2020年6月17日 (水)

近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない

日本各地に神社がある。神社が無い共同体は殆どない。神社は各地の共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。

そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、民は「子」として慈しまれる。

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体が今日においても脈々と傳へられ、現實に生きてゐるところにわが日本國の素晴らしさがある。

古代オリエント、古代支那、古代インドは、征服されて祭祀共同体は破壊され、そこに生きてゐた人々は個別化された。つまり日本國と諸外國とでは國家の成り立ちが根本的に異なるのである。従って、外国の國家思想をわが國の憲法に採用するのは國體隠蔽につながる。易姓革命思想・国民主権論がそれである。

わが國は、地域のみではなく、企業においても神社あるいは祠を立てて神を祭ってゐる。さうした神々は「企業神」と言はれる。企業神は無機質な利益追求の機能集団である企業に倫理的精神的結合を与へてゐる。素晴らしいことである。

しかるに近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない。

|

2020年6月12日 (金)

日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である

近代以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が復活されるべきである。

戦争直後の、戦勝国による皇室弱体化策謀は、七十年以上を経た今日、花開き実を結びつつあると言っても過言ではありません。まことに由々しきことであります。しかし、神の御加護は必ずあります。これまでの国史を顧みても、「壬申の乱」「南北朝の争乱」など大変な危機的状況を克服してきました。日本皇室は永遠であり、皇統はまさに天壌無窮であります。われわれ日本国民は、そのことを固く信じつつ、その信の上に立って、最近特に巧妙になってきた國體隠蔽・國體破壊の策謀を断固として粉砕していかねばならないと思います。

日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を伝えられている。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

最近、祭祀共同体日本の根幹を支える神社において、色々と不祥事が起っている。まず以て全国神社の祓清めが断行されねばならない。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。

天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。日本の歴史と傳統は、天皇によって体現されます。日本文化の一体性・連続性の窮極の中心者が天皇であります。日本文化傳統の核である祭祀を司っておられるお方が天皇であらせられます。天皇は、日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがへのない唯一の中心者であらせられます。

天皇は外国の国家元首とは全くその本質を異にします。天皇の祭り主・統治者としての真のお姿を回復することが最も大切であると信じます。

|

2020年6月 1日 (月)

自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切

大地震・大津波・火山噴火・台風など、わが国は自然災害が多い。和辻哲郎氏が、その著『風土』において次のやうに論じてゐる。

 「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。…ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服さるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。……自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然と共に生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さをまって初めてあり得たことであろう」。

 ヨーロッパの自然は、比較的温順にして秩序正しいので、神が創造した自然は、神の創造物の中で最も高い地位にある人間によって支配され改造され利用されてよいといふ思想が生まれた。これがヨーロッパの自然観である。こうした自然観が、自然を改造し利用して科学技術を発達させたが、自然破壊につながった。

日本をはじめとした東洋の自然は比較的厳しいので、人間は自然と共生し、自然を畏怖すべきものとして接してきた。そして自然を「神」として拝み、信仰の対象にした。

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。

自然災害はまさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させる。 

古代日本人は、人生も自然であり、人の生活は自然の中にあるものであって、人間は自然の摂理と共に生きるべきと考へた。だから西洋のやうな「自然を征服する」とか「自然を改造する」などといふ考へ方は本来なかった。

津田左右吉氏は「萬葉歌人の自然に対する態度についていふべきことは、自然を我が友として見、無情の生物を人と同じく有情のものとすることである。」(『文学に現はれたる我が国民思想の研究』)と論じてゐる。

日本人にとって自然とは、本来、対立するものでも、征服するものでも、造り替へるものでもなかった。自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。自然の摂理に歯向かふ時、人間は自然の報復を受けるといふことを体験的に知ってゐた。報復と言って悪ければ、摂理に逆らふことによって害を受けることを知ってゐた。日本人は古来、自然を畏敬し、順応しつつ生きて来た。

日本人のみならず近代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆って、文明の進歩発展・経済発展の道をひたすら突っ走ってきたことは確かである。

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」といふ。山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出た言葉である。まさに日本人は、山野に霊が宿ってゐると思ひ、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だったのである。

かうした信仰精神を今日に蘇らせることが自然保護の最高の方策である。法令や罰則の強化は必要ないとは言はないが、それ以前に、自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。それには、古代日本人の自然観が表白されている日本神話の世界や『萬葉集』の自然詠の精神に回帰することが大切である。

日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。一神教の神観念とは大きく異なる。

 それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」というふ一定の相形(すがたかたち)はない。神の姿は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。

|

2020年5月26日 (火)

