2018年10月19日 (金)

日本伝統信仰と一神教の自然観の違ひ

 

 

イスラム教徒にとって理想郷とは、川が流れ泉があり緑のある所である。「エデンの園」とはさういふ所である。『コーラン』には次のやうに記されてゐる。「神は、男の信者にも女の信者にも、下を河川が流れ、そこに永遠にとどまるべき楽園と、エデンの園の中のよき住まいとを約束したもうたのである」「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」「神を懼るる人々に供えらるるは安き場所、緑したたる果樹園とたわわに實る葡萄園」。

 

泉が涌き、川が流れ、緑滴る楽園、それはまさに我々の生活する「緑の日本列島」である。日本のやうな気候風土の國こそ、砂漠の宗教にとって「楽園」であり「理想郷」なのである。曽野綾子さんは、『人間の目利き』という対談集でイラクの小学校の女性の先生たちを日本に招かれて、伊勢神宮にご案内されたことを話された。彼女たちが伊勢神宮の外宮で柏手を打って拝礼をしたこと、そして五十鈴川のほとりを散策して感激したことなどを紹介されている。

 

曽野綾子さんは、『伝統と革新』第二十三号(平成二十八年五月発行)におけるインタビューで小生の質問に答えて、「(伊勢神宮は)尽きることのない清流、まわりに緑したたる森がある。『アラブの大義』のために聖戦に参加して、死んだら行けるとアルカイダたちが言っている天国というものを、彼女たちはこの世で見たのだと思います」「私は、じつは伊勢神宮が大好きなんです。伊勢神宮は、ずっと人々に優しかったですよね。末社が一二五社もおありになって、当時の人々がお酒を造ったり、塩を造ったりすることを支えていらっしゃったのです、つまり物心両面で社会の人々を支えていらっしゃったわけです。本当にすばらしい。伊勢神宮は日本の誇りだと思います。日本は本当にいい国だと私は思います。ですから、日本に住んでいて日本の悪口を言う人には、どうぞ、好きな所に移住して下さい、といつも言っています(笑い)」と語られた。

 

穏やかな風土の緑豊かな地に生まれた多神教の神は、自然と一体であり自然の中に宿る。不毛な風土の砂漠地帯に生まれた一神教の神は、自然と対立しこれを支配し征服する神である。日本伝統信仰は、自然の「神のいのち」として拝ろがむ。ところが、キリスト教の自然観は、人間は神の命令により自然を征服し支配し改造する権利を与へられてゐるといふ信仰なので、庭造りにしても、自然を改造して美しさを作り出す。

 

『創世記』には、「神いひ給ひけるは、『我等に象(かたど)りて、我等の像(かたち)のごとくに我等人を造り、之に海の魚と、空の鳥と、家畜と全地と地に匍ふ處の諸(すべ)ての昆蟲(はふむし)を治めしめんと』…『生めよ殖えよ、地に滿てよ、地を從がはせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、…』」と記されてゐる。

 

この神の命令により、神の形の如く造られた人間は、自然を征服し支配し改造し操作し利用する権利が与へられたとされる。これが西洋における自然改造の手段としての科学技術や機械の発展の精神的基礎であると言へる。近代科学技術はこのような自然観を基礎として発達し、それによって人間は便利な生活を享受したが、反面、そのために自然を破壊しつつある。

 

神への信仰があるうちは、神が創造した自然を、人間の利己的な目的のみのために利用し改造し害することは、神に対する「罪」であるといふ慎みの心があった。しかし、その天地創造の神を否定する人が多くなった近代においては、さうした心も消え失せ、人間の「幸福」のために自然を改造し破壊してきたのである。それが現代における自然破壊・公害問題の根本原因であると考へる。

一方、日本の精神伝統は、自然崇拝、自然を神として拝む心がその基本にある。これが日本の精神史の不滅の基礎である。

 

この自然崇拝の心(人と自然との一体観)といふ日本の精神伝統とは異なる一神教は日本に根付くことはなかった。

 

