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2020年12月31日 (木)

千駄木庵日乗平成二年大晦日

午前は、室内清掃。

お昼は、谷中の友人宅訪問。美味しい年越しそばを頂く。鴨南蛮であった。お銚子も一本頂戴する。

午後は、根津神社参拝。今年のご加護に感謝し、来年一年の御守護を祈念申し上げた。お札納め。境内は家族連れ多し。静かにして清らかであった。

帰宅後はまだまだやり残した仕事を片付ける。「伝統と革新」次号のテーマ、執筆者の企画を練る。

仕事をしていると病を忘れる。有難し。

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2020年12月30日 (水)

千駄木庵日乗十二月三十日

本日は、神棚・仏壇の清掃。来年の新しいお札の安置などを行いました。カレンダーの架け替えも行いました。

昨日は久しぶりに、大きなお風呂で湯船につかり、体を温めました。同志のご厚情に感謝します。このところ体調の関係で、シャワーで済ませておりましたので、大変気持ちよかったです。

また若き同志の方々から色々美味しいお菓子などを頂戴いたし嬉しく思っております。持つべきものは良き友、良き同志とあらためて思いました。

また多くの先輩・同志からも身に余るご厚情を賜りを感謝いたします。

皆様良き新年をお迎えくださいませ。

四宮正貴合掌。

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徳川慶喜の尊皇心


 鳥羽・伏見の戦い・大阪城脱出・江戸城明け渡し、という慶喜の姿勢を「不甲斐ない」と批判する史家もいる。現に新政府の東征軍が士気を鼓舞するために歌った『宮さん宮さん』(別名『トンヤレ節』或いは『錦の御旗』)には、「宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのは何じゃいな/トコトンヤレトンヤレナ/あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか/トコトンヤレトンヤレナ」「一天万乗のみかどに手向かいする奴を……覗(ねら)いはずさずどんどん撃ちだす薩長土…」「おとに聞こえし関東武士(ざむらい)どっちへ逃げたと/問うたれば…城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」

 この歌は、わが國近代軍歌の濫觴といわれる。作詞は征東軍参謀・品川彌二郎(長州藩士。後に内務大臣・宮中顧問官)、作曲はわが國陸軍の創設者といわれる大村益次郎(周防の人。長州で兵学を講じ、戊辰戦争で新政府軍を指揮。明治二年、兵部大輔となるも同年暗殺される)である。

 「あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか」という歌詞に、新政府軍が錦旗の権威を拠り所としていたことが歌われている。また、「おとに聞こえし関東武士どっちへ逃げたと問うたれば城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」という歌詞に、大阪城を脱出し江戸に帰ってしまった徳川慶喜への侮蔑の念が現れている。

 しかし、この歌詞は、慶喜にとってあまりにも酷である。彼の尊皇心が「大阪脱出」「江戸城明け渡し」を行わしめたのである。後年、慶喜はその心情を次のように語ったという。「予は幼き時よりわが父から水戸家代々の遺訓を聴いた。『万一天朝と幕府との間に事ある際には、わが水戸家は宗藩たる幕府を顧みず、進んで天朝のために忠勤を抽(ぬき)んでねばならぬ』と。予は常にこの遺訓を服庸(心につけて忘れない)したが、いったん過って朝敵の汚名を受け、悔恨おのづから禁ぜす。ここにおいて自ら恭順、その罪に服したのである」。

 慶應四年(一八六八)一月十九日、フランス公使・ロッシュは、江戸に帰って来た徳川慶喜に面會し、「再挙」(新政府軍に再度武力戦を挑むこと)を促した。しかし慶喜はこれを拒絶し、次のように語ったという。曰く「わが邦の風として、朝廷の命と称して兵を指揮する時は、百令悉く行はる。たとい今日は公卿大名の輩より申出たる事なりとも、勅命といはんには違背し難き國風なり。されば今兵を交へて此方勝利を得たりとも、萬々一天朝を過(あやま)たば末代まで朝敵の悪名免れ難し。……よし従来の情義によりて当家に加担する者ありとも、斯くては國内各地に戦争起りて、三百年前の如き兵乱の世となり、万民其害を受けん。これ最も余の忍びざる所なり。されば唯当家衰運の然らしむ所と覚悟し、初より皇室に対し二心なき旨を幾度も申し披(ひら)き、天披を待つの外なきことなり。…当家中興の祖より今に二百六十余年、尚も天朝の代官として市民の父母となり國を治めたる功績を何ぞ一朝の怒に空しくすべけんや。此上尚も余が本意に背き、私の意地を張りて兵を動かさんとせば、当家代々の霊威に対して既に忠臣にあらず、まして皇國に対しては逆賊たるべし。……」(『徳川慶喜公伝』)。

 また、徳川慶喜は渋沢栄一に次のように語ったと書かれている。「(鳥羽・伏見の戦いで仼)やがて錦旗の出でたるを聞くに及びては、(慶喜は仼)益(ますます)驚かせ給ひ、『あはれ朝廷に対して刄向かうべき意思は露ばかり持たざりしに、誤りて賊名を負ふに至りしこそ悲しけれ。最初たとい家臣の刃に斃るるとも、命の限り會桑(會津と桑名)を諭して帰國せしめば、事此に至るまじきを、吾が命令用ゐざるが腹立たしさに、如何やうとも勝手にせよといひ放ちしこそ一期の不覚なれ。』と悔恨の念に堪へず、いたく憂鬱し給ふ」(『徳川慶喜公伝』)。

