2017年8月11日 (金)

『大和心』を表白した歌

 日本の伝統的精神のことを『大和心』という。その『大和心』を表白した歌が次の歌である。

 

 敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花

 

 近世の国学者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 

 「朝日ににほふ山桜花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。神の生みたまいし美しい国に生まれた日本人は美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」が日本人の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想体系や理論体系ではないのである。

 

 しかしながら、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。もっと深い。日本人の「真心」は一種厳粛な神々しさを伴う。「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。日の神の神々しさを讃えるている。

 

 さらに「夕日」ではなく「朝日」であるところに日本人が清々しさ・清浄さ・潔さ・明るさを好むことをも表現している。

 

 清らかで明るい心を「清明心」という。この清明心は天智天皇の御製に次のように歌われている。

 

 わたつみの豐旗雲に入日さし今夜(こよひ)の月夜清明(あきらけ)くこそ

 

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」という意。

 

 何とも大らかで豊かな御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字が用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 

 

 「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように、美しい桜の花は他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。と言うよりも雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好むのである。これを「散華の美」という。

 

 保田與重郎氏は「しきしまの大和心を人問はばと歌はれたやうに、花の美のいのちは、朝日のさしそめる瞬間に、その永遠に豊かな瞬間に、終わるものといふ。日本の心をそれに例へたのは、さすがに千古の名歌を、永く国民のすべてに吟唱される所以であった」(昭和十四年・『河原操子』)と論じておられる。

 

 しかし、桜の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまえば、それで消滅してしまうのではない。また来年の春に甦るのである。滅亡の奥に永遠の命がある。そう日本人は信じた。それが楠正成公の「七生報国」の御精神である。

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2017年8月 4日 (金)

日本文化の国粋性と包容性

日本伝統信仰たる神道の神官が日本思想史・文学史において占める位置は大きい。賀茂真淵・吉田兼好・鴨長明がその代表的人物である。しかも兼好や長明は仏教の影響も強く受けていた。神道が排他的ではない証拠である。日本の神を祭る人は実に寛容にして大らかであった。これが日本文化そのものの包容性の原点であったと思われる。

 

国粋精神を謳歌した学者たちにおいても、外国文化受容に対して積極的だった。

 

例えば、平安前期・宇多天皇の御代の右大臣・菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言わば外来の最高の学問を身に付けた人であった。

 

その道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されていて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されているという。

 

菅原道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であったと言える。

 

 

徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』という歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じている。

 

「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇は神種であるとの意見が開陳されている。支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じていた。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を「中朝事実」としたのである。つまり国粋思想をを支那の学問を仮りて論じているのである。

 

室町・戦国時代の神道家である吉田兼倶(かねとも)は、「吾が日本は種子を生じ、震旦(支那注)は林葉を現はし、天竺(注インド)は花実を開く。故に仏教は万法の花実たり、儒教は万法の枝葉たり、神道は万法の根本たり。彼の二教は皆是れ神道の分化なり。枝葉・花実を以て其の根源を顕はす。花落ちて根に帰るが故に今此の仏法東漸す。吾が国の、三国の根本たることを明さんが為めなり」(唯一神道名法要集)と論じでいる。

 

日本の二大外来宗教・思想たる仏教と儒教が神道から分かれた枝葉・花実であるという日本を中心とする国粋思想である。儒教仏教を包摂した根底にこうした強靱な生命力があったと言える。

 

江戸前期の陽明学者熊沢蕃山はその経世論『集義外書』において、「天地を父母として生れたる人なれば、中國・日本・戎蠻・北狄の人も、皆兄弟也。……人といへば耳目口鼻かはりなきが如く、心の知仁勇は皆天理の一徳にしてへだてなし」と論じている。

 

支那の中華思想の影響を受けた封建時代の学者としては何と開放的な考え方であることか。こうした考え方を日本人が持っていたからこそ、日本文化は発展したのである。

 

近世の国学は幕末の尊皇攘夷運動の思想的基盤の一つであったが、決して排他的な偏狭な考え方に支配されていたわけではない。

 

