2017年6月25日 (日)

『占領憲法』の「前文」及び第九条を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく「改悪」である

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであろうと戦争は行わない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」といふ意味であることは明白だ。この第九条がある限り誰が見ても陸海空軍である自衛隊は「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されてゐるのに事実上「陸海空軍」があるというふのは全くの欺瞞である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上軍として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならない。つまり國防に関してはわが國は法治國家ではないのである。こんな憲法は根底から否定されなければならない。

 

正々堂々「国家防衛」「国軍保持」を憲法に規定すべきである。自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである

 

自民党の「改憲草案」には「第9条の2(国防軍)1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と書かれ、『国防軍』が明記されてゐる。

 

今回の安倍総理のメッセージ・発言は現在の政治情勢下において一日も早く「憲法」に「国家防衛の實力組織」を明文化しようとの意思に基づく已むを得ざる選択であったらう。また「加憲」を主張する公明党に賛成してもらいたいための発言であらう。安倍総理の本心は「自主憲法制定」であると信ずる。であればこそ、正道を堂々と歩んで欲しいのである。

 

安倍総理の『現行憲法』の第九条をそのままにして、「自衛隊を「憲法」に明記すると言ふ主張は、一日も早く「自衛隊違憲論」の根拠をなくすための窮余の一策なのだらうが、このやうな欺瞞的「加憲」を行ふべきではない。

 

安倍氏は「政治は現実であり、結果を出していくことが求められる。党の改正草案にこだわるべきではない」と主張しているが、「結果を出していく」ことにこだわるあまり、「原則」を全くなおざりにするのは間違いであり、将来に大きな禍根を残す。

『占領憲法』の「前文」及び第九条を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく、「改悪」である。

『占領憲法』に如何に亡国的なことが書かれてゐても、「現行憲法は戦勝国が無理矢野押しつけたものであり、正統なる憲法ではない」として全面的に否定する事かできた。しかし、詫び証文である「前文」そして第九条の第一項第二項をそのままにして『憲法改正』を行ふと、この「詫び証文」及び「亡国条項」がアメリカの押しつけではなく、「国民の意志」になる。これこそまさに亡国への道である。「憲法守って國滅ぶ」といふ言葉がまさに現実のものとなるのである。

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2017年6月19日 (月)

「現行占領憲法」の「平和と民主主義」は、『敗者の思想』『弱者の思想』である

明治維新の後、攘夷が開国となり、鹿鳴館時代を現出した。それは攘夷のための開国であった。即ちわが国は西欧列強の侵略を排除するために西洋科学技術・近代資本主義を取り入れて近代化を遂げた。日清・日露戦争に勝利し、大清帝国・ロシア帝国によるわが国に対する圧迫と属国化の危機を排除した。

 

しかしその後、西太平洋での覇権確立を目論んだアメリカは、わが国に対する敵対姿勢を明確にして、外交的・軍事的に圧迫し続けた。そして遂に大東亜戦争に突入し、わが国は敗北した。

 

大東亜戦争後、わが国は戦時中の「鬼畜米英」から大転換して「アメリカ万歳」となり、『憧れのハワイ航路』が大ヒットする国になった。変はり身が早い。これが良いことなのか。日本の柔軟性・強靭性なのか。ともかく戦後はアメリカの事実上の従属国になった。そして、「繁栄」と「平和」を謳歌して来た。

 

しかし、いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがない。その上、共産支那・北朝鮮による軍事的脅威がまます高まっている。「天は自ら助くる者を助く」といふ言葉がある。祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。

 

『元寇』の一節を記す。

 

「多々良浜辺の戎夷(えみし) /そは何 蒙古勢 /傲慢無礼もの /倶(とも)に天を戴かず/いでや進みて忠義に /鍛えし我が腕(かいな) /ここぞ国のため /日本刀を試しみん」

 

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある通り、日本が今日の国難を乗り切るためには、防衛力の強化は不可欠である。対米自立・日米対等関係の樹立は、核武装と同義語である。

 

