2020年9月14日 (月)

皇位継承については、自民党総裁選挙という権力闘争の場で論じられるべきではない。

本日(令和二年九月十四日)の自民党総裁選びに関する報道で、 「自民党総裁選では『女系天皇』について、石破茂元幹事長が容認の可能性に言及。一方、政権中枢で首相を支えてきた岸田文雄政調会長、菅義偉官房長官は「男系継承」の伝統を重視する立場から慎重な姿勢を示しており、議論が停滞する可能性もある」ということが報じられていた。

皇位継承については、自民党総裁選挙という権力闘争の場で論じられるべきではない。

本日のフェイスブック及びブログで書かせて頂いたが、「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

ゆゑに権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志の第一にすべきである。

明治の『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神の意志として宣(の)べられた事が最高の「法」である。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。「詔勅」は神の御意志なのである。

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

皇位継承・天皇の譲位は國家と皇室の重大な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同体・祭祀國家日本の根本の問題である。権力機関たる行政府が決めるべきではない。

基本的に、皇位継承・御譲位について、臣下があれこれ論議をすることに、私は違和感を覚へる。一切は大御心のままにが、國民の姿勢であるべきだと思ふ。

皇位継承など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。神代以来の傳統の継承者・体現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。

皇室論・皇位繼承論・天皇論の根本には、國家観・神観・天皇観がある。日本國は神の生みたまひし國であり、天皇は天照大御神の生みの御子でありたまひ、神は今も生きたまふ、といふ絶対の信が、わが國の傳統信仰である。皇室論・皇位繼承論・天皇論はこの信仰を根本にして論じるられるべきである。

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2020年9月13日 (日)

天皇及び日本國體と憲法

日本國の憲法は日本國體に合致したものでなければならない。そうでなければ日本國の憲法とはいえない。

 また、日本國の憲法は、不信ではなく信頼という日本の麗しい精神伝統に立脚した成文憲法でなければならない。特に、日本の伝統が破壊され、天皇中心の國體が隠蔽されている現代においては、そのことは大変に意義のあることである。要するに、天皇中心國家という日本國の道統が憲法の条文にも正しく表現されなくてはならないのである。

日本國體は憲法に規定されることによって合法性が与えられるのではない.一國の國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。日本國に即していえば、天皇國日本という我が國の國體は、憲法が制定される以前からずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならない。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 また、成文憲法というものは、あくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものなのである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるもされないもなく厳然として存在するのである。
 
したがって、憲法及び法律そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。
 
憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。
 
繰り返し言うが、日本國の憲法は、天皇中心の日本國體(國柄)に基づいて制定されなければならない。國家を権力機関としてとらえた現行憲法
 
そもそも日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来から今日まで信じられて来ている。
 
國家を単なる権力機関として見ると、國家の神聖性・道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。

 今日においてさらに重大な問題は、日本國天皇の祭祀という共同體國家日本の存立の基本である<天皇の祭祀>が、憲法の制約下に置かれるようになっていることである。
 
また「個人の権利」のみを強調する現行憲法の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつあることである。
 
西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらえた現行憲法がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るということが不可能になるのである。 

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2020年9月 8日 (火)

御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)について

後堀河天皇御製


「山の端を 分出(わけい)づる月の はつかにも 見てこそ人は 人をこふなれ 」

「くりかへし 賤(しづ)のをだまき 幾度も とほき昔を 戀ひぬ日ぞなき」

(『新勅撰和歌集』)

第八十六代・後堀河天皇は、高倉天皇の第二皇子。第八十二代・後鳥羽上皇の御兄君であらせられる守貞(もりさだ)親王(後高倉院)の第三皇子であらせられる。つまり後鳥羽上皇の甥にあたられる。

「承久の乱」の後、立太子礼を経ずして、仲恭天皇廃位後、同日の承久三年(一二二一)年七月九日御年十一歳で践祚。貞永元(一二三二)年十月四日、まだ御年二歳の第八十七代・四条天皇に譲位され、院政を行はせられた。

