2020年6月11日 (木)

崇徳上皇御製を拝し奉りて

 「日本の歴史は天皇受難史であり、皇室哀史である」と言う人がいるが、まさにその通りである。しかし、そうでありながら常に、天皇及び皇室がわが國の文化・政治・宗教の中心であった。これがわが國體の有難くも不思議なところである。

崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ人々の心が生んだ傳説がある。崇徳上皇は、長寛二年(一一六四)、御年四六歳で崩御されるまで九年間讃岐で過ごされ、終生京都への還幸を許されなかった。崇徳上皇の御陵は御遺詔によってこの白峰山に営まれた。讃岐で崩御されたので讃岐院と称されることとなった。

 崩御後、崇徳上皇の霊威甚だしくかつ峻厳にして、大火などの様々な奇瑞が都に起こった。そこで、御歴代の天皇・公家・武家は、霊威を鎮め奉るため努力した。治承元年(一一七七)七月、崇徳院の号を奉った。 

平治・治承・寿永の戦乱は崇徳上皇の祟りによると信ずる人が多かった。『保元物語』にはいわゆる<崇徳院説話>が語られている。それによると、崇徳上皇は、配流の地で、御自分の罪の償いと後生菩提のために深爪をして血判で大乗経を書写し、鳥羽天皇御陵にお納め申し上げようと京に送られたが、弟君・後白河天皇は信西入道の進言により、「罪人の手跡を、京に入れてはならぬ」と許されず讃岐に返送された。

これに激怒された上皇は、「日本國の大魔縁(悪魔のこと)となり、皇を取りて民となし、民を皇となさん」と血書し、そのお経を海底に沈められたという。のみならず上皇は髪を刈らず、爪も切らず、お召し物も着替えられず、「生きながら天狗の姿にならせ給ふ」て憤怒の體を通されたという。

そして、保元の乱の後、武家の力が強くなり、秩序が転倒した世となったのは「大魔縁」となられた崇徳上皇の呪いによるものだと信じられた。 実際、慈円著の歴史書『愚管抄』(承久二年・一二二〇成立)には「安元元年(一一七五注)七月廿九日讃岐院に崇徳院と云う名をば宣下せられけり。かやうの事ども怨霊をおそれたりけり」と記されている。また長寛二年(一一六四)から建仁三年(一二0三)にわたる九条兼実という人の日記『玉葉』には「天下の乱逆。連々として了る時無し。是偏に崇徳院の怨霊たるべし」と記されている。そして、後白河法皇の院宣により寿永三年(一一八四)四月十五日、京都粟田口に、崇徳上皇を神霊としてお祀りする神殿を建立し御霊を鎮めた。
 
第百代後小松天皇は、応永二一年(一四一四)、御陵のそばの崇徳上皇の御廟(崇徳上皇の近習が法華堂を建てて上皇御自筆の御画像を奉安し御菩提を祈っていた)に、頓證寺(頓證とはすみやかに悟りを開くこと。追善回向の功徳によって亡者が成仏するよう祈る言葉を『頓證菩提』という)の御追号勅額を奉納し給い尊崇の意を表された。
 
崇徳上皇が怨霊となられたというのはあくまでも傳説であって全て事実かどうかは分からない。しかし、崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ多くの人々の心が、源平の戦いなどの世の乱れ・武士の台頭などの社會の変動と関連させて、こうした傳説を生んだといえよう。

崇徳上皇は傳統を尊ばれ歌壇の中心として活躍された。崇徳上皇に関しては、怨霊となられたという傳説ばかりが強調されるが、崇徳上皇の御天性は史書『今鏡』(作者未詳。嘉応二年・一一七0年成立)に「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」「幼くおはしましけるより歌を好ませ給ひて、……」と記されているように、上皇は國の傳統を尊ばれ、宮廷の歌壇の中心として活躍されたと傳えられる。側近から俊成、西行、寂然などの大歌人が輩出した。

