2020年9月28日 (月)

人類の戦争・闘争・殺戮の原因が宗教であったことも厳然たる事実である。

世には、ご立派なことを言う学者・文化人・評論家・宗教家・学者は掃いて捨てるほどいます。特に宗教家や宗教教団は、「自分の教えが世を救う、自分の教団に入らなければ救われない」と言い続けています。しかし、そういう宗教家や教団がいくら多くても、日本は全然良くなっていません。それどころか、日本国はますますおかしな国になり、困っている民衆は減っていません。宗教家・宗教教団は大いに反省すべきです。

色々なところから勲章をもらって喜んでいる池田大作氏をはじめ日本に沢山いる「生き神・生き仏」たちは、中東・北朝鮮などに飛んで行って、平和と民衆の幸福のために行動を起こすべきではないでしょうか。いやそのまえに、祖国日本を本当に救済すべきではないでしようか。

私も世界三大宗教といわれる仏教・キリスト教・イスラム教について少しだけですが勉強しました。法華経も聖書もコーランも一応通読しました。この三つの宗教およびユダヤ教は、今日の世界においても絶大なる影響力を持っています。宗教とは人類に平和と安穏をもたらすのがその本来の使命であり役割なのでしょうが、実際にはこの四つの宗教が世界史におけるこれまでの紛争・戦争の原因になっていることも事実です。

今日唯今起っている戦争や紛争の原因は宗教対立・宗派対立が原因になっているものが多いのです。ナチス・ヒトラーによるユダヤ人虐殺は、ヒトラーの異常性がその原因のように言われていますが、聖書には、イエス・キリストの言葉として「ユダヤ人は悪魔の子である」と言われています。

宗教対立の恐ろしさは、相手を悪魔であるとか異端者であるとか言って激しい憎悪の対象として憎み迫害するところにあります。世の中が不安定になればなるほど、そうした宗教対立が激しくなります。

宗教というものが人類に安穏をもたらし、文化の創造に大きな貢献をしてきたことは事実です。世界の美術・芸術・思想史は宗教抜きにしては考えられません。しかし前述したように、人類の戦争・闘争・殺戮の原因もまた宗教であったことも厳然たる事実であります。

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2020年9月25日 (金)

神仏崇拝について


忙しなく日々を過ごせど日に二回神仏の前に座するかしこさ

鬱蒼と茂れる樹木の中に立つ御堂にゐます尊き御仏

今日もまた靖國神社に多くの人が参り来れり梅雨空の下

以前に詠んだ拙歌である。

私は神社によくお参りするが、お寺にもよくお参りする。もちろん宗派は問わない。日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次に仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。我が家も然りである。

神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。我が家の仏壇には御先祖のお位牌と共に大日如来像と観世音菩薩像が安置されている。わが家の宗旨は真言宗智山派である。

日本の家庭に安置されている仏壇の「仏さま」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。「死んだら仏になる」とも言われる。機械などが壊れて使い物にならなくなると「お釈迦になった」と言う人もいる。これはお釈迦様に失礼である。結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。「仏さまのような人」というのは最高の褒め言葉である。しかし、三波春夫は「お客様は仏さまです」とは言わなかった。
 
日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解にして深遠な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教の形態で行い、現世の幸福を祈っているのである。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うにとどまっているように思える。もちろん、仏教の教えを学んでいる在家の人も多いだろうが……。

日本伝統信仰(神道)と仏教は当然別の宗教である。しかし、日本人は日本伝統信仰と外来の仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。すでに日本仏教は外来宗教とは言えないようにも思える。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

明治維新の時、廃仏毀釈(仏教を廃絶し釈尊を毀損する)運動が全国的に行われたことにより、日本は宗教的には排他的な国だと言う人がゐる。しかし廃仏毀釈運動はどうして起こったのかというと、德川幕府時代は、切支丹禁圧し武士階級による封建支配の為に神社と仏教との習合思想の下に、仏寺への神社の従属が強いられた。こうしたことに対する反発が維新断行と共に廃仏毀釈運動が展開されたのである。