例えば、平田篤胤は「仏法すなわち神の枝道にて、仏すなわち天竺の神なり。…凡て世の中のことは善きも悪きも、本は神の御所業(しわざ)に因れることにて、則公(おほやけ)ざまにも立置るゝ事なれば、これも広けき神の中の一ノ道なり。」(鬼神新論)と論じている。仏教は広大なる神の道の一つの枝でありインドの神だというのである。

 

また「そもそもかく外国々より万づの事物の我が大御国に参り来ることは、皇神たちの大御心にて、その御神徳の広大なる故に、善き悪しきの選みなく、森羅万象ことごとく皇国に御引寄せあそばさるる趣を能く考へ弁へて、外国より来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すもかしこきことなれども、是すなわち第の御心掟思ひ奉られるでござる」(静の岩屋)と論じている。

 

外国から多くの文物が日本に入ってくるのは日本の神の御心で有るからこれをよく取捨選択すべきだというのである。

 

篤胤の門下にして勤皇の大義を説いた大国隆正は、「今の世の人は、学問とだにいへば儒学のことにこころえてあれど、儒学をのみ学ぶはこと狭し。『神代巻』を本書とし、支那、天竺、西洋よりわたり来れる書籍をすべて、わが神代巻の注釈書とおもひてみるべきなり。…わが門に入る人はたれもかくのごとくこゝろえて、ひろく学ぶべし。」(本学挙要)「外国の人の入り来るは、かしこき大御世の御栄にて、よろこぶべきことなるを、世の人の、…ひたすらにうちしりぞけんとするは、天神地祇のみ心を、悟らぬものならんかし。」(馭戎問答)と論じでいる。

 

日本の文化は、外来文化を包容摂取したが、外来文化は日本に伝来し日本に融合されることによって高度なものとなり洗練された。それは日本民族の文化感覚がもともと優れたものであったからにほかならない。

 

蓮田善明氏はその著『神韻の文学』において次のように述べておられる。「儒・道教、或は仏教が日本に入って来て、直接に(日本の注)神に会って、どのやうに高いものに達し得たか、どのやうに大きな光に透されたかを見る必要がある。日本人が、それらの有するあの誇りかな理法に絡(まつ)はられつゝも遂に、それに扼殺されてあの生の倦怠と惨落に陥るといふやうなことなく、神ながらのまさ道をまことに無窮の隆昌を保有してきた事実を知る必要がある。日本文化が異文化を抱合することによって高まったとなすが如き思想は正しくない。…我々は日本が儒老仏教によって真の意味に於て生命を国のいのちを豊かにされたとも向上されたとも信じない。」と論じておられる。

 

日本民族にこのくらいの誇りと自尊心があったからこそ日本文化は多くの外来思想・文化を取り入れつつそれをより高度なものにしてきたのである。

 

江戸期までは主にアジアの文化・文明を摂取してきた。近代においては、西洋科学技術を盛んに取り入れ自家薬籠中のものにした。西洋科学技術文明を取り入れつつ、アジアの文化伝統を保持しているている国が日本である。

 

近代科学技術文明は西洋合理主義を基盤としている。日本民族がこれを拒絶することなく自己のものとすることができたのは、日本民族には本来的に合理精神があったからである。非合理精神と合理精神を調和統合せしめる力が日本にはあるのである。日本は多少の矛盾はあったが、近代化を為し遂げることができたのである。

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2017年7月22日 (土)

「清明心」に憧れ「くらき心」「きたなき心」を嫌ふ日本人の心

 

 

大伴家持

 

「劒太刀いよよ研ぐべし古(いにしへ)ゆ清(さやけ)く負ひて來しその名ぞ」

 (四四六七・わが一族の傳統の刀をいよいよ研ぐべきである。古来より清くさやけく傳へてきた大君の辺にこそ死なめといふ大伴氏の名であるぞ。祖の名を曇らすことなきように磨けよ)といふ意。

 

天平勝宝八年(七五六)聖武天皇が崩御されると間もなく、大伴氏の有力者・古慈悲が朝廷を誹謗した廉で解任された。家持は氏の上としての責任感から「族を喩す歌」といふ長歌を詠んだ。この歌はその反歌である。

 