国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。祭祀は、〈神人合一〉の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

「祭り」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」
日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌ひ踊って喜ぶ場面の掛け声である。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「祭り」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。決してしかめつらしい境地ではない。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。面白く、楽しく、清らか、といふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである。

民族の魂の甦りであり日本の道統への回帰である維新の精神を、最もよく表白した歌は伴林光平の次の歌である。

 「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ) に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」

 伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりましますゆえに伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思われ、自分自身も神代の人のように思われる」というほどの意である。

「今即神代」が日本伝統信仰の根本である。伊勢の神宮に行くと今日においても誰でもこの思いを抱く。近代歌人のこれと同じ思いを歌に詠んでいる。

窪田空穂は

「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と詠んでいる。

 今を神代へ帰したいという祈り即ち「いにしえを恋うる心」がそのまま現状への変革を志向するのである。しかも光平のこの歌は、それを理論理屈ではなく、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴えているのだ。だからこそ多くの人々に日本の道統への回帰を生き生きと自然に神ながらに促すのである。

 光平は「いにしえを恋うる歌」を詠みつつそうした絶対的な信念に根ざしつつ現実の変革への行動を起こした。それが文久三年(一八六三)の天誅組の義挙への参加である。

同年八月十三日攘夷祈願のため大和に行幸され畝傍の神武天皇山陵に親拝される旨の勅が下った。これを好機として一部の公家や勤皇の志士たちは倒幕を決行せんとし、「天誅組」を名乗って決起した。ところが八月十八日に政変が起こって朝議が一変し、大和行幸は中止となった。決起した志士たちは逆境に陥り、壊滅させられてしまった。伴林光平は天誅組に記録方兼軍義方として参加したが、捕らえられ、元治元年二月十六日京都にて斬罪に処せられた。光平の歌でもっとも人口に膾炙している歌は、
 
 「君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪」

 である。京都にて斬刑に処せられる際の辞世の歌と伝えられる。死への恐怖などというものは微塵もないこれほど堂々としたこれほど盤石な精神の満ちたこれほど力強い辞世の歌は他にあるまい。

 「君が代はいはほと共に動かぬ」という信念は光平の「神代即今」「今即神代」という深い信仰が基盤になっているのである。草莽の志士たる光平をはじめとした天誅組の烈士たちの熱い祈りと行動が、王政復古そして維新の原動力となったのである。

|

2020年5月 5日 (火)

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである


神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。祭祀は、〈神人合一〉の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

「祭り」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌ひ踊って喜ぶ場面の掛け声である。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「祭り」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。決してしかめつらしい境地ではない。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐるのである。

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で、神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に記されてゐる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。面白く、楽しく、清らか、といふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

今日のやうな大国難の時期においてこそ、厭世的ではなく逃避的でもなく、清潔さを好む、明るくおおほらかなる祭祀の精神を回復すべきである。

|

2020年5月 1日 (金)

日の神を祭る祭祀共同體が我が國の起源であり本質である

伊勢の神宮に奉斎されてゐる神鏡が、崇神天皇の御代に皇居からお出ましになり、大和笠縫の地に奉斎され、ついで垂仁天皇の御代に伊勢に奉斎されたと傳へられてゐるが、この事は、天照大御神が皇室の御祖先神であらせられると共に、日本民族全體の祖先神・御親神であらせられることを示したと思はれる。

『記紀』の神話は、かうした神聖なる宗教的統一が行はれた日本國生成の物語が語られてゐる。

柳田國男氏は、「皇祖が始めてこの葦原中つ國に御入りなされたときには、既に國土にはある文化に到達した住民が居た。邑に君あり村に長ありといふのは有名な言葉で、彼等は各々その傳統の祭りを續けて居たと思はれる。それが幸ひなことには、互ひに相扞格(かんかく。お互ひに相手を受け容れないこと・註)するやうな信仰ではなかったのである。天朝はそれを公認し又崇敬なされて、いはゆる天神と地祇との間に何の差等をも立てられなかったこと、是が國の敬神の本義であり、國民も又範をそこに求めて、互ひに他の氏ゝの神祭を尊重したことは、國初以来の一大方針であったらう…それが互ひに隣を爲し、知り親しむことの深きを加ふると共に、少しづゝ外なる神々の力を認めるやうになりかけて居たといふことが、欽明天皇の十三年、新たに有力なる海外の一種の神を迎へ入れんとした機縁を爲したかと思はれる。」(『氏神と氏子』)と論じてゐる。

