2020年7月 2日 (木)

歴代天皇お一方お一方は、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる

歴代天皇お一方お一方は、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられているのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

平成の御大礼・大嘗祭、そして令和の御大礼・大嘗祭は、「現行憲法」の制約がどうあらうとも、厳粛にそして古式を継承し則って行はせられた。そして国民の大多数はその荘厳さに粛然として、天皇国日本の国民であることにあらためて歓喜し感激したのである。

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。この學説は決して妄説ではない。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれている。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族は「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

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2020年6月 6日 (土)

即位の大礼・大嘗祭は、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。この學説は決して妄説ではない。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族は「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

櫻町天皇
新嘗の赤丹(あかに)のはつ穂もろ人にとよのあかりの今日たまふなり
天てらす神ぞ知るらむ末ながき代々のひつぎを祈るこゝろは

桃園天皇
もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)のひかりとぞおもふ

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

令和の御代の即位の大礼特に大嘗祭について、野党からも偏向メディアからも横田耕一氏が主張したやうな「政教分離」「国民主権」といふ「現行占領憲法」の原理原則に反するといふ批判は起らなかった。といふより目立たなかったし、国民の大多数はそのやうな憲法論議に関心を持たず、素直にお祝ひ申し上げ、喜んだ。それが国民の大多数の意志であった。

平成の御大礼・大嘗祭、そして令和の御大礼・大嘗祭は、「現行憲法」の制約がどうあらうとも、厳粛にそして古式を継承し則って行はせられた。そして国民の大多数はその荘厳さに粛然として、天皇国日本の国民であることにあらためて歓喜し感激したのである。

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

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2020年5月23日 (土)

大嘗祭の意義と「現行憲法」

 日本は、今日のこの混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に國家の伝統精神に正しく回帰することが大切である。

 愛國運動・維新運動は、現代に危機感を抱いている者たちによって行われる事は言うまでもない。維新変革は、この國を何とかしなければならないという情熱を持つ者によって行われる。情熱は時として誤れる方向に突っ走ることがある。それを防ぐためには、深い神への祈り、神を祭る心、神の意思通りに生きんとする心を持たなければならない。

 明治維新が徳川幕藩體制を打倒して天皇中心の國體を明らかにした如く、現代における禊祓いとは、今日の日本に巣食っている邪悪な者共を殲滅することである。そして現代における祭りとは、禊祓いの後に天皇國日本の真姿を回復することである。

 「日本國の象徴」「日本國民統合の象徴」と規定している「現行占領憲法」の「天皇条項」は、「やすみしし わが大君」といふ「天皇は四方八方を統合する」という意味であり、空間的統合性は表現してゐる。しかし、「高照らす 日の皇子」即ち「天皇は天照大御神の生みの御子であらせられる」といふ時間的連続性・伝統性はまったく表現されてゐない。

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。

特に大嘗祭・新嘗祭は、天皇が天照大神の「生みの御子」即ち「現御神」であらせられるといふ肇国以来の伝統信仰即ち時間的伝統性を継承する祭祀である。決して「国民統合の象徴」という空間的統合性を確認するだけの祭祀ではない。

稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はきわめて強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 天皇は天照大胡神の生みの御子として國民を統率して、國民を代表して、神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へる役目を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられるのである。   

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2020年5月10日 (日)

「萬邦無比の國體」と「祭祀」

 日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

 そしてわが國には太古以来の信仰が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀を通して、今もなおその生命を傳えてられいるのみならず、現実に天皇及び皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 このように、日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさである。

 今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十六代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

わが国は、古代以来一系の天子が國家の君主であられるのである。これは世界史の奇跡であり、他の國家・民族には見られない事実である。まさに「萬邦無比の國體」である。         

 神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の傳統的な信仰である。

 「維新」とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 今日唯今も実際に全國各地で毎日のように行われている禊と祭祀は信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

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2020年5月 6日 (水)