しかし、後堀河天皇はそれから二年足らずの、天福二(一二三四)年八月六日に御年二十三歳で崩御された。崩御が急だったため、かつて後堀河天皇から天台座主の地位を約束されたものの反故にされた僧の怨霊の祟りだとか、後鳥羽上皇の生霊のなせる怪異であるなどと噂されたといはれる。この中世時代は、戦乱の時代であり、無念の死を遂げた人や僻地に追放された人が多かったので、怨霊とか生霊の祟りを恐れる人も多かったと考へられる。

後堀河天皇は、皇室の伝統を尊ばれ、和歌・文学を好まれたと承る。また、『新勅撰集』撰進を命じられ、藤原道家、藤原教実、藤原定家らが、文暦二(一二三五)年完成された。

後堀河天皇の御陵墓は、京都市東山区今熊野の泉涌寺にある観音寺陵である。

御寺(みてら)泉涌寺(せんにゅうじ)は、東山三十六峰の一嶺,月輪(つきのわ)山麓にある。皇室の御菩提所(御香華院と申し上げる)であり、諸宗兼学と道場と言われる。

弘法大師が天長年間、この地に草庵を結び、法輪寺と名付けた。順徳天皇御代の建保三年(一二一八)、月輪大師といふ僧侶が大伽藍を造営した。この時、境内に泉が涌き出したので、寺号を泉涌寺と改めたといふ。

このお寺は、朝廷の尊信が篤く、後鳥羽上皇、順徳天皇、後高倉天皇は、月輪大師によって受戒された。仁治三年(一二四二)、第八十七代・四条天皇の御陵が泉涌寺に造営された。

「承久の変」の後、後鳥羽上皇の皇孫であらせられ、順徳天皇の第一皇子であらせられる第八十五代・仲恭天皇が、「承久の乱」の後わずか七十八日間で鎌倉幕府の意向により廃位された。そして、後鳥羽上皇の鎌倉幕府打倒の御意に反対の立場であられた御兄君・守貞親王の皇子が皇位につかれた。第八十六代・後堀河天皇であらせられる。

そして、後堀河天皇はまだ御年二歳の皇子に譲位された。第八十七代・四条天皇であらせられる。しかし、御在位十年、御年十二歳の砌、四条天皇は、御所で誤って転倒されたことが直接の原因になって崩御。前述したとおり、突然の崩御を不可思議に思ふ者が少なくなかったやうで、巷間、後鳥羽上皇の生霊の祟りによるとの噂が立った。四条天皇の御製はのこされていない。

洛中洛外、南都北嶺の諸寺院は、四条天皇の御葬儀に奉仕することを拒んだ。「承久の変」に敗れた、後鳥羽上皇、順徳天皇をお慕ひし、鎌倉幕府の専横に反感を持ってゐたからであらう。そのやうな時、四条天皇の御葬儀奉仕を承ったのが、泉涌寺であった。その御縁で、以後、泉涌寺が朝廷の尊崇を得ることになったとされる。(中村尚勝氏の泉涌寺製作『皇室の御寺泉涌寺』所収論文参照)

御寺泉涌寺の総門を入り、参道を歩み行くと、左側に「拝跪聖陵」と刻まれた石標がある。この文字を讀むと歴代天皇を仰慕する国民の心が籠められてゐると感じ、自ずから粛然とした気持ちになる。

慶長年間に、内裏の御門をお移しした大門を入ると少し下り坂になる。その彼方に仏殿が見える。実に清らかにして美しい眺めである。歩み行くと右側に寺号の起源となった「泉涌水」といふ湧水がある。

仏殿は、寛文七年(一六六八)、德川四代将軍家綱の再建である。釈迦、弥陀、弥勒の三尊が祀られてゐる。

仏殿の奥の霊明殿には、天智天皇から明治天皇・昭憲皇太后・大正天皇・貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后に至るまでの歴代の御尊牌が奉安され、一山あげて朝夕ご冥福と国家の安穏が祈られてゐるといふ。何故、天智天皇からなのか分からない。

