2020年8月23日 (日)

わが国民は「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである

わが国は大東亜戦争の敗北した後、戦勝国が開いた「東京国際軍事裁判」という名称の報復により、戦争遂行時の国家指導者は死地に追いやられた。また、七年間にわたり戦勝国によって占領され、その間、憲法を押し付けられ、ありとあらゆる手段で我が国の弱体化・戦勝国への隷属化が図られた。さらに、わが国が戦争遂行にあたって軍事的に進攻した国々に対して何回も何回も謝罪させられ、かつ、賠償金を支払わされ、経済援助を強いられた。

一体七十年以上も経過して、いまだに、過去のことで周辺諸国に謝罪し、さらに、その戦争に対して、自由な意見表明が出来ない国が世界の何処にあるであろうか。日本だけである。何んとも悔しい。しかも、国内に、祖国の歴史を冒瀆し、祖国を悪しざまに言うことしか考えない連中が跳梁跋扈していることは何んとも許し難い。外国からの干渉がある前に、こういう連中が騒ぎだす。「朝日新聞」「日共」「社民」などはその典型である。

「極東国際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。「平和と人道に対する罪=侵略戦争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した。しかし、そもそもそのような概念は、戦争が開始された時にも、終戦時にも、裁判後にも定着しなかった。つまり人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪したのである。裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戦勝国による一方的な復讐が東京国際軍事裁判であったのである。

「東京裁判史観」とは、極東國際軍事裁判の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが國の行為を一方的に処断したにすぎない全く虚妄の「判決」を正しいとする歴史観である。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

日本は白人と戦いアジアを三百年の白人支配から救った。昭和十八年にアジア諸国は独立した。戦後独立したというのは誤りである。インパール作戦はインド独立のための戦いであった。インドに顕彰碑がある。マレーシア人は日本軍は白人と華僑の搾取と支配から解放してくれたと思っている。

東京裁判史観とは、東京裁判の判決が正しく、日本は東南アジアおよび南方を略取しようとして共同謀議をしたという虚構の歴史観である。

極東国際軍事裁判で「日本無罪論」の判決を書いたインドのパール判事は、「時が熱狂と偏見とをやはらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へることを要求するであらう」と、判決文の最後に書いた。

にもかかわらず、日本国民自身が、戦後七十五年を経過したにもかかわらず、「偏見」と「虚偽」から脱出することができないでいる。歴史を大観すれば、明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦い即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦いであったのである。このことをわが国民は正しく認識し理解し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。

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2020年8月16日 (日)

荒木和博氏の正論

荒木和博氏はかつて次の文章を書いている。大変重要なご主張なのであらためて掲載させていただく。

 

             ◎
【調査会NEWS1675】(26.10.16)

 

「■ルメイの勲章
         荒木和博

 

 新幹線開業と東京オリンピック50周年で、このところ新聞テレビでも特集が組まれています。しかしもう一つの50周年には誰も関心を持っていません。この年の12月7日、日本国政府が米空軍の参謀総長カーチス・ルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を授与したことです。

 

 ルメイは東京大空襲を初めとする都市の無差別爆撃や原爆投下を司令官として指揮し多数の民間人を殺傷した人物でした。新幹線やオリンピック、高度成長で浮かれていたとき、同時にこのようなことが行われていたというのはある意味戦後日本を象徴していたのかも知れません。

 

 叙勲の理由は航空自衛隊の育成に貢献したとのことだったそうですが、実際にはルメイは航空自衛隊にはほとんど関係もしておらず、ともかく叙勲しなければならないという別の理由があり、後付けの理由であったことは明らかです。

 

 勲一等旭日大綬章は通常天皇陛下が直接授与しますが、ルメイについては入間基地で航空幕僚長から授与されています。昭和天皇としては内閣の決定を覆すことはできないものの、最大限の抵抗をされたということでしょう。しかし、ルメイは虐殺をした自分に勲章をくれる日本政府、日本人を心の底では軽蔑したはずです。

 

 どこかの国のように昔のことを蒸し返すべきではないかも知れません。ルメイも命令に従ってやったのは事実でしょう。しかし、少なくとも東京大空襲だけで一晩に老若男女10万人を焼き殺した人間に勲章を授与する必要はないはずです。何かの圧力が加わったのだとしても、本来それは日本人の名誉にかけても拒否すべきでした。そのような醜悪なことが日本の戦後には、見えないことも含めてべっとりと張り付いているのでしょう。

