2018年2月23日 (金)

一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸と恢弘にある

 

何とか、世界の闘争対立を緩和するために、我が傳統信仰の果たすべき役割はないかを考へねばならない。

 

自然と共に生き多くの神々や思想を融合調和してきた多神教の精神、とりわけ、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀國家・信仰共同体を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し、それを発展せしめ、東洋でもっとも発達した工業國なった日本の精神伝統が大きな役目を果たすと考へる。

 

倉前盛通氏は、「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然祭祀、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である」(『新・悪の論理』)と論じてゐる。

 

日本神話は、山紫水明麗しく緑滴り清らかな水が豊富で四季の変化が規則正しい日本といふ素晴らしい國において生まれた。闘争戦争を絶え間なく繰り返してゐる一神教の世界に対して、自然と祖靈を神と拝ろがむ神道の精神がその闘争性を和らげる原理となり得るといふ希望を私は抱いてゐる。

 

イスラム教徒やユダヤ教徒が伊勢の神宮に来て大感激したといふ話を何回か聞いたことがある。『コーラン』に書かれてゐる「楽園には木々が生い繁る。…流れ出る泉が共にある。…深緑に包まれている」といふイスラム教徒にとっての理想郷とはまさに日本の風土なのである。

 

四季の変化が規則正しく温和な日本の自然環境は、自然を友とし自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。

 

神道は祭祀宗教であるといふ。祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事であるから、救済宗教の性格も持ってゐる。自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となると考へる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である。〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰は、日本伝統信仰・神ながらの道である。「祭りの精神」が世界に広まれば世界は平和になるのではないか。

 

「祭り」を基礎とした魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となるのではないか。「祭り」が世界で行はれるやうになれば世界は平和になるのではあるまいか。

 

今こそ、わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならないと思ふ。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸と恢弘にあると信ずる。

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2018年2月21日 (水)

祭祀の現代的意義

 

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるとする。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事である。救済宗教の役目も持ってゐる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同志の一體感も實感する行事である。 

 

倉前盛通氏は、「世界の乾極の代表がユダヤ人であり、湿極の代表が日本人である。しかも民族固有の神を今日に至るまで戴いてゐる民族はユダヤ人と日本人だけである。世界の乾極のアラビアにおいて最も厳しい一神教が成立し、湿極において最も寛容な多神教が成立した。一神教はバイブルやコーランそして神學教學を持ち、神道はバイブルに相当するするものや神學教學を持たない。一神教を敵に回してはならない。むしろ、乾極と湿極に生まれた対象的な性格を持つもの同士が長短相補う道を探るべきであろう」「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然妻子、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である。」(『新・悪の論理』)と述べてゐる。

 

自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

 

わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の傳統精神すなはち日本國民の歩むべき道といふものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、神とか罪悪に関する考へ方が、全て祭祀といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきた。抽象的な論理や教義として我が國傳統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國においては生活そのものの中に傳統信仰が生きてゐるのである。

 

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御靈である。わが國の神は天津神、國津神、八百萬の神と言われるやうに、天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。 

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』を大切に護って来た。

 

それは『鎮守の森』には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。『鎮守の森』ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至ってゐる。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國傳統信仰すなはち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

 

天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。『日本書紀』神武天皇即位前紀戌午年九月甲子の段に「丹生川上に陟りて、天神地祇を祭りたまふ。」と記されてゐる。

 

天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

その天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

天皇の祭祀において、わが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はるのである。

 

太古より行なはれてきた祭祀が、外来宗教を摂取し且つ近代科學技術文明が発達した今日唯今の日本においても行はれてゐるといふ事實は、世界の奇跡と言って良い。

 

わが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下萬民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。

 

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行わはてゐる信仰行事である。

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2018年2月18日 (日)

『日本書紀』『萬葉集』に示された「神ながら」の意義

 

「神道」をやまとことばで、「神ながらの道」といふ。「神ながら」(漢字では『随神・惟神』と書く)といふ言葉が、最も古く用いられてゐる典籍は、『日本書紀』孝徳天皇の三年四月の条に見える。そこには、「惟神(かむながら)も我()が子(みこ)()らさむと故寄(ことよ)させき。是(ここ)を以()て、天地の初めより、君(きみ)(しら)す國なり。」(神ながらも我が子孫に統治させやうと依託された。それゆへ、天地の初めから天皇の統治される國である、といふほどの意)と書かれてゐる。