尊皇攘夷運動が熾烈に行われた藩において、そうした運動は活発であった。

葦津珍彦氏は「薩摩藩の西郷隆盛は徹底した神仏分離主義者であった。そして薩摩藩は戦国時代以来一向宗を禁止しており慶應元年以後は他の宗派の廃仏にも着手し、大掛かりな寺院整理も断行した。…薩摩藩の廃仏政策は明治四年の西郷隆盛上京以後、中央の政治舞台にも移される。これを端的に示してゐるのが、左院中議官伊地知正治の宮中での神仏分離の徹底を求めた九月の建白であろう。これは西郷の筆跡といはれてゐる」(『国家神道とは何だったのか』)と論じてゐる。

 日本人は、佛教に帰依することによって日本伝統信仰を捨てさることはしなかった。神佛を同時に崇めることに矛盾を感じなかった。外来の佛教は日本伝統信仰と融合することなくして日本に定着することはできなかったのである。日本民族は何百年という歴史の流れの間に佛教を日本化し自家薬籠中のものとして信じたのである。


日本伝統信仰(神道)と仏教は当然別の宗教である。しかし、日本人は日本伝統信仰と外来の仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

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2020年9月21日 (月)

信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本である

信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本であると思う。

昨日、新型コロナウイルスの猖獗に伴う我々日本人の反省は、静寂を旨とし森厳を大切なものとしてきた我が国神道精神に回帰することによって実現する。その意味でも全国の神社への参詣と祭祀が大切になってくると考える、と書いた。

少し私の意見を追加したいと思う。神仏に祈りを捧げるために神社仏閣に赴き参拝することは大切である。しかし、神仏に対しては静謐なる祈りと祭りを心がけねばならないと思う。

全国の神社仏閣が、現在大きな祭礼や法要を中止または延期してゐるのはそのためなのであろうか。だとしたらそれは正しい。

私は大分以前から思ってゐたことなのであるが、靖国神社に参拝する国会議員の人々が、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」と名乗っていたことに違和感を抱いていた。「赤信号みんなで渡れば怖くない」という悪いこと法律違反も大勢でやってしまえば構わないという言葉を連想させるからである。

神仏への祈りと祭祀は集団で行うことも大切である。祭祀を基本とする日本伝統信仰=神道は共同体信仰である。しかしそれは共同体に対する神のお守りを祈念することが根柢にあるのであって、みんなでやらないと批判される咎められるという性格の事では絶対ない。

戦後日本は国民の多くが貧困や病苦に苦しめられていたので、神と佛に健康と豊かさを与えたまえと祈ることは致し方のないことであった。そして戦後宗教はそうした庶民の願いを実現すべく努力した。現世利益とはそういう事であろう。

しかしそれは宗教の本来のそして唯一の目的ではない。やはり、静かに心を鎮めて神を祭り佛に祈ること本来の信仰のあり方であろう。新型コロナウイルス猖獗や戦乱など人類の危機的状況を根本的に打開するためにもそのことは大切であると思う。

私は、信仰心・宗教心とは、特に日本においては、敬神崇祖の心が基本であると思う。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思う。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊・靖國の英霊への感謝・報恩の心が基本であると思う。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

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2020年6月11日 (木)

崇徳上皇御製を拝し奉りて

 「日本の歴史は天皇受難史であり、皇室哀史である」と言う人がいるが、まさにその通りである。しかし、そうでありながら常に、天皇及び皇室がわが國の文化・政治・宗教の中心であった。これがわが國體の有難くも不思議なところである。

崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ人々の心が生んだ傳説がある。崇徳上皇は、長寛二年(一一六四)、御年四六歳で崩御されるまで九年間讃岐で過ごされ、終生京都への還幸を許されなかった。崇徳上皇の御陵は御遺詔によってこの白峰山に営まれた。讃岐で崩御されたので讃岐院と称されることとなった。

 崩御後、崇徳上皇の霊威甚だしくかつ峻厳にして、大火などの様々な奇瑞が都に起こった。そこで、御歴代の天皇・公家・武家は、霊威を鎮め奉るため努力した。治承元年(一一七七)七月、崇徳院の号を奉った。 

