2018年12月13日 (木)

昭和天皇は「戦争責任」を回避されたことなど一度もない

 

昭和天皇が米國訪問を終へられた昭和五十年十月三十一日、初めての公式記者会見を行はれ時、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答え出来かねます」と仰せになったことについて『国体論 菊と星条旗』という本の著者・白井聡氏は、「この発言に対して多くの人々が驚き、憤慨したが、素朴に読めば、とてつもなく無責任で倫理的不感症を感じさせる発言である」と論じてゐる。

 

しかしこの陛下のお言葉は「天皇陛下はホワイトハウスで『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対しての責任を感じておられるという意味に解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任についてどのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします」といふ記者の質問に対するご回答である。

 

「陛下はご自分に戦争責任があると思っておられますか」といふ質問に答へられたのではない。まさに「言葉のあや」についての質問だったのである。「戦争責任」を「言葉のあや」と仰せられたのではない。

 

昭和天皇はいはゆる「戦争責任」を回避されたことなど一度もない。むしろ積極的に責任を果たされるために、天皇の御位にとどまられたのである。そして「堪へ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」その責任を果たされたのである。

 

小堀桂一郎氏は、「天皇が果たされた戰爭責任は、戰爭の収拾に成功されたといふところまでで本来は竭くされたはずである。驚嘆すべく、畏れ多いことであるが、その責任達成の御努力は、戰後の跡始末の部分にまで及んだ。…戰後度重なる占領軍司令官との御會見、そして六年にわたる全國御巡幸の旅である。戰争の全責任を引受けられ、ついで戰後復興といふ事業にも進んで責任を負擔されたことにより、今上天皇の戰前の二十年の御統治と戰後四十年の國民統合の象徴的御行動とは見事な一貫性・連續性を以て嚴としてつながってゐる」(『昭和天皇論』)と論じてゐる。

 

昭和天皇が、疲弊し困難に立ち向かふ日本國民を鼓舞激励され、國のために一身を捧げた英靈に対して常に慰靈の誠を捧げられた。そのことが、「道義的戦争責任」と言ふよりも「君主として天皇としての使命と責任」を果たし続けられ、ご生涯をかけて國民の幸福と平和の実現を祈られたのである。

 

昭和天皇崩御前年の最晩年の昭和六十三年には、『全國戦没者追悼式 八月十五日』と題されて、

 

「やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど」

 

と詠ませられた。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争に対する「政治的責任」「法律的責任」といふやうな次元ではなく、「日本國天皇としての責任」を深く自覚されておられたのである。根本的には、昭和天皇はご自身のご意志で御位にとどまられてその責任を果たさうとされ、また事實果たされたのである。

 

 だからこそ、その後、昭和天皇は、國民大多数そして諸外國から仰慕され尊敬され続けたのである。 だから、昭和五十年十月三十一日の「御発言」があった直後も、そしてその後も、さらには崩御の時も、昭和天皇に対する国民の仰慕の思ひは高まることはあっても無くなることはなかった。白井聡氏の言ふ「多くの人々が驚き、憤慨した」などといふのは大嘘である。

 

昭和天皇が御不例になられ、昭和六十三年九月二十二日、皇居坂下門をはじめ全國十二ヶ所の宮内庁施設で、「お見舞記帳」が開始されて以来、一般記帳者の数は八百萬をはるかに超へた。

 

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、昭和天皇は宝算八十九歳をもって崩御あそばされた。皇居前など全國の記帳所における記帳者は、一月七日から十六日までの間に二百三十三萬二千七百九十一人にのぼった。一月二十二日から二十四日まで、殯宮一般拝礼が許されたが、三日間で三十三萬九千百人が拝礼を行った。

 

平成元年二月二十四日の御大喪の儀では、御轜車がお通りになる沿道には,氷雨の中五十七萬人余の人々がお見送り申し上げた。日本國民の大多数は、昭和天皇が退位されずに日本國の君主としてその責任を果たされ続けられたことに対し奉り、満腔の敬意を表し感謝してゐたことは、この事實を見れば明らかなことである。