 

この条の註に「惟神は、神道(かみのみち)に随(したが)ふを謂ふ。亦自(おの)づからに神道有るを謂ふ」とある。

 

この条について平田篤胤は、「真の神道と申すは、…天つ神高皇産靈、神皇産靈神の始めまして、伊邪那岐伊邪那美神の御受継ぎあそばして…其功徳は、天照大神に御傳へあそばし、皇御孫邇々杵尊天降り遊ばさるる時、天つ御祖、靈産の御神、天照大御神より、皇御孫命の御代々々、天の下知し召す、御政のやうを御傳へあそばし、扨、御代御代の天皇其の御依しのまにまに、己命の御さかしらを御加へあそばさず、天地と共に御世しろしめすことぢゃが、此の道を神道と申した」(真の神道とは天つ神・高皇産靈神、神皇産靈神を始めとして、伊邪那岐伊邪那美神が継承された功徳は天照大御神に傳へられ、皇孫・邇々杵尊が天降りあそばされる時、以上の神々より天の下を統治されるまつりごとを傳へられ、それから、ご歴代の天皇は神々のご依託のままに、ご自分のお考へをお加へにならず、天地と共に御代を統治されることだが、この道を神道と申した、といふほどの意)と論じてゐる。

 

『萬葉集』にも「神ながら」といふ言葉は多く登場する。

持統天皇が吉野の離宮に御幸されましし時、供奉した柿本人麻呂の長歌では、

 

「やすみしし わが大君 神ながら 神(かむ)さびせすと 芳野川 たぎつ河内に 高殿を 高しりまして…」(「やすみしし」は「わが大君」に掛かる枕詞)

わが大君が神であるままに、神様らしく振舞はれるべく、吉野川の激しく流れる川の谷間に、高殿を高々と建てられて…)と歌はれてゐる。

 

 そして、反歌には、

 

「山川も よりて奉れる 神ながら たぎつ河内に 船出するかも」(山も川も信服して仕へ奉る大君は、神であられるままに激しく流れる吉野川に船出をされることだなあ、といほどの意) と歌はれてゐる。

 

さらに、軽皇子(かるのみこ。天武天皇・持統天皇の皇孫。後の文武天皇)が阿騎野といふところで狩りをされ、その夜そこに宿られた時に、お供をした柿本人麻呂が歌った歌では、

 

「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと…」(わが大君、日の神の皇子は、神であるままに、神様らしくふるまはれるべく…)

と歌はれてゐる。

 

この歌には、天皇の御行動が、そのまま神の御行動であるといふ現御神信仰を歌ひあげてゐる。そればかりでなく「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句には、「現御神日本天皇」の御本質と、日本天皇の國家統治の御本質が、高らかに信仰的に歌ひあげられてゐるのである。

 

 大君に掛かる枕詞の「やすみしし」は、持統天皇に捧げられた歌には「安見知之」、軽皇子に捧げた歌では「八隅知之」と、萬葉仮名では表記されてゐる。前者は、「やすらけくこの國をしろしめす」といふ意であり、後者は、「四方八方をしろしめす」(八隅は八紘と同じ意)といふ意である。「やすみしし」といふ枕詞は、日本天皇が平安に四方八方を統治される御方であるといふことを表現してゐる。

 

「高照らす 日の皇子」とは、高く照らす太陽神たる天照大御神の御子といふ意である。

 

「日本天皇は天照大御神の御子としてこの地上の中心に立たれ四方八方を平安に統治されるお方である」といふ現御神信仰がこの対句に示されてゐるのである。

 

 これら人麻呂の歌で用いられてゐる「神ながら」は、「神」の「柄」(その物に本来備わっている性質、性格。本性の意。人柄の柄と同じ)といふ意味だとされてゐる。「な」は助辞で「の」の意。そして「ある行動などが、神としてのものであるさま。神の本性のままに。神でおありになるさまに」「ある状態などが、神の意志のままに存在するさま。神の御心のままに」といふほどの意味になる。

 

以上、『日本書紀』『万葉集』の「神ながら」といふ言葉の意義を踏まへて「神ながらの道」を定義すれば、「自分の私心を加へないで、神の御意志通りに、神のなさることをそのまま踏み行ふ道」として良いかと思ふ。天地自然と祖靈を神として仰ぐところの人為の理論・教条ではない虚心坦懐な信仰が、「神ながらの道」である。