これまでの世界は、西洋文明・文化が主流となって歴史を形成してきた。たしかに西洋の文化・文明は偉大であり、それによって世界が進歩し発展してきた。しかし、現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐる。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、人類は不幸への道を歩んでゐる。

 

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられる。これを根本的に是正すべき時に来てゐる。

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自然の生命を尊び、自然と人との一体感を実現する行事である「祭祀」が自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する

自然の生命を尊び、自然と人との一体感を実現する行事である「祭祀」が自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する。

 

日本列島はモンスーン地帯に属する温暖湿潤な自然風土であり、年間降雨量も多く、森が豊かに生育した。森では木の実や山菜など豊かな食料が供給された。そして清く豊かな水、温かな太陽、豊かな国土に恵まれてゐる。日本の自然は、時に荒れることはあっても基本的に穏やかで美しく人間に対してやさしい存在である。

 

日本の自然環境は他国と比較すれば温和であり、四季の変化が規則正しい。日本は一年中極寒あるいは酷暑が続くことはない。

 

日本民族は、自然が持ってゐるリズムに逆らふことがなければ、基本的には、自然と共生して生きていくことができる。古代日本人は、人生も自然であり、人の生活は自然の中にあるものであって、人間は自然の摂理と共に生きるべきと考へた。そして、人が自然を破壊し自然の摂理に歯向かふ時、人間は自然の報復を受け。災ひを受けるといふことを体験的に知った。報復と言って悪ければ、摂理に逆らふことによって害を受けることを知ってゐた。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。

 

日本の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊である。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをもらたす。古代日本人は体験的にそう信じた。

 

古代日本人は、自然は人間と対立するものでも、征服する対象でも、作り替へるものでもなく、人間と一体のものであるといふこと体験的に知ってゐた。自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。

 

自然を神として拝ろがみ、自然と自己とが霊的・生命的に一体であるといふ信仰の自然な形での実践が祭祀である。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精霊たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精霊たちを祓ひ清め鎮めることである。日本人が古来行なってきた「祭祀」は、まさに自然の生命を尊び、自然と人との一体感を実現する行事である。

 

日本人は旅する時には、訪れた土地の神々を祀り、山に登る時には、その山の神を拝ろがんだ。だから西洋のやうに「自然を征服する」とか「自然を改造する」などといふ考へ方は元来なかった。人の力を試すため、冒険のため、征服するために山に登るなどといふことは無かった。国土や山の神明を敬ふ旅であり登山であった。

 

日本人は、「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことを「こだま」即ち「木霊」「木魂」といふ。山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出た言葉である。まさに日本人にとって、山野には霊が宿ってをり、深山幽谷は精霊の世界だったのである。

 

原子力開発が「自然の摂理」に歯向かふものであるかどうかは、私には分らない。しかし、日本人のみならず現代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆らって文明の進歩発展・経済発展の道をひたすら突っ走ってきたことは確かである。

 

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替へようなどといふ文字通り「神をも恐れぬ考へ」を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

 

自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。太陽の神・大地の神・海の神・山の神・水の神など、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものを、神と崇める日本伝統信仰に回帰することが今一番求められてゐる。

 

自然保護・自然との共生は、法令や罰則の強化による以前に、日本人が本来持ってゐる信仰精神を回復し今日に蘇らせることが自然保護の最高の方策である。法令や罰則の強化は必要ないとは言はないが、それ以前に、自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。人間が自然を支配し造る変へることは正しいとする人間中心思想を脱却するにはこうした信仰精神に回帰するしかない。

 

自然保護・自然との共生は、自然の中に宿る生命と人間の生命とが本来一体であるといふ信仰的真実を実感し、自然を畏れる心を大切にすることによって自然に実現するのである。

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2018年10月17日 (水)

日本民族の自然信仰とは

 

