2017年5月 2日 (火)

金正恩の暴虐とベルジャーエフの言葉

ベルジャーエフ(ロシアの哲学者。反共産主義者。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。十月革命後にパリに亡命)という思想家は次のように論じています。

 

「生活に充満している生存競争は恐怖を前提としている。…人間はある関係において非常に勇敢でありうるが、他の関係においては憶病になることがある。例えば戦争では勇敢であるのに、自分の細君には臆病であったりする。人間は死もこれを恐れない英雄でありうるかと思えば、ねずみ、毛虫、または伝染病をこわがったりする。思想の戦いでは勇気があるのに、物質的困窮を怖れたりする。肉体的には非常な力をもっていながら、道徳的には微力な人間がいる、またその反対の人もある。…人間の生活における無数の暴力行為や残虐なことは恐怖によって生み出される。暴力は恐怖の源泉である。…最も恐るべき人間は恐怖に憑かれている人々である。恐怖は破壊作用をする」(『神と人間の実存的弁証法』)と論じている。

 

金正恩は叔父の張成沢と共産支那が結託して、自分を除去し、金正男を擁立しようとしているという恐怖があって、張成沢と金正男を殺したと言われている。ミサイル発射や核実験も、アメリカに攻撃されるのを恐れてのことであろう。ベルジャーエフの言っていることは正しいと思う。

 

金正恩の恐怖心・猜疑心が無くならないかぎり彼の暴発を抑えることはできない。北朝鮮の核攻撃の脅威をなくすためには、「制裁決議」とか「厳重抗議」を何回繰り返しても無駄である。北朝鮮の核戦力を無力化できる先制攻撃能力を日本自身が持たなければならない。

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2017年3月26日 (日)

我が日本は神が生みたもうた国であって、人為的に作られた国ではない

我が日本は神が生みたもうた国であって、人為的に作られた国ではない。「生まれる」と「作られる」とでは絶対的な違いがある。日本は古代において自然に「生まれた」国である。ところがアメリカや旧ソ連や中華人民共和国は一定の目的を持って人為的に作られた国である。

 

「生む」は日本伝統信仰の観念であり、「作る」はキリスト教の観念である。伊耶那岐命伊耶那美命は日本国土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を作ったのである。キリスト教の神はなぜか国家は作らなかった。国家は神によって造られた人間が集まって文字通り人為的に作られたと言うのが西洋の考え方である。日本の国家観と西洋国家観の違いは実にここから発すると考えられる。

 

日本国は、数多くの個としての人間が寄り集まって人為的に契約を締結して作った権力機構・政治形態としての国(これを「国家法人説」と言い換えてもいいと思う)とはその本質が全く異なるのである。

 

「国家法人説」とは、国家を法的な主体としての法人と考える理論で、いわゆる「天皇機関説」の基礎をなす理論とされている。また「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主体となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められている集団」といわれている。国家とは、社団法人や財団法人のように多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだというのが「国家法人説」なのである。天皇中心の信仰共同体としての日本は断じてそのような存在ではない。「国家法人説」を日本国に当て嵌めることはできない。

 

日本人は、豊かな自然に包まれて、様々な階層の人々も、「和」「むすび」を基本として生きてきた。そして信仰共同体としての国家が生まれた。その「和」「むすび」は人と人との間柄のみならず、人と自然の関係もしかりであった。

 

我が日本はどのような闘争や激動があっても、日本という国が分裂し破壊し尽くされてしまうということ無く、天皇を中心とする「和」「むすび」によって国家の統一は維持され、民族の伝統は一貫して継承されてきた。ここが日本という国の有難いところである。

 

この「むすび」の語源は、「生す」「生える」である。「草が生す」「苔が生える」といわれる通りである。つまり命が生まれることである。故に母から生まれた男の子を「むすこ」といい、女の子を「むすめ」というのである。「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合するということである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿っていると信じてきた。

 

「庵を結ぶ」という言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合わせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」という。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立しているのである。

日本という国家も同じである。人の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培われた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命体が日本国なのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが三島由紀夫氏の言う「祭祀的国家」としての日本なのである。

 