『現行占領憲法』の「象徴天皇」規定は日本國體と絶対に相容れないし、「大嘗祭」とは全く無関係である。

先日も書いたが、ある有名な学者が、ある神社が発行する「社誌」で、「今の憲法では、それを『日本国の象徴』と表現している。そのお立場を表示されるのが、この儀式(四宮注・「即位礼正殿の儀」)の意義だ」「大嘗祭は『稲作』という伝統的かつ前近代では最も普遍的な生業を仲立ちとして〝天皇と国民のつながり〟を皇位継承のたびに確認する意味を持っていた。それはまさに『国民統合の象徴』にふさわしい祭儀と言うことができる」「大嘗祭固有の意義とは…天皇が歴史的に国民結合の中心であられたこと、今も現に『国民統合の象徴』であられることを〝証明〟するのが、他の儀礼が持ち得ない大嘗祭だけの意義と言える」などと論じた。。

この学者が、『現行占領憲法』で「表現している」と言ふ「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」の大前提は、「主権が国民に存する」といふこと即ち日本國體とは絶対に相容れない「国民主権論」である。

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。

まして況や全くわが國體と相容れない原理で成り立った『現行占領憲法』のいはゆる「象徴天皇」規定とは絶対に相容れない。

「天津日嗣の高御座の繼承」といふ神聖不可侵の事柄を、上御一人の御意志をうかがふこともせず、政争が繰り返される権力機構たる議會で決めるのは、間違ってゐる。

日本國の生命・歴史・傳統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつらふことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」といふことである。

 「現御神信仰」の公的表現は、『宣命詔勅』に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く…」と示されてゐる。 

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。その大君に對し奉り、臣下國民は赤き心直き心で仕へまつるのが日本國民の道である。そして上御一人の大御心は『おほみことのり』即ち詔勅・大御歌・公的御行動によって示されるのである。

『現行占領憲法』第一条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれてゐる。

「日本国及び日本国民統合の象徴」といふ規定の意味はきはめて限定的である。「象徴」といふ言葉は、天皇の空間的統一性・統合性をある程度表現してはゐるが、天皇の歴史的傳統性・時間的連続性は全く表現されてゐない。言ひ換へると、日本天皇は何ゆゑ国家国民を統合される御存在であるのかといふ意義が示されてゐない。

天皇は、日本國及び日本国民の歴史と傳統、そして日本国民の普遍意志=過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的な普遍意思を体現される存在である。天皇が日本国の本来の統治者・君主として仰がれてきたといふ事実と、天皇が日本国の歴史と傳統そして国民の普遍意志の体現者である事実とは、不可分の関係にある。

『現行憲法』の「天皇は象徴である」といふ規定は、この不可分の関係を無視し、あはせて日本伝統信仰の最高祭祀主としての天皇の地位と権能を否定してゐる。「天皇の御地位」は果たして何を根拠としてゐるのかが全く示されてゐない。

「日本国及び日本国民統合の象徴」といふ言葉には、『萬葉集』柿本人麻呂の長歌の「やすみしし わが大君」(四方八方をたいらけくやすらけく統治される)といふことはある程度表現されてゐるが、「高照らす 日の皇子(みこ)」(高く照らす日の大神の皇子)といふことは表現されてゐないのである。

『現行占領憲法』は「経過的暫定の制度」として、いはゆる「天皇制」を承認し、やがてはこれが廃止をせんとした戦勝国の意図を反映したものだからかかる規定になったのでらう。

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。天皇が、日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐないのである。

『現行占領憲法』は最も大切な『大日本帝国憲法』の第一条から第三条までの成文化された國體法を抹消した。『占領憲法』は、『大日本帝国憲法』には無かった「国民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

そして、日本の國體に全く合致しない「国民主権論」といふ西洋の悪しき普遍主義に毒されてゐる。西洋成文憲法というのは、専制支配者であったイギリスのジョン国王とそれに対立する貴族との間で結ばれた契約である『マグナカルタ』が起源である。そして「國民主権論」は、専制国王ブルボン王朝を打倒したフランス革命から発した思想である。そしてそれに基づく『現行占領憲法』の「象徴天皇」規定は日本國體と絶対に相容れない。