 もちろん上皇御自身も次のような御歌に代表される数々の名歌を残された。
「御軍(みいくさ)敗れて 後、御室(みむろ)の寛 遍法務が房に入らせ   給ひて

思ひきや身を浮雲になしはてゝ嵐の風にまかすべしとは

 讃岐の松山の津につかせ たまひて、廳野大夫高遠 の御堂に三年過ごし   給へる時、その柱にかき つけさせたまへる

こゝもまたあらぬ雲居となりにけり空ゆく月の影にまかせて

 杉山へおはしまして後、 都なる人のもとにつかは せ給ひける

思ひやれ都はるかにおきつ浪たちへだてたる心ぼそさを     

 讃岐國にて隠れさせ給ふとて皇太后宮太夫俊成( 平安末期鎌倉初期の歌人・歌學者藤原俊成のこと注)にみせよとて書きおかせ 給ひける

夢の世になれこし契朽ちずしてさめむ朝にあふこともがな         」
 
何ともあはれにして悲しみ深き御歌である。天皇は「天の下しらしめすすめらみこと」「一天萬乗の君」と讃えられる日本の統治者であらせられるのであるが、かくの如き境遇になられる天皇も数多くおられた。そして後鳥羽上皇・後醍醐天皇を拝しても明らかな如く、そういう天皇様方はみな素晴らしき御歌をのこされている。
 
特に、崇徳上皇が崩御の際藤原俊成に贈られた「夢の世に」といふ御製はきわめて穏やかな御歌であり、とても怨霊になられたとは思えない。
 
明治天皇は、御即位式を挙げられる直前の明治元年八月二十四日、「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」という崇徳上皇の御遺徳を追慕して、讃岐から御神霊をお遷して京都飛鳥井に白峰宮を建立された。武家による政権簒奪の端緒となった保元の乱のために讃岐に御遷幸あそばされた崇徳上皇を御神霊を、武家政権打倒・王政復古の大変革であった明治維新に際して、京の都に祀られるようになったのは意義深きことである。

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2020年5月 7日 (木)

今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである

『政治文化情報』四月号の「皇都の一隅より」の拙文にも書かせていただきしたが、東京及び東京近辺の大神社、大寺院が今回の国難打開のための祭祀、祈祷會、法要を行ったという情報がありません。多くの神社仏閣がお祭りや法要を中止或は小規模にしたということを聞くのみでした。

本来なら国難打開の大法要そして救済活動を行なうべきなのに、毎年正月三が日には多くの参拝者でにぎわう即ち莫大な額のお賽銭を集める成田山新勝寺は僧侶を自宅待機にしたということを聞いて、少々呆れてしまいました。

どこかの教団の名誉会長とかいう人はまるで生き仏・生き神・世界の救済者のように崇められていますが、今回の国難で具体的にどのような救済活動をしたのかは全く報じられていません。本人が病身なのでやむを得ないとは思いますが…。

既成宗教にしても新宗教にしても新々宗教にしても内紛・後継者争いの無い宗教は無いと言っていいと思います。もっともキリスト教も仏教も回教も、内紛、近親憎悪の歴史であったと言っていいと思います。殺し合いすら行っています。これはどうしようもないことでしょうか。この度の苦難を乗り切って、人類全体が真の平和を実現することを望みます。

後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のやうな御製を詠ませられた。

「伊勢
にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、さうであればこそ、上御一人日本天皇は、神への祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。

今日の日本も「にごりゆく世」である。また文字通り有史以来未曽有の國難に遭遇してゐる。今こそ、祭祀主・日本天皇の御稜威の下、本来の日本の清き姿に回帰し困難を打開しなければならない。

今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである。

わが國においては、大化改新、建武の中興、明治維新等の大変革が實現する直前に内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。今日においても歴史に学ぶべきである。

ところが、今日に於いては「現行占領憲法」の亡國的制約によって、國民的規模・國家的規模の國難打開の祭祀も祈祷も行ひ得ない状況になってゐる。これを根本的に改めなければならない。

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2019年10月 1日 (火)

