2018年4月 2日 (月)

昭和天皇の御聖徳

 

 

立憲君主体制下にあった戦前の日本において、法治主義を厳守することが天皇の御意志であった。昭和天皇は木戸幸一内大臣に「自分は…余りに立憲的に処置し来たりし為に、如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て、いま少し陛下はすすんでご命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり…」(児島襄氏著『天皇』第五巻)と仰せになった。

 

「大日本帝国憲法」の政体規定における「天皇」は、「統治権の総攬者」ではあらせられたが、「天皇を輔弼し其の責に任ず」る国務大臣の決定に干渉できないお立場であられた。「総攬」とは、「一手ににぎり収めること。統合し掌握すること。

 

天皇は、責任ある輔弼者の決定に異議を唱えこれを否定されることは憲法違反となった。天皇は国務事項即ち政治権力を行使せられるにあたっては、国務各大臣の輔弼を受けられなければならなかった。(『帝国憲法』第55条『国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』)

 

天皇は、輔弼機関の決定を不可とされることはできなかった。また、国政の一切の責任は国務大臣にあって、天皇は責任を問われることはなかった。

 

 

東條英機氏はかねて「『敵の法廷に立つ如きは日本人として採らざる処』と、戦争犯罪人として裁かれるよりは自決を決意していた。『元来、戦争責任者はあっても戦争犯罪者はいない。而して、それは(天皇)陛下ではない。…東條一人というならば、これは世界的にも明らかで良し……自分は皇徳を傷つけぬ。日本の重臣を敵に売らぬ。国威を損しない。ゆえに敵の裁判はうけない』。東條大将は、陸軍副官美山要蔵大佐にそう述懐していた。自分が引責して自決する、という意向である。『「生きて虜囚の辱を受けず」との「戦陣訓」を制定したのは自分である、ゆえに召還を受ければ自決する』と反駁した」。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

「東久邇宮内閣は東條大将自決未遂を知ると、九月十二日朝、閣議を開き、戦争犯罪人を日本側で裁くことを決めた。…東久邇宮首相が参内してこの『自主裁判』決定を上奏すると、…『敵側の所謂戦争犯罪人、ことに所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地なきや』と仰せになった。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

大東亜戦争が侵略ではなかったのであるから、戦争犯罪などが問われる理由はない。それが根本である。

また、戦争責任と戦争犯罪とは異なる。戦争責任は決して処罰の対象ではない。昭和天皇は、道義的責任は強く自覚しておられた。毎年の戦没者慰霊式への御臨席、靖国神社などでの御製を拝すれば明白なり。とりわけ、最後の御臨席のあのお姿を拝すればあまりにも明白である。

 

戦争直後においても、国民大多数の昭和天皇及び御皇室への尊崇の心は全く変化はなかった。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦ふ道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救ひたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けてゐたなら、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであらう。それを救はれたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のやうに歌はれてゐる。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、といふまさに神のごとき無私・捨身無我のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の現御神としての御本質を仰ぐ事ができる。マッカーサーとのご会見において、この捨身無我の神のごとき大御心が発現したのである。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌はれてゐることである。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいといふ、普通一般の国家ではない。日本独自の国柄即ち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體が正しく継承されてゐなければ日本国とは言へない。国柄を守ること無くして真の日本国の存続はあり得ないのである。

 

夜久正雄氏は、「天皇様は『国がら』を守りぬかれたのである。この天皇様のお心にしたがふことが、国民の側からの『国柄』である。天皇さまが国民のうへを思ひくださるお心をあふいで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらがあるのである」(『歌人・今上天皇』)と論じてゐる。

 

日本のやうに三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら日本は日本でなくなるのである。

 

 昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌ひになったのは、このかけがへのない日本国の國體が護持するために、たとへどのような苦難があらうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝する。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌はれていることで明白である。昭和天皇は、ご自分が「戦犯」として処罰されても、天皇を君主と仰ぐ国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。

