2018年7月31日 (火)

「生産」とは「むすびの精神」である

 

「生産」といふ言葉が話題になってゐる。やまと言葉では、「生産」とは、「生(む)す・産(む)す」と言ふ。これは「日本神話」の信仰精神の根本信仰である、「生成・結合・生産」の観念、すなはち「むすび」の精神である。

 

「生(む)す・産(む)す」の霊力を発現することを「むすぶ」と言ひ、和合・合一の精神を日本傳統信仰は、「むすび」と言ふのである。「むすび」は真の意味の平和の精神であり原理である。人と人との「むすび」は平和の基礎である。

 

人の生活は、「むすび」によって成り立ってゐる。稲作生活から生まれた「むすび」の精神が、生産と科学技術による日本の発展の根幹にある。「むすび」といふ神靈は、ものの生成・生産をつかさどる霊性である。すなはち、生(む)す・産(む)すの霊力を発現することを「むすぶ」と言ひ、その霊性そのものを「むすびの神」といふのである。その霊性の至高のご存在が「造化の三神」である。

 

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。

 

ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆゑに「結び」を「産靈」とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が生まれる。「むすこ」「むすめ」である。

 

繰り返し言ふ。男女が和合することを「むすび」と言ふ。そしてその結果生まれて来た男子を「生()す子」=「息子」と言ひ、女子を「生()すめ」=「娘」と言ふ。男同士・女同士の和合では、子が生まれないのであるから、生産性はないのである。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の「苔のむすまで」の「むす」、大伴家持の歌の「草むすかばね」の「むす」も、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

天地・國の生成は、“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生産され、生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

 

大日本生産党の党祖・内田良平氏は、「大日本生産黨を創立せんとて詠める」と題して、

 

「國を生み 人を産ませし 神業に 神習ひして 世を救はばや」

「生み産みて 萬づの物を 育くまば 足らはぬことの なにあるべしや」

 

といふ歌を詠んでをられる。

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2018年7月22日 (日)

伊勢皇大神宮について

第一〇三代・後土御門天皇は、明応四年(一四九九)「伊勢」と題されて、

 

「にごりゆく世を思ふにも五十鈴川すまばと神をなほたのむかな」

 

と詠ませられた。

 

後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震・武家の専横などがあり、皇室の衰微が極に達した。崩御になられた後、御大葬は行われず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだという。この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。

 

今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本国民は神に熱祷しなければならない。伊勢の皇大神宮に参拝すると本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを實感する。

 

「ここは心のふるさとか そぞろ詣(まい)れば旅ごころ うたた童(わらべ)にかへるかな」

 

 吉川英治が昭和二十五年十二月、五十八歳の時、『新平家物語』執筆のための取材旅行の途次、伊勢の皇大神宮に参拝して詠じた歌である。実感した心をそのまま素直に歌にしてゐる。伊勢に参拝した日本人誰もが抱く心が歌はれてゐると思ふ。

 

矢野憲一氏はこの歌について、『わたしたちのお伊勢さま』所収の「私達の伊勢神宮」といふ文章で、「内宮神楽殿で、『即興でお恥ずかしいが……』と書かれた歌です。この歌から『心のふるさと』という言葉が有名になりました。玉砂利の参道を歩きながら吉川英治が、子供の心に返る思いがすると詠じたように、なぜ神宮は懐かしい感じを私たちに与えるのでしょうか。それは日本人皆につながる大御祖(おおみおや)神がおまつりされているからです」と書いてゐる。

 

日本人の伊勢の大神への崇敬の心は、教義教条に基づくのではない。日本人としてごく自然な畏敬の心である。だからこそ、伊勢の神宮の神域に入ると大いなるものへの畏敬の心に充たされ、童に返ったやうに素直な清らかな心になるのである。

 

イエスキリストは、「幼兒の如ごとくならずば、天國に入ること能はず」と言ったが、日本人は、伊勢に参宮することによって「うたたわらべにかへる」のである。ここが日本伝統信仰の素晴らしいところである。

 

この歌は、『吉川英治文庫』所収の「川柳・詩歌集」には、「伊勢神宮にて」との題詞がつけられ、「ここは心のふるさとか ひさの思ひに詣づれば 世にさかしらの恥かしく うたたわらべにかへるかな」とある。即興の歌を推敲したのであらう。「ひさの思ひ」とは、久しく参ってゐなかった懐かしい思ひ、といふほどの意であらう。

