2018年6月10日 (日)

祭政一致と天皇の日本國家統治の本質

 

 

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものである。

 

祭祀とは、無私になって神につかえまつることである。日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、祭祀主であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正当性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては外来宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇の御存在であることは言うまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 現代日本は危機に遭遇している。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にある。今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。 

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2018年6月 9日 (土)

神武天皇御製を拝し奉りて

神武天皇御製

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

【みつみつし】「久米」に掛かる枕詞。「みつ」は威力が強い意の「稜威(いつ)」の転で、それを重ねて久米部の武威を讃へた言葉。【久米】氏族の名。久米部は軍事面で大和朝廷にお仕へした。『古事記』『日本書紀』によると、邇邇藝命が降臨あそばされた時、久米部の祖先神である天津久米命が、同じく武の家柄である大伴氏の先祖神・天忍日命と共にその先導を務めたとされる。背に靭を負ひ、腰に頭槌の剣、腕に鞆をつけ、弓を持ち、矢を手挟み、さらに鳴鏑の矢を持ちそへるといふいでたちで、高天原から降臨された。【子ら】人々。【粟生】粟畑。【臭韮一茎】臭い韮が一本。【そねが茎 そね芽繋ぎて】その根元に芽をつないで。【撃ちてしやまむ】撃たないでおくものか。

 

通釈は、「威勢のよい久米の人々の、粟の畑には臭い韮が一本生えてゐる。その根のもとに、その芽をくっつけて、やっつけてしまふぞ」といふ意。

 神武天皇は、九州日向(宮崎)の美々津の浜を出発され、大和橿原の地に至り、建國を宣言された。これを御東征と言ふ。御東征に反抗した大和の豪族・長髄彦を討たれる際に、神武天皇が皇軍を激励して詠まれた御製である。

 

烈々の攻撃精神が充満してゐる。天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり武であった。故に武は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

 「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義である。天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。

 

神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

 古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

 「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

夜久正雄氏はまた、神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

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2018年6月 7日 (木)

「皇位継承」「皇室典範」「憲法」について

 

「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

 

ゆゑに権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志を第一にすべきである。

 

明治の『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

 

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神のご意志として宣()べられた事が最高の「法」である。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。

 

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

 

さらに言へば、「現行占領憲法」においても、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされてゐるのである。

 

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

 

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

 

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

 

そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行ふ事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

 

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

 

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。

 

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。

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2018年5月25日 (金)

「楠公精神」について

楠公精神とは、「絶対尊皇精神」「七生報国」「一族勤皇」である。これは言うは易く行うは難い。しかし、この三つの精神を何時も心の底に保持し、出来得る限り、それに近づこうとする努力はしていかねばならない。

 

日本史上、国民から尊敬されている人物を三人挙げるとするなら、楠木正成公・吉田松陰先生・西郷南洲先生の三人である。この御三方に共通するのは、「権力を欲しなかった」「君国のために命を捧げられた」「現世的覇道的意味においては敗者であった」ということである。

 

しかし、敗者ではあっても絶対的多数の人々から尊敬されている。日本民族が尊敬する生き様を示されたからである。湊川・江戸伝馬町・城山における最期は、盡忠報国の精神の実践であった。そして、その尊い魂は永遠に日本国民の中に生き続けている。『敗者の側に正義がある』という言葉は正しい。

 

久保田収氏は、「楠正成が、わが国史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申し上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして奮戦し、建武中興の糸口をつくったこと。『七生報国』の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志を受け継ごうとする決意とを生み出したのである。天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の学問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と伝えている。強斎は、このことばが『わが国士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」と論じている。(『建武中興』)

 

楠公の申された『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』こそ、わが国の臣民のあるべき態度である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本国の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

 

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成公の事績を見ればあまりにも明らかである。

 

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考えや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下をあからさまに批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成公が言われた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし」なのである。この絶対尊皇精神は太古以来の伝統である。

 

 

 

 

 

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2018年5月23日 (水)

政治権力者ではあらせられない天皇陛下は「権力の制限規範」たる「憲法」の規制を一切受けない。天皇陛下は憲法を超越したご存在である。

日本国は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の「法」である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。

 