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2018年4月 1日 (日)

「天つ日継ぎの高御座」「皇位継承」について

 

 

 天皇の国家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈伏せしめ支配するというものではない。国家と国民の統一と調和が天皇の宗教的権威によって保たれるということである。

 

 天皇の宗教的権威は、天皇が、天の神の地上における御代理として祭りを行われ日本国を統治されるというところから発する。日本神話によると、高天原にいます天の神が地上の日本国を治めるように天皇に委任されたとされている。

 

 「紀元節」の歌に、「天津日継ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日継ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 

 「天津日継ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(霊)を継承される」ということである。日本天皇は天の神(それは天照大神であり日の神である)の霊統を継承され、神の御心のままに(神ながらに)日本国を治められるのである。

 

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・国文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。

 

皇位の継承は、血統と共に、日の神の神霊を継承するという文字通り神代以来の信仰に基づくのである。

 

 さらに「高御座」について折口信夫氏は「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神秘な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 

 天皇が高御座に昇られることによって、天上の国と地上の国がそのまま一体になるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。これが支那と異なっている点である。高天原を地上に持ち来たし、日本国を高天原のように清らかにして神聖なる理想国にすることが天皇の御使命である。

 

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を継承され、御即位の大礼において天津日継ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。大嘗祭は宗教行事であるが即位礼は宗教行事ではないなどという議論は全く誤りである。信仰共同体日本の君主の御即位に関わる行事は全て日本伝統信仰に基づく宗教行事としての意義を持つのである。そしてそれは政府と国民の奉仕によって伝統に則って正しく執り行われなければならないのである。  

そしてそれはあくまでもご奉仕するのであって、政治権力や成文憲法が、ご譲位・即位の大礼・大嘗祭を規制したり干渉することがあってはならないのである。

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2018年3月28日 (水)

天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない

天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない

 

『現行占領憲法』には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

 

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

 

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

 

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできない。

 

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。

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2018年3月10日 (土)

〈日本の伝統信仰・天皇の祭祀〉が今日の混迷を打開する

 

天皇は、大嘗祭をはじめとした宮中祭祀において、天照大御神をはじめとした天神地祇、瑞穂の霊、歴代の皇霊を祭られる。日本人の自然を大切にする心と潤ひのある衣食住の基本には、全てを神として拝み、神として祭る心がある。その最高の実行者が、和歌を詠まれ、農事を行はれ、祭祀を行はれる日本天皇であらせられる。

 

天皇の祭祀は、五穀の豊穣・國民の平安を祈られる。また、わが國伝統信仰に基づく儀礼であって、日本國の成立と共に行はれてきた。それは『記紀』に記された歴代天皇の御事績を拝すれば明らかである。

 

したがって、天皇の祭祀は私事ではないし、単なる先祖祭でもない。信仰共同体日本の根幹であり最も大切な公事である。日本國家生成の根源である。

 

戦後日本の「弱体化」「伝統否定」の中で、天皇および皇室は、祭祀主・宗教的権威としての天皇の本質を軽視し隠蔽されて来た。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子の真姿への回帰・天皇の御本質の開顕が根本である。

 

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考へる。

 

日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない。

 

橘曙覧(たちばなのあけみ。幕末の歌人。越前國の人)は、

 

「利(くぶさ)のみむさぼる國に 正しかる日嗣のゆゑを しめしたらなむ」

 

と詠んだ。

 

科学技術の進歩と営利至上主義が生態系を破壊しつつある今日、自然と共に生き自然を大切なものとして拝ろがむ精神の回復が必要である。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。科学技術文明・近代合理主義に依拠し、利益と進歩のみを求め欲望と便利さの充足を至上の価値とし、自然を造りかへ破壊して来た近代の傲慢さに対する歯止めとして、天皇を祭祀主と仰ぐ日本伝統信仰の祭祀が大きな価値を持つ。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。天地自然の神々の復活が現代の救済であり世界恒久平和の基である。