「現行占領憲法」の「平和と民主主義」は、『敗者の思想』『弱者の思想』である。國のために戦うという『強者の思想』を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たないという思想である。また、國家の独立・平和・歴史・傳統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する『弱者の思想』である。また、「戦勝国には一切お手向い致しません」という『敗者の思想』である。

 

 

共産支那は、わが国を支配下に置こうと思っているのだ。共産支那に対する警戒を怠ってはならない。というよりも、共産支那からの軍事攻撃を未然に防止するために、日本国は核武装しなければならない。国防体制強化に反対する民進・社民・共産は、事実上共産支那の手先になっているのだ。

 

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきだ。そのためには日本国民の意識変革が必要である。

 

『現行占領憲法』の「前文」に書かれているいわゆる「平和主義」は現実無視の危険千万な思想であることが明白である。また前述したように『敗者の思想』『弱者の思想』である。

 

国防の基本に祖国に対する誇りがなければならない。東京裁判史観・自虐史観・大東亜戦争侵略論によるマインドコントロール・呪縛から脱却しなければならない。

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2017年6月15日 (木)

『現行憲法』の「基本的人権の尊重」について

 絶対君主が人民の権利を奪い抑圧した西洋の歴史から生まれた天賦人権思想である。「現行憲法」の「基本的人権の尊重」の「基本的人権」とは、人間として生活するために当然に認められなければならない基本的権利のことであるという。その権利は國家に先立って人間が生まれながらにして持っているとされる。これを「天賦人権」という。そして「基本的人権」は、普遍性・不可侵性・永久性・固有性という根本的性格を持つものとされる。ゆえに、基本的人権はなにものにも優先されなければならないとされる。

 

 こうした思想は、絶対君主が人民の権利を奪い抑圧した西洋の歴史から生まれた「國家と個人は対立する権力機構である」という概念に基づく。これは國家を信仰共同体として把握する日本の國體精神とは無縁の思想である。

 

 近代西洋憲法は、人民と國家を対立するものととらえ、さらに國家権力の干渉を排除し、個人の自由を確保することを目指している。たしかに権力によって個人の自由や権利が理不尽に抑圧され蹂躙されることはあってはならない。戦前の我が國においてこれに近いことが行われたことも事実である。しかし、日本國の國家観・君民一体の國體を西洋の絶対君主支配下の体制と同様なものとしてこれを排除し否定してはならない。

 

 ところが、『現行占領憲法』の立法意思は、まさに戦前の日本というよりも建國以来の日本の伝統を否定するところにあった。これは、「戦前の我が國は國民の自由が侵害され基本的人権が蹂躙された暗黒國家であった」という思想に基づいている。そして國家と個人とは相対立するものという思想に基づいて「基本的人権の尊重」を<憲法三原理>の一つとしたのである。

 

 人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人をの尊厳性を奪うことになるのは、今日の我が國の現象を見れば明らかである。今日の日本の教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

 

 また「個人の権利」のみを強調する『現行憲法』の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつある。

 

 人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」は、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。したがって共同体としての國家を敵視したり、國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

 

 國民意識の喪失とは歴史と伝統の喪失と同意義である。國民とは國の伝統・歴史・形・共通の規範を認識している。伝統・歴史・形・共通の規範の中で人権・自由が真に生かされる。伝統・歴史・形・共通の規範を欠いた裸の人間の権利とは欲望である。

 

 我が國は「基本的人権の尊重」という美名のもとに、自己の欲望と他者の欲望とのぶつかり合いの世の中となりつつある。人々は、快と不快だけで生き、目に見える至近の距離の世界のみで生きるようになる。「欲望こそ全て」と考える。そして教育荒廃・家庭崩壊が起こり、悪平等が花開き、凶悪犯罪が増加している。

 

 社會全体の品格、國家の品格の中に自分があり得るということ、個と共同体國家との連結を一切見ることができない。日本列島に住む人々は、動物の群れと同じにようになり、國家も人も滅び去ることとなるのである。                   

 

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2017年6月14日 (水)

國防が「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべし

 

 『現行占領憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは明らかに「軍備撤廃」「非武装」宣言である。

 

 この『前文』の精神に基づいて、『現行占領憲法』第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、現行憲法が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 