「日本国憲法」第四条には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とある。そして「憲法は権力の制限規範」とされている。であるならば、「國政に関する権能を有しない」とされる天皇が、「成文憲法」の制約を受けることはあり得ない。「成文憲法」及び「成文法」そしてそれに基づく政治権力機関は、権力者ではあらせられない天皇を制約する権能・権限は全くない。

 

つまり、政治権力者ではあらせられない天皇陛下は「権力の制限規範」たる「憲法」の規制を一切受けない。天皇陛下は憲法を超越したご存在である。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治権力問題ではない。即ち決して『現行占領憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や「成文法」によって、「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」を規制し拘束し奉ることがあってはならない。

 

「皇位継承」「御譲位」をはじめ「天皇・皇室」に関わる一切の事柄は、憲法・政府・国会の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・国会は、天皇・皇室とそして日本國體に関することに介入してはならない。

 

「皇位継承」とは、「天津日嗣の高御座」の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とは全く次元を異にする。即ち政治権力問題とは全く性格を異にする。故に「皇位継承」について「成文法」及び権力機関が干渉し制約することはできない。

 

「皇位継承について天皇のご意志を伺はなくていい」という議論は全く間違っている。日本國體・日本の傳統の根幹に関わることなのであるから、日本の傳統の継承者であらせられる天皇の御意志に添い奉るべきである。

 

ともかく、「皇位継承」「御譲位」をはじめ「天皇・皇室」に関はる一切の事柄は、憲法・政府・國會の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・國會は、天皇・皇室そして日本國體に関することに介入し規制してはならない。

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2018年5月 7日 (月)

祭祀主・日本天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿である

稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ってゐると信じて来た。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきた。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが海神(わたつみ)信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

麗しい日本の天地自然そして農耕生活の中から生まれてきた「神ながらの道」といふ信仰は、天地自然と祖靈を神として拝ろがみ祭る信仰である。わが國の神は、天津神、國津神、八百万の神と申し上げるやうに、天地自然、祖霊を神として拝ろがむ信仰である。

 

日本人は稲の種と水田と農耕技術といふ恵みを祖先から傳へられたので、祖先に感謝する思ひが強い。ゆゑに自然信仰と共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る祖霊信仰を抱いた。これを「敬神崇祖」といふ言葉で表現した。その最も端的な例が天照大神への信仰である。

 

天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽の神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来た。わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められてゐる天照大神は、皇室の祖先神であると共に、自然神たる太陽神である。

 

わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、信仰共同體國家日本の土台、言ひ換へれば日本國體の根幹を成してゐる。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。日本傳統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。

 

 

日本民族は、神に対して常に祭りを行って来た。神道の基本行事は、神を祭ること即ち「祭祀」である。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。日本傳統信仰は、神學・教義といふ抽象概念として継承されて来なかった。上は天皇から下万民に至る日本人の「神祭り」「祭祀」といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。

 

「まつる」といふ言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行ふ」「ものを献上する」といふほどの意である。

 

「神祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事=神人合一である。

 

人は神と離れた存在ではなく、はじめから神に生かされ、神と一體の存在である。しかし、様々の罪穢が、神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまふ。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』冒頭に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。わが國存立の基盤は、「天皇の祭祀」にある。天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。

 

稲作生活から生まれた神話の精神を、「祭祀」といふ現實に生きる行事によって、今日唯今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

「天皇の祭祀」において、わが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐる。天皇の「まつりの御精神」を仰ぎ奉ることが、わが國の道義の中心である。祭祀主・日本天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。

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2018年5月 4日 (金)

「即位の大礼」そして「大嘗祭」は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である

「即位の大礼」そして「大嘗祭」は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である。即位された天皇が、御自ら新穀を捧げて皇祖・天照大御神を祭られ、共に新穀を食され、天照大神の御神霊とご一體になられる祭祀が「大嘗祭」である。お仕へする群臣もまた神代・高天原の神々の子孫である。時間と歴史を超越して天照大神が今此処にゐますごとくに観ずるのである。

 