 

我々の生活が神のみ心通りの生活になり、神のご生活と我々の生活が同じになることをことが「神ながら」なのである。一言で申せば『神人合一』の生活である。

 

そしてその神とは抽象的な概念ではなく、天地自然と共に生きたもう神である。熊沢蕃山は、「天地は書なり。萬物は文字なり。春夏秋冬行はれ、日月かはるがはる明らかなり。これ神道なり」(集義外書・巻十六)と述べてゐる。

 

天地の神の祭り主であらせられる天皇は、地上に生きたまふ神として、天上の神々と同じ資格になられ日本國の祭祀主として立たれるといふのが「現御神信仰」である。祭祀主たる天皇のお役目・御使命は、天上の生活を地上に持ちきたすことである。天孫降臨の神話は、そのことを物語ってゐる。

 

そして、天上と地上とを神のみ心のままに合一せしめるお役目を果たされる現御神日本天皇の神聖性をかしこむことが、日本人の道徳生活の基本である。わが國においては、天皇への絶対的な仰慕の心が道義の基本なのである。天皇は神々の道を踏み行はせられ、我々國民は天皇の行ひたまふ道に随順するのがわが國の道徳生活の基本である。

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2018年2月14日 (水)

「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。

 

 

 

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2018年2月 5日 (月)

日本人の他界観

 

まだ見たこともなく、また行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持っていた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、外来思想の影響を受けながら発達し、日本人の生活と宗教の根本にあるものなのである。さらに、世の中の変革を求める心もまだ見ぬ世界即ち他界への憧れと言っていい。       

 

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」というのである。それは平安時代の歌人・在原業平が

 

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

 

と詠んでいる通りである。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのである。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。 

 

日本人は基本的に、人間は肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。なぜなら、自分の親や愛する人などが、あの世に行って苦しんでいるなどと考えることに耐えられないからである。

 

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていた。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じた。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられた。

 

すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのである。

 

春秋二回のお彼岸は今日仏教行事となっているが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事なのである。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきたのである。「彼岸」とは向こう岸という意味であり、日本人の他界(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)観念とつながる。

  

「他界」の事を、古代日本人は、「常世」(とこよ)・「妣(はは)の国」・「ひなの国」・「夜見(よみ)の国」などと呼んだ。

 

「常世」とは、明るい永遠の生命を保つことのできる理想世界のことである。「とこ」とは永遠とか絶対とか不変とかいう意味であり、「よ」は世であり齢でもある。不変にして老いず死なない世ということである。逆に暗い世界を「常夜」(とこよ)と言った。これは今で言う地獄ということであろう。

 

「妣の国」とは、母のいる故郷のことである。故郷を遠く離れたものにとって、そこは憧れの対象であり、やがては帰って行きたいところである。望郷の念を持つ人は故郷のことを「母国」という。なぜか「父国」とは言わない。母を慕う気持ちがそうされたのであろうか。母が「産み」の本源であるからであろうか。

 

「ひな国」の「ひな」とは、山や海の彼方の遠い異郷・聖なる世界のことである。「ひなびた」というと都から遠い世界即ち田舎らしい感じがするという意味である。お雛(ひな)様とは、遠い国から訪れた男女一対の高貴な霊というのがそのもともとの意味である。庶民にとって皇室は遠くて高貴な憧れの対象だったのである。

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2018年1月23日 (火)

日本人の海の神と山の神への信仰

 

 日本人の海の彼方への憧れは非常に強い。日本人はお淨めに塩を用いる。塩は海から取れる。海が清らかなところと信ずるがゆえである。清らかさ・明るさを好む日本人のロマン精神は「海」への憧れと一体であったのである。また陸地の穢れたものはすべて海に流せば淨まってしまうという信仰があった。海には伊耶那岐伊耶那美二神の御子神であられる「わたつみの神(綿津見神)」がおられるという信仰がある。この綿津見神は伊耶那岐命が筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊されました時になりませる神である。古来日本人は清潔さを好み、海は清めの場所であり、海の神は清めの神であると信じたのである。日本文学の起源と言われている「祝詞」にはこの海への憧れ・日本人の持っている「陸地の穢れたものはすべて海に流せば淨まってしまう」という信仰が歌われている

