2018年6月15日 (金)

大伴家持が「むすび信仰」を詠んだ歌

 

たまきはる命は知らず松が

(

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を結ぶこころは長くとぞ思ふ(一〇四三)

 

右の一首は、大伴宿禰家持の作なり。

 

大伴家持の歌。「たまきはる」は「命」にかかる枕詞。色々な説があるが、魂が発展し、張り出し、外に出て行くといふ意。冬の季節には籠ってゐた虫も動物も草木も、春になると動物は動き出し、植物の葉は張り出すので、「春」の語源は「張る」であると言ふ。四季の変化はあっても、いのちは永久に生き生きとしてゐるといふことであらう。

 

「命」は寿命のこと。「松が枝を結ぶこころ」は、吉凶を占ひ、また無事・幸福を祈るために松の枝を結ぶ風習。松の枝を結ぶことによって、自分の命の長久を祈った。

 

通釈は、「寿命のことはよくわからないけれども、松の枝を結ぶ心は、寿命よ長くあれと思ふ心からだ」といふ意。

 

家持二十五歳の時の歌と言ふ。今よりもずっと平均年齢が低かったので、かかる歌を詠んでも不思議ではなかったのであらう。

 

この歌は「むすび」の信仰を詠んでゐる。「苔が生()す」といふのは、苔の命がどんどん発展成長することである。命が出現することを「むす」と言ふ。

 

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。

 

ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の「苔のむすまで」のムス、大伴家持の歌の「草むすかばね」のムスも、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

草や木の枝や根を「むすぶ」といふ行為は、生命の無事を祈る意義があった。旅人は松の枝などを結んで無事を祈ったのである。

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐる。

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2018年6月13日 (水)

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である

 

「天」と「海」は両方とも「アマ」と讀む。天と海とは分かち難く捉へられた。何故かといふと、天と海とは水平線で一つになるからである。海の彼方は天とつながる。海の彼方への憧れは他界への憧れである。海の彼方には異郷がある、竜宮世界がある、常世(永遠の世界)があると信じた。

 

浦島太郎は、竜宮城・常世に行ったら老いなかった。永遠の若さを保った。日本人には世界が海の彼方にあるといふロマン精神がある。もう一つの「アマ」である天も同じである。天上には、高天原がある。

 

島國に住む日本民族は海の彼方に憧れを抱いた。岡潔氏は、日本民族は超古代には、はるか海の彼方の南方から渡って来たと説いてゐた。海への憧れから生まれた神話がある。「海幸彦の神話」がそれである。

 

また、日本には北方から来た人々もゐた。この二つの民族が合体して今日の日本民族を構成したといふ説がある。北方から来た民族は、天上に理想の世界・神の世界・永遠の世界があると信じた。その信仰から生まれたのが「天孫降臨の神話」である。

 

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言ひ、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。古代日本の神話にそれは記されてゐる。

 

天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られた。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れてゐたかを証明する。古代日本人は天に憧れてゐたがゆゑに、大和地方において神聖な山と仰がれてゐる大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言はれ、わざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めてゐる。恋ひ慕ってゐる人が天から降ってくるわけでもないのに、といふほどの意)といふ歌であらう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗はれた時に生まれられた神であるといふ神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れてゐたことを証しする。

 

 先述した如く、日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々によって構成されたといふ説がある。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であらうか。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言ふのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想國・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。この二つの系統が日本人の他界観に流れてゐる。前者を水平型思考他界観と言ひ、後者を垂直思考他界観と言ふ。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なってゐると言はれてゐる。

 

日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が融合されてゐるのである。「天」を「海」もともに「アマ」と呼ぶのははさういふ古代精神を継承してゐるのである。

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2018年6月 4日 (月)

「天神地祇」について

わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神とに系統が分かれる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神と言ふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神である。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

 

そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。

 

また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり、邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社がある。わが國民は、天の神・地の神を共に敬って来た。これを天神地祇と言ふ。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのである。

 

「天地の神」「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

前述した如く、地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。

 

須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。わが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。故に空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

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2018年5月29日 (火)

神道の基本行事=祭りについて

 

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の伝統的な信仰である。

 

維新とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、遥か彼方にある天國とか極楽浄土ではない。今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。

 

実際、日本民族は、全國各地で毎日のように禊と祭りを行っている。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

