2019年5月18日 (土)

天皇の御即位は「天孫降臨」の繰り返しであり再現である

天皇の御即位は「天孫降臨」の繰り返しであり再現である

今上天皇が、五月一日午前十時に、剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀に臨まれた御姿、そして、五月四日の国民の参賀にお応えになられる御姿を拝し奉り、皇位継承とは天孫降臨の繰り返してあるという神聖なる事実をあらためて実感させていただいた。畏れ多いが、皇太子(日嗣の皇子)の頃とは全く違ったお顔、お姿になっておられたと拝する。それは皇后陛下の同じである。本当に不思議なことである。まさに現御神、天照大御神の「生みの御子」が降臨あそばされたのである。天皇の御即位は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である。

 日本は、現御神日本天皇を祭祀主と仰ぎ、天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

會澤正志斎は、『草偃和言』(そうえんわげん)といふ著書で「日嗣の君は、日神の遺體(地上に遺された玉體という意味)にましまして今も天神に事へ給ふ事在すが如く、氏々の人は皆諸神の子孫にして其遠祖の人々古日神に事へ奉りし時にかはらず、千萬世の後までも天上の儀を傳へて神代の遺風を其まゝに行はれ、今の世も神の世に異なる事なきは、他邦異域に絶てなき事なれば神國と申すなり」と論じてゐる。今即神代、天皇即神といふ篤い信仰精神が語られてゐる。

天照大御神と天皇はご一體である。天照大御神と天皇とは時間と歴史を超えて一體である。天皇に仕へる臣下國民もまた、八百万の神々の子孫である。まさに、歴史と時間を貫いて今此処が神代であり、高天原なのである。高天原を地上に持ち来すことが國體の明徴化なのである。今即神代、天皇即神であられるからこそ、日本に革命も皇統の断絶も無いのである。

天皇を君主と仰ぐ日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで生きてゐる。ところが、古代オリエントや古代支那などにおいては、祭祀を中心とする共同體は武力征服王朝によって破壊されてしまった。そして古代民族信仰・祭祀宗教は無くなり、太古の王家も古代國家も姿を消した。その後に現れた支配者は武力による征服者であり、國家は権力國家であった。

それに比してわが日本は、神話の世界が今日唯今現實に生きてゐる國である。すなはち、わが日本は、古代祭祀宗教の祭祀主たる神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現實の君主と仰ぎ、國家と民族の中心者として仰いでゐる殆ど世界唯一の國である。わが國は太古以来の祭祀主を君主と仰ぐ共同體國家が破壊されることなく今日まで続いて来てゐる。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふのである。

それは、會澤正志斎が『新論』において、「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。」と説き、北畠親房が『神皇正統記』において、「大日本者神國他。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。」と説いてゐる通りである。まことに有難き事實である。

歴代天皇は、御玉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。
われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族すべてが「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから、生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

日本がその長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。天皇國日本を愛し守護する心を養ふことこそが日本國永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。現實政治の浄化も、維新も、神代・天孫降臨への回帰によって實現する。それが神政復古である。

歴史は繰り返すといふが、今日の日本も幕末当時と同じやうに、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。今日の危機的状況を打開するためには、「水戸學」をはじめとする明治維新の精神に回帰し、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」を基本理念とした大変革を断行しなければならないと信ずる。

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2019年5月15日 (水)

松井一郎なる男にも早急に大阪市長そして日本維新の会代表を辞任してもらいたい

北方領土奪還について、「戦争しないと、どうしようもなくないか」と発言した日本維新の会所属の丸山穂高衆院議員に対して、日本維新の会・松井代表は14日午後、「除名処分という結論を出した」と述べた。そして日本維新の会は正式に丸山氏を除名した。そして、松井代表は丸山氏に対して、「自ら議員を辞職すべきだ」と述べた。

 

政治家が、北方領土問題という国家の大事を、その北方領土である国後島において、元島民であるビザなし訪問団の団長との会合で、酒を呑み相当酩酊して論じるなどということはやはりあってはならないことである。

 