 

 さて、日本は北朝鮮から長期かつ広範囲に拉致の被害を受けてきました。そのために本人も家族もどれだけの苦しみを受け続けてきたかわかりません。拉致問題は明らかに国家犯罪であり、私たちはその犯罪を行いながら、なおかつ隠蔽し続け、「説明してやるから来い」と言っている国に外務省の幹部を派遣しようとしています。そこには国民を拉致されたという怒りは微塵もなく、話を聞いてきたという「実績」を残そうという官僚的発想だけが存在しています。

 

 認定されていようといまいと、ともかく取り返せる人から取り返すのは当然です。そのために交渉が必要というのも分かります。しかし、その交渉は犯罪者である北朝鮮当局に対して強い怒りを持った上で、あえてそれを押さえてするべきです。しかし外務省はもちろん安倍総理にも正直なところその怒りは感じられません。

 

 怒りがなければ生存している全ての拉致被害者を取り返すことなど絶対にできません。それどころか何人か帰ってきたところで手打ちして、北朝鮮に遺骨代か経済援助か分かりませんが貢ぐのが関の山です。今こそ拉致の本質をもう一度認識して、私たちはもっと強い怒りを持つべきではないでしょうか。そうしないとやがて「拉致被害者を数人返した功績」とかいって金正恩に勲章でも授与するなどということが起きるかも知れません。」

 

              ◎

 

戦争に敗北するということは如何に情けないことなのかを証明する文章である。日本人の手で極東国際軍事裁判が行われていたら、ルメイは間違いなく絞首刑である。

 

ルメイなる不倶戴天の敵に勲章を与えただけではなく、東亜解放に貢献した日本の軍民に対する顕彰も行わず、いわゆる「日本の戦争犯罪」なるものを犬のように嗅ぎまわって探し出し、責め立てるというのが戦後日本の欺瞞的「反戦平和」勢力、亡国野党・メディアである。

 

かかることが行われている限り、日本は今日の外交戦、国難に勝つことはできない。そして東アジアは共産支那の支配下に入る。共産党と手を結んで政権を奪取しようという立憲民主党という野党の跳梁跋扈を許してはならない。その為には、自民党の根本的反省が必要である。

 

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2020年8月 3日 (月)

亡国勢力を駆逐することが必要である。

森田康之助先生(故人。文学博士・国学院大教授)は、「歴史を見る目は即ち将来を見通す目であり、歴史とは未来記に他ならない」(『伴信友の思想』)と言はれた。日本近代史に対する正しい認識が、現在及び将来の日本を決定づける大きな要素になる。何時までも自虐史観にとりつかれてゐると、日本は亡国の道を歩む。すでに歩み続けてゐると言っていい。

自虐史観を払拭することは、決して無反省でいいといふことではない。私は、明治以後の日本が良いことしかしなかったとは思はない。また戦前の日本が理想的な国だったとも思はない。もしさうだったとしたら、昭和維新運動は起こらなかったであらう。近代化によって、西洋覇道精神が日本国に浸潤したことも事實である。そのことの反省はもちろん必要である。

しかし、日本国が、西欧列強の侵略に抗して自国の独立を護るために、西洋化・近代化を推進し富国強兵を図った。そのことによって国内的にも対外関係においても様々な矛盾が生じた。しかし、「日本だけが悪かった、日本は悪いことしかしなかった」といふ歴史認識は根本的に改めなければならない。

渡部昇一氏は次のやうに論じてゐる。「十九世紀末から二十世紀前半の国際社会は、『侵略は是』とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、『弱肉強食』あるいは『適者生存』という言葉を使うのが、最もふさわしい。…欧米の植民地政策は、ダーウィニズムによって〝お墨付き〟をもらったようなものであった。何故なら、『優れた白人が有色人種を征服することは、自然の摂理なのだ』ということになったからである。…当時は、進化論を持ち出せば、何でも正当化できるという雰囲気が欧米社会に充満していのである。このような『弱肉強食』を是とする国際社会の中で、日本がその生存と独立を維持しようとすれば、同じように弱肉強食の論理に従わざるを得なかった。」(『かくて昭和史は甦る』)と。