 

伊勢の神宮、皇居の森、明治神宮の森をはじめとして全國各地の「鎮守の森」は、現代社会において人々の魂を清め、精神を清浄化する場として、大きな価値を持ってゐる。〈日本の伝統信仰・天皇の祭祀〉が今日の混迷を打開する。

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2018年3月 7日 (水)

わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている

 昨日も書いたが、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行われる祭祀を中核として、他の地方的な祭祀が全國的に統一されることによって実現したのである。これが天皇國日本の成立である。日本國は権力者の武力によって統一された権力國家ではない。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生まれた國である。

 

 古代日本の統一とは祭祀的・信仰的統一であり、日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の精神的な共同体である。

 

 したがって、日本という國家は権力者が國民を支配するための機関すなわち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。

 

さらに、天皇國日本は、世界の多くの國々のような征服や革命によって人為的に成立した國家ではない。だからわが國の國体を「萬邦無比」というのである。

 

「天皇制と民主主義は矛盾する。歴史の進歩にしたがって天皇制はなくなるし、なくすべきだ」と考える人がいる。こうした考えは、悠久の歴史を有する日本國を否定し破壊する考え方である。そして、こうした考え方に妥協して、いわゆる「民主主義」といわゆる「天皇制」を何とか矛盾なく結合させようとする考え方がある。「現行占領憲法」の「天皇条項」はそうした考え方によって書かれていると言えるのかもしれない。

 

「占領憲法」に象徴される「戦後民主主義」(欧米民主主義思想と言い換えてもよい)なるものが如何に日本國を堕落させ破壊したかは、今日の日本の現状を見れば火を見るよりも明らかである。

 

我々は日本を亡國の淵から救い、立て直すために、「戦後民主主義」を是正しなければならない。そして、「戦後民主主義」の是正は、日本の伝統的國家観・政治思想の復興によって行われるのである。言い換えると、日本國體精神が「戦後民主主義」是正の原理なのである。

 

 日本國は決して「占領軍や共産主義勢力が目指した民主國家」になってはならない。日本國は天皇國である。「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)は決して善でも正義でも真理でもない。日本にとって百害あって一利無き亡國思想である。欧米民主主義を建国以来理想として来た国がアメリカであるが、そのアメリカにおいて黒人の奴隷制が行われていた。

 

国家を権力機構とみなし、君主と人民は対立する関係にあるとする「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)と「天皇制」との結合などということは全く必要のないことであるし、また不可能なことなのである。

 

 ただし、わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。国民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが国においては、古代より国民を「おほみたから(大御宝)」ときた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

 歴代の天皇は、すべて国民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」戸しての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの国民に限りない仁政を垂れたもうたのである。

 

 国民の幸福を実現する政治制度という意味で「民主政治」「民主主義」という言葉を使うとするなら、わが國の天皇統治はまさにそういう政治制度を生み出す根幹なのである。

 

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、民主政治の基本が示されている。

 

 葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外国の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治しそうであった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

 

 昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった」と仰せになられた。天皇の国家統治は、「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。

 

 天皇の国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、明治維新断行後において、帝国議会が開設され『大日本帝国憲法』が施行されたのである。

 

近代に於いてのみならず、古代日本においても、国民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

 天皇が国民の幸福を祈られる祭祀を執行され、国民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、国民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇のまつりごとにこそ、真の民主政治のである。

 

天皇は常に国民の幸福を祈られ、天皇統治とは国民を意志をお知りになることが基本である。わが國は天皇が民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされる君民一体の国柄である。これこそ真の民主政治でなくして何であろうか。

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2018年3月 2日 (金)

天皇の國家御統治はの根幹は祭祀・歌・武である

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき。」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて平定された。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきたのである。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成されたのである。

 

その「神武」の御精神を歌はれた神武天皇の御製が

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

である。

 

夜久正雄氏は、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

御歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

第四十五代・聖武天皇は、

 