 

 『大祓詞』には「天下四方(あめのしたよも)の國には、罪と云ふ 罪は在らじと、…大海原に押し放つ事の如 く、遺(のこ)る罪は在らじと祓ひ給ひ清め給ふ事を、…瀬織津比(せおりつひめ)と云ふ神、大 海原に持ち出でなむ。如此(かく)持ち出で往() なば、荒鹽(あらしほ)の鹽の八百道(やほぢ) の、 八鹽道(やしほぢ)の鹽の八百會(やほあひ)に座() す、速開都比(はやあきつひめ) と云ふ神、持ち可 可(かか)(のみ)てむ…」と語られている。

 

 綿津見の神のおられるところが即ち綿津見の神の宮・龍宮である。綿津見の神は、日子穂穂出見の命が兄君から借りた釣針を失って苦しまれていた時に、お助けした神である。

 

 柿本人麿は

 

「海神(わたつみ)の 手に纒()き持てる 玉故(ゆえ)に 磯の浦廻(うらみ) に 潜(かづき)するかも」(海の神が手に巻いて持っている玉のために、それを得ようと岩礁のある浦のほとりで水に潜ることよ)。

 

と歌った。

 

これは譬喩歌で、親許で拘束され自由に恋愛できない娘を、海神が手に巻いている玉に譬え、困難を冒してその娘を得むとする作者自身を海に潜って玉を取ろうとする人に譬えたのである。

 

「うみ」は「生み」に通じ、創造・生産の本源世界である。常世とも妣の国とも言うところは海の彼方の神のいる国なのである。そこは、太平洋岸では日の昇る水平線の彼方であり、日本海岸では日の沈む水平線の彼方である。そこには浦島太郎が老いなかった永遠の国・龍宮世界があると信じたのである。

 

 日本人はまた、山を信仰の対象として来ている。これを山岳信仰という。三輪山信仰・富士山信仰・御嶽信仰・白山信仰等々日本各地に山への信仰が今日も根強く行われている。これは山そのものを御神体としているが、その山を階梯としてより高い天上の清らかな世界に憧れているのである。

 

大和にある天の香具山は高天原につながる山として仰がれている。天の香具山を歌った歌は数多いが、その代表的な歌が、次に掲げさせいただく持統天皇御製である。

 

「春過ぎて 夏来(きた)たるらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山」(春が過ぎて夏が来たのであろう。天の香具山には真っ白い衣が乾してあるなあ)

 

同じく大和の国の東側にある三輪山は、太陽の昇るところであるため、太陽信仰・天照大神信仰とつながり、三輪山のふもとに、伊勢に移られる前に天照大神が祭られたのである。ここから天の神、高天原の神への信仰が形成される。

 

三輪山を歌った歌は、額田王の

 

「三輪山をしかも隠すか雲だにも情(こころ) あらなも隠さふべしや」(三輪山をどうしてあのように隠すのか。せめて雲だけでも情けががあってほしい。隠し続けることがあるべきだろうか、あってはならない)

 

が最も有名である。これは額田王が天智天皇に従って大和から近江に移る時に、大和地方の象徴とも言える神の山たる三輪山との別れを悲しんで歌った歌である。

 

 海の彼方の世界も、山の上の天の世界も清らかで明るい世界である。海の明るさ・清らかさ、太陽の明るさ・天空の清らかさを憧れたということは、日本人がその基本的な感覚として、清らかさ・明るさを好んだことが知られるのである。

 混迷せる現実の世界から脱却し、理想の国を建設せんとする変革運動もまた、日本人が伝統的に抱いてきた他界即ち理想国へのロマン精神にほかならない。大化改新・明治維新・明治維新は全て神武建国への回帰という理想とロマンのもとに断行された。今日我々の目ざす維新変革もまたそうであらねばならない。

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2018年1月16日 (火)

神道とは祭祀を基本とし、國民の生活と共に継承されてきた信仰である

 

日本傳統信仰を神道といふ。神道とは、日本民族生成以来の民族信仰である。そして日本民族の形成する共同体と共に継承されてきた信仰である。神道は日本民族および日本國と一体の信仰である。日本の神々への信仰を基本とし、太古より行はれ続けてゐる神々への祭祀を基本行事とする。そして祭祀共同体國家日本の最高の祭祀主が天皇であらせられる。日本國民の生活の中に生まれ生活と共に継承されてきた「祭り」を基本とする信仰が神道であると言って良いと思ふ。