「祭り」とは、神人合一の行事であり、罪穢れを祓ひ清め元初の姿へ回帰する行事である。天地宇宙の更新再生が、祭りである。元初に回帰しつつ常に新たに生まれるといふ理念・原理=復古即革新が、日本文化の精粋である。それが現実の姿として顕現してゐるのが伊勢の神宮なのである。

 

五月は夏祭りの季節である。私宅近くの湯島天神のお祭りが行われる。浅草では三社祭りが行われる。東京下町には、神社を中心とした地域共同体がのこっている。一時は、お祭りの時に神輿の担ぎ手がいなくて困ったという話も聞いたが、最近は全くそういう事はない。方々に神輿の會が作られていますし、町内にも神輿を担ぐ人も多くなっている。

 

神社は、その地域をお守りくださる神様を祭っている。氏神さまとか鎮守の神さまとして崇敬される。神社神道には難しい教義や独善的な教条はなく、天神地祇をお祀りする道が神道なのである。それは太古より続いてきた日本人の道である。それを敬神崇祖と言う。一年中日本の何処かの神社で祭礼が行われている。まさに日本は神の国なのである。

 

我が國民は「祭り」が好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきているのである。今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。

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2018年5月21日 (月)

日本の伝統には女性蔑視の思想はない

古代日本には、各氏族や各家に「家刀自」(一族の女性の戸主)がゐた。「家刀自」は先祖への祭祀の祭り主となった。また、稲の刈り取りの時はそれを監督し、自らも刈り取りを行った。稲作は日本人の生活の基本であり、稲作とそれに関はる祭祀は各氏族・各家において非常に大事な行事であった。

 

仏教や儒教がわが國に定着する以前、即ち神話時代・古墳時代には女性は、重要な役目を担った。女性が一族の家長にもなったし、女性天皇も多かった。

 

各氏族や家に於いて稲作を主導したのは女性である。そして稲の豊穣を祈る行事がわが國傳統信仰の祭祀とりわけ新嘗祭である。

 

「神話の世界」も「萬葉の世界」も、新嘗祭などの祭祀は女性によって執行されてゐる。女性は穢れがあるから祭りをしてはならないといふ考へ方は、日本の傳統に反する主張である。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行ってゐた。

 

女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。『日本書紀』に「天照大御神新嘗きこしめす」とある。「新嘗きこしめす」とは、新嘗祭を行ひ、神から新穀を頂戴することである。

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

「践祚大嘗祭」を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。伊勢の皇大神宮の「式年遷宮」も、天武天皇がお定めになり、持統天皇の御代の持統天皇四年(六九〇)に第一回が行はれた。

 

平成二十五年、伊勢の皇大神宮の「第六十二回式年遷宮」が行はれたが、天皇陛下のご代理として天照大神にお仕へし神事を司られる「臨時神宮祭主」は、今上天皇皇女・黒田清子様がその神聖なるお役目をお果たしになった。神宮祭主は、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」のお役目であると承る。

女性が祭祀とりわけ新嘗祭を行ひ得ない、行ってはならないなどといふのは、わが國の傳統とは相容れない思想であるし、第一事実に反する。これは、仏教思想や儒教道徳の女性蔑視の思想の影響と考へられる。

 

日本傳統信仰には、仏教のやうな「女人禁制」といふ風習はない。また儒教のやうな「女性蔑視」「女性差別」の思想はない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を「日子(ひこ)」と言ひ、女を「日女(ひめ)」と言ふ。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるといふ意味である。

 

神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを「生す(むす)子(息子)」・「生す(むす)女(娘)」と言ふのである。そこには全く差別はない。

 

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬へる人がゐる。また、染色体論を用いる人がゐる。これらの考へ方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるといふ根本信仰とは異なる考へ方である。

 

歴代天皇お一方お一方が、御神勅に示されてゐる通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承といふ神武天皇以来の傳統は守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

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2018年5月15日 (火)

日本ナショナリズムは古代からの日本傳統精神が原基となってゐる

 

「辞書」によると「國民國家」とは、「同一民族または國民といふ意識によって形成された中央集権國家」「領域内の全住民を國民といふ単位に纏め上げて成立した國家そのもの」といふ定義である。近代以後においてかういふ國家が成立したといふのが定説になってゐるやうである。「神國思想」「尊王思想」の継承の歴史を見て明らかな通り、わが國においては、近代以後に「同一民族または國民といふ意識によって形成された國家」が建設されたのではない。江戸時代以前と言うよりも古代以来、においてもわが國は日本民族による統一國家體制は確立してゐた。