 「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していない、などという議論は、苦しい読み方であり、曲解である。

 

 『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

 しかし、現実にわが國に存在する自衛隊を見て、「戦争をするための組織でなく、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行う組織ではなく、陸海空軍ではなく、戦力も交戦権も持っていない」などと思っている人はいない。

 

 自衛隊は立派な陸海空軍によって構成される國際紛争を解決することを目的とした軍であり、武力の行使又は威嚇を行う組織であり、戦力も交戦権も保持している。

 

 そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。『現行占領憲法』が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。

 

 吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』のまともな解釈である。

 

 したがって、『現行憲法』がある限り、自衛隊は軍として認知されず、何時までも「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は真の法治國家ではない。

 

國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

         

 冷戦終結後、わが國を取り巻く軍事・安保情勢はかえって厳しくなった。またわが國は主権國家としてアジア及び世界の安全保障問題・平和維持に主体的に取り組み、積極的な貢献すべきである。

 

國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという状況を一刻も早く是正することが必要である。國軍を正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に規定した憲法にすべきである。

 

 また、國の独立と安全を守ること即ち國防は重要な國家機能である。多くの國では憲法で國民の國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。

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2017年6月 7日 (水)

ベルジャーエフの「平和論」と「現行占領憲法」

ニコライ・ベルジャーエフ(注・ロシアの哲学者。マルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。十月革命後にパリに亡命。1874-1948)は次のように論じている。

 

「戦争を大なる悪、大なる罪として弾劾せざるをえないにしても、別な極端に堕して断然抽象的な平和主義に懸命になることはいましめなければならない。われわれの世界が現存しているこの悪の状態においては、戦争はより小なる罪禍である得る。帝国主義的征服戦争、圧制戦争が絶対的に悪いにしても、解放戦争、自衛戦争はたんに義認されるのみでなく神聖とみなされる。…忍耐は一美徳ではある。しかし忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうるわけである。…戦争の完全放棄は、人間社会の精神状況の変化と社会秩序の改革の結果としてのみ可能である」(『神と人間の実存的弁証法』)

 

この主張は、『現行占領憲法』の「似非平和主義」への批判になっていると思う。

 

『現行占領憲法』前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章こそ「極端に堕した断然抽象的な平和主義」である。

 

今日の国際社会は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」などということはない。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して」いる。

 

現実を無視した『現行占領憲法』の「似非平和主義」はまさにベルジャーエフの云う通り、「忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうる」のである。『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である。

 

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」などということとは全く逆のこと、即ち「戦争を好み、専制と隷従、圧迫と偏狭」を自国民そして隣国に強い、「帝国主義的征服戦争、圧制戦争」を行う危険がある共産支那・北朝鮮を「近隣国家」に持つわが国は、義認されるのみでなく神聖とみなされる自衛戦争を行う権利があるである。わが国の憲法にはそのことが正しく書かれていなければならない。

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2017年5月21日 (日)

『現行占領憲法』は根底から否定されなければならない

 

『現行占領憲法』には次のように書かれている。

 

「第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 

第一項も現実無視の亡国条文である。国家防衛即ち自衛戦争は、最重要な「国権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「国際紛争」である。これを阻止するために「武力による威嚇又は武力の行使」を行うのは国家として当然の権利だ。第一項も亡国条文であることは明白だ。

 

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という第二項は、国家の存立を根底から否定する条文である。自衛隊は誰が見ても、陸海空軍である。しかし、この条文がある限り「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されているのに事実上「陸海空軍」があるというのは全くの欺瞞である。

 

安倍総理は、『現行憲法』の第九条をそのままにして、「自衛隊を憲法」に明記すると言う。これは、公明党の「加権」という主張を考慮したのと、一日も早く「自衛隊違憲論」の根拠をなくすための窮余の一策なのだろうが、このような欺瞞的「加憲」を行うべきではない。

 

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであろうと戦争は行わない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」という意味であることは明白だ。こんな憲法は根底から否定されなければならない。正々堂々「国家防衛」「国軍保持」を憲法に規定すべきである。

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2017年5月16日 (火)