「剣太刀いよよ研ぐべし」と、きはめて断定的な歌ひ方をしてゐる。興奮した歌ひぶり。「研ぐ」といふ言葉に「剣太刀を研ぐこと」と「家名を磨くこと」を掛けてゐる。

 

 長歌は、「ひさかたの 天の戸開き 高千穂の 嶽に天降りし 皇祖(すめろき)の 神の御代より…」と天孫降臨から歌ひ起こし、神武天皇橿原奠都を歌ひ、わが國の歴史を述べ、天孫降臨すなはち肇國のはじめからの歴史精神を貫いてゐる。そして、「皇祖の 天の日嗣と つぎて来る 君の御代御代 隱さはぬ 赤き心を 皇方(すめらべ)に 極め盡して 仕へ来る 祖(おや)の職(つかさ)と …… 清きその名ぞ 凡(おほ)ろかに 心思ひて 虚言(むなごと)も 祖の名斷つな 大伴の 氏の名に負へる 丈夫(ますらを)の伴(とも)」と歌った。

 

 この家持の「族を喩す歌」には、二つの大きな思想精神が詠まれてゐる。一つは、天孫降臨以来の皇統連綿・萬世一系の御歴代天皇への絶對的忠誠であり、降臨された天孫邇邇藝命に仕へ、御歴代の天皇に仕へた大伴氏の勤皇の誇りである。二つは、祖先を尊び家柄・家名を重んじる精神である。「名を重んずる心」である。

 

反歌では特に家名を重んじる精神を歌ってゐる。「剣太刀いよよ研ぐべし」といふ武門の名誉そして「赤き心を皇辺に極めつくして止へ来る」といふ赤誠心を詠んだ。

 

保田與重郎氏は、「彼(註・大伴家持)は喩族歌の中で、史官の描かない、時局情勢の描かぬ、眞の歴史を歌ひあげ、…その日の時局に對立して肇國の精神を貫かうとする思想であった。…天降りし天孫に仕へ奉ったといふことをいふ、皇方(スメラヘ)に仕へた勤皇の誇りだったのである。…彼は不平不満の中で、不平の詩歌を開くといふ類の東洋的詩人の域をつとに脱してゐたのである。」(『萬葉集の精神』)と論じてゐる。

 

大伴家持の『族に喩す歌』は、神代以来忠誠を一族の使命として来た大伴氏の家柄を詠じて、一族の奮起を促し、大伴一門の傳統的忠誠・尊皇思想そして家名を重んじる精神を歌ってゐる。しかし、それだけでなく、わが國民全体が保持すべき尊皇精神と家名を重んじる廉恥の心を歌ったと言へる。

 

 そして、この歌は、決して口先だけの生易しい歌ではなく、氏の長者としての責任の重大さを痛感して、真心を吐露し、赤誠を表白した血の出るやうな歌である。

 

家持の歌の「さやけく」とは「清明心」である。「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の重要な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「しかあらば、汝が心の清く明きは何をもって知らむ」と仰せられた。須佐之男命は、ご自分の「清明」を証明するために「うけひ」をされた。

 

また、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。

 

 天智天皇は

 

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう。)

 

と詠ませられてゐる。「清々しい」といふほどの心にこの「清明」の文字をあてた御心が大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は、全体性の権威を無限に深い根源から理解して、そこに神聖性を認めた。そして神聖性の担い手を現御神や皇祖神として把握した。従って全体性への順従を意味する清明心は、究極において現御神や皇祖神への無私なる帰属を意味することになる。この無私なる帰属が、権力への屈従ではなくして柔和なる心情や優しい情愛に充たされているところに、上代人の清明心の最も著しい特徴が看取せられるべきであろう。」(『日本古代文化』)と論じておられる。

 

平田篤胤は、「抑我が皇神の道の趣きは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)ひ、君親には忠孝(マメ)に事(ツカ)へ、妻子(メコ)を恵みて子孫を多く生殖(ウミフヤ)し、……家の栄えむ事を思ふぞ、神ながら御傳(ミツタ)へ坐(マ)せる真(マコト)の道なる。」(『玉襷』)と論じてゐる。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