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2020年5月 5日 (火)

『大嘗祭』と『現行占領憲法』に関するある神道学者の主張への疑問

祭祀とは神人合一の行事であり、「大嘗祭」は、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。つまり、祭祀は〈神人合一〉の行事である。

さらに「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。 

天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭である大嘗祭は、全國各地から集めたお米などの穀物を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米をなどの穀物を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一体となる行事である。

このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を継承され保持される。

「大嘗祭」は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。

天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん実らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。

邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものであると承る。

日継の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一体となり、日継の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭りが大嘗祭である。

「大嘗祭」によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一体となられるのである。つまり歴代の天皇は、御肉体は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

「大嘗祭」は、天孫降臨といふ元初の事実の繰り返しであり、歴代天皇が天照大神の御神霊と一体になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになったと承る。

近年、保守の立場であるとされ、皇室を崇敬するといわれる学者・評論家の中に、以上述べた様な「天皇の祭祀」とりわけ「大嘗祭」の意義に否定的見解を示す人が出てきてゐる。しかも、祭祀や皇室の伝統について無知な人ではなく、相当な見識を持つ人がさういふことを論んじられてゐる。驚くほかはない。折口信夫氏の『大嘗祭の本義』における論述を「妄説」などと切って捨てた方もをられる。

宮内庁あるいは政府には、大嘗祭をはじめとした「天皇の祭祀」そして「即位の大礼」の諸行事が、「現行占領憲法」の「政教分離」の規定及び「国民主権」の原理に反するとの批判を恐れるあまり、「現御神信仰」「天皇卽神論」を隠蔽したいといふ意向があると思はれる。つまり。押し付けられた「占領憲法」の原理と規定によって日本國體・皇室の道統を隠蔽してゐるのである。

保守派学者の論議は、政府宮内庁に同調した動きであろうと思われる。きはめて憂慮すべき事である。

折口信夫氏の論を全て肯定するかどうかは別として、祭祀とは神人合一の行事であり、大嘗祭は、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。このことは絶対に隠蔽してはならない。

令和の御代の御大礼について、平成の御代の御大礼と同じやうに、「現行占領憲法」のいはゆる「政教分離」の「原則」そして「国民主権」の「原理」との「整合性」なるものを成立させ維持するために、政府及び宮内庁は日本皇室の道統、皇室祭祀の伝統を軽視或は隠蔽する重大なる姿勢を示した。そして、さうした宮内庁の姿勢を肯定し、理論的正当性を与えんとする学者・評論家がいる。

例へば、神社が発行する「社誌」には、ある高名な学者が次のやうに論じてゐる。
「天皇は古代以来、…その時々の政治上の最上位者を『任命』するお立場にあられた。今も、内閣総理大臣と最高裁判所長官を『任命』し、『国権の最高機関』たる国会をより上位の立場から『召集』される。まさに公的秩序の頂点におられる。今の憲法では、それを『日本国の象徴』と表現している。そのお立場を表示されるのが、この儀式(四宮注・「即位礼正殿の儀」)の意義だ」「大嘗祭は『稲作』という伝統的かつ前近代では最も普遍的な生業を仲立ちとして〝天皇と国民のつながり〟を皇位継承のたびに確認する意味を持っていた。それはまさに『国民統合の象徴』にふさわしい祭儀と言うことができる」「大嘗祭固有の意義とは…天皇が歴史的に国民結合の中心であられたこと、今も現に『国民統合の象徴』であられることを〝証明〟するのが、他の儀礼が持ち得ない大嘗祭だけの意義と言える」。
この学者が、『現行占領憲法』で「表現している」と言ふ「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」の大前提は、「主権が国民に存する」といふこと即ち日本國體とは絶対に相容れない「国民主権論」である。
『現行占領憲法』の国民主権論に基づく「象徴天皇論」は日本國體とは縁もゆかりもない。従って「大嘗祭固有の意義とは、天皇が歴史的に国民結合の中心であられたこと、今も現に『国民統合の象徴』であられることを証明する」などといふことは金輪際あり得ない。

