2018年4月12日 (木)

 日本人の伝統的な<ものの考え方>について

 日本人の伝統的な<ものの考え方><生活態度>の基本的特質は如何なるものであろうか。それは西洋人をはじめとした外国人と比較してみるとよく分かる。西洋人や支那人は、表現の仕方では、言いたいことはすべて言い尽くし、自己の能力についても、持てるものを全て並べ立てて見せるのが一般的である。

 

 日本には、「以心伝心」という言葉があり、「言わず語らず心と心」という歌謡曲の歌詞もある通り、日本人は、ちょっとした言葉の端・さりげない態度物腰から、その人の言いたいこと・思っていることそして人柄や教養までも判断する。

 

 日本人は理屈でいくら説得されても、「駄目なものは駄目」「嫌なものは嫌」という態度を取ることが多い。「腑に落ちない」という言葉があるようにどんなにうまい理屈を並べられてもそれだけでは絶対に納得しないところがある。つまり頭で理解できても五臓六腑では納得できないのである。この場合の五臓六腑とは、<情念><感性>と言い換えても良いかもしれない。

 

 家族共同体的な結合・仲間関係があるからこのような日本人の特有の生活態度が成立するのである。そしてその仲間関係の基盤は古代から今日まで伝承されてきた農耕生活より発しているのである。

 

 弥生文化と呼ばれるところの古代日本の農耕文化は、稲作生活によって成立している。ということは種まき・田植え・収穫という毎年同じことが繰り返される生活である。そして日本の気候は四季の変化が規則正しい。毎年同じことを同じ場所ですればいい文化である。弥生文化の特質が家族共同体的な結合・仲間関係を生んだのである。そして家族共同体的な社会は、何でも規則や法律で規制しなければ秩序や共同体が維持できないというような水臭い社会でないのである。稲作生活の祭り主である天皇を中心とした信仰共同体社会がそこに成立したのである。

 

 稲作を基盤とし規則正しい四季の繰り返しの中に生活してきた日本民族は、人間関係のみならず文化も宗教も政治も経済活動も、自然の摂理に準じることを基本として来た。自然との調和が日本民族の生活原理であった。自然に逆らったり自然を作り替えることは、むしろ共同体の安定と繁栄を害することが多かった。

 

 これは狩猟文化とは決定的な違いがある。狩猟文化は何が起きるかわからないという偶然性が稲作文化より圧倒的に強い。また一定の場所にずっと定住するということもない。だから何でもかんでもいちいち規則や法律によって規制しなければ秩序を維持できない。西洋には契約国家思想が生まれたのもこれが原因である。

 

 なお、東京文京区には今は暗渠になってゐるが逢初川という小さな川流れている。古代、その川のそばに人が住み、水田が作られた。故に小生が生まれ育ち現在も住んでいる千駄木やその近くの動坂そして弥生町に貝塚が発見された。ゆえに古代日本稲作文化は弥生文化ともいわれている。明治一六年文京区弥生の貝塚で発見された古代稲作農耕文化時代の土器を弥生式土器と呼んだことによる。そしてその時代を弥生時代と言うようになった。私の住む千駄木周辺つまり弥生町・千駄木・動坂は、日本民族の中核精神となっている稲作文化と深い関わりのあるところなのである。

| | トラックバック (0)

2018年4月 6日 (金)

日本伝統信仰・神道には女性は穢れているという信仰はない

日本の皇祖神・御親神として崇められている天照大神は女性神であられます。私もそれなりに日本伝統信仰たる神道について勉強しておりますが、神道には女性は穢れているという信仰はないと思います。外来宗教・外来思想たる仏教や儒教にはそういう考え方はありましたが、日本に同化し日本化した仏教・儒教は女性蔑視の考え方は薄れております。高野山も比叡山も今日では女人禁制ではありません。

| | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

葦津珍彦先生の神道論

 

『古事記』冒頭に示された造化の三神を無視あるいは否定するといふことは、わが國傳統信仰の根本を否定するのと同じであらう。また、造化の三神の否定は高天原の否定にも通じる。つまり、神道の宗教性を抜きにするといふ事は、高天原を否定し、造化の三神そして『古事記』神代の巻を否定する事と同義と考へて差し支へないと思ふ。