梅原猛氏は、NHKの「Eテレ」の「3・11をどう生きる」(平成二十四年四月一日放送)といふ番組で、天台本覚思想・「草木もの言ふ」といふ思想が現代文明を乗り越える思想であると述べてゐる。「草木もの言ふ」思想は、『古事記』に語られてゐる。

 

『古事記』の「身禊」の条に、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。『日本書紀』には、「然(しか)も彼()の地(くに)に、多(さは)に蛍火の光(かがや)く神、及び蠅声す邪しき神有り。復(また)草木咸(ことごとく)に能()く言語(ものいふこと)あり」と記されてゐる。

 

自然の中に精霊が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文学的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

梅原猛氏はさらに、「『君が代』の『さざれ石が大きな岩となる』といふ言葉に草木国土悉皆成仏の心が込められてゐる。石も生きてゐる」と論じてゐる。

 

わが国の国歌である「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」の元歌は、平安朝初期から知られていた「詠み人知らず」(作者不明)の古歌(『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に賀歌として収録)の一首「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」(わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい、といふほどの意)である。

 

石と岩の違ひは、石が成長した岩には魂が籠ってゐるといふことである。石が成長して大きくなり巌となるといふのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩といふ自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

 

「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は、「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させずに霊力を賦活させ神聖化する意味である。

 

そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。魂の籠ってゐる「石」を「岩」と言ふと言っていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところである。

 

家に籠ることを「いはむ」といふ。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けることである。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることを言ふ。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いはふ。いつく。ものいみする、といふ意)と同じ意である。「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含してゐる神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来てゐる。

 

日本の「家」(いへ)は、家を構成する人々つまり家族の魂が一処に籠ってゐるといふ意味である。従って、「君が代(天皇の御代)」が、「石」が「岩」になるまで続くといふことは、「天皇國日本」は魂の籠ってゐる永遠の國家であるといふことである。岩を霊的なものとしてとらへ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういふ信仰を歌ってゐる歌が『君が代』なのである。

 

古代日本人は、石や岩に亡くなった人の霊魂が憑依し籠ると信じた。人々は、死者を葬った場所に大きな石を置き、遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるといふ信仰に基づく。また、墓を岩石で作るのは、地下に眠る人の霊魂がその岩石に封じ込まれ滅多に地上に戻らないやうするためといふ説もある。墓所に用いられて石は、地下の霊界と地上の現界とをつなぐ役目を果たすのである。

 

石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考へた。このように、『國歌君が代』には日本國民の伝統的天皇信仰・自然信仰が高らかに歌いあげられている。

 

また梅原猛氏は、太陽信仰・水への信仰の大切さを説いてゐる。日本人がとりわけ尊ぶ自然は、日と水と火である。この三つは、人間の生活に欠かせぬものであり、この三つの恩恵を受けることなしには人は命を保つことが出来ないからである。故に、日本神道は太陽神と国土の神と水の神を崇める。日本神道は、その最高神として太陽神であられ天照大御神を崇めてゐる。奈良の大仏も大日如来も、日本の太陽信仰・天照大御神信仰の仏教的展開である。

 

龍神信仰は水の神への信仰である。『日本書紀』には、天武天皇・持統天皇の御代に、非常に多く地震そして津波が発生したことが記されてゐる。また、頻繁に水と風の神である「廣瀬・龍田の神」を祭り、五穀の豊穣と風水害を無きことを祈ったと記されてゐる。

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2018年10月12日 (金)

小堀邦夫氏の発言について

小堀邦夫氏は、神社神道の教学に相当造詣が深い人であろう。また神職としても位の高い人であろう。そういう人が「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う? そういうことを真剣に議論し、結論をもち、発表をすることが重要やと言ってるの。はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」と言われたことに大きな驚きを覚えた。

 

「靖国神社は遠ざかって行く」と言うのは一体どういう意味か。天皇陛下が靖国神社から遠ざかって行かれるという意味なのか。「今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」という発言はもっと重大だ。神職にはこういう考え方を持っている人は多いのであろうか。

 

靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭である。この日には、勅使が参向になり、天皇陛下よりの幣物が献じられ、御祭文が奏上されると承る。

 

「今上陛下が靖國神社か遠ざかっていく、今上陛下は靖国神社を潰そうとしている」などということは全くあり得ないことである。

 

「どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても」という発言も理解に苦しむ。戦跡には、遺骨があっても無くても、やはり御霊がおられると私は信じる。パラオなどに慰霊に行った同志が神秘的体験をして御霊がおられるということを実感したという話を何回も聴いた。遺骨は祖国に帰っている場合も多い。しかし、戦跡にはとどまっている英霊はおられるのではないであろうか。そして慰霊に行った人々に「よく来てくれました」とお礼を言って下さるのではないだろうか。

 

それは我々日常生活でお墓参りをするのと同じである。先祖の御霊は、各家の仏壇などに安置されている位牌に鎮まって居られても、菩提寺・霊園などの墓所にも鎮まっておられるのと同じであろう。これは理屈ではなく、まさに心の問題である。小堀氏は、墓所には御霊はいないと考えているのであろうか。それが神社神道の教学なのであろうか。

 

両陛下が各地に赴き、慰霊をされ、御霊に拝礼される御姿を見て、「今上陛下が靖國神社か遠ざかっていく、今上陛下は靖国神社を潰そうとしている」などと考えるのは私にとって全く理解の外である。

両陛下が慰霊されるお姿を拝した人々の中には、自分たちも戦没者を慰霊するために、現地には行けないまでも、靖国神社や地元の護国神社に参拝するようになった人々も多いのではなかろうか。

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2018年10月10日 (水)

三輪山信仰について

三輪山は奈良県桜井市の大和盆地東南にある山。麓に古道「山邊の道」が通ってゐる。海抜四六七㍍。周囲十六㎞。麓に大物主神(大國主神の和魂ともされるが、元来は別神といふ)を祀る大神(おほみわ)神社が鎮座する。この神社の御神体が三輪山である。

 

 わが國には地域社會・共同体ごとに信仰の対象になる神の山があった。これを「神奈備(かむなび)信仰」といふ。大和盆地の東南に、紡錘形の美しい形で横たはってゐる三輪山の姿を、大和地方の人々は毎日仰ぎながら生活し、「神奈備」として古くから崇めて来てゐる。三輪山はわが國の原始信仰が今日において生きてゐる山である。

 

大和から近江に遷都するにあたって、大和の國の「神奈備」である三輪山に対して鎮魂をしなければならないといふことで國家的祭事が行はれ、宮中の祭事に仕へる巫女であった額田王によってこの歌は歌はれたとされる。

 

 三輪山と別れることを大和の人々は非常に悲しんだ。或いは三輪山の神の神威を恐れた。大和人にとって大和の國から去るといふ事は三輪山から去ることと同意義だった。さうした大和人の心を代表する形で額田王はこの歌を詠んだのである。                           

 

 わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が、今日唯今、生活の中に生

きてゐる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

三輪山を しかも隱すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隱さふべしや

                              (十八)

 

「額田王、近江國に下りし時、作れる歌」の反歌(長歌のあとに添へる短歌。長歌の意を補足または要約した歌)。

「しかも」は、そんなに、そのやうにといふ意。「隱すか」のカは詠嘆。「雲だにも」のダニは、「せめて~だけでも」といふ意味を表す副助詞で、願望・打ち消し・命令などと呼応する言葉。「あらなむ」のナムは実現不可能なことを希求する助詞。「雲だにも情あらなむ隱さふべしや」は「雲でさへ心があってほしい。隠すべきでせうか。隠してはいけません」といふ意。

 通釈は、「三輪山をどうしてあのやうに隠すのだらう。せめて雲なりとも情けがあったならば、隠してよいものか、隠してくれるな」。

 本来心なき雲に心あれかしと願ふ心の背後にあるものは、どうしても三輪山そして三輪山が象徴する大和の國から離れたくないといふ悲しみの情念であらう。大和を離れ行く人々の大和と三輪山への愛着の思ひを切々と歌った歌である。三輪山に名残りを惜しむ深い宗教的感情或いは激しい恋情の心が歌はれてゐる。額田王にとって三輪山は単なる自然物ではなかった。

