2017年5月23日 (火)

『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

 

敗戦後、天皇の統治大権は連合國最高司令官の隷属下にあった。昭和二十年八月十日『ポツダム宣言』を受諾するにあたってわが國政府がアメリカに対し「ポツダム宣言の条項は受諾するも、天皇の國家統治の大権を変更するの要求を包含しおらざることの了解の下に受諾す」との最後の申し入れを行ったのに対し、アメリカのバーンズ國務長官は「天皇および日本國政府の國家統治の権限は、降伏条項實施のため、必要と認むる措置をとる連合國最高司令官の制限の下に置かれるものとする」と回答してきた。

 

「制限の下に置かれる」といふのはあくまでも日本外務省の訳語であって、英語の原文は「subject to」であり、正しい訳語は「従属の下に置かれる」あるいは「隷属の下に置かれる」である。

 

三潴信吾氏は、「(バーンズ回答は)戰時國際法に基く彼等の權利を示したものである。この『従屬』の意義を明確にすべきであって、これ、政府が國民の憎悪感を和げんとして『制限』と譯し、『日本國憲法』は單に一部機能を制限された日本の主権の下に、少なくも日米合作で制定したものの如く擬装したことは言語道断である」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 

また、同年九月六日付の米國政府の『マッカーサー元帥あての指令』に「一、天皇および日本國政府の國家統治の権限は、連合國最高司令官としての貴官に従属する。…われわれと日本との関係は契約的基礎の上に立つものではなく、無条件降伏を基礎とするものである。…二、日本國の管理は、日本國政府を通じて行われる。ただし、これは、そのやうな措置が満足すべき成果をおさめうる限度内においてとする。このことは、必要があれば直接に行動する機関の権利を妨げるものではない。」(桶谷秀昭氏著『昭和精神史』より引用)と書かれてゐる

 

以上の事實によって、天皇の統治大権が連合國最高司令官たるマッカーサーの従属下にあったのは明白である。ただし、この場合の「統治大権」とは『大日本帝國憲法』第四条の「統治権力」であって、信仰共同體日本の祭祀主たる天皇の御統治といふ信仰的精神的権威と御権能までが、マッカーサー連合國最高司令官の隷属下に置かれたのではない。それは、征夷大将軍が「統治権力」を行使してゐた徳川幕藩體制下においても、天皇が日本國の祭祀主としての精神的信仰的君主の権威と御権能を保持されてゐたのと同じである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目』ともいふ)を定めた。徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

その第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり。」と記されてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ。」(同書)と論じてゐる。

 

肇國以来、天皇の御地位は、本来成文法の規定を超越してゐる。わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立してゐる。成文憲法でそれを変革することはできない。日本天皇が日本國の君主・統治者であらせられるのは、日本の傳統信仰・歴史的な國體観念に基づくのであって、成文法に規定されてゐるからではない。つまり天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は憲法などの世俗的な法律を超越しており、憲法などの世俗の成文法は、皇室にかかはることに干渉することは本来できない。

 

成文法おいて、天皇の御事が具體的に記されたのはこの『法度』が初めてであるといふ。天皇と朝廷はこの『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権限については何も記されゐないのは、天皇が「政治的権力」を有してをられないない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。天皇の統治大権は、幕府権力によってそれこそ制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。

 

このやうに見て来ると、『禁中並公家諸法度』は、外来権力ではないが武家権力によって「制定」せられた点、およびその内容が日本國體を隠蔽してゐるといふ点において、『現行占領憲法』と似てゐる。『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかったが、徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効となってゐるべきである。

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今上陛下の「お言葉」を拝し奉りて

今上陛下が、昨年八月国民に対して発せられた「お言葉」で、「本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います」と仰せられた。

 

これに対して、「天皇に私無し」「天皇は無私の御存在」であるから「個人として」などと仰せられるのはおかしいと主張する人がいる。私はこうした「天皇批判」に大きな違和感と言うか怒りをおぼえる。

 

今上陛下は、「天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら」と仰せれられているのである。つまり、「現行占領憲法」第四条に「国政に関する権能を有しない」と規定されているため、憲法上の「現行の皇室制度」についてもご意見を表明されることはできないとのお考えのもとに、敢て「個人として」と仰せになったのである。別の言い方をすれば「個人として」と仰せになるしかなかったのである。

 

