2017年8月 8日 (火)

天皇の「祭祀」「無私の大御心」が日本國民の道義の規範

 

 國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。

 

 日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の継承者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

 

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。

 

日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。

 

人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。

 

 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の継承者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く」と示されている。

 

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられるのである。

 

 最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

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2017年8月 7日 (月)

天皇の国家統治と『国見』

 天皇の「國見」とはただ単に景色を眺められるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇国家統治の御事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)と言ふ。

 

荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じられてゐる。(『現御神考試論』)

 

 天皇が「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。           

 

 昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

 

 「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

 

 昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

 

 「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」

 

である。

 

 農業國家・稲作國家であった古代日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことがことが大きな御使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを<祭政一致>と申し上げる。

 今日においても、天皇陛下におかせられては各地を行幸され視察される。この行事は今日における「國見」(現御神として國土と國民を祝福される行事)であると拝する。

 日本天皇、権力によって國を支配されてゐるのではなく、現御神としての宗教的・祭祀的権威即ち御稜威(みいつ)によって國家を統治されてゐるのである。天皇は全國各地を御行幸されることによって「國見」をされ、日本各地の産土の神(うぶすなのかみ・土地を守る神)鎮守の神々を祝福され鎮められ、國土の新生と國民の幸福を實現されるのである。

 また、「國見」によって天皇の靈と各地の國魂(産土の神・鎮守の神)とが一体となって結ばれる。これを「魂触り」(タマフリ)といふ。この「魂触り」によって、天皇の神聖なる國家統治の霊的お力が益々増幅されるのである。これを「食國天下のまつりごと」といふ。先帝昭和天皇におかせられても、全國を御行幸あそばされ國民を祝福された。これがわが國の戦後復興の基となったのである。今上陛下におかせられても、その道統を継承されておられるのである。先帝陛下・今上陛下が、全国を御行幸あそばされ、国民を励まされたことは、今日における『国見』である。「天皇陛下は皇居で祭祀を行わせられてゐればいい」という意見があるが、『國見』の意義を正しく理解していない意見であると思う。

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2017年8月 5日 (土)

現御神信仰は今日においても「生きた真実」である

 わが國の伝統的な天皇信仰・現御神信仰を表白した歌が、『萬葉集』の代表歌人・柿本人麻呂の次の歌である。

 

 大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほらせるかも

 

 「大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の廬を結んでおられることだ」というほどの意。持統天皇が雷の丘にお出ましになった時に、人麻呂が現御神信仰を高らかにうたいあげた歌。

 

 「雷の丘」は奈良県高市郡明日香村にある雷神が祭られている丘。雷神が住んでいたという伝説のある神の山・聖なる山である。「いかづち」とは「厳槌」の義で、雷鳴は神が巨大な槌を転ばす音であると信じられた。「いほらせるかも」とは、直訳すれば「仮の庵を結ぶ」意であるが、この歌の場合は、天皇が祭り主として聖なる神の山・雷の丘で國見をされ祭事を齋行されることをいう。つまり、「いほり」とは「齋」(いつき・斎戒<心身を清めて言行・飲食などの行為をつつしむこと>して神をまつること)の意味である。

 

 「國見」とは、単に國土を望見されるというのではなく、天皇が國土を眺望され國土の繁栄と五穀の豊饒を祈る祭祀儀礼であり、天皇が國見をされることにより國土は新生する。古代人にとって「見る」とは魂の結合を意味した。

 

 この歌は、「聖なる山の上でまつりごとをされる天皇は、この世における神であられ、あらゆる神霊を従えたもう御稜威(神聖なる霊的威力)輝く御存在である」といふ現御神信仰即ち天皇信仰を歌っている。この信仰は人麻呂個人のものではなく、萬葉人即ち古代日本人に共通する信仰であった。神を祭られる天皇はこの世における神であるというのが日本人の現御神信仰である。

 

 また、自然を神として拝んだ古代日本人は「雷」も神として仰いだ。それが後世の天神(菅原道真の御霊を祭った神社)信仰につながる。「神」という漢字は、祭りの対象の意味を表す「示」(神への捧げ物を置く台の象形文字)と、音を表す「申」(稲光の象形文字)とからなる形声字である。つまり、古代支那においても、雷を天の神と考えたのである。

 

 人麻呂はまた別の歌で「やすみしし わが大君 高光る 日の御子」と歌っている。「四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子」というほどの意で、天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれるという現御神信仰を高らかにうたいあげている。