現在の霊明殿は、明治十五年(一八八二)十月炎上の後、同十七年明治天皇によって再建された尊牌殿である。

霊明殿の奥に、御座所(天皇が参拝に来られた時の御休息所)がある。霊明殿が再建された時に、明治天皇の思し召しにより、京都御所の御里御殿が移築され造営されたと承る。

昭和天皇は、昭和四十二年に、泉涌寺に行幸あそばされた時、御座所の御庭をご覧になり、

「春ふけて 雨のそぼ降る 池水に かじかなくなり ここ泉涌寺」

と詠ませられた。

なほ、終戦までは、泉涌寺の伽藍の補修、維持については宮内省の責任とされてゐた。ところが、戦後に押し付けられた『占領憲法』の「政教分離」の規定により、行政機関が直接神社仏閣に資を供することが禁止されたため、檀信徒を持たない泉涌寺の維持は極めて困難となった。ただ、わずかに、皇室内廷の御下賜金が唯一の拠り所であった。この時、伊勢の皇大神宮、橿原神宮、御寺泉涌寺を聖地とする解脱会といふ信仰団体が、霊明殿尊牌への奉仕と泉涌寺維持への協力が行はれるやうになった。

さらに、昭和四十一年、三笠宮崇仁親王を総裁に仰ぎ、民間篤志の人々が「御寺泉涌寺を護る会」が結成された。

霊明殿の東の奥に、月輪陵(つきのわみさぎ)・後月輪陵(のちのつきのわみさぎ)が鎮まりまします。四条天皇より、後水尾天皇から仁孝天皇までの二十五の御陵、五御灰塚、九御墓が営まれている。全部の御陵域を合わせても五一五七平方メートル(約千五百坪)という狭い所である。まことに畏れ多き事である。

ここに鎮まる天皇・皇族の御葬儀は、泉涌寺長老が御導師をお勤め申しあげ、御陵もすべて仏式の御石塔でお祀りされていると承る。唐門が美しい。

泉涌寺発行の『御寺泉涌寺』といふ案内書には、「月輪、後月輪陵も、わずかな御境域内に二十五陵、五灰塚、九御墓が鎮まっておられ、天皇陵は九重の石塔を、皇妃陵は無縫塔(むほうとう)を、親王墓は宝篋印塔(ほうきょういんとう)を立てただけで、深草北陵と共に心なき身にも、万乗の君と仰がれ給うた天皇が、幕府・権力者の非道に喘ぐ国民の上を思召されてかのような薄礼に甘んじられたことに無上の感激を覚えざるを得ない」と記されてゐる。

徳川家康及び江戸幕府歴代将軍の霊廟が、日光東照宮や久能山東照宮、そして上野寛永寺、芝増上寺などに豪華に造営されてゐることを思ふと、幕府の朝廷軽視、不敬が実感されるのは止むを得ない仕儀である。

月輪陵の背後の東山をのぼり行く。静寂の世界。鳥の聲のみが聞こえる。坂の左手に、後堀河天皇観音寺陵が鎮まりまします。御陵の清らかさを実感し、のこされた御製を拝すると、怨霊・生霊の祟りで崩御されたなどといふことは、全く嘘であると実感する。


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2020年9月 5日 (土)

宮内庁長官について―不忠の臣・後藤田正晴、富田朝彦。

資料整理をしていて「選択」という雑誌の平成十七年六月号掲載の『藩屏不在』という記事を読んだ。皇室に関して重大な指摘がなされていた。

「政府に遠慮しなかった(二十五年にわたった宮内庁長官を務めた)宇佐美毅氏に閉口して、官邸がコントロールしやすいように、宇佐美の後の宮内庁長官を官僚の一ポストに過ぎなくした…入江(相政氏・半世紀にわたって先帝昭和天皇にお仕えした人)の実力に政治家も手が出せなかった。…宇佐美の後任、警察官僚の富田朝彦は次長四年、長官を十年勤めたが決断が鈍く、『小型』官僚の典型であった」と書いている。