丸山氏は東大卒、経産省キャリア官僚、そして松下政経塾出身のエリートだ。与野党、国会議員地方議員を問わず、最近の政治の質の低下はまことにひどいものがある。

 

しかし、今回丸山議員に除名処分を下した日本維新の会の松井一郎代表(大阪市長は)も例外ではない。

 

平成二十五年9月5日に堺市中区のソフィア堺で開催された、堺市長選挙を前にした大阪維新の会タウンミーティングにおけるパネルディスカッションで、仁徳天皇御陵の「世界遺産登録」について「宮内庁がどう言うかはあるけどイルミネーションで飾ってみよう、中を見学できるようにしようと色んなアイデアを出して初めて指定される」と発言した。

 

天皇御陵は、申すまでもなく、天皇陛下の御神霊が鎮まられている清浄なる御墓所であり、聖地である。そこを他の観光施設と同様に考えて、イルミネーションで飾るとは何たることであろうか。不敬であり、皇室そして歴代天皇の御神霊を冒瀆する大逆行為である。

 

これが「維新」を名乗る政党の代表発言であるかと思うと本当に情けなくなる。松井一郎なる男にも早急に大阪市長そして日本維新の会代表を辞任してもらいたい。発言内容は、丸山氏よりもずっと悪質である。

 

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2019年5月 8日 (水)

日本國はまさに今に生きる祭祀共同体である


日本は古代より言葉の真の意味における平和な國であった。伊勢皇大神宮の祭祀とたたずまひほど平和で清らかなものは無い。伊勢皇大神宮に限らず、全國各地の神社・神宮は清浄であり、穏やかであり、美しい。

國全体の祭祀主として、天皇がおはします。日本各地に神社があり、神社が無い共同体は殆どない。天皇は祭祀共同体日本の精神的中心者であり、神社は各地の共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、民は「子」として慈しまれる。

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体が今日においても脈々と傳へられ、現實に生きてゐるところにわが日本國の素晴らしさがある。古代オリエント、古代支那、古代インドは、征服されて祭祀共同体は破壊され、そこに生きてゐた人々は個別化された。つまり日本国と西洋諸国とでは国家の成り立ちが根本的に異なるのである。従って、西洋国家思想である「国民主権論」をわが国の憲法に採用するのは國體隠蔽につながる。

わが國は、地域のみではなく、企業においても神社あるいは祠を立てて神を祭ってゐる。さうした神々は「企業神」と言はれる。企業神は無機質な利益追求の機能集団である企業に倫理的精神的結合を与へてゐる。

日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である。いはゆる自由民主体制は、國民一人一人の高い倫理精神が土台になってゐなければならない、さうでなければ、闘争・破壊・腐敗が蔓延し、國民の幸福は實現しない。ドイツの哲学者ヤスパースは、「自由というものは、神とも道とも涅槃とも、大きな充實した空とも、本然の存在とも呼ばれる超越的存在を私たちが経験する場所としてのみあり得ます」と語ったといふ。(昭和二十七年日本ヤスパース協会への「年頭の辞」・武藤光朗氏著『革命思想と實存哲学』より引用)

道義精神・倫理観のない國家は、権力組織に過ぎない。日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である。さういふ國家に対してこそ、愛國心・國家意識が湧く。愛國心・國家意識は、共に懐かしむことができる歴史意識、傳統精神、道義精神、神話を持つことによって育まれる。

わが日本國民の生活は本来、精神的にも物質的にも、悠久の太古より継承された歴史・傳統・祭祀・信仰に積み重ねの上に形成されてゐる。グローバル化時代などと言はれてゐる今日こそ、その事を正しく認識すべきである。祭祀國家日本の本姿開顕、信仰共同体へ回帰してこそ、真の自由・真の民主政治が實現し國民の幸福が達成できる。

わが國は、ある特定の時代に人為的に作られた國家ではない。神話時代より継承されてきた神聖なる國である。「成文憲法」には、この事が正しく書かれてゐなければならない。

日本の「國生み神話」は、無名の大地の生成ではなく、國土の生成であるところに大きな意義がある。伊耶那岐命・伊耶那美命による國土生成の神話は、大八島國といふ統一した國土が生まれる物語である。そしてその中心の神が、天照大御神であり、天照大御神の靈統の継承者・地上における御代理が日本天皇である。