 

 天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は高天原からの天津神から継承されている神聖なという意で、「日嗣」は天照大神から伝えられた「日霊」を継承するという意である。 天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されることとなるのである。

 

 天皇は血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

 地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まっている。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

 この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。   

 

 神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従えられる御存在であるというのが萬葉人以来の日本人の信仰であった。それは今日においても自然な日本伝統信仰として生き続けている。

 

 昭和天皇は、昭和三十五年に、

 

 さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる

 

と歌われ、同三十四年には

 

 あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り 結ぶこの朝

 

と詠ませられている。

 

この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

 

 平成十一年十一月十二日、皇居前広場にて『天皇陛下御即位十年をお祝いする國民祭典』開催された。夕刻になると強い雨が降り出したが、開會して両陛下お出ましの直前にその雨が止んだ。まことに不思議な事実であった。天長節・新年の皇居参賀など様々な行事の時も、そして地方行幸にお出ましの時にも、外國御訪問の時にも同様のことが起こる。これは人麻呂が歌った通り、天皇が自然神を支配し且つ自然神が天皇に奉仕している証拠である。

 

 天皇が現御神であらせられるということは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。           

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2017年8月 2日 (水)

現御神信仰について

 

日本人が古代から抱いてきた現人神(あらひとがみ)思想=現御神(あきつみかみ)信仰は、天皇がイエス・キリストのやうに海の上を歩いたりする超人であるとか、全知全能の絶対超越神であるといふ信仰ではない。

 

日本物語文學の祖とされる『竹取物語』(成立年代不明・作者不明)では、かぐや姫に求婚した天皇が「天竺の宝物を持って来てくれ」などといふ難題を言ひかけられて大いに悩まれることが記されてゐる。日本人の現御神信仰が天皇は絶対無謬の御存在であり全知全能の神とする信仰であったら、古代においてこのやうな物語が生まれるはずがない。 

 

和辻哲郎氏は、「(天皇が神聖な権威を担ふといふ傳統、皇統が天つ日嗣として神聖であるといふことは・註)この傳統を担っている現人をそのまま神化しようとするのではない。従ってそこには天皇の恋愛譚や、皇室内部における復讐譚などを数多く物語っている。これらは天皇の現人性を露骨に示すものと言ってよいであろう。しかしかく現人たることなしに現人神であることはできない。現人でありながらしかも現人たることを超えて民族的全体性の表現者となり、その全体性の根源から神聖な権威を得てくるということ、従ってこの権威はただ一系であり不易であるということ、それを記紀の物語は説き明かそうとしたのである。」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。

 

現御神あるいは現人神とは、読んで字の如く、現実に人として現れた神といふことである。人でありながら神であり、神でありながらながら人であるお方が、祭り主であられる日本天皇なのである。それを名詞で表現したことばが現人神・現御神なのである。 

 

そしてこの場合の神とは、キリスト教や回教の神のような超自然的・超人間的な神なのではない。だから現御神であらせられる天皇御自身、神仏に祈願を込められ、天皇の御名において神々に御幤を奉られるのである。

 

葦津珍彦氏は〈現御神日本天皇〉の意義について次のやうに論じてゐる。「天皇おん自らは、いつも過ちなきか、罪けがれなきかと恐れて御精進なさっている。天上の神になってしまって、謬つことなき万能の神だと宣言なさった天皇はない。…現御神とは、地上において高天原の神意を顕現なさる御方というのであって、決して無謬・無過失の神だというのではない。」「現人神というのは人間ではないというのではない。人間であらせられるからこそ、皇祖神への祭りを怠らせられないのである。天皇は、神に対して常に祭りをなさっている。そして神に接近し、皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断に努力なさっている。天皇は祭りを受けられているのではなく、自ら祭りをなさっている。祭神なのではなくして祭り主なのである。その意味で人間であらせられる。けれども臣民の側からすれば、天皇は決してただの人間ではない。常に祭りによって皇祖神と相通じて、地上において皇祖神の神意を表現なさるお方であり、まさしくこの世に於ける神であらせられる。目に見ることのできる神である。だからこそ現御神(現人神)と申上げる。」(『近代民主主義の終末』)。

 

 現御神(現人神)日本天皇は、天つ神・皇祖神の御子としての神聖なる権威を担って、目に見える人の姿として、現実に地上に現れられた神であらせられる。そして、皇祖天照大神の住みたまふ天上界(高天原)と地上とは隔絶した関係ではなく、常に交流してゐる関係にある。