東條英機元総理は、「東京国際軍事裁判」に於けるキーナン検事の尋問に答へて、「この裁判の事件は、昭和三年来の事柄に限って審査しているが、三百年以来少なくとも阿片戦争までさかのぼって調査されたら、事件の原因結果がよく分かると思う。」と述べた。欧米列強の数百年間にわたる東亜侵略の歴史を踏まへて、大東亜戦争は論じられ、評価されなければならない。大東亜戦争は、数百年来の西欧列強・白色人種国家の東亜侵略に対する正義の抵抗であったのだ。

『極東国際軍事裁判(東京裁判)』を創設したマッカーサーですら、一九五一年五月、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、「日本が第二次大戦に赴いた目的はその殆どが自国の安全保障のためであった」と『東京国際軍事裁判』の訴因を全く覆す証言を行ひ、大東亜戦争は日本の侵略ではなかったと述べた。

『極東国際軍事裁判』の裁判長を勤めたウエップもバーガミニーといふ人の著書の序文で、「米国も英国も日本が一九四一年に置かれたような状況に置かれれば、戦争に訴えたかもしれない」と書いてゐるといふ。

歴史問題は、真摯に冷静に考究されなければならない。ところが現状はさうなってゐないことが問題なのである。近隣諸国、つまり共産支那や南北朝鮮は、歴史問題をわが國に対する外交的圧迫、攻勢、脅迫の手段にしてゐる。

のみならず、国内の反日的な政治家・メディア・学者文化人は、近隣諸国に対してわが国への内政干渉を煽動し、近隣諸国のわが国への外圧=内政干渉を利用して、わが国の尊厳性・誇りそして日本民族の国民的自覚を喪失せしめ、窮極的には、天皇中心の日本國家の崩壊を目論んでゐる。かかる亡国勢力を駆逐することが必要である。

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日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

戦後日本は「人命尊重」「人権擁護」「平和」ということを絶対的価値、最高の目標としてきた。それは「現行占領憲法」の基本原理となっている。しかし、戦後七十数年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出している。人権擁護とか人命尊重とか平和などということがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかったのである。

 

むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければいいという精神を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめたのである。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢したことが今日の日本を作り出したと言える。「現行占領憲法」に象徴される戦後精神というものを徹底的に払い清めなければならない。

 

「共産支那」はまともな國ではない。共産支那は、民主国家でも近代国家でもない。まさに前近代的な専制独裁国家である。このやうな国にこれまで日本は一生懸命経済技術援助を行ひ、且つ、歴史問題で謝罪し続けてきたのである。あまりにも愚かだったといふべきである。

 

『日中国交回復』の時、日本国民の多くは「北京の空は青かった」などに浮かれていたが、いまや公害で青空どころではない。支那大陸からの酸性雨は、日本に悪影響を及ぼしている。否、共産支那の存在自体がわが国にとってとてつもなく大きな「公害」である。

 

「日中友好」に狂奔した政治家、経済人の責任は重大である。経済界には、共産支那の悪辣さがこれほどまでに明白になったにもかかはらず、支那で金儲けをしたい一心で、共産支那に媚を売る連中がいる。政界にもまだ支那に媚を売り、支那の手先のやうなことをしてゐる政治家がいる。全くどうかしている。まさに売国奴である。

 

自虐史観とはいかなる定義であろうか。私の考えでは、自虐史観とは、「米英支蘇」は善人であり悪いことは何もしなかった、日本は悪人であり悪い事しかしなかったといふ史観であると思う。別の言い方をすれば、欧米列強の切り取り強盗し放題は許されるが、日本がやったことは防衛と自存の為の戦いであっても侵略と見なすという史観である。これは「極東国際軍事裁判」という名の戦勝国によるわが国に対する軍事的報復における一方的断罪の理由付けとなった。従って「東京裁判史観」とも言うのである。

 

近代日本の歩み、とりわけ、明治維新から大東亜戦争敗戦までの歴史について、いかに考えるかが、今日の日本にとってきはめて重要な問題である事は言うまでもない。日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

 

安倍総理は最近、戦後レジームからの脱却と言わなくなった。安倍晋三氏は、総理大臣として正々堂々靖国神社に参拝しなくなった。総理が正しい姿勢を見せてこそ、外交問題が正しく解決するのである。

 

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2020年6月27日 (土)

