2018年2月19日 (月)

天皇の国家統治とはいかなることか

 

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 

 それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいう)とは一体いかなる意義なのであろうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている『文武天皇の宣命』には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 

 『文武天皇の宣命』には「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

 『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

 ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。『大日本帝国憲法』は、明治維新の輝かしい歴史と伝統の所産であった。

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2018年2月15日 (木)

天皇に對し奉り絶対的忠誠を捧げるのが日本国民の最高の「道義」である

 

祭祀は「神人合一」の行事であり、無我になって神にまつろひたてまつる行事である。その最高の実践者が天皇であらせられる。即ち、天皇はわが国において最高の無我のご存在であり、清らけく明けきご存在なのである。

 

信仰共同体・祭祀国家の祭祀主たる天皇は、道義精神の中心であり体現者である。そして、道義の忠臣としての天皇に對し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

 

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

 

倫理(人のふみ行ふべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きてゐるからこそ、人間に倫理が必要となる。言ひ換へれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活するには、倫理が必要なのである。倫理を人倫と言ふのも、人にとって倫理が不可欠だからであらう。わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といはれる所以である。

 

筧泰彦氏は、「日本人の倫理や道徳の根本は、ワレの心としての『清明心』や『正直』や『誠』にあります。西欧で理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本に考へるのとは対照的に。『私』を去り『我』を没することを以て根本と考へてゐるのです。…天皇は、今日の日本人が日本語を日常的に用ゐてゐる限り、自覚すると否とに拘らず、かかる清明心の根源、無我の体現者たるヒトとして、日本族が長い歴史的鍛錬を通じて作り上げた生きた文化の最高傑作であり、最重の傳統であり、日本人の『ミチ』の中心点でありましょう」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

 

天皇の神聖権威(御稜威)による統治と、天皇にまつろひたてまつる国民の尊皇精神・忠誠心が、日本国家存立の原基である。日本国は権力・武力による専制支配によって成立してゐる國ではない。日本が人倫国家である所以である。

 

しかもそれは、神話時代から継承されてきた傳統である。神話に語られてゐる倫理思想は、太古の倫理思想であるのみならず、後の時代に顕著な形で展開されて来た倫理思想である。

 

新渡戸稲造氏は、「神道の教義には、わが民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばるべき愛国心および忠義が含まれている。…それは国民的本能・民族的感情を入れた枠であるから、あえて体系的哲学もしくは合理的神学たるを装わないのである。」「孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友間における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能と認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

 

日本国民が絶対的忠誠を捧げるのは、「滅私奉公」といふ言葉もある通り、「公」に対してである。「公」とは、権力者のことではない。天皇の御事である。天皇に対し奉り、私心なく清らけく明けくお仕へする心、それが日本人の絶対的忠誠心である。私心なく天皇にお仕へする典型、即ち絶対的忠誠心の最高の実践者が、日本武尊であらせられる。絶対的忠誠精神を体現され生涯をかけて行なはせられたお方が日本武尊であらせられる。

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2018年2月13日 (火)

権力機関や政治家が「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は國體隠蔽である

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

 

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

 

そういう意味でも、権力機関や政治家が「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

 

日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

 

また、『現行占領憲法』には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

 

故に、『現行占領憲法』下においても、天皇に対し奉り、「国事行為」以外のこと、即ち、祭祀、皇位継承、譲位、そして「公的行為」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし全く必要ない。

 

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。

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2018年2月11日 (日)

天皇の国家統治と「國見」

 

天皇が行い給う「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する祭祀行事である。

 

「見る」という言葉にはきわめて信仰的な深い意味があるのである。「目は口ほどにものを言い」という言葉もあるごとく、「見る」は対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。

 

荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」(『現御神考試論』)と論じている。

 

感覚器官の中でもっとも発達し精密で大事なのは視覚だと言われる。人間は視覚を通して外界をとらえ、環境に適応する。視覚以外のことについても「見る」という言葉が使はれる。「味を見る」「触って見る」「匂いを嗅いで見る」「試して見る」という言葉を使う。

 