日本國體と「国民主権論」について論ずれば、西洋の国法学説でいう「主権」とは、近代中央集権国家がフランスに初めて成立する過程において国王の権力の伸長を国内外に主張し、絶対王政を正当化するための理論的武器となったものである。それは「朕は国家なり」という言葉でも明らかな如く、国王は何ら制約を受けない最高絶対の権力者とされ、国民は国王に信者の如く絶対服従するものとされ、国王と国民とは二極の対立概念として理解されているのである。

 西洋の国民主権論は、もっとも徹底した「反君主制」の理論として確立されたのである。そしてかかる反君主制の思想が、敗戦後戦勝国によって憲法の中に盛り込まれたのである。

 こういう史的・思想的背景を持つ西洋の主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない。なぜなら日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。

日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇と国民を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統ではない。

 我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して人類普遍の原理ではないということである。前述したように、国民主権という考え方は国王・皇帝と国民が対立し抗争した歴史を持つ西洋諸国の考え方である。十七世紀のヨーロッパにおける国王と人民との争いの中で、ルソーが理論化した考え方が国民主権であるといわれている。国王の権力の淵源は国民の委託にあるのだから国民に主権があり、国民の意向に反する君主は何時でも打倒できるという考えである。

「主権」という言葉は西洋の国法学の影響により、国家における最高の政治権力と一般に解せられており、権力至上主義の臭みが濃厚である。「主権」という言葉が古来無かった日本は、主権が君主にあるとか国民にあるとかを成文憲法に記す必要はない。事実、『大日本帝国憲法』には「主権」などという思想も言葉もないのである。

まして況や、「大嘗祭」は、「国民主権論」とそれを前提とする「象徴天皇論」とは一切無関係である。

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2020年4月29日 (水)

今日、日本國が存在し、日本民族が生きてゐるのは、実に喜びも悲しみも國民と共にされた昭和天皇の仁慈の大御心による


昭和天皇は、國民を鼓舞激励し、祖國の復興を成し遂げるために、昭和二十一年二月二十日より二十九年まで満八年半をかけて、行程三萬三千キロ、総日数百六十五日間の地方御巡幸を行はせられた。それは昭和天皇の「國見」であったと拝する。

「國見」とは、國土と國民の祝福し、國土の豊饒と國民の幸福を祈る祭事である。昭和天皇は、敗戦によって疲弊した國土と國民の再生のための「祈りの旅」を行はせられたのである。

昭和天皇は、「戦災地視察」と題されて次のやうなお歌を詠ませられた。

戦のわざはひうけし國民をおもふ心にいでたちて来ぬ

わざはひをわすれてわれを出むかふる民の心をうれしとぞ思ふ

國をおこすもとゐとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし

 鈴木正男氏は、「敗戦國の帝王が、その戦争によって我が子を亡くし、我が家を焼かれ、その上に飢餓線上をさ迷ふ國民を慰め励ます旅に出かけるなどと云ふことは、古今東西の歴史に絶無のことであった。アメリカをはじめとする連合軍は、恐らく天皇は國民から冷たく迎へられ、唾でもひっかけられるであらうと予想してゐた。ところが、事実は逆であった。國民は熱狂して天皇を奉迎し、涙を流して萬歳を連呼した。…天皇の激励によってストは中止され、石炭は増産され、米の供出は進み、敗残の焦土の上ではあったが、國民は祖國再建の明るい希望に燃えて立ち上がった。」(『昭和天皇のおほみうた』)と論じてをられる。

昭和天皇は、ご生涯をかけて日本國の天皇としての御使命を果たされたのである。それはただただ國民の幸福と平和の実現であった。そして昭和天皇が退位されずそのつとめを果たされたからこそ、戦後日本の復興と國民の幸福があり得たのである。