 

 日本人の傳統信仰は、皇祖神と天皇の関係ばかりでなく日本の神々と一般國民も種々の形で交流し、両者の間に超えがたい区別などはないのである。神はしばしば人の姿をとって現実世界に現れ、人の口を借りて神意を傳へんとする。

 

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろひ奉る御方であり、神のみ心を伺ひ、それを民に示される御方である。また民の願ひを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。

 

「祭る」とは無私になって神にまつろふといふ事であり、祭る者が自分を無にして祭られる者=神に従ふといふ事である。「祭り」とは神人合一の行事である。

天皇が祭り主として「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐ時には「この世に生きたまふ神」すなはち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

天照大神と天皇の関係は、単に、天照大神が天皇の御祖先であり天皇は天照大神の御子孫であるといふ関係だけではなく、天照大神の神霊が天皇のお体に入り、天皇が天照大神の御意志(地上に稲を実らせること)を地上(豊葦原の瑞穂の國=日本)において実現するといふ関係である。日本天皇は日本の神々の中で最高の尊貴性を持たれる天照大神の「生みの御子」として地上に現れられたお方であらせられるのである。

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2017年7月31日 (月)

天皇の国家統治の意義

 

                  

 天皇の国家統治の「統治」という言葉は言うまでもなく漢語である。これを<やまとことば>で言えば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまい民もまた天皇の御心を知る」ということが「統治」なのである。祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の国家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本国が成立する。

 

 萬葉集歌人・大伴家持はその長歌で、「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の國には…」(四0九四)と歌っている。

 

現代語に訳せば、「この豊葦原の瑞穂の國を、高天原より天降られまして御統治あそばされました皇祖邇邇藝命から御代を重ねられ、天津日嗣として天の下を御統治になった御歴代の天皇の御代御代、治められたこの四方の國は…」というほどの意である。

 

 さらに萬葉集には、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代」(はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)とか「高市岡本宮御宇天皇代」(たけちのをかもののみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)と記されている。

 

 天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるという雄大なる神話的発想に基づくのである。人為的に権力・武力によって民と国土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって国民と国土を治めるというのが天皇の国家統治である。

 

 <やまとことば>ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言う。天皇が民の心を聞かれるという意味である。

 

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本国の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたと拝する。

 

 『古事記』には仁徳天皇の世を聖帝の世というと記されている。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、聖帝と讃えられた。

 

 日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の注)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。

 

また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「聖」の字義について「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という論じている。

 

 一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 

 また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるという。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁している人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきわめて重要である。これを知っている人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」という意味でもある。

 

 『萬葉集』に収められた「近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麿朝臣の作れる歌」という長歌の冒頭に、「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを…」とある。これは「(『玉だすき』は畝傍にかかる枕詞注)畝傍の山の橿原に都を開かれた日知りにまします(神武天皇の注)御代以来、(『つがの木』はつぎにかかる枕詞注)この世に降臨された現御神はことこどくみな天下を御統治になられたが…」というほどの意である。ここにも「日知り」という言葉が登場する。

 

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

 

先帝昭和天皇陛下は、

 

 さしのぼる朝日の光りへだてなく世を照らさむぞ我がねがひなる

 

 とお詠みになっておられる。これは文字通り、<日の御子><現御神>としての神人合一の無上の御境涯を高らかにお詠みになった尊い御製であると共に、「昭和天皇は、昭和二十一年元旦の詔書において『人間宣言』をされ、天皇は神から天皇になった」などという議論が全く誤りであることを証明する御製である。

 

 ともかく、日本伝統の「ひじり」についての考えと支那の「聖」という字の意義とが結合して「聖帝」という考えが生まれたのである。このように民の心を知りたまい(しろしめす)聞きたまう(きこしめす)ことが天皇の国家統治の基本なのである。 

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2017年7月30日 (日)

現御神信仰と皇位継承

後櫻町天皇御製に拝する『天津日嗣』の御精神

 

第百十七代・後櫻町天皇御製

 

「まもれなほ伊勢の内外(うちと)の宮ばしら天つ日つぎの末ながき世を」

(どうかお護り下さい。伊勢の内宮外宮の神よ。天津日嗣日本天皇が統治する永遠の日本國を)

 

後櫻町天皇は、第百十五代・桜町天皇の第二皇女。江戸時代の宝暦十三年(一七六三)に御即位。

 