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徳川幕府による朝廷圧迫について

第 一〇八代・後水尾天皇は、徳川家康、德川秀忠の横暴と圧迫に苦慮されながらも、一天萬乗の大君として君臨あそばされ、修學院離宮の造営、學者文人藝術家へのご援助など文化面で大きなお力を示された。「後水尾天皇宸翰『忍』」は、聖護院門跡に傳わるものである。この宸翰は京都岩倉實相院門跡にも傳えられていて、小生も拝観したことがある。この「忍」という御文字には、德川幕府の横暴と不敬行為に対する、後水尾天皇の深い思いが表白されていると拝する。實に力強い筆致である。

 

徳川幕府は、天皇・朝廷を力で圧迫しながらもその権威を利用した。徳川家康及び秀忠は基本的に尊皇心が非常に希薄であった。幕府は徳川政権の持続と正統性の確保のためには、天皇及び天皇の傳統的権威を利用した。しかし、天皇・朝廷を京都に事實上の軟禁状態に置いた。

 

元和元年(一六一五)、幕府は『禁中並びに公家諸法度』を制定し、朝廷と宮家・公家に有史以来未曾有の掣肘を加えた。天皇・朝廷に対し奉り京都所司代が厳しい監視にあたった。江戸時代初期、德川幕府の理不尽なる圧迫を受けられた後水天皇は、「忍」の一字をしきりにしたためられた。私も何年か前に、京都岩倉の實相院だったと思うが、拝観した。

 

後水尾天皇は、

「思ふこと なきだにそむく 世の中に あはれすてても おしからぬ身は」

「葦原や しげらばしげれ おのがまま とても道ある 世とは思はず」

といふ御製をのこされてゐる。

 

江戸時代の朝廷は、德川幕府によって圧迫され掣肘され、迫害されたと言っても言い過ぎではない。故に、財政的にも窮乏した。古代・中古時代のような天皇の御陵を造営することもできず、江戸期の歴代天皇は、京都東山泉涌寺の寺域に造営された仏式の石塔の御陵に鎮まられている。徳川歴代将軍が、江戸の芝増上寺、上野寛永寺の豪華な墓に眠っていることと比較すると、德川氏の天皇・朝廷への態度がいかにひどかったかが、事實を以て証明される。

 

江戸時代の禁裏御料はたったの三萬石であったと承る。それも、家康が、慶長四年(一六〇一)五月、一萬五千石を献上した後、家光が一萬五升四合、家宣が一萬一斗余を献上し、ようやく三萬石余になったといふ。まことに畏れ多いが、地方の小大名並の石高である。

 

幕末になり、幕府権力維持のために朝廷を利用せんとした幕府は、十四代将軍家茂は文久二年(一八六二)に十五萬俵献上し、十五代将軍・慶喜は慶応三年(一八六七)、山城一國に十三萬石を献上した。

 

天皇崩御の際の「布令」を見ると、普請及び鳴物(建築工事及び音楽)の停止は五日間(もしくは三日間)であったといふ。これに反し徳川将軍の死去にあたっては鳴物停止五十日を普通としてゐたといふ。徳川幕府は、天皇・朝廷を敬して遠ざけたなどといふことではない。幕府の権威づけに天皇朝廷は利用したけれども、その實態は天皇・朝廷を理不尽に抑圧し続けたのである。

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2018年12月 9日 (日)

宮中祭祀・皇室祭祀・天皇の祭祀と憲法

宮中祭祀・皇室祭祀・天皇の祭祀が、『現行占領憲法』第八十九条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」に言う「宗教上の組織もしくは団体」の宗教活動ではない。況や特定の宗教を圧迫したり助成するものでもあり得ない。天皇の皇位継承に伴う公的儀式であると位置付けるのが当然である。

 

大原康男氏著『現代日本の国家と宗教-戦後政教問題資料集成』に収録された議事録によると、平成二年四月十七日衆議院内閣委員会における山口那津夫氏に対する答弁で、工藤敦夫内閣法制局長官(当時)は「まず第一に大嘗祭は皇室の行事として行われるもので、国の機関の行為ではないということでございます。その挙行のために必要な費用というものは、大嘗祭が皇位の世襲制と結びついて、一世に一度の儀式として古来から皇位の継承があったときは必ず挙行される、こういうことで行われてまいりました極めて重要な儀式である、そういう面に着目して支出をいたしましても、その支出の目的がその宗教的意義に着目して支するものではないということが一つでございます。そういう意味では、目的・効果論のうちのまず目的の大部分でございます。それから効果としましても、これが特定の宗教への助長、介入という津地鎮祭判決で述べておりますようなそういう効果を有することになるとは到底言えないであろう、かように考えているわけでございます。」