 

伊勢の神宮は日本伝統信仰の結晶である。日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統信仰が現実のものとして顕現してゐる。日本伝統信仰とはいかなる信仰であるかは、伊勢に参宮して神を拝ろがめば感得できる。理論理屈は要らない。

 

伴林光平は、

 

「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ)に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」

 

と詠んだ。

 

これも、伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりまします故に伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。

 

「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思はれ、自分自身も神代の人のやうに思はれる」といふ意である。光平は、「今即神代」の信仰を、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴へてゐる。

 

伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。

 

 保田與重郎氏は、この光平の歌について論じ、「神苑の杉の並木を歩いてゐると、いつの程にか神代の心に我身我心もなりきってしまふといふ意で、神宮参拝の心持を非常によくうつした名作である。…樹そのものが神と思はれるのである。さうしてその感覚の中では、自分と木は一つになる。…大木を大切にすることの必要さなどといふことは、大木を見て神を知った者は必ず切実に感じる。さうしてさう感じる心が、即ち日本の本質である。日本の生々発展の神の創造力に奉行し得る。…大木を見ても、たゞこれを伐って何に利用しようかといふやうに考へるたぐひの心持が、日本人の一部に動いてゐるが、私はこれを無限に悲しみ、憤ってゐる。…この神苑の大杉は物ではなく、神である。この感覚が永久に日本を支へる感覚である」(橿ノ下)と述べておられる。

 

西行は、治承四年(一一八〇)六十三歳の時、三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り住んだ時に、

 

「何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるゝ」

 

と詠んだ。

 

若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において、

 

「おのづから 神にかよへる いにしへの 人の心を まのあたり見む」

 

と詠んでゐる。

 

窪田空穂は、

 

「遠き世に ありける我の 今ここに ありしと思ふ 宮路を行けば」

と詠んだ。

 

伊勢皇大神宮は、「今即神代」「天地初発之時」への回帰を実感する祭りの聖域である。「今即神代」「天地初発之時」といふ時の「今」とは、時間的感覚でとらへられる「過去・現在・未来」の中の「現在」ではない。「久遠の今」である。それは、ミルチャ・エリアーデの言った「かの初めの時」であり、キリスト教の「われはアルファでありオメガである」、佛教の「久遠元初」と近い意義を持つと考へる。まさに伊勢の神宮は「心のふるさと」なのである。

吉川英治は、次のやうな俳句も詠んだ。

 

「昭和十四年霧島にて

霧島に 神の子われも 詣でたり」

 

 宗教の根底にあるものは、天地自然の中に生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮をはじめとした日本の神社は、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地である。

 

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2018年7月12日 (木)

日本傳統文化は現代文明の欠陥を是正し新たなる文化を形成する

 現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

 

 そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重を反省しなければならない。

 

 自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神が、世界の真の平和を作り出すために重要な意味を持ってくる。

 

 日本傳統信仰は、大自然を尊ぶ。それは、大自然から、人生を学び、生き方を学び、國の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ)」であり「日女(ひめ)」なのである。

 

 日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと考えた。人も國土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一體の存在であると考える。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが國は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

 

 闘争戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそこの日本伝統精神が大きな役割を果たすと考える。一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

 

 西洋精神は、キリスト教もイスラム教もマルクスレーニン主義も、一人の教祖の説いた教義・一つの書物に書かれた教義を絶対的なものと信ずる。一神教的ものの考え方が、いかに世界に闘争を持ち来たしたかは、ロシアや支那や朝鮮やカンボジアなどにおける共産主義思想による殺戮、今日世界各地で起こっている宗教対立・闘争・殺し合いを見れば明らかである。

 

 自由自在にして大らかなる日本傳統精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。

 

 天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。 

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2018年7月 6日 (金)

日本伝統精神の特質

 古代日本精神を今日まで文献的に伝えているものは『古事記』『日本書紀』『萬葉集』である。これらの文献は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のような教義・教条が書き記されている文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められているのみである。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ抽象的な論議や理論を重んじなかった証拠である。

 

 近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べている。

 

篤胤は、儒教や仏教という外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の『道』を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は教義・教条ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じているのである。

 

 さらに近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説おかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり。」と論じている。

 

 つまり日本の伝統精神すなわち日本民族固有の『道』は事実の上に備わっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないというのである。抽象的・概念的な考え方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたいあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

 