 「天津日嗣」とは、「天照大御神の靈統を継承する御方」といふ意である。天皇の神聖性はここより発する。「日」は「天照大御神の神靈」の御事である。

 

わが國悠久の歴史は、現御神としての御自覚で君臨あそばされた大君と、天皇を現御神として仰いだ國民とが支へてきたのである。天皇は地上においては天照大神の靈統の継承者・御代理としての御資格を有される。この御製はそのご自覚を高らかに歌ひあげられた御歌と拝する。

 

影山正治氏は、「(天津日嗣は)『もっもと大いなる日〈ひ〉を継ぎつづける日本國の中心の御方』といふ意味である。『生命』─『いのち』の核心は『ひ』であり、『人』は『日子(彦)』と『ひ女(姫)』に分れる『ひ止』であって『ひのとどまったもの』であり、『ひを継ぎつづけること』によってこそ存在するものであるが、そのうちでも、最も中心的な、最も大いなる『ひ』を継ぎつづける日本の中心をなす『大生命』が『あまつひつぎ─天皇』の御存在である。」(『天皇の御本質』・「不二」昭和五十五年緑陰号)と論じてゐる。

 

女性天皇も、現御神即ち地上に現はれられた生きたまふ神であらせられる。肉身においては女性であられても、天津日嗣を継承される現御神であらせられるのである。臣民もまた、「人」としての靈統は、男女の差別は全くなく継承されるのである。「人」は、「日子」であり「日女」であるといふのが神代以来のわが國の傳統信仰である。

 

 

平野孝國氏は、「(天津日嗣の)ツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と思ってよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、宮廷のツギは日を修飾にして、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義である。」(『大嘗祭の構造』)と論じてゐる。

 

天皇は、先帝の崩御によって御肉體は替はられるが御神靈は新帝に天降られ再生されるのである。ただしその御肉體・玉體・御血統は皇祖皇宗から繼承されなければならない。

 

昭和天皇は、『昭和二十一年元旦の詔書』に於いて「神格」を否定されたなどといふ論議があるが全く誤りである。先帝昭和天皇も、今上陛下も、祭祀を厳修せられてゐる。この貴い事實は、戦勝國アメリカの占領軍の無理強ひによって発せられた『昭和二十一年元旦の詔書』が「人間宣言」であったなどといふことを根底から否定する。

 

昭和天皇おかせられては、昭和三十四年、『皇太子の結婚』と題されて、

 

あなうれし神のみ前に日の御子のいもせの契りむすぶこの朝

 

と詠ませられてゐる。「日の御子」とは「日の神すなはち天照大御神の御子」といふ意味である。「日嗣(ひつぎ)の御子」とも申し上げる。昭和天皇におかせられては、天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神である」との御自覚はいささかも揺らいでをられなかったことは、この御製を拝すればあまりにも明白である。

 

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の歌には「やすみしし わが大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと…」と高らかに歌ひあげられてゐる。「四方をやすらけくたいらけくしらしめされるわが大君、高く光る日の神の御子、神ながらに、神にますままに、…」といふほどの意である。この歌は、古代日本人の現御神日本天皇仰慕の無上の詠嘆であり、現御神日本天皇のご本質を高らかに歌ひあげてゐる。

 

「高光る 日の御子 やすみしし わが大君」といふ言葉は、『古事記』の景行天皇記の美夜受比売(みやづひめ)の御歌に最初に登場する。現御神信仰は、わが國古代以来今日まで繼承されて来たてゐるのである。

 

歴代天皇そして皇太子は、血統上は天照大御神・邇邇藝命・神武天皇のご子孫であり血統を継承されてゐるのであるが、信仰上は今上天皇も皇太子もひとしく天照大御神の「生みの御子」であらせられるのであり、天照大御神との御関係は邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も皇太子も同一である。

 

昭和天皇はさらに、昭和三十五年に『光』と題されて、

 

さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわがねがひなる

 

と詠ませられてゐる。「さし昇る朝日の光が差別することなく世を照らすことこそ私の願ひである」といふほどの意と拝する。

 

鈴木正男氏は、この御製について「まことに堂々たる天津日嗣天皇の大みうたである。…一天萬乗の至尊にしてはじめて述べることのできる御製である。いかに昭和天皇が皇祖皇宗の示された大道を畏み給ひ、御歴代中最も苦難な御一代を通じて、その御重責をいかに御痛感遊ばされてゐたかを示す御製である。」と述べてゐる。(『昭和天皇のおほみうた』)

