2017年3月19日 (日)

真の保守とは「國體護持」である

所謂保守政治家と思われている人が実はそうではなかったという人が随分沢山いる。小沢一郎氏、加藤紘一氏、河野洋平氏等はそういう政治家だったと思う。この人たちはみな二世政治家である。即ち、父親が政治家だったから家業としての政治家を受け継いだだけなのである。

 

安倍氏の祖父岸信介氏が安保改定を推し進めた時、衆議院の安保特別委員長としてこれに協力したのが、小沢氏の父小沢佐重喜氏である。この時、小沢佐重喜氏は左翼革命勢力の攻撃にさらされ、湯島にあった自宅にもデモ隊が押し掛けるような事態になった。

 

小沢一郎氏は、父の苦労を見ていたので、岸氏に対して特別の思いがあると思われる。だから、小沢氏はその著書で「戦時中の指導者が戦後政治の中枢に戻ったことは納得がいかない。無責任である」という意味のことを書いた。しかし、戦後日本の復興は戦前の世代の人々の努力によるのである。また、小沢氏の主張を突き詰めれば、「昭和天皇退位論」にもつながるし、大東亜戦争否定論にもつながる。さらに最近の小沢氏は、共産党・社民党などと手を組んで反自民の急先鋒になっている。

 

今日のエリート官僚に多くは、「中道左派」と言われている。戦後の偏向教育を受けて優秀な成績を収めたのであるからそれは当然のことかもしれない。

 

保守とは何かの定義も問題である。ただ現状維持という意味では真の保守ではない。小生は真の保守とは「國體護持」であると考える。尊皇愛国・國體護持の姿勢こそが「保守」であると信ずる。であれば、今日の自民党議員の中にも、そして元自民党の議員の中にも「真の保守」とは言えないような人がいるようである。「天皇に人権はない。譲位などさせるな」「昭和天皇は『A級戦犯』をアメリカに差し出した」などと声高に主張する亀井静香氏はその典型である。

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2017年3月17日 (金)

「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

今上天皇が「祭」について詠ませられた御製を掲げさせていただきます。

 

平成二年

大嘗祭

父君の にひなめまつり しのびつつ 我がおほにへの まつり行なふ 

 

平成十七年

歳旦祭
明け初むる 賢所の 庭の面は 雪積む中に かがり火赤し

 

これらの御製は全て、皇居のおける祭祀の御事を詠ませられている。宮中三殿において、天皇のみ祭りが行われている。皇居は、明治維新前までは、徳川将軍家の居城であったとしても、今日は、まことに以て神聖不可侵の聖域である。

昭和三十四年四月十日、当時中学一年生であった私は、テレビで中継されていた宮中三殿賢所において執行された「結婚の儀」を拝した。その荘重さ、神々しさに感激したことを覚えている。

 

日本は、二十一世紀を迎えた今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現實の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限り続くであろう。

 

こうした事實が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇であらせられる。

 

皇位継承は國家と皇室の最も大事な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同體・祭祀國家日本の根本問題である。権力機関たる行政府や立法府で方向性を決めてしまうべきではない。

 

皇位継承など皇室に関わる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。天皇は、神代以来の傳統の継承者・體現者であらせられる。天皇陛下の大御心に帰一すべきである。天皇の大御心は絶対に「恣意」ではない。

 

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。天皇の仰せごとを「おほみことのり」と申し上げる。天皇の大御心は、日本国における最高の「のり」即ち「最高の法」なのである。

 

天皇國日本の「法」の尊厳性は、「みことのり」「天皇の仰せごと」といふところにある。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威によるのである。

 

また、天皇の正統性は成文憲法によるのではない。まして、日本弱体化・伝統破壊の目的で戦後戦勝国によって押し付けられた「現行占領憲法」によるのではない。

 

現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関することは、國家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の「大御心」に遵うべきである。

 

『承詔必謹』が日本國民の道義精神の根幹である。天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の「大御心」に対し、臣下國民が「清らけき心」「明けき心」で随順し奉ることが、日本國體の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。

 

旧『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関わることは、輔弼の臣の節度ある建言は許されるとしても、すべて「大御心」を根幹にすべきである。「一切は大御心のまにまに」が、臣下國民のあるべき姿勢である。立法府と行政府はこのことを正しく認識すべきである。

