2020年11月25日 (水)

祖靈崇拝と自然崇拝が天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台

 日本民族は古来、祖靈と自然を神と崇め、祭って来た。わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台、言い換えれば日本國體の根幹を成している。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。

 わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められている神であらせられる天照大神は、皇室の祖先神であると共に、自然神である太陽神である。

 稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。また、祖先から稲の種と水田と農耕技術という恵み祖先から傳えられたので、祖先に感謝する思いが強かった。

 『日本書紀』に、天照大神は、邇邇藝命の天孫降臨に際し、「吾が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と命令されたと記されている。これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。と共に、日本民族の生活の基本である稲作が、太陽の恵みと祖先から傳えられた農耕技術によって支えられていることを示している。

 皇祖神と太陽神が一體であるということは、わが民族の傳統信仰が祖靈崇拝と自然崇拝であることを端的に示している。これを<敬神崇祖>という。

 日本民族は、神に対して常に祭りを行ってきた。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」という言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行う」「ものを献上する」「ものを奉る」というほどの意であるという。

 何のために、神のお側で奉仕し、神にものを献上するのかと言うと、神に靈力を発揮して頂くためであるという。神の御前に献上する「もの」は単なる「物質」ではなく、祭りを行う者たちの<まごころの結晶>であり<象徴>である。これを「神饌」という。

 天照大神が邇邇藝命に御命令になった米作りの成果として献上される米は、「神饌」の代表的存在である。神饌を神に献上することが「まつろう」ということである。天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを「まつる」という。

 天皇が行われる祭祀はまさに天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを御報告申し上げる重要なみ祭りなのである。

 このように、<敬神崇祖>というわが國の國民道徳の基本は、神學・教義という<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>という行事によって、古代より今日まで傳えられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、そうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

國のために身命を捧げた人々の鎮魂は傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

 「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行われている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

 世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。

 祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行うことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教団體による宗教行事ではない。

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2020年11月24日 (火)

新嘗祭の意義

新嘗祭とは、新穀をまず神前に捧げてお祭りし感謝の報告をした上で、これを神よりの賜りものとして食する祭儀である。収穫感謝のお祭りであると共に、神のみたま・生命力を身に體して生命を養い強化する祭儀である。

宮中においては、毎年陰暦十一月中の卯の日に行はれると承る。その年の新穀を諸神に供へ、天皇ご自身も食されると承る。

「天孫降臨の神話」を拝して明らかなように、日本の神の最高のご命令は「稲穂を實らせよ」といふことである。天つ神は皇孫・邇邇藝命に稲穂をお持たせになって天降らしめられた。しかもその稲穂は、天照大神が御自ら高天原で収穫された「斎庭の稲穂」である。だから、祭祀には稲穂を實らせたことをご報告する意味で、必ず「稲穂」を神に献上するのである。

高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるといふことである。

これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習ふといふ信仰である。神々の理想を地上において實現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。

つまり、天皇は神意現成の祭祀主であり君主であらせられる。「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

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2020年11月16日 (月)

新型コロナウイルスの猖獗に伴ふ我々日本人の反省

新型コロナウイルスの猖獗は何時まで続くのだらうか。完全に収まるのは不可能といふ人もゐる。来年以降も続くと考へねばならい。

しかしこの未曽有の新型コロなウイルスの猖獗がある程度おさまった後、違った世の中が生まれるのではないか。またさうあってほしい。

歌人の大辻隆弘氏は、「アイザック・ニュートンはが万有引力の法則を発見したのは、ペスト禍でケンブリッジ大学が閉鎖されていた時期だった。湯川秀樹博士が中間子理論の端緒をつかんだのは室戸台風で大学が休みの夜だった。世界の見方を変えるような新しい知見は、一見無意味な空き時間から産み出される。若者はそこから何かを確実につかみ出して来る。…必ず、彼らなりの新しい何かを見出して来るに違いない」と論じてゐる。(『日経新聞本年【令和二年】五月十七日号』)。

現代社会は異様な社会である。金銭と快楽を追ひ求める人たちが多い。毎日毎日を刹那的に生きてゐる人々そして夜遅くまで遊び呆ける若者たちがうようよしてゐる。テレビなどを見てもそれを煽ってゐるとしか思へない。これはまことに困った現象である。地球環境の問題も、国際政治の対立も、国内政治の混迷、家庭崩壊もさうしたことが原因なのではなからうか。