古代における「清明心」は、中古時代には『源氏物語』において「もののあはれ」と表現され、中世においては『神皇正統記』などにおいて「正直」と表現され、近世においては本居宣長などによって「やまとごころ」と表現され受け継がれた。 

 

わが國の「もののふの道」は、『古事記・萬葉』の歌々を見ても明らかな如く、日本の中核的な傳統精神から発した。上御一人・現御神に對する戀闕が根幹である。

 

大東亜戦争後、日本弱体化を目的として押し付けられ「似非平和主義」を脱却して、「ますらをの道」「もののふの道」に回帰すべきである。それこそが、共産支那や北朝鮮の軍事的政治的恫喝からわが國を守り抜き真の平和を確立する方途であると確信する。

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2017年7月 9日 (日)

日本民族の道徳的規範

 

明治天皇は、欧化の風、知育偏重の教育を憂いたまい、『教育勅語』を渙発あそばされた。 

 

『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。

 

 親は、子に生命を与えてくださった方である。そしてその生命は溯っては祖先、くだっては子孫へと続いている。生命の連続とは単に肉体と血液の連続ということではない。慈愛の継承であり、心のつながりである。

 

 人間が共同生活をしていくには倫理・道義がなくてはならない。人間生活には倫理が常に働いている。人間は、洋の東西、時の今昔を問わず、人間が道徳的規範にしたがって理想を設定し、それに向かって一歩一歩進んでいくことが正しき生き方であり生活である、と信じている。今日及び将来においてもそのことに変わりはないし変わってはならない。

 

 その道徳的規範とは一体何か。それはわが民族においては古代から今日に至るので綿々と継承されてきた「尊皇」「敬神」「忠孝」という倫理観念である。

 

 倫理・道徳は世界的に共通する普遍的なものであるが、道徳的規範の現れ方は各民族・各國の文化によって異なる。

 

 わが國の傳統的倫理精神は、日本民族の暮らしの中から自然に生まれてきたものである。日本民族の暮らしとは、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の農耕生活である。生活の中から生まれた自然な道徳観が尊皇敬神の心なのである。

 

 祭祀主であらせられる日本天皇は、日本の傳統文化・傳統的倫理精神の継承者であらせられる。そして御歴代の天皇は常に民を思い、民の幸福を祈られてきた。

 

 ゆえに、建國以来日本國の祭祀主として君臨してきた天皇及び御皇室を尊崇する心即ち尊皇の精神が、わが國倫理精神の基本である。

 

神人合一が日本人の理想であり、祭祀は神人合一の行事である。神に真心を込めてお仕え申し上げることが「祭りの心」である。神と人間が心と行動において一体となること即ち神人合一が日本人の理想である。祭りとは神人合一の行事である。

 

『神社本庁敬神生活綱領』には、「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」とある。神と天皇に仕える心即ち自分たちの生活そのものを神の心を実現していくという生活が、わが國の理想的な倫理観念である。

 

 「みこともち」とは、神そして神への祭り主であらせられる天皇の御言葉・御命令を持しそれを地上において実現することである。それが日本民族の倫理精神の基本である。

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2017年6月29日 (木)

日本傳統信仰は自然の中に神の命を拝む心・祖靈を尊ぶ心

日本人は自然に対立せず、自然と共に生きて来た。自然と共に生きるとは、自然の命と人の命を連続したものと見ることであり、自然は神から生まれたという信仰、つまり自然の中に神を見る信仰から出てくる精神である。

 

わが國の神は「天津神、國津神、八百萬の神」と言われる。天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし、自然の中に神の命を拝む心と、祖先を尊ぶ心である。日本傳統信仰は、日本人の農耕生活の中から自然に生まれた信仰で、天神地祇崇拝(祖先の靈と自然に宿る神を尊ぶ心)を基本とする。それは古代日本の稲作生活から発した大自然と人間の共生の精神でもある。

 

日本人は、自然の摂理に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えない。人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも「神社の森」「鎮守の森」がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな「神社の森」「鎮守の森」を大切に護って来た。それは「鎮守の森」には、神が天降り、神の靈が宿ると信じて来たからである。「鎮守の森」ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きており、秀麗な山には神が天降り、神の靈が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神の山と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが、海神(わたつみ)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。

わが國傳統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。

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2017年6月20日 (火)