大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

昭和天皇は『終戦の大詔』において「同胞排擠(はいさい)互に時局を乱(みだ)り為に大道を誤り信義を世界の失ふが如きは朕最も之を戒む」と示されてゐる。

このお言葉はまさに今日の日本の現状をそのまま予言されてゐると拝するべきである。昭和天皇の大御心を疎んじ奉ってきたことが、今日の日本の混迷の原因である。

祖國日本が近代において、欧米列強の侵略支配に抗して祖國の独立を維持し続けただけでなく、アジア解放に努力した歴史に対して、日本國民が誇りを持ち、先人たちに感謝し慰霊すべきなのである。

しかるに、今日の日本の多くの國民が、國内外の反日勢力の洗脳・宣伝によって、自虐史観・東京裁判史観・大東亜戦争侵略戦争論に汚染され、祖國への誇りと自信を喪失してゐる。そして、日本近代史を「近隣諸國への侵略の歴史であった」として罪の意識のみを持ち先人を冒瀆する風潮が横溢してゐる。かうしたことは一刻も早く是正されねばならない。

我々日本國民が日本近代史をどうとらへるかが、今日のそして今後の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与へ、現実の政治・外交・教育など全てにわたることを規定する。

近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、「富國強兵」「殖産興業」の合言葉のもと近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達点としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったといふ歴史観は全く誤りである。

近代日本史および大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

一五世紀から一七世紀前半にかけて西欧諸國が航海・探検により海外進出を行った大航海時代から白人による世界支配が開始され、特に一九世紀の最後の四半世紀は帝國主義植民地獲得競争の最盛期であり、アフリカ全土が分割され、アジア・太平洋地域のほとんどが欧米の植民地となった。

白色人種の帝國主義植民地獲得競争の波を世界で初めて阻止したのが日露戦争であり、今まで圧迫されてきた有色人種のナショナリズムを覚醒させ、各地に独立運動を発展させる端緒となった。

シンガポールは英國のみならず白色人種のアジア支配の象徴であった。大東亜戦争開始直後における日本軍によるシンガポール陥落は、欧米のアジア支配の終焉を告げる弔鐘であった。チャーチルも「英帝國が終焉した理由は、英軍がアジア人の前で日本軍に惨敗したからである」と述べた。東南アジア諸國が独立したのは大東亜戦争が契機となったのであり、やがて植民地独立の波は全世界に広がり、アフリカに及んだ。

欧米の植民地支配を終末に導いた日本に憎しみをぶつけ、再び日本が欧米の覇権を揺るがせないように弱体化しようとしたのが連合國の日本弱体化政策であり、その第一歩が「東京國際軍事裁判」であり、これに続くものが「占領憲法」の押しつけであった。

東京裁判では帝國主義植民地獲得競争の時代を除いて満洲事変以降のみを裁判の対象とし、日本に対する米英蘭などの包囲陣の形成と経済圧迫などの挑発や、支那における共産勢力の浸透の脅威に関する反証資料の多くを却下した。日本無罪論を唱えたインドのパール判事などの少数意見を無視し、筋書き通りに大東亜戦争を日本の軍部を中心とする共同謀議による侵略戦争として専ら日本を断罪した。

戦勝國の日本占領政策は、東京裁判・神道指令・憲法の押しつけ・厳格な言論統制などを通じて日本人の精神面の弱体化を徹底した。有史以来未曾有の敗戦と異民族支配に動顛した日本は、東京裁判史観即ち大東亜戦争侵略論に汚染され、それは今日に至るまで続いてゐる。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思はなければならない。

日本の國の歴史に誇りを持つとは、歴史の中に生きた先人たちを大切にし、顕彰することにほかならない。大東亜戦争に殉じた英霊を崇敬し慰霊顕彰し、その遺徳を追慕するのは日本國民の心情である。皇軍兵士の勇戦奮闘は、わが國民が子々孫々に語り継ぐべき誇りである。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

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2020年6月25日 (木)

総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩である。

「日本を取りもどす」をキャッチフレーズにして登城した安倍長期政権は、本当に日本を取りもどしたであろうか。取りもどそうと努力はしているのかもしれない。しかし、まことに遅遅とした歩みであるとしか思えない。

七年間も政権を担っている安倍晋三総理は、靖国神社に一回参拝しただけです。本年も安倍総理は六月二一日、靖国神社で春季例大祭が始まったのに合わせ、「内閣総理大臣 安倍晋三」との名前で供え物の「真榊(まさかき)」を奉納したのみである。