 

葦津珍彦氏は次のやうに論じてをられる。

 

「後世の現代人には、神社局は神道的神靈への信はなくとも『國體精神』『國家主義』の精神はあったといふ人があらうが、その程度の世俗『國家主義』は、その時代の全日本に例外なく満ちてゐたものであって(仏教寺院キリスト教徒なども同じであったし)、ことさら神社局に國體精神があるなどといふべきものでない。神道の信仰精神があったかなかったかといへば、『無精神』だったと評すべきだといふのである。かれらは、神宮神社をもって、著名なる天皇、皇族あるいは國家、郷土に功労のあった人々を崇敬することを主たる性格とするものであると称して、神社を合理主義化し、神社を非宗教のものとする理論を生んだ。このやうなメモリアル風の解釈もできる神社が明治以後に数多く建てられたのも事實ではあるが、神社本来の古社には、そのやうなものはなく、西欧の偏見的宗教學では、アニミズムとして蔑視してゐる山河風水の神々などが多い。神社行政官僚が神社とメモリアル殿堂を同視する論は、さすがに神道人を信服させ得たわけではないが、國家主義の本拠、内務省神社局の非宗教行政といふのは『神道独自の精神』なるものを全的に否定し、神主をただ古文化財的儀礼執行者、公金収支にまちがひない正直な下級事務者にすることを考へてゐたにすぎない。」

 

「井上(四宮註・井上毅)は…『神道ヲ以テ宗教トスルハ、實ニ近世一二國學者ノ主導スル所ニ始マル、而シテ之ヲ祖宗ノ遺訓ニ考フルニ、並に徴拠スヘキコトナシ、蓋宗廟ヲ崇敬スルハ、皇家追遠厚本ノ重典、即チ朝憲ニ属シテ教憲ニ属セズ』と述べ、内務省社寺局の神社・神道非宗教論を踏襲してゐる。(『井上毅傳』資料篇第六、)」

 

「神祇院書記官、武若時一郎が高等神職教育のために、大東亜戦争中に出版した『神社法』中の一文…『宗教學上の定義によれば、世人の崇むる所の神は、人格・徳風・才幹・力量等の卓越した者を神格化した人格神と、自然崇拝より発生した山川、草木、鳥獣の諸神の如き自然神と、純然たる哲學的思索によって産出された観念神とに分れる。然し神社に斎祀せらるる神は、自然神や観念神ではなくして、人格神たることを本義とする。現在、神社に奉斎せらるる神祇は、皇祖・皇宗を始めて、諸氏族の祖先又は皇室・國家に功労ありし忠臣烈士乃至は戦時事変に於ける殉難者等、多様であるが、何れも皇國の鎮護たる神社に祭神として相応しき神功著しき人格神である。』…しかしこれは合理的だとしても、實存する神社とは異なるし、それは精神的信仰を全的に神社の外に追放することともなる。多くの神道的神靈を無視するものであり、神社と神道を信仰なき無精神のものとして空白化するものである。それは、当然に神道人の側からも、きびしい批判があった。」

 

「内務省の解するやうな意味での『神社非宗教論』に対して、法論理的に真正面から痛烈な反論を続けたのは東大教授、筧克彦博士である。博士は『神道は、まぎれもなく宗教であり、世界最高の宗教である。帝國憲法をもって、それをただの政教分離憲法と解するのは誤りである。憲法によって各信教の自由は認められてゐるが、惟神の大道を國教とする精神的立場に立つ』との法理を主張した。」

 

「葦津耕次郎は、内務省流神社行政に対する直撃的批判者だった。『内務省は、神社をもって、國家精神に基づく國の宗祀と称してゐるが、その國家精神なるものが、西欧権力國家の功利的世俗主義と異なる所なく、日本古来の神道・國家とは程遠いものではないか、古来の神道に戻れ』と直言し、政府に迫った。神社局に限らず、明治帝國の官僚は合理世俗主義で、宗教心理を解さなかった。植民地官僚は、朝鮮神宮をはじめとして、新領土に神宮神社を建てて皇祖皇宗に対する表敬の場としようとした。それは西欧列強が植民地で、征服英雄の銅像や(メモリアル・ホール)、國王名の記念公園等を作ったのと同一心理だった。葦津は、このやうな神宮神社が、異民族の宗教的社會意識にいかに深刻な反感を生ずるものであるかを力説して反対した。…葦津は、明治十五年の神社神官の非宗教制を固めた法令を天下の悪法として、神社法制を改革し維新の『祭政一致に戻れ』と主張した。」(『國家神道とは何だったのか』)。