富田朝彦氏は、宮内庁次長の頃、宮内庁病院で当時掌典職であった永田忠興氏に話しかけてきて、「僕は、無神論者なんですよ」と言ったという。そして、富田氏は長官になった後、陛下の側近中の側近でありながら、宮中最大の重儀である新嘗祭をはじめとする大祭に、皇族方や三権の長が参列するにもかかわらず、参加しないことが多かったという。

神々を祭る宮中祭祀に奉仕する役目の「掌典職」にわざわざ「私は無神論者だ」などと言うのは、富田氏は単に無神論者であるというだけでなく、天皇の最も大切なご使命であり日本國體の根幹である「宮中祭祀」を簡略化することが正しいと信じていたとしか考えられない。

このような人物が宮内庁長官になったことは誠に遺憾なことであった。後藤田正晴が警察庁長官の時、富田氏は警備局長だった。富田氏の宮内庁入りは直属の上司だった後藤田正晴の人事であることは間違いない。富田氏が警備局長の時、「あさま山荘事件」が起こった。解決にあたった佐々淳行氏は、富田氏のことを「不決断の警備局長」と断じて批判した。

富田氏は、宮内庁長官時代、元の上司・後藤田正晴に対等にものが言えるという立場ではなかったであろう。部下同然に対応されたのではないか。官房長官の後藤田に、呼びつけにされていたという人もいる。

富田氏はまた、昭和天皇が宮内庁長官であった富田氏に語られた『お言葉』をメモに取り、自宅に秘匿した。そして富田氏の遺族はそれを『日経』に売った。

無神論者・富田朝彦は文字通り「神を恐れぬ人物」であり、且つ、稀代の君側の奸、不忠の臣であることが明白となった。

この富田氏の「メモ」が大きな問題を起こしたのである。富田氏が宮内庁次長時代に、社会党議員が国会で、「天皇陛下の靖国神社行幸が違憲である」と富田氏を執拗に責め立てた。この後、先帝陛下が靖国神社に行幸されなくなったのである。富田氏が、政治家の追及に震えあがり、先帝陛下にいろいろな情報を申し上げて、先帝陛下の靖国神社行幸をお止めし、それを糊塗するために「A級戦犯云々」を日記に書いたと推測するのは邪推であろうか。

天皇陛下の側近が政治家に顎で使われるようでは、皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。戦前は、総理経験者などの「元老」「重臣」が輔弼の臣として天皇をお助けし、宮内大臣、内大臣もいた。これらの人々は総理と同格あるいはそれ以上の人々で、政治家に顎で使われるなどということはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができたのである。

戦後は、占領軍に日本弱体化政策によって、元老、重臣、宮内大臣、内大臣、宮中顧問官などは廃止され、六千人以上の職員がいた宮内省も宮内庁に格下げとなり、職員も千人程度に減じられた。

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。

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2020年8月30日 (日)

志位和夫の「國體観」の根本的誤り。


日本國體とは、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体のことである。単なる「國家の体制」のことではない。「体制」とは「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。つまり、「國家の体制」とは、無機的な権力機構としての國家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「國家の体制」と表現するのは絶対的な誤りである。

日本天皇は権力者ではなく祭り主である。そして日本國は祭政一致の祭祀國家である。他の國家の國の成り立ちとは根本的に異なる。権力者であらせられない天皇は、「権力の制限規範」とされる成文憲法に制限され、拘束される御存在ではない。

日本と欧米や支那とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、欧米や支那の法思想・國家観・君主観をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

祭祀國家日本の祭祀主・天皇に関する神聖なる事柄は、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

当たり前のことであるが、最初に成文法があって國體が成立するのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。志位和夫はかかる日本の伝統的國體を全く理解しない思想に基づいて次のように論じる。

志位和夫は、「國家制度の性格をつかむ場合に何よりも大切になるのは、主権がどこにあるかということです。主権という点では、日本國憲法に明記されている通り、日本という國は、國民主権の國であって、君主制の國とはいえないことは明らかです」と言っている。