安倍総理は、平成二十四年一二月の政権復帰以来、春と秋の例大祭には毎回真榊を奉納している。参拝は平成二十五十二月に1度だけ行っている。共産支那や韓国そしてアメリカの干渉そして国内の亡国野党・偏向メディアの攻撃を恐れたがためであろう。情けないことである。


日本民族の宗教精神の基本は敬神崇祖(神を敬い先祖を崇める心)である。そしてそれはわが國の道義精神の基本でもある。毎朝、神棚と先祖の位牌のある仏壇を拝む家庭は、家庭崩壊もないし、子供が非行に走るということも少ない。國家も同じである。國家のため民族のために命を捧げた人々に感謝の真心を捧げる國は、正しき歩みを続ける。

わが國は今日、政治・経済・文化・教育の頽廃と荒廃は救いがたい状況にある。日本國の細胞が腐りはじめ、溶けて流れようとしていると言っても過言ではない。このような状況になっている根本原因は、日本國および日本國民が敬神崇祖の心を喪失しつつあるからである。

外國からの内政干渉を恐れて、靖國神社という國のために命を捧げた人々を祭る宮に、内閣総理大臣が参拝することをとがめだてするような輩が跳梁跋扈している事にそれは端的に表われている。

総理の靖國神社参拝に干渉して来る共産支那は、アジア最大の軍國主義國家であり一党独裁の専制國家である。またわが國内において総理の靖國神社参拝に反対している勢力即ち反日宗教や左翼勢力こそ、排他独善の教義や思想を持ち、宗教団体を攻撃し弾圧する危険な体質を持っている。

「東京裁判」の判決即ち勝った側が敗者を一方的に裁いた結論を、我々の価値観として受け入れる理由はない。靖國神社問題の根本にあるのは、「東京國際軍事裁判」という名の復讐においてわが國が『戦犯國』という烙印を押されたことにある。そして大東亜戦争時に政府・軍の枢要な地位にいた人々が『A級戦犯』として殺されたことにある。

内外の反靖國神社勢力は、「靖國神社にA級戦犯が祀られているから、総理大臣が参拝するのはけしからん」と言っている。「東京裁判」は戦勝國によるわが國への報復である。「東京裁判」には、まともな裁判権はなく、何ら國際法的根拠を持たない。当事國が裁判官になったのがそもそもおかしい。わが國が「サンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受諾した」というのは、刑執行について問題にしないということであって,東京裁判そのものを認めたわけではない。

いわゆる「A級戦犯」とは、講和条約が締結されていない時期すなわち戦時における勝者による敗者への復讐である「東京國際軍事裁判」において「死刑」の宣告を受け、殺された人々である。この方々は、まさに戦争において戦死された方々なのである。靖國神社に英霊として祀られて当然である。ゆえに、いわゆる「A級戦犯」と言われる方々は、正しくは「昭和殉難者」なのである。

東京裁判の唯一の権威であったマッカーサーは帰國後、米上院の軍事外交委員會での演説で、『日本が戦争に入ったのは主としてセキュリティーのためであった』と言った。マッカーサーは東京裁判が日本に押した侵略國家の烙印を否定したのである。

「東京裁判」の判決即ち勝った側が敗者を一方的に裁いた結論を、我々の価値観として受け入れなければならい理由がどこにあるのか。

繰り返し言う。七人の昭和殉難者を靖國神社にお祀りするのは当然であるし、祀るかどうかは日本が決める事である。外國があれこれ文句を言うのは、まさに内政干渉であり、主権侵害である。靖國神社について、外國からとやかく言われる筋合いはない。 

総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩なのである。反日・反靖國思想は、今や左翼勢力や偏向マスコミだけでなく、与党内部にまで深く浸蝕している。かかる勢力を駆逐しない限り、日本國は真っ当な國家とはならない。

わが國がまともな外交が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。戦後日本は、主権に関して怯懦であり鈍感であり、売國的・土下座外交が行なわれている。その責任は政治家にある。

わが國がまともな外交すなわち主権を正しく守りきる対外政策が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。総理はじめ与野党の政治家そしてマスコミが『大東亜戦争は日本の侵略であり近隣諸國に惨禍を及ぼした』と謝罪しているのだから、支那や韓國からいかなる無理難題を吹きかけられても、主権を侵害されても、内政干渉されても、わが國は毅然とした対処が出来ないのだ。