我々はまず以て「国家観」を正しく確立しなければならない。言うまでもなく日本と欧米とは歴史・文化・宗教・社会構造・人間関係を異にしているのだから、日本国を近代西欧流の国家法人説・国家暴力装置説などの「国家観」によって論じてはならない。

 

近代以後のいわゆる「西洋化」そして大東亜戦争以後のいわゆる「民主化」(その実態は日本伝統破壊)によって、信仰共同体としての日本の本当の姿(これを国体と言い換えてもいいと思う)が隠蔽され、麗しい祖国日本を、単に権力関係・契約関係・社会経済関係によって成り立った法人であり機構であると考えるようになってしまった。現行占領憲法は実にそういう思想によって作られているのだ。今日の日本の政治腐敗・自然破壊・教育荒廃などの様々な矛盾の根本原因は実にここにあると考える。

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2017年3月23日 (木)

日本文化と支那文化の根本的違ひ

 

漢字は支那から伝わってきたことは事実である。しかし、支那では、つい最近まで漢字を読み書くことのできる人は一部の知識人に限られてゐた。書道文化にしても、支那の書道作品よりも日本の作品の方がずっと洗練され美しい。また支那には仮名がないので、仮名文字の美はまったく無い。文学・彫刻・建築・絵画など他の藝術も、支那よりも日本の方が洗練され高度にものになっていることは、実際にさうした文物を見れば、火を見るよりも明らかである。

 

つまり、日本は支那から色々な文化・文明を輸入したが、支那を高度な文化・文明をつくりあげたのである。そのことをわれわれ日本人は誇りとすべきである。日本人は、「日本は『中国』の文化的精神的属国である」といふ誤った認識を持たないやうにすべきである。日本人は自信を回復し「中華帝国主義」に対峙すべきである。

 

支那は「禮文化の國」といはれる。「禮」とは、社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物などのことである。「禮儀」といふ言葉がある通り、「禮」とは抽象観念ではなく、實際の行動・動作である。

 

宇野精一先生は、「(『論語』顔淵篇に「克己復禮を仁となす」とある・註)克己とは己の私欲に打ち克つことであり、複禮とは禮――倫理規範の意味における行為の標準――に立ちかえってこれを実践するという意味である。仁は孔子の根本教義であるから、これを実践する方法たる克己復禮は、正しく孔子の實践道徳の根本方法と考えてよかろう。…要するに孔子において、倫理の原理としては仁、実践としては礼が最高の標準であった。」(『儒教思想』)と論じておられる。

 

「仁」の徳の実践が「禮」である。実践なくして倫理はあり得ない。ところが、今日の支那及び「中国人」ほど「禮を失する行為」を繰り返し私欲を最優先させてゐる國及び國民は世界に稀である。今日の支那は「禮」を全く忘却し喪失した國となってゐる。むしろ、日本国及び日本人に「禮」は生きてゐる。

 

貝塚茂樹氏は、「徳川時代、元禄の頃から『論語読みの論語知らず』という諺が出来た。書物の上で理論を理解しているが、実行が少しもともなわない偽学者をそしって、いかに『論語』の存在が一般町人の世界に身近かったかを示すことばである。」(『世界の名著3』所収・「孔子と孟子」)と論じ、林泰輔氏(註・漢学者、朝鮮史の泰斗、東京高等師範学校教授)の、「中国及び朝鮮・安南(ベトナム)においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛は則ち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀()いて、その精を棄つるの憾みあり。わが邦人のこれを読むは、然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに國本培養の効を奏することを得たるなり」(『論語年譜』)といふ論説を引用してゐる。

 

和辻哲郎氏は、「儒教を生みまた儒教を奉じているはずのシナの歴史が、儒教の道理に反する事蹟を数限りなく含んでいる…賤しい身分のものが君を殺して、帝王になる。夷狄としていやしめている異国人に征服せられてその夷狄に服従する。そういう事蹟はいくらでもある。即ちシナの歴史は儒教の理が空理にすぎぬことを実証しているのである。」(『尊王思想とその伝統』)と論じてゐる。

 