日本國民の天皇に対する帰属意識は、権力・武力に対する恐れに基づくのではない。従って、西洋傳来の「成文憲法」が「権力への制限規範」であるのならば、さうした「成文憲法」に「天皇条項」があること自体不自然と言へる。現御神・祭祀主であらせられる天皇陛下の御本質への回帰が第一であり天孫降臨・神武建國以来の道統を開顕する事が最も大切である。皇室の御事及び憲法はそこから考へねばならない。

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2019年5月 5日 (日)

上皇陛下、今上陛下の御製を拝し奉りて

今上陛下のご即位を謹しみて寿ぎ奉る。

 

昭和三十四年四月十日、当時中学一年生であった私は、テレビで中継されていた宮中三殿賢所において執行された上皇陛下の「結婚の儀」を拝した。その荘重さ、神々しさに感激したことを覚えている。今日の日本の混迷を救う基礎は、敬神崇祖・尊皇愛国の精神の回復である。

 

日本国の祭り主であらせられる天皇は、「私」をお持ちにならない。ひたすら民やすかれ、国安かれと祈られる。天皇陛下は、新嘗祭において衣冠束帯で二時間正座されると承る。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事を言ふのであり、天皇が日本國の君主であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。

 

天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

 

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

 

祭祀國家・信仰共同体たる日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。それはまさに「やまと歌」によって成立するのである。

 

天皇の即位は、聖なる『日の御子』御生誕であり天降りであり、新たなる大御代の始まりである。肇國(はつくに)・稚國(わかくに)への回帰である。

 

天皇即位の時、天津日嗣の高御座に登られ百官の前にお姿を現される御装束は、日の御子のお姿である。「天津日嗣の高御座」とは、天上の日の神とおられるところと同じ高いところといふ意味であるといふ。また、大嘗祭は、若々しい新生の「現御神御誕生」の祭祀である。

 

今上天皇におかせられては、皇太子であられた平成二十五年十一月二十三日の「新嘗祭」の際、次の御製を詠ませられた。

 

御社の 静けき中に 聞え来る 歌声ゆかし 新嘗の祭

 

静まり返った皇居・神嘉殿に於いて、殿舎の外から聞こえて來る神楽の音色に耳を傾けられつつ、我が国のその年一年の平安と豊作に神への感謝のみ心を静かなる御心で歌に詠まれたと拝する。

 

皇位の継承は祭祀の継承であり、それは現御神日本天皇のご使命・ご自覚の継承である。将来ご自身が皇位を継承され、祭祀を司ることになるといふ秘かなる御自覚・責任感が、まさに静かにそしてゆかしく歌はれてゐると拝する。

 

上皇陛下におかせられては、平成二年、「大嘗祭」と題されて、

父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ

 

と詠ませられた。この先帝陛下の御製も、祭祀の継承をゆかしく詠ませられた御製である。今上陛下は、上皇陛下がこの御製に示された御心と同じ御心を歌はれたと拝する。

 

天皇が即位の大礼を行はれ、大嘗祭を執行されるといふことは、すなはち天皇の神聖性の確認であり、現御神日本天皇の靈統の継承なのである。
    
祭祀と歌会始は日本の伝統を継承する中核行事である。祭祀とやまと歌の道は、日本の道そのものである。その中心に天皇・皇室がましますのである。これがわが日本の國體の精華である。

 

日本伝統精神は、天皇の祭祀を中核として今もなおその生命が伝えられている。のみならず、現実に、今上天皇の常に民の幸福を祈られ自然の命を慈しみたもうご精神とご行動が、人心の荒廃と自然破壊を食い止める大きな力となっている。

 

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。しかし、天皇陛下の清らかなお姿を拝すると、心洗われ、無上の安らぎを覚える。陛下は、まさに「やまと心」・「無私の精神」の体現者であらせられる。天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰であると信ずる。

 