宗教と現代の危機

昨日も、少し書きましたが、今の世の中は、表面上は平和で栄えているように見えますが、実際にはそうではなく、色々不安定なものがあると思います。人心も決して安定していないと思います。殺人事件は殆ど毎日のように起っています。しかも自然災害も深刻な被害を及ぼすようになっています。

こういう時こそ、宗教というものが人々の安穏と平和をもたらすことが求められていると思います。しかし、既成宗教・新宗教・新々宗教がかつてのような救済のエネルギーを失っているというのですから困ったことです。

所謂伝統教団・既成宗教は、祖霊の供養という大事な使命を果たしています。また神社神道も地域の神々のご神霊をお祀りしています。私は「葬式仏教」などと既成仏教を揶揄するのは間違いであると思います。祖霊の供養、亡くなった方々のご冥福とご加護を祈ること、そして天神地祇をお祀りする事は、「敬神崇祖」と言う日本民族の道義精神の根幹です。

今こそ、既成・新興を問わず宗教の役割は重大です。宗教は、人類の苦悩を救い、安穏をもたらすことを使命としているはずです。しかし、前述したようにも今の宗教はそうした使命を果たしているでしょうか。

繰り返しますが、私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰することが大切であると思います。具体的に言えば、地域の産土の神社と先祖代々の菩提寺に眠る祖霊への感謝・報恩の心が基本であると思います。その上で。多くの宗教者の説いてきたことを学び、生活に生かすべきであると思います。

ある特定の教団の教義や教祖・指導者を絶対視し他の宗教を否定するすることは危険であります。そしてそれが今日までの繰り返されてきた宗教対立・宗教戦争の根源にあるものだと思います。

これまで、宗教戦争で死んだ人々の数は計り知れないものがあると思います。宗教というものは、愛と赦しを説きますが、反面、呪詛や迫害も行うのです。宗教の怖さというもの、悪魔的側面を、我々は充分認識していなければならないと思います。

曽野綾子さんは、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであると言っています。

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。
(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。
(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。
(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。
この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになりましょう。

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事でしょうか。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていました。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多いと思います。

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれません。しかし、曽野氏の言う「四つの事」が余りにも度が過ぎている宗教、国家社会に害毒を及ぼすと言わねばなりません。

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2018年12月16日 (日)

言霊思想について

 

「峰の色 溪の響きも みなながら 我釈迦牟尼の 声と姿と」                      道元

 

 

道元(正治二年【一二〇〇】一月二日―建長五年【一二五三】八月二八日。鎌倉時代初期の禅僧。曹洞宗及び永平寺の開祖。『正法眼蔵』の著者)の歌集『傘松道詠』所収。

 

「山々の色も谷川の響きも、すべてそのままに、私の信仰するお釈迦さまのお声であり、お姿であるなあ」といふ意。

 

道元はまた、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』))と説いてゐる。森羅万象全てが仏の言葉だと言ふのである。

 

弘法大師・空海も、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声といふなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。

 

声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想である。

 

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。全ての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

 

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海の言ふ「聲字」も、道元の言ふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切を指してゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

 

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は神であり佛であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

 

日本民族は、古来言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

日本の國は、「言霊の幸はふ國」と言はれる。日本は言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命が宿り、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。

 

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ、歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶ。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言霊のさきはふ國」と言はれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。道元や空海の思想は、日本の言霊思想を仏教的に表現してゐると思はれる。

 

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2018年9月26日 (水)

生長の家教団の変貌・劣化はどうして起こったのか

 

生長の家教団の変貌・劣化はどうして起こったのか。その根本原因は言うまでもなく三代目総裁の谷口雅宣氏にある。雅宣氏は、谷口雅春師が國體論、大東亜戦争論、愛國思想を説いた書籍を事實上絶版にし、雅宣氏以外の雅春師のお孫さんやその配偶者が生長の家の組織から排除されたり教団から離脱している。

