2017年12月30日 (土)

日本伝統信仰と一神教

 カトリック教会には必ずキリストの磔像がある。磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は老衰で亡くなった時の姿であって、磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感した。この像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのではあるまいか。

 

 事実、イエスを死地に老いやったとされるユダに対するキリスト教徒の呪咀はすさまじい。キリスト教徒ではなくとも、「ユダ」という名前は裏切り者の代名詞として使っている。言語学的に見て、ユダ(Judaios)の名はユダヤ人全体を意味する。ユダは憎むべきユダヤ人の典型であると見られたのである。

 

 そして、キリスト教国で反ユダヤ感情の無いところは無いと言われている。特に社会的不満が鬱積すると反ユダヤ感情が激化する。新約聖書の『ヨハネ伝』では、イエス・キリストはユダヤ人に、「汝ら(ユダヤ人)は己(おの)が父悪魔より出(い)でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初(はじめ)より人殺しなり、また眞(まこと)その中になき故に眞立たず、彼は虚偽(いつはり)を語る毎(ごと)に己より語る、彼は虚偽者(いつはりもの)にして虚偽の父なればなり」(第八章)と述べ、ユダヤ人は「悪魔の子」「人殺し」「嘘つき」であるとしている。新約聖書はユダヤ人を敵視しており、新約聖書は反ユダヤ思想の最も基礎的にして最も影響力の強い文献であったといわれている。ただし、一九六三年六月三日、ローマ法王・ヨハネ二十三世はキリスト教徒のユダヤ迫害の許しを乞う祈りをした。

 

 旧約聖書『創世記』によると、キリスト教の母体であるユダヤ教の神・エホバと、イスラエルの民の祖でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教で模範的篤信者として崇められているアブラハムとが契約を結ぶ。これが「旧約聖書」の「旧約」である。

 

その契約の儀式では、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、家鳩のひなを神の前に連れて来て、鳥以外の獣を二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。これは契約を破ると身を二つに切り裂くぞという意味が込められているという。そして、その後も長い間エルサレムのユダヤ教の神殿において祭司たちが年々動物を裂き、その血を流して民の罪を贖なった。

 

 キリスト教もイエス・キリストが生けにえとなりその血によって人類の罪を赦してもらうというのである。新約聖書『マタイ伝』によると、イエスは最後の晩餐の時、「…あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である」と語った。

 

『最後の晩餐』においてキリストが弟子たちにパンと葡萄酒を分け与えるというのは、アブラハムが動物の肉と血を神に捧げたことの再現であるという。聖書に『旧約』と『新約』とがあるのはここから来ている。

 

 だから、イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ伝一章二九節)といわれるのである。また人類の始祖とされるアダムとイブの子であるカインはエホバに農作物を捧げたが、エホバは血のない捧げものであったので拒否した。砂漠で生まれた宗教たるユダヤ教・キリスト教の神は「血を流すことなしには罪の許しはありえない」(ヘブル人への手紙)とするのである。ともかくユダヤ教・キリスト教の罪の赦しでは、人間や動物の血が流されなければならないという信仰精神なのである。

 

 神と人間が契約を結ばなければならないというのは、神と人間とが絶対的他者であるということである。日本伝統信仰は、日本の神と人と自然とは相対立し隔絶した関係ではなく、一体の存在である。まして神の怒りを解き、罪を許してもらい、神の報復を防ぐために、人間や動物を生けにえとして捧げるなどということもない。今年の豊作を感謝し来年の豊饒を祈念して農作物などを神に捧げ、お祭りをし、直会においてそれを神と共に食し、神と人とが合一するというのが、日本の伝統信仰である。

 

 神の怒りを解き罪を許してもらうために人や動物の肉や血を捧げるという残虐な信仰精神は日本伝統信仰にはないのである。これが、キリスト教と日本伝統信仰の決定的な違いである。『祭り』と『契約』の違いが日本神道と一神教違いと言っていいだろう。

 

 だから、日本民族は異質な信仰としてユダヤ教・キリスト教・回教という一神教を受け容れることはなかったのである。日本人のクリスチャンは人口一億二千万に中にわずか十五万人である。

 キリスト教会にはイエスキリストの磔像と共に必ずマリア像や数多くの聖人像がある。これはキリスト教の伝道者が、中央および西ヨーロッパに生きていた民族宗教に直面した。絶滅に抵抗した民族宗教を「キリスト教化」するために民族信仰の多数の神々を同化した。マリア像は、多くの民族宗教の豊饒の女神がキリスト教化された姿であるといわれている。

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2017年12月16日 (土)

宗教に関わる様々に事件や紛争について

国際的にも、日本国内においても宗教に関わる様々に事件や紛争が起っています。

 

キリスト教やユダヤ教に関する本を読んでつくづく思いますのは、宗教というものの怖さということです。ユダヤ教・キリスト教・回教は同根であるにもかかわらず、二千年近くにわたって激しい宗教戦争を繰り返し、今日に至っております。

 