昭和天皇様は終戦直後に次のやうな御製を詠まれて國民を励まされた。(昭和二十一年一月二十二日の歌會始でご発表)御年四十四歳。

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ

 敗戦の悲しみ・苦しみを降り積もる雪に喩へられ、松の緑が雪に覆はれても色を変へないで雄雄しくしてゐるやうに、日本國民もどのやうな困難に遭遇しても、くじけることなく雄雄しく生きていくことを望む、といふ大御心を示したまふたのである。國家國民が戦勝國アメリカの占領下に置かれても、日本國民としての誇りを失ってはならないといふ御心を示された拝する。この御製は國民への呼びかけであると共に、御自身の御決意の御表明でもあったと拝する。

 昭和四十五年、昭和天皇は「七十歳になりて」と題され次のやうなお歌を詠ませられた。

ななそぢを迎へたりけるこの朝も祈るはただに國のたひらぎ

よろこびもかなしみも民とともにして年はすぎゆきいまはななそぢ

昭和天皇におかせられては、終戦以来、ただただ國家の平和と國民の幸福を祈り続けられたのである。今日、日本國が存在し、日本民族が生きてゐるのは、実に喜びも悲しみも國民と共にされた昭和天皇の仁慈の大御心によるのである。

昭和天皇が御不例になられ、昭和六十三年九月二十二日、皇居坂下門をはじめ全國十二ヶ所の宮内庁施設で、「お見舞記帳」が開始されて以来、一般記帳者の数は、八百萬をはるかに超へた。

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、昭和天皇は宝算八十九歳をもって崩御あそばされた。皇居前など全國の記帳所における記帳者は、一月七日から十六日までの間に二百三十三萬二千七百九十一人にのぼった。一月二十二日から二十四日まで、殯宮一般拝礼が許されたが、三日間で三十三萬九千百人が拝礼を行った。

平成元年二月二十四日の御大喪の儀では、御轜車がお通りになる沿道には、氷雨の中五十七萬人余の人々がお見送り申し上げた。
日本國民の大多数は、昭和天皇が退位されずに日本國の君主としてその責任を果たされ続けられたことに対し奉り、満腔の敬意を表し感謝してゐたことは、この事実を見れば明らかなことである。

つねにご自分を無にして、國の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇は、権力や武力で國家・國民を支配と従はせるという覇者ではあらせられず、祭祀主としての信仰的権威と御徳によって國民をしろしめしてこられた。

わが國は、天皇を中心として発展し統一を保ってきた國である。日本は、天皇中心の國體を護持しさらにその本当の姿を顕してこそ、正しく発展していく事が出来る。昭和の歴史だけでなく、元冦や明治維新など、これまで幾度か起った大きな國難の歴史を見てもそれは明らかである。日本國民は、昭和天皇の御遺徳を偲び、且つ、昭和の光輝ある歴史を回顧し、さらには、皇室を中心とするわが國の歴史と傳統に回帰するべきである。

戦後日本は、戦勝國の「日本つぶし」の嵐の中にあっても、たくましく生き抜き、経済復興を立派に遂げてきた。この戦後日本復興の原動力は、つねに日本國民の幸福を願はれてきた昭和天皇の大御心である。そして、天皇を仰慕し、戦前・戦中を生きぬいて来られた多くの先人・先輩の方たちの血と汗のにじむご努力を私たちは忘れてはならない。

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2020年4月20日 (月)

祭祀とは神人合一の行事であり、大嘗祭は、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである


神道の基本行事たる「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。つまり、祭祀は〈神人合一〉の行事である。

さらに「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

言ひ換へると、禊祓ひによって生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。
神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。

天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭である大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一体となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を継承され保持される。

大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん実らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、

その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものであると承る。

日継の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一体となり、日継の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭りが大嘗祭である。

大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一体となられるのである。つまり歴代の天皇は、御肉体は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事実の繰り返しであり、歴代天皇が天照大神の御神霊と一体になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになったと承る。