生長の家は完全に変質し、谷口雅宣氏は谷口雅春師を完全に踏み躙ったのである。

宗教教団には内紛はつきものであるが、生長の家だけは、雅春師ご存命中には内紛はなかった。雅宣氏が教団の主導憲を掌握すると、雅宣氏の意に反する人々は、たとえ兄弟であろうと、功労者であろうと、教団から追放されるか自ら出て行っている。

 

教団の教祖が亡くなった後、幹部間・親族間で内輪揉めが起るのはよくあることであり、生長の家も例外ではなかったといふことだらう。

 

創始者・谷口雅春師は、信徒から見れば事實上「生き神」であり、雅春先生をはじめとした谷口家の人々は「お山様」といはれ、言はゞ「神聖家族」として崇められてゐた。生長の家本部には「お山様ご専用」といふトイレまであった。

ところが、その所謂「神聖家族」が、生長の家の根本的経典『生命の實相』第一巻の巻頭にある『大調和の神示』の「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」といふ教えを實行できないでのある。

 

『大調和の神示』の冒頭には、

「汝ら天地一切のものと和解せよ 天地一切のものとの和解が成立するとき 天地一切のものは汝の味方である 天地一切のものが汝の味方となるとき 天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ 汝が何物かに傷つけられたり黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供物を献ぐるとき 先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。」と示されている。

 

谷口雅宣氏の兄弟は、姉二人と弟一人の三人いる。この三人の兄弟が全て、教団から追放されている。姉夫婦とは裁判沙汰にまでなった。宗教団体に内紛はつきものだが、「天地一切のものと和解せよ」「汝の兄弟と和せよ」という根本教義を、その継承者が全くし実践できないのみならず、全く逆のことをしているのではお話にならない。雅宣氏は、『法燈の継承者』と自称しているが、全くその資格はない。

 

谷口家は、今や「生長の家」ではなく「バラバラの家」であり、「和解」「大調和」とは全く正反対の「争い」と「大不調和」の家となっている。一番悲しまれているのは、祖父祖母である谷口雅春・輝子両師であろう。

 

雅宣氏は、「法燈継承者」「三代目総裁」とされる以上、他の誰よりも生長の家の教義を守り、その實践者であるべきである。ところが、自分の實の兄弟・親族と「和解」「調和」「赦し合ひ」「拝み合ひ」が出来ないのだ。

 

生長の家のみならず日本國内の新宗教教団には世襲制の教団が多い。そして世襲制の教団に内紛が起こらないかといふと決してさうではない。親族間・幹部間の争ひが起った教団は多い。

 

宗教といふものは本来、人々に安穏・平和・喜びをもたらすものであるはずである。ところが、宗教が闘争・戦争の原因となるといふことが問題なのである。歴史上の戦争・紛争そして今日唯今起ってゐる戦争・紛争の原因が宗教対立にある。宗教上の対立における憎悪は尋常ではない。しかし、これは人類の歴史で繰り返されてきたことなのである。

 

「灯台もと暗し」といふ言葉がある。灯台のすぐ下は光に照らされないので暗いといふ意味であらう。「坊主の不信心」「医者の不養生」「論語讀みの論語知らず」と同じ意味で用いられる言葉である。

 

生長の家の創始者谷口雅春師は、「七つの灯台の点燈者の神示」といふ神示を神から受けたとされてゐる。その灯台は人類を救ふ光といふ意味が込められてゐる。

 

谷口雅宣氏は、生長の家の教えの根本であり、その『七つの灯台の点燈者の神示』に示されてゐる「天地一切のものと和解せよ」「汝の父母に感謝せよ」「汝の兄弟と和解せよ」が全く実践できないのである。三人の実の兄弟姉妹とその配偶者を教団から追い出し、裁判沙汰にまでなり、最近は、谷口雅宣の実の母親即ち谷口雅春師の一人娘・谷口恵美子さんまでもが、四国高知の次女のもとに行かれた。母親とすら調和ではない人物に「大調和」「親に感謝せよ」などと説く資格は毛筋の横幅ほども無い。

 