 

さらに平成二年五月二十四日衆議院大蔵委員会における上田卓三氏に対する答弁で河部正之宮内庁長官官房審議官(当時)は「皇室の行事につきましては、明文の根拠を必要とするものではございませんので、法令に違反しない限りにおきまして、皇室の伝統を尊重してこれを行うことができる、こういうふうに考えておるものでございます。大嘗祭は、皇位の継承があったときは常例として必ず挙行すべきもの、こうなっておりまして、一世の一たびの儀式として古来行われてきて極めて重要な儀式でございます。皇位の世襲制に結びついた即位に伴う儀式の一環をなすものとして皇室に伝承されてきたものでございますので、今日ともなお伝統に従ってこれを挙行すべきもの、このように考えております」。

 

さらに、平成二年四月十七日衆議院内閣委員会に置ける光武顕議員に対する答弁で宮尾盤宮内庁次長(当時)は「大嘗祭の費用を宮廷費から支出する理由でございますが、大嘗祭は…皇室の行事として行われることにいたしておりますが、それは皇位が世襲であることに伴います一世に一度の極めて重要な伝統的儀式としての性格があるということでありまして、そういう意味からこの費用は宮廷費から支出することが相当であるというふうに考えておるわけでございます」。(大原康男編著『詳録・皇室を巡る国会論議』)と述べた。

 

平成二年十二月二十一日に「『即位の礼』の挙行について」と題する「政府見解」で「大嘗祭」の意義について「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたもの」であり、、「天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣を祈念される」ことを内容とする「皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である」と説明している。そして、「皇位の世襲制をとるわが國の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然と考えられる」「大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当である」と結論している。

 

今上陛下の御成婚の時、「賢所大前の儀」は『現行占領憲法』にある「国事行為」として執行されたのであるから、この度の御譲位、御即位における「大嘗祭」も國の公的行事として執り行われるべきである。

 

「大嘗祭」は日本伝統信仰の祭祀であり、そうした意味においては純然たる伝統的宗教行事である。そして、「大嘗祭」は、天皇陛下が行わせられる最も大切な公的行事である。故に、政府が、翼賛し奉り国費が使われても、特定の宗教教団を援助し助長したり、特定の宗教教団を圧迫するものではない。このようなことは、これまでのわが国の長い歴史事実が証明している。

 

「大嘗祭」を皇室の公的行事とし、国費を以て賄うことは『現行占領憲法』の「政教分離の原則」なるものに反するなどと批判することは歴史的事実を無視した杞憂である

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2018年12月 7日 (金)

「天皇の祭祀」と『現行占領憲法』の政教分離の規定

 

『現行占領憲法』第二十条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」

とある。

 

 この規定で、「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」などについては、「国及びその機関」の関与を禁止していない。禁じているのは「宗教的活動」だけである。

 

 『現行占領憲法』で言う「宗教的活動」とは「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」(昭和五十二年・津地鎮祭訴訟最高裁判決文)である。これが今日のわが国の司法判断である。

 

「大嘗祭」は、皇位継承にともなう重要な「天皇の祭祀」であり、広い意味で「宗教上の行為、祝典、儀式または行事」である。「宗教教育その他いかなる宗教的活動」即ち「津地鎮祭訴訟最高裁判決文」に言うような「宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」ではないことは明らかである。

 

天皇陛下が日本伝統信仰の祭祀を行われることによって、日本に数多く存在する宗教団体を圧迫・干渉したり助長・促進したりすることは全くない。

 

『現行占領憲法』は「皇位は、世襲のもの」と明記している。(第二条)。「皇位の世襲継承の原則」をうたっているのである。この規定は皇位継承に必然的に随伴する伝統的諸儀式を当然のこととして予想し、包含していると解すべきである。

 