近年、保守の立場とされ、皇室を崇敬する学者・評論家の中に、以上述べた様な「天皇の祭祀」とりわけ「大嘗祭」の意義に否定的見解を示す人が出てきている。しかも、祭祀や皇室の伝統について無知な人ではなく、相当な見識を持つ人がさういふことを論んじられてゐる。驚くほかはない。折口信夫氏の大嘗祭の本義」のおける論述を「妄説」などと切って捨てた方もおられる。

宮内庁あるいは政府には、大嘗祭をはじめとした「天皇の祭祀」そして即位の大礼の諸行事が、「現行占領憲法」の政教分離の規定に反するとの批判を恐れるあまり、「現御神信仰」「天皇卽神論」を隠蔽したいといふ意向があると思はれる。保守派学者の論議は、それに同調した動きである。きはめて憂慮すべき事である。

折口信夫氏の論を全て肯定するかどうかは別とて、祭祀とは神人合一の行事であり、大嘗祭は、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。このことは絶対に隠蔽してはならない。


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2020年4月13日 (月)

天皇を祭り主と仰ぐ日本國體の開顕することこそが国難打開の道である


國難にあたり、神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の國家御統治の根幹である。孝明天皇の國家・國民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となったのである。

第一〇三代・後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震などがあり、國民は疲弊し、朝廷の衰微も極に達した。後土御門天皇が崩御になられた後、御大葬は行はれず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだといふ。この時もまた未曽有の國難であった。この國難の続く御代に際して、後土御門天皇は御宸筆の「般若心経」を伊勢の皇大神宮に奉納し、聖算長久、武運安全、兵革静謐を祈願された。

後土御門天皇は、明応四年(一四九九)に次のやうな御製を詠ませられた。

「伊勢
にごりゆく 世を思ふにも 五十鈴川 すまばと神を なほたのむかな」

この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。いかなる濁れる世、乱世であっても、否、さうであればこそ、上御一人日本天皇は、神への祭祀、祈りを深められた。そしてその事が、日本國再生の基となった。

今日の日本も「にごりゆく世」である。また文字通り有史以来未曽有の國難に遭遇してゐる。今こそ、祭祀主・日本天皇の御稜威の下、本来の日本の清き姿に回帰し困難を打開しなければならない。今日の疫病猖獗などの國難打開のために、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國家國民が一丸となって國難打開の祭祀・祈願を行ふべきである。

わが國においては、大化改新、建武の中興、明治維新等の大変革が實現する直前に内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。今日においても歴史に学ぶべきである。

ところが、今日に於いては「現行占領憲法」の亡國的制約によって、國民的規模・國家的規模の國難打開の祭祀も祈祷も行ひ得ない状況になってゐる。そればかりでなく、天皇陛下の最も重要なるお役目である「祭祀」が「天皇の私事」などとされて、国家公的に翼賛し奉る道が封じられている。これを根本的に改めなければならない。そして、天皇を祭り主と仰ぐ日本國體の開顕することこそが国難打開の道である。

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2020年4月10日 (金)

国難にあたり、神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の国家御統治の根幹である

孝明天皇御製

「八幡山 神もここにぞ 跡垂れて わが國民を 守るかしこさ」

孝明天皇が、安政五年(一八五八)五月十五日「石清水社法楽(神仏習合の祭典))に、「寄山神祇」と題されて詠ませられた御製である。

頻繁に外国船が来航するやうになった幕末期の外患の危機の際し、孝明天皇は、弘化四年(一八四七)四月二十五日、石清水臨時祭を挙行された。野宮定祥(ののみやさだなが)を勅使として派遣され、神前に宣命を捧げられた。