生長の家は根本的教義を全く実践できない人が教団の後継者となっている。こうしたことを「灯台もと暗し」と言う。ああ悲しいかな。

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2018年7月 7日 (土)

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが大切である

オウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚らの死が執行された。宗教とは人々に安心立命・真の幸福とやすらぎを与えるものであるはずなのだが、宗教の歴史は逆に人類に不幸と殺戮を与えている側面がある。宗教とか宗教家というものは、世の中を平和にし、人々に安心立命を与える存在であるはずである。ところが宗教や宗教家が、世の中に争い事を撒き散らし、人々を不安や不幸に陥れる例が多いようです。松本のように信者に大量殺戮を命ずる宗教家もいる。

 

世界各地で起こっているテロや戦争や暴動の多くは宗教がその原因となっています。宗教同士の対立と抗争がどれだけ多くの人々を殺し、人類を苦しみに落とし込んだか。

 

宗教には、正しい宗教と邪宗教があると言われる。しかし、この宗教は絶対に正しく、この宗教は絶対に邪教だというよりも、宗教全般に良い面と危険な面・天使的側面と悪魔的側面とがある。言い換えると、宗教は人々に平安を与えてきたと共に、争乱を巻き起こしてきたのである。自分たちの宗教が絶対的な正しいと主張する宗教ほど、他人を傷つけ殺してきた。

 

キリスト教が愛を説き、世界文化・文明の発展と人々の平和に貢献したことは間違ひない。しかし、キリスト教が正しいことしかしなかったというとそれは大きな間違いである。十字軍の遠征という侵略戦争をローマ法王の命令で行ったし、西欧列強による世界侵略の尖兵の役割を果たした。

 

慈悲を説き非暴力とされる佛教も、比叡山などの僧兵が戦闘を行ったし、一向一揆もあった。オウム真理教も仏教的色彩が強い宗教であった。

 

宗教は愛や慈悲を説くと共に、罰や祟りも説く。そして呪詛することもある。ここが宗教の怖いところである。これまでの人類が行った宗教戦争・宗教対立でどのくらいの人が命を失ったことであろうか。 

 

今日の人類の危機を打開するためには、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。ある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。

 

先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。そして今日それが日本国内においても世界においてもますます激化してきている。創価学会池田教による日蓮正宗宗門に対する攻撃もその典型である。 

 

日本の古代から継承されてきた「道」即ち日本の伝統的信仰精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもない。日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。

 

日本人は古来、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。これは日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。

 

今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。ただ人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

 

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2017年12月30日 (土)

日本伝統信仰と一神教

 カトリック教会には必ずキリストの磔像がある。磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は老衰で亡くなった時の姿であって、磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感した。この像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのではあるまいか。

 

 事実、イエスを死地に老いやったとされるユダに対するキリスト教徒の呪咀はすさまじい。キリスト教徒ではなくとも、「ユダ」という名前は裏切り者の代名詞として使っている。言語学的に見て、ユダ(Judaios)の名はユダヤ人全体を意味する。ユダは憎むべきユダヤ人の典型であると見られたのである。

 

 そして、キリスト教国で反ユダヤ感情の無いところは無いと言われている。特に社会的不満が鬱積すると反ユダヤ感情が激化する。新約聖書の『ヨハネ伝』では、イエス・キリストはユダヤ人に、「汝ら(ユダヤ人)は己(おの)が父悪魔より出(い)でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初(はじめ)より人殺しなり、また眞(まこと)その中になき故に眞立たず、彼は虚偽(いつはり)を語る毎(ごと)に己より語る、彼は虚偽者(いつはりもの)にして虚偽の父なればなり」(第八章)と述べ、ユダヤ人は「悪魔の子」「人殺し」「嘘つき」であるとしている。新約聖書はユダヤ人を敵視しており、新約聖書は反ユダヤ思想の最も基礎的にして最も影響力の強い文献であったといわれている。ただし、一九六三年六月三日、ローマ法王・ヨハネ二十三世はキリスト教徒のユダヤ迫害の許しを乞う祈りをした。