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2017年3月14日 (火)

天皇を祭祀主とする祭祀国家日本の本姿を現代において回復することが大切である

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。

 

天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。そしてその祭祀は、自然に宿る神々と皇祖皇宗のご神霊へのお祭りである。天皇は、敬神崇祖の最高の実践者であらせられるのである。

 

祭祀は、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿を回復することが現代の救済につながる。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが現代の様々な危機的状況を打開する方途である。

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2017年3月12日 (日)

日本國は現御神日本天皇を君主と仰ぐ神聖國家である

 天津日嗣日本天皇は権力や武力で國家を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。日の神信仰はわが國だけに傳へられてゐる信仰ではないが、稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はより強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 

 天皇は祭祀主として神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へるご使命を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。

 

 聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

 

 この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。           

 

 天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

 

「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ」

 

といふ御製を詠ませられてゐる。        

 

 天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りといはれてゐる。

 天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を保持される。

 

 大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

 

 日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。つまり御歴代の天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

 大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになった。

 

 日本は、現御神日本天皇を君主と仰ぎ天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

 

 日本の傳統精神・國家観・人間観を隠蔽してゐる元凶は現行占領憲法である。憲法は國家あっての憲法であり、國家理念を正しく規定されていなければならない。

 

 わが國の悠久の歴史の中に築かれた不文の國體に、憲法の条文なり思想が合致してゐなければならない。終戦直後、國際法の禁を破って押し付けられた「現行占領憲法」の無効を確認し、わが國の國體精神に立脚した憲法に回帰すべきである。

 

 今日、外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」が横溢し、わが國の國家傳統の隠蔽し破壊してゐる。そしてそれが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。今回の「天皇陛下の御譲位」をめぐる政府及び國會の動きを見てそのことを切實に実感する。

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2017年3月 5日 (日)

天皇の御地位に関して議會や政府が容喙してはならない

 

天皇の御譲位について國會で議論されてゐる。天皇の御地位に関して議會や政府が容喙してはならない。

 

「現行占領憲法」には「(天皇は・註)國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。天皇及び皇室は、政治権力者ではあらせられないとしているのである。であるならば、「権力の制限規範」である「憲法」に規制されたり拘束される必要は全くない。また、権力機構である衆参両院や内閣が、天皇・皇室に関して容喙してはならい。

 

わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質即ち天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體は建國以来厳然と確立してゐる。これを法律論的に言へば、不文法によって定まってゐるといふことである。故に成文憲法でそれを隠蔽し変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。戦勝國によって押し付けられた「占領憲法」の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉ってゐる今日の状況は一日も早く是正されなければならない。「占領憲法」を否定し、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を正しく成文規定した憲法を回復しなければならない。

 

「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」といふ天皇の御位に関する大事は、天皇陛下の御心を正しく承り、天皇陛下の御心のままに決められるべきである。天皇・皇室の大事について、陛下の御心を無視して、臣下が議論し決めてしまってはならない。

 

わが國の歴史を顧みると、臣下・國民が天皇のご意志を無視したり、否定したり、封じ込めたりした時、國は乱れ亡國の危機に瀕してゐる。

 

数々の不祥事が噴出する最近の政治情勢・國會情勢を見ていると、今の政治家が、皇室典範を論議すること自体、不敬不遜の極みである。

 

昨日も書いたが、、「天津日嗣の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、天皇陛下の御心を正しく承ることもせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは國體破壊である。皇位継承・皇室典範改定・御譲位、國體の根幹に関はることである。天皇陛下のご意志を第一とすべきなのである。政府は、陛下の大御心のままに事を進めるべきである。

 

天皇の「仰せごと」「みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

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2017年3月 4日 (土)

天皇陛下の御譲位の御意向御表明をめぐる衆参両院の与野党代表者の「全体会議」なるものについて

天皇陛下の御譲位の御意向御表明をめぐり、衆参両院の正副議長が、与野党代表者の「全体会議」なるものを参院議長公邸で開いた。

 

その会合に、「日本國體否定」を根本目的とする共産党・社民党の議員も出席していた。由々しいことだ。

 