この志位和夫の天皇観、日本國家観は根本的に誤っている。國體と政体を混同している。

志位和夫の君主観・國家観は、君主を権力者であるとし、國家を権力体制であるとする西洋國家観を日本にあてはめるという日本國の歴史と伝統を全く無視した思想なのである。

志位は「天皇の制度は、ヨーロッパなどでの立憲君主制―形の上では國王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを憲法や法律(慣習法)などで制限し、事実上國民主権の枠の中にはめ込んでいる國家制度―とも決定的な違いがあります。それは日本國憲法第四条が、天皇の権能について、『天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない』と明記していることです。世界に、『國政に関する権能を有しない』―統治権にかかわる権限を一切持たない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです」と論じている。

『現行占領憲法』第四条に「天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれているのはわが國の今日の政体即ち権力機構としての國家に関する規定である。

これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたことは、自民党政府・自民党政治家も同じである。

天皇は武力で空間を制圧して國家を治められているのではなく、天照大神の御子としての神聖なる権威によって治められている。そしてその根幹は神を祭られる〈天皇の祭祀〉である。

このような古事記・萬葉以来の我が國の精神伝統が、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいますの國」とする「國體」「國柄」なのである。戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない

共産党が主張する「國體とは戦前の天皇主権の國家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。『大日本帝國憲法』の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の神の國である日本には全くそぐわない。 

古代以来今日に至るまで、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいます國である」ことは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが國は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。

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2020年8月25日 (火)

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は、多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる

共同体国家は倫理精神によって成立する。言ひ換へれば、人が動物ではなく人として生活にしていくようになるのは、共同体の成員として生きることによるのである。個人が自我の拡張ばかりしてゐたら共同体は破壊される。共同体が破壊されればそこに生きる個人は生きていけなくなる。

人間はその本性において「聖なるもの」を求めざるを得ない。日本民族において「聖なるもの」とは祭祀主である天皇であらせられる。

葦津珍彦氏は、「人間は、だれでもが神聖なるものを求めている。…それは、人間が、自らが神聖でなく、崇高でなく、心中いつも穢れのさけがたい存在であることを深く知っているからである。…日本では、遠く悠久の古代から祓いが行われ、祭りが行われて、民族の中に「神をもとめる心」が保たれて来た。…天皇のおつとめの第一は、祭り主をなさるということなのである。この祭りによって、天下の人心の神聖をもとめる心を保たれることである。天皇は親しく祭りをなさるとともに、天下万民をして祭りを執行せしめられた。」(『近代民主主義の終末』)と論じてゐる。

日本伝統信仰の根本行事は「まつり」である。「まつり」は、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、一切の罪穢れを祓ひ清め人としての本来の清らかな姿=生成の根源に立ち帰る行事である。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふ。日本国といふ共同体における最高の祭祀主が、日本天皇であらせられる。

折口信夫氏は、「日本では、神祭りの主體となるのは、宮廷の神祭りで、その祭りに於ける主體は、歴代聖主であられた訣だ。主上の御生活には、日常の生活のほかに、神として改まった御生活があった。そのハレの生活は更にケの生活の規範であって、同時に我々のハレ及びケの生活の典型であったのである。…祭りの時の生活を日常の生活に攝取しようとするのは、誰もが持ってゐる情熱である。しかもこのハレの生活法がケの生活の規範なのである。」(『宮廷と民間』・全集第十七巻き所収)と論じてゐる。

日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

天皇が日本国の倫理精神の鑑であらせられ、無私・無我・清明心・誠といふ日本古来の伝統的倫理精神の体現者であらせられるのは、天皇が無私になって神に一切をまつろひ奉る行事=「まつり」の執行者であらせられるからである。

「国歌君が代」の斉唱は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ日本国の永遠を寿ぐ行為である。

筧泰彦氏は「日本人の倫理や道徳の根本は、ワレの心としての『清明心』や『正直』や『誠』にあります。西欧で理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考へるのとは対照的に、『私』を去り『我』を没することを以て根本と考へてゐるのです。天皇は、かかる清明心の根源、無我の体現者たるヒトとして、日本民族が長い歴史的鍛練を通じて作り上げた日本人の『ミチ』の中心点でありませう。」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は、多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下のご存在があってこそ、日本国は安定が保たれる。日本の傳統精神の体現者であらせられる天皇・皇室がおはします限り日本国は安泰である。