私をして言わしむれば、日本国において、今上陛下ほど「無私」「私無し」の生き方を為されている方はおられない。常に国民の幸福と日本国の安泰そして世界の平和のために、神を祭り、神に祈り、そして国民に寄り添い、国民を励まされている方は、天皇陛下以外におられない。

 

田尾憲男氏は、「現憲法によって『国政に関する権能』を剥奪された天皇には、国政はおろか、皇室の大事な制度変更についての発議権も、また公式に発言する権能も与えられていないのである」(『青年運動』平成二十八年十月十五日号所収論文「君民一致」)と論じておられる。

 

國體を隠蔽した「現行占領憲法」にがんじがらめにされている天皇陛下がご自分の御意思を国民に向かって表明される際、「個人として」と仰せにならざるを得なかったのである。我々臣民は、そういうことをそれこそ、慎んで忖度させて頂かなければならない。

 

さらに言えば、「個人としての天皇」は、「現行占領憲法」に規定された「地位」としての「天皇」ではないということである。

 

「個人」とは、「一人の人」という意味である。天皇陛下が仰せになった「個人」とは「上御一人」の意味であると拝し奉るべきである。上御一人・日本天皇は日本国の祭祀主であらせられる。「祭祀」「神祭り」を行わせられる「天皇」は「祭祀」の本義からも本質的に「無私」の御存在であらせられる。

 

「現行占領憲法」に規定された「地位」としての「天皇」ではなく、上御一人・祭祀主としての「お言葉」はまさに「みことのり」である。

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2017年5月15日 (月)

天皇・皇室と和歌

和歌は伝統の継承と創造とは一体である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として学ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち伝統と創造が一体になってゐる。ここに和歌文学の特質がある。日本人は伝統の継承から創造を学んだ。和歌はその典型である。伝統と創造が渾然一体となっているのが和歌である。

 

これは、皇位継承・伊勢の神宮御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉体であらせられながら邇邇藝命以来の皇統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神霊は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

 

伝統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが国の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他国には見られないわが日本の特質である。わが國の國體は万邦無比である。

 

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが国に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

 

天皇の国家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の国家御統治と一体である。天皇国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給うために実に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の国家統治は和歌とは切り離し難く一体である。天皇の国家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって国民と国土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって国民と国土を統治されるのである。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも国をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまひことを国家統治の基本とされたといふことである。

 

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むことによって可能となる。

 

中河与一氏は「和歌が国風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

 

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。

 

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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2017年5月12日 (金)

「萬邦無比の國體」とは如何なることか

 

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

 

そしてわが國には太古以来の信仰精神が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 

つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀によって、今もなおその生命を傳えられているのみならず、現実に天皇及び皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

このように、日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさであり、わが國體が万邦無比と言われる理由である。

 

今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十五代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

 

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

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2017年5月 9日 (火)

臣下・政治家・権力者に敬神尊皇の思ひが希薄になったことが今日の政治の混乱の最大原因

今日のわが國の議會政治は、とても健全に機能しているとは言へない。政党間・政治家同士の醜い権力闘争が繰り返されてゐる。國會中継を見ればわかる通り、相手を議論で打ち負かし、相手の言葉の揚げ足を取り、自分の意見に従はせようとすることに汲々としてゐる。

 

かうした事の根本原因は、わが國の道統である「尊皇精神」「天皇へのかしこみの心」が、政治家にも國民にも官僚にも希薄になってゐるからにほかならない。

 

後藤田正晴氏は、「國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」といふ意識の持ち主であった。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣といふ名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

これは、天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國體を否定し、『現行占領憲法』体制下においてもわが國は立憲君主制であるといふ自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このやうな発言をしたのである。

 

肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的御存在が天皇である。天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されてゐる。

 

新渡戸稲造氏がその著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」と論じてゐる。

 

「天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもう」日本天皇は、権力や武力の暴走、権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在ではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与へられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してさういふおはたらきをされた来た。その事を『大日本帝國憲法は』は「天皇は統治権の総攬者」と表現したのだと考へる。

 

閣僚は、天皇の臣下ではないなどといふ主張は、かうした日本の正しい伝統を根底から否定する考へ方である。片岡啓治氏が「明治維新で求められた新時代とは、その後の現實に起こるような西欧化による近代の形成ではなかった」といふ指摘を思ひ起こさざるを得ない。 

 

わが國の傳統的倫理・道義は、〈神に対する真心の奉仕〉〈神人合一の行事〉である祭祀として継承されてきた。日本人の實際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れである。信仰共同体國家日本の祭祀の中核は「天皇の祭祀」である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられる。