 

 旧約聖書『創世記』によると、キリスト教の母体であるユダヤ教の神・エホバと、イスラエルの民の祖でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教で模範的篤信者として崇められているアブラハムとが契約を結ぶ。これが「旧約聖書」の「旧約」である。

 

その契約の儀式では、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、家鳩のひなを神の前に連れて来て、鳥以外の獣を二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。これは契約を破ると身を二つに切り裂くぞという意味が込められているという。そして、その後も長い間エルサレムのユダヤ教の神殿において祭司たちが年々動物を裂き、その血を流して民の罪を贖なった。

 

 キリスト教もイエス・キリストが生けにえとなりその血によって人類の罪を赦してもらうというのである。新約聖書『マタイ伝』によると、イエスは最後の晩餐の時、「…あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である」と語った。

 

『最後の晩餐』においてキリストが弟子たちにパンと葡萄酒を分け与えるというのは、アブラハムが動物の肉と血を神に捧げたことの再現であるという。聖書に『旧約』と『新約』とがあるのはここから来ている。

 

 だから、イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ伝一章二九節)といわれるのである。また人類の始祖とされるアダムとイブの子であるカインはエホバに農作物を捧げたが、エホバは血のない捧げものであったので拒否した。砂漠で生まれた宗教たるユダヤ教・キリスト教の神は「血を流すことなしには罪の許しはありえない」(ヘブル人への手紙)とするのである。ともかくユダヤ教・キリスト教の罪の赦しでは、人間や動物の血が流されなければならないという信仰精神なのである。

 

 神と人間が契約を結ばなければならないというのは、神と人間とが絶対的他者であるということである。日本伝統信仰は、日本の神と人と自然とは相対立し隔絶した関係ではなく、一体の存在である。まして神の怒りを解き、罪を許してもらい、神の報復を防ぐために、人間や動物を生けにえとして捧げるなどということもない。今年の豊作を感謝し来年の豊饒を祈念して農作物などを神に捧げ、お祭りをし、直会においてそれを神と共に食し、神と人とが合一するというのが、日本の伝統信仰である。

 

 神の怒りを解き罪を許してもらうために人や動物の肉や血を捧げるという残虐な信仰精神は日本伝統信仰にはないのである。これが、キリスト教と日本伝統信仰の決定的な違いである。『祭り』と『契約』の違いが日本神道と一神教違いと言っていいだろう。

 

 だから、日本民族は異質な信仰としてユダヤ教・キリスト教・回教という一神教を受け容れることはなかったのである。日本人のクリスチャンは人口一億二千万に中にわずか十五万人である。

 キリスト教会にはイエスキリストの磔像と共に必ずマリア像や数多くの聖人像がある。これはキリスト教の伝道者が、中央および西ヨーロッパに生きていた民族宗教に直面した。絶滅に抵抗した民族宗教を「キリスト教化」するために民族信仰の多数の神々を同化した。マリア像は、多くの民族宗教の豊饒の女神がキリスト教化された姿であるといわれている。

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2017年12月16日 (土)

宗教に関わる様々に事件や紛争について

国際的にも、日本国内においても宗教に関わる様々に事件や紛争が起っています。

 

キリスト教やユダヤ教に関する本を読んでつくづく思いますのは、宗教というものの怖さということです。ユダヤ教・キリスト教・回教は同根であるにもかかわらず、二千年近くにわたって激しい宗教戦争を繰り返し、今日に至っております。

 

一神教のみならず、仏教系の教団でも、宗派争いや内部抗争は凄まじいものがあります。日蓮正宗と創価学会の争いがその典型です。「ポア」とか言って殺人を肯定したオウム真理教というのもありました。

 

一体、宗教戦争・宗教対立でこれまでどれ程の人が犠牲になってきたでしょうか。これに共産主義思想というのを加えますと、人類を幸せにすると広言する思想や宗教がかえって人類を闘争と殺戮に駆り立てといっても決して過言ではありません。そしてこのことは、今日唯今の現実なのであります。

