが国の一方的な侵略戦争ではなかったという正しい歴史観に立脚した憲法でなければならない。

 戦後長い間、わが国内は保守勢力と共産革命勢力戦いの歴史であった。そしてその時代は敵と味方の判別が実に分かりやすかった。ところが最近は、保守といわれる陣営の中に、戦後の誤れる「平和と民主主義思想」「人権思想」にマインドコントロールされ、「東京裁判史観」「自虐史観」を肯定し、その歴史認識の上に立って国家の将来を決定しようとする者が存在するようになっている。彼らの「保守」とは、「戦後体制保守」であり「日本國體の保守」ではないとしか思えない。

 愛国運動・維新運動とは、民族の道統に立脚した革新運動である。保守と革新の判別がつきにくくなっていると言われるが、真の保守とは天皇中心の國體の保守である。真の革新とは戦後体制の打倒・真正日本の回復である。
 
國體を破壊し戦後体制を保守せんとするあらゆる勢力を駆逐し、皇室の尊厳性を冒・する朝日新聞をはじめとした現代の朝敵を撃ち平らげなければならない。それが維新運動・愛国運動の今日的使命である。

|

より以前の記事一覧