その宣命には「近時相模国御浦郡浦賀の沖に夷の船の著(つき)ぬれば、その来由を尋るに、交易を乞ふとなむ申す。それ交易は、昔より信を通ぜざる国に濫りに許したまふことは、國體にも関はりれば、たやすく許すべきことにもあらず。…肥前国にも来着なとなむ聞し食(め)す、利を貪る商旅が隙を伺ふの姦賊が情実の知り難きを如何には為(せ)むと、寤(さめ)ても寐(ね)ても忘れたまふ時なし、掛けまくも畏こき大菩薩、この状を平く安く聞こし食して、再び来るとも飛廉(ひれん・風の神の名)風を起こし、陽侯浪を揚げて速やかに吹き放ち、追い退け攘ひ除け給ひ、四海異なく、天下静謐に、宝祚長く久しく、黎民快楽に護り幸い給ひ、恤(あは)れみ給ふべし、恐れみ恐れみ申し給はくと申す。」と宣せられてゐる。

孝明天皇は、「寝ても覚めても外患を忘れる事は出来ない、外国船が来たら風波を起こして撃退し、四海に異変なく、天下は平穏で、國體は安穏で、国民の幸福を護り給へ」との切なる祈りを八幡大神に捧げられた。

さらに、孝明天皇は、嘉永三年(一八五〇)には、「萬民安楽・宝祚長久」の御祷りを伊勢皇大神宮・石清水八幡宮など七社七寺に捧げられた。また、神佛に祈りをささげられると共に、幕府に対してしっかりとした対策を講じるやうにとの勅書も下された。

孝明天皇が、外患に際して日本国の祭祀主としてとご使命を果たされたことが、その後の明治維新の断行・日本国の独立の維持の基盤となったのである。

孝明天皇は文久三年(一八六三)三月十一日、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)と賀茂御祖(かもみおや)神社行幸攘夷祈願を行はせられた。これには、征夷大将軍・徳川家茂および在京中の諸大名が供奉した。

国難にあたり、特に神祭り・神事を盛んに行はせられるのは、天皇の国家御統治の根幹である。孝明天皇の国家・国民を思ひ給ふ大御心、御祈りが、草莽の志士達を決起せしめ、明治維新の原動力となったのである。

天皇が御所の外に行幸あそばされるのは、江戸初期の寛永三年(一六二六)年に、第一〇八代・後水尾天皇が、徳川秀忠・家光に謁見されるために二条城に行幸あそばされて以来のことであった。まことに畏れ多い申し上げやうであるが、あへて申せば、徳川政権は、上御一人日本天皇を京都御所に幽閉状態に置き奉ったのである。

孝明天皇は、同年四月十一日、石清水八幡宮に行幸になり、神前において徳川家茂に攘夷の節刀(天皇が出征の将軍に下賜する刀)を賜らんとされた。これは神前で幕府に攘夷の戦争を決断させる目的であったと傳へられる。

これを長州の策謀と断じた将軍後見職・徳川慶喜は、将軍・徳川家茂には病と称させて供奉させず、自身が名代として行列に供奉する。しかも、慶喜も石清水八幡宮まで来ると、腹痛と称して山下の寺院に籠もってしまふ。慶喜は、天皇に社前まで来るよう召されたが、腹痛を理由にとうとう神前へは行かずに済ませてしまったといふ。病気(おそらく仮病であらう)を駆け引きに使って、神前での攘夷決行の誓ひを回避したのは、慶喜の奸智であり政略であったといはざるを得ない。まことに以て狡い男である。

この石清水行幸には多くの民衆が集まった。中でも大阪から京都に「夥しく登り」、宿屋は一杯になり、祇園の茶屋が客を部屋に詰め混む有様であったといふ。民衆は天皇に強い仰慕の思ひを持って集まり、神聖なる祭祀主日本天皇こそが日本国の唯一の君主であることを自覚したのであった。

賀茂行幸・石清水行幸において、二百三十七年ぶりに民衆の前にお姿を現せられた天皇は、征夷大将軍・各藩主の上に立たれる日本国の統治者であらせられるといふ天皇のご本質を顕現せられのたのであった。

言ひ換へれば、賀茂行幸・石清水行幸は、天皇を中心とする日本國體が正しく開顕する第一歩となったのである。

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