ますらをの行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに思ひて行くな丈夫(ますらを)の伴

(ますらおの行くべき道だ。いい加減に思って行くな。ますらをたちよ、といふ意)

 

 と詠ませられた。

 

天平四年に、節度使(聖武天皇の御代、天平四年および天平宝字五年の二度、東海・南海・西海道にそれぞれ設置された軍隊の訓練、軍備充實の役割を果たした職)を諸道に遣はされた時の御歌である。この時節度使となった者即ち東海東山二道の藤原房前、山陰道の多治比眞人(たじひのまひと)、西海道の藤原宇合(うまかひ)が宮中で御酒を賜った時の御製である。玉音豊かにお詠みあそばされたと御推察申し上げる。聖武天皇は、仏教を尊崇し、各地に國分寺・國分尼寺を建て、奈良に大仏を造立された。それとともに、丈夫の行くべき道・あるべき姿を示されてゐる。天皇の臣下を思はれ、國の礎が揺るぎなさを示される雄渾な機略を感じさせる。これは、御歴代の天皇御製に傳来する特質であり、君民一體の國柄が麗しく歌はれてゐる。

 

『萬葉集』の「皇神のいつかしき國、言霊の幸(さき)はふ國」とは、上代祖先の國民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。日本天皇の國家御統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐるのである。

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2018年2月27日 (火)

宮中祭祀について

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。宮中祭祀は、現代に生きる神話である。

ミルチャ・エリアーデは「神話とされるものは、〝かのはじめの時〟に起こったある出来事や、その時に生きていた人物について語られただけではなく、原初の出来事、原初の人物と直接、間接に関係を持つすべてもまた神話なのである。…神話はその性格の如何にかかわらず人間の行動に対してだけでなく、人間自身の条件に対しても常に、先例であり、範例である。」(『聖なる時間・空間』)と論じでゐる。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本の神話は、天皇の祭祀によって生きた現實として太古より今日まで継承されてきてゐる。世界に國家多しといへども、建國以来、國家元首が祭祀を行ひ続けてゐる國は日本のみである。

 

宮中祭祀は、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。

 

新嘗祭をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・國家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖靈を祀る行事である。今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科學技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。科學技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

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2018年2月26日 (月)

皇后陛下の御歌を拝し奉りて

皇后陛下は、色々な御苦労を重ねられつつ、天神地祇への祈りを深められ、皇后様としてのご使命を果たして来られた。恐懼のほかはない。皇后陛下は、宮中祭祀への伺候をはじめ「皇后」としてのご使命を果たされるべくつとめてこられた。

 

皇后陛下の御歌を拝すれば、皇后陛下が、日本傳統精神そして皇室の傳統を常に重んじられ、回帰されつつ、皇后としての尊き道を歩まれてをられるがか分かる。

 

平成十五年  皇后陛下御歌

出雲大社に詣でて

國譲(ゆづ)り祀(まつ)られましし大神の奇しき御業(みわざ)を偲びて止まず

 

平成十三年

外國(とつくに)の風招(まね)きつつ國柱(くにばしら)太しくあれと守り給ひき

この御歌についての宮内庁ホームページの説明には「明治の開國にあたり,明治天皇が広く世界の叡智に學ぶことを奨励なさると共に,日本古来の思想や習慣を重んじられ,國の基を大切にお守りになったことへの崇敬をお詠みになった御歌。明治神宮御鎮座八十周年にあたり,御製,御歌の願い出があったが,六月に香淳皇后が崩御になり,今年の御献詠となった。」とある。

 

平成十一年

結婚四十年を迎えて

遠白(とほしろ)き神代の時に入るごとく伊勢参道を君とゆきし日

畏れながら、「遠白(とほしろ)き神代の時に入るごとく伊勢参道を君とゆきし日」の御歌は、「今即神代」「神代即今」といふ日本傳統信仰の基本精神を、つつましくも清らかに歌はれた御歌と拝する。