日本人の道義感について

日本人の道義感が失われつつある。政治家・官僚・学者など知的にも職業的にもエリートと言われる人々の基本的な道義感覚が薄れている。

 

文部事務次官をつとめた前川喜平氏は、天下り問題で、辞職を余儀なくされたことに「逆恨み」して、内部文書を暴露して官邸を攻撃した。

 

また、幼児に「教育勅語」を暗唱させるなど、一見まともな教育を行っていた学校法人「森友学園」(大阪市)が国や大阪府の補助金を不正受給したとして詐欺容疑などで家宅捜索を受けた。

 

広島県警広島中央署で証拠品の現金8572万円が盗まれた事件か起こり、未だに犯人が検挙されていない。九九パーセント内部犯行とされている。

 

官僚・政治家・警察官は「聖人君子」であるべしなどという気はない。しかし、人としての最低の矜持・道義感覚・倫理精神は持っていなければならないと思う。

 

科学技術が発達し、文明は進歩しても、人間の道義感覚がそれに伴って高くなっていない。進歩した文明、科学技術を用いて悪事を働く者が増えている。頻発するテロ、北朝鮮の暴虐などはその典型である。

 

わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

 

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」と言って、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

 「清明心」は記紀の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

 日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。

 

天武天皇十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは万葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」という言葉がことにしばしば使われてゐる。

 

徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

悪人とか善人といふのは場合によって転倒する可能性がある。といふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかった。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。

 

清明心即ち「明(あか)き心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかはれてきた傳統なのである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

「清らかさを求める」とは、あることないことあげつらって、政府攻撃、与党攻撃をすることではない。今、メディアや野党のやってゐることはまさに「いじめ」である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。繰り返すが、日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしてゐる。

 

その無私の精神・清明心を体現されるお方が天皇であらせられる。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。

 

無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。故に「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

 

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

 

 この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

忠孝精神とは、天皇と親に真心を尽くしてお仕え申し上げること

 

『黒田武士』

「皇御國(すめらみくに)の 武士(ものゝふ)は

 いかなる事をか つとむべき

 たゞ身にもてる 眞心を

 君と親とに 盡(尽)すまで」

 

この歌が日本道義精神の根本であると思う。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、「明るくさはやかな心」の回復を目指すものでなければならない。朝日新聞などの亡国メディアそして何とか自民党政権を失墜せしめようとする野党による安倍総理及びその夫人への非難攻撃は、日本人の伝統的倫理観たる「清らかさ」「明るさ」とは全く異質である。それは政府与党を責め立ててゐる時の野党政治家のきわめて醜い顔を見れば火を見るよりも明らかであ

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精神性を重視した世界観・文明観の確立と神道精神

 現実の人間生活は理論や理屈通りには行かないものである。また不条理なものである。

 人間の意思決定やものの考え方そして行動は、合理的に論証して行われるのではなく、情念的・情緒的に行われる場合が多い。学問の分野における新たなる発見や発想及び芸術の分野における新たなる創作は、自由な感性・想像力・霊感というような不条理な心理が源泉となり、偉大な業績を生み出す。その感性・想像力・霊感をどのようにして正しく統御し自制するかが問題なのである。

 

 人間は理論や理屈では死ねないし、世界は理論や理屈では動かない。学問や芸術のみならず、歴史そのもののも、人間の情念によって動いてきた。歴史の根底を支えてきた民衆は、政治思想や政治技術によっては容易に動かず、心性を揺さぶる情念によって動かされてきたし、自己の情念が美しいと感じたものに対して命を捧げてきた。己れの「美学」が死をも厭わぬ行為に駆り立てるのである。

  

 今日の人類の危機を打開するためには、合理的発想を重んじるとともに、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。イデオロギーとしての合理主義やある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。ここに宗教の必要性が生じてくる。

 

 先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

 

 しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない。そして今日それがますます激化してきている。

 

 日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

 

 今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

 日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。本居宣長の思想は極めて合理的である。

 

 日本の古代から継承されてきた伝統精神を「道」と称してきたのは、日本の伝統精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもないからである。人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

 「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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2017年6月 4日 (日)

