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2021年1月15日 (金)

行幸が制限されたり、行はれなくなったのは、「一君萬民」の國體が隠蔽されてゐた時期である


行幸が制限されたり、行はれなくなったのは、「一君萬民」の國體が隠蔽されてゐた時期である

「御譲位問題」に関連して、「天皇陛下は祭祀を行はせられることがもっとも重要なお役目であり、全国各地の御巡幸あそばされ国民を励まされたり、外国ご訪問されることを控へられれば良いのではないか」といふ意見を表明される方がゐる。

天皇が各地を行幸されて国民を激励され天下の諸情勢をご覧になられる尊い行事を「國見」と申し上げる。古代の天皇は、國見を度々行はせられた。

ところが、武家が政治権力を壟断し一君万民の國體が隠蔽されると、天皇の行幸即ち「國見」はあまり行はれなくなった。

特に徳川時代は、幕府の干渉により、天皇は京都御所から一歩も外にお出になることができなかった。幕藩体制下における天皇の行幸は、慶安四年二月二十五日、後光明天皇が後水尾天皇に「朝覲(註・天皇が太上天皇・皇太后の御所に行幸し、恭敬の礼をつくすこと)の行幸」を行はせられて以来、御所炎上などのやむを得ない場合のほか、文久三年(一八六三)三月と四月、孝明天皇が攘夷祈願のために賀茂社・石清水社に行幸されるまで、二百十三年間、行はせられることはなかった。

つまり、行幸が制限されたり、行はれなくなったのは、武家政権の専横により「一君萬民」の國體が隠蔽されてゐた時期である。明治維新によって、「一君万民」の日本國體が明らかになった後、明治天皇は全国を御巡幸あそばされた。そしてその伝統は、大正天皇・昭和天皇・今上天皇に継承された。

先帝陛下が、御巡幸の御事を詠ませられた御製を掲げさせていただく。

「平成十五年歌會始 『町』
我が國の 旅重ねきて 思ふかな 年経る毎に 町はととのふ

平成十六年歌會始 『幸』
人々の 幸願ひつつ 國の内 めぐりきたりて 十五年経つ」

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