 

私も、高校時代にある宗教団体に所属して、活動をしていましたので、自分の信ずる宗教教団そしてその教祖を絶対視する精神構造・心理状態というものを経験しました。反対者に対する憎悪というか、反発心というものが非常に強くなるのです。特に同じ教団に所属していたにもかかわらず違う生き方をするようになった人への憎悪はより激しいものとなります。近親憎悪であり、裏切り者・背教者への憎悪です。愛を説き、慈悲を説く宗教教団が、全くその逆の憎悪・排撃の心を駆り立てるのです。

 

私の所属していた教団は、教祖の孫で三代目を継いだ人が、教祖の教義を改竄し隠蔽し、そのことを批判する人々はたとえ兄弟と雖も教団から追放しました。今日の指導者は、実の孫であるにもかかわらず、自分の祖父である創始者を蔑にしているのであります。

 

ただ日本の場合、最初は相当排他的でも、歴史が経過し時間がたつとそれか希薄になるようです。日蓮は、念仏の坊さんの首を由比ヶ浜で刎ねよと幕府に建言しました。しかし、いまや、谷中などの寺町では、念仏宗の寺と日蓮宗の寺か仲良く並んでいます。日蓮宗の坊さんに念仏宗の坊さんの首が刎ねられたという事件は起こった事はありせん。

 

私は、信仰心・宗教心とは、敬神崇祖の心が基本であると思います。日本伝統信仰たる神道そして先祖伝来の宗教を信仰するという日本の本来的な信仰のあり方を大切したいと思います。また私たちは、神や仏を信じるのであって、僧侶や神主などの宗教家を崇めるのではないことも確認したいと思います。

 

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2017年6月18日 (日)

日蓮の神祇崇拝を否定する創価学会

 自民党と連立政権を組んでいる公明党と同体異名の関係にある創價學會が日本の伝統文化・國家の存立の基本を根本から揺るがす性格を持つ宗教教団である。それは神社には悪鬼邪神が住み着いていると決めつけ、會員に対して地域の神社の参拝は勿論、伊勢神宮など日本全國の神社への参拝及び神札を拝むことを禁止しているからである。これは敬神崇祖という日本民族の伝統的な道義精神・信仰精神を根底から破壊する行為である。

 

 それではいったい、日蓮は天照大神を如何に信じていたであろうか。日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 

 日蓮は「山王第一」とする天台宗の神観念を継承せず天照大神を第一の神としているのである。そして『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 

 このように、日蓮は神祇とりわけ天照大神への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがない。

 

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會が會員の神社参拝を禁止するのは、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くこととなる。神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たるなどという創價學會の『神天上の法門』は、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し日蓮の神祇思想に背く考え方である。

 

日蓮と牧口常三郎氏の<現御神信仰>創価学会は我が國の寛容な伝統精神とは相容れない

 日蓮はまた、『高橋入道殿御返事』で「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」と論じている。

 

 日蓮は、天照大神の御神靈は天皇の御身中に常在しておられるというわが國の伝統的な<現御神信仰>を保持していたのである。

 

創價學會初代會長牧口常三郎氏は、この日蓮の<現御神信仰>を継承し、『大善生活実証録』という昭和十七年発行の書物で「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖しているのである。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社へ参拝するのは『よくぞ國家の為に働いて下さった、有り難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって…天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。…吾々は現人神であらせられる天皇に帰一し奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することができると確信するのである」と論じている。

 

 さらに創価学会は、戦時中、日蓮正宗の当時の法主鈴木日恭と前法主堀日亨が、創価学会の牧口初代会長および戸田城聖二代会長に対して、「伊勢の神宮の神札を受けたらどうか」と諭したのは日蓮の教えに背くと激しく非難し、鈴木法主がその後焼死したのは、罰が当たったのだなどと言っている。

 