平治・治承・寿永の戦乱は崇徳上皇の祟りによると信ずる人が多かった。『保元物語』にはいわゆる<崇徳院説話>が語られている。それによると、崇徳上皇は、配流の地で、御自分の罪の償いと後生菩提のために深爪をして血判で大乗経を書写し、鳥羽天皇御陵にお納め申し上げようと京に送られたが、弟君・後白河天皇は信西入道の進言により、「罪人の手跡を、京に入れてはならぬ」と許されず讃岐に返送された。

これに激怒された上皇は、「日本國の大魔縁(悪魔のこと)となり、皇を取りて民となし、民を皇となさん」と血書し、そのお経を海底に沈められたという。のみならず上皇は髪を刈らず、爪も切らず、お召し物も着替えられず、「生きながら天狗の姿にならせ給ふ」て憤怒の體を通されたという。

そして、保元の乱の後、武家の力が強くなり、秩序が転倒した世となったのは「大魔縁」となられた崇徳上皇の呪いによるものだと信じられた。 実際、慈円著の歴史書『愚管抄』(承久二年・一二二〇成立)には「安元元年(一一七五注)七月廿九日讃岐院に崇徳院と云う名をば宣下せられけり。かやうの事ども怨霊をおそれたりけり」と記されている。また長寛二年(一一六四)から建仁三年(一二0三)にわたる九条兼実という人の日記『玉葉』には「天下の乱逆。連々として了る時無し。是偏に崇徳院の怨霊たるべし」と記されている。そして、後白河法皇の院宣により寿永三年(一一八四)四月十五日、京都粟田口に、崇徳上皇を神霊としてお祀りする神殿を建立し御霊を鎮めた。
 
第百代後小松天皇は、応永二一年(一四一四)、御陵のそばの崇徳上皇の御廟(崇徳上皇の近習が法華堂を建てて上皇御自筆の御画像を奉安し御菩提を祈っていた)に、頓證寺(頓證とはすみやかに悟りを開くこと。追善回向の功徳によって亡者が成仏するよう祈る言葉を『頓證菩提』という)の御追号勅額を奉納し給い尊崇の意を表された。
 
崇徳上皇が怨霊となられたというのはあくまでも傳説であって全て事実かどうかは分からない。しかし、崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ多くの人々の心が、源平の戦いなどの世の乱れ・武士の台頭などの社會の変動と関連させて、こうした傳説を生んだといえよう。

崇徳上皇は傳統を尊ばれ歌壇の中心として活躍された。崇徳上皇に関しては、怨霊となられたという傳説ばかりが強調されるが、崇徳上皇の御天性は史書『今鏡』(作者未詳。嘉応二年・一一七0年成立)に「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」「幼くおはしましけるより歌を好ませ給ひて、……」と記されているように、上皇は國の傳統を尊ばれ、宮廷の歌壇の中心として活躍されたと傳えられる。側近から俊成、西行、寂然などの大歌人が輩出した。

 もちろん上皇御自身も次のような御歌に代表される数々の名歌を残された。
「御軍(みいくさ)敗れて 後、御室(みむろ)の寛 遍法務が房に入らせ   給ひて

思ひきや身を浮雲になしはてゝ嵐の風にまかすべしとは

 讃岐の松山の津につかせ たまひて、廳野大夫高遠 の御堂に三年過ごし   給へる時、その柱にかき つけさせたまへる

こゝもまたあらぬ雲居となりにけり空ゆく月の影にまかせて

 杉山へおはしまして後、 都なる人のもとにつかは せ給ひける

思ひやれ都はるかにおきつ浪たちへだてたる心ぼそさを     

 讃岐國にて隠れさせ給ふとて皇太后宮太夫俊成( 平安末期鎌倉初期の歌人・歌學者藤原俊成のこと注)にみせよとて書きおかせ 給ひける

夢の世になれこし契朽ちずしてさめむ朝にあふこともがな         」
 
何ともあはれにして悲しみ深き御歌である。天皇は「天の下しらしめすすめらみこと」「一天萬乗の君」と讃えられる日本の統治者であらせられるのであるが、かくの如き境遇になられる天皇も数多くおられた。そして後鳥羽上皇・後醍醐天皇を拝しても明らかな如く、そういう天皇様方はみな素晴らしき御歌をのこされている。
 