「憲法守って國滅ぶ」という言葉が現実のものとな.る危険

 安倍晋三総理大臣は五月三日に開かれた「第19回公開憲法フォーラム」に寄せたメッセージで「私は、少なくとも、私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきである、と考えます。もちろん、九条の平和主義の理念については、未来に向けて、しっかりと、堅持していかなければなりません。そこで、『9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方、これは、国民的な議論に値するのだろう、と思います。」と語った。

 

さらに安倍総理は「読売新聞」五月三日号に掲載されたインタビューで、自民党が平成二十四年に作成した「憲法草案」では、第九条で「国防軍」の保持を明記していることについて、「党の目指すべき改正はあの通りだが、政治は現実であり、結果を出していくことが求められる。党の改正草案にこだわるべきではない」とし、第一項の「戦争放棄」、第二項の「戦力の不保持」を残しつつ、「自衛隊の存在を記述するということを議論してもらいたい」と語った。

 

では、「憲法前文」も「現行占領憲法」のままということであろう。これでは話にならない。今回の安倍総理の発言は、「加憲」を主張する公明党に賛成してもらいたいための発言であろう。

 

自民党の「改憲草案」には「第9条の2(国防軍)

1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と書かれ、『国防軍』が明記されている。

安倍氏は「政治は現実であり、結果を出していくことが求められる。党の改正草案にこだわるべきではない」と主張しているが、「結果を出していく」ことにこだわるあまり、「原則」を全くなおざりにするのは間違いであり、将来に大きな禍根を残す。

 

「占領憲法」の「前文」を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく、「改悪」である。

 

「占領憲法」の「前文」に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは全く持ち合わせていない。力がない国は侵略され、滅ぼされる。

 

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などということは、全くの空想・夢物語であるばかりでなく、きわめて危険な思想である。

 

わが国固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、わが国固有の領土竹島を六十年以上にわたって占拠している韓国、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し、台湾を併呑せんとし、尖閣諸島・沖縄などのわが国固有の領土・領海を浸略せんとしている共産支那、核開発を行いミサイル発射を繰り返しわが国国民を拉致している北朝鮮のどこに「公正と信義」があるのか。

 

さらに『現行憲法』「前文」に「日本国民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 

これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、支那様など戦勝国の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い国であるわが国とわが国民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という「詫び証文」である。

 

つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

 

『現占領行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。これを一刻も早く否定しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。

 

『現行占領憲法』にいかに間違ったこと亡国的なことが書かれていても、この「憲法」なるものは、戦勝国が無理やり押しつけたものであり、正統なる憲法ではないとして、全面的に否定することができた。

 

しかし、詫び証文である「前文」をそのままにして『憲法改正』を行うと、この「詫び証文」がアメリカの押しつけではなく、国民の意志ということになる。これこそまさに亡国への道である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉がまさに現実のものとなるのである。

 

今回の安倍総理のメッセージ・発言は現在の政治情勢化において一日も早く「憲法」に「国家防衛の實力組織」を明文化しようとの意思に基づく已むを得ざる選択であったろう。安倍氏の本心は「自主憲法制定」であると信ずる。であればこそ、正道を堂々と歩んで欲しいのである。

 

 

 

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2017年5月13日 (土)

自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである

本日開催された「アジア問題懇話会」において、金田秀昭氏(岡崎研究所理事・元海将)は、安倍総理の憲法に関する提言について、「公明党。日本維新の会の二つの政党に乗ってくれる話にしたいので『加憲』という方向を見せたのであろうが、第九条の第一項と第二項をそのままにして第三項に『自衛隊』の存在書き加えることはできるはずがない。石破さんが怒っているように、自民党の改憲草案には『国防軍』が明記されている。妙な形で筋道が立てられてしまったと思う」と語られた。全く同感ある。

 

 昨日も書いたが、「占領憲法」の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。

 

有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という観念が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。

 

 「占領憲法」の『前文』の精神に基づいて、第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、「現行憲法」が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 

「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していない、などという議論は、曲解である。

 

 『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

 しかし、現実にわが國に存在する自衛隊は事実としては、立派な陸海空軍によって構成される國軍であり、武力の行使又は威嚇を行う組織であり、戦力も交戦権の保持している。

 

 そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関わらず、厳然たる事実である。そしてそのことは、国民大多数の合意になっている。「現行占領憲法」が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。

 

 吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

 したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上軍として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は法治國家ではない。

 

「現行憲法」を守り続けるということはこの欺瞞的状況を変えないということである。

 

平和の前提は、國家の独立・民族の自立である。國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

 

 冷戦終結後、わが國を取り巻く軍事・安保情勢はかえって厳しくなってきている。また國際社会はわが國が主権國家として安全保障問題・平和維持に主体的に取り組み、積極的な貢献することを期待している。國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという欺瞞的にして危険な状況を一刻も早く是正することが必要である。

 

「現行憲法」の無効を確認して、自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである。

 

 また、國の独立と安全を守ること即ち國防は、最も重要な國家機能である。多くの國では憲法で國民と國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。

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「現行占領憲法」廃止あるいは無効確認を断行する状況を作り上げるべきである

 戦後日本は大東亜戦争の敗北による「反戦意識」、そしてそれに伴う戦勝国の日本弱体化政策により、“戦争否定”というよりも“国家防衛否定”の思想が未だに蔓延している。そして「亡国憲法」がある限り、平和は守られるという馬鹿馬鹿しい幻想を抱いている人が未だに存在する。国家防衛体制の構築・増強を「悪」であるとして否定している人が多い。国家の独立と尊厳を守る気概を悪と断じているのである。

 

 「現行占領憲法」は諸悪の根源であり、これが存在する限り戦後が終わらないばかりでなく、わが国は国家存立の基盤である自主防衛体制の確立すら正しく実現することはできない。

 

 「現行憲法」は、占領憲法といわれているように終戦直後に戦勝国の恫喝によって押し付けられた。従って、大東亜戦争は日本の一方的侵略であったという自虐史観の論理で汚染されている。その結果、日本国は、内には祖国への誇りを喪失し、外には国際社会から軽侮と不信を受け続けてきた。

 

 「現行憲法」は、再び日本がアメリカなどの戦勝国に歯向かう国にならないよう仕組まれたものである。つまり、「現行憲法」の条文を守れば守るほど、日本国家の国防・政治・教育・社会・家庭が混乱するようになっているのだ。

 

 今日は、民族と民族・国家と国家がエゴをむき出しにした対立・闘争の時代である。わが国は最早、国家意志を曖昧にしたまま、世界の傍観者であり続けることはできなくなった。

 

 「現行憲法」が如何に亡国憲法であるかはその「前文」を見れば明らかである。「現行占領憲法」前文には、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれているが、これほど現実を無視した文章はない。

 

今日、公正と信義などという抽象概念で世界は動いていない。良くも悪くも「武力による解決」が行われている。

 

北方領土を奪取して返さないロシア・竹島を奪取して返さない韓国・わが国国民を拉致しスパイ船を派遣して破壊活動を行いミサイルをわが国上空に飛ばしている北朝鮮・尖閣沖縄を侵略しようとしている共産中国という「公正」も「信義」も全く持ち合わせていない国に取り囲まれているのが日本なのだ。

 

 こうした状況下に置かれたわが国が、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意」するだけで、一切の軍事力を放棄していたら、わが国はそうした周辺諸国の餌食になるだけである。現実にわが国は戦七十年以上、周辺諸国に馬鹿にされ領土を奪われたままではないか。

 

 さらに「前文」には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と書かれている。これは大東亜戦争のことを言っているのだが、あの戦いは政府のみの行為ではない。一億国民が火の玉となって戦ったアジア解放の聖戦であったのだ。

 

 「現行憲法」前文の主旨は、日本国及び日本国政府は悪者であり、他国は公正と信義のある国であるということを前提にしているのだ。こんな詫び証文のような「前文」を持つ憲法を、戦争が終わってから七十年以上も経過している今日、後生大事に抱えているのは文字通り国恥である。

 

他の国の国民は全て「公正と信義」なるものを持っているのだから、日本にはわが国を侵略しようなどという「公正と信義に反する敵国」はあり得ないということになる。そういう嘘八百・虚構が「平和主義」などと言われているのだ。