一神教のみならず、仏教系の教団でも、宗派争いや内部抗争は凄まじいものがあります。日蓮正宗と創価学会の争いがその典型です。「ポア」とか言って殺人を肯定したオウム真理教というのもありました。

 

一体、宗教戦争・宗教対立でこれまでどれ程の人が犠牲になってきたでしょうか。これに共産主義思想というのを加えますと、人類を幸せにすると広言する思想や宗教がかえって人類を闘争と殺戮に駆り立てといっても決して過言ではありません。そしてこのことは、今日唯今の現実なのであります。

 

私も、高校時代にある宗教団体に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。

 

私の所属していた教団は、教祖の孫で三代目を継いだ人が、教祖の教義を改竄し隠蔽し、そのことを批判する人々はたとえ兄弟と雖も教団から追放しました。今日の指導者は、実の孫であるにもかかわらず、自分の祖父である創始者を蔑にしているのであります。

 

ただ日本の場合、最初は相当排他的でも、歴史が経過し時間がたつとそれか希薄になるようです。日蓮は、念仏の坊さんの首を由比ヶ浜で刎ねよと幕府に建言しました。しかし、いまや、谷中などの寺町では、念仏宗の寺と日蓮宗の寺か仲良く並んでいます。日蓮宗の坊さんに念仏宗の坊さんの首が刎ねられたという事件は起こった事はありせん。

 

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰するという日本の本来的な信仰のあり方を大切したいと思います。また私たちは、神や仏を信じるのであって、僧侶や神主などの宗教家を崇めるのではないことも確認したいと思います。

 

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2017年6月18日 (日)

日蓮の神祇崇拝を否定する創価学会

 自民党と連立政権を組んでいる公明党と同体異名の関係にある創價學會が日本の伝統文化・國家の存立の基本を根本から揺るがす性格を持つ宗教教団である。それは神社には悪鬼邪神が住み着いていると決めつけ、會員に対して地域の神社の参拝は勿論、伊勢神宮など日本全國の神社への参拝及び神札を拝むことを禁止しているからである。これは敬神崇祖という日本民族の伝統的な道義精神・信仰精神を根底から破壊する行為である。

 

 それではいったい、日蓮は天照大神を如何に信じていたであろうか。日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 

 日蓮は「山王第一」とする天台宗の神観念を継承せず天照大神を第一の神としているのである。そして『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 

 このように、日蓮は神祇とりわけ天照大神への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがない。

 

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會が會員の神社参拝を禁止するのは、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くこととなる。神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たるなどという創價學會の『神天上の法門』は、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し日蓮の神祇思想に背く考え方である。

 

日蓮と牧口常三郎氏の<現御神信仰>創価学会は我が國の寛容な伝統精神とは相容れない

 日蓮はまた、『高橋入道殿御返事』で「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」と論じている。

 

 日蓮は、天照大神の御神靈は天皇の御身中に常在しておられるというわが國の伝統的な<現御神信仰>を保持していたのである。

 

創價學會初代會長牧口常三郎氏は、この日蓮の<現御神信仰>を継承し、『大善生活実証録』という昭和十七年発行の書物で「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖しているのである。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社へ参拝するのは『よくぞ國家の為に働いて下さった、有り難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって…天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。…吾々は現人神であらせられる天皇に帰一し奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することができると確信するのである」と論じている。

 

 さらに創価学会は、戦時中、日蓮正宗の当時の法主鈴木日恭と前法主堀日亨が、創価学会の牧口初代会長および戸田城聖二代会長に対して、「伊勢の神宮の神札を受けたらどうか」と諭したのは日蓮の教えに背くと激しく非難し、鈴木法主がその後焼死したのは、罰が当たったのだなどと言っている。

 

ところが同じくその席にいて「神札を受けるように」と勧めた堀前法主は昭和三十二年まで生き長らえて、九十二歳で大往生を遂げている。そして堀前法主の密葬の参列した池田大作は、日記に「九十一年のご生涯感無量。厳然たる仏法の実証」(「若き日の日記」から)と記している。つまり、鈴木法主には罰が当たり堀前法主には当たらなかったという大変矛盾したこととなったのである。これは、学会の神札を祭ると罰が当たるなどという主張が誤りである何よりの証左である。

 

創価学会の神社不拝論は日蓮の主張に背くものであり、牧口初代会長の意思に反するものである。また、神札を祭ることを拒否するなどということは、「敬神崇祖」の我が国伝統精神を根本から否定する邪悪な行動であると共に、日蓮の神祇思想にも反する行為である。

 

 小生が創価學會を批判する最も大きな理由は、學會が日蓮正宗第二祖・白蓮阿闍梨日興(日蓮の弟子・大石寺の開山)以来の『神天上の法門』を標榜して「日蓮の教えが広まっていない日本には神はおらず神社には悪鬼邪神がすみついているから神社に参拝したり神札を拝むと罰があたる」などと言って神社神道を否定するのみならず會員に神社参拝を禁止しているからである。

 