 

昭和天皇は、現御神として君臨あそばされてゐるといふ御自覚は決して失っておられなかったのである。『昭和二十一年元旦の詔書』において昭和天皇は「人間宣言」をされたなどといふことは全くの絵空事である。「現御神信仰」は今日においても「生きた真実」である。

 

この二首の御製は、天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるといふ御自覚を歌はれてゐるのである。

 

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が『昭和二十一年元旦の詔書』においていはゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどといふ説が大きな誤りであることが分かる。

 

天皇の即位は、聖なる『日の御子』御生誕であり天降りであり、新たなる大御代の始まりである。肇國(はつくに)・稚國(わかくに)への回帰である。天皇即位の時、天津日嗣の高御座に登られ百官の前にお姿を現される御装束は、日の御子のお姿である。「天津日嗣の高御座」とは、天上の日の神とおられるところと同じ高いところといふ意味であるといふ。また、大嘗祭は、若々しい新生の「現御神御誕生」の祭祀である。

 

今上陛下におかせられては、平成二年、「大嘗祭」と題されて、

 

父君のにひなめまつりしのびつつ我がおほにへのまつり行なふ

 

と詠ませられた。皇位の継承は祭祀の継承であり、それは現御神日本天皇のご使命・ご自覚の継承である。

 

天皇が即位の大礼を行はれ、大嘗祭を執行されるといふことは、すなはち天皇の神聖性の確認であり、現御神日本天皇の靈統の継承なのである。天皇が「神格」を否定されることはあり得ないし、不可能なことなのである。

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2017年7月29日 (土)

天皇の国家統治について

天皇が日本国を統治されるのは、日本国の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものにその所を得さしめることである。明治天皇の『天下億兆一人も其處を得ざる時、皆朕が罪なれば、…』(明治元年三月十四日に示された『明治維新の御宸翰』)という御精神こそ天皇統治の本質であると拝する。

 

 さらに明治陛下はその御宸翰で、『朕身骨を労し心志を苦め艱難の先に立ち、古列祖の盡させ給ひし蹤を履み、治蹟を勤めてこそ、始て天職を奉じて、億兆の君たる所に背かざるべし』と仰せになっている。

 

 日本天皇は、『朕は国家なり』と言うような国家国民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本国に君臨されているである。故に天皇は常に無私の心で統治されるのである。

 

無私の心とは神の御心のままということである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したという。

 

 天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

 支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝はは民衆を上から見下ろし支配すると考えている。

 

しかしわが国においては、天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、国土もまた天の神が生みたもうたのである。

 

天皇は一大家族国家・祭祀国家の祭祀主であらせられ君主であらせられる。簡単に言えば支那においては、天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては、天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。日本と支那とは国家の成り立ちと歴史が全く異なるのである。

 

 祭祀主日本天皇が君臨され、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。

 

 混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

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2017年7月24日 (月)

日本は古代からの信仰共同体が今日も続いている

 

 

 祭祀国家日本の祭り主である日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主なのであるから、国民と相対立する存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり君主と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本国体」というのである。

 

 このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

 そして二十一世紀を迎えた今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家君主と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を君主と仰ぐ共同体精神があるからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇であらせられる。

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2017年7月21日 (金)

「絶對尊皇精神」と「名を惜しむ心」を詠んだ山上憶良と大伴家持の歌

 

山上憶良は次の歌をのこしてゐる。

 

「士(をのこ)やも 空(むな)しかるべき 萬代に 語り繼ぐべき 名は立てずして」(九七八・男児たるものが空しく朽ち果ててよいものか。いつまでも語り傳へられるに足りる名は立てないで)

 

 山上憶良は大宝年間に遣唐使として渡唐した。學問は漢和に亘り、聖武天皇が東宮の頃に侍講として奉仕し、筑前守となり、大伴旅人の知遇を受ける。七十歳で帰京、七十四歳で亡くなる時の辞世がこの歌である。

 

 名を立て、名を惜しみ、名を重んずる心が歌はれてゐる。憶良が病に沈み最期が近くなった時に胸中からほとばしり出た男子の本心を歌った慷慨悲憤の辞世である。憶良は名をあげる機會に接しなかったことを悲しんでゐる。しかし憶良は、かうした歌をのこしたことによって、名を後世にのこすことができた。人の胸を打つ歌である。彼がいかに自分の名をあげやうと努力してゐたかが窺はれる。「身を立て名をあげ やよ励めよ 今こそ別れめ いざさらば」といふ『仰げば尊し』の歌詞に通じる精神である。