 

 この「前文」の精神に基づいて、憲法「本文」を読めば、「第九条」は、「日本国による防衛戦争」も否定していると考えるのが妥当だ。

 

「九条第一項」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」は、不戦条約をそのまま文章にしたもので日本のみではない。しかし、「第二項」の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。交戦権はこれを認めない」というのは日本以外に無い条項である。

 

「前項の目的」とは「国際紛争を解決する手段」であり「自衛」ではないというのは苦しい読み方であり曲解と言っていい。

 

「現行憲法」は占領の基本文書であり、前述した二度と再びわが国が戦勝国に立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も与えられなかったのである。

 

 要するに、「現行占領憲法」には国防が定められていないのである。このことが日本という国家を駄目にしたのである。国防は国家の生命だ。こんな亡国的文書が「憲法」としてまかり通っている限り、戦後は終わらず、日本は独立国家ではない状況が続くのである。

 

「現行憲法」は、「戦勝国の戦勝国による戦勝国のための憲法」なのである。「現行占領憲法」は占領行政基本法であるから占領終了後廃止すべきであった。「現行占領憲法」は、日本が主権を持っていなかった時期に戦勝国によって押しつけられたのだから、主権を回復した時に廃止すべきだった。

      

 致命的な欠陥を持つ「現行占領憲法」に対して、「改正すべきである」という論議が起こり、各方面から憲法改正案が出されている。しかし、一条一条を取り上げて改正を論じたり、その是非をあげつらっているだけでは、何の解決にもならない。

 

 部分改正論は、一時一局の問題の解決がその目的とされており、日本の真の自主独立、戦後の敗北思想からの解放を目的としたものではない。

 

「現行占領憲法」はその根本において日本弱体化のための憲法なのである。これを全面的に廃止するか効力を失わしめて、正統憲法に回帰しなければならない。

 

 国防という国家存立の基本が、いわゆる「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されなければならない。

        

 ともかくも、戦後日本が被った化けの皮を剥がすことが大事である。戦勝国から押し戴いた憲法を廃止しなければ主権独立はない。日本国が真の独立国家となるためには「現行憲法」の廃止・無効確認が断行されるべきである。条文の改正では駄目である。総理大臣は宰相として「現行占領憲法」廃止あるいは無効確認を断行する状況を作り上げるべきである。

 

 

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2017年5月 8日 (月)

占領憲法の否定と防衛体制の強化

 

國のために戦うという『強者の思想』を否定し、戦争は放棄する、軍隊は持たない、という思想は『弱者の思想』である。また、國家の独立・平和・歴史・傳統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する『弱者の思想』である。

 

『現行占領憲法』体制下の魂の腐敗と國家の欺瞞は、「軍國主義國家」であったという戦前の日本にはあり得なかったような、「人命軽視」という言葉すら空しくなる残虐なる殺人が日常茶飯事になった社會を現出させた。

 

韓国や共産支那は、わが国を「和解しえない敵国」と思っているとしか考えられない。韓国や共産支那に対する警戒を怠ってはならない。

 

共産支那からの軍事攻撃を未然に防止するために、日本国は核武装しなければならない。それこそがまさに『核抑止力』である。国防体制の強化に反対する勢力即ち亡国政党・偏向メディアは、共産支那の手先になっているのだ。

 

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきと思う。そのためには日本国民の意識変革が必要である。

 

『現行占領憲法』の「前文」に書かれているいわゆる「平和主義」は現実無視の危険千万な思想であることは明白である。

 

国防の基本に祖国に対する誇りがなければならない。東京裁判史観・自虐史観・大東亜戦争侵略論によるマインドコントロール・呪縛から脱却しなければならない。

 

『現行占領憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

 

『現行占領憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は、武力・戦力・國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。

 

つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

 

わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し台湾及び尖閣諸島などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那、竹島を占拠し条約を踏み躙る韓国、わが国民を拉致し核開発行いミサイル発射を繰り返す北朝鮮のどこに「公正と信義」という立派なものがあるというのか。

 

『現占領行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。これを一刻も早く否定しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。

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