聴覚を表す言葉に視覚を表す言葉が使われる。たとへば「明るい声」「明るい音」「暗い響き」「黄色い声」である。このように、我々の感覚は常に視覚が優越している。それが言語表現にも及び、視覚の上に立った描写の言葉がよく用いられる。事物をありありと描き出すための手法として視覚の言葉が用いられる。

 

「見る」という言葉を使った歌が『萬葉集』には多い。『萬葉集』における「見る」という言葉も、単に視覚的な意味ではない。柿本人麻呂に、

 

「天ざかる夷(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」

 

という歌がある。瀬戸内海を西の方から航行し明石海峡に来たら、故郷の山々が見えたという感激を詠んだ歌。これは単に「見えた」というだけでなく「故郷に近づいた」という感慨を歌った。また、柿本人麻呂が、浪速の港から西の方に向かって航行していく時の歌に,

「ともし火の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」

 

という歌がある。明石海峡を越えていくと自分の故郷である葛城山系が見えなくなるという歌である。このように「見る」ということが非常に大事に歌われている。

 

天智天皇が崩御された時に、倭媛大后は、

 

「天の原ふりさけ見れば大君の御命(みいのち)は長く天(あま)足らしたり」

「青旗の木幡の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも」

「人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも」

 

とお詠みになった。三首とも「見」という言葉が用いられている。

 

天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行われる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀であり、天から降臨された聖なる資格を持つ現御神天皇が、天香具山といふ天から降った聖地に立たれて、国土の精霊や国民を祝福し繁栄を祈られる「まつりごと」である。

 

また「国見」とは、新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が若々しい命を回復し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、現御神たる天皇が天の神から命じられた國土に稲穂を豊かに實らせるという最大の御使命を實現する天皇の統治にとって重大な意味を持つ祭祀なのである。

 

昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏が「昭和の國見ですね」と申し上げたら、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のような御製を詠ませられた。

 

「丘に立ち歌をききつつ遠つおやのしろしめしたる世をししのびぬ」

 

昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」という御題で賜った御歌が、

 

「遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく」

 

である。

 

稲作國家日本の國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願い、豊作を感謝し、そして自然災害が起こらないように神に祈る祭祀を行うことが大きな使命であった。故に、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。天皇の政治と祭祀とは一体であった。これを<祭政一致>という。

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2018年2月 3日 (土)

「天皇の國家統治」とは

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事を言ふのであり、天皇が日本國の元首であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

 

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

 

祭祀國家・信仰共同体たる日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

 

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

 

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

 

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。

 

この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

 

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

 

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

 

日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。

 

天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。さらにいへば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

 

ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

 

 

天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる。「現行占領憲法」においても、天皇は日本國の君主であり元首であり統治者であらせられる。

 

しかし、日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正しさらには國體破壊を防ぐめには、「天皇は、信仰共同体の君主・祭祀國家の祭祀主であらせられ、國家と國民を統治され統合される神聖にして至高の御存在である」といふ古代以来の天皇の御本質を正しく表現する憲法に回帰すべきである。 

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2018年2月 2日 (金)

元宮内庁総務課長・故大野健雄氏の正統なる天皇論

内閣官房副長官といふ官僚の最高位に昇りつめ、政治家としても内閣副総理といふ枢要な地位についた故後藤田正晴氏は、國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではないといふ意識の持ち主であった。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

これは天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國國體を否定し、「現行占領憲法」体制下においても、わが國は立憲君主制であるという自明の理を否定する発言である。

 

後藤田氏はまた、「私が役人になった戦前は天皇制であり、当時は官吏といわれていた。…統治権を構成している一員の立場にあり、一方、國民は被治者の立場にあった。…ところが現在は新しい憲法によって國民主権が確立し、役人は全体の奉仕者つまり國民に対してサービスを提供する立場にある。戦前と比較すれば、主客転倒した関係になった」と述べた。(『政治とは何か』)

 

後藤田正晴氏は、大正三年八月九日生まれ。昭和十四年、東京大學法學部卒。内務官僚であり、軍隊経験もあった。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点に立った後藤田氏がこのやうな発言をしたのである。

 

大正五年生まれで、京都大學法學部卒業、昭和十四年内務省採用、宮内庁総務課長、京都府県警察本部長、近畿管区警察局長を歴任された大野健雄氏の著書『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』の「憲法篇・第四章 天皇は君主である」において次のやうに論じてをられる。