 

近江遷都が行はれたのは、天智天皇六年三月十九日、陽暦でいふと四月二十日のことであった。

 

『萬葉集』編者の言葉として、「山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、都を近江國に還しし時、三輪山を御覧(みそなは)せし御歌なりといへり」と書かれてゐる通り、この長歌と反歌は、天智天皇の御歌との傳承があるが、熟田津の船出の時のやうに、額田王が、天智天皇のご命令により代作したか、天皇のお立場に立って詠んだ歌とも考へられる。

 

 とすると、この歌は個人的な感傷を歌った歌ではなく、遷都の際、奈良山を越える峠の國境で行はれた三輪山の神に代表される大和の國魂への畏敬と鎮魂の祭事の歌として歌はれたといふことになる。

 

長歌の結句「情なく 雲の 隱さふべしや」と、反歌の結句「情あらなむ隱さふべしや」は、山への霊的な呼びかけであり自然の精霊との交感である。

 

三輪山が大和地方の神奈備であるといふことは、三輪山はその地に都を置いてゐた大和朝廷の信仰的権威の象徴でもあったわけである。だから、敏達天皇の御代に、蝦夷の反乱を討伐して蝦夷の酋長を大和に連れて来た時、泊瀬川(はつせがわ)で体を清めさせて、三輪山の神の御前で大和朝廷への服従を誓はせた。

 

 何故、三輪山が大和の「神奈備」になったのかといふと、山の姿そのものが美しかったことと共に、大和盆地の東南に位置する三輪山の方角から太陽が昇って来たからである。そして大和盆地の上を太陽が渡って二上山の方角に沈んだ。故に太陽信仰・日の神信仰の象徴として三輪山が仰がれた。三輪山信仰は、山そのものを御神体として拝むと共に、三輪山の背後から昇って来る日の神への信仰・太陽信仰でもあったと思はれる。

 

 三輪山の麓は大和笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ)といはれ、伊勢に祭られる前に天照大神が祭られた場所である。だからその地に鎮座する檜原神社(御祭神は天照大神)を元伊勢と申し上げる。天照大神は最初に三輪山の麓に祭られた後、各地を経巡られて、最後に大和盆地から直線上東方に位置する伊勢の地に鎮まられた。

 

 また、三輪山の麓から真直ぐ西に行ったところに、天皇御陵のやうに大きな箸墓といふ古墳がある。倭迹々日百襲姫命の御墓といはれてゐる。『書紀』には、倭迹々日百襲姫命に大物主神が神懸りしたと伝へられてゐる。つまりこの墓は三輪山の神を祭った巫女の墓といふことである。

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2018年9月26日 (水)

日本精神・大和魂について

日本の近代化の根底に「和魂」があった。否、あるべきであった。ところが和魂・日本傳統精神が「洋才」によって隠蔽されてしまった。そして、西洋よりも優ってゐるもの、西洋が学ばねばならないものが日本にあることを、日本國民が自覚し、世界に発信することがおろそかになった。

 

「大和魂」「日本精神」が単なる標語となりスローガンとなりイデオロギー(独善的観念大系)となってしまふことは、「日本精神」「大和魂」の本義を否定することとなる。わが國傳統精神は、イデオロギー(独善的観念大系)ではないし、さういふものと同列に論じるべきではない。もっと高次元のものである。

 

日本精神・大和魂とは、外来の文化文明を包容し摂取してきた重層的な日本文化の主體であり中核である。日本精神とは、實際生活の中で、天皇仰慕・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などの倫理精神が生まれる。これは日本民族の稲作生活から生まれた。

 

日本精神は、日本として真に日本たらしめてゐるあるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、概念的に説明できるものでない。冷暖自知する以外にない