 しかし、それは日本の伝統的な精神を論理化しないということてあって、日本に哲学や思想がなかったということではない。萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、詩によって表現されている。このことについて保田與重郎氏は、「芭蕉は…自ら感得した詩人の思想を、思想の言葉で語ることはしていない。これは芭蕉のみでなく、わが國の思想の深さを描いた文章の常である。…最も深いものを、日本の思想として語った人々が、我國では詩人であった。…日本の道は、思想としてかういふ形に現れるものだからである。」(野ざらしの旅)と論じておられる。

 

 こういう教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

 現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している。それは人格破壊を招く機械的な洗脳と言う恐ろしさを持っている。

 

 教義・教条とかイデオロギーが人格から分断され洗脳という形で多くの人々を支配した時の恐ろしさは、共産中国や旧ソ連そして北朝鮮などという社会主義国家のこれまでの歴史を見れば明白である。

 

 日本民族の生活態度の基本的特質、言い換えれば日本人の文化感覚を回復することが、こうした危険な状態を是正する唯一の道である。日本伝統精神が今後の世界においても実に大きな価値を持つのである。

    

 近代科学技術文明は、自然を恐れず、自然を征服し作り替え破壊することによって、人類の進歩と発展を図ってきた。しかしその結果、公害問題が深刻化するとともに核戦争の危機にさらされ、今日人間生活そのものが荒廃し、人類は破滅に向かって歩み始めている。

 

 これを打開するためには、自然に調和し大らかにして柔軟な日本伝統精神に回帰する以外にないのである。

 

 樋口清之氏は「日本人は、一般的傾向として、経験的な知恵や合理的知識をを分析や説明をこえた先験的・信仰的なとらえ方で身につける。このため近代分析科学的な理解方法しか身につけていない人からは、前近代的な迷信だと誤解されることもある。しかし分析に対する総合、対立に対する調和という伝統的な思考の中に、先人の生きざまの英知を各所で発見するのである。」(自然と日本人)と論じている。

 

 今日の世界は、これまでの組織された体系を持つイデオロギーや教義では救い得ない末期的状況にあると言っていい。古い体系は次々に崩壊しつつある。我々の目標は、まともな日本を回復するために、日本の伝統精神の英知を取り戻さねばならないのである。繰り返し言うが、日本の伝統精神とは、イデオロギー・教条ではない。日本の自然と風土と生活の中から生まれた日本民族の自ずからなる歴史の精神である。

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2018年6月15日 (金)

大伴家持が「むすび信仰」を詠んだ歌

 

たまきはる命は知らず松が

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を結ぶこころは長くとぞ思ふ(一〇四三)

 

右の一首は、大伴宿禰家持の作なり。

 

大伴家持の歌。「たまきはる」は「命」にかかる枕詞。色々な説があるが、魂が発展し、張り出し、外に出て行くといふ意。冬の季節には籠ってゐた虫も動物も草木も、春になると動物は動き出し、植物の葉は張り出すので、「春」の語源は「張る」であると言ふ。四季の変化はあっても、いのちは永久に生き生きとしてゐるといふことであらう。

 

「命」は寿命のこと。「松が枝を結ぶこころ」は、吉凶を占ひ、また無事・幸福を祈るために松の枝を結ぶ風習。松の枝を結ぶことによって、自分の命の長久を祈った。

 

通釈は、「寿命のことはよくわからないけれども、松の枝を結ぶ心は、寿命よ長くあれと思ふ心からだ」といふ意。

 

家持二十五歳の時の歌と言ふ。今よりもずっと平均年齢が低かったので、かかる歌を詠んでも不思議ではなかったのであらう。

 

この歌は「むすび」の信仰を詠んでゐる。「苔が生()す」といふのは、苔の命がどんどん発展成長することである。命が出現することを「むす」と言ふ。

 

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。

 

ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の「苔のむすまで」のムス、大伴家持の歌の「草むすかばね」のムスも、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

草や木の枝や根を「むすぶ」といふ行為は、生命の無事を祈る意義があった。旅人は松の枝などを結んで無事を祈ったのである。

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐる。

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2018年6月13日 (水)

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である

 

「天」と「海」は両方とも「アマ」と讀む。天と海とは分かち難く捉へられた。何故かといふと、天と海とは水平線で一つになるからである。海の彼方は天とつながる。海の彼方への憧れは他界への憧れである。海の彼方には異郷がある、竜宮世界がある、常世(永遠の世界)があると信じた。

 