 

西洋覇道精神・合理主義、法思想に基づく宗教政策が大きな誤りを犯した。これは鎮守の森の伐採・神社統合政策にもよく現はれてゐる。かうしたことが祭祀國家日本の本姿を隠蔽して日本を西洋化・覇道化させたと云ひ得る。ただし明治以後に建立された神社にはメモリアルホール的なものもあったが、神道といふ日本傳統信仰それに宗教性・神秘性を与へたとも云へる。

 

神靈への信を隠蔽した國家主義は、わが國傳統信仰の根本を否定してゐるのだから、真の國體精神・國家主義ではない。近代のいはゆる「國家神道」が形骸化とされるのはこのことが原因となったと思はれる。そして神道精神は純粋ではない歪められた形となってしまった。これが明治以後の日本の大欠陥であった。

 

神社神道は教団宗教ではなく、祭祀宗教・共同體信仰・民族信仰なのだから、造化の三神を祀り、信仰の対象として仰いだとしても、一般の教団宗教と相対立し外来宗教を排斥することにはならない。それは、造化の三神を否定あるいは無視し、形骸化されたいはゆる「國家神道」が存在しない近代以前の歴史、そして大東亜戦争後の歴史を見れば明らかである。神道は排他的ではない。外来宗教を拒絶しこれを排斥するといふことはない。わが國の宗教史は、神道が核となって外来宗教を包摂し融合して来た歴史である。

 

「神道は宗教に非ず」といふ政府の考へ方は、國家の儀式典礼に関与する神官は、一切の宗教的言論教導、宗教行為(葬儀執行等)を實行してはならないといふ方針と結びついた。このことが、日本傳統信仰たる神道が、國民精神を正しく導く道を閉ざしてしまったと云へる。

 

つまり、「神道非宗教論」を基軸とする「國家神道制度」は、神道精神の恢弘を制限したのである。外来宗教を排斥するのは間違ひであるが、神道独自の宗教精神を恢弘するのを制限すべきではなかった。また、神道と仏教・儒教との相違点を指摘するのを制限すべきではなかった。

 

日本民族は窮極においては日本傳統信仰に基本してゐる。これは外来宗教排斥ではなく、外来宗教融合摂取の基盤確立であり確認である。それをしなかったら日本の独自性が失はれる。

 

このことについては、伊勢の神宮におけるトインビーの言葉が重い意味を持つ。アーノルド・J・トインビーは、昭和四十二年に伊勢の皇大神宮に参拝した時、『芳名簿』に、「Here  in this holy place I feel the units of all religions(この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます)」と書いた。神道は宗教ではないどころか最も偉大にして根源的な宗教が神道である。

 

日本傳統信仰の包容性を維持し宗教対立を回避し防止することは正しいが、神道といふ日本傳統信仰そのものを骨抜きにしてはならない。特に造化の三神への信仰の否定は神道の根本を否定することとなる。

| | トラックバック (0)

2018年3月 1日 (木)

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教である

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教である。神の偶像を祀りそれを拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことは殆どない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。偶像崇拝は無い。

 

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。それは『記紀』の物語や『萬葉集』の歌に表白されてゐる。

 

菅原道真は

 

「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」

 

と詠んだ。

 

伴林光平は

 

「度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり 」

 

と詠んだ。

 

藤原俊成は

 

「雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山」

 

と詠んだ。

 

こうした自然神秘思想を回復することが今最も大切なのであろう。

| | トラックバック (0)

2018年2月23日 (金)

一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸と恢弘にある

 

何とか、世界の闘争対立を緩和するために、我が傳統信仰の果たすべき役割はないかを考へねばならない。

 