『禍(わざはひ)転じて福を為す』といふ諺があるように、感染症や伝染病の流行が社会を変え、モラルが向上すれば良いと思ふ。

保田與重郎氏は「わが國の古神道の祭祀が、静寂を旨とし、森厳を好んだ、…古神道の祭祀が静寂の極致を演出してゐる點は、非常に遥かな悠遠の神代に、我々の遠つ御祖によって、早くもつくり出された文明である。これば實に獨自の文明の相である。我國人の美や情緒の淵源も、この時に發するのである」(『文學』の威厳)と論じてゐる。

新型コロンウイルスの猖獗に伴ふ我々日本人の反省は、静寂を旨とし森厳を大切なものとしてきた我が国神道精神に回帰することによって実現するのではないか。その意味でも全国の神社への参詣と祭祀が大切になってくると考へる。 

すでに何回か書いたが、日本の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいいと思ふ。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをもたらす。今日の新型コロナウイルスの感染拡大はこれにあたると思はれる。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。自然の中に神や精靈が生きてゐるといふ信仰である。

日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心がある。近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。それを是正するために、自然を征服しようとか、自然を造り替へようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。

つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」といふ日本の伝統的信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができる。

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2020年10月26日 (月)

わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならない

人類は様々の宗教を信じている。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしている。しかし反面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいえる。それは今日に至るまで続いている。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあいが行われている。

イスラム原理主義とキリスト教・ユダヤ教を基盤とするアメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く中にあって、わが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、今日も続いている唯一の国である。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

『鎮守の森』が自然保護の原点である。わが国の神は天津神、国津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが国の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

さらに、海の彼方にも理想の国・麗しい国があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

我が国伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と教団宗教との根本的相違である。つまり、わが国伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰なのである。

だからこそ、わが国伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。わが国において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全国に国分寺・国分尼寺を建立された。わが国において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

わが民族は、今日の混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に国家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

わが国の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖国日本への限り無い愛と、国民同胞意識を回復しなければならない。

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史學者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳した。

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならない。それが一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救う道である。

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2020年10月 9日 (金)

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御霊である

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御霊である

 

 わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

 今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ってると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

「政教分離」の原則を我が國にあてはめるのは大きな誤り

 

 日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と仏教・キリスト教などの教団宗教との根本的相違である。

 

 今日、靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝や公的機関の玉串料支出が「政教分離」の原則に反するなどという議論が行われるが、「政教分離」とはある特定の神や人物を絶対者と仰ぎ他の宗教を排斥する排他独善の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。

 

 この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰とは全く異なる次元の原則なのである。

 

 今日「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=神社神道を排斥する輩こそ、キリスト教・浄土真宗の一部そして共産主義者というような排他独善の教義を信ずる者共なのである。
 
我が國の國家危急の際に命を捧げた人々を、敬神崇祖の我が國の伝統精神に基づいてお祀りする靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝あるいは公的機関の玉串奉奠を、西洋の宗教戦争から生まれた「政教分離」の原則にあてはめて禁止するなどということは、全く誤っている。

 

 我が國伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰である。それは我が國伝統信仰が、前述したように、國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

 だからこそ、神道の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

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2020年10月 8日 (木)

「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復することが理想的な國家實現の基礎である。

わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてゐる。これが日本伝統信仰の素晴らしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

武智功氏は、「万物に神が宿るという思いは、一神教に見られる人間が自然を支配するという考えとは異なり、地球問題を考える上で大切な思いである。自然を神と置き換えれば、現代人はまさに神をも恐れぬ存在になっているからである。この万物に神が宿るという思いは、また宗教上の対立による諸問題の解決に糸口を探ることや、多様な文化を尊重する気持ちの醸成などに貢献できる可能性もある。日本古来の考え方には、このほかにも個人より共同体を大切にするあり方をはじめとして、現代社会の問題を解決する多様にヒントが存在している」と論じてゐる。

 

神話の世界で、天照大神が行はれたと同じ祭祀「新嘗祭」を、今上陛下は今日も行はれてゐる。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科學技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現實に生きてゐる。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなってゐる。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。

 

日本おいては、これだけ科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きてをり、伊勢の神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のやうにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇はみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の中心者として君臨あそばされてゐる。

 

わが祖國日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる國である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

今日の日本の危機を打開し救済するためには、「歴史に生きる神話」すなはち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言へば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになる御心を道義的倫理的規範としてならひ奉り、「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復するといふことである。それが理想的な國家實現の基礎である。

 

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2020年10月 6日 (火)