支那は、『論語』の國・儒教の國であるが、いはゆる「論語読みの論語知らずの國」に成り果ててしまった。支那の権力者も民衆も、「論語」に書かれた道義精神とはかけ離れた生活を営んできたことは歴史を見れば明らかである。実際に識字率が非常に低かった「支那民衆」は、『論語』を読むことはなかったであらう。だから「支那民衆」は「論語読み」ではないともいへる。

 

本家本元の支那で「儒教倫理」は実行されず、官僚・知識人の教養にすぎなくなり、さらには権力者の体制維持のイデオロギーと化した。わが国においては、国民全体が『論語』に示された倫理精神を自然に実行してゐるのである。それは何故なのであらうか。

 

「古代支那」(殷・周王朝)及び儒教は、禮・祭祀を非常に大切にした。といふよりも、「支那文化」の中核とも言える「禮」そして儒教は、古代宗教国家の「祭祀」がその起源であり中核だったのである。然るに、支那においては、古代祭祀国家はとうに滅び、祭祀主たる君主も存在しない。支那においては古代の祭祀国家・人倫国家は滅びてしまったのである。

 

筧泰彦氏は「(註・秦とその後の漢の大帝国の時代以降)シナにおける国家の実質は人倫を喪失した権力国家となり、君主は名目は天子と称しながら、実質は権力者にすぎぬものとなったのです。国家は革命により生きた生命を失いました。それは巨大な造花造木の如きものとなってしまったのです。従ってこの時代以来シナの人々は國といふものを通じて自己の命の永遠性を把捉することはできなくなったのです。」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

 

ところが、わが日本においては、今日も「祭祀」が生きた行事として継承され実行されてゐる。さらに、古代日本の祭祀主の御子孫たる天皇が、今日も「君主」として仰がれてゐる。天皇は、今日唯今も「祭祀」を行はれ、信仰共同体日本の祭祀主であらせられる。つまりわが国においては古代の祭祀国家・人倫国家が今日唯今も生きてゐるのである。日本国と天皇と国民は信仰的生命的に一体であり永遠の存在なのである。故にわが日本の國體は「萬邦無比」といはれるのである。

 

支那は「祭祀」を起源とする「禮」及び儒教の徳目を今日忘却してしまったが、わが日本の国民の多くは「禮」や儒教の徳目を教条的に教えられなくとも実行してゐる。その原因は、天皇を祭祀主とする古代祭祀国家・信仰共同体日本が今日においても生きているからである。

 

「天皇の祭祀」が日本国の時間的連続性と空間的統合性の核である。「天皇の祭祀」は、永遠の生命を持つ共同体国家日本のあるべき姿・理想を目に見える形で示すものであると共に、共同体国家日本の揺るがざる中心・精神的核である。日本国が建国以来、分裂することなく統合され文化的自主性を維持して来ることができたのは、「天皇の祭祀」を中核とした日本伝統信仰の「祭祀」が太古から今日まで生きた形で継続されてきたからである。

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2017年3月22日 (水)

日本人と支那人とは文化も習慣も民族性も根本的に異なる

国際ニュース・AFPの報道によると、共産支那では文化大革命の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたという。支那南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件があった。10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れたという。AFPが確認した情報では「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。身の毛もよだつような情報である。

 

「祭祀・禮」に関して、日本と支那との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生国で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

 

「郷党篇」には「公に祭れば肉を宿せず。」(君主の宗廟の祭りに供へた肉のお下がりはその日のうちに食べて翌日まで持ち越されなかった。)とある。

 

また、「為政篇」にある有名な「子曰はく、故きを温めて新しきを知れば、以て師爲る可し」(煮物の冷えたのをもう一回温めて飲むやうに、古くからの伝統を反復思索し習熟することによって新しい意味を知る。さういふことができる人が人の師になれるのだ。)とある。「温める」とは、とろ火で肉を煮詰めるやうに時間をかけて繰り返し習熟する意であるといふ。

 

このやうに支那においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。日本民族の信仰生活と、支那人のそれとは大きな違ひがある。

 

日本人と支那人の根本的違ひは、食生活であらう。加藤常賢先生は、「わが国のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、中国のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから中国人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

 

儒教には「釈奠」といふ行事がある。支那古代化に伝わる、先聖先師の霊をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつることを

奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ意で、供

物を神前に捧げて祭ることである。この釈奠」では牛豚羊など獣の生贄を

供へる。

 

わが国では律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興し、その後昌平黌や藩校でさかんに行はれたといふ。

 

金谷治氏は、わが国における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。中国では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも国情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを伝えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事実のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)

 

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、支那では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによる。

 

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消している。

 

朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は中国生まれであるが、中国人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三国志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓国人』)と書いてゐる。

 

支那においては、最近まで食人の習慣があったのである。日本人と支那人は、同文同種だなどということは絶対にない。文化も習慣も民族性も根本的に異なることを我々はしっかりと認識しなければならない。

 

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2017年3月21日 (火)

『教育に関する勅語』に示された忠孝精神は、日本国民が永遠に遵守すべき徳目である

 明治二十三年十月三十日、明治天皇は、山県総理大臣と芳川文相を官中に召して『教育に関する勅語』を下賜された。国民教育特に道義教育の基本として渙発されたのが『教育に関する勅語』である。

 

『教育に関する勅語』が日本国民に大きな感化をもたらしたか、計り知れないものがある。マルクス主義経済学者河上肇ですらその代表的著作『貧乏物語』において、「人間としての理想的生活とは、…自分の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計り、…進んでは自分以外の他の人々の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計るがための生活、すなわちそれである。さらにそれをば教育勅語中にあることばを拝借して申すさば、われわれがこの肉体の健康を維持し,『知能を啓発し、徳器を成就し』、進んでは『公益を弘め、世務を開く』ための生活、それがわれわれの理想的生活というものである」と論じた。

 

しかも明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせやうとされたのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されてゐる。

 

「君に忠・親に孝」の精神が日本人の倫理観の基本である。『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されてゐる。日本人の倫理・道徳の根本は、私心をなくして天皇と親にお仕へすることである。

 

加藤常賢・山田勝美両氏著『角川当用漢字字源辞典』によると、「忠」の字義は、「意味を表す『心』と音を表す『中』からなる形声字(意味を表さないで単に「音」だけを表す文字と、その字の意味そのままに用いた字を二つ合はせて一字にしたもの)で、『中』の表はす意味は「中空」であるといふ。つまり「忠」とは己の心を空しくして他者のために盡す心の意である。

 

「孝」は、意味を表す「老の省略形」と、音を表す「子」(カウ)からる形声字。「子」の音の表はす意味は「養ふ」。親によく仕へる意。即ち、「忠」も「孝」も、己を空しくして君と親に仕へる意である。

 

頭山興助氏によると、筑前勤王党そしてそれに続く玄洋社の基本精神は、「皇御国(すめらみくに)の 武士(もののふ)は いかなる事をか勤むべし ただ身に持てる真心を 君と親とに尽くすまで」であるとのことである。

 

この歌は、『黒田節』の一節として人口に膾炙してゐるが、本来、旧福岡藩領で愛唱された「筑前今様」の一節である。「今様」は平安時代中期から流行した歌謡。七五調四句からなる。宮中の節会にも歌はれた

 

この一節は、筑前勤王党の指導者として幕末に活躍し藩論を討幕へと転換せしめたが、佐幕派により切腹せしめられた福岡藩家老・加藤司書(かとう ししょ、文政十三年三月五日(一八三〇年三月二八日)―慶応元年十月二十五日(一八六五年十二月十二日))の作である。ここには、日本民族の基本的倫理精神である「君に忠・親に孝」が歌はれてゐる。そして忠義も孝行もまごころを尽くすことである。このことが筑前勤王党そして玄洋社の基本精神である。

 

親の恩愛に対して感謝の念を持たない人は、天皇の恩愛に対しても感謝の念を持たないとされる。忠と孝とは不離の関係にある。わが国において親孝行が大切とする時、それは即ち尊皇精神とつながる。

 

「大君の命(みこと)かしこみ磯に觸(ふ)り海原を渡る父母を置きて」

 

これは『萬葉集』の防人・助丁丈部造人麻呂(すけのよぼろせつかべのみやつこひとまろ)の歌である。「大君の御命令を謹み体しまして、任務を果たすために、危険な荒磯の間をぬって海原を渡っていきます」といふほどの意である。