 

聖武天皇の天平五年(七三三)のある日、憶良を見舞った藤原八束(不比等の第二子・房前の第三子。大納言。後の摂関家は全て八束の門から出た。この歌のときは二十代後半から三十代と推測される)の使ひに謝して後、憶良は暫くして涙を拭って悲しみ嘆じてこの歌を口ずさんだといふ。七十四歳の人生を振り返っての感慨である。春秋に富む藤原八束への激励であったかもしれない。 

 

わが國の武士道の徳目の一つに、「廉恥(心が清らかで、恥を知る心がつよいこと)心」があった。日本人は名誉を重んじ恥辱を殊の外嫌ふ。憶良の歌はその精神を詠んだのである。

 

この山上憶良の慷慨悲憤の辞世に熱血児・大伴家持が感動し憶良の歌に追和して詠んだ歌が次の歌である。

 

「丈夫(ますらを)は名をし立つべし後の代に聞き繼ぐ人も語り繼ぐがね」

(四一六五・丈夫は名を立てるべきだ。後の世に傳へ聞く人も語り傳へてくれるやうに) 

 

大伴家持は奈良時代の『萬葉集』の代表的歌人。旅人の子。奈良朝末期の人。地方、中央の諸官を歴任。晩年は中納言・東宮太夫。歌は繊細、優美を基調とし、すぐれた技巧と抒情性を示し、萬葉末期を代表。『萬葉集』中、歌数が最も多く、その編者といはれる。養老二年(七一八)~延暦四年(七八五)。 

 

家持は藤原氏の権勢が強まるに中にあって、神代以来の名門の悲運を身に負った人生であった。さうした生涯にあって、神ながらの精神・日本の傳統精神を守らうとし、私権を以て世を覆はむとする者たちに對して悲憤して止まなかった。 

 

大伴氏は、遠祖・天忍日命(あめのおしひのみこと)が天孫・邇邇藝命御降臨に際して、武装して供奉してより、代々武を以て朝廷に奉仕した。古代の中央豪族。大和朝廷の草創期に来目部・佐伯部などの集団を統宰して朝廷に仕へ、「大連」となり軍事力を担った有力な氏族である。壬申の乱には大海人皇子方に属した。御行・安麻呂・旅人は大納言に昇進した。

 

武門の名門たる大伴氏が『萬葉集』と深い関はりがあるのは、言を向けることが平定であったといふ古代信仰による。「言」とは言霊の力である。物部の「もの」の力である。

 

天平感宝元年(七四九)五月十二日、大伴家持は越中の國守の館で『陸奥の國より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌』(四〇九四)を詠んだ。

 

「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」と日本國の肇國から歌ひ起こし、「…大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負()ひ持ちて 仕へし官(つかさ) 海行かば 水漬(みづ)く屍 山行ば 草生(むす)屍 大君の 邊()にこそ死なめ 顧みは せじと言立(ことだて) 丈夫(ますらを)の 清きその名を いにしへよ 今の現(をつづ)に 流さへる 祖(おや)の子どもぞ…大君の 御門(みかど)の守護(まもり) 吾をおきて また人はあらじと いや立て 思ひし増(まさ)る 大君の 御言の幸の 聞けば貴み」と歌った。

 

聖武天皇は、天平二十一年(七四九)四月一日に、東大寺に行幸され、わが國からはじめて黄金を出した喜びを橘諸兄に仏前に報告せしめ、この年の四月十四日を以って天平感宝と改元された。

 

その時の『宣命』で、聖武天皇は特に大伴一族の大伴佐伯のことに触れられ、「大伴佐伯宿禰は常にもいふ如く天皇(すめら)が朝(みかど)守り仕へ奉ること顧みなき人等(ども)にあれば、汝(いまし)たちの祖(おや)どもの言ひ来らく、海行かばみづく屍、山行かば草むす屍、王(おおぎみ)のへにこそ死なめ、のどには(静かには、穏やかには)死なじ(「のどにはしなじ」で無駄死にはしないの意)と言ひ来る人等(ひとども)となも聞こしめす。」と称賛された。

 