日本伝統信仰と仏教受容

 日本人は、外国からの文化・文明を自由に受容してきた。古代における仏教の受容はその典型といえる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合している。

 

 稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るという固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきている。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を八百万の神として尊崇した。そして八百万の神々に現世の幸福(五穀の豊饒・病気の治癒など)を祈するための祭りを行ってきた。

 

 そういった日本の固有信仰に仏教が融合したのである。仏教の受容については、多少の反対はあったものの、祈りの宗教として採用された。現世の幸福を仏に祈ることは、日本の神々への祭りによって現世の幸福を祈るのことと同じである。というよりも、日本人の仏教信仰の実態は日本人の固有信仰が仏教という表皮をまとって形を変えたものなのである。

 

 日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。

 

 つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。

 

 日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教祭壇の形態を借りて行い、現世の幸福を祈っているのである。日本の一般庶民が仏教の深遠な教義が日本人の実生活に知識として受け容れられたということではない。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うに止どまった。

 

 そもそも、人間に対して厳しい気候風土のインドに生まれた仏教は、現世を実在とは考えず苦界と見、人間が現世から超越して解脱の境涯に入ることを理想とする宗教である。本来厭世的な宗教といっていい。

 

 一方、明瞭な四季の変化があり、四方環海にして山が多く平地が小さい日本列島は、人間に対してやさしい気候風土である。そういうところに生まれた日本の固有信仰は、現世を肯定し、人間生活を謳歌するところの明るく大らかな信仰精神である。『古事記』を見てもわかるように日本人は厭世思想とは無縁である。仏教が大分浸透した後に編纂された『萬葉集』にも仏教の厭世思想に関係があると思われる歌はきわめて少ない。

 

 日本固有信仰(神道)と仏教は全く異なった性格を持つ二つの宗教である。しかし、日本人は仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

 

 インドに始まった仏教は、南方に伝わったもの(南伝)が小乗仏教を形成し、北方に伝わったもの(北伝)が大乗仏教を形成したという。そして日本には支那・朝鮮を経由して大乗仏教が伝えられたのである。

 

 『日本書紀』によると、わが国への仏教公式的な伝来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦仏像や経典を献じた時であると記されている。しかし、別の資料ではそれは欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされている。

 

 『日本書紀』によると、この時、欽明天皇は、仏像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと伝えられる。「西蕃(にしのくに)の献((たてまつ)れる仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

 

 日本の固有信仰は自然そのものそして祖霊を信仰しているのであるから、神は姿を見せない、というよりも神の姿はないのである。仏像などのような美しく威厳のある姿を表現した偶像を造りそれを神の像として礼拝することはなかった。だから百済の王様から献じられた金色燦然とした仏像を見て、その美しさに驚嘆したのである。仏教への驚異の念はその教義に対してではなく、仏像に対する驚異だったと言える。

 

 またここで注意すべきことは、『日本書紀』において日本の仏教を伝えた支那や朝鮮を「西蕃」と表現していることである。欽明天皇が仏教を採用するかどうかを群臣に諮問した際に、仏教受容を支持した蘇我稲目(仏教を日本に伝えた百済系の渡来人といわれている)は「西蕃諸国、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答えた。

 

 先進文明や文物を伝えてくれた相手の国を「西の蛮人(西方の未開人というほどの意)の国」などと言っているのである。日本が支那の中華思想を受け容れさらに自己のものとして、中華思想の本家本元を「蛮人」と見なしているのである。日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那から多くの文化・文明を輸入していた『日本書紀』編纂当時にあっても、日本人は支那の属国意識を持ってなかったことの証拠である。ここが支那と朝鮮の関係との大きな違いである。

 

 外国文明の輸入に熱心であり、渡来諸氏族を背景にしたいわゆる国際派の蘇我氏ですら「西蕃」と言っている。そして仏教に対しても「外国も拝んでいるから日本も拝んだらよいだろう」と言った程度で、深い宗教的自覚に基づいて仏教を受け容れるべきだと主張しているわけではない。宗教を何か流行物と同じように考えている。

 