天皇への忠義の心と親を思ふ心を深く切に歌ってゐる。この「君に忠・親に孝」の精神こそが日本人の倫理観の基本である。己の心を空しくして真心を尽くして君と親とに仕へる、これが日本の伝統的倫理精神の基本である。

 

わが国においては、古来、天皇・両親に私心なくお仕へ申し上げる心を、汚れのない「きよらけき心」、暗いところのない「あきらけき心」、別の言葉で言へば、「心の清さ・いさぎよさ」が尊ばれた。これを「清明心」といふ。日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。

 

西谷啓治氏(昭和期の哲学者。京都大学教授)は次のやうに論じてゐる。「(注・『神皇正統記』に)天照大神もたゞ正直をのみ御心とし給ふ」といひ(巻二)、また神鏡をこの御心を現すものとして、『鏡は一物をたくはへず、私の心なくして万象を照らす。…これ正直の本源なり』と言ってゐる(巻一)。…私の心なき清明心は、他方では神ながらの道の本質として、国家清明の真髄をなし民族の歴史の内に伝統してゐるものである。…『君も民も神明の光胤を受け、或は正しく勅を受けし神たちの苗裔なり』(巻一)といふ言葉もある。すなはち清明心は私心を滅した時に現れる心源であると同時に、天照大神の御心として国家清明のうちに伝へられ、神たちの苗裔として吾々の地の内にも流れてゐる」(『近代の超克私論』)

 

「清明心」は、『古事記』「神代の巻」特に天照大神と須佐之男命が「誓約(うけひ)」をされる条に出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

さらに、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。それは長い歴史の流れの中で自然に培はれてきた傳統なのである。

 

「清明心」即ち「あかき心」「清き心」は、仏教や儒教が輸入される以前からわが民族の「あるべき心」とされてきた。その「無私の精神」「清明心」を体現されるお方が天皇であらせられる。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるのは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるからである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

「清明心」は別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、その「清明心」の体現者が「記紀神話」の世界では須佐之男命であらせられ日本武尊であらせられる。日本武尊が「清明心」即ち「清らけく明らけき心」を尊ばれたことは、日本武尊が薨去された後、白鳥となられて故郷である大和へ飛んで行かれたことにも表れてゐる。

 

『教育に関する勅語』に示された忠孝精神は、日本国民が永遠に遵守すべき徳目である。

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2017年3月 9日 (木)

日本ナショナリズムの基礎となるもの

 「グローバリズム」に対する反発が強まり、「ナショナリズム」の時代になりつつあると言われている。「ナショナリズム」とは、一つの民族が他の民族の支配を排除して、自身の國家の独立を回復あるいは維持しようとする國民的規模の思想及び行動であるとされる。さらに言えば、「ナショナリズム」とは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって、決して回顧的なものではない。

 

 明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

 

 天皇中心の國體には基本的には変化はなかった。政体・制度としての天皇のあり方は歴史的に様々な変化があった。江戸時代・明治維新から終戦まで・戦後五十数年の天皇の政体上のあり方には大きな違いがある。しかし、天皇の伝統的な権威は、古代から今日に至るまで、如何なる政体の変化があってもわが國の歴史を貫いて存してきた。

 

天道是氏は、「ナショナリズムには国際的連帯はありえないとしている。」(「右翼運動一00年の軌跡」)しかし、日本主義は世界を導く思想であるとすれば世界各民族との連帯・各民族の救済はあり得る。

 

「ナショナリズムそれ自体が悪だとは思わない。自分の国への愛着や誇り、国を良くしたいという熱意、同胞への友愛、そうした思いには社会的な連帯を支えるプラスの面がある。だが、ナショナリズムには危険な面がある。自ら信じる価値がすべてだと思い込み、他国の人々が持つ価値を認めない。そんな内向きの論理に閉じこもってしまえば、、排外的な感情に転化しかねない」という意見がある。

 

元寇の時に、わが民族の「ナショナリズム」が勃興した。それは「神国意識」を伴った。その国の傳統信仰は、その民族の精神の最も端的な表現である。故に、元寇の時も日本伝統たる神道精神・神国意識が勃興した。対外的危機感が神国思想を再興させたのである。