「わが國は侵略をした悪い國であり,支那や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても,内政干渉をされても,文句を言ったり反撃してはならない」という観念が蔓延している。これはまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。

「現行憲法前文」には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが,二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様,ソ連様,中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」の無効確認なくして真の主権回復はあり得ない。

祖國の歴史への正しい認識と國を守る心を常日頃持っていなければ道徳心は起ってこない。大東亜戦争は誇りある戦いであった事を正しく認識し、子々孫々に語り伝えなければならない。

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2020年1月13日 (月)

大東亜戦争とはいかなる戦争であったかを記した東条英機元総理の血を吐くような文章

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ」と切言してゐる。

東條氏の『英米諸国人に告ぐ』という遺書には、「諸君の勝利は力の勝利にして、正理公道の勝利にあらず…如何に戦争は手段を択ばずと言ふとも、原子爆弾を使用して、無辜の老若男女を幾萬若くは十幾万を一気に麘殺するを敢てするが如きに至りては、余りにも暴虐非道と謂はざるを得ず」と書かれ、『日本国民諸君』という遺書には、「大東亜戦争は彼より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民自衛の為、已むを得ず起ちたるのみ」と書かれています。
歴史の真実を明らかにし、大東亜戦争がわが国の侵略であったという一方的に断罪を断固として否定し徹底的に祓い清めねばなりません。

東條英機氏は、大東亜戦争とりわけ日本と米英との戦争について『検事の論告より受けたる所感の要点』(昭和二十一年六月五日)といふ獄中で処刑を目前して記した文書で次のやうに総括しています。

「日本は果たして文明に宣戦せりや 戦争は人類の文明生活に破壊を招来するものにして、従て何れの國家も極力避く可きは論を待たず。之れがため平治國際上戦争の原因発生を紛争の危険前に抑止し、常に互譲の精神を以て之れを阻む迅速なる解決を必要とす。殊に大國國家において然り。…大國の威力を以て小國を屈従し正常なる発展を阻止せんとし然も其の目的を達せんがためには其の生存を脅威せんとするが如き行為は果して之れを以て文明的行為と認むべきや。
一、過去数世紀に欧米の東亜侵略、而して其の搾取政策の前に帝國及東亜民族が其の桎梏の前に苦悩せしかは之れを暫く置くも
二、第一次欧州大戦后の英米の帝國に対する國際圧迫。
三、某々大國に於ける東亜移民の排斥。高関税政策、経済ブロックの結成に依る帝國貿易振興の抑制。
四、支那に於て日支相戦はしむる政策の採用。
五、人種差別待遇。
六、大東亜戦直前に於ける平和通商破棄及経済的脅威。
七、日米交渉終期に於ける帝國に対する受入得ざる策、至難なる提案。
検事の論告に依れば、日本は文明に宣戦せりと称するも、寧ろ文明に宣戦せるは以上の事實より帝國を戦争に追い込みたる英米側に存し其の責任は其の負ふべきものなり。蓋し日本は自己の生存を保証せんがため及東亜國民の生存を永久に確立せんがために戦へるものにして、之れ換言すれば人類の真の文明を求めしがためなり(以下略)」。

大東亜戦争とはいかなる戦争であったかを記した血を吐くような文章です。東條英機元総理を始め、我が國の枢要な地位にいた人々二十八名を「文明」と「平和」の名によってその責任を裁くという『極東國際軍事裁判』に対する痛烈なる批判です。

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2020年1月12日 (日)

『大東亜共同宣言』に示された日本の戦争理念

大東亜戦争開戦当初、日本軍が連合国軍を打ち破り破竹の進撃を続け欧米列強を駆逐したことは、長い間,欧米の植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々を勇気づけた。日本軍の捕虜となったイギリス軍インド人兵士の中からインド国民軍が結成された。そしてインド独立を達成すべく、日本軍と協力して「進めデリーへ」の合言葉のもとインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも,日本の指導・援助で独立を目指す軍隊組織がつくられた。

日本の指導者の中には,戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておく方が良いといふ考へも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたへるため,日本は昭和十八年,ビルマ,フィリピンを独立させ,また,自由インド仮政府を承認した。

日本はアジア諸国家に大東亜戦争への協力を求め,あはせてその結束を示すため、昭和十八年十一月六日、アジア諸国代表(日本・中華民国・満州国・タイ・フィリピン・ビルマの六カ国および自由インド仮政府)を東京に集めて「大東亜会議」を開催した。