そもそも、天皇陛下の御譲位について、「國民の総意づくり」「國民の総意の形成」「國民を代表する國會において、國民の総意を見つけ出す」などといふ議論を大前提として、政府が「有識者會議」をつくり「論点整理」を行った上で、衆参両院において意見集約を行ひ、國會での法整備を経て制度づくりに入るなどということ自体、あってはならないことである。

 

天皇・國體の根本について、「國民の総意」を「見つけ出す」「作る」「形成する」などといふことはあり得ない。こうした動きは、日本傳統の破壊であり、國體の隠蔽である。

 

『現行占領憲法』第一条に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とある。「日本國民の総意」はこれから作るものでも形成するものでもない。憲法制定時から存在している。従って「譲位」についてあらためて「國民の総意」を形成する必要はまったくない。

 

ましていわんや、「全体会議」なるものに國體否定の政党に参加させるなどということがあっていいはずがない。はっきり言えば、「国民の総意」の「国民」には國體否定の「国賊」「非国民」は入らない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄たる「皇位継承」「御譲位」は、世俗の法律問題・政治問題ではない。即ち決して「現行占領憲法」が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。天皇・皇室を政治権力や成文法によって、規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。天皇・皇室の御事は、天皇陛下の御心によって全てが定められるべきである。

 

「皇室典範改正」「天皇御譲位」は、天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。皇位繼承とは、神代以来の道統を繼承する天皇の御位に関することである。他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。

 

皇位繼承・天皇御譲位・皇室典範改正など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。而して天皇は、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる。

天皇の御位は『占領憲法』に基づくのではない。わが国肇国以来の伝統即ち『天壌無窮の御神勅』に基づくのである。

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2017年2月25日 (土)

斉明天皇の御事績

斉明天皇の御代、唐新羅連合軍によるわが国への侵攻の危機に際し、斉明天皇の総指揮のもと、わが皇軍は筑紫に向った。

 

第三十七代・斎明天皇は、敏達天皇の皇曾孫であり、舒明天皇の皇后であらせられる。また、第三十五代・皇極天皇の重祚(一度位を退かれた天皇が再び位につかれること)であらせられる。斎明天皇六年(六六○)三月、我が國と友好関係にある百済に、唐・新羅連合軍が電撃的に侵攻し、七月には、百済は敗北した。そして、百済の義慈王は唐の國へ連行されてしまった。九月、百済から我が國に沙彌覚従(さみかくじゅ)などの使者が来て、百済再興のため日本に救援を要請してきた。

 

斎明天皇は詔して、「百済が困窮してわが國を頼ってきました。どうして見捨てることができませうか。将軍たちはそれぞれに命令を下し、前進しなさい。雲のやうに集ひ、雷のやうに動いて敵を倒し、百済の危機を救ひなさい」と、激しい御口調の命令をお下しになった。(『日本書紀』に拠る)

 

斎明天皇七年(六六一年)正月六日、六十八歳となられたご老齢の女帝・斎明天皇の率いる朝廷の軍船は、中大兄皇子・大海人皇子そして妃や王子・王女など全皇族とご一緒に、寒風の中を難波の港を出発して、瀬戸内海を航行し筑前朝倉宮まで赴かれた。率いられる軍船團は、船千艘、兵士二萬七千人であったと傳へられる。

 

三百年近くにわたり同盟関係にある百済救援は当然のことではあったが、戦ひの相手は唐と新羅である。國家挙げての大きな戦ひであった。天皇御自身が戦ひを決意され、御自ら総指揮者として外征のために軍船に筑紫の向かふことは、神功皇后以来のことであったと傳へられる。

 

軍船團は、一月十四日、伊豫熟田津(今の愛媛県松山の港)に船を泊めた。熟田津には、斎明天皇がかつて夫君・舒明天皇と行幸され、禊を行はれたことのある石湯(今の道後温泉)の行宮があった。軍團が伊豫の石湯行宮に寄ったのは、そこで戦勝を祈念する禊(みそぎ)をされるためであった。斎明天皇は出航予定の二十三日まで、しばらくその行宮に滞在された。

 

二十三日夜、斎明天皇は御座船で、御自ら祭主となられて國家的大事の前の戦勝祈願と出航出陣の祭事を執行された。

 