 

江戸時代中期の不世出の國学者・思想家・詩人賀茂真淵は、「…さて臣たちも神を崇めば、心の内に、きたなき事を隱す事を得ず、すめらぎを恐るれば、みのうえに、あしきふるまひをなしがたし、よりて、此の二つの崇みかしこみを、常わするまじきてふ外に、世の治り、身のとゝのはんことはなきをや」(『賀茂翁遺草』)と説いてゐる。

 

議會政治は、多数決を基本とする。多数決を誤りなく機能させるためには、國民及び國民によって選出された議員が、権力闘争や利害の対立を抑制し、道義精神、理性を正しく発揮しなければならない。「人間は政治的動物だ」などと言って、道義道徳・理性を忘却してはならない。

 

日本の傳統の継承者であらせられ、常に神々を祭り、國民の幸福を神に祈られている神聖君主・日本天皇へのかしこみの心を國民全体が持つことが、日本の全ての面での安定の基礎である。

 

臣下國民に敬神尊皇の思ひが希薄になったことが今日の政治の混乱の最大原因である。現代日本は、肝心要の「一君萬民の國體」が隠蔽されてゐるのである。これは、『現行占領憲法』にその大きな原因がある。

 

しかしわが國には、國家的危機を傳統の復活・回帰によって打開して来た歴史がある。現代もさうした時期である。わが國の傳統の根幹は「天皇中心の國體」である。

 

「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治といふことである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)である。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。「一君萬民の國體の開顕」「公議を竭す政治の實現」を目指した明治維新の精神を今日回復することが大切である。

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2017年5月 2日 (火)

日本共産党は國體破壊を目指す革命政党である

日本共産党機関紙『しんぶん赤旗日曜版』本年二月二十六日号に次のようなことが書かれている。

 

「日本共産党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという制度は、民主主義、および人間平等の原則と両立しないと考えています。将来的には、天皇の制度のない民主共和生を展望していますが、その道のりはかなり長いものとなるでしょう。天皇の制度の存廃は将来、『国民の総意』によって解決されるべき課題だと考えています」。

 

つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまではできない」という当然至極のことを言っているのである。日本共産党は情勢が熟したら、天皇を君主と仰ぐ建國以来の日本國體を破壊することを目指す政党なのである。「その道のりはかなりながい」などと欺瞞的なことを言っているが、「廃止する」「打倒する」ことを目指しているのである。共産党は権力を掌握したら、彼らは言う「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。

 

共産革命によって君主制が打倒された國々は、民主主義も人間平等もまったく實現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。

 

共産主義革命が起こり、君主制が廃止された國では、君主制以上の独裁専制政治が行われた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフなどの党最高指導者による独裁専制政治が行はれた。共産国家に限らず、「共和政体」の國が「自由で民主的で明るい国である」などというのは大嘘であり幻想である。

 

支那も、辛亥革命で清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきている。

 

ロシアや支那の君主制と、わが國の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、共産党独裁の専制政治が行われたことは歴史的事實である。

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われてゐるやうに、金日成・金正日・金正恩といふ三代にわたる残酷・凶暴なる専制政治が行はれてゐる。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和國」などといふ長ったらしい國名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義國家」ではなく、金一族のみが専横を極め金一族を批判する人々は迫害され粛清される國である。また、金一族を批判しなくとも國民が栄養失調で死んで行く國なのだ。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の國は民主的でなく國民の自由は奪はれ、國民は差別されるが、共産主義國家は民主的であり國民平等の社會が實現する」という共産主義者の主張は全く大嘘である。共産主義体制の國こそ、國民の自由と繁栄は奪はれ、共産党幹部以外の國民は差別され虐げられる反民主的な専制國家になるのだ。それはまさに「歴史的必然」である。

 

日本共産党は「國民の総意」を強調しているが、共産党の言う「国民の総意」とは、「國民の多数の意思」のことである。国民の意志によって君主制を廃絶することができるというのは革命思想である。國體否定に賛成する議員が國會の三分の二以上の多数を占め、國體否定に賛成する國民が國民投票をした人の過半数を占めるに至った場合には、國體は廃絶されるというのはまさに「革命」である。

 