會澤正志斎は、『草偃和言』(そうえんわげん)といふ著書で「日嗣の君は、日神の遺體にましまして今も天神に事へ給ふ事在すが如く、氏々の人は皆諸神の子孫にして其遠祖の人々古日神に事へ奉りし時にかはらず、千萬世の後までも天上の儀を傳へて神代の遺風を其まゝに行はれ、今の世も神の世に異なる事なきは、他邦異域に絶てなき事なれば神國と申すなり」と論じてゐる。今即神代、天皇即神といふ篤い信仰精神が語られてゐる。

 

天照大神と天皇はご一體であり、天皇は天照大御神のご遺體(神が遺してくれた體といふ意)である。天照大御神と天皇とは時間と歴史を超えて一體であるといふ信仰である。天皇に仕へる臣下國民もまた、天の神々の子孫である。まさに、歴史と時間を貫いて今此処が神代であり、高天原なのである。高天原を地上に持ち来すことが國體の明徴化なのである。今即神代、天皇即神であられるからこそ、日本に革命も皇統の断絶も無いのである。

 

天皇を君主と仰ぐ日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで生きてゐる。ところが、古代オリエントや古代支那などにおいては、祭祀を中心とする共同體は武力征服王朝によって破壊されてしまった。そして古代民族信仰・祭祀宗教は無くなり、太古の王家も古代國家も姿を消した。その後に現れた支配者は武力による征服者であり、國家は権力國家であった。

 

それに比してわが日本は、神話の世界が今日唯今現實に生きてゐる國である。すなはち、わが日本は、古代祭祀宗教の祭祀主たる神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現實の君主と仰ぎ、國家と民族の中心者として仰いでゐる殆ど世界唯一の國である。わが國は太古以来の祭祀主を君主と仰ぐ共同體國家が破壊されることなく今日まで続いて来てゐる。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふのである。

 

それは、會澤正志斎が『新論』において、「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。」と説き、北畠親房が『神皇正統記』において、「大日本者神國他。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。」と説いてゐる通りである。まことに有難き事實である。

 

日本がその長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。

 

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、常に新たなる変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。天皇國日本を愛し守護する心を養ふことこそが日本國永遠の隆昌と世界の真の平和の基礎である。現實政治の浄化も、維新も、神代・天孫降臨への回帰によって實現する。それが神政復古である。

 

歴史は繰り返すといふが、今日の日本も幕末当時と同じやうに、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。今日の危機的状況を打開するためには、「水戸學」をはじめとする明治維新の精神に回帰し、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」を基本理念とした大変革を断行しなければならないと信ずる。

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2018年4月29日 (日)

『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

徳川家康は、尊皇心は希薄であった。徳川政権の持続と正統性の確保のためには、天皇及び天皇の伝統的権威を利用したが、天皇・朝廷を京都に事実上の軟禁状態に置き奉ったと言っても過言ではない。徳川幕府は、天皇・朝廷を敬して遠ざけたなどといふことではない。幕府の権威づけに天皇朝廷は利用したけれども、その実態は天皇・朝廷を理不尽に抑圧し続けたのである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目十七箇条』とも言ふ)を定め、朝廷と宮家・公家に有史以来未曾有の掣肘を加へた。天皇・朝廷に対し奉り京都所司代が厳しい監視にあたった。

 

徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

家近良樹氏は、「この法度によって、天皇以下すべての公家の生き方が規定されたのである。換言すれば、江戸期の朝廷関係者は…幕府の定めた生き方以外に選択の余地がなくなったという意味で、幕府の統轄下に完全に組み込まれることになった」「徳川幕府は、『禁中並公家諸法度』等の制定によって、朝廷を保護すると同時に、いわば力で抑え込む形となった。そして、江戸期の全般を通して、ことあるごとに、幕府が朝廷の上位に位置する、もしくは対等な関係にあることを確認する儀式を繰り返すことになる」(『幕末の朝廷』)と論じてゐる。

 

『禁中並公家諸法度』の第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり」と書かれてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ」(同書)と論じてゐる。

 