自然と共に生き多くの神々や思想を融合調和してきた多神教の精神、とりわけ、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀國家・信仰共同体を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し、それを発展せしめ、東洋でもっとも発達した工業國なった日本の精神伝統が大きな役目を果たすと考へる。

 

倉前盛通氏は、「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然祭祀、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である」(『新・悪の論理』)と論じてゐる。

 

日本神話は、山紫水明麗しく緑滴り清らかな水が豊富で四季の変化が規則正しい日本といふ素晴らしい國において生まれた。闘争戦争を絶え間なく繰り返してゐる一神教の世界に対して、自然と祖靈を神と拝ろがむ神道の精神がその闘争性を和らげる原理となり得るといふ希望を私は抱いてゐる。

 

イスラム教徒やユダヤ教徒が伊勢の神宮に来て大感激したといふ話を何回か聞いたことがある。『コーラン』に書かれてゐる「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」といふイスラム教徒にとっての理想郷とはまさに日本の風土なのである。

 

四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。

 

神道は祭祀宗教であるといふ。祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事であるから、救済宗教の性格も持ってゐる。自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となると考へる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である。〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本伝統信仰・神ながらの道である。「祭りの精神」が世界に広まれば世界は平和になるのではないか。

 

「祭り」を基礎とした魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となるのではないか。「祭り」が世界で行はれるやうになれば世界は平和になるのではあるまいか。

 

今こそ、わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならないと思ふ。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸と恢弘にあると信ずる。

| | トラックバック (0)

2018年2月21日 (水)

祭祀の現代的意義

 

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるとする。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事である。救済宗教の役目も持ってゐる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同志の一體感も實感する行事である。 

 

倉前盛通氏は、「世界の乾極の代表がユダヤ人であり、湿極の代表が日本人である。しかも民族固有の神を今日に至るまで戴いてゐる民族はユダヤ人と日本人だけである。世界の乾極のアラビアにおいて最も厳しい一神教が成立し、湿極において最も寛容な多神教が成立した。一神教はバイブルやコーランそして神學教學を持ち、神道はバイブルに相当するするものや神學教學を持たない。一神教を敵に回してはならない。むしろ、乾極と湿極に生まれた対象的な性格を持つもの同士が長短相補う道を探るべきであろう」「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然妻子、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である。」(『新・悪の論理』)と述べてゐる。

 

自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

 

わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の傳統精神すなはち日本國民の歩むべき道といふものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、神とか罪悪に関する考へ方が、全て祭祀といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきた。抽象的な論理や教義として我が國傳統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國においては生活そのものの中に傳統信仰が生きてゐるのである。

 

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御靈である。わが國の神は天津神、國津神、八百萬の神と言われるやうに、天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。 

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』を大切に護って来た。

 

それは『鎮守の森』には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。『鎮守の森』ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至ってゐる。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國傳統信仰すなはち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

 

天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。『日本書紀』神武天皇即位前紀戌午年九月甲子の段に「丹生川上に陟りて、天神地祇を祭りたまふ。」と記されてゐる。

 

天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

その天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

天皇の祭祀において、わが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はるのである。

 

太古より行なはれてきた祭祀が、外来宗教を摂取し且つ近代科學技術文明が発達した今日唯今の日本においても行はれてゐるといふ事實は、世界の奇跡と言って良い。

 

わが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下萬民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。

 

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行わはてゐる信仰行事である。

| | トラックバック (0)

2018年2月18日 (日)

『日本書紀』『萬葉集』に示された「神ながら」の意義

 

「神道」をやまとことばで、「神ながらの道」といふ。「神ながら」(漢字では『随神・惟神』と書く)といふ言葉が、最も古く用いられてゐる典籍は、『日本書紀』孝徳天皇の三年四月の条に見える。そこには、「惟神(かむながら)も我()が子(みこ)()らさむと故寄(ことよ)させき。是(ここ)を以()て、天地の初めより、君(きみ)(しら)す國なり。」(神ながらも我が子孫に統治させやうと依託された。それゆへ、天地の初めから天皇の統治される國である、といふほどの意)と書かれてゐる。