 

「天皇は君主である。当然過ぎる位当然で題名にすること自体如何かと思われるのであるが、君主ではないなどという日本人がいるので事がややこしいのである。それも精神病院にでもいるというのなら話は分るが、一応世間的には學者という事になっている人物なのでまこと慨嘆に堪えない訳である」と論じてゐる。

 

「世間的には學者という事になっている人物」のみならず「世間的には政治家それも内閣副総理といわれた人物」にも、天皇は君主ではあらせられないと思ってゐる人物がゐたのである。まことにもって慨嘆に堪へない。

 

憲法学者の宮沢俊義・清宮四郎両氏が「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」と説いてゐることについて大野氏は、「宮沢、清宮両氏の標識と称するものも…ヨーロッパ諸國の君主について、歴史上見られたと思われるものを抽き出したもので別に大した権威のあるものとは思われず…我が日本の國に適用せらるべき標識とは思われない。」と論じてをられる。

 

ちなみに、宮沢俊義氏のいふ『君主に共通な標識』とは「a独任機関であること b統治権の主要な部分、少なくとも、行政権を有すること、c対外的に國家を代表する資格を有すること d一般國民とは違った身分を有し、多くの場合その地位が世襲であること eその地位に傳統的ないしカリスマ的な威厳が伴うこと f國の象徴たる役割を有すること」であるといふ。

 

大野氏は、「天皇は立法権に対しては日本國憲法第七条の國會の召集権、衆議院の解散権をお持ちになり、六条によって行政府の長たる内閣総理大臣を任命し給い、さらに司法に対しては最高裁判所の長たる裁判官を任命し給う。これ等は統治権の最も重要な部分と言わずして何ぞや。…天皇の権威にして初めて有効になし能うのであって、天皇以外何人もなし得ないものである」

(外國大公使の接受)とは外國の代表である大使公使の信任状の奉呈を受け給うことを含む極めて重要な天皇の大権であり、単なる儀礼的なことではない」

「十九世紀のヨーロッパの覆滅常ならざる諸君主に共通すると称する標識の解釈によってはじめて君主であらせられるのではなく、天皇は太古以来『おおぎみ』にましまし、君主でない天皇など日本國民にとって夢想だにできるものではない」

「前述の標識の如きは、本来天皇が勿論君主であらせられることを大前提としてそれに適合するような解釈を施すべきであり、もしそれが困難な標識ならば標識の方が間違っているものとして捨て去るべきである。…天皇はもとより君主にましまし、わが國は日本國憲法のもとにおいても立憲君主國であって、象徴的君主制ということができよう」と論じてゐれる。まさに正論である。

 

今日、グレートブリテン・北アイルランド連合王國(イギリス)、スウェーデン王國、オランダ王國など自由民主政治が行なわれている國の君主は、言ふまでもなく専制君主ではない。また政治的実権を持っていない。しかし、國民から君主と仰がれてゐる。「政治的実権を持たないから君主ではない」などといふことはない。

 

日本天皇の「憲法上の御地位」は、独任機関であり、國事行為といふ統治権を有し、対外的に國家を代表する資格を有し、一般國民とは違った身分を有し、その地位はいはゆる世襲であり、傳統的な威厳が伴ひ、國の象徴たる役割を有してゐる。現行占領憲法上の天皇の御地位も、宮沢俊義・清宮四郎両氏がいふ『君主に共通な標識』を十分に充たしてゐる。

 

「現行憲法」においても、天皇が君主であり日本國は立憲君主國であるといふことはあまりにも明白な事実である。ただし、わが國を弱体化する事を目的として銃剣の圧力で押し付けられた現行占領憲法の『天皇条項』が日本國體の真姿を正しく明確に成文化してゐるとはいへない。

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2018年1月30日 (火)

「天皇」といふ御稱号の意義

「天皇」といふ御稱号の字義は、「天」は天つ神のをられるところすなはち高天原である。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神をいふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

 

津田左右吉氏は、「推古天皇時代にかういふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである。」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

 

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった。」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる。」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…。」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…。」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

 

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである。」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

 

「天皇」といふ御稱号は、「天の神」を指す言葉である。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

 