 しかるに今日の創價學會は、日蓮および初代會長牧口常三郎の意思を無視して、神社参拝を否定し、日本國の伝統精神・日本人の中核精神たる『敬神崇祖』を否定している。日本伝統信仰たる神社神道を否定するということは、日本という三千年の歴史を有する國の根幹たる<天皇を中心とした信仰共同體精神>を根底から破壊することである。

 

 日本國は、天皇を中心とした信仰共同體である。天皇は天照大神をはじめとした天神地祇を祭りたもう祭り主であらせられる。そして一億國民等しく、神を崇め祖靈を尊ぶ精神を大切にしている。これが日本國存立の根幹なのである。また、「遠い先祖は神様、近い先祖は仏様」という言葉もある通り、神仏を等しく崇めてきた。一軒の家に神棚と仏壇が共存し、朝起きたら神棚に柏手を打ち仏壇を拝むというのが日本人の一般的な美風である。結婚式や七五三などのおめでた事は神式で行い、お葬式などのお悔みごとは仏式で行うのが一般的である。創價學會はこうした日本國の寛容にして大らかな宗教風土を否定しいいるのである。

 

 創價學會公明党が「日蓮大聖人直結・御書根本」と言うのなら、日蓮および牧口常三郎氏の國體観・天皇信仰・神祇信仰に回帰すべきである。

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2017年1月27日 (金)

「天地の初発の時」の回復と現代の救済

 物質偏重・経済至上・科學技術万能の世界を訂正することが現代おいて求められてゐる。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。日本及び日本國民の頽廃を救ふには、日本の伝統精神・宇宙観・神観・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

 わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識をより強固にしなければならない。

 

 我が國には、神話時代(神代)以来の伝統精神=日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開できる。「神話の精神」への回帰によってこそ今を新たならしめることができる。

 

 日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、誰かが説いた知識としてつくりあげてしまった観念ではなかった。

 

 神とか罪悪に関する日本人の考へ方が、全て「祭祀」といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきたやうに、抽象的な論理や教義として我が國伝統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國伝統信仰は、「神話」と日本人の生活そのもの、とりわけ「祭祀」と共に生きてゐる。

 

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は「祭祀」である。「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神=神話の精神の實践なのである。「祭祀」が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。稲作生活から生まれた「神話の精神」を、「祭祀」といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。天皇の「祭祀」によって、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐるのである。

 

 「祭祀」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。日本最高の祭り主であらせられる天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 なべての「本来の姿」を回復する行事が「祭祀」である。つまり『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が「祭祀」である。

 

 今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」を回復することによって、危機的状況を打開することができる。實際、日本民族は、全國各地で毎日のやうに祭りを行ってゐる。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められてゐる行事である。 

 

 維新変革も、罪穢を祓ひ清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。「今を神代へ」であり「高天原を地上へ」である。

 

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2017年1月25日 (水)

 日本固有信仰と仏教の受容

 

『日本書紀』によると、わが国への仏教公式的な伝来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦仏像や経典を献じた時であると記されてゐる。しかし、別の説ではそれは欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされる。

 

『日本書紀』によると、この時、欽明天皇は、仏像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと伝へられる。「西蕃(にしのくに)の献((たてまつ)れる仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

 

日本の固有信仰は自然そのものそして祖霊を神として信仰するのだから、仏像などのような美しく威厳のある姿を表現した偶像を造りそれを「神の像」として礼拝することはなかった。だから百済の王様から献じられた金色燦然とした仏像を見て、その美しさに驚嘆したのである。仏教への驚異の念は仏像に対する驚異だったと言へる。

 

またここで注目すべきことは、日本に仏教を伝へた支那や朝鮮を「中華思想」の言葉を用いて「西蕃」(西方の未開人といふの意)と表現してゐることである。これは、日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那・朝鮮から多くの文化・文明を輸入してゐた『日本書紀』編纂当時にあっても、日本人は支那・朝鮮の属国意識を持ってゐなかったことの証明である。

 

欽明天皇が、仏教を採用するかどうかを群臣に諮問あそばされた際、仏教受容を支持した蘇我稲目(仏教を日本に伝へた百済系の渡来人といはれてゐる)は「西蕃諸国、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答へた。つまり、「西方の蕃人の国々も信仰してゐるのだから、わが国でも信仰しても良いのではないか」といふ意見である。

 

本居宣長は日本人が神として崇める対象を「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳がありて、可畏(かしこ)きもの」としてゐる。欽明天皇の御代に外国から到来した仏像もさうした外来の「神」であった。だから『日本書紀』は「仏」とは書かず「蕃神」と書いたのである。

 

「蕃神」と名付けられた「仏」も、日本人にとっては「神」なのだから固有信仰の「神」とそう矛盾するものではなかった。「異国の蕃神」も「世の常にない徳と力」があるのだから崇拝してもいいではないかといふのが、当時の日本人の基本的な態度だった。日本人にとって仏とは八百万の神が一神増えたといふ感覚であったと思はれる。

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