2017年2月 8日 (水)

『占領憲法』の無効を確認し、『大日本帝国憲法』を復元改正するのが正しい

 日本國體と相容れない西洋憲法思想 憲法学の定説では、「西洋成文憲法は権力に対する制限規範である。権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』という原則=『法は王権に優越する』という法治主義を確立した」とされる。

 

日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。神聖なる権威による統治である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。

 

また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどという事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

「現行占領憲法」は、その法思想・理念もアメリカの押し付けであるから、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に貫かれている。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。「現行憲法」は、わが國體とは相容れない。

 

日本国は、神話の世界から「天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体」たる傳統を保持している。そうした日本の国柄・國體を西洋の国家思想で定義する事は誤りである。

 

「現行占領憲法」は、アメリカ憲法の模倣である。欧米の契約思想・権力国家観に基づいている。日本國體に基づいた憲法ではない。 わが国には本来、権力国家ではないし、主権が国民にある とか君主にあるというような「二元論」は無かった。

 

「現行憲法」の原理を否定しなければ「現行占領憲法」の改正にも ならなければ 自主憲法制定にもならない。法理論上、「『大日本帝国憲法』を復元し、改正すべきところは改正すのが正しいと思う。日本国と全く国の成り立ち・国柄・歴史が異なる西洋の憲法思想をわが國の憲法思想にしてはならない。そしてそういう日本国の國體と歴史に合致しない法思想で成り立っている「現行占領憲法」の無効を一刻も早く確認すべきである。

 

『大日本帝国憲法』第七十四条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とある。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

 

今日、『皇室典範』改正論議が喧しい。また、天皇の御譲位について国会で議論されようとしている。本来、『皇室典範』は勅定であり、決して議会や政府が容喙してはならないのである。また、天皇の御地位に関しても議会や政府が容喙してはならない。

 

井上毅は、「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」と述べてゐる。

 

今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」といふ状況になってゐる。

 

戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇位繼承といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。 

         

また『大日本帝国憲法』第七十五条には「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とある。『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したとされる。

 

しかし、当時、戦勝国アメリカにより「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(「ポツダム受諾に関する八月十日付日本国政府申入」に対する米英ソ支の政府を代表したバーンズ米国務長官の回答)とされてゐた。英語の原文は、「The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.」である。「subject to」をわが國外務省は「制限の下」と訳したが、正しくは「隷属下」である。

 

つまり、「摂政」が置かれるどころか、天皇陛下の統治の大権が外国の軍人・マッカーサーの隷属下に置かれていたのである。このような状況下において行われた『憲法改正』は、違法であり、無効である。つまり、『現行占領憲法』は法的に全く正統性が無いのである。ゆえに、無効が確認され、『大日本帝国憲法』が復元するというのが法理論的に全く正しいと考える。

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2017年2月 7日 (火)

現行憲法の欠陥と正統憲法の回復

「現行憲法」の最大の欠陥はその原理にある。憲法を論ずるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」だということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で一二一五年に結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』という「法治主義」を確立したとされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。

 

つまり、専制君主と人民との間の不信感に発した人権保障の約束証文が西洋成文憲法の起源なのである。したがって西洋成文憲法には「君主と人民とは相対立する関係、支配被支配の関係にある」という思想が根底にある。そこから「国民主権論」が生まれてきた。この「国民主権論」が戦後アメリカ占領軍によって日本に押し付けられたのである。

 

「現行占領憲法」が占領軍の押し付けであるというのは、制定過程が占領軍の強圧によるものというだけではなく、基本理念たる「国民主権論」「主権在民思想」が占領軍の押し付けだということである。

 

しかるに、政権党たる自民党およびわが國の代表的新聞である読売新聞の「憲法改正試案」は、現行占領憲法の原理を踏襲している。「自民党憲法草案」も「読売新聞憲法改正試案」も、「現行占領憲法」の「国民主権論」を踏襲し、「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」としている。しかも自民党改憲試案の前文には、「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」と書かれている。アメリカの押し付けである現行憲法の基本原理を、日本国民の意思と決意に基づき新憲法の原理とするというのである。

 

「主権在民」「国民主権論」は、「マグナ・カルタ」を起源とする西洋成文憲法思想に依拠する原理である。故にわが國の国柄とは絶対に相容れない。日本天皇は、権力を濫用して国民を苦しめるジョン王などの西洋専制君主とは全くその本質を異にする。日本國は君民一体の國柄である。「主権」が「君主にあるのか、国民にあるのか」などということを成文憲法に規定すること自体、わが国の国柄を破壊し隠蔽する事となる。

 

「國家の意思を最終的に決定する権限」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐわない。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」=主権を奪い合ったという歴史は全くない。天皇を中心とした信仰共同體である日本國は権力支配組織ではない。だからわが國には西洋的主権論はあてはまらない。

 

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは大きな誤りである。「國民主権論」が憲法に書かれている事がわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。戦後日本の不安定の根本原因は実にここにある。

 

日本国は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。

 

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。

 

日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れない。「国民主権論」払拭し、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を正しく成文規定した憲法の回復しなければならない。

 