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

 

わが國においては、神聖なる君主の御事を「天皇」と申し上げるのであり、成文憲法の規定によって天皇が君主となられるのではないのである。

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2018年1月28日 (日)

絶對尊皇精神について

 

尊皇精神とは、日本國の祭祀主であられ神聖なる君主であられる天皇への「かしこみの心」である。そしてそれは日本人の道義精神の根本である。

 

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを、擧げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、我が國體の完成とともに、而してまたその根柢ともなって成就したものである…そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって…太古人がその素朴純眞な心に有した天皇即現人神の信念こそは、實にその淵源であった」と論じてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

天皇に対する絶対忠誠の心は太古以来今日に至るまで継承されて来てゐる。『古事記』には次のやうなことが記されてゐる。

 

第二十三代・顕宗天皇はその父君市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺したまふた雄略天皇をお怨みになり、その御霊に報復せんとされて御陵を毀損しやうとされ、弟君・意祁命(おけのみこと)にそれを命じられた。だが、意祁命は御陵の土を少し掘っただけであられた。天皇がその理由を尋ねられると意祁命は「大長谷の天皇(雄略天皇の御事)は、父の怨みにはあれども、還りてはわが従父(をぢ)にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今単(ひとへ)に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の陵を悉に破壊りなば、後の人かならず誹謗(そし)りまつらむ」と奉答された。この意祁命のみ心に、天皇に対し奉り絶対的に従ひ奉る尊皇精神がよく表れてゐる。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違ったご命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反対したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐるのである。

 

山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」は、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。されば假に君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

この精神こそが真の絶対尊皇精神である。わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。

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2018年1月14日 (日)

皇室会議について

昨年十二月一日に宮内庁で開かれた皇室会議において、安倍総理は、常陸宮同妃両殿下よりも上座に座っていた。安倍氏が「議長」だということからであろうが、臣下が皇族よりも上座に座るなどということがあっていいはずがない。かかる席順にした内閣・宮内庁の考え方は間違っている。尊皇精神は、日本国民の道義精神の基本である。また権力の頂点に立つ政治家が正しく保持していなければならない精神である。席順を正さなかった安倍総理にも猛省を促す。

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2017年12月30日 (土)

西洋の絶対君主制と日本国体との違いは、京都御所の清々しさ・麗しさと、ヴェルサイユ宮殿の豪華絢爛さとを比較して判然とする

 フランスのヴェルサイユ宮殿は、ルイ十三世の別荘を十七世紀にルイ十四世が拡張し造営した宮殿。宮殿の後ろ側にある広大にして幾何学的構図の美しいフランス風庭園がある。この庭園は、一六六三年にル・ノートルという人が図面を引いて設計し、ヴェルサイユ宮殿を取り巻いていた自然を切り開いて造成された。キリスト教の浸透によって、神が棲む森は神聖であるとか、木に霊が宿っているというような信仰が消え失せてしまったので、森を切り開き、自然を造り替えることに何の恐れも感じなかったのである。

 

 ヴェルサイユ宮殿の庭は、日本の寺院や城郭の庭とは趣を全く異にする。自然と対立し、自然を作り替え、自然に整形美容を施して、庭園にしている。一方、京都の龍安寺・石清水八幡宮・修学院離宮・桂離宮など日本の神社仏閣の庭園は、自然と対立せず、自然を改造せず、自然に即し、自然の美しさを生かした庭園となっている。

 

 穏やかな風土の緑豊かな地に生まれた多神教の神は、自然と一体であり自然の中に宿る。不毛な風土の砂漠地帯に生まれた一神教の神は、自然と対立しこれを支配し征服する神である。日本伝統信仰は、自然の「神のいのち」として拝ろがむ精神を持っているが、キリスト教の自然観は人間は神の命令により自然を征服し支配し改造する権利を与えられているという信仰があるので、庭造りにしても、自然を改造して美しさを作り出すのである。こうした自然観の違いが庭造りにもはっきりとあられている。

 

 『創世記』には、「神いひ給ひけるは、『我等に象(かたど)りて、我等の像(かたち)のごとくに我等人を造り、之に海の魚と、空の鳥と、家畜と全地と地に匍ふ處の諸(すべ)ての昆蟲(はふむし)を治めしめんと』…『生めよ殖えよ、地に滿てよ、地を從がはせよ。又海の魚と空の鳥と地に動く所の諸(すべ)ての生き物を治めよ、…』」と記されている。