 

この条の註に「惟神は、神道(かみのみち)に随(したが)ふを謂ふ。亦自(おの)づからに神道有るを謂ふ」とある。

 

この条について平田篤胤は、「真の神道と申すは、…天つ神高皇産靈、神皇産靈神の始めまして、伊邪那岐伊邪那美神の御受継ぎあそばして…其功徳は、天照大神に御傳へあそばし、皇御孫邇々杵尊天降り遊ばさるる時、天つ御祖、靈産の御神、天照大御神より、皇御孫命の御代々々、天の下知し召す、御政のやうを御傳へあそばし、扨、御代御代の天皇其の御依しのまにまに、己命の御さかしらを御加へあそばさず、天地と共に御世しろしめすことぢゃが、此の道を神道と申した」(真の神道とは天つ神・高皇産靈神、神皇産靈神を始めとして、伊邪那岐伊邪那美神が継承された功徳は天照大御神に傳へられ、皇孫・邇々杵尊が天降りあそばされる時、以上の神々より天の下を統治されるまつりごとを傳へられ、それから、ご歴代の天皇は神々のご依託のままに、ご自分のお考へをお加へにならず、天地と共に御代を統治されることだが、この道を神道と申した、といふほどの意)と論じてゐる。

 

『萬葉集』にも「神ながら」といふ言葉は多く登場する。

持統天皇が吉野の離宮に御幸されましし時、供奉した柿本人麻呂の長歌では、

 

「やすみしし わが大君 神ながら 神(かむ)さびせすと 芳野川 たぎつ河内に 高殿を 高しりまして…」(「やすみしし」は「わが大君」に掛かる枕詞)

わが大君が神であるままに、神様らしく振舞はれるべく、吉野川の激しく流れる川の谷間に、高殿を高々と建てられて…)と歌はれてゐる。

 

 そして、反歌には、

 

「山川も よりて奉れる 神ながら たぎつ河内に 船出するかも」(山も川も信服して仕へ奉る大君は、神であられるままに激しく流れる吉野川に船出をされることだなあ、といほどの意) と歌はれてゐる。

 

さらに、軽皇子(かるのみこ。天武天皇・持統天皇の皇孫。後の文武天皇)が阿騎野といふところで狩りをされ、その夜そこに宿られた時に、お供をした柿本人麻呂が歌った歌では、

 

「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと…」(わが大君、日の神の皇子は、神であるままに、神様らしくふるまはれるべく…)

と歌はれてゐる。

 

この歌には、天皇の御行動が、そのまま神の御行動であるといふ現御神信仰を歌ひあげてゐる。そればかりでなく「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句には、「現御神日本天皇」の御本質と、日本天皇の國家統治の御本質が、高らかに信仰的に歌ひあげられてゐるのである。

 

 大君に掛かる枕詞の「やすみしし」は、持統天皇に捧げられた歌には「安見知之」、軽皇子に捧げた歌では「八隅知之」と、萬葉仮名では表記されてゐる。前者は、「やすらけくこの國をしろしめす」といふ意であり、後者は、「四方八方をしろしめす」(八隅は八紘と同じ意)といふ意である。「やすみしし」といふ枕詞は、日本天皇が平安に四方八方を統治される御方であるといふことを表現してゐる。

 

「高照らす 日の皇子」とは、高く照らす太陽神たる天照大御神の御子といふ意である。

 

「日本天皇は天照大御神の御子としてこの地上の中心に立たれ四方八方を平安に統治されるお方である」といふ現御神信仰がこの対句に示されてゐるのである。

 

 これら人麻呂の歌で用いられてゐる「神ながら」は、「神」の「柄」(その物に本来備わっている性質、性格。本性の意。人柄の柄と同じ)といふ意味だとされてゐる。「な」は助辞で「の」の意。そして「ある行動などが、神としてのものであるさま。神の本性のままに。神でおありになるさまに」「ある状態などが、神の意志のままに存在するさま。神の御心のままに」といふほどの意味になる。

 