特に、崇徳上皇が崩御の際藤原俊成に贈られた「夢の世に」といふ御製はきわめて穏やかな御歌であり、とても怨霊になられたとは思えない。
 
明治天皇は、御即位式を挙げられる直前の明治元年八月二十四日、「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」という崇徳上皇の御遺徳を追慕して、讃岐から御神霊をお遷して京都飛鳥井に白峰宮を建立された。武家による政権簒奪の端緒となった保元の乱のために讃岐に御遷幸あそばされた崇徳上皇を御神霊を、武家政権打倒・王政復古の大変革であった明治維新に際して、京の都に祀られるようになったのは意義深きことである。

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2020年5月 7日 (木)

今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである

『政治文化情報』四月号の「皇都の一隅より」の拙文にも書かせていただきしたが、東京及び東京近辺の大神社、大寺院が今回の国難打開のための祭祀、祈祷會、法要を行ったという情報がありません。多くの神社仏閣がお祭りや法要を中止或は小規模にしたということを聞くのみでした。

本来なら国難打開の大法要そして救済活動を行なうべきなのに、毎年正月三が日には多くの参拝者でにぎわう即ち莫大な額のお賽銭を集める成田山新勝寺は僧侶を自宅待機にしたということを聞いて、少々呆れてしまいました。

どこかの教団の名誉会長とかいう人はまるで生き仏・生き神・世界の救済者のように崇められていますが、今回の国難で具体的にどのような救済活動をしたのかは全く報じられていません。本人が病身なのでやむを得ないとは思いますが…。

既成宗教にしても新宗教にしても新々宗教にしても内紛・後継者争いの無い宗教は無いと言っていいと思います。もっともキリスト教も仏教も回教も、内紛、近親憎悪の歴史であったと言っていいと思います。殺し合いすら行っています。これはどうしようもないことでしょうか。この度の苦難を乗り切って、人類全体が真の平和を実現することを望みます。

後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のやうな御製を詠ませられた。

「伊勢
にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、さうであればこそ、上御一人日本天皇は、神への祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。

今日の日本も「にごりゆく世」である。また文字通り有史以来未曽有の國難に遭遇してゐる。今こそ、祭祀主・日本天皇の御稜威の下、本来の日本の清き姿に回帰し困難を打開しなければならない。

今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである。

わが國においては、大化改新、建武の中興、明治維新等の大変革が實現する直前に内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。今日においても歴史に学ぶべきである。

ところが、今日に於いては「現行占領憲法」の亡國的制約によって、國民的規模・國家的規模の國難打開の祭祀も祈祷も行ひ得ない状況になってゐる。これを根本的に改めなければならない。

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2019年10月 1日 (火)

宗教と現代の危機

昨日も、少し書きましたが、今の世の中は、表面上は平和で栄えているように見えますが、実際にはそうではなく、色々不安定なものがあると思います。人心も決して安定していないと思います。殺人事件は殆ど毎日のように起っています。しかも自然災害も深刻な被害を及ぼすようになっています。

こういう時こそ、宗教というものが人々の安穏と平和をもたらすことが求められていると思います。しかし、既成宗教・新宗教・新々宗教がかつてのような救済のエネルギーを失っているというのですから困ったことです。

所謂伝統教団・既成宗教は、祖霊の供養という大事な使命を果たしています。また神社神道も地域の神々のご神霊をお祀りしています。私は「葬式仏教」などと既成仏教を揶揄するのは間違いであると思います。祖霊の供養、亡くなった方々のご冥福とご加護を祈ること、そして天神地祇をお祀りする事は、「敬神崇祖」と言う日本民族の道義精神の根幹です。

今こそ、既成・新興を問わず宗教の役割は重大です。宗教は、人類の苦悩を救い、安穏をもたらすことを使命としているはずです。しかし、前述したようにも今の宗教はそうした使命を果たしているでしょうか。

繰り返しますが、私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思います。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思います。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視し他の宗教を否定するすることは危険であります。そしてそれが今日までの繰り返されてきた宗教対立・宗教戦争の根源にあるものだと思います。