 また仏教輸入に反対した物部尾輿と中臣鎌子にしても「わが国家(みかど)、天の下に王(きみ)とましますは、恒(つね)に天地社稷の百八十神を以て、春夏秋冬に祭り拝(いわいおが)むことを、事(わざ)と為す。方(まさ)に今、改めて、蕃神(となりのくにのかみ)を拝むこと、恐らくは国神(くにつかみ)の怒を致したまはむことを」(日本書紀)と主張して反対した。

 

 この奉答も、日本国の自主性と純粋性を保たんとする国粋的立場から、「外国の神を拝むと日本の国土の神が怒る」と言っているのみである。格別の宗教的論議を組み立てて仏教の受容を拒否しているわけではない。

 

 ともかく、当時の日本は、欽明天皇が、「仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」と仰せられたことに象徴されるように、朝鮮(百済・新羅)から仏像の美しさ即ち仏教芸術において大きな影響を受けたのである。特に仏像は不思議な容貌をしているだけに、何か不思議な御利益がありそうに思われ、礼拝するようになったのであって、仏教の深遠にして煩瑣な教義を学びそれを信じたというわけではない。日本人の大多数は、大乗仏教の煩瑣な教義や哲学体系を論理的に修得するなどということは不得意であった。神道には、神への強靱にして純粋な信仰心はあっても、煩瑣な教義・教条はない。 

 

仏教の受容は、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るということはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くになろうとする今日においても、仏教は外来思想と言われているのである。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでいい加減ではない証拠である。

 

 日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となっているからこそ、かえって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持し、排他性が希薄だったのである。日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族が仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。そしてこれが日本文化の固有なる特質である。現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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2017年6月 3日 (土)

國學の現代おける意義

日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。天地自然に神の声を聞くのである。殊更に宗教教義を作り出してこれを遵守しなければ神の怒りにふれるなどといふ観念は日本伝統信仰には無い。日本の伝統信仰には、西洋的意味での神学もイデオロギーも無い。

 

 だから日本人は、理論体系を作り出すことはしない。日本伝統信仰においては、一人の人物の説いた教義を絶対のものとしてこれを信奉し、これに反するものを排撃するといふことをしない。

 

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きは大切にするが、さうしたものから遊離した超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合はせであると直感するからである。

 

 つまり日本の伝統精神すなはち日本民族固有の『道』は、事実の上に備はっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないといふのである。抽象的・概念的な考へ方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたひあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向であった。

 

 このやうな教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

 そもそも教義とか教条といふものは、具体的な歴史の事実の上に立って抽象的に論議として出て来たものである。だから、その教義・教条が記された書物のみを読み、知識として吸収し、それのみに頼らうとする姿勢は、道を体得することにはならない。 

 

 現代においても、ある特定の人物の説いた教義・教条を絶対のものとして尊崇し、それに反する思想を排斥する勢力はまだまだ多い。かつて田中忠雄氏は、かうした人々を「狐憑き」ならぬ「イデオロギー憑き」と定義づけた。

 

共産主義者は、マルクス・レーニン主義を絶対の思想としそれ以外を排斥した。かうした勢力がどれだけ多くの人々を苦しめ、不幸にしてきてゐるかは、それこそ歴史そして現代の諸事象を見れば明白である。もはやかくの如きイデオロギー至上主義では混迷せる現代を救ふことはできない。むしろ混乱と不幸を増大せしめるだけである。日本の神ながらなる理想を今日において実現することが大切である。

 

 「理論のあげつらひ」つまり人間の有限知を基盤とした哲学的思考によって得られた認識が、どれだけ宇宙や人生や歴史の真実を説き明かすことができるのか。まづこのことを疑ってかかる必要がある。宗教家の神学的・教義的考察、そして科学者の研究によって得られた知識が、どれだけ宇宙の真実に一致してゐるかを反省する必要がある。かういふ疑問や反省を忘却した人間の傲慢さが今日の文明的危機を招いてゐると言へよう。

 

 倉前盛通氏は、「日本人が『言挙げ』といい『さかしら』といい『あげつらい』という場合には、人間の言葉そのものの中に、すでに宇宙の奥底に潜む原理から遊離したものを本質的に含むという意味を表わしている。言葉が一つに概念規定をした場合、その概念規定という作業そのものの中に本質的に虚構の要素、誤差、ずれというような諸々の過ちが混じってくる避けることはできない、という意味である。」(『艶の発想』)と論じてをられる。