天地自然に神の命が生きてゐるといふ信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において正しく回復することが大切である。それが現代の道義の頽廃をはじめとした様々な危機的状況を打開する方途である。

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2020年8月21日 (金)

舒明天皇國見歌の御精神 


「高市岡本宮御宇天皇代(たけちのをかもとのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ) 息長足日 廣額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)

 天皇、香具山に登りて望國(くにみ)しましし時の、御製の歌

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし國ぞ あきづ島 大和の國は」

この御製歌(おほみうた)は、舒明天皇が大和をほめ讃へられた御歌で、『萬葉集』を代表する叙景歌(自然の風景を歌った歌)である。御製歌とは天皇の御歌のこと。

高市岡本宮に皇居を構へられて天下を御統治された第三十四代・舒明天皇の御代の歌である。高市岡本宮とは、今日の奈良県高市郡明日香村雷丘付近。息長足日廣額天皇とは舒明天皇の御事。

舒明天皇は第三十代敏達天皇の皇孫で、推古天皇元年(五九三)に生誕され舒明十三年(六四一)に崩御された。舒明天皇の御代に初めて遣唐使が派遣された。蘇我氏が大きな力を持ってゐた時代の天皇である。舒明天皇の第二皇子が蘇我入鹿を討ちとって大化改新を断行された中大兄皇子(後の天智天皇)であり、第三皇子が天武天皇である。

「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。

天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。

昭和五十四年十二月四日、昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、昭和天皇は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

昭和五十九年十二月、昭和天皇は、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのびけふも旅ゆく」

である。

農業國家・稲作國家であった古代日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、共同体の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことが大きな使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを〈祭政一致〉といふ。

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2020年8月 9日 (日)

日本國體を破壊して共産党が政権を掌握した時こそ、日本国が専制独裁国家になってしまうのである。

志位和夫日本共産党委員長は、「(天皇の制度・注)は、何よりも『世襲』にもとづく制度であり、それ自体が人間の間に差別や身分的秩序をつくりだす制度であるという点で、『民主主義および人間平等の原則』と両立するものではありません」(令和元年六月発行『天皇の制度と日本共産党の立場』)と語っている。


日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。それは「綱領」を読めばそれは明らかである。「綱領」には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、共産党の言う「天皇の制度」を否定した「共産主義憲法」を制定する。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。

しかし、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。このことはソ連・共産支那・北朝鮮を見れば火を見るよりも明らかなことである。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。これは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。「君主制打倒」「天皇制廃止」こそ、日本共産党の基本姿勢なのである。

日本共産党は、今日においても、天皇を君主と仰ぐ日本國體の破壊を目指してゐる。それは日本共産党の指導者・不破哲三が、「私たちは、目標としては民主主義の精神、人間の平等の精神に立って、天皇制をなくす立場に立ちます。これをどうして實現するかといえば、主権者である國民の多数意見が、その方向で熟したときに、國民の総意で解決する、ということです。これが、天皇制の問題を解決してゆく、道理ある方法だと考えて、今度の綱領に明記したわけであります」「日本の國の制度、政治の制度の問題としては、一人の個人が『日本國民統合』の象徴になるとか、あるいは一つの家族がその役割をするとか、こういう仕組みは民主主義にもあわないし、人間の平等の原則にもあわないと考えています。ですから将来の日本の方向として、どういう制度をとるべきかということをいえば、天皇制のない民主共和制をめざすべきだというのが日本共産党の方針であって、この点に変わりはありません」(平成十六年の日本共産党創立八十一周年記念講演)と述べていることによって明白である。

日本共産党の「綱領」にも、「(象徴天皇制は・注)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に國民の総意によって解決される」と書かれている。

つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまではできない」といふ当然至極のことを言ったまでのことである。日本共産党は情勢が熟したら、天皇を君主と仰ぐ建國以来の日本國體を破壊することを目指す政党である。この事には何に変はりはない。「解決」などと言ふ欺瞞的な言葉を使ってゐるが、「廃止する」「打倒する」といふことである。共産党は権力を掌握したら、いはゆる「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。

それは、「綱領」の「前文」に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『國民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…國民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の實現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張してゐることによって明らかだ。

志位和夫は、「綱領がのべているように、現制度は何よりも『世襲』にもとづく制度であり、それ自体が人間の間に差別や身分的秩序をつくりだす制度であるという点で、『民主主義および人間平等の原則』と両立するものではありません」と語っている。

権力者の世襲、厳しい国民の間の差別及び身分的秩序を基本とした独裁専制政治が行われ、多くの国民が苦しみに喘いでいるのは、北朝鮮・共産支那などの共産国家である。この事実を志位は全く無視している。

天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊して共産党が政権を掌握した時こそ、日本国が専制独裁国家になってしまうのである。

『日本共産党』の「綱領」には次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきている。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民は差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのである。

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2020年7月24日 (金)

志位和夫の國體観について


日本共産党の志位和夫は、その著『天皇の制度と日本共産党の立場』「国家制度の性格をつかむ場合に何よりも大切になるのは、主権がどこにあるかということです。主権という点では、日本国憲法に明記されている通り、日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国ではないことは明らかです。」と論じてゐる。

さらに、『日本共産党綱領(2020年1月18日 第28回党大会で改定)』には次のように書かれてゐる。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」と。

日本共産党は、敗戦後戦勝国によって押し付けられた『現行占領憲法』の「天皇条項」を理論的根拠・金科玉条として日本國體そして天皇皇室を規定し、隠蔽し将来的には破壊しようとしているのである。

日本天皇は権力者ではなく祭り主であらせられる。そして日本国は祭政一致の祭祀国家である。他の国家の国の成り立ちが根本的に異なる。したがって、権力者であらせられない天皇は、「権力の制限規範」とされる成文憲法に制限され、拘束される御存在ではない。

日本と欧米や支那とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、欧米や支那の法思想・国家観・君主観をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

祭祀國家日本の祭祀主・天皇に関する神聖なる事柄は、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

成文法があって國體が成立するのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。日本共産党の根本的誤りは、この日本国家観、君主観か全く理解してゐないところにある。

志位はかかる日本の伝統的國體を全く理解しない思想に基づいて次のように論じる。「天皇の制度は、ヨーロッパなどでの立憲君主制―形の上では国王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを憲法や法律(慣習法)などで制限し、事実上国民主権の枠の中にはめ込んでいる国家制度―とも決定的な違いがあります。それは日本国憲法第四条が、天皇の権能について、『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみに行ひ、国政に関する権能を有しない』と明記していることです。世界に、『国政に関する権能を有しない』―統治権にかかわる権限を一切持たない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです。」と。何と浅薄なる君主論・天皇論であることか。

『現行占領憲法』第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」などと書かれている。

これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたことは、政府・自民党政治家も似たようなものであるということだ。

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 「やまとことば」の「しろしめす」は、「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。
 
「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 
『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

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2020年7月23日 (木)

國體を隠蔽する内閣および宮内庁の官僚たち

 

皇室・天皇の御事について論じることは大変に恐れ多いことであるが事があまりにも重大であるので、敢えて書かせていただきたい。特に、最近、宮内庁が六月十七日、天皇陛下の「相談役」(こんな官職が本当のあるのかどうかわからないが)天皇陛下の靖国神社行幸参拝に反対し、拉致問題も小さな問題だと言った五百旗頭士真・元防衛大学長を指名したことに関して激しい批判が起っている。

 

宮内庁だけでなく、内閣法制局、総理官邸を仕切っている官僚たちは、日本國體の本義を全く知らない。のみならず、まことに畏れ多い言い方であるが、日本國體・天皇皇室の御本質を隠蔽している『現行憲法』で、天皇皇室を雁字搦めにしている。天皇皇室を祭祀主と仰ぐ日本國體を隠蔽してゐる元凶は、実に内閣であり宮内庁であると言っても決して過言ではない。