会議では,各国の自主独立,各国の提携による経済発展,人種差別撤廃をうたう『大東亜共同宣言』が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。署名した各国代表は、大日本帝国の東條英機総理、満州国の張景恵総理、中華民国南京政府の汪精衛行政院長、タイ国のワンワイタヤコーン殿下、フィリッピンのホセ・ぺ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、そしてチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班であった。この宣言は,連合国の『大西洋憲章』に対抗することを目指してゐた。

『大東亜共同宣言』には、各国が相提携して戦争を完遂し,大東亜をアメリカ・イギリスから解放して道義にもとづく共存共栄の秩序を建設し,大東亜の安定をはかるといふ理念がうたはれてゐた。

「            大東亞共同宣言
昭和十八年十一月六日「大東亜会議」にて採択
抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス        」

終戦後しばらくして東南アジアの国々の殆どが独立を達成した。戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早めるきっかけとなった。

日本が敗戦によって撤退したのち,インドネシアには,オランダが植民地支配を再開しやうとして復帰してきた。これに対し,戦時中,日本によって訓練されたインドネシアの軍隊が中心となって独立戦争を開始し,1949年独立を達成した。

インドでは,日本軍と協力したインド国民軍の兵士をイギリスが裁判にかけたことに対して,はげしい民衆の抗議運動などもおきた。こうして,長く続いていた独立への気運がさらに高まり,インドは一九四七年,イギリスから独立した。そのほかにも,ビルマは戦後,植民地支配を再開したイギリスから改めて一九四八年に独立を勝ち取った。

かうした事実は、大東亜戦争においてわが国が戦争目的としたことが実現したことに外ならない。勝った國である米英ソよりも、日本の方が倫理的に高かったといふことである。

深田佑介氏は、「極東国際軍事裁判による歴史観を見直すべき時期が到来している…この裁判においては、『民主主義対ファシズム』という対立図式を硬直的、教条的に適用し、戦時における日本の行動は全てファシズムによる悪と断罪した。この裁判に基く歴史観に戦後日本が支配されてきたのは、まことに不幸であった…大東亜会議は『アジアの傀儡を集めた茶番劇』では決してなかったのである。戦後、バー・モウは『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、或いは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない』(『ビルマの夜明け』)で述べる。この誤解している諸国民の中に『日本国民』自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇がある」(『黎明の世紀』)と論じてゐる。

終戦時の関東軍作戦参謀・草地貞吾氏は、「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に与えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く伝えなければならない。」(『大東亜戦争大観論』)と論じてゐる。

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2020年1月10日 (金)

大東亜戦争開戦と東條英機元総理

 

 「昭和天皇は平和を望んでおられたのだが東条などの軍部が陛下の大御心を無視して戦争に突っ走ったのだ」という意見がある。これは全く誤れる議論である。

昭和天皇が平和を望んでおられたのは明白なる事実であるが、東條氏が、陛下の大御心を無視して戦争を始めたなどというのは絵空事である。昭和天皇は東條氏を深く信頼あそばされていたことは戦争直後から最近に至るまでに発表された数々の文書などによって明らかである。

 木下道雄氏(元侍従次長)の『側近日誌』によれば、昭和天皇は「東條ほど朕の意見を直ちに実行に移したものはない」と仰せになったという。東條氏は忠誠心厚き軍人であり、天皇陛下の大御心を無視するなどということは無かったと思われる。

東條氏自身東京裁判で「日本国の臣民が陛下の御意志に反してアレコレすることはありえません」と述べている。

安倍源基氏はその著『昭和動乱の真相』において「(東條氏は・注)天皇に対する忠誠心の強い軍人であったようだ。…陛下の御意志を体して日米開戦を回避するため、全力をあげた…東條内閣成立の翌月、来栖大使を米国に特派したのもこれがためであった。…(注・昭和十六年十二月一日の)歴史的御前会議終了直後における東條首相の表情を、佐藤賢了氏著『東條英機と太平洋戦争』はこのように伝えている。「東條首相に私は陛下のお考えはどうですかとたづねたら『ハルノートをごらんなってはいかに平和を愛好され給う陛下も…』そこまで言うて急に口をつぐんだ。開戦の重大な責任だから、輔弼の責任者たる自分が負うべきことに気がついたのであろう」と記しておられる。