 

日本精神はその本来の丹き心、又は正直に徹することによって、人類の創造した一切の価値を摂取し、動かして、新たな文化を建設し、以て自己を實現する。

 

人為的に作られた秩序だった理論大系はもとよりないのである。言挙げせぬ國が日本の傳統だからである。しかしこれは見方を変えれば、柔軟にして強靭である。「柳に雪折れ無し」で、良きものはどんどん採り入れ、合はないものは捨て、自主性を失はない。これが日本精神であり、大和心である。

 

「明治維新」も「大化改新」も、外國から具體的改革策を取り入れつつ大きな変革を行った。しかし根本には尊皇愛國・敬神崇祖・万民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具體的改革であった。

 

欧米別けてもアメリカの科学技術による人間生活の進歩と発展を至上命題としてきた戦後日本、もっと言えば近代日本への反省が必要である。具体的にどうしたら良いのか。それには、自然の中に神を見る日本伝統信仰に回帰する以外にないのである。

 

「近代」とは欧米的近代主義である。近代日本は欧米近代主義が猛烈に勢いで輸入した。西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の負の部分に対する反省が明治第二維新運動であり、大正維新運動であり、昭和維新運動であった。明治・大正・昭和の維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運どうであった。「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかしその維新は未完に終わった。

 

神への回帰こそが、近代日本において必要だったのである。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった

 

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行はれなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。

 

天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得る。

 

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2018年9月23日 (日)

日本の傳統精神の核は「祭祀」よって傳へられてきた

 

日本の傳統精神・生活・文化の基本・核は「祭祀」といふ行事によって傳へられてきた。稲作を基本とした共同生活の中核には「祭祀」がある。「祭祀」とは神に仕へ奉り、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。

 

また、「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。つまり人と自然の本来の姿を回復し、神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。一言で言へば「神人合一の行事」である。

 

「祭祀」は、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。『古事記』冒頭に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠、直会などを行ふことによって、罪穢れを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰る行事である。言ひ換へると、一切の罪穢れを祓ひ去って「生成の根源」に回帰する行事である。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。 

 

「祭祀」は日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。日本傳統信仰の根本行事である祭祀を行ふ場がそのまま高天原すなはち天上の世界であり、祭祀を行ふ人がそのまま神と合一する。つまり、日本傳統信仰は、地上と天上、神と人との絶対的な隔てが無い。

 

日本は、太古以来の「祭祀」が今も「皇室祭祀」と「神社祭祀」と「家庭祭祀」として現實に生きてゐる。これは人類の奇跡と言ってよく、わが國の國柄が萬邦無比といはれる所以である。

 

わが日本生成以来今日に至るまで連綿と天神地祇への祭祀を続けて来られたお方が日本天皇であらせられる。日本天皇は、日本傳統信仰の最高の祭祀主であらせられ、日本傳統精神の體現者・自然保護の最高の實践者であらせられ、祭祀共同體日本の最高の祭祀主であらせられる。天皇は、天照大神の御神霊と一體となられた神聖なる存在であらせられ、常に國家と國民の安泰と五穀の豊饒を神に祈られるお方である。

 

日本の神々を祭られる祭祀主・日本天皇は、日本傳統精神を體現されてゐる。つまり「日本の道」は抽象的な教義として継承されてきたのではなく、<天皇の祭祀>といふ現實に生きる行事によって継承されてきてゐるのである。日本天皇は、神話時代からの傳統を継承され、實際に今日唯今も神話時代以来の祭祀を行はれてゐる。<天皇の祭祀>は、今に生きる神話である。

 

天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。わが國存立の基盤は、<天皇の祭祀>にある。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。

 

稲作生活から生まれた神話の精神を、「祭祀」といふ現實に生きる行事によって、今日唯今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

<天皇の祭祀>においてわが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され踏み行はれてゐる。天皇の「まつりの御精神」を仰ぎ奉ることが、わが國の道義の中核である。祭祀主・日本天皇を中心とする祭祀共同體・信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。 