 

葦津珍彦氏は、次のやうに論じてを等れる。

「神道とは、日本民族に固有の精神であり、文化でもあるが、それを精緻に理論的に分析すれば、それは多用な宗教的精神信条をふくんでゐる。そこに日本國固有のものとしての共通性もあるが、相異なる特殊の多様性の存在をも否定しえない。それを総称して、『惟神の大道』といふのであらうが、その主流、源泉を形成したものとして全國に鎮座するところの神社がある。」

「神道とは、一人の天才の教祖の教義に源流する仏教やキリスト教とは異なってゐる。それは、数千年の日本民族大衆の精神生活の中で、自然成長的に育成されて来た民族固有の精神の総称である。そこには複雑にして多様な精神が、ふくまれてゐる。それは多くの祖神や郷土の自然神への信仰もあり、水野練太郎(四宮註・昭和初期の内務官僚)のいふやうに異國渡来文化の日本的土着化的影響もある。それを、すべて教義化しようとしても、特定一宗教の一教會『一教団』として統一し得るものではない。古来いくたのニュアンスの異なる神道流派を生み出し、明治維新後においても、各流派の神道説が相対決したのも当然である。…強ひて宗教か非宗教かを論ずるとすれば、各流各派の日本固有の宗教をふくむものであって、特定の一宗教として限定すべきでないといふのが、公正なのであらう」(『國家神道とは何だったのか』)。

 

神道は共同体信仰であるから、日本の天皇中心の國體と一体である。また、日本人の心の奥深く、あるいは意識の深層に脈々と流れ、何か事が起るとそれに応じて表面の意識に働きかけ、行動にまで駆り立てる精神が神道精神である。國民道徳・政治・法律・芸術・文化の根底にあるものである。

 

「神道」といふ言葉自体、わが國に仏教や儒教が傳来した後にそれと区別するために生まれてきたのである。『日本書紀』の用明天皇の巻並びに孝徳天皇の巻に見えるのが最も古い「神道」といふ言葉の用例である。神道は、教祖はゐない。また、独善的な教条・思想体系・神學大系はない。したがって独善的教条の布教活動は行はない。

 

明治維新後、政府は、近代における國家建設のために、神道を國民精神の基盤にしようとした。しかし、政府権力が特定の宗教を援助するといふ批判を避け、政教分離の原則、信教の自由の原則を守るために、「神社神道は宗教ではないから、國民個人の信仰とは相矛盾しない」といふことを強調しなければならなかった。つまり明治以後の「國家神道」とは、神社神道から宗教性を除去したものとなった。

 

たしかに神社神道は、教祖がをり、独善的な教条・思想体系・神學大系を持ち、布教活動を行ふ一般の教団宗教とは異なる。したがって「神道非宗教論」が、「神道は教団宗教ではない」「神道は一般宗教とは次元を異にする宗教である」といふ意味なら正しい。しかし神道が「宗教ではない」といふのは誤りである。

 

神社は、國家の功労のあった人を記念する無宗教の施設ではない。さうした考へは、今日問題になっている無宗教の戦没者慰靈施設と同じである。偉人・賢人を顕彰するのみの儀礼行為およびその施設が神社神道なのではない。神道の祭りは、本居宣長のいふ「尋常ならず、すぐれた徳のありて、可畏しこきもの」を神として祭るのである。祭祀は宗教行為であり信仰的行事である。

 

宗教とは、神といふ根源的な大いなる存在との一体観(神道の祭祀はまさに神人合一の行事である)によって共同体および個人の安穏を得ることである。「宗教性」とは、神靈を信ずることである。神靈を除去した神道そして神社といふものはあり得ない。日本國中の神社に祀られている天地の神々を信仰し祭祀する宗教が神道であり、その祭祀主が天皇であらせられる。

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2018年1月 9日 (火)

世界に誇るべき日本伝統信仰の素晴らしさ

 

 

「神」は、本居宣長が説いている通り、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

 

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)(『古事記傳』)と定義してゐる。

 

 日本の自然の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。

 

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

 

自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文學的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

 

近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

 

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

 