午前二時、空に満月が昇って来て、満潮になった。そして西向きの風も強まった。いよいよ神意にかなふ船出の時を迎へた。まことにも緊迫し神秘的な情景であったと思はれる。

斎明天皇は、祝詞を奏上され、神に祈られた。そして、気迫が漲った次の歌を高らかにお歌ひあそばされた。

 

「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

(熟田津で船出をしやうと月の出を待っていると、潮も満ちてきた。さあ、今、漕ぎ出さう)

 

「船乗りせむと」は、船に乗り込むこと。「潮もかなひぬ」は、船出に都合よく潮が満ちてきたこと。「潮も」とあるから月も望み通り出たことがわかる。この歌の詠まれた時刻について、一月二十三日(太陽暦三月二日)午前二時頃であらうと推定されてゐる。「今はこぎ出でな」の「な」は歌ひ手の意志をあらはす助詞でこの場合は勧誘的用法。

 

 古代の船は船底が扁平だったため、潮が引くとそのまま干潟の上に固定されてしまふので、船出は月が出て潮が満ちて来て船が浮上するまで出来なかったといふ。かがり火をつけた百千の軍船團は神に護られるがごとく月光に照らされながら潮の流れに乗って次々と出航した。それはまことに勇壮な光景であったと思はれる。

 

 潮が満ちて来て船出が可能となった時の緊張した雰囲氣と月光に浮き立つ場面が一体となって生き生きと迫って来る。差しのぼる月とその光、くっきりと照らし出された数多くの軍船、満ちて来る潮が出発の時を告げるのを「今はこぎ出でな」と歌はれて、船出を祝福し航海の無事を祈られると共に、眼前の風景をも雄渾に歌ひあげた感動を呼ぶ御歌である。

 

「やまとことば」特に和歌には靈力がこもってゐると信じるわが國の「言靈信仰」が脈うってゐる御製である。この御歌にこそ、祭り主・日本天皇の大御心が実によく表白されてゐる。

 

 祭祀主であらせられ全軍の最高指揮者であらせられる斎明天皇ならではの御歌である。『萬葉集』の代表歌の一つとなってゐる。

 

天皇は、神と人との間に立ってまつりごとを執行され神の言葉を宣せられる祭り主であらせられる。斎明天皇も祭り主として、航海の無事を祈るまつりごとを執行された。その時に、神のお告げ・御託宣を受けて出発を命令され、御自らを励まされ全軍を叱咤し鼓舞し、船出を祝福された。女性天皇の御歌ではあるが歌柄の大きい氣迫のこもった男性的な御歌である。一種の神憑り状態で御託宣として歌はれたといふ説もある。さうであらうと拝察する。

 

この御製は、『萬葉集』に収められてゐるのであるが、「題詞」(詩歌の詠まれた事情・趣意・作者などを記したことばで、歌の前に置いたもの。詞書)には「額田王の歌」と記されてゐる。しかし、左註(歌の左側に記す注)には、「天皇の御製なり」と記されてゐる。『萬葉集』の研究者の意見も二つに分かれてゐる。この御歌のしらべは、やはり上御一人でなければ歌ひ得ない格調と強さを持ってゐる。また「今は漕ぎ出でな」といふ結句は、全船團に出航を命令してゐるのである。「斎明天皇の御製」と拝すべきと考へる。

 

また、斎明天皇の命を受けて額田王が詠んだとする説もある。中西進氏は、「この緊張したしらべは、託宣のひびきにも似ておごそかであろう。そのとおりに、これは斉明女帝の立場で歌われたものであり、かつ出航をうらなった一首だった。古くは『女軍(めいくさ)』というものがあった。兵力として戦う男性軍に対して、つねに神意をうかがいながらこれを指揮する集團のことである。この傳統に立って、額田王は右の歌を口ずさんだのである。初期萬葉には女歌が多い。それは一つにはのこされた歌が公的な儀礼歌にかたよっているからであり、それには、神と人との中に立って〝ことば〟を傳えるのに女性があたるという傳統があったからである。額田王もその流れにいた。」(『萬葉の心』)と論じてゐる。

 

額田王が実際に詠んだとしても、この歌には、斎明天皇の大御心が表白されてゐることには違ひはない。

 