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2019年4月30日 (火)

天皇御即位についてー成文憲法及び政治権力は、天皇を制約し奉り國體の眞姿を隠蔽する権限は一切ない


わが國悠久の歴史は、現御神として君臨あそばされる天皇の御稜威と、天皇を現御神として仰いだ國民の尊皇精神とが支へてきたのである。

天皇は、信仰共同體である日本國の祭祀主であらせられる。権力機構としての國家の権力者ではない。祭祀國家の祭祀主であらせられる天皇の御位の繼承=「皇位繼承」について、権力機構としての國家の行事では断じてない。従って、権力機構である行政府が主導すべきではない。あくまでも皇室の伝統に基づいて執行されるべきである。國體・皇室の根幹の問題はなべて祭祀主=日本の傳統精神の體現者であらせられる天皇様の大御心に帰一しそれに遵ふべきである。臣下・権力機構が決めるべきではない。

「皇位繼承」は、祭祀國家日本の祭祀主に関はること、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體日本の國體に関する神聖なる事柄であり、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』のいふ「政治権力作用としての國政」ではない。占領軍に押し付けられた『占領憲法』などに拘束されて、天皇の大御心を無視するなどといふことは許されない。

天皇陛下は、日本傳統精神の體現者であらせられる。信仰共同體日本・祭祀國家日本の根本に関することは、天皇の大御心に随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基本である。天皇は祭祀主であらせられ、権力者ではない。臣下国民が、天皇の大御心に随順することは、権力者に絶対服従するのとは全く異なる。

皇位継承即ち「天津日嗣の高御座の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、上御一人の御意志をうかがふこともせず、政争が繰り返される権力機構たる議會そして政府で決めるのは間違ってゐる。皇室の重要な事柄・行事を、天皇のご意向を無視して決定し執行することは、政體が國體を規制し、権力が権威を規制し、「俗」が「聖」を規制することになる。これは文字通り國體破壊である。

日本國體は「天皇を中心とした神の國日本」である。國體に関することは、神の御心のまま・現御神日本の天皇の御心に随順すべきである。それが日本の道統である。

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇は断じて「機関」ではあらせられない。天皇國日本の「法」の尊厳性は、「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。何故なら天皇は現御神であらせられるからである。

天皇の正統性は成文憲法によるのではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。戦勝国によって押し付けられた占領憲法の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない

西洋の成文法は、一定の地域で共同生活を営む人間同士が信頼することができなくなり、文章で色々な決め事を書いておかなければならない状況になってから作られるようになったのであろう。

要するに西洋の成文法とは共同生活を営む人間同士の契約文書である。といふことは、人間同士が本当に信頼し合って生きてゐる世の中であれば成文法などは本来不必要だとも言へる。極論すれば成文法は人間性悪説に立脚してゐると言っても過言ではない。

 西洋の成文憲法の淵源とされる『マグナカルタ』(一二一五年、イギリスの封建諸侯が國王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。國王の専制から國民の権利・自由を守るための典拠としてイギリスの立憲制の支柱とされる)は、専制君主と國民との間の不信感に発して作られた契約文書にほかならない。ここから「憲法は権力の制限規範だ」といふ考へ方が生まれた。

 天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家・信仰共同體である日本國には成文法は本来不必要なのである。

 しかし、現実には明治以来、近代國家が建設され、國家権力機構も巨大化し、西洋文化・文明も輸入されてきたため、國民が政治に参与し、且つ権力の圧迫から國民の自由を守るためにも、成文憲法が必要であるといふことになった。つまり、近代以後西洋法思想が日本に入ってきて、日本にも欧米諸國と同じやうな成文憲法が必要であるといふことになった。そこで制定されたのが『大日本帝國憲法』である。

 明治天皇は『大日本帝國憲法及び皇室典範制定の御告文』(明治二十二年二月十一日)に、「茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス。惟フニ此レ皆 皇祖 皇宗ノ後裔ニ貽(のこ)シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス」と示されてゐる。「洪範」とは天下を統治する大法といふ意味、「紹述」とは先人の事業や精神を受け継いでそれにしたがって行なふ意味である。