これまで、宗教戦争で死んだ人々の数は計り知れないものがあると思います。宗教というものは、愛と赦しを説きますが、反面、呪詛や迫害も行うのです。宗教の怖さというもの、悪魔的側面を、我々は充分認識していなければならないと思います。

曽野綾子さんは、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであると言っています。

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになりましょう。

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事でしょうか。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていました。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多いと思います。

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれません。しかし、曽野氏の言う「四つの事」が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼすと言わねばなりません。

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2018年12月16日 (日)

言霊思想について

 

「峰の色 溪の響きも みなながら 我釈迦牟尼の 声と姿と」                      道元

 

 

道元(正治二年【一二〇〇】一月二日―建長五年【一二五三】八月二八日。鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗及び永平寺の開祖。『正法眼蔵』の著者)の歌集『傘松道詠』所収。

 

「山々の色も谷川の響きも、すべてそのままに、私の信仰するお釈迦さまのお声であり、お姿であるなあ」といふ意。

 

道元はまた、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』))と説いてゐる。森羅万象全てが仏の言葉だと言ふのである。

 

弘法大師・空海も、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声といふなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。

 

声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想である。

 

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。全ての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

 

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海の言ふ「聲字」も、道元の言ふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切を指してゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

 

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は神であり佛であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

 

日本民族は、古来言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言霊の幸はふ國」と言はれる。日本は言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命が宿り、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。

 

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ、歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶ。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言霊のさきはふ國」と言はれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。道元や空海の思想は、日本の言霊思想を仏教的に表現してゐると思はれる。

 

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2018年9月26日 (水)

生長の家教団の変貌・劣化はどうして起こったのか

 

生長の家教団の変貌・劣化はどうして起こったのか。その根本原因は言うまでもなく三代目総裁の谷口雅宣氏にある。雅宣氏は、谷口雅春師が國體論、大東亜戦争論、愛國思想を説いた書籍を事實上絶版にし、雅宣氏以外の雅春師のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり教団から離脱している。

生長の家は完全に変質し、谷口雅宣氏は谷口雅春師を完全に踏み躙ったのである。

宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春師ご存命中には内紛はなかった。雅宣氏が教団の主導憲を掌握すると、雅宣氏の意に反する人々は、たとえ兄弟であろうと、功労者であろうと、教団から追放されるか自ら出て行っている。

 

教団の教祖が亡くなった後、幹部間・親族間で内輪揉めが起るのはよくあることであり、生長の家も例外ではなかったといふことだらう。

 

創始者・谷口雅春師は、信徒から見れば事實上「生き神」であり、雅春先生をはじめとした谷口家の人々は「お山様」といはれ、言はゞ「神聖家族」として崇められてゐた。生長の家本部には「お山様ご専用」といふトイレまであった。

ところが、その所謂「神聖家族」が、生長の家の根本的経典『生命の實相』第一巻の巻頭にある『大調和の神示』の「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」といふ教えを實行できないでのある。

 

『大調和の神示』の冒頭には、

「汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である 天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。」と示されている。

 

谷口雅宣氏の兄弟は、姉二人と弟一人の三人いる。この三人の兄弟が全て、教団から追放されている。姉夫婦とは裁判沙汰にまでなった。宗教団体に内紛はつきものだが、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」という根本教義を、その継承者が全くし実践できないのみならず、全く逆のことをしているのではお話にならない。雅宣氏は、『法燈の継承者』と自称しているが、全くその資格はない。

 

谷口家は、今や「生長の家」ではなく「バラバラの家」であり、「和解」「大調和」とは全く正反対の「争い」と「大不調和」の家となっている。一番悲しまれているのは、祖父祖母である谷口雅春・輝子両師であろう。

 

雅宣氏は、「法燈継承者」「三代目総裁」とされる以上、他の誰よりも生長の家の教義を守り、その實践者であるべきである。ところが、自分の實の兄弟・親族と「和解」「調和」「赦し合ひ」「拝み合ひ」が出来ないのだ。

 

生長の家のみならず日本國内の新宗教教団には世襲制の教団が多い。そして世襲制の教団に内紛が起こらないかといふと決してさうではない。親族間・幹部間の争ひが起った教団は多い。