小田村寅二郎氏は、「(『禁中並公家諸法度』に・注)『和歌は光孝天皇よりいまだ絶えず、綺語たりといへども、我が國の習俗なり。棄て置く可からず』とあった。だが光孝天皇は第五十八代の天皇であられるが、その天皇から和歌をお詠みになってをられる、などとは無智も甚だしい。神武天皇以降、どれだけ多くの天皇がたが、和歌を『しきしまのみち』としてその道を御つとめあそばされたことか。…和歌のことを『綺語たりと雖も』といふ。『綺語』とは、『巧みに表面だけを飾った言葉』、或ひは佛教が『十悪の一つ』とする『真実にそむいておもしろく作った言葉』といふ意味しかない。いづれにしてもそれは『しきしまのみち』としての和歌が、日本の文化の中核を貫いてきた事実―まごころの表白―とは、まったく正反対の意味であろう。しかもそれにつゞけて『棄て置くべからず』とかかれているのであるから、家康・秀忠の皇室に対する不遜さは、こゝに極まると言へる」(『歴代天皇の御歌』)と論じてをられる。

 

わが国の成文法おいて、天皇の権能・天皇がお守りになるべき規範が具體的に記されたのはこの『禁中並公家諸法度』が初めてであるといふ。古代の『律令』には、天皇に対し奉り臣下が随順すべき規範は書かれてゐても、天皇がお守りになるべき規範は書かれてゐない。

 

江戸期の天皇と朝廷は、この『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権能については何も記されゐない。これは天皇が政体上の「政治的権力」を有してをられない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。

 

天皇の統治大権は、幕府権力によって大きく制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。『禁中並公家諸法度』は、外来の権力ではないが、武家権力によって「制定」された点、及びその内容が日本國體を隠蔽したといふ点において『現行占領憲法』と似てゐる。

 

『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかった。しかし、明治維新によって徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効とすべきであった。

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2018年4月27日 (金)

天皇の國家統治について

 

天皇の統治とは「世論や公論をよく聞く」ことであることは、天皇統治を「やまとことば」で「きこしめす」「しろしめす」と申し上げることによって明らかである。

 

三潴信吾氏は「帝國憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、國家・國民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の傳統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(『日本憲法要論』)と論じておられる。天皇が日本國を統治されることは、決して権力によって國家國民支配されることではない。

 

では、「やまとことば」の「きこしめす」「しろしめす」(「しらしめす」とも言ふ)とは一体いかなる意義なのであらうか。「きこしめす」とは「聞く」の最高の尊敬語である。「しろしめす」は「知る」の最高の尊敬語で、「聞こす」「知らす」にさらに「めす」といふ敬意を添へる語を付けた言葉である。

 

『續日本紀』に収められてゐる文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでゐる。

 

この場合の「聞く」「知る」とは単に知識を持ってゐるといふ意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するといふほどの意であらう。

 

天下の一切の物事を「お聞きになる」「お知りになる」といふことは、祭祀を行ふ時の〈無私〉の境地で一切のことをお知りになるといふことであり、天下の一切の物事に対して深い〈慈愛の心〉を持たれてゐるといふことである。〈無私〉と〈慈愛〉の心が無くては、対象を深く認識し把握する事はできない。

 

「きこしめす」「しろしめす」は、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であり、萬民を限りなく慈しみたまふ御存在であるから可能になる。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを了知されることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である「三種の神器」の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 

近代日本の哲學者・西田幾太郎氏は、「知と愛とは同じである」と言ったといふ。知ることと愛することは一体である。対象を愛することなくして、対象の本質を正しく知ることは出来ない。

 

愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできない。天皇陛下の國家統治は、ご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。それは無私になって神を祭る心と一体である。

 

明治天皇は、『五箇条の御誓文』と共に発せられた『億兆安撫國威宣布ノ宸翰』において、「今般朝政一新の時に膺(あた)り、天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば、今日の事、朕、躬ら身骨を労し心志を苦め、艱難の先に立ち、列祖の盡させ給ひし蹤を履み、治績を勤めてこそ、始めて天職を奉じて,億兆の君たる所に背かざるべし」と仰せになってゐる。

 

明治維新は、「一君萬民」の國體開顕、即ち國民を重んじ國民の幸福實現を最高の目的としたのである。

 

『大日本帝國憲法』において「しらしめす」「きこしめす」の漢語表現として「統治」といふ言葉を用いた。そしてこの「統」といふ言葉は統べる(統一する)といふ意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)といふ意である。「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」といふお言葉こそまさしく「治める」の本質である。無私と慈愛といふまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