 

平成二年四月十九日の衆議院内閣委員会において、宮尾盤宮内庁次長(当時)は「(注・大嘗祭は天皇が神となる)宗教的な儀式ではないかというお話がございましたけれども、…その儀式の次第その他を見ましても、そこには神となるというような意味合いを持った事柄というものは私ども見受けられないと思っておりますし、大嘗祭は…天皇が新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御自らもお召し上がり、そして国家国民の安寧と五穀豊穣というものを感謝し、また祈念される重要な儀式、そういう意味合いの儀式である」と答弁した。

 

高橋紘氏は「(注・即位の大礼・大嘗祭の儀式は)官僚が前例に則して、そこから憲法の政教分離の原則に抵触する部分を抜き出して整合性を持たせてできあがった。これは官僚天皇制ともいうべきものであろう」(『象徴天皇と皇室』)と論じてゐる。

 

まさに今日の皇室は「官僚天皇制」なのである。これは由々しき事である。

 

祭祀が神人合一の行事であること、大嘗祭は天孫降臨の繰り返しであることは,否定してはならないし否定することができない日本の伝統である。

 

水野祐氏は「天皇家においては『践祚大嘗祭』を親祭されて、天照大神の大八洲を賦与された天皇が、年間を通じて霊能を消耗させていくのを防止するために、毎年行われる新嘗祭は、その霊能の更新を図る祭儀であった」(『大嘗祭の起源』・平成二年九月発行「歴史読本 天皇即位謎の大嘗祭」所収)と論じた。

 

三笠宮崇仁殿下は、「今日では皇室祭祀があまりに儀式化されていて、宗教的感情に訴えるものが失われているが、この新嘗祭だけは別である。最近のように科學萬能の社會に住んでいると、新嘗祭の夜はふるさとにもどったように感じる。…日本の皇位継承の諸儀式の中で最も重要なのが、〝おほにへのまつり〟(大嘗祭)である。一般には…〝神人共食〟といわれている。…しかしそれだけではない。…この祭では、第一の神座は、ほのににぎのみこと、つまり〝穀靈〟が天から下るドラマの舞台だったと考えられるが、…穀靈だけとはいえない。神話でほのににぎのみことの子孫が日本の天皇になっているから、そこには〝祖靈〟が加わっていると見なすべきであり、…新帝がそれを身に付けることこそ、即位の諸儀礼の中でも、最も重要だったにちがいない。…大嘗祭で授かった靈力は、毎年行われる同様の儀礼〝にひなめのまつり〟(新嘗祭)によって更新された。大嘗祭または新嘗祭は、五穀豊饒の原動力と考えられた天皇の靈力の継承または更新であったから、単に皇室だけの祭儀ではなく、むしろ全國農民の悲願實現のための農耕儀礼であったのである」(『新嘗祭と大嘗祭』)と論じておられる。

 

さらに三笠宮崇仁親王殿下は、「日本の皇位継承の諸儀式の中で、大嘗祭が最も厳粛な儀式で、新穀や、新米で作った白酒・黒酒、その他の神饌を、天照大神をはじめ諸神に供え、天皇もそれを頂く。神人共食儀礼であり、践祚で受けた霊力を毎年更新するのが、十一月二十三日の夕方から翌朝にかけて神嘉殿で、天皇自ら行われる神嘗祭である…」と説かれている。(『大嘗祭の起源』平成二年九月発行「歴史読本・天皇即位 謎の大嘗祭」所収)

 

真弓常忠氏は、「大嘗祭は、御一代初の新嘗祭であり、天皇が初めて新穀をきこし召すことにより、皇祖天照大神の霊威を身に体されて、大神と御一体となられる儀であり」(『大嘗祭と神宮の遷宮』昭和六十三年十一月発行「別冊歴史読本」所収)と論じてゐる。

 

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

 

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

 

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

 

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

 

いはゆる「官僚天皇制」を一日も早く払拭しなければならない。そのためには『現行占領憲法』の全面否定が断行されなければならない。

 

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