ところが同じくその席にいて「神札を受けるように」と勧めた堀前法主は昭和三十二年まで生き長らえて、九十二歳で大往生を遂げている。そして堀前法主の密葬の参列した池田大作は、日記に「九十一年のご生涯感無量。厳然たる仏法の実証」(「若き日の日記」から)と記している。つまり、鈴木法主には罰が当たり堀前法主には当たらなかったという大変矛盾したこととなったのである。これは、学会の神札を祭ると罰が当たるなどという主張が誤りである何よりの証左である。

 

創価学会の神社不拝論は日蓮の主張に背くものであり、牧口初代会長の意思に反するものである。また、神札を祭ることを拒否するなどということは、「敬神崇祖」の我が国伝統精神を根本から否定する邪悪な行動であると共に、日蓮の神祇思想にも反する行為である。

 

 小生が創価學會を批判する最も大きな理由は、學會が日蓮正宗第二祖・白蓮阿闍梨日興(日蓮の弟子・大石寺の開山)以来の『神天上の法門』を標榜して「日蓮の教えが広まっていない日本には神はおらず神社には悪鬼邪神がすみついているから神社に参拝したり神札を拝むと罰があたる」などと言って神社神道を否定するのみならず會員に神社参拝を禁止しているからである。

 

 しかるに今日の創價學會は、日蓮および初代會長牧口常三郎の意思を無視して、神社参拝を否定し、日本國の伝統精神・日本人の中核精神たる『敬神崇祖』を否定している。日本伝統信仰たる神社神道を否定するということは、日本という三千年の歴史を有する國の根幹たる<天皇を中心とした信仰共同體精神>を根底から破壊することである。

 

 日本國は、天皇を中心とした信仰共同體である。天皇は天照大神をはじめとした天神地祇を祭りたもう祭り主であらせられる。そして一億國民等しく、神を崇め祖靈を尊ぶ精神を大切にしている。これが日本國存立の根幹なのである。また、「遠い先祖は神様、近い先祖は仏様」という言葉もある通り、神仏を等しく崇めてきた。一軒の家に神棚と仏壇が共存し、朝起きたら神棚に柏手を打ち仏壇を拝むというのが日本人の一般的な美風である。結婚式や七五三などのおめでた事は神式で行い、お葬式などのお悔みごとは仏式で行うのが一般的である。創價學會はこうした日本國の寛容にして大らかな宗教風土を否定しいいるのである。

 

 創價學會公明党が「日蓮大聖人直結・御書根本」と言うのなら、日蓮および牧口常三郎氏の國體観・天皇信仰・神祇信仰に回帰すべきである。

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2017年1月27日 (金)

「天地の初発の時」の回復と現代の救済

 物質偏重・経済至上・科學技術万能の世界を訂正することが現代おいて求められてゐる。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。日本及び日本國民の頽廃を救ふには、日本の伝統精神・宇宙観・神観・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

 わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識をより強固にしなければならない。

 

 我が國には、神話時代(神代)以来の伝統精神=日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開できる。「神話の精神」への回帰によってこそ今を新たならしめることができる。

 

 日本伝統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

 我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、誰かが説いた知識としてつくりあげてしまった観念ではなかった。

 

 神とか罪悪に関する日本人の考へ方が、全て「祭祀」といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきたやうに、抽象的な論理や教義として我が國伝統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國伝統信仰は、「神話」と日本人の生活そのもの、とりわけ「祭祀」と共に生きてゐる。

 

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は「祭祀」である。「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神=神話の精神の實践なのである。「祭祀」が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。稲作生活から生まれた「神話の精神」を、「祭祀」といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。天皇の「祭祀」によって、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐるのである。

 

 「祭祀」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。日本最高の祭り主であらせられる天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 なべての「本来の姿」を回復する行事が「祭祀」である。つまり『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が「祭祀」である。

 

 今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」を回復することによって、危機的状況を打開することができる。實際、日本民族は、全國各地で毎日のやうに祭りを行ってゐる。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められてゐる行事である。 

 

 維新変革も、罪穢を祓ひ清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。「今を神代へ」であり「高天原を地上へ」である。

 

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