今回の「天皇の御譲位」に関する様々の動きでこのことが改めて明らかになった。『現行占領憲法』に日本國體と絶対に相容れない「國民主権論」が取り入れられ、天皇の御地位が「国民の総意に基づく」と書かれている。これは単なる戦勝国の拠る日本弱体化などという生易しい事ではない。『現行占領憲法』は「革命思想」を第一章に置いているという事である。近年の天皇・皇室に関するいろいろな動きを見て、『現行占領憲法』が日本國體破壊の導火線であることが明瞭になったのである。

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2017年4月12日 (水)

國歌『君が代』について

「わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて 苔のむすまで」

詠み人知らず

 

 

『國歌君が代』の元歌で、『古今和歌集』巻第七及び『和漢朗詠集』に「賀歌」として収録されてゐる。「賀歌」とは、人が一定の年齢に達した時に行ふ祝賀行事に際し、他者が詠んで贈る歌。お祝ひの調度としての屏風に書く歌として詠進されると共に、口誦して披露された。公的性格が強い。この歌は平安初期からよく歌はれゐたといふ。

 

「わが君のお年は、千年も八千年も、小さな石が巌となって苔が生えるまで、末永くお健やかでいて下さい」といふほどの意。

 

初句の「わが君」は、尊敬する目上の人といふ意味である。後に「わが君は」を「君が代は」と改められ、「天皇の御代」を讃へる歌となった。

 

「君が代は 千代に八千代 に さざれ石の いはほ となりて 苔のむすまで」

 

『君が代』はめでたい歌として貴族から庶民に至るまで自然発生的に全國民的に歌はれ続けた歌である。江戸初期には、堺の町の美声の歌ひ手に隆達といふ人がゐた。その『隆達節』にもこの『君が代』が最初に挙げられて、広く庶民の間に親しまれたといふ。

 

この歌は、近世にかけて全國に広がり、謡曲や神楽歌そして小唄・浄瑠璃・薩摩琵琶などに取り入れられ、貴族だけでなくあらゆる階層の人々に身近な祝ひ歌として広く親しまれ歌はれてきた。薩摩琵琶(注・薩摩で発達した琵琶、及びそれによる歌曲)の『蓬来山』といふ曲にも取り入れられた。

 

明治十三年(1880)、日本の国歌として「君が代」が採用された。その時、薩摩の大山巌(元帥陸軍大将)は、「わが國の國歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壤無窮ならん子とを祈り奉るべきである」として「平素愛誦する薩摩琵琶の中から『君が代』を選び出した」と語ってゐる。

 

國歌『君が代』には、日本國民の伝統的天皇信仰が高らかに歌ひあげられてゐる。

 

小さな石が大きな岩に成長することはあり得ないから非科學的な歌であるといふ議論があるが、日本人の信仰精神に対する無知をさらけ出してゐる意見である。石が成長して大きくなり巌となるといふのは日本人の古来からの信仰的真実である。自然には魂が宿ってゐるとする信仰は、祖霊信仰と共に日本伝統信仰の大きな柱である。

 

石が成長した岩には魂が籠ってゐると信じられた。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないで霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

 

 家に籠ることを「いはむ」と言ふ。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉なこと、けがれたことをきらって避けること、特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることを言ふ。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。 

 

 「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来てゐる。

 

 このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆゑに、魂の籠ってゐる「石」を「岩」と言ふ。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

 人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるといふ信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考へた。 

 

 日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているといふことである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くといふことは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるといふことになる。岩を霊的なものとしてとらへ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。さういふ信仰を歌っている歌が『君が代』なのである。

 

 石や岩などの自然物に魂が宿ってゐるといふ古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

信濃なる 筑摩の川の  細石(さざれいし)も  君しふみてば 玉と拾はむ (萬葉集巻十四・三 四〇〇)

 

 東歌(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」といふほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているといふ歌である。石に魂が籠るといふのは古くからの民俗信仰であった。 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

 

 今日今日と 我が待つ君は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも (萬葉集巻二・二二四)

 

 と詠まれてゐる。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されてゐる。

 

「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなはちさざれ石)には霊が籠ってゐて、霊の憑依物・霊的なものとして考へ、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

 

 「大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも」といふ柿本人麻呂の歌の「いほらせる」は、「いほりする」の尊敬語である。「いほる」とは、「斎」(いつき)の意義が込められてゐる。人麻呂は、天皇が神聖なる雷丘に忌み籠られて五穀の豊饒を祈る祭りをせられたことを詠んだのである。

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2017年4月10日 (月)