以上、『日本書紀』『万葉集』の「神ながら」といふ言葉の意義を踏まへて「神ながらの道」を定義すれば、「自分の私心を加へないで、神の御意志通りに、神のなさることをそのまま踏み行ふ道」として良いかと思ふ。天地自然と祖靈を神として仰ぐところの人為の理論・教条ではない虚心坦懐な信仰が、「神ながらの道」である。

 

我々の生活が神のみ心通りの生活になり、神のご生活と我々の生活が同じになることをことが「神ながら」なのである。一言で申せば『神人合一』の生活である。

 

そしてその神とは抽象的な概念ではなく、天地自然と共に生きたもう神である。熊沢蕃山は、「天地は書なり。萬物は文字なり。春夏秋冬行はれ、日月かはるがはる明らかなり。これ神道なり」(集義外書・巻十六)と述べてゐる。

 

天地の神の祭り主であらせられる天皇は、地上に生きたまふ神として、天上の神々と同じ資格になられ日本國の祭祀主として立たれるといふのが「現御神信仰」である。祭祀主たる天皇のお役目・御使命は、天上の生活を地上に持ちきたすことである。天孫降臨の神話は、そのことを物語ってゐる。

 

そして、天上と地上とを神のみ心のままに合一せしめるお役目を果たされる現御神日本天皇の神聖性をかしこむことが、日本人の道徳生活の基本である。わが國においては、天皇への絶対的な仰慕の心が道義の基本なのである。天皇は神々の道を踏み行はせられ、我々國民は天皇の行ひたまふ道に随順するのがわが國の道徳生活の基本である。

| | トラックバック (0)

2018年2月14日 (水)

「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。

 

 

 

| | トラックバック (0)

2018年2月 5日 (月)

日本人の他界観

 

まだ見たこともなく、また行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持っていた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、外来思想の影響を受けながら発達し、日本人の生活と宗教の根本にあるものなのである。さらに、世の中の変革を求める心もまだ見ぬ世界即ち他界への憧れと言っていい。       

 

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」というのである。それは平安時代の歌人・在原業平が

 

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

 

と詠んでいる通りである。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。 

 

日本人は基本的に、人間は肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。なぜなら、自分の親や愛する人などが、あの世に行って苦しんでいるなどと考えることに耐えられないからである。

 

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていた。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じた。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられた。

 

すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのである。

 

春秋二回のお彼岸は今日仏教行事となっているが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事なのである。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきたのである。「彼岸」とは向こう岸という意味であり、日本人の他界(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)観念とつながる。

  

「他界」の事を、古代日本人は、「常世」(とこよ)・「妣(はは)の国」・「ひなの国」・「夜見(よみ)の国」などと呼んだ。

 

「常世」とは、明るい永遠の生命を保つことのできる理想世界のことである。「とこ」とは永遠とか絶対とか不変とかいう意味であり、「よ」は世であり齢でもある。不変にして老いず死なない世ということである。逆に暗い世界を「常夜」(とこよ)と言った。これは今で言う地獄ということであろう。

 

「妣の国」とは、母のいる故郷のことである。故郷を遠く離れたものにとって、そこは憧れの対象であり、やがては帰って行きたいところである。望郷の念を持つ人は故郷のことを「母国」という。なぜか「父国」とは言わない。母を慕う気持ちがそうされたのであろうか。母が「産み」の本源であるからであろうか。

 

「ひな国」の「ひな」とは、山や海の彼方の遠い異郷・聖なる世界のことである。「ひなびた」というと都から遠い世界即ち田舎らしい感じがするという意味である。お雛(ひな)様とは、遠い国から訪れた男女一対の高貴な霊というのがそのもともとの意味である。庶民にとって皇室は遠くて高貴な憧れの対象だったのである。

| | トラックバック (0)

2018年1月23日 (火)

日本人の海の神と山の神への信仰

 

 日本人の海の彼方への憧れは非常に強い。日本人はお淨めに塩を用いる。塩は海から取れる。海が清らかなところと信ずるがゆえである。清らかさ・明るさを好む日本人のロマン精神は「海」への憧れと一体であったのである。また陸地の穢れたものはすべて海に流せば淨まってしまうという信仰があった。海には伊耶那岐伊耶那美二神の御子神であられる「わたつみの神(綿津見神)」がおられるという信仰がある。この綿津見神は伊耶那岐命が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊されました時になりませる神である。古来日本人は清潔さを好み、海は清めの場所であり、海の神は清めの神であると信じたのである。日本文学の起源と言われている「祝詞」にはこの海への憧れ・日本人の持っている「陸地の穢れたものはすべて海に流せば淨まってしまう」という信仰が歌われている