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2018年9月21日 (金)

「生産」とは「むすびの精神」である

 

「生産」といふ言葉が話題になっている。「やまと言葉」では、「生産」とは、「生(む)す・産(む)す」と言ふ。これは「日本傳統信仰」「神話の精神」の根本である「生成・結合・生産」の観念、すなはち「むすび」の精神である。

「生(む)す・産(む)す」の霊力を発現することを「むすぶ」と言ひ、和合・合一の精神を日本傳統信仰では、「むすび」と言ふのである。「むすび」は真の意味の平和の精神であり原理である。人と人との「むすび」は平和の基礎である。

 

人の生活は、「むすび」によって成り立ってゐる。「むすび」といふ神靈は、ものの生成・生産をつかさどる霊性である。その霊性そのものを「むすびの神」といふのである。その霊性の至高のご存在が「造化の三神」である。

 

天之御中主神と一体の関係にある高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「太陽の神靈」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。

 

ともかく「むすびの神」すなはち高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神である。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆゑに「結び」を「産靈」とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子()」「生す女()」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生命が生まれる。それが「むすこ」「むすめ」である。

繰り返し言ふ。男女が和合することを「むすび」と言ふ。そしてその結果生まれて来た男子を「生()す子」=「息子」と言ひ、女子を「生()すめ」=「娘」と言ふ。男同士・女同士の和合では、子が生まれない。であるから、生産性はないのである。

 

前述した如く、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は、以上述べたやうな信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵(いほり)をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵は色々な木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的實在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の「苔のむすまで」の「むす」、大伴家持の歌の「草むすかばね」の「むす」も、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

天地・國の生成は、〝むすびの原理〟の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて〝一〟をもって〝創造の本源〟とし、そこから無限の「生きとし生けるもの・ありとしあらゆるもの」が生産され、生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

 

内田良平氏は、「大日本生産黨を創立せんとて詠める」と題して、

 

「國を生み 人を産ませし 神業に 神習ひして 世を救はばや」

「生み産みて 萬づの物を 育くまば 足らはぬことの なにあるべしや」

 

といふ歌を詠んでをられる。

 

古代日本人の稲作生活から生まれた「むすび」の精神が、生産による日本の発展の根幹にあるのである。

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2018年9月16日 (日)

『やまと心』について

日本の伝統的精神のことを『大和心』という。その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

 

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花」

 

 近世の国学者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山桜花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。神の生みたまいし美しい国に生まれた日本人は美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」が日本人の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想体系や理論体系ではないのである。

 

 しかしながら、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。もっと深い。日本人の「真心」は一種厳粛な神々しさを伴う。「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。日の神の神々しさを讃えるている。

 さらに「夕日」ではなく「朝日」であるところに日本人が清々しさ・清浄さ・潔さ・明るさを好むことをも表現している。

 

 清らかで明るい心を「清明心」という。この清明心は天智天皇の御製に次のように歌われている。

 

「わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ」

 

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」という意。

 

 何とも大らかで豊かな御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字をが用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 

 

 さらに言えば、「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように、美しい桜の花は他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。と言うよりも雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好むのである。これを「散華の美」という。

 

 保田與重郎氏は「しきしまの大和心を人問はばと歌はれたやうに、花の美のいのちは、朝日のさしそめる瞬間に、その永遠に豊かな瞬間に、終わるものといふ。日本の心をそれに例へたのは、さすがに千古の名歌を、永く国民のすべてに吟唱される所以であった」(昭和十四年・『河原操子』)と論じておられる。

 

 しかし、桜の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまえば、それで消滅してしまうのではない。また来年の春に甦るのである。滅亡の奥に永遠の命がある。そう日本人は信じた。それが楠正成公の「七生報国」の御精神である。

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2018年9月14日 (金)

日本人の固有信仰の強靱さが外来宗教文化文明を受け容れた寛容性の基盤

          