これに感激して、家持がこの『陸奥の國より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌』を詠んだのである。佐伯氏は、大伴氏の別家で、武力を以て朝廷に仕へた名族。大伴氏と祖を同じくする。「海ゆかば 水づく屍 山行かば草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ…」には、大伴一族の「いかなることがあらうとも、天皇の帰一し、天皇の御為に、天皇のおそばで死にたい」といふ戀闕心・勤皇精神が歌はれてゐる。大君のそばで倒れるのは武士(もののふ)たるものの当然の帰結としてゐる。

 

「み民われ・武人」たる者の心を言ひ尽くしてゐる。これは、大伴氏のならず、全國民的な殉忠の精神をうたひあげた言葉となってゐる。「大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」といふ精神は、下野の國の防人・火長今奉部與曾布(かちゃういままつりべのよそふ)「今日よりは顧みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」(四三七三・防人としての任務につく今日からは、最早我が身のことは一切顧みないで、ふつつかながら大君にお仕へ申し上げる兵士として私は出発致します)と同じで精神あり、もののふの心である。

 

現御神天皇への捨身無我の誠忠をあらわした精神であり、日本人としての偽りのないすがすがしい「まごころ」であり、「清明心」である。

 

「大君の 御門(みかど)の守護(まもり) 吾をおきて また人はあらじと いや立て 思ひし増(まさ)る」は、文字通り戀闕の心である。最も大切な日本精神・もののふの心である。もののふとしての自負心である。天皇の御信頼に臣としてこたへ奉る心の表白である。

 

保田與重郎氏は、「家持が陸奥國より黄金を出せる時の詔を賀してよんだ長歌のごときは、藤原氏の指導する文化精神に對する峻厳無比な抗議である彼はこの長歌の中で當時の指導精神を完全に無視して、堂々國初の精神を讃へ、一族に對して維新の史観とその人倫を教へたのである。」「この歌は盧舎那佛造營の讃歌に非ず、すべて國風の歴史と言葉をたゝへ、國ぶりの道とをしへを守ることに於て、この年の優諚(註・天皇の厚い仰せごと。天皇のめぐみ深いおことば)に奉行すべきことを、己と族に喩したものである。…萬葉歌人は一人として東大寺に於ける數々の國家的祭典を歌ってゐないのである。」(『萬葉集の精神』)と論じてゐる。

 

萬葉時代とりわけ奈良の大佛造営の頃は、佛教が大きな力を持ってゐた。しかし、それにもかかはらず、伊勢の神宮をはじめとした日本の神々への尊崇の念は非常に篤いものがあった。日本人独自の傳統的美的精神を歌ひあげ國民精神の表白である『萬葉集』には佛教思想の影響はきはめて少ない。

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2017年7月14日 (金)

日本人の神観念と現御神信仰

 「かみ(神)」の「カ」は接頭語であり、「ミ」は語根である。「ミ」は漢字で「實」「身」と書かれるやうに、中身・實在そのもの・力のある存在・無形のカオス(天地創造以前の世界の状態。混沌)・靈威ある存在のこと。神は「上」の方にゐる存在だから「カミ」といふとの説は國語學的には誤りであるとされる。

 

 神には、自然神・呪物神・人格神・祖神がある。日本の神々は、自然神と祖靈神とに大きく別けられる。この両方の性格を具備してをられる神が天照皇大御神であらせられる。天照皇大御神は、太陽神といふ自然神であると共に皇室の御祖先神であらせられる。

 

 日本の神々とは何か強い力を持ってゐる存在をいふのであって、必ずしも完全円満な存在ではない。まして唯一絶対無謬神ではない。 

 

 「神」の枕詞は「千早振る」である。「チ」とは靈のこと。「ハヤ」は「疾風(はやて)の如く」といふやうに激しい状況。「フル」は震へるといふ意。だから「千早振る」とは、神靈が激しく震へるといふ意である。また「フル」は體に触れる・密着するといふ意味もある。 

 

 折口信夫氏は、「いつ(靈の権威・力)といふ語は、音韻変化してウチとも又イチともなります。ちはやぶるといふ枕詞は、いちはやぶる・うちはやぶるなどといふ語の第一音の脱落した形です。古事記の倭建命の東征の條にも、『うちはやぶる人』といふ語が出て來ます。亂暴する人といふことです。はやぶるといふのがその意味で、威力ある靈魂が暴威を發揮することがちはやぶるです。…神の中に暴威を振ふ神が多い。…さういふ觀念から、枕詞として、ちはやぶるが出來ました。」(『神々と民俗』)と論じてゐる。

 

 日本伝統信仰の「神」とは、人知では計り知れない靈妙なる存在のことである。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言ったと思はれる。