 

安倍晋三氏は、「現在の國家の形を、一般にネーションステート(國民國家)と呼ぶ。これはもともと近代のヨーロッパで生まれた概念だ。…日本で國民國家が成立したのは、厳密にいえば明治維新以後ということになるが、それ以前から、日本という國はずっと存在してきた。」(『美しい國へ』)と論じてゐる。

 

西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一體感・運命共同意識を醸成して外敵に当たらうとした。それが明治維新である。しかし、明治維新以前に於いてもわが國が、天皇を君主と仰ぐ統一國家であったし、天皇中心の國體精神に回帰することによって、國難を打開し変革を行ってきた。

 

和辻哲郎氏は「シナ古代に典拠を求めていた尊皇攘夷論は、日本人が欧米の圧迫によって日本を一つの全體として自覚するとともに、その鋒(ほこさき)を幕府の封建制に向け、武士社會成立以前の國民的統一を回復しようとする主張に変わって行った。…日本第一期以来の天皇尊崇の感情が…國民的統一の指導原理となった。…王政復古の達成は、松陰処刑後わずかに八年目のことであった。」(日本倫理思想史)と論じてをられる。

 

和辻氏の言ふ「武士社會成立以前の國民的統一の回復」=王政復古が、わが國における『近代國民國家の成立』であったのである。そしてその根底にあった思想は、和辻氏の言ふ「日本第一期以来の天皇尊崇の感情」である。日本ナショナリズムが古代からの日本傳統精神が原基となってゐることは明らかである。

 

 わが國における攘夷とは、時代を無視した頑なな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ多くの維新の先人たちは世界の状況・時代の趨勢を正しく把握しやうとしてゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたことは、攘夷とは排外・鎖國を専らとするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を學ぶことを要するといふ開明的な考へ方であった。維新後の開國政策の下地はこの頃からあった。古来、わが國が外國文化・文明を柔軟に包摂して来たのは、日本民族の根底に強靭なる傳統信仰があったからである。

 

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天上の世界、海の彼方への憧れは日本人が太古から抱き続けたロマン精神

天上の世界、海の彼方への憧れは日本人が太古から抱き続けたロマン精神

 

「黄泉の國」及び「死」について古代日本人はどのやうに考へどのやうなイメージを描いてゐたのかは、『萬葉集』に収められてゐる次の歌に示されてゐる。

 

「やまぶきの 立ちよそひたる 山清水 汲()みに行かめど 道の知らなく」(『萬葉集』一五八)

 

天武天皇の御子・高市皇子が、異母妹・十市皇女の薨去を悼んで歌はれた御歌である。十市皇女は、天武天皇の皇女。母君は額田王。天智天皇の皇女・大友皇子(弘文天皇)の正妃となられた。「壬申の乱」の後、大和にお帰りになった。「壬申の乱」では、夫君が父君によって滅ぼされる。「壬申の乱」の六年後の天武天皇七年(六七八)四月七日、急病で薨去された。『日本書紀』には「卒然に病発(おこ)りて宮の中に薨ず」と記されてゐる。その時に、皇女の薨去を悼んで、高市皇子が歌はれたのがこの御歌である。

 

高市皇子は、「壬申の乱」で十九歳にして指揮官として軍事を委ねられ、天武天皇方の勝利に貢献したと傳へられる。弘文天皇の御首を頂戴したのは、高市皇子といはれてゐる。高市皇子は大和に戻られた十市皇女を妃にされたか、されようとしたといはれてゐる。十市皇女にしてみると、高市皇子は異母兄であるが、夫を滅ぼした人といふ事になる。

 

【やまぶき】山地に自生する、ばら科の落葉低木。【よそふ】飾る意。現代語の「装ふ」と同じやうな意味。【汲みに行かめど】黄泉の國に行くことの意。「山吹が咲く所の清水を汲む」とは即ちあの世に行くことである。従って、「やまぶきの立ちよそひたる山清水を汲」みに行くとは、「黄泉の國」に行かれた十市皇女に會ひに行くといふ意である。【道の知らなく】ナクは打ち消し。道を知らないことよ、といふ意。體言止めと同じく一種の詠嘆的終止。

 

通釈は、「黄色の山吹が咲いてゐる山の清水を汲みに行きたいが、道が分かりません」といふ意。

 