 

 『大祓詞』には「天下四方(あめのしたよも)の國には、罪と云ふ 罪は在らじと、…大海原に押し放つ事の如 く、遺(のこ)る罪は在らじと祓ひ給ひ清め給ふ事を、…瀬織津比(せおりつひめ)と云ふ神、大 海原に持ち出でなむ。如此(かく)持ち出で往() なば、荒鹽(あらしほ)の鹽の八百道(やほぢ) の、 八鹽道(やしほぢ)の鹽の八百會(やほあひ)に座() す、速開都比(はやあきつひめ) と云ふ神、持ち可 可(かか)(のみ)てむ…」と語られている。

 

 綿津見の神のおられるところが即ち綿津見の神の宮・龍宮である。綿津見の神は、日子穂穂出見の命が兄君から借りた釣針を失って苦しまれていた時に、お助けした神である。

 

 柿本人麿は

 

「海神(わたつみ)の 手に纒()き持てる 玉故(ゆえ)に 磯の浦廻(うらみ) に 潜(かづき)するかも」(海の神が手に巻いて持っている玉のために、それを得ようと岩礁のある浦のほとりで水に潜ることよ)。

 

と歌った。

 

これは譬喩歌で、親許で拘束され自由に恋愛できない娘を、海神が手に巻いている玉に譬え、困難を冒してその娘を得むとする作者自身を海に潜って玉を取ろうとする人に譬えたのである。

 

「うみ」は「生み」に通じ、創造・生産の本源世界である。常世とも妣の国とも言うところは海の彼方の神のいる国なのである。そこは、太平洋岸では日の昇る水平線の彼方であり、日本海岸では日の沈む水平線の彼方である。そこには浦島太郎が老いなかった永遠の国・龍宮世界があると信じたのである。

 

 日本人はまた、山を信仰の対象として来ている。これを山岳信仰という。三輪山信仰・富士山信仰・御嶽信仰・白山信仰等々日本各地に山への信仰が今日も根強く行われている。これは山そのものを御神体としているが、その山を階梯としてより高い天上の清らかな世界に憧れているのである。

 

大和にある天の香具山は高天原につながる山として仰がれている。天の香具山を歌った歌は数多いが、その代表的な歌が、次に掲げさせいただく持統天皇御製である。

 

「春過ぎて 夏来(きた)たるらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山」(春が過ぎて夏が来たのであろう。天の香具山には真っ白い衣が乾してあるなあ)

 

同じく大和の国の東側にある三輪山は、太陽の昇るところであるため、太陽信仰・天照大神信仰とつながり、三輪山のふもとに、伊勢に移られる前に天照大神が祭られたのである。ここから天の神、高天原の神への信仰が形成される。

 

三輪山を歌った歌は、額田王の

 

「三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ) あらなも隠さふべしや」(三輪山をどうしてあのように隠すのか。せめて雲だけでも情けががあってほしい。隠し続けることがあるべきだろうか、あってはならない)

 

が最も有名である。これは額田王が天智天皇に従って大和から近江に移る時に、大和地方の象徴とも言える神の山たる三輪山との別れを悲しんで歌った歌である。

 

 海の彼方の世界も、山の上の天の世界も清らかで明るい世界である。海の明るさ・清らかさ、太陽の明るさ・天空の清らかさを憧れたということは、日本人がその基本的な感覚として、清らかさ・明るさを好んだことが知られるのである。

 混迷せる現実の世界から脱却し、理想の国を建設せんとする変革運動もまた、日本人が伝統的に抱いてきた他界即ち理想国へのロマン精神にほかならない。大化改新・明治維新・明治維新は全て神武建国への回帰という理想とロマンのもとに断行された。今日我々の目ざす維新変革もまたそうであらねばならない。

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