熊野信仰について



 和歌山県田辺市本宮町本宮に鎮座する熊野本宮大社の御祭神は熊野坐大神(くまのにますおおかみ)と申し上げ、熊野に鎮まりまします大神という意である。

本社には十四柱の神が鎮まっているが、その総称を熊野坐大神と申し上げる。十四柱の神々の主祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ・須佐之男命の別名)。「ケ」は食物を意味する言葉であるから穀霊神と見てよいという。

この神は熊野奇霊御木野命(くまのくしみけぬのみこと)とも申し上げ、木の御神霊である。紀伊の國は木の國であり、山に覆われ木が生い茂る國である。

また熊野の「クマ」とは「神」の意であるという。つまりこの神社に祭られている神は太古より信仰された紀伊の國の樹木の神霊と申し上げてよいと思う。その信仰が大和朝廷の神話の神であられる須佐之男命と融合したのであろう。

 さらに熊野の「クマ」は、奥まった隅のところという意でもある。地理的に熊野は大和から見るとまさに「奥まった隅のところ」である。「奥まった隅のところ」は神秘的なところであり神のいますところと信じられたのである。

 そして『日本書紀』では、伊耶那美命が亡くなってから葬られた地が熊野であるとされており、熊野は夜見の國(あの世)・常世(永遠の理想郷)に近いところと信じられた。なお、『古事記』では出雲の國に葬られたとある。出雲にも熊野神社がある。紀伊國と出雲とは日本伝統信仰において深いつながりというか共通性がある。伊耶那美命はこの神社では熊野牟須美大神(くまのむすみのおおかみ)という御名で祀られている。

 また、『古事記』によると神武天皇が熊野に上陸されると、「大きなる熊、髪(くさ・草のこと)より出で入りしてすなわち失せぬ」とある。

 本地垂迹説(日本の神は仏が人々を救済するために仮の姿を現したという説)では、日本伝統信仰の常世への憧れと仏教の浄土思想が融合したため、熊野三山が阿弥陀如来、新宮が薬師如来、那智が観世音菩薩を本地とするとされる。本宮の主祭神・家津美御子大神の本地は阿弥陀仏であるとされる。ゆえに熊野の神は熊野大権現とも言われる。権現とは仏の仮の姿という意。勿論これは我が国に仏教が伝来し、融合した後からの伝承である。 

 熊野本宮大社の御鎮座は神武天皇御東征以前と伝えられ、第十代崇神天皇六五年に社殿が創建されたという。また奈良時代より修験道(神仏混淆の山岳修行道)の行場であった。そして、平安時代には仏化(神社というよりも寺になったということ)した。熊野水軍を統率し源平の戦いに参加したくらいであり、その権勢は國守や領主を凌いだという。南北朝時代は吉野朝(南朝)に忠誠を尽くした。  

 熊野三山は御歴代の天皇の御崇敬篤く、第五九代宇多法皇(延喜七年・九0七年に行幸)より第九十代亀山上皇まで、上皇、女院の熊野行幸は百余度の多きに達した。鳥羽上皇二十八度、後白河上皇三十四度、後鳥羽上皇二十八度に達している。熊野への行幸は往復二十数日を要する難行苦行の旅であった。こうした皇室の崇敬が熊野水軍という勤皇の軍団が生まれた原因であろう。

 何故このように皇室の御信仰が篤かったのか。それは太古の昔から熊野が聖地として仰がれたと共に、神武天皇が橿原に都を開かれる前に熊野の地を通られたこともその理由の一つであると思われる。また中世期に入ってから末法思想が盛んになり、浄土への憧れが強くなったことが、常世・浄土の入口と信じられた熊野への信仰が平安から鎌倉時代にかけて最高潮に達した原因であろう。

 要するに熊野信仰には、山・森林への自然信仰と、他界信仰(常世への憧れの思想)という日本の伝統信仰が凝集しているのである。

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2020年10月 5日 (月)

「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる

 あの世に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けている。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきた。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。
 
先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。

ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。

わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。

 内閣総理大臣が、靖國神社に公式参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

わが国の伝統精神における最も大切な行事は祭祀である。「祭祀」とは神に奉仕し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。さらに、「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践である。つまり人と自然の本来の姿を回復する行事が祭りである。
 
わが国民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのがわが国民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができる信じ続けてきている。この「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。

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2020年9月24日 (木)