 

 人間の言葉(ここで言ふ「言葉」とは人間の思考や研究の成果としてつくりあげられた理論・教条のこと)は宇宙の真実とは虚構や誤差やずれがある。にもかかはらず、傲慢にも、自然や宇宙や人生を全て人間の作りあげた論理や科学研究によって説き明かこれを改造できるなどと考へたことが、美しい自然を破壊し、人類の生命をも脅かすに至った根本原因である。しかし、日本民族は、既に古代において、人間のかかる傲慢さを反省し、自覚してゐた。

 

 それが、古代日本人の「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」といふ歌なのである。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考へないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

 日本人は自然そのもののみならず、歴史からも「道」を学んだ。わが国に伝はる「道」は歴史に現はれてゐるのだから、体系としての世界観や人倫思想基礎を人為的に「さかしらなる知識」をもって言挙し作りあげなくとも、日本の国の歴史の事柄・事実に学べばよかったのである。

 

 歴史や自然を対立的にとらへて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどといふ不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

 

 近世国学者が、外圧の危機に中で行ったやうに、古代日本の歴史精神として今日まで伝へられてきてゐる「道」を、そのままありのままに学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが大切である。

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2017年6月 2日 (金)

日本は「神ながら 言擧せぬ國」

 

 「日本の道」すなわち倫理精神・信仰精神は、教条的な形で理論として伝えられているのではなく、和歌によって伝えられている。『萬葉集』はその典型である。

 

 その『萬葉集』に収められている「柿本人麿歌集」の長歌に、「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」と歌われている。「わが国は神のみ心のままに生きる国であるから、言挙をしない国…」という意である。日本国の古代信仰においては、日本は全て神のみ心のままに生きていく国であると信じられていた。ゆえに、日本人はあえて自己主張をしないのである。この歌はそういうことを歌っているのである。

 

 しかし、日本民族は言葉を軽視したのではない。この長歌の反歌(長歌のエッセンスを歌った短歌)に「しき島の日本(やまと)の國は言靈のさきはふ國ぞまさきくありこそ」(大和の国は言葉の霊が助けて下さる国です。ご無事でいらっしゃい、というほどの意)と歌われているように、日本人は、言葉には霊が宿り人間を助けてくれると信じていた。古代日本人は、言葉には大きな力(霊力)があると考えた。そこから言霊思想が発生した。言葉は、それほどに大切なものであるからこそ、軽々しく言葉を発しないという信仰を持ったのである。みだりに理論や理屈をあげつらうことはしないという生活態度は、萬葉時代即ち古代以来の日本人の基本的姿勢だった。 

 

 近世国学者平田篤胤はその著『古道大意』において、「一體、眞(まこと)の道と云ふものは、事實の上に具(そなは)って有るものでござる。然(しか)るをとかく世の学者などは、盡(ことごと)く教訓と云ふ事を記したる書物でなくては、道は得られぬ如く思(おもう)て居るが多いで、こりゃ甚だの心得ちがひな事で、教(をし)へと申すものは、實事よりは甚下(ひく)い物でござる。其故は、實事が有れば教へはいらず、道の實事がなき故に、をしへと云ふことがおこる。」と論じている。

 

 意訳すれば、「一体、まことの道というものは、事実の上に備わっているものである。それなのに世の学者は、ことごとく教訓が書かれている書物を読まなくては、道を体得することはできないと思っているのが多い。これは非常に心得違いである。教義・教訓というものは事実よりも甚だ低いものである。その理由は、事実があれば教訓はいらない。道の事実が無いがゆえに教義・教訓が起こってくる」というほどの意である。

 

 「道」は、国の歴史の上に厳然として事実として示されているのであって、外来の儒教や仏教の経典を読まなくては「道」を求めることはできないという考え方は誤りである。むしろ、歴史の事実の上に「道」が現れていないからこそ、書物に書かれている「教義・教条」に頼らねばならないのである。それが支那における儒教である。日本における儒學は、「日本の道」を説明するために儒教文献を借用したのである。

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