天皇の国家統治と武の道統

天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

 「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば、神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり「武」であった。故に「武」は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

夜久正雄氏はまた、神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

歴代天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

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2017年4月 9日 (日)

桶谷秀昭氏の『皇室論』

 

上御一人日本天皇は、歴史的伝統性の体現者であらせられ、信仰共同体(祭祀国家)日本の祭祀主(神を祭る最も尊貴な方)であらせられる。「現行憲法」の「天皇条項」は大変畏れ多いことながら、歴史的連続性・伝統性を希薄化あるいは無視した上で「象徴」と規定してゐる。そして、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。このことが、まことに畏れ多い申し上げ方であるが、天皇・皇族を権力の「操り人形」といふ御立場に置き奉る状況が起る原因となってゐる。「現行憲法」上の「象徴」といふ御地位が一体いかなるものであるのかも明確ではない。今日の天皇・皇室の関はる色々な事象の最大の原因はここにある。

 

上御一人日本天皇は、日本国の祭祀主であり統治者であらせられる御本質を回復するべきである。

 

「現行憲法」の第一章「天皇条項」は、伝統的な現御神・祭祀主としての天皇および日嗣の御子の御本質・日本國體の真姿を正しく表現してゐない。日本國體を正しく成文化した憲法を回復開顕すべきである。

 

現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子のあり方への回帰・天皇の御本質の復元が最も大切である。

 

桶谷秀昭氏は、「『たとへば勇気でも親切でも、私たちがさういふ抽象的な属性の<象徴>たらうとすれば、全生活をあげてそれにならうとする結果、身動きのできぬ非人間的な存在にならざるを得なくなるだらう』と言ったのは、福田恒存である。つまり、『象徴』といふ概念は、天皇を神格化しないが、非人間化を強ひるものである。天皇は一度も人間になってゐない。大衆社会のとどまることを知らない卑俗化に耐へ、なほかつ『象徴』なる規定によって非人間化を強ひられてゐるのが、今日の『象徴』天皇である。皇太子殿下が、『人格を否定するやうな動き』といはれたのは、宮内庁の中の誰かが雅子妃殿下に嫌がらせを言ったとか、いぢめたといふ次元の問題ではないであらう。だから『動き』といはれたのであらう。この『動き』は、多分、皇室の伝統や慣習とからみあって、『象徴』規定にあいまいさに無自覚な人間たちの、悪意のない非人間化の意思を指してゐるのであらう。悪意がないだけに、それは一層残酷な効果をもつのである。」(『諸君』平成十六年七月号「わざはひの根としての『象徴』規定」)と論じた。

 

この文章は、今日の状況を見事に予見してゐると思ふ。建国以来三千年の伝統を護持する事が最も大切である。皇室の御事はそこから考へねばならない。日本弱体化のために国民の皇室尊崇の心を希薄化しようとした占領政策・占領憲法にのっとった皇室論、そしてそれに便乗した左翼勢力の天皇制打倒を目的とする皇室論は厳しくこれを排撃すべきである。

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2017年3月31日 (金)

折本龍則・坪内隆彦・三浦颯の三氏が提出した「今上陛下の御譲位の件に関する要望書」

折本龍則・坪内隆彦・三浦颯の三氏が提出した『要望書』を掲載いたします。

〇 

 

今上陛下の御譲位の件に関する要望書

 

昨今における今上陛下の御譲位の問題に関して、安倍内閣は一代限りでの譲位を認める特例法を制定する方針を固めた。しかしこの政府方針は、二つの重大な問題を内包している。

 第一に、陛下は御譲位について一代限りではなく、恒久的な制度化を思召されているということだ。陛下による昨年八月八日の「おことば」を素直に拝聴すれば、それが将来の天皇を含む「象徴天皇」一般の在り方について述べられたものであることは明らかである。第二に、譲位を一代限りで認める特例法は、現行憲法第二条で、皇位は「国会の議決した皇室典範の定めるところによる」とし、さらにその皇室典範の第四条で、皇嗣の即位は「天皇の崩御」によるとする規定に違反する。

 本来、我が国の皇位は「天壌無窮の神勅」に基づき、現行憲法が規定するような「主権者たる国民の総意」に基づくものではない。したがって、皇室典範は憲法や国会に従属するものではなく、皇位継承の決定権も、一人上御一人に存する筈である。しかしながら、その上御一人であらせられる陛下が、現行憲法の遵守を思し召されている以上は、この度の御譲位も憲法の規定に従う他なく、それに違反する政府方針は御叡慮を蔑ろにするものといわざるを得ない。