したがって、皇位継承に伴う重要な公的行事である「大嘗祭」に国費が使われても「政教分離の原則」に反するものではないし何ら問題はない。  

 

ともかく、「天皇の祭祀」「皇室祭祀」を普通一般の宗教教団の活動と同列に考えること自体が大いなる誤りである。

 

國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。日本國に即していえば、天皇國日本という我が國の國體は、憲法が制定される以前に生まれ、ずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 

憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。まして況や戦勝國よって押し付けられた『アメリカ製亡国憲法占領憲法』においてをやである。

 

日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならないのである。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 

 また、憲法というものは、「権力の制限規範」と言われる如くあくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるもされないもなく厳然として存在するのである。そして権力者ではあらせられない天皇は「権力の制限規範」たる憲法に規制されることはあり得ない。

 

したがって、憲法及び法律そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。『現行占領憲法』の一日も早い全面的否定が急務である。

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2018年12月 5日 (水)

祭祀は天皇の行われる最も大切な公事である

どんどん日が短くなってきた。十二月末の冬至が次第に近づいている。天照大御神の「天の岩戸の隠れの神話」は、冬至における太陽再生のお祭りという説がある。農耕民族の日本人にとって日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する祭祀・儀礼が行われたと思われる。

 

日本人は太陽神たる天照大御神を主神と仰いでいる。ゆえにすべてにおいて明るく大らかな民族である。「見直し」「聞き直し」「詔り直し」の思想もここから発するのである。天照大御神は、八百万の神々が行われた明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって、天の岩戸からご出現になった。厳しい苦行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないという他の宗教はとは全く異なる日本伝統信仰の特質である。

 

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大御神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

祭祀とは共同体における霊的・宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭祀は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。生きとし生けるものは、一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大御神の再生と共に行われるのである。さらに天照大御神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。

 

今日の日本の混迷状態にあるが、我々国民が一致して再生の祭り即ち一切の穢れを祓い清める維新を行うことにより、天照大御神の地上におけるご代理であらせられる日本天皇の真姿が顕現し、日本国が再生し新生すると確信する。

 

天皇は祭り主であられるが日本の統治者である。統治と祭祀を切り離すことは國體を隠蔽する。「現行占領憲法」はまさにそういう憲法である。

 

皇室祭祀の大祭は、元始祭・昭和天皇祭・神武天皇祭・春秋の皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭である。最も大切なのは新嘗祭である。天皇は潔斎され、ご自身でお供えを行わせられる。大和朝廷発祥の地・纏向遺跡は新嘗祭が行われた形跡があると承る。

 

祭祀は天皇の行われる最も大切な公事である。天皇の祭祀は統治者としての祭りであり、統治と祭祀は一体である。

 

天皇が不断にお祭りをされ国民の幸福を祈られるので、被災地にお出ましになると、国民に勇気と慰めを与えられる。天皇はお祭りだけをされていればいいというのは本末転倒である。

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2018年12月 4日 (火)

「天皇の祭祀」は断じて「私事」ではない

 

 天皇が天下を統治されるところを「都」といふ。天皇は祭祀主として神を祭り、國民の幸福・國家の平安・五穀の豊饒を祈られた。それを「まつりごと」といふ。そして、政治と祭祀は一体であった。天皇の祭祀が行われる宮のあるところであるから、「みやこ」といふ。天皇の行はれる祭祀は断じて私事ではない。

 

 天武天皇の御代までは「一代一宮の遷宮」といって、御代替りごとに皇居も新しく造営された。新たなる祭り主たる天皇が御即位になったら、宮も作り替えなければならなかった。新しき宮に新しき神霊が天降ると信じたからである。しかし、原則的には奈良盆地の東南すなわち大和地方の中に皇居が造営された。

 

 この慣習は、伊勢の神宮の式年遷宮に受け継がれてゐる。日本の伝統信仰・民族信仰の中心神殿たる伊勢の神宮は、二十年毎に式年遷宮が行はれ、神殿を新しく作り替え、御装束・神宝が新調される。式年遷宮を大神嘗祭といふ。神嘗祭とは、その年にできたお米を伊勢の大神にお供へする行事である。新しい宮を造ることによって、祭られてゐる神の威力が更新し増大すると信じられてゐる。