浦島太郎は、竜宮城・常世に行ったら老いなかった。永遠の若さを保った。日本人には世界が海の彼方にあるといふロマン精神がある。もう一つの「アマ」である天も同じである。天上には、高天原がある。

 

島國に住む日本民族は海の彼方に憧れを抱いた。岡潔氏は、日本民族は超古代には、はるか海の彼方の南方から渡って来たと説いてゐた。海への憧れから生まれた神話がある。「海幸彦の神話」がそれである。

 

また、日本には北方から来た人々もゐた。この二つの民族が合体して今日の日本民族を構成したといふ説がある。北方から来た民族は、天上に理想の世界・神の世界・永遠の世界があると信じた。その信仰から生まれたのが「天孫降臨の神話」である。

 

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言ひ、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。古代日本の神話にそれは記されてゐる。

 

天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られた。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れてゐたかを証明する。古代日本人は天に憧れてゐたがゆゑに、大和地方において神聖な山と仰がれてゐる大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言はれ、わざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めてゐる。恋ひ慕ってゐる人が天から降ってくるわけでもないのに、といふほどの意)といふ歌であらう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗はれた時に生まれられた神であるといふ神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れてゐたことを証しする。

 

 先述した如く、日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々によって構成されたといふ説がある。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であらうか。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言ふのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想國・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。この二つの系統が日本人の他界観に流れてゐる。前者を水平型思考他界観と言ひ、後者を垂直思考他界観と言ふ。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なってゐると言はれてゐる。

 

日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が融合されてゐるのである。「天」を「海」もともに「アマ」と呼ぶのははさういふ古代精神を継承してゐるのである。

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2018年6月 4日 (月)

「天神地祇」について

わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神とに系統が分かれる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神と言ふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神である。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

 

そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。

 

また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり、邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社がある。わが國民は、天の神・地の神を共に敬って来た。これを天神地祇と言ふ。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのである。

 

「天地の神」「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

前述した如く、地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。

 

須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。わが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。故に空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

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2018年5月29日 (火)

神道の基本行事=祭りについて

 

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の伝統的な信仰である。

 

維新とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、遥か彼方にある天國とか極楽浄土ではない。今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。

 

実際、日本民族は、全國各地で毎日のように禊と祭りを行っている。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

「祭り」とは、神人合一の行事であり、罪穢れを祓ひ清め元初の姿へ回帰する行事である。天地宇宙の更新再生が、祭りである。元初に回帰しつつ常に新たに生まれるといふ理念・原理=復古即革新が、日本文化の精粋である。それが現実の姿として顕現してゐるのが伊勢の神宮なのである。

 

五月は夏祭りの季節である。私宅近くの湯島天神のお祭りが行われる。浅草では三社祭りが行われる。東京下町には、神社を中心とした地域共同体がのこっている。一時は、お祭りの時に神輿の担ぎ手がいなくて困ったという話も聞いたが、最近は全くそういう事はない。方々に神輿の會が作られていますし、町内にも神輿を担ぐ人も多くなっている。

 

神社は、その地域をお守りくださる神様を祭っている。氏神さまとか鎮守の神さまとして崇敬される。神社神道には難しい教義や独善的な教条はなく、天神地祇をお祀りする道が神道なのである。それは太古より続いてきた日本人の道である。それを敬神崇祖と言う。一年中日本の何処かの神社で祭礼が行われている。まさに日本は神の国なのである。

 

我が國民は「祭り」が好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきているのである。今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。

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2018年5月21日 (月)

日本の伝統には女性蔑視の思想はない

古代日本には、各氏族や各家に「家刀自」(一族の女性の戸主)がゐた。「家刀自」は先祖への祭祀の祭り主となった。また、稲の刈り取りの時はそれを監督し、自らも刈り取りを行った。稲作は日本人の生活の基本であり、稲作とそれに関はる祭祀は各氏族・各家において非常に大事な行事であった。

 

仏教や儒教がわが國に定着する以前、即ち神話時代・古墳時代には女性は、重要な役目を担った。女性が一族の家長にもなったし、女性天皇も多かった。

 

各氏族や家に於いて稲作を主導したのは女性である。そして稲の豊穣を祈る行事がわが國傳統信仰の祭祀とりわけ新嘗祭である。

 

「神話の世界」も「萬葉の世界」も、新嘗祭などの祭祀は女性によって執行されてゐる。女性は穢れがあるから祭りをしてはならないといふ考へ方は、日本の傳統に反する主張である。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行ってゐた。