 もっとも政府は、衆参両院における与野党協議の結果、皇室典範に附則を置き、そこで特例法と典範は一体であることを明記することで憲法違反の疑義を払拭し、典範改正による譲位の恒久的制度化を主張する野党との政治的妥協を図ったが、肝心なのは、与野党間の政治的合意よりも、御譲位における最終的な当事者であらせられる陛下が、その特例法案を御嘉納あらせられるかという事である。

安倍首相以下、我々国民の義務は承詔必謹、ただ陛下の御主意に沿い奉り、御宸襟を安んじ奉ることにのみ存するのであって、一度発せられた陛下のお言葉を歪曲する様な行為は絶対に慎まねばならない。特に、この度における御譲位の思し召しは、陛下が将来の天皇のあるべき姿について、長年、熟慮に熟慮を重ねられた上で、御聖断遊ばされたことであり、首相以下我々国民の側にいかに合理的な理由があるといえども、臣下の分際で反対する資格はない。

 ところが、先の「おことば」以来、この度の御譲位の問題に対する安倍内閣の態度は、陛下の御主意に沿い奉る誠意に欠け、はなから特例法ありきでの対応に終始したことは御叡慮を蔑ろにするものと言わざるを得ない。甚だしきは、首相が人選した「有識者会議」の出席者の中から公然と譲位に反対する意見まで噴出したことは極めて遺憾である。異論があるなら、前もって陛下に諫奏申し上げるのが筋であり、後から反対するのは不敬千万、皇威を失墜させ後世に禍根を残す所業である。「有識者会議」は首相の私的諮問機関といえども、安倍首相の政治責任は免れない。

特に、陛下が最初に御譲位の思召しを漏らされたのは平成二十二年に遡るとされ、当然その御内意は歴代の内閣にも伝達されたにも関わらず、政府は聖明を蔽い隠して来た。その責任を棚に上げて、「おことば」という、非常の措置で下された御聖断に盾突くなど言語道断である。

なお、「有識者会議」での議論を踏まえた「論点整理」では、譲位が将来の全ての天皇を対象とする場合の課題として、「恒久的な退位制度が必要とする退位の一般的・抽象的な要件が、時の権力による恣意的な判断を正当化する根拠に使われる」ことが挙げられているが、「時の権力による恣意的な判断」は、譲位が今上陛下のみを対象とする場合に、「後代に通じる退位の基準や要件を明示しない」ことによっても引き起こされうるのである。

 このように、譲位を一代限りとするか、恒久的制度とするかという当面の問題は、賛否両論に一長一短あり、結論を一決しがたいのであり、だからこそ我々首相以下の国民は、こうした国論を二分しかねない問題については、最終的当事者であらせられる陛下の御聖断を仰ぐほかないのである。したがって、政府は、この度の御譲位に関する特例法案が与野党の政治的妥結を得たとしても、同法案を国会に提出する前に闕下に上奏し、御裁可を仰ぐべきである。

かつて孝明天皇は、御叡慮に反して通商条約に調印した徳川幕府に御震怒遊ばされ、諸藩に下された密勅の中で、幕府による「違勅不信」の罪を咎められた。これにより朝幕間の齟齬軋轢が天下に露呈したことで、幕府権力の正当性は失墜し、尊皇倒幕の気運が激成して、幕府崩壊の端を開いたのである。このように、我が国における政府権力の正当性は、天皇陛下の御信任に基づくのであって、それは「国民主権原則」や「象徴天皇制」に基づく現行の政府権力においてすら例外ではないということを安倍首相はゆめゆめ忘れてはならない。

 

以上の趣意により、安倍首相及び政府は、君臣の分を弁え、これまでの御叡慮を蔑ろにした態度を猛省すると共に、一切の予断を排して承詔必謹し、以て一刻も早く御宸襟を安んじ奉るべきである。右強く要望する。

 

                  平成二十九年三月二十八日

 

内閣総理大臣安倍晋三殿

 

安倍首相に承詔必謹を求める有志一同

                        代表 折本龍則

                           坪内隆彦

                           三浦颯

                       賛同者 西村眞悟

                           四宮正貴

                           小野耕資

                           三浦夏南

                           柳毅一郎

 

                    

(事務局所在地)〒二七九の〇〇〇一

千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階

                             

 

   

 

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