 

 神宮は決して過去の遺物として残ってゐるのではない。わが國の古代民族信仰は今日ただ今も脈々と生き続けてゐる。他の國の古代民族信仰は、キリスト教や回教に滅ぼされて、神殿は過去の遺物となってゐるが、日本伝統信仰は、今日ただ今も日本人の生活の中に生きており、全國各地でお祭りが行はれてゐる。最新の技術を用いた建物などを建設する時も、地鎮祭や上棟祭が行われる。國家元首が伝統信仰のまつりごとを行はれるといふのもわが日本だけである。

 

 アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。イギリス國王はキリスト教會で即位式を行ふ。しかしそれらは民族信仰・古代からの伝統信仰に基づく行事ではない。日本天皇は、御自身が古代以来の日本伝統信仰・民族宗教の祭り主であらせられ、しかも「現行憲法」においても「日本國の象徴」「國民統合の象徴」といふ事実上の「國家元首」であらせられる。このやうに國はわが國だけであらう。だからこそわが國の國體を万邦無比といふのである。日本國の中心地にして四方を山に囲まれてゐることが皇都の大原則であった。

 

 天武天皇の御代になると、國家の運営や外國との関係、宮殿の規模や官僚機構の肥大化などにより、「一代一宮」の制度は、事実上困難になった。また大化改新の後、唐の政治法律制度を見習ったので、唐の都を模した都を建設することとなった。そして、天武天皇は、都を御一代毎に遷都するのではなく、恒常的な新京造営を計画された。持統天皇はその御遺志を継がれて藤原京を御造営あそばされたのである。藤原京の造営によって「一代一宮制」は廃止になった。

 

 藤原遷都は、持統天皇八年(六九四)十二月である。藤原京は奈良県橿原市高殿町一帯を中心として九百二十メートル四方。中央に内裏がある。大内裏・朝堂院・大極殿を中心に中央政府の官庁が造られた。そして官僚の家族の住む家ができ、一万人位の官僚およびその家族が住んでゐた。その周りに一般の人々が住む家ができた。藤原京は、元明天皇の御代の和銅三年(七一〇)に奈良に遷都されるまで十六年間続いた。

 

 藤原京は、今日は無くなってゐる。しかし、藤原京跡地には大極殿跡が残ってゐる。そこに立つと今でも萬葉時代と同じ眺めすなわち大和三山と吉野の山々を眺めることができる。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。近代日本は、様々な苦難に遭遇しながらも世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。

 

しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>が大切である。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。「天皇の祭祀」は決して「天皇の私事」ではないし、押しつけられた「占領憲法」に規制されないのである。 

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2018年12月 3日 (月)

「天皇の祭祀」について

 後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のような御製を詠ませられた。

 

「伊勢   

 にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

 

第一〇三代・後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震などがあり、國民は疲弊し、朝廷の衰微も極に達した。崩御になられた後、御大葬は行はれず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだといふ。この時もまた未曽有の國難であった。この國難に際して、後土御門天皇は御宸筆の「般若心経」を伊勢の皇大神宮に奉納し、聖算長久、武運安全、兵革静謐を祈願された。

 

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、そうであればこそ、上御一人日本天皇は、神の祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。 

 

今上天皇におかせられても、國民と苦難を共にせられ、国民の幸福・国家の安泰そして世界の平和を神に祈られる祭祀につとめられてきた。

 

『現行占領憲法』に規定された「政教分離」とはある特定の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰と政治の関係とは全く異なる次元の原則なのである。

 

我が國伝統信仰=祭祀はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰行事である。それは我が國伝統信仰が國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

だからこそ、日本伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

今日、『現行占領憲法』の「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=祭祀を排斥する勢力こそ、排他独善の教義・思想を信ずる勢力なのである。

 

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の君主として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。

 

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2018年12月 2日 (日)

天皇を祭祀主・君主と仰ぐ日本國體について


 