女性天皇・女性皇族は、祭祀を行ひ得ず、且つ、軍の統率も行ひ得ないといふことは絶対にない。それは、斎明天皇の御事績を拝すれば明らかである。

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天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを舉げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、わが國體の完成とともに、而してまたその根底柢ともなって成就したものであるが、歴史上或は國難その他の非常時局に際し、或は文教や學問の興隆に會って、は發現と高揚とを見せたと言へる。そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって、…太古人がその素朴純真な心に有した天皇即即現人神の信念こそは、實にその淵源であった。」と論じて、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」を挙げてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

さらに村岡典嗣氏は、近世における尊皇道の代表的なものとして、山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」を挙げてゐる。

 

玉木清英は『藻盬草』といふ文章で、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。さればに君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

近年、國體護持・皇室尊崇の念を持つ人々による、皇室・皇族に対する「諫言・批判・苦言」が雑誌新聞などに発表される以前より多くなった。天皇・皇室を仰慕し、国の将来を案ずる憂国の思いからの切言であろうから、これを反國體勢力の皇室批判と同列に論ずることはできない。

 

尊皇愛国の精神篤い人は、天皇様や皇太子様が「自分たちの抱く天皇の理想像」あるいは「天皇様にはこうあっていただきたいという思い」と異なる御発言や御行動をされた時、天皇様や皇太子様を批判の思いを抱くことがある。心の中でそういう思いを抱くことはあるいはやむを得ぬことかも知れない。

 

しかし、天皇皇后両陛下をはじめ皇太子同妃両殿下などの皇族方の御行動・御発言に対し奉り、雑誌新聞などで色々と批判し苦言を申し上げることは如何なものであろうか。何か他の方法にて、諫言申し上げるべきではなかろうか。

 

日々神を祭り、国家国民そして世界の平和と幸福を祈っておられる天皇は、最高に尊い御存在である。生きたもう神であらせられる。天皇陛下以上に国家・国民を思い、その幸福安泰を神に祈られている御方はいないのである。そういう尊貴なるお方に対し奉り、いかなる憂国の士・学識のある愛国者といえども、自分の考え方や、ものの見方や、思想・理論を押し付ける資格はない。天皇・皇族のご意志ご行動が、自分たちの抱く理想像や自分たちの抱く國體思想と異なっているからと言って、天皇・皇族をあからさまに雑誌新聞などで批判するのは慎むべきである。

 

皇位継承・皇室典範改定・御譲位など皇室にかかわる重要な御事については、ます以って天皇陛下の大御心に沿い奉るのが臣下・国民としての姿勢である。皇室の重大事について臣下・国民が真摯に議論し、その結論を天皇陛下に申し上げることは許されても、自分たちの考え方を天皇陛下及び皇族方に押し付けるなどということがあってはならない。

 

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

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2017年2月24日 (金)

天皇尊崇の心と日本の再生

 

 國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。

 

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。

 

 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。

 

 『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く…」と示されている。

 

 「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の体現者であらせられる。

 

 最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

 

 今日のわが祖國日本の道義の頽廃はまさに末期的である。これを打開することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

 

わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと、具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは、分かち難く一體であった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。ゆえに、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方である。だから民から天皇を仰ぐときには、この世に生きたもう神すなわち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、覇者同士による多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正統性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものであった。

 

 天皇が「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

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2017年2月23日 (木)

天皇・皇室と憲法

 

「日本国憲法」第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。

 

天皇を君主と仰ぐ日本國體を否定あるいは破壊せんとする者は「非国民」である。「非国民」はこの条項から一切除外される。従って、日本共産党など「天皇否定」「國體破壊」を主張しそれを目指す政党や集団や人間即ち「非国民」は、天皇・皇室そして日本國體に関わることに意思表示する権利は一切ない。

 

第四条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とある。そして「憲法は権力の制限規範」とされている。

従って、政治権力者ではあらせられない天皇陛下は「憲法」の規制を一切受けない。天皇陛下は憲法を超越したご存在である。「皇位継承」「御譲位」をはじめ。「天皇・皇室」に関わる一切の事柄は、憲法・政府・国会の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・国会は天皇・皇室とそして日本國體に関することに介入してはならない。

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