山吹の黄色に彩られた山の泉は「黄泉」をイメージし暗示してゐる。「よみのくに」のヨは、世の中の世と同じで年齢とか生命の意。ミは、身體のこと。前述した通り、黄泉國からこの世へ還って来ることを「よみがへり」(黄泉の國から還る)と言ふ。

上代人の来世観は、この世とあの世の厳しい区別があまりなかった。森羅萬象に精霊・神が宿ってゐると信じたから、他界観も今日とは比較にならないくらい神秘的であった。

 

上代においては山の奥の方に死者を葬った。あの世への入口は、山の奥の清水の湧き出る岩屋や洞窟の奥と考へられた。また岩屋の奥に霊が籠ってゐると信じられた。

 

また、「山吹」には「面影草」といふ異名があったので、「山吹の咲く水辺で、水の中を覗くと、今は亡き人の面影を見ることができる」といふ信仰があったと言ふ。山吹が咲いてゐる下に湧き出る「清水」を美しい十市皇女に譬へてゐると解することもできる。

 

「あの世まで十市皇女の後を追って行きたいがそれもかなはない」といふことを歌ってゐる。歴史的背景は悲劇であるが、高市皇子の十市皇女への思慕の情は真實であり純愛であったと思はれる。またこの歌では、黄泉の國は陰惨な世界といふイメージになってゐない。光明化されてゐる。

 

まだ見たこともなく、行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持ってゐた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、日本人の生活と信仰の根本にあるものである。

 

とくに天上の世界、海の彼方への憧れは、昔から日本人が抱き続けたロマン精神であった。邇邇藝命は天上の世界から地上に天降られた。日本民族の主神であり皇室の祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗はれた時に生まれられた。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れてゐたことを証しする。

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2018年5月13日 (日)

本来「祟り」はより高次の「善」「幸」を生じせしめる契機である

 

『古事記』と『日本書紀』に書かれてゐる大物主神に関する神話は、日本の神が「祟りの神」から「豊穣の神」「幸の神」に変身することを明らかに示してゐる。

 

『日本書紀』に書かれてゐる通り、大物主神は『我は是倭國の域(さかひ)に所居()る神、名を大物主神(おほものぬし)と爲()ふ』であられる。

 

その大物主神は、崇神天皇の御代において「祟りの神」として登場された。しかし、天皇・朝廷が大物主神をお祭りするやうになると、「祟りの神」としての性格を全く無くされ、大和の國のみならず日本全國そして皇室の「守り神」「豊穣の神」としてご活動をされ続けられるやうになる。

 

最初に「祟りの神」として登場されるのは、大物主神に如何に大きな力があるかを示し、神としての活動開始の合図であったかのやうである。

 

小室直樹氏は、「人びとにまつられる日本の神は、もと祟りである。…祟らないように神社を作ってこれを祭る。そうすると、人に祟りをなす悪神は善神となり、人びとに幸福を授けるようになる。日本の神様は、みなこのタイプである」(『天皇恐るべし』)と論じてゐる。

 

大物主神だけでなく、菅原道真の御霊も然りである。最初は「祟り神」として登場されるが、天皇・朝廷が祭りを行ふことによって、「天満大自在天神」といふ幸をもたらす神、善神、學問の神へと変身された。

 

折口信夫氏は、「たたり」について次のやうに論じてゐる。「『たゝる』といふ語は、…古い意義は神意現れると言ふところにある。允恭紀に淡路の島で狩りせられて、終に獲物がなかったので、占はれると、島の神祟りて曰はく、獣をとらせないのは自分の心だ。赤石の海底の眞珠を自分に獻ったら獸をとらせようと言うたとある。此文の卜うたら神が祟ったと言ふのは、今の祟るでない。…『たつ』と云ふ語は現れる・出るといふ意義が古いので、其から、出發・起居などの觀念が纏って來たのである。…(注・『月立つ』…『向ひの山に月たゝり見ゆ』といふ言葉は)月神の出現を示すのである。其が段々内的になって來て、神意の現れる事を示す語になる。…更にそこに、意義が固定すると…捉へ難きものゝ出現の意になる。『たゝり』は『たつ』の『あり』と複合した形で、後世風には『たてり』と言ふところである。『祟りて言ふ』は『立有而(たゝりて)言ふ』と言ふ事になる。神現れて言ふが内化した神意現れて言ふとの意で…古いものはやはり、人の過失や責任から『たゝり』があるのでなく、神がある事を要求する爲に、人困らせる現象を示す風であった」(「『ほ』・『うら』から『ほがひ』へ」)

 