これはきはめて重要な論述である。日本國は各地方の共同體・村落の祭祀を廃絶し滅ぼして宗教的統一を達成したのではなく、各地方の共同體・村落の祭祀が統合され平和的に包容されて日本國といふ天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家が生まれたのである。日本國は、いはゆる天孫民族が先住民を侵略し滅亡させて建國されたのではない。それは大和朝廷の「信仰・祭祀」と出雲・三輪山・葛城山など数多くの地方共同體の「信仰・祭祀」との関係を見れば明らかである。このことが、仏教といふ外来宗教を包容摂取する基盤となったのである。
日本傳統信仰たる神社神道を一般の教団宗教と同一視して、「政教分離の原則」をあてはめることはまったく日本の傳統にそぐはないことなのである。全國津々浦々隅から隅まで神社があり、鎮守の神様が祀られてゐる。日本は神社國家と言って良い。

宗教的祭祀的権威による國家の統一とは、これを迎へる民にとっては、日の大神の来臨であり、豊饒と平和とをもたらす神の訪れであった。古代における天皇の各地巡幸と國見の行事はその継承であらう。

 ともかく日の神を祭る祭祀共同體が我が國の起源であり本質である。権力・武力によって統一されたり建國された國ではないのであるから、欧米の諸國家とはその成り立ちが全く異なるのである。ゆへに、欧米國家観によって我が國體を規定してはならない。

天皇と國民と國土は靈的・魂的に一體の関係にある。神話とは、現實の歴史を反映し理想化して描いた物語であり伝承である。日本國の祭祀的統一の歴史が、神話において物語られた。君主と國民とは対立関係にあるのではないし國家と國民も対立関係にあるのではないことは、日本神話に示されてゐる。

村岡典嗣氏は、「(國家の神的起源思想の特色として・註)國家成立の三要素たる國土、主權者及び人民に對する血族的起源の思想が存する。即ち皇祖神たる天照大神や青人草の祖たる八百萬神はもとより、大八洲の國土そのものまでも、同じ諾册二神から生れ出たはらからであるとの考へである。吾人は太古の國家主義が實に天皇至上主義と道義的關係に於いて存し、天皇即國家といふのが太古人の天皇觀であったことを知る。皇祖神が國土、人民とともに二神から生れ、而も嫡子であると考へられたのはやがて之を意味するので、換言すれば天皇中心の國家主義といふに外ならない。」「日本の國家を形成せる國土(即ち大八洲)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの神的また血的起源であるといふことである。」(『日本思想氏研究』四)と論じてゐる。
日本國は神の生みたまひし國である。日本國の肇國・建國・生成は、決して武力や権力による統一・結合そして支配被支配関係の確立ではない。

伊耶那岐命・伊耶那美命は、自然神であると共に、人格神であらせられた。岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、國生みを行はれた。二神の「むすび」「愛」によって國土が生成されたのである。國土ばかりではなく、日本國民の祖たる八百萬の神々もそして自然物も全て岐美二神のよって生まれたのである。

國土も自然も人も全てが神の命のあらはれであり、神靈的に一體なのである。これが我が國太古からの國土観・人間観・自然観である。

日本神話においては、天地が神によって創造されたのではなく、二柱の神の「愛・むすび」によって國土が生まれた。つまり神と國土・自然・人間は相対立し支配被支配の関係にあるのではなく、神靈的に一體の関係にあるのである。ここに日本神話の深い意義がある。神と人とが契約を結び、神は天地を創造し支配するといふユダヤ神話とここが全く異なる。

伊耶那岐命が伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ。だから・註)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞ぎて、國土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふた。
伊耶那岐命が「國土を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。

中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、國土創造の話に転換されている。これは日本神話の特色で…」(『天つ神の世界』)と論じられてゐる。

岐美二神は、単に大地の創造されたのではなく、國土の生成されたのである。太古の日本人は劫初から、國家意識が確立してゐたのである。この場合の「國家」とは権力機構としての國家ではないことはいふまでもない。

天皇と國民と國土の関係も、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。靈的魂的に一體の関係にある。これを君民一體といふ。

|

2020年4月19日 (日)

今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべし

祇園祭の由来は今からおよそ一一〇〇年前の貞觀十一年(八六九)、京都で流行した疫病を鎮めるため、「祇園社(ぎおんしゃ)」(現在の八坂神社)にて六六本の鉾をつくり疫病の退散を祈願した御霊会が始まりという。
毎年七月に行われる祇園祭山鉾巡行は、今年は例年通りの巡行を中止する方向で関係者が検討を進めていることが四月一六日に分かった。重要無形民俗文化財に指定され、日本三大祭りの一つに数えられる祭礼には、例年、実に多くの観光客が京都に押し寄せる。新型コロナウイルス感染拡大の終息が見通せない中、従来通りの実施は困難だとして、祇園祭山鉾連合会が各山鉾町などとの調整を続けていて、二〇日に記者会見し、方針を示すという。止むを得ないことであろうか。