 本居宣長は日本人が神として崇める対象を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳がありて、可畏(かしこ)きもの」としてゐる。欽明天皇の御代に外国から到来した仏像こそ、まさにさうした外来の「神」であった。だからこそ、『日本書紀』は「仏」とは書かず「蕃神」と書いたのである。

 

 「蕃神」と名付けられた「仏」は、日本人にとっては神々の一つなのだから、固有信仰の神々と矛盾するものではなかった。『日本書紀』に言ふところの「異国の蕃神」も、世の常にない徳と力があるのだから崇拝してもいいのではないかといふのが日本人の基本的な態度だったのである。日本人にとって仏とは八百万の神が一神増えたといふ感覚であった。

 

 近世国学者・伴信友は次のやうに論じてゐる。「仏と云ふは天竺の神の事を、漢國にて稱(い)へる名なり。かの天竺の國人、なべて暴悪心にて、倫(すぢ)なき事のみ多かるを、釈迦と云ひしが、殊(すぐ)れて賢く、神なる男にて、彼国既くより、神代の古事の端々の傳はれるゝに、神を畏み崇みて、祭りあへる国俗(ならはし)なるを拠として、神を奉仕る事を主と立て、彼神の教也とやうに言挙して、空き理をさへに解きそへて…人の行ひを直からしめんとしたためたる道、すなはち所謂佛道なり」「佛法の広まれるも、本は神の御心にて、これも広けき神の道の中の枝道なり。…されば佛神もあればあるままに、禮なからぬやうにあへしらひ、又由縁ありて、心のむかはん人は、祭りもし祈もすべきなり」(『仏神論』)と論じた。

 

佛法が広まるのもの神の御心なのであり、広大なる神の道の中の枝道なのだから、縁があって心が向いた者は、佛を敬ってもいいと論じてゐるのである。

 

しかし、信友は次のやうにも論じてゐる。「皇国には、太古より正実(たゞき)き伝説ありて、すべて世間の物も事も、悉皆神の御所業(みしわざ)なることを知り、其御功徳(みいさを)を蒙れる事を知るが故に、外蕃の佛神などに全(ひたす)らの心を向きて、尊み忝み可きにはあらず」(『同』)。

 

日本人は、外国からの文化・文明を自由に受容してきた。古代における仏教の受容はその典型といへる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきてゐる。神と仏は日本人の生活の中で溶け合ってゐる。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合してゐる。

 

日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られてゐる。各家庭の仏壇には、その家が檀家になってゐるお寺の宗派の本尊が、安置されてゐる場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られてゐる。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られてゐる家が多い。

 

つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といはれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行ひ、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行ってゐる。

 

日本人が外来宗教・文化・思想をおおらかに包容した態度をいい加減でルーズな態度と批判する立場もある。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。仏教の受容も、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るといふことはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くにならうとする今日においても、仏教は外来思想と言はれてゐる。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでもいい加減でもない証拠である。

 

古代から現代に至るまでの日本人の精神生活・信仰生活は、仏教の影響を実に多く受けてゐる。それでも日本民族は仏教を「外来宗教」と思ってゐる。欧米人はキリスト教を外来宗教と思ってゐない。このことの意味は大きい。

 

それは、わが国の国民精神がきはめて寛容であるからであると共に、強靭性も保ってゐるからである。

 

樋口清之氏は、「日本の仏教信仰は形こそ仏教であり、経典も仏の教えとして尊重されたが、それを信じる日本人の心は、仏教的な形に飾られた伝統的な日本に信仰によって救済されたのである。日本人は完全に伝統的信仰を放棄して仏教に改宗したのではなかった。これが日本人の仏教摂取における大きな特色である。」(『日本人の可能性』)と論じてゐる。

 

日本人の融合性・包容性とは、主体性・国粋精神が希薄だといふ事ではなく、むしろ主体性・国粋精神が強靭だから外来の仏教を融合し得たのである。

 

日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となっているからこそ、かへって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持したのである。日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族が仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。

          

 現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

 

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