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2017年2月 5日 (日)

国民主権論が國體を破壊している

 

天皇・皇室に関する「憲法問題」の最大の問題点は、「日本國憲法の制度は、國民→國會→内閣→天皇という序列で構成されている」などという憲法解釈が可能なところにある。「主権者國民の代表であり國権の最高機関を構成する國會議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」という考え方が無意識的に政治家たちに植え付けられているのである。だから「天皇は政府・國會の意思どおりに動かれるべきだ」という不逞思想を平然と語る政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く政治家が現れるのである。さらに言えば、天皇陛下ご臨席を仰いだ国会の開会式に、多くの衆参両院議員が欠席するという非礼極まりない事態が発生するのである。

 

日本國民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、國民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えている。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にあると考える。

 

「國會は國権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する國民の総意に基くのであるから、國民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるという解釈が成り立つ。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されている内閣は、天皇よりも「上」の存在だという悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。國會議員に「國権の最高機関の一員であり主権の存する國民に選ばれた國會議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などという意識が生まれる。これが、権力者・国民が皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、権力者は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

「諸悪の因は『現行占領憲法』」と言はれて久しいが、最近の事象は、この言葉の正しさをますます証明している。とりわけ「國民主権論」は、日本國の國體・傳統を根底から突き崩す思想である。一刻も早く否定されはならない。

 

『現行占領憲法』に日本國體と絶対に相容れない「国民主権論」が根幹になっていることは、単なる「日本弱体化」などではない。「天皇御譲位」「皇室典範改定論議」を見ていて日本國體破壊の導火線であったとあらためて思い知った。また『皇室典範』が『憲法』の下位法となり、衆参両院で改定できるようになったことは、重大なる國體破壊である。

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2017年1月13日 (金)

現行憲法の重大欠陥 

            

 

 天皇は日本國の永続性および日本國民統合の中心であり、日本文化の継承と発展の中心であらせられる。日本國はいかなる時代にあっても、天皇及び皇室が國家・國民の統合と連帯の基礎であり続けてきた。この歴史的連続性を憲法に正しく規定されていることが大切である。

 

 西洋法思想・欧米國家観に貫かれた「現行占領憲法」では、前文には「主権が國民にあることを宣言し」とあり、第一条には「主権の存する日本國民の総意に基づく」とある。これを根拠にして日本は君主制の國ではないとする意見がある。こういう議論が起こるというところに「現行憲法」の重大欠陥があるのである。

 

日本とは國の成り立ち・歴史伝統が全く異なる欧米の國家論に基づく「國民主權論」「契約國家論」は、日本國體とは絶対に相容れないのであるから、「現行憲法」の天皇条項はわが國體精神とは根本的に相容れない。

 

 西洋諸國の外國の國家観・君主観・権力論を基本にした「現行占領憲法」は、祭祀國家・信仰共同体日本の國柄の精神を正しく表現していない。というよりも、「現行憲法」は、天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「個人の敵」であるという考え方に立って制定された憲法である。そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「國民主権論」が採用されている

 

 「現行憲法」第一条の、「(天皇の地位は注)主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定は、日本天皇の御本質を正しく表現していない。主權在民論・契約國家思想・權力國家思想に要約される西洋法思想に基づく規定である。西洋法思想における「主權」とは「國家の意思を最終的に決定する權力」であるとされている(伊藤正己著『注釈憲法』)。その西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定していることが最大の問題である。

 

 「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを、論議すること自體日本の傳統的な考え方・國體觀とは相容れない。この一点を以てしても、「現行占領憲法」はまさしく日本の傳統を破壊する憲法である。

 

天皇が日本國の君主であらせられるという國體法(不文法)は日本國建國以来不変である。天皇は日本の長い歴史を通じて「統治者」「祭祀主」として君臨されていたということである。

 

 また、信仰共同體・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇を、日本國民は神聖なる御存在と仰いできた。これを<現御神信仰>と言う。この信仰は、日本伝統信仰即ち日本國體精神の中核である。わが國日本及び日本國民が神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのであるから、大日本帝國憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しいのである。

 

 日本国の憲法においては、天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定されてゐなければならない。

 

 憲法に、日本の國柄に反し天皇の御本質を正しく表現していない天皇条項があるから、日本は安定を欠いているのである。そして、今上陛下の「御譲位」の御心についての様々な動きに顕著に表われているような、政治権力による「皇室軽視」「天皇の御心の無視」という事態が発生するのである。

 

「現行憲法」によるわが國の建國以来の麗しい國柄の隠蔽が、國家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いている。國家存立の根本である「天皇中心の日本國體」を正しく顕現するためには、真正憲法への回帰が大切である。

 

 國家の基本法典たる憲法は必ず、その國民の、立國以来の歴史の中に培われてきた國柄に立脚しなければならない。わが日本においては、肇国以来の「天皇中心の國體」に立脚しなければならない。

 

 日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている「現行憲法」が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。「現行占領憲法」は、日本を永久の弱體化しておくために戦勝國=アメリカ占領軍が日本に押しつけた憲法である。「現行占領憲法」は一刻も早く無効を確認し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

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