 

 この神の命令により、神の形の如く造られた人間は、自然を征服し支配し改造し操作し利用する権利があるとされる。これが西洋における自然改造の手段としての科学技術や機械の発展の精神的基礎であると言える。近代科学技術はこのような自然観を基礎として発達し、それによって人間は便利な生活を享受したが、反面、そのために自然を破壊しつつあることも事実である。

 

 しかし、神への信仰があるうちはまだ、神が創造した自然を、人間の利己的な目的のみのために利用し改造し害することは、神に対する「罪」であるという慎みの心があった。しかし、その天地創造神をすら否定する人が多くなった近代社会においては、そうした心も消え失せ、人間の「幸福」のために自然を改造し破壊してきたのである。それが現代における自然破壊・公害問題の根本原因であると考える。

 

 一方、日本の精神伝統(芸術にも宗教にも文芸にも)は、自然崇拝、自然を神として拝む心がその基本にある。これが日本の精神史の不滅の基礎である。したがって、この自然崇拝の心(人と自然との一体観)という日本の精神伝統に反する外来宗教であるキリスト教は日本に深く根付くことはなかった。  

 

しかし、ヴェルサイユ宮殿を作り権勢と栄華を誇ったルイ十四世は、他人からは「太陽王」と呼ばれ、自ら「朕は国家なり」と言った。これは国土と国民を自分の私有物として支配するということである。己の「私」によって国家を支配し、「私」によって人民を罰する。自分に服従する人民のみを保護し、服従しない人民は迫害する。これを「専制君主」という。ユダヤ教やキリスト教の神が「選ばれたる民」「己を信ずるもの」のみを保護するのと相似である。

 

 これは、「あめがしたしらしめす」(『知る』という動詞に、尊敬の意を表す『す』の付いた語に、さらに敬意を添える『めす』の付いた語。お知りになるという意)「きこしめす」(同じくお聞きになるという意)という<やまとことば>で表現される日本天皇の国家統治の御精神とは全く異質である。つまり、天下の事情そして民の意志をお知りになり、お聞きになるというのが、日本天皇の統治精神なのである。こうした精神は、西洋や支那の絶対専制君主の国家支配とは全く異なる。

 

 ルイ十四世は国家を私物化したが、日本天皇は国家を私物化することを厳しく戒められた。明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇の御即位にあたって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をして之をあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召(おぼしめし)ては、自然御随意の御処置に押移るべく、御在位中は、光格、仁孝の両帝のお定めになったものを、よくよく御守りになるように」と言上したという。このように、日本天皇の国家統治は西洋絶対君主の国家支配とは正反対に「無私の精神」が基本となっていたのである。

 

 皇位の御印として伝えられている『三種の神器』の一つが自己を主張せず一切を映し出す「鏡」であることは、天皇統治が「無私」の精神であることを象徴している。

 

 そもそもフランスのブルボン王朝の国王だけでなく、ヨーロッパ諸国の国王は、封建君主の大なるものにすぎない。日本で言えば徳川将軍である。日本天皇は政治権力も軍事力も有せずして、封建君主たる将軍を任命する御存在であった。

 

 ゆえに、ルイ十四世などの西欧の絶対君主は、日本天皇とは全くその性格を異にする。西洋の絶対君主制と日本国体との違いは、京都御所の清々しさ・麗しさと、ヴェルサイユ宮殿の狂気の如き豪華絢爛さとを比較しても判然とする。

 

 さしものブルボン王朝も一七八九年に起こったフランス革命によって滅亡する。本当か嘘かは分からないが、王妃マリアントワネットは、大臣が「農民に食べるパンがありません」と言ったら「ではケーキを食べればいいではありませんか」と答えたという。革命の時ヴェルサイユ宮殿に押しかけた民衆は殺した衛兵の首を槍の上に刺して王妃の部屋に乱入したという。国王と王妃は六年間の獄中生活の末に断頭台に送られた。その時三十八歳の王妃の髪の毛は真っ白だったという。

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