 『大日本帝國憲法』と『皇室典範』は、天照大神の御命令によって高天原より瑞穂の國に天降られた天孫邇邇藝命以来御歴代の天皇の日本國御統治の大法を実行することを記した成文法なのである。

 國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。天皇國日本の國體は、成文憲法が制定される以前からずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与へられたのではない。

 「成文憲法にかう書かれてゐるから、皇室はかうあらねばならない」とか「天皇はかういふことをされてはならない」と主張するのは本末転倒である。「憲法があっ天皇がゐます」のではなく、「天皇がゐまして憲法がある」のである。

 したがって、成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽すること絶対にできないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。特に成文法によって、天皇皇室を規制し奉ってはならない。成文憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。

 そもそも日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるといふ神話と信仰が古来から今日まで信じられて来てゐる。

 國家を単なる権力機関として見ると、天皇の神聖性・国家の道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそさうした状況に置かれつつある。

 西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらへた「現行憲法」がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るといふことが不可能になる。

 今日においてさらに重大な問題は、神聖君主・日本國天皇が、成文憲法しかも戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」の制約下に置かれるやうになってゐることである。かうしたことは天皇の眞姿を隠蔽するのみならず國體破壊の導火線である。

政府・内閣法制局は、「生前御譲位」を将来にわたって可能にするためには「憲法改正が必要」とした。その理由は「占領憲法」第一条で「天皇の地位は国民の総意に基づく」と定めてゐるので、天皇のご意思で「譲位」されることはこれに抵触するからだと言ふ。だから、「譲位」ではなく「退位」と言ふべしといふのが政府の方針となった。

「現行占領憲法」第四条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。そして「憲法は権力の制限規範である」と言ふ。であるならば、国政に関する権能を有されない即ち権力者ではあらせられない天皇は、「権力の制限規範」の制約を受けられない。
従って、天皇・皇室に関する一切の事柄は、「現行占領憲法」の規定を超越してゐるのである。だから「皇室典範」など天皇・皇室の根幹に関はる事柄を権力機関で議論し決定すべきではない。また一切の皇室に関する事柄について「憲法に違反してゐるかどうか」と議論する必要もない。

天皇・皇室に関する一切の事柄は、日本の傳統的な「神観」「國「國體観」「天皇観」「人間観」に回帰して決定せられ論じられるべきである。

繰り返し言ふ。成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定した制約したり隠蔽する権限は全くない。天皇の「詔」「大御心」が最高最尊の「法」である。

吉田松陰先生は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の生みの御子がしろしめすわが日本國は永遠に不滅である。されば現御神日本天皇の大御心に帰一することによっていかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。

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2019年4月26日 (金)

新たなる天皇が即位されることは天孫降臨の繰り返しである

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族すべてが「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから、生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

女帝は祭祀を行ひ得ないし行ってはならないといふのはわが國の傳統とは相容れない思想であり事實に反する

現御神信仰は古代以来近世・近代に至るまで正しく繼承されてきた。第百十六代・桃園天皇は、

「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞおもふ」

と詠ませられてゐる。
第百十七代・後櫻町天皇は、

「まもれなほ伊勢の内外(うちと)の宮ばしら天つ日つぎの末ながき世を」

と詠ませられてゐる。後櫻町天皇は女帝であらせられる。
後櫻町天皇は第百十五代・櫻町天皇の第二皇女であらせられる。江戸時代の宝暦十三年(一七六三)に即位。

地上において天照大神の御代理としての御資格を有される天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するが、信仰上は、先帝も今上天皇も天照大神の御神靈が体内に天降ってきておられ、全く同じ御資格なのである。御肉身が男性であらせられやうと女性であらせられやうとその御本質には全く変りはないのである。

現實に崩御された天皇の神靈は一旦天にお帰りになる。しかし天にお帰りになった神靈は再び新しい天皇の御身体に天降って来られる。ゆゑに、天照大神の御神靈と一体の御存在であるといふことにおいては、邇邇藝命も神武天皇も歴代天皇も今上天皇も全く同一なのである。天皇を、「天照大神の御魂の入りかはらせたまふ王」と申し上げるのは以上のやうな信仰を表現してゐるのである。