「祟り」は、より高次の「善」「幸」を生じせしめる契機である

最近、祟り・怨霊といふことが問題になることが多くなった。日本伝統信仰・神話精神・神道精神は祟り神・怨霊についてどういふ信仰を持ってゐるであらうか。

わが國は今日唯今、新型コロナウイルスが猖獗してゐる。わが國においていはゆる伝染病が流行し多くの人々が犠牲になったのは、古代にさかのぼる。古代より、伝染病が流行し多くの人々が犠牲になった時には、神への祈りがささげられ祭祀が行はれた。

『古事記』と『日本書紀』に書かれてゐる大物主神に関する神話は、日本の神が「祟りの神」から「豊穣の神」「幸の神」に変身することを明らかに示してゐる。まさに「見直し、聞き直し、告り直し」の世界である。

『日本書紀』に書かれてゐる通り、大物主神は「我は是倭國の域(さかひ)の內に所居(を)る神、名を大物主神(おほものぬし)と爲(い)ふ」といふ神であられる。

その大物主神は、崇神天皇の御代において「祟りの神」として登場された。しかし、大物主神をお祭りするやうになると、「祟りの神」としての性格を全く無くされ、大和の國のみならず日本全國そして皇室の「守り神」「豊穣の神」としてご活動をされ続けられるである。

最初に「祟りの神」として登場されるのは、あくまでも大物主神に如何に大きな力があるかを示し、神としての活動開始の合図であるかのやうである。

小室直樹氏は、「人びとにまつられる日本の神は、もと祟りである。…祟らないように神社を作ってこれを祭る。そうすると、人に祟りをなす悪神は善神となり、人びとに幸福を授けるようになる。日本の神様は、みなこのタイプである」(『天皇恐るべし』)と論じてゐる。

大物主神だけでなく、菅原道真の御霊も然りである。最初は「祟り神」として登場されるが、祭りを行ふことによって、「天満大自在天神」といふ幸をもたらす神、善神、学問の神へと変身された。

折口信夫氏は、「たたり」について次のやうに論じてゐる。「『たゝる』といふ語は、…古い意義は神意現れると言ふところにある。允恭紀に淡路の島で狩りせられて、終に獲物がなかったので、占はれると、島の神祟りて曰はく、獣をとらせないのは自分の心だ。赤石の海底の眞珠を自分に獻ったら獸をとらせようと言うたとある。此文の卜うたら神が祟ったと言ふのは、今の祟るでない。…『たつ』と云ふ語は現れる・出るといふ意義が古いので、其から、出發・起居などの觀念が纏って來たのである。…(注・『月立つ』…『向ひの山に月たゝり見ゆ』といふ言葉は)月神の出現を示すのである。其が段々内的になって來て、神意の現れる事を示す語になる。…更にそこに、意義が固定すると…捉へ難きものゝ出現の意になる。『たゝり』は『たつ』の『あり』と複合した形で、後世風には『たてり』と言ふところである。『祟りて言ふ』は『立有而(たゝりて)言ふ』と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で…古いものはやはり、人の過失や責任から『たゝり』があるのでなく、神がある事を要求する爲に、人困らせの現象を示す風であった」(「『ほ』・『うら』から『ほがひ』へ」)。

この折口説によると、「祟り」の語は、神の顕現を表はす「立有(たちあり)」=「立ち現れる」といふ意味であり、神が目の前に立ち顕れることを言ったといふ事である。それがいつしか、今のような、神仏や霊魂などが人間に災ひを与へること、また、その時に働く力そのものをいふようになってしまったのである。

本来「祟り」は、より高次の「善」「幸」を生じせしめる契機なのである。これは、明るい太陽のもとで生きてゐる日本人の明るい國民性による信仰精神であらう。

村岡典嗣氏は「(注・我國の神代伝説において)部分的にも全體的にも著しく看取せらるゝ哲理として存するものは、吉凶相生じて吉に歸する、換言すれば凶も又吉の爲に存するといふ見解である。…一貫して吉の力、生成の力の優越が示されてゐる。…人生や世界は凶悪あるにも拘らず、本格的にそを支配するものは吉善の力で、凶悪の存するのも畢竟は吉善の爲であり、凶悪は假で吉善こそ本質である」(『日本思想史研究④』)と論じてゐる。

日本には、絶対的悪神・悪魔はゐない。悪神は祭りを受けることによって善神となり、人間の罪穢れも禊祓ひによって清められる。

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2020年9月23日 (水)

荒ぶる神は祭祀によって鎮めることができる

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

本居宣長は、日本の神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)」(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。今日の新型コロナウイルスの感染拡大はこれにあたると思はれる。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文學的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替へようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語(こと)問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から學んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精靈たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精靈たちを祓ひ清め鎮めた。

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