また矢次一夫氏は『天皇・嵐の中の五十年』という松平康昌元内大臣秘書官との対談で、次のように述べておられる。「(東條氏は・注)陛下に信用されない陸軍というものに、まじめに悩んでいたと思いますね。陸相になってからの東条は、陛下の御信任を得るということのために、一生懸命努力したようです。…東條が陛下に所管事項を報告する場合、つとめて陛下が安心されるように、関連する前後の事情、将来の見通しなどについて、詳細を尽くすというふうがあったので、次第に陛下の方でも、東條を通して陸軍を見直すというふうがあったんでしょう」。これに対して松平氏は「その通りです。相当に信用しておられたようです。…九月六日の御前会議の決定ですね。あれを白紙に関して、もう一度戦争をしないよう、考え直せという陛下のお言葉に対して、…東條さんは努力したと思っていますが」と答えている。

 

東條氏は東京裁判においけるキーナン首席検事の「その戦争を行わなければならない。行えというのは裕仁天皇の意思であったか」との尋問に答えて、「意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になったというのが事実です。而して平和御愛好の御精神は最後の一瞬に至るまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことに己むを得ざるものであり、朕の意思にあらずという意味の御言葉であります」と答えている。

 

さらにウエップ裁判長の「証人以外の何人が天皇に対し米英と宣戦するようにということを進言したか」との尋問に対して東條氏は「自衛上どうしても、戦争をやらねばならないという結論に達したのであるが、最後の決定について、私と両総長(仼杉山参謀総長と永野軍令部総長)が、直接、天皇陛下にお目にかかって申し上げた。私と両総長は『日本の自存を全うするため、平たくいえば戦争以外に生きる道はありません』と申し上げた。しかして御嘉納をいただいたのです」と答えている。

 

東條英機氏はさらに『東京裁判』の陳述において要旨次のように述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追いつめられ自衛のため開戦に至った。天皇には何ら責任はない。その理由は、天皇は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。・日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。 

 

大東亜戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東條英機首相が、昭和天皇の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどということは絶対にないのである。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したというのが歴史の真実である。

 

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2020年1月 5日 (日)

大東亜戦争はなぜ戦はれたのか

 


昭和天皇は、わが國が戦争に追い込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分な物である」「総理になった東條は、九月六日の午前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになっている。

鈴木貞一氏は以前テレビで、「資源が無いのに何故アメリカと戦争をしたのですか」との質問に「資源が無いから戦争をはじめたのだ」と答へてゐたと記憶する。

開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めることをして来たのである。

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いている。

 『ハルノート』は、ソ連工作員・パブロフから直接指示されたソ連のスパイ=ハリー・ホワイト米財務長官が六月に起草したものであったことが判明してゐる。(米特殊機関「VENONA資料」)

そのホワイトに対日強硬策を工作したソ連側の当事者パブロフは、ソ連崩壊後に回顧録を執筆しその謀略の内容を明らかにした。当時のアメリカにとって、日本はソ連や支那以上に憎い国であった。

日本が日露戦争に勝利をおさめた後、アメリカにとって仮想敵国は日本だった。アメリカの歴史こそまさに帝国主義の歴史・侵略の歴史であった。十八世紀にイギリスから十三州で独立したアメリカ合衆国は、フロンティア精神を発揮して西部開拓を行い、先住民を駆逐し、メキシコから領土を奪ひ取り、西海岸に到達し、ハワイを併合し、グアム、フィリッピンを植民地化したのはまさに侵略・帝国主義以外のなにものでもない。幕末のペリー来航は、支那大陸への中継港確保が主目的だったが、あわよくば日本の植民地化を狙ったものでもあった。

 フィリッピン植民地化後、支那大陸への野望を募らせたアメリカの前に立ちはだかる国は日本しかなかった。日本を押さえ込むことがアメリカの目的だったのである。

 このように、日米開戦は、まさに、アメリカ・ルーズベルト政権の挑発によるものなのである。それはルーズベルト政権がソ連に踊らされただけでなく、アメリカのアジア進攻という強い意志によるのである。その証拠は、大東亜戦争の日本降伏の調印式が行われた戦艦「ミズーリ」の艦橋にペリー来航時の米国国旗が翻っていたことである。

わが国は、まさに『開戦の詔勅』に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じてゐる。

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ」と切言してゐる。

大東亜戦争は決して日本による侵略戦争ではなかったのである。

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