神靈が天皇の御身体に天降り一体となるお祭りが、毎年行はれる新嘗祭である。そして、即位後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭と申し上げる。
 
譲位あるいは崩御によって、天皇の肉身はお替はりになっても、天皇の御神靈=大御命(おほみいのち)は永遠に不滅なのである。新帝の御即位は、天皇の御神靈が新しき肉身に宿りたまひ復活されたといふことなのである。新たなる天皇が即位されることは天孫降臨の繰り返しである。これは永遠の繰り返されるのである。

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2019年4月16日 (火)

元号は天皇の勅定によるといふ千数百年にわたるわが國の伝統が無視されたのは 重大なる國體隠蔽である

日本人の生活は、農耕を基本とし、規則正しく、自然の変化に順応してゐる。そして、日本における暦は、祭祀主であらせられる天皇によって授けられるといふのが伝統であった。

 

一年間の時間の推移、季節の変化は、日本民族の生活と不離一体の関係にある。特に稲作生活において然りである。故に、暦は必要不可欠のものとして大切にされてきた。

 

祭祀國家日本の祭祀主として常に五穀の豊穣・國土の安穏・國民の幸福を祈られてきた天皇が、「まつりごと」の重要なご使命として「暦」を民に授けられたのである。

 

「元号勅定」もこの事と同意義である。「元号」を立てることは、時の流れに節目をつけ、願望と祈りをこめるきはめて高次にして大切なる営みである。しかも、わが國においては、大化以来千年以上の歴史と伝統を持つ。

 

稲作國家日本の祭祀主であらせられる天皇にとって、時代に節目にをつけ、時を授けるのは大切なるご使命であった。

 

これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、國家の新生、維新が行はれてきた。

 

天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではなく祭祀であることは、「元号の勅定」が天皇の「統治権の総攬者」としての「國務・政務」について規定されてゐる『大日本帝國憲法』ではなく、「卽位ノ禮及大嘗祭」などの即位に関はる宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる「登極令(とうきょくれい) 」に規定されてゐることによって明白である。

 

明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝國憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

 

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。そして、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

 

内閣は、新帝即位に伴ふ改元につき、「國民生活への影響を考慮して」「経済界や國民生活の利便性を考へて」即位に先立つ四月一日に政府から新元号を発表することとした。そして、天皇陛下の勅許も聴許も承らず、新しい御代の元号が定められてしまった。これは、君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる内閣によって決められたといふ事であり、元号は天皇の勅定によるといふ千数百年にわたるわが國の伝統が、無視されたのである。重大なる國體隠蔽である。

 

内閣がかかることを行ったのは、「天皇の事前許可を求めれば天皇の國政関与を禁じた憲法に反する」といふ考へ方に基づくと言はれてゐるが、元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではない。「天皇の祭祀」の重要な事柄である。政府も國會も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いてゐる。「現行占領憲法」はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡國憲法である。一刻も早く全面否定しなければならない。

 

明治維新に際して明治天皇が「一世一元」の制を定められ、また昭和五十四年制定の「元号法」においても改元は皇位の継承があった時、とされており、改元は新帝によるものと理解されるべきである。

 

「ついに日本は、天皇が『時間空間』を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時間』を支配する國となった」と極言することも可能である。

 

安倍総理にそのやうな意思は毛頭なかったであらう。安倍総理は「現行占領憲法」下において、天皇陛下を心をうかがふべく出来得る限りの努力をしたと思はれる。

 

報道によると、安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた『現行占領憲法』第四条に抵触しないやう配慮しつつ、「新元号」決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたやうである。天皇陛下、皇太子殿下のご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思はれる。

 

『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

 

しかるに新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったしなかった重大なる伝統破壊である。

 

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

 

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

 

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこえる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

 

元号は、臣下の學者・官僚たちがいろいろ議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。
ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたと言っても過言ではない。

 

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2019年4月14日 (日)