 

 西欧列強の侵略からわが國を守り独立を維持しなければならなかった幕末の時期においても、民族的団結即ち「ナショナリズム」が興起した。西洋の侵略に抗してわが國の独立を守り伝統を守護するために、天皇を「ナショナリズム」の核として戴くことは正しかったし、それが歴史的必然であった。近代において独立を守り通した天皇國日本は、西洋列強の侵略支配にさらされたアジアの希望の星となった。

 

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。これが日本における「ナショナリズム」である。

 

危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的ナショナリズムが勃興して来なければならない。それがわが國の歴史伝統である。 

 

「ナショナリズム」は、歴史意識・傳統信仰と深く結びついている。と言うよりも不離一體である。自己の意識の中に民族の歴史を蘇らせることによって、ナショナリズムが形成される。國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動が「ナショナリズム」である。民族の歴史を國民一人一人の精神の中で甦らせ、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって民族の主體性が形成される。

 

今日わが國は外圧の危機が顕著になっている。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。

 

今こそ「ナショナリズム」が勃興すべき時である。日本民族の歴史意識・傳統精神を我々一人一人の精神の中で甦らせ國民一人一人の倫理観・道義感の基本に置くことによって日本民族の意識=「ナショナリズム」が形成される。

 

日本ナショナリズムの基礎となるものは、天皇中心の國體を護持する精神である。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す維新運動を繰り広げねばならない。

 

わが國の古代史を回顧すると、白村江の戦ひに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞はれた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。「壬申の乱」の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。

 

今日の日本の危機的状況も、「ナショナリズム」の興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。日本精神は、日本として真に日本たらしめてゐるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、理論的・教条的に説明できない。日本精神とは、天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神である。

 

そういう精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な思想が「日本主義」である。日本における「ナショナリズムとは「日本主義」である。

 

日本精神を実践し行動し実現する「主義」が「日本主義」てある。「日本におけるナショナリズム」即ち「日本主義」は一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり主義である。「日本主義」とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。

 

行動原理と言っても、秩序だった理論大系は無い。しかし秩序だった理論体系が無いということは、見方を変えれは包容力があり柔軟だということである。偏狭なるイデオロギーではない。良きものは悪しきものは捨てる精神だ。そういう意味で柔軟ではあるが強靭である。

 

明治維新も大化改新も外国から具体的改革策を取り入れている。しかし根本には尊皇愛国・敬神崇祖・万民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具体的改革であった。今日においてこそ、「日本主義」を興起せしめねばならない。

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2017年3月 5日 (日)

教育勅語と儒教

 

小室直樹氏の『日本国憲法の問題点』という本に、「教育勅語は儒教思想にあらず」との見出しで次のようなことが書かれている。

 

(教育勅語が儒教思想ではないということは・注)勅語の中に『臣民』なる語が使われているからである。…(儒教思想では・注)臣と民とは別個のものであって、とうてい並列できるようなものではない。…『臣』と支配階級・高級官僚、『民』とは一般の庶民である」「儒教とは民のための教えではない…支配階級の人々に倫理と行動規範を与えるための教えである」。

 

そして孔子の言う「君子」とは「立派な人」のことではなく「支配階級」のことであり、「小人」とは、「立派でない人」のことではなく「人民」のことであると論じている。

 

一君万民の日本國體とは、基本的に相容れない思想が「儒教」の徹底した身分差別思想なのである。しかし日本民族は儒教の説く「徳目」の一部は受け入れた。だから「君子」「小人」を読み替え、日本の伝統に合致させたのである。ここに、日本民族が大らかなる包容性と強靭なる国粋性を兼ね備えていることの証を見る。即ち、わが国は外来文化・思想を無批判に受け入れたのではないのである。

 

日本の儒教では『君子』とは、徳の高い人といふ意味として来た。しかし、支那における『君子』の原義は、朝廷の會議に参列できる貴族たちの総称であり、『身分の高い人』『支配者』『官僚』『貴族』といふ意味が原義である。その原義が延長して『貴族のふさわしい教養・品位』のことをさすようになったといふ。

 