 

 漢字の「神」は象形文字である。偏の「示」(しめすへん)は神に捧げる物を置く台を意味する。旁の「申」(しん)は、音を表すと共に、稲妻の形をかたどってゐる。雷様の光とそれに物を捧げる台を合せた意味が「神」といふ漢字の原義である。つまり支那古代においては、「神」とは雷のことだったのである。(加藤常賢先生著『字源辞典』)

 

 わが日本においても、神は雷と深い関係にある。雷は雷神として崇められ恐れ荷れている。今でこそ、雷とは、雲と雲との間、または雲と地表との間に起こる放電現象である事は分かってゐるが、古代人はそのやうな事は分からない。一天にはかにかき曇り、突然大きな音を伴って空から落ちて来る恐ろしい光であり人間がそれに当たれば焼き殺されてしまふし、樹木も裂ける、といふ事で大変恐れられた。「地震・雷・火事・親爺」といふ言葉もある。 

 

 と共に、雷は豊作の予兆でもあった。雷の光は龍神でもあり水の神でもあった。刀の神でもあった。刀剣は抜いて振り回すと光を放つ。その姿は雷に似てゐる。

 

 須佐之男命が出雲で八股の大蛇を退治した時、尻尾から出てきたのが草薙の劔である。龍と大蛇は近い関係にある。「くしなだ姫」は稲を象徴し、「八股の大蛇」は出雲を流れる樋井川を象徴してゐるといふ。つまり、樋井川が氾濫して田んぼが流されてしまふ事を象徴する神話であり、須佐之男命は川の氾濫をなくす働きをされた神であり、治水工事を行ひ豊作をもたらした行った豊饒神といふ事である。これが須佐之男命の八股の大蛇退治の神話の解釈である。

 

尻尾から刀が出てきたのは、洪水の時は雷が発生するといふ事を象徴してゐるといふ。雷神は非常に恐れられたと共に豊饒の神でもあった。日本の神は善と悪が混淆し恐ろしい面とやさしい面の両面がある神が多い。それは雷神だけではない。

 

 須佐之男命は、高天原では反逆した神である。しかし地上に降りて来られたら、豊饒神となられた。 

 

 菅原道真は雷神として崇められてゐる。最初は祟りの神であったが、後に學問の神となられた。日本の神はこのやうに非常におもしろい。決して一面的ではない。自由でおほらかな神々である。多面的であり自由であり幅が広く奥行が深い。

『萬葉集』には柿本人麿の次の歌が収められてゐる。

 

「天皇、雷岳(いかづちのをか)に御遊(いでまし)し時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌

         

大君は神にしませば天雲(あまぐも)の雷(いかづち)の上(うへ)にいほらせるかも」

 

 通釈は、「天皇は神様でゐらっしゃいますから、天雲の雷の丘にいほりを造ってをられるなあ」といふ意。

 

「大君は神にしませば…」と歌ひあげてゐるのは、天津神の「生みの御子」であられ、現御神であられる日本天皇は、山の神、雷の神をも支配されるといふ信仰を歌ひあげてゐるのである。

 

この歌は、天皇が山の神も天雲も支配される霊的権能(これを御稜威といふ)をお持ちであるから、雷神が住む丘の上にいほりをむすばれることができるのだといふことを歌ってゐる。

 

 このやうな現御神信仰・國體観念が白鳳時代の日本國の強靭なる体質を培ったのである。これは柿本人麻呂個人の信仰ではなく、日本民族全体の信仰であった。「大君は神にしませば」は古代日本人共通の天皇信仰の表現であったのである。

 

しかし、この歌には祭り事をされてゐる天皇のお姿を人麻呂らしく壮大なイメージで歌ってをり、詩的レベルは高いと評価されてゐる。

 

現御神の御資格において山の神・雷神を従へてゐる天皇のお姿を篤い信仰精神で高らかに歌った荘厳な調べの歌である。山の上から天空にまで広がる大いなる歌である。

 

雷の丘などの神聖なる神奈備山は、神の来臨する山であり、天上の世界への通路・天に通じる柱であると信じられてゐる。そこにおいて天皇が神人合一の行事である祭り事をされてをられる神々しさを、人麻呂は感激をもって歌ったのである。

 

わが國は今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の國家君主と仰ぎ奉り、國家と民族の統一の中心として仰いでゐる。わが國が様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國である。その不動の核が神聖君主日本天皇である。

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