しかし、神道学者などから、「疫病退散の祭りなのに。いまやらなくて、いつやるの」という疑問の声があがっている。たしかに、祇園祭は、伝染病退治の祭祀なのであるから今こそ行われるべきであろう。これまでも山鉾巡行はコレラが流行した明治時代に秋に延期したり、5月に実施したりしたことがあった。取りやめは、阪急電鉄の地下工事により中止された昭和三七年以来五八年ぶという。

神社関係の大きな祭礼や寺院の大きな法要なども中止延期を決めた神社仏閣も多いようである。たしかに感染拡大防止のために緊急事態宣言が出されているのであるから、多くの人々が集まる大宗教行事の中止や延期は止むを得ないことなのかもしれない。しかし、余りにそういうことを恐れるあまり、本来行われるべき、否、行わなければならない祭礼・法要などを中止や延期にしてしまうのは如何なものであろうか。むしろこういう時にこそ粛々と行われるべき祭礼・法事があるのではないだろうか。

わが國は國難を契機として、一大変革を成し遂げてきた歴史を有する國である。この度もさうであらねばならない。今日の日本も幕末期・明治初頭と同じやうな、否、それ以上の危機に直面してゐる。國難に遭遇してゐる。今日においてこそ、日本傳統精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

日本傳統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の實際生活から生まれて来た信仰である。この日本傳統信仰に今こそ回帰し、今日の疫病猖獗などの國難打開危機を乗り越えるべきである。

これは安易なる神仏へのよりかかりではないし、「叶はぬ時の神頼み」でもない。わが國は、古代以来、神への祭りによって大國難を乗り切ってきた歴史を有する。私はそのことを信じて疑はない。

重要なのは、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國難打開の祭祀・祈願を行ふべきだといふことである。わが國は維新変革を断行する直前に、内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。今日においてもさうした歴史に学ぶべきと考へる。

然るに、今回の國難においては、全國各地の神社や寺院などにおいて、神職・僧侶・氏子・信徒が一丸となって、神を祭り、仏に祈願を行ったといふ話を聞かない。それどころか、全國の神社仏閣は大きな行事を自粛し、僧侶は自宅待機などをさせられるといふこともあるといふ話を聞いた。何ともおかしなことである。

感染拡大には十分に対策をとりつつ、疫病・自然災害の鎮静化祈願など神社仏閣の本来の使命・最も大切な役割をはたすべきであろう。今こそ、神職・僧侶の聖なる使命の実行が望まれるのである。今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべきである。

|

2020年4月10日 (金)

祭祀とは神人合一の行事である

先日も書いた通り、今日の疫病猖獗などの国難打開のために、全国の神社・仏閣に国難打開の祭祀・祈願を行うべきであろう。わが國においては、大化改新、明治維新等の大変革が実現する直前に内憂外患に見舞われ、国家の存続すら危ぶまれる状況において、全国民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を実現してきた。今日においても歴史に学ぶべきと考える。

「祭祀とは神人合一の行事」である。日本民族は、神に対して常に祭りを行ってきた。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」といふ言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行ふ」「ものを献上する」「ものを奉る」といふほどの意である。日本伝統的信仰精神の基本行事は、神を祭ること即ち「祭り」である。

「祭り」とは、神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰る行事である。

「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」と言ふの
である。

折口信夫氏は、「日本の太古の考へでは、此國の為事は、すべて天つ國の為事を、其まゝ行って居るのであって、神事以外には、何もない。此國に行はれることは、天つ神の命令によって行って居るので、つまり、此天つ神の命令を傳へ、また命令どほり行うて居ることをば、まつるといふのである。処が後には、少し意味が変化して、命令通りに執行致しました、と神に復奏する事をも、まつるといふ様になった」(『大嘗祭の本義』)「祭りごととは、食物を獻上する事に關する行動儀式といふ事であるらしい。…神の命令によって、與へられた種子を田に下して作った結果をば、神に奉り、復命する事がまつろふなのだから、まつりごとは、神に食物を獻上する事である」(『祭りの話』)と論じてゐる。