一方、『君子』の対義語である『小人』とは、日本儒教では、教養道徳心に欠ける人間を意味する。しかし、支那における『小人』の原義は単に身分の低い人間、被支配者のことであるといふ。

 

『春秋左氏傳(孔子の編纂と傳へられる歴史書) 桓公十年に、『小人罪なし、玉を抱きて罪あり』といふ言葉がある。『小人であっても最初から罪を犯すものではなく、分不相応な宝を持ったり位についたりすると、ついふらふらと魔がさして悪い事をして罪を犯すようになるものだ』といふほどの意味である。

 

これは身分差別思想であり、一君萬民のわが國體とは相容れない。だからわが國においては『君子』『小人』の意味を読み変へたのである。儒教は、『君子』即ち貴族・官僚の身分道徳であった。貴族・官僚が政治と生活において民衆の規範になるように人格を磨き、倫理・礼節を守るといふ基本観念はあった。しかし基本的には巨大帝國を管理支配する思想であり、体制維持のために必要とされた思想であった。

 

今日の共産支那においては、「君子」とは共産党員であり、「小人」とは人民である。共産党員が権力者・支配者として人民の上に立つことが当たり前のこととされるのは、儒教と共産支那の独裁体制が相似であるからである。

 

支那の『共産革命』も為政者が変わっただけである。清朝そして國民党政権の後を継いだ毛沢東といふ皇帝及びその配下の官僚による独裁専制政治体制が現出した。二代目の皇帝が鄧小平である。三代目が習近平ということである。(江沢民を三代目とすると習近平は四代目)

 

『中國共産党による一党独裁政治』は、古代支那以来の専制政治の継承である。中國共産党員による行政機構・企業幹部の独占は、支那古代以来の『君子』による『小人』支配の継承である。改革開放によって豊かになったと言っても、『中國人民』全体が豊かになったのではなく、現代における『君子』=『中國共産党員』だけである。

 

われわれ日本人は、支那から儒教を受容したが、日本伝統精神・日本國體精神に合致するように換骨奪胎したのである。

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2017年3月 2日 (木)

「大西郷遺訓」に学ぶ

西郷隆盛は、『大西郷遺訓』において次のように語っている。

 

「王を尊び民を憐れむは学問の本旨」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」

 

この言葉は、今日の我國政治家が噛み締めなければならない大切な言葉であると思う。今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのである。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさである。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎である。天皇を君主と仰ぐ日本国体の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎である。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければならない。

 

 『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

                     

 大西郷はまた、「國の凌辱せらるるに當りては、縱令國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり」と言っている。この言葉こそ今日の我國政府が最も噛み締めなければならない言葉である。我國は現在、歴史問題・領土問題などで支那・韓国・北朝鮮からなめられ、凌辱され続けている。そして国家の尊厳性を喪失している。

 

 また大西郷ののこした言葉以上に彼の歩んだ道、彼の行った偉業そのものにこそ、大西郷が今日の我々に語りかけている大きな教訓があると信じる。

 

 

 

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2017年2月22日 (水)

『武士道』について

 「武士道」とは、字義的には武士が守るべき道を意味する。中世以後発生した武士階級の間に発達した道徳律すなわち道徳的原理の規範のことといわれている。規範ではあるが特定の人物によって書かれた教義書はない。

 

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。その内容を詳しく言えば、(一)、忠孝を第一とし、(二)、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)を重んじ、(三)、義勇に励み、(四)、狂暴を挫いて孤弱を扶け、(五)、自己の責務を果たすということという。一言にして言えば、何に臨んで死を畏れず、一命を賭して君に仕えることである。

 

 和辻哲郎氏は、武士道の内容について、「(注武士の)献身の道徳の中核とは…利己主義の克服、無我の実現である。…享楽を欲する自我の没却、主君への残りなき献身、それが武士たちにとっての三昧境であり、従ってそれ自身に絶対的価値を持つものであった。…『武者の習い』の確信が無我の実現にある。」(『日本倫理思想史』)と論じている。

 