「天 つ 日 継 ぎ の 高 御 座」と は


 
 天皇の国家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈伏せしめ支配するというものではない。国家と国民の統一と調和が天皇の宗教的権威によって保たれるということである。

 天皇の宗教的権威は、天皇が、天の神の地上における御代理として祭りを行われ日本国を統治されるというところから発する。日本神話によると、高天原にいます天の神が地上の日本国を治めるように天皇に委任されたとされている。

 「紀元節」の歌に、「天津日継ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日継ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 「天津日継ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(霊)を継承される」ということである。日本天皇は天の神(それは天照大神であり日の神である)の霊統を継承され、神の御心のままに(神ながらに)日本国を治められるのである。

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・国文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。皇位の継承は肉体的な血統のみによるのではなく、日の神の神霊を継承するという文字通り神代以来の信仰に基づくのである。

 さらに「高御座」について折口信夫氏は「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神秘な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 天皇が高御座に昇られることによって、天上の国と地上の国がそのまま一体になるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。これが支那と異なっている点である。高天原を地上に持ち来たし、日本国を高天原のように清らかにして神聖なる理想国にすることが天皇の御使命である。

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を継承され、御即位の大礼において天津日継ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。大嘗祭は宗教行事であるが即位礼は宗行事ではないなどという議論も全く誤りである。信仰共同体日本の君主の御即位に関わる行事は全て宗教行事としての意義を持つのである。そしてそれは政府と国民の奉仕によって伝統に則って正しく執り行われなければならないのである。  

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2019年4月 2日 (火)

天皇陛下の御名御璽を頂いた法律などを批判した人は「日本人ではない」のか?

「天皇陛下に御名御璽を頂いた『法律』『政令』を批判してはならない」と言う人がいます。中には「批判するとは日本人ではない」と極論する人がいます。

 

そうしますと、国会で可決され、天皇陛下の御名御璽を頂いた法律などを批判した人は「日本人ではない」ということになります。「日本国憲法」を否定し、無効や破棄を主張する人は「日本人ではない」ということになります。

 

さらに言えば、西南戦争で政府軍と戦った西郷隆盛以下薩摩の人々も「日本人ではない」、五・一五事件や二・二六事件で、天皇陛下が任命された総理大臣や政府高官を殺した青年将校も「日本人ではない」ということになります。

 

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2019年4月 1日 (月)

新元号決定について

元号の勅定は、政治権力行為ではなく、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

 

支那においては、易姓革命が行はれたので、各地に複数の王朝が出現したこともあり、元号が同時に二つも三つもあるといふ事態が発生した。しかし、わが日本は、易姓革命は無く、肇國以来萬世一系の天子が日本国を統治あそばされてきた。しかも、南北朝の異変の時でも、いはゆる南朝年号・北朝年号が建てられたが、臣下が元号を建てると云ふことはなかった。また正しく言へば、北朝といふ朝廷はあり得なかった。吉野朝廷のみが正統の朝廷であった。

 

ともかく、元号は天皇の勅定であったといふ千数百年にわたるわが国の伝統が、この度はじめて無視されたのである。由々しき事態である。この度、天皇陛下の勅許も聴許も承らず、元号を定めるのは、犯してはならない伝統が政府によって犯されたのである。君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力者によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されてと言っても過言ではない。まことに由々しき事態である。

 

内閣は、新帝即位に伴う改元につき、「国民生活への影響を考慮して」即位に先立つ四月一日に政府から新元号を発表することとしていた。

 

しかし明治維新に際して明治大帝が「一世一元」の制を定められ、また昭和54年制定の「元号法」においても改元は皇位の継承があったとき、とされており、改元は新帝の大権によるものと理解されるべきである。

 

従って安倍内閣が「経済界や国民生活の利便性」を考えて前倒しで新元号を政府によって公布するのは、臣下の分を弁えず、元号にかかる天皇大権を無視、干犯するものと批判されてもやむをえない。

 

安倍総理にそのような意思は全くないであろうが、「ついに日本は、天皇が時間空間を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時』を支配する國となった」と極言することも可能である。

 

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