 

宗教といふものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずである。ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるといふことが問題なのである。歴史上の戦争・紛争そして今日唯今起ってゐる戦争・紛争の原因が宗教対立にある。宗教上の対立における憎悪は尋常ではない。しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのである。

 

「灯台もと暗し」といふ言葉がある。灯台のすぐ下は光に照らされないので暗いといふ意味であらう。「坊主の不信心」「医者の不養生」「論語讀みの論語知らず」と同じ意味で用いられる言葉である。

 

生長の家の創始者谷口雅春師は、「七つの灯台の点燈者の神示」といふ神示を神から受けたとされてゐる。その灯台は人類を救ふ光といふ意味が込められてゐる。

 

谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その『七つの灯台の点燈者の神示』に示されてゐる「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」が全く実践できないのである。三人の実の兄弟姉妹とその配偶者を教団から追い出し、裁判沙汰にまでなり、最近は、谷口雅宣の実の母親即ち谷口雅春師の一人娘・谷口恵美子さんまでもが、四国高知の次女のもとに行かれた。母親とすら調和ではない人物に「大調和」「親に感謝せよ」などと説く資格は毛筋の横幅ほども無い。

 

生長の家は根本的教義を全く実践できない人が教団の後継者となっている。こうしたことを「灯台もと暗し」と言う。ああ悲しいかな。

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2018年7月 7日 (土)

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが大切である

オウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚らの死が執行された。宗教とは人々に安心立命・真の幸福とやすらぎを与えるものであるはずなのだが、宗教の歴史は逆に人類に不幸と殺戮を与えている側面がある。宗教とか宗教家というものは、世の中を平和にし、人々に安心立命を与える存在であるはずである。ところが宗教や宗教家が、世の中に争い事を撒き散らし、人々を不安や不幸に陥れる例が多いようです。松本のように信者に大量殺戮を命ずる宗教家もいる。

 

世界各地で起こっているテロや戦争や暴動の多くは宗教がその原因となっています。宗教同士の対立と抗争がどれだけ多くの人々を殺し、人類を苦しみに落とし込んだか。

 

宗教には、正しい宗教と邪宗教があると言われる。しかし、この宗教は絶対に正しく、この宗教は絶対に邪教だというよりも、宗教全般に良い面と危険な面・天使的側面と悪魔的側面とがある。言い換えると、宗教は人々に平安を与えてきたと共に、争乱を巻き起こしてきたのである。自分たちの宗教が絶対的な正しいと主張する宗教ほど、他人を傷つけ殺してきた。

 

キリスト教が愛を説き、世界文化・文明の発展と人々の平和に貢献したことは間違ひない。しかし、キリスト教が正しいことしかしなかったというとそれは大きな間違いである。十字軍の遠征という侵略戦争をローマ法王の命令で行ったし、西欧列強による世界侵略の尖兵の役割を果たした。

 

慈悲を説き非暴力とされる佛教も、比叡山などの僧兵が戦闘を行ったし、一向一揆もあった。オウム真理教も仏教的色彩が強い宗教であった。

 

宗教は愛や慈悲を説くと共に、罰や祟りも説く。そして呪詛することもある。ここが宗教の怖いところである。これまでの人類が行った宗教戦争・宗教対立でどのくらいの人が命を失ったことであろうか。 

 

今日の人類の危機を打開するためには、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。ある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。

 

先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。そして今日それが日本国内においても世界においてもますます激化してきている。創価学会池田教による日蓮正宗宗門に対する攻撃もその典型である。 

 

日本の古代から継承されてきた「道」即ち日本の伝統的信仰精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもない。日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。

 

日本人は古来、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。これは日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。

 

今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。ただ人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

 

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2017年12月30日 (土)

日本伝統信仰と一神教

 カトリック教会には必ずキリストの磔像がある。磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は老衰で亡くなった時の姿であって、磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感した。この像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのではあるまいか。

 

 事実、イエスを死地に老いやったとされるユダに対するキリスト教徒の呪咀はすさまじい。キリスト教徒ではなくとも、「ユダ」という名前は裏切り者の代名詞として使っている。言語学的に見て、ユダ(Judaios)の名はユダヤ人全体を意味する。ユダは憎むべきユダヤ人の典型であると見られたのである。