 無我の心とは大和魂・そのままの心・もののあはれを感じる心と通じる。合理的な思考や判断以前の素直なる心=大和魂が武士道の奥底にある。武士道とは本来すめらみことに対する無我の献身であった。しかし、中世に至って力の強い者が弱い者を倒して獲得する地位である武士団の棟梁に対する忠誠という「私的」なものになってしまった。そこから覇道が生まれる。

 

 武士道は中世に起こったものではない。また、儒教や仏教から発したものでもない。記紀・萬葉の歌を見ても明らかな如く、日本傳統的な中核精神(神道)から発した國及びすめらみことに対する忠誠と名誉を重んじ恥を知る心が根幹である。

 

 倉前盛通氏は、「肝心の生死の際の覚悟のほどは、合理的な儒教論とは全く縁のないエモーショナルなものによっていた。“もののあはれ”というか“日本的死生観”というか、混沌の中からもえいでて結ばれいのちを得たものが、解(ほど)けてふたたび混沌の中に隠れていくという生死の見定めは、儒教でも仏教でもなかった。」「武士の生死の覚悟は禅によって定まるものではない。もちろん、論理の虚構を排する禅の哲學は、『さかしらに言挙げせず』の傳統的自然観に結びつきやすかったこともあろう。しかし『今はこれまで』の意志決定は、涅槃や達磨という形而上學的で普遍的な法概念によって把えられるものではなかったであろう。原始の混沌がいまに生きている日本の精神風土、古代の神々の息吹きが残っている風土であるからこそ、論理の枠組みから外れた情動の激しい発露として、武士の死に方が生じてきたのである。…武士道が仏教から生じたものものならば、なぜ禅の盛んであった宋に武士道が生じなかったのであろうか。」(『艶の発想』)と論じている。

 

 大和魂・もののあはれ・日本的死生観が日本武士道の根底にあったのである。ゆえに、日本の武士の祖は、須佐之男命であり倭建命であり神武天皇であらせられる。

 

 新渡戸稲造氏は、吉田松陰の

 

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

 という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。新渡戸稲造氏はさらに、「(注武士道」については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い。不言不分であるだけ、実行によって一層強き効力が認められているのである。……道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。」(『武士道』)と論じている。

 

 日本武士道の教義書はないが、新渡戸稲造氏の言う「心の肉碑」=日本人の魂の奥底の思いを表白する文藝である「和歌」によってもののふの心が傳えられてきた。萬葉歌は飛鳥奈良時代のもののふの道=武士道を傳えている。

 

 理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。日本の傳統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を學ぶことによって傳承される。學ぶとはまねぶである。理論理屈ではないが「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

 

 そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において國民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。義経記・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲。語り物)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

 かかる和歌などの藝術によって武士道が継承され教育された。これは、武士道が情感・感性によって継承され実行されてきた「道」であり、理知によって継承されてきた教条や独善的観念體系(イデオロギー)ではないということを証しする。

 

 武士は、日本國民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。

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2017年2月17日 (金)

日本人の倫理道徳の根本は「清明心」

日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の體現者であらせられる。

 

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

 

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

 

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

 

天智天皇は、

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう、といふほどの意)

と詠ませられてゐる。

 

「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへに「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

中村元氏は「日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」とは、中村氏のいふ「与へられてゐる環境・条件をそのまま肯定する思惟方法」とかなり近いものがあると思ふ。

 

「与へられてゐる環境を素直に肯定する思惟方法」が、天地自然を人間と対立する存在ととらへず、天地自然を神としてまつり拝ろがむ信仰生活を生んだと思はれる。それは日本の天地自然が麗しく温和であり人間に大いなる恵みを与へる存在である事による。麗しく豊かな自然に恵まれた日本民族は、現世を肯定し、明るい太陽の下で生きてきた。日本民族は本来明るく大らかな民族である。

 

「清明心」は、佛教思想の影響が強まった中世になる「正直」といふ言葉になった。『早雲寺殿二十一カ条』(室町後期の武将北条早雲の教訓書)に「こころを直にやはらかに持ち、正直憲法にして…あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持、持仏冥慮にもかなふと見えたり」と記されてゐる。

「正直の心」は、ありのままなる心・素直な心である。つまり清明心の中世的における表現である。

 

明治天皇は、

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

 

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

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