三島由紀夫氏は、祭祀國家と政治機構としての國家について次のように論じている。

「ネーションというものは祭祀國家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。……ラショナル(四宮注・合理的)な機能を統治國家が代表して、イラショナル(非合理的)なイロジカル(非論理的)な機能はこの祭祀國家が代表している。ぼくの考えるよき國家というのは、この二つのイロジカルな國家とロジカル(論理的)な國家が表裏一體になることがぼくの考えるいい國家なんです。…天皇でなければだめなんです。どうしても祭祀國家の大神官がいなくちゃならんですね。」(『尚武の心』所収・村上一郎氏との対談「尚武の心と憤怒の抒情」)

 

「統治國家は遠心力とすれば祭祀國家は求心力であり、前者を空間的國家とすれば、後者は時間的國家であり、私の理想とする國家はこのやうな二元性の調和、緊張のはらんだ生ける均衡にほかならない」「祭祀的國家はふだんは目に見えない。ここでは象徴的行爲としての祭祀が、國家の永遠の時間的連續性を保障し、歴史・傳統・文化などが繼承され、反理性的なもの、情感的情緒的にものの源泉が保持され、文化はここにのみ根を見いだし、眞のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートス(四宮注・民族社會に共通な精神)の國家の首長が天皇である。」(「『變革の思想』とはー道理の實現」)

 

日本國の素晴らしさは、古代に生成した天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家が今日に至るまで解體したり断絶したりすることなく今日まで連綿として続いていることである。わが國は神話の時代のままに、高天原から天降られた天照大御神の「生みの御子」の使命を現身の形でそのまま受け継がれる天皇を現實に日本國の元首・君主と仰いでいることである。こういう貴い國は世界の何処を探しても見当たらない。

 

そしてその信仰共同體・祭祀國家は、単に理念的な存在もっと言えば架空にして抽象的な存在ではなく、山紫水明麗しい大自然に恵まれ稲作を中心とする農耕そして漁業などを営み、村落共同體から民族共同體へと生成発展してきたのである。

 

日本神話は天皇中心の日本國體を、「豊葦原千百秋之瑞穂國は、天照大御神生みの御子すなわち日本天皇の統治される國」と表現したのである。

 

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家・信仰共同體國家であってこそ、國家への忠誠心も持つことが出来るし、國民としての道義精神と真の遵法精神を持つことができるのである。

 

ゆえに、神代以来連綿として続いてきた天皇國日本というわが國體の尊厳性を守るというのがわが国に於ける最高の遵法精神なのである。日本國立國の基礎であり成文法の基盤である天皇および天皇中心の國體の尊厳性をお護りする精神が最も大切である。

 

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚しているところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのではない。

 

また「現行占領憲法」において、天皇は「政治的権能を有しない」と規定されている。天皇陛下は「権力者」ではあらせられないということである。であるならば、天皇陛下に対し奉り、「権力の制限規範」とされる「成文憲法」が掣肘する事があってはならないのである。

 

天皇に対する尊崇の心・國體を護持しようという精神を國民が喪失すると、日本は日本でなくなり、日本國民は日本國民でなくなり、國は解體し、精神的に荒廃して行く。今日の日本はまさにそういう状況になってきつつある。日本の道義の頽廃は國民の尊皇精神が希薄になっているところにその原因がある。

 

わが國においては、國家への忠誠心と天皇尊崇の心は一體である。道義の回復も國防體制の確立も政治の安定も経済の再建も、天皇尊崇の精神が正しく回復されなければ不可能である。

 

悠久の太古から自然に生成されてきた天皇を中心とする麗しい信仰共同体である祖國日本が破壊され隠蔽され、人工的・人為的な利益國家・契約國家・権力國家にわが國が成り果ててしまうことは何としても阻止しなければならない。そのためには、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ日本國體を隠蔽する一切の事象を祓い清めねばならないのである。

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2018年12月 1日 (土)

祭政一致とはいかなることかー天皇の日本國家統治の本質

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものであった。

 

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。国民主権といふ概念とは全く無縁なのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。このことは敗戦後戦勝国によって押し付けられた「占領家憲法」の規定などとは全く関係ないことである。

 

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、今世紀の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

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日本における「生きた神話」=<天皇の祭祀>が現代を救う

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭・大嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、近代の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。

 

しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

混迷する現代日本は、崩壊の危機にあるといわれている。よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。

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