國民の心をよく「きこしめす」「しろしめす」ことが天皇の國家統治の基本である。そしてそれは議會を開き、「公議を竭す」ことと同意義である。

 

「天皇中心の日本國體の回復」と「天下萬民の公議を竭す政治」が明治維新の目指した國家体制の二本柱であった。

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2018年4月 2日 (月)

昭和天皇の御聖徳

 

 

立憲君主体制下にあった戦前の日本において、法治主義を厳守することが天皇の御意志であった。昭和天皇は木戸幸一内大臣に「自分は…余りに立憲的に処置し来たりし為に、如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て、いま少し陛下はすすんでご命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり…」(児島襄氏著『天皇』第五巻)と仰せになった。

 

「大日本帝国憲法」の政体規定における「天皇」は、「統治権の総攬者」ではあらせられたが、「天皇を輔弼し其の責に任ず」る国務大臣の決定に干渉できないお立場であられた。「総攬」とは、「一手ににぎり収めること。統合し掌握すること。

 

天皇は、責任ある輔弼者の決定に異議を唱えこれを否定されることは憲法違反となった。天皇は国務事項即ち政治権力を行使せられるにあたっては、国務各大臣の輔弼を受けられなければならなかった。(『帝国憲法』第55条『国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』)

 

天皇は、輔弼機関の決定を不可とされることはできなかった。また、国政の一切の責任は国務大臣にあって、天皇は責任を問われることはなかった。

 

 

東條英機氏はかねて「『敵の法廷に立つ如きは日本人として採らざる処』と、戦争犯罪人として裁かれるよりは自決を決意していた。『元来、戦争責任者はあっても戦争犯罪者はいない。而して、それは(天皇)陛下ではない。…東條一人というならば、これは世界的にも明らかで良し……自分は皇徳を傷つけぬ。日本の重臣を敵に売らぬ。国威を損しない。ゆえに敵の裁判はうけない』。東條大将は、陸軍副官美山要蔵大佐にそう述懐していた。自分が引責して自決する、という意向である。『「生きて虜囚の辱を受けず」との「戦陣訓」を制定したのは自分である、ゆえに召還を受ければ自決する』と反駁した」。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

「東久邇宮内閣は東條大将自決未遂を知ると、九月十二日朝、閣議を開き、戦争犯罪人を日本側で裁くことを決めた。…東久邇宮首相が参内してこの『自主裁判』決定を上奏すると、…『敵側の所謂戦争犯罪人、ことに所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地なきや』と仰せになった。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

大東亜戦争が侵略ではなかったのであるから、戦争犯罪などが問われる理由はない。それが根本である。

また、戦争責任と戦争犯罪とは異なる。戦争責任は決して処罰の対象ではない。昭和天皇は、道義的責任は強く自覚しておられた。毎年の戦没者慰霊式への御臨席、靖国神社などでの御製を拝すれば明白なり。とりわけ、最後の御臨席のあのお姿を拝すればあまりにも明白である。

 

戦争直後においても、国民大多数の昭和天皇及び御皇室への尊崇の心は全く変化はなかった。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦ふ道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救ひたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けてゐたなら、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであらう。それを救はれたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のやうに歌はれてゐる。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、といふまさに神のごとき無私・捨身無我のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の現御神としての御本質を仰ぐ事ができる。マッカーサーとのご会見において、この捨身無我の神のごとき大御心が発現したのである。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌はれてゐることである。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいといふ、普通一般の国家ではない。日本独自の国柄即ち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體が正しく継承されてゐなければ日本国とは言へない。国柄を守ること無くして真の日本国の存続はあり得ないのである。

 

夜久正雄氏は、「天皇様は『国がら』を守りぬかれたのである。この天皇様のお心にしたがふことが、国民の側からの『国柄』である。天皇さまが国民のうへを思ひくださるお心をあふいで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらがあるのである」(『歌人・今上天皇』)と論じてゐる。

 

日本のやうに三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら日本は日本でなくなるのである。

 

 昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌ひになったのは、このかけがへのない日本国の國體が護持するために、たとへどのような苦難があらうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝する。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌はれていることで明白である。昭和天皇は、ご自分が「戦犯」として処罰されても、天皇を君主と仰ぐ国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。

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