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から學んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精靈たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精靈たちを祓ひ清め鎮めたのである。

 

日本傳統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現實に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食ひ止める大きな力となってゐる。

 

科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の君主であらせられる。これが世界に誇るべき日本國體の素晴らしさである。

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2018年1月 6日 (土)

日本の伝統的死生観

日本の伝統的死生観においては、肉体の死は、人間そのものの消滅ではなく、現世から身を隠すことに過ぎないと信じられてきた。だから、死後の世界を幽世(かくりよ)と言ひ、死後の人間を隱身(かくりみ)と言ふのである。

 

『萬葉集』に収められてゐる大津皇子(ほおつのみこ)の御歌では、

 

「ももづたふ磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隱(がく)りなむ
                     (

と歌はれてゐる。死に対して否定的懐疑的要素は全くなく、積極的・肯定的な精神が歌ひあげられてゐる。。

 

「今日のみ見てや雲隱りなむ」は、日本武尊が薨去の直前に歌った「はしけやし 吾家(わぎへ)の方よ 雲居起ち來も」と同じ信仰である。雲は霊であった。日本武尊にとって雲はご自分と故郷大和との間をつなぐ霊であった。雲は霊魂の運搬車であった。萬葉集の225,799の歌は、雲の中に霊・生命を見た歌である。

 

柳田國男氏は、「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まってさう遠くへは行ってしまはないといふ信仰が、恐らくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられて居るといふことである」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

死者の霊魂は、はるか彼方の他界に行ってしまふのではなく、この国土に留まって子孫を見守ってゐるは、わが国において永く継承されてきている。それは、「先祖様が草葉の蔭から見守ってゐる」といふ言葉がある通りである。

 

この世を去った人の霊魂を身近に感じて来たのが日本人の伝統的祖霊観、生死観である。日本人が比較的死を恐れない強靭な精神を持っているのは、かうした信仰が根底にあるからであらう。

 

魂が身体から遊離することが死である。それがために肉体人間は力を失ふ。死とは無に帰するのではない。勢ひがなくなることを意味する「しほれる」が「しぬ」といふ言葉の語源である。「心もしのにいにしへおもほゆ」の「しの」である。くたくたになってしまって疲れるといふ意味である。気力がなくなってしまったといふ意味である。

 

枯れるといふ言葉と同根の「から」が「亡骸」の「から」である。死とは命が枯れることであり、肉体から魂・生命が去ることである。

 

人間の死を「神去る」「逝く」「身まかる」と言ふ。葬るを「はふる」といふ。「はふる」とは羽振るである。魂が空を羽ばたいて飛んでいくといふことである。羽振りが良いとは勢ひがあるといふ意である。

 

死は消滅ではなく、生き返るのであり、甦るのである。日本伝統信仰には死はない。

 

「よみがへり」とは、黄泉の国から帰ることである。『萬葉集』では「よみがへり」といふ言葉に対して「死還生」(三二七)といふ字をあててゐる。「黄泉の国」とは死後の世界である。

 

「このよみがへり」の思想が、仏教の輪廻転生思想を受け入れた信仰的素地とされる。あの世もこの世もそれほどお互いに遠いところではないのである。

 

死後の世界は近く親しく、いつでも連絡が取れるところである。だから草葉の陰から見守ってゐてくれるといふ言葉があるのである。お盆には先祖の御霊が帰って来るといふ信仰もある。生と死の区別は明白ではなく、人はこの世を去ってもまた帰って来るといふ信仰がある。日本伝統信仰における「死」とは誕生・元服・結婚と同様の「生まれ変はりの儀式の一環」である。

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2017年12月27日 (水)

三輪山信仰について

 わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてゐる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

 三輪山が大和地方の神奈備であるといふことは、三輪山はその地に都を置いてゐた大和朝廷の信仰的権威の象徴でもあったと思はれる。だから、敏達天皇の御代に、蝦夷の反乱を討伐して蝦夷の酋長を大和に連れて来た時、泊瀬川(はつせがわ)で体を清めさせて、三輪山の神の御前で大和朝廷への服従を誓はせたのである。

 