 

平成八年

 終戦記念日に

海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたのみ靈(たま)國護(まも)るらむ

 

平成五年

 御遷宮の夜半に

秋草の園生(そのふ)に虫の声満ちてみ遷(うつ)りの刻(とき)次第に近し

 

平成三年

 立太子礼

赤玉の緒(を)さへ光りて日嗣(ひつぎ)なる皇子(みこ)とし立たす春をことほぐ

この御歌は、皇太子殿下は、天照大御神の靈統を継がれる御方であるといふ古来の傳統信仰すなはち現御神信仰を歌はれたのである。

 

平成二年

 明治神宮御鎮座七〇周年

聖(ひじり)なる帝(みかど)にまして越(こ)ゆるべき心の山のありと宣(の)らしき

この御歌についての宮内庁ホームページの説明には「この御歌は,明治天皇の御製『しづかなる心のおくにこえぬべきちとせの山はありとこそきけ』を拝してお詠みになったものです」とある。

 

   御即位を祝して

ながき年目に親しみしみ衣(ころも)の黄丹(に)の色に御代の朝あけ

 

「日の御子」とは「日の神すなはち天照大御神の御子」といふ意味である。「日嗣(ひつぎ)の御子」と同じ意義である。天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神」であらせられる。

 

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の歌には「やすみしし わが大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと…」と高らかに歌ひあげられてゐる。「四方をやすらけくたいらけくしらしめされるわが大君、高く光る日の神の御子、神ながらに、神にますままに、…」といふほどの意である。この歌は、古代日本人の現御神日本天皇仰慕の無上の詠嘆である。

 

「高光る 日の御子 やすみしし わが大君」といふ言葉は、『古事記』の景行天皇記の美夜受比売(みやづひめ)の御歌に最初に登場する。現御神信仰は、わが國古代以来今日まで繼承されて来たてゐる。

 

歴代天皇そして皇太子は、血統上は天照大御神・邇邇藝命・神武天皇のご子孫であり血統を継承されてゐるのであるが、信仰上は今上天皇も皇太子もひとしく天照大御神の「生みの御子」であらせられるのであり、天照大御神との御関係は邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も皇太子も同一である。  

 

皇后陛下は、昭和三十五年、「浩宮誕生」と題されて、

 

あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏れつつ抱(いだ)く

 

と詠ませられてゐる。ご自分のお産みになった御子ではあるけれども、「高光る 日の御子」であらせられるがゆゑに、宝の如く畏れつつ抱かれるといふ、まことに崇高なる御心をお詠みになったと拝する。

 

皇后陛下は、神話時代以来の「現御神信仰」を正しく受け継いでをられるのである。

 

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2018年2月25日 (日)

日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展・革新を遂げてきた

 祭祀國家日本の祭り主であらせられる日本天皇は、常に國民の幸福を祈られるのであるから、國民と相対立する存在ではないし、日本天皇は國民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。國民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を國民に示し、また國民の意志を神に申し上げ、國民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり君主と民は「和」と「共同」の関係にあるのであり、「対立関係」ではない。こうした天皇中心の日本の國柄を「君民一體の日本國體」というのである。

 

 このような日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。ところが他の國では、太古の王家も古代國家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた國家は権力國家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同體が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同體を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力國家・武力支配國家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同體國家が、外國からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の國なのである。皇室祭祀だけでなく、全國各地で一般國民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇・皇室であることはいうまでもない。

 

 今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。こうした事実が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。

 

 わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が敵国の爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家の本質が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

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2018年2月19日 (月)

天皇の国家統治とはいかなることか

 

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 

 それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいう)とは一体いかなる意義なのであろうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている『文武天皇の宣命』には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 

 『文武天皇の宣命』には「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

 『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

 ともかく井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。『大日本帝国憲法』は、明治維新の輝かしい歴史と伝統の所産であった。

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