 

女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。『日本書紀』に「天照大御神新嘗きこしめす」とある。「新嘗きこしめす」とは、新嘗祭を行ひ、神から新穀を頂戴することである。

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

「践祚大嘗祭」を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。伊勢の皇大神宮の「式年遷宮」も、天武天皇がお定めになり、持統天皇の御代の持統天皇四年(六九〇)に第一回が行はれた。

 

平成二十五年、伊勢の皇大神宮の「第六十二回式年遷宮」が行はれたが、天皇陛下のご代理として天照大神にお仕へし神事を司られる「臨時神宮祭主」は、今上天皇皇女・黒田清子様がその神聖なるお役目をお果たしになった。神宮祭主は、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」のお役目であると承る。

女性が祭祀とりわけ新嘗祭を行ひ得ない、行ってはならないなどといふのは、わが國の傳統とは相容れない思想であるし、第一事実に反する。これは、仏教思想や儒教道徳の女性蔑視の思想の影響と考へられる。

 

日本傳統信仰には、仏教のやうな「女人禁制」といふ風習はない。また儒教のやうな「女性蔑視」「女性差別」の思想はない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を「日子(ひこ)」と言ひ、女を「日女(ひめ)」と言ふ。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるといふ意味である。

 

神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを「生す(むす)子(息子)」・「生す(むす)女(娘)」と言ふのである。そこには全く差別はない。

 

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬へる人がゐる。また、染色体論を用いる人がゐる。これらの考へ方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるといふ根本信仰とは異なる考へ方である。

 

歴代天皇お一方お一方が、御神勅に示されてゐる通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承といふ神武天皇以来の傳統は守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

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2018年5月15日 (火)

日本ナショナリズムは古代からの日本傳統精神が原基となってゐる

 

「辞書」によると「國民國家」とは、「同一民族または國民といふ意識によって形成された中央集権國家」「領域内の全住民を國民といふ単位に纏め上げて成立した國家そのもの」といふ定義である。近代以後においてかういふ國家が成立したといふのが定説になってゐるやうである。「神國思想」「尊王思想」の継承の歴史を見て明らかな通り、わが國においては、近代以後に「同一民族または國民といふ意識によって形成された國家」が建設されたのではない。江戸時代以前と言うよりも古代以来、においてもわが國は日本民族による統一國家體制は確立してゐた。

 

安倍晋三氏は、「現在の國家の形を、一般にネーションステート(國民國家)と呼ぶ。これはもともと近代のヨーロッパで生まれた概念だ。…日本で國民國家が成立したのは、厳密にいえば明治維新以後ということになるが、それ以前から、日本という國はずっと存在してきた。」(『美しい國へ』)と論じてゐる。

 

西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一體感・運命共同意識を醸成して外敵に当たらうとした。それが明治維新である。しかし、明治維新以前に於いてもわが國が、天皇を君主と仰ぐ統一國家であったし、天皇中心の國體精神に回帰することによって、國難を打開し変革を行ってきた。

 

和辻哲郎氏は「シナ古代に典拠を求めていた尊皇攘夷論は、日本人が欧米の圧迫によって日本を一つの全體として自覚するとともに、その鋒(ほこさき)を幕府の封建制に向け、武士社會成立以前の國民的統一を回復しようとする主張に変わって行った。…日本第一期以来の天皇尊崇の感情が…國民的統一の指導原理となった。…王政復古の達成は、松陰処刑後わずかに八年目のことであった。」(日本倫理思想史)と論じてをられる。

 

和辻氏の言ふ「武士社會成立以前の國民的統一の回復」=王政復古が、わが國における『近代國民國家の成立』であったのである。そしてその根底にあった思想は、和辻氏の言ふ「日本第一期以来の天皇尊崇の感情」である。日本ナショナリズムが古代からの日本傳統精神が原基となってゐることは明らかである。

 

 わが國における攘夷とは、時代を無視した頑なな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ多くの維新の先人たちは世界の状況・時代の趨勢を正しく把握しやうとしてゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を実行しやうとした。吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたことは、攘夷とは排外・鎖國を専らとするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を學ぶことを要するといふ開明的な考へ方であった。維新後の開國政策の下地はこの頃からあった。古来、わが國が外國文化・文明を柔軟に包摂して来たのは、日本民族の根底に強靭なる傳統信仰があったからである。

 

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