 

 そして、キリスト教国で反ユダヤ感情の無いところは無いと言われている。特に社会的不満が鬱積すると反ユダヤ感情が激化する。新約聖書の『ヨハネ伝』では、イエス・キリストはユダヤ人に、「汝ら(ユダヤ人)は己(おの)が父悪魔より出(い)でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初(はじめ)より人殺しなり、また眞(まこと)その中になき故に眞立たず、彼は虚偽(いつはり)を語る毎(ごと)に己より語る、彼は虚偽者(いつはりもの)にして虚偽の父なればなり」(第八章)と述べ、ユダヤ人は「悪魔の子」「人殺し」「嘘つき」であるとしている。新約聖書はユダヤ人を敵視しており、新約聖書は反ユダヤ思想の最も基礎的にして最も影響力の強い文献であったといわれている。ただし、一九六三年六月三日、ローマ法王・ヨハネ二十三世はキリスト教徒のユダヤ迫害の許しを乞う祈りをした。

 

 旧約聖書『創世記』によると、キリスト教の母体であるユダヤ教の神・エホバと、イスラエルの民の祖でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教で模範的篤信者として崇められているアブラハムとが契約を結ぶ。これが「旧約聖書」の「旧約」である。

 

その契約の儀式では、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、家鳩のひなを神の前に連れて来て、鳥以外の獣を二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。これは契約を破ると身を二つに切り裂くぞという意味が込められているという。そして、その後も長い間エルサレムのユダヤ教の神殿において祭司たちが年々動物を裂き、その血を流して民の罪を贖なった。

 

 キリスト教もイエス・キリストが生けにえとなりその血によって人類の罪を赦してもらうというのである。新約聖書『マタイ伝』によると、イエスは最後の晩餐の時、「…あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である」と語った。

 

『最後の晩餐』においてキリストが弟子たちにパンと葡萄酒を分け与えるというのは、アブラハムが動物の肉と血を神に捧げたことの再現であるという。聖書に『旧約』と『新約』とがあるのはここから来ている。

 

 だから、イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ伝一章二九節)といわれるのである。また人類の始祖とされるアダムとイブの子であるカインはエホバに農作物を捧げたが、エホバは血のない捧げものであったので拒否した。砂漠で生まれた宗教たるユダヤ教・キリスト教の神は「血を流すことなしには罪の許しはありえない」(ヘブル人への手紙)とするのである。ともかくユダヤ教・キリスト教の罪の赦しでは、人間や動物の血が流されなければならないという信仰精神なのである。

 

 神と人間が契約を結ばなければならないというのは、神と人間とが絶対的他者であるということである。日本伝統信仰は、日本の神と人と自然とは相対立し隔絶した関係ではなく、一体の存在である。まして神の怒りを解き、罪を許してもらい、神の報復を防ぐために、人間や動物を生けにえとして捧げるなどということもない。今年の豊作を感謝し来年の豊饒を祈念して農作物などを神に捧げ、お祭りをし、直会においてそれを神と共に食し、神と人とが合一するというのが、日本の伝統信仰である。

 

 神の怒りを解き罪を許してもらうために人や動物の肉や血を捧げるという残虐な信仰精神は日本伝統信仰にはないのである。これが、キリスト教と日本伝統信仰の決定的な違いである。『祭り』と『契約』の違いが日本神道と一神教違いと言っていいだろう。

 

 だから、日本民族は異質な信仰としてユダヤ教・キリスト教・回教という一神教を受け容れることはなかったのである。日本人のクリスチャンは人口一億二千万に中にわずか十五万人である。

 キリスト教会にはイエスキリストの磔像と共に必ずマリア像や数多くの聖人像がある。これはキリスト教の伝道者が、中央および西ヨーロッパに生きていた民族宗教に直面した。絶滅に抵抗した民族宗教を「キリスト教化」するために民族信仰の多数の神々を同化した。マリア像は、多くの民族宗教の豊饒の女神がキリスト教化された姿であるといわれている。

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