柳田國男氏は、「神の大前に侍座して暫く時を過ごす意。根本は尊敬せられるものとの対座面會、後世の語でいへば拝謁に近い語であったかと思ふ」(『神社のこと』)「マツルは…マツラフといふ語と別のものではない。今でいふならば『御側に居る』である。奉仕と謂っても良いかも知らぬが、もっと具體的に言へば御様子を伺ひ、何でも仰せごとがあれば皆承はり、思し召しのまゝに勤仕しようといふ態度に他ならぬ。たゞ遠くから敬意を表するといふだけではないのであった」(『先祖の話』)と論じてゐる。

人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が、神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。

『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰し、現実の罪穢れ、禍事を祓い清める行事が「祭り」である。

そこで、禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。穢れたる現實・歴史を無化し清浄化して原初に回帰する。人が神のご命令に服従し、それを實現するために生活したことを復奏する。これが神道行事の基本である「まつり」である。つまり、人の本来の姿を回復することが「祭り」の原義である。

|

2020年4月 6日 (月)

天香具山は高天原と地上をつなぐ神聖な山

「 天皇、香具山に登りて望國(くにみ) しましし時の、御製の歌

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし國ぞ あきづ島 大和の國は」  

 この御歌は、舒明天皇が大和をほめ讃へられた御歌で、「萬葉集」を代表する叙景歌(自然の風景を歌った歌)。

 舒明天皇は第三十代敏達天皇の皇孫で、推古天皇元年(五九三)に生誕され舒明天皇十三年(六四一)に崩御された。舒明天皇の御代に初めて遣唐使が派遣された。蘇我氏が大きな力を持ってゐた時代の天皇である。舒明天皇の第二皇子が蘇我入鹿を討ちとって大化改新を断行された中大兄皇子(後の天智天皇)であり、第三皇子が天武天皇である。

 香具山は奈良県橿原市東部にある海抜一四八㍍の小山。大和盆地は海抜百㍍だから麓からは四八㍍しかない。畝傍山・耳成山と共に大和三山の一つである。古代日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰があった。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では富士山・筑波山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い山として仰がれた。

 「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉で、香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。後世のかぐや姫とは「輝く御姫様」といふ意である。天香具山とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

 高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行って、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

 また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈を鎮めなければならない。そのために大和の地の靈を象徴し大和の國魂が宿ってゐて、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。天香具山の土を手に入れることが大和全体を掌握することになるといふ信仰である。

 折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(四宮注きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(「大倭宮廷の靱業期」)論じられてゐる。

 天皇のゐます宮は「天」(高天原)であり「聖地」である。その中心が天香具山なのである。このやうな神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)といふ。

 このやうに天香具山は天皇の祭祀・神事即ち國家統治には欠かせない尊い山である。舒明天皇が、神座である天香具山に登られて「國見」をされた時の歌がこの御製なのである。 

|

2020年4月 5日 (日)

伊勢の皇大神宮は日本傳統信仰の結晶

伊勢の皇大神宮は、日本傳統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本傳統精神がそこに現実のものとして顕現している。日本傳統精神とはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に参詣し神を拝ろがめば良いのである。理論理屈はいらない。日本傳統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる建物を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲への限りない感謝の心である。

天武天皇は、壬申の乱の時、朝明郡迹太川(とほかわ)で伊勢の神宮を遥拝された。柿本人麻呂の高市皇子への挽歌では、伊勢の神風を称へてゐる。

西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り、伊勢の神宮で

「何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるゝ」

と詠んだ。

葦津珍彦氏は、「伊勢に鎮まります天照大御神の神宮は、荘厳にして高く貴い。しかもいささかの人工的な飾り気がなく、誠のおごそかさを感じさせるが威圧感もない。ただ清らかで貴い。この清らかさ貴さは、天照大御神を皇祖神として信奉される天皇の御信仰の気風の自らなる流露でもあるかと察せられてありがたい。」(『皇祖天照大御神』)と論じてゐる。

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史學者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮された時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

と書いた。

人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。
しかし、宗教の根底にあるものは同じなのである。それは、天地自然の中の生きたまふ「大いなるもの」への畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその「大いなるもの」をお祭りしてゐる聖地なのである。

吉川英治は、昭和二十五年十二月に参宮した時、

「ここは心のふるさとか そぞろ詣れば旅ごころ うたた童にかへるかな」

といふ歌を詠んだ。 

日本國民の伊勢の大神への崇敬の心は、教義教条に基づくのではない。日本人としてごく自然な「大いなるもの」への畏敬の心である。だからこそ、仏教徒もそして外國人も伊勢の神宮に来ると「大いなるもの」への畏敬の心に充たされ心清まる思ひがするのである。

|

より以前の記事一覧