この折口説によると、「祟り」の語は、神の顕現を表はす「立有(たちあり)」=「立ち現れる」といふ意味であり、神が目の前に立ち顕れることを言ったといふ事である。それがいつしか、今のような、神仏や霊魂などが人間に災ひを与へること、また、その時に働く力そのものを言ふようになってしまったのである。

 

本来「祟り」は、より高次の「善」「幸」を生じせしめる契機なのである。これは、明るい太陽のもとで生きてゐる日本人の國民性による信仰精神であらう。

 

村岡典嗣氏は「(注・我國の神代傳説において)部分的にも全體的にも著しく看取せらるゝ哲理として存するものは、吉凶相生じて吉に歸する、換言すれば凶も又吉の爲に存するといふ見解である。…一貫して吉の力、生成の力の優越が示されてゐる。…人生や世界は凶悪あるにも拘らず、本格的にそを支配するものは吉善の力で、凶悪の存するのも畢竟は吉善の爲であり、凶悪は假で吉善こそ本質である」(『日本思想史研究④』)と論じてゐる。

 

日本には、絶対的悪神・悪魔はゐないのである。悪神は祭りを受けることによって善神となり、人間の罪穢れも禊祓ひによって清められるのである。

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2018年5月12日 (土)

日本精神の今日的意義

日本精神とは、天皇仰慕の心・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・まつりの心・父母兄弟を尊ぶ心である。

 

日本精神は文献的には『古事記』『日本書紀』『萬葉集』に示されている。のみならず<祭祀>という行事によって今日まで継承され実践されている。日本の傳統精神・生活・文化の基本・核は、<祭祀>である。わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。そしてそれを常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇であらせられる。天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。

 

日本精神・民族精神とは、「天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた國民精神」と定義することが出来る。そしてそれは、「天地生成・神武建國・八紘為宇の精神」である。

 

闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である<神人合一(すべてに神を観る心)><中心歸一の原理><結びの原理><多即一・一即多の原理>によって、分割する精神=神と人・神と被造物は絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は神に支配され神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性から解放し、永遠の闘爭から人類を救済する。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

日本精神は経済力や武力によって世界を支配することを最高の主義とするものではない。日本精神によって世界を救済し世界を新たならしめ、世界を維新する思想である。まさに世界全人類に真の意味の平和を齎す精神である。

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2018年5月 8日 (火)

祖霊信仰について

父母の遺影と位牌に毎朝毎晩拝礼している。父母の笑顔を見ると、私をやさしく見守ってくれていると感じられて、心が安らぐ。

父母の位牌と遺影を安置したその日から、父母が遺された私を見守って下さっているとひしひしと感じている。これはまことに不思議な実感である。そして毎日、父母の御霊に対して感謝の祈りを捧げると共に「どうか私をお守りください」と祈っている。

柳田國男氏は、「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まってさう遠くへは行ってしまはないといふ信仰が、恐らく世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられて居る。…顕幽二界の交流が繁く、単に春秋の定期の祭だけでなしに、何れか一方のみの心ざしによって、招き招かるゝことがさまで困難でないように思って居た」(『先祖の話』)と論じている。

確かに、私もそう実感する。「亡くなった人が草葉の陰から見守って下さっている」という言葉がある通りである。

仏教特に浄土教では、「人は死んだら西方十万億土の彼方にある極楽浄土に行く」と教えるが、一方で、お盆やお彼岸には遺族の住んでいる家に帰って来るという観念が強く伝承され、祖霊に対する供養が仏教寺院で行われる。どんな唯物論者・無神論者でも、亡くなった方の霊に対しては敬意を表し、慰霊行事には参加する。

理屈はともかく、亡くなった方の霊が、天国・天上界・霊界・極楽浄土に行かれても、常にこの世にいる我々を見守って下さっているという信仰は根強いものがある。だからこそ、前述したとおり、祖霊への慰霊行事が絶えることなく盛んに行われているのである。

私は、若い頃は、「既成仏教は葬式仏教になっている。現実に生きている人々を救うことはできない」などと批判していたこともある。しかし、今はその考えが浅はかであったことを思い知っている。亡くなった人々に対する慰霊・供養こそ、自然崇拝と共に、日本伝統信仰の大きな柱であると知ったからである。

父母が地上から去り給うたことの悲しみは深い。しかし、父母の御霊は常に私たち遺族のそばに居られることを実感している。そして、感謝の祈りを捧げる毎日である

 

 

 

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