 なぜ三輪山が大和の神奈備になったのかといふと、山の姿そのものが美しかったことにもよるが、それと共に大和盆地の東南に位置する三輪山の方角から太陽が昇って来たからであらう。そして大和盆地の上を太陽が渡って二上山の方角に沈んだ。故に太陽信仰・日の神信仰の象徴として三輪山が仰がれた。三輪山信仰は、山そのものを御神体として拝むと共に、三輪山の背後から昇って来る日の神への信仰・太陽信仰でもあったのである。

 

 三輪山の麓には檜原神社が鎮座する。檜原の地は大和笠縫邑(ヤマトカサヌイノムラ)といはれ天照大神が伊勢の神宮に祭られる前に祭られた地である。だから檜原神社を元伊勢と申し上げる。天照大神は最初に三輪山の麓に祭られた後、各地を経巡られて、最後に大和盆地の直線上東方に位置する伊勢の地に鎮まられたのである。

 

 また、三輪山の麓から真直ぐ西に行ったところに大きな箸墓といふ古墳がある。倭迹々日百襲姫命の御墓といはれてゐる。『書紀』には、この倭迹々日百襲姫命に大物主神が神懸りしたと伝へられてゐる。つまりこの墓は三輪山の神を祭った巫女の墓といふことである。

 

 邪馬台國畿内説をとる人は、この古墳を、太陽神を祭った祭祀王である卑弥呼(ヒミコ)の墓であるとしててゐる。卑弥呼(ヒミコ)とは支那人が日本を蔑視してこのやうな漢字をあてたのであって、正しくは「日の御子」である。邪馬台國(ヤマタイコク)はいふまでもなく「大和の國」である。

                     

 何故、日本最尊・最貴の神であられ、皇室の御祖先神であり太陽神であられる天照大神が女性神であられるかといふと、太陽神を祭る祭り主が女性であったから、祭る神が祭られる神になったからであると言はれてゐる。太陽神が祭り主と合体合一したのである。

 

 大和盆地をはさんで三輪山の向かひ側(即ち大和盆地の西方)にある二上山には、刑死された大津皇子(天武天皇の第三皇子)の御陵がある。二上山の麓には當麻寺といふ寺がある。この寺はわが國最初の浄土信仰の寺であり、浄土を描いた有名な『當麻曼荼羅』がある。つまり二上山は夕陽が入る山であるので他界(西方極楽浄土)の入り口と考へられたのである。

 

 そして二上山の向かふ側には天皇御陵がたくさんあり、さらに西へ真っ直ぐに直線を伸ばすと、國生みの神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命を祭った神社がある淡路島に至る。

 

 伊勢の神宮起源の地といはれる伊勢の齋宮から、大和盆地の三輪山・檜原神社(元伊勢)・倭迹々日百襲姫命墓・二上山を経て、仁徳天皇御陵などの天皇御陵の鎮まる大阪府堺市百舌鳥、そして國生みの神を祭る淡路島に至るまで、東西に走る直線で結ばれる、まことに不思議な事実がある。これは太陽の移動する線と共に神々を祭る地があるといふことである。この線は北緯三四度三二分である。

 

 三輪山の麓には、崇神天皇・景行天皇の御陵がある。三輪山とその周辺が大和朝廷の祭祀の場所であったことは明らかである。

 

 『日本書紀』は神武天皇と崇神天皇を「ハツクニシラススメラミコト」(國を初めて統治された天皇といふほどの意)と称へてゐる。崇神天皇の御代に、それまで天照大神を宮中の大殿に祭ってゐたのを、大和笠縫邑(今日の檜原神社が鎮座するところ)にお祭りするやうになった。

 

 大和盆地に大和朝廷の都を置くといふのは、神武天皇以来の伝統であった。『日本書紀』に、神武天皇が塩土老翁(しほづちのをぢ)といふ航海・海路の神の御託宣により、大和橿原の地に都を開かれることを御決意あそばされた時の御言葉が記されてゐる。それには、「東(ひんがし)に美(うま)し地(くに)有り。青山四周(あおきやまよもにめぐ)れり。…彼の地は、必ず以て大業を恢弘(の)べて、天下(あめのした)に光宅(みちを)るに足りぬべし。蓋し六合(くに)の中心(もなか)か。…就(ゆ)きて都つくるべし」と示されてゐる。

 大和の國は四周を山に囲まれ当時の日本のほぼ中央に位置する美しい國であった。神武天皇は神の御託宣によって大和の地を都のあるべき地と定められたのである。

 

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