 『勝海舟日記』(慶應四年二月十一日付)には、徳川慶喜が勝海舟ら幕臣たちに、次のように語ったと記されている。「我不肖、多年禁門(朝廷のこと)に接近し奉り、朝廷に奉対して、御疏意(疎んじられること)なし。伏見の一挙、実に不肖の指令を失せしに因れり。計らずも、朝敵の汚名を蒙るに至りて、今また辞無し(言葉もない)。ひとへに天裁を仰ぎて、従来の落度を謝せむ。且爾等憤激、其れ謂れ無にあらずといへども、一戦結で解けざるに到らば、印度支那の覆轍(失敗の前例・印度や支那が内部に混乱によって西欧列強に侵略されたこと)に落ち入り、皇國瓦解し、万民塗炭に陥らしむるに忍びず。…臣等も我が此意に体認し、敢て暴動するなかれ、若(もし)聞かずして、軽挙の為さむ者はわが臣にあらず。……」。

 要するに旧幕府=徳川慶喜は、天皇の神聖権威に刃向かう意思は全くなかったし、刃向かうこともできなかったのである。慶喜は足利高氏になりたくなったのである。かくて江戸城明け渡しが行われた。慶喜の天皇への天皇への忠誠心が明治維新を成就したと言っても過言ではない。

 さらに言えば、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだのは、徳川慶喜及び旧徳川幕府軍のみではない。一般國民もまたしかりであった。鳥羽・伏見の戦いで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のように記している。

 「(慶應四年仼)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候。」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。

 徳川幕府を崩壊させたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力でもない。それはわが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

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2020年12月28日 (月)

天皇皇室の道統は、「占領憲法」と政治権力の軛の下に置かれてゐると

皇室の伝統、宮中祭祀の道統そして、それを根幹とする日本國體を隠蔽してゐる元凶は、「占領憲法」であることは言うまでもない。

しかしそうした國體隠蔽を実際に実行しているのは、政治権力であり、官僚機構である。つまり政府・内閣法制局である。宮内庁は何とかそれを防ごうしているように思えることもあるが、やはりも官邸・法制局の意向そしてメディアの批判を恐れる。歴代内閣も、宮内庁も事なかれ主義になってゐる。

政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いてゐるように思へる。

私は、天皇皇室の道統は、「占領憲法」と政治権力の軛の下に置かれてゐると断言する。これを一日も早く改めないと、歴史と伝統の國日本は、亡国の道を歩むことになる。

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今こそ、神社神道・日本伝統信仰の使命と役割は大切であると信じます。

今年は何と言っても伝染病の猖獗という国難に見舞われました。わが国は古代より何回も伝染病が蔓延し大きな被害を蒙りました。しかし、そうした国難を乗り越えてきた国家であり民族です。
私は、日本人が清潔さを好む民族なのは、台風というものが日本によく来ることがその原因の一つではないかと考えています。強い風と雨が地上の穢れを吹き払い洗い清めてくれる台風は、自然に日本人の清潔さ・いさぎよさを好む精神を養成したのではないかと思うのです。勿論、台風によって多くの自然災害が起こります。しかしそのことも、日本人の強靭さ忍耐強さを養うこととなっているのではないでしょうか。

「本是神州清潔之民」という日本漢詩があるように、わが民族はすがすがしさ、清らかさ、清潔さを好みます。我が国伝統信仰には、『禊』という行事があります。また「大祓詞」という祝詞もあります。台風が多く、水が清らかな日本の風土に生きる日本民族なればこそ清潔を好むのであります。

「天の下 清くはらひて 上古(いにしへ)の 御まつりごとに 復(かへ)るよろこべ」

橘曙覧(江戸末期の歌人・國学者。越前の人)が維新の精神を詠んだ歌です。清明心(きよらけくあきらけき心)が日本民族の傳統的道義精神です。現状の穢れを祓ひ清め、神代のままの清く麗しい日本を回復することを喜び希求した歌です。維新すなはち復古即革新の精神をうたひあげてゐます。この歌の心が維新=日本的変革の根本精神であると思ひます。

常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるという精神が、日本伝統信仰の根本であります。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生・祓清めを繰り返してきたところに素晴らしさがあるのです。

我が国の維新の道統もまさに清らかさを好む民族精神と一体なのであります。今こそ、神社神道・日本伝統信仰の使命と役割は大切であると信じます。

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2020年12月26日 (土)

「外交は華麗に礼装した軍事である」

大分以前に書いた拙文ですが、ご参考のため掲載します。
            
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かつて、「君国売り給うことなかれ」とまで言って田中角栄を批判していた石原慎太郎氏が、田中角栄礼賛の本を出した。私は全く讀む気も起らない。田中角栄の最大の失政というかも国家に対して犯した罪は、いわゆる「日中国交回復」を行ったことだ。当時、石原氏は青嵐会に属して強硬に反対していた。

田中内閣による拙速なる「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、わが国は共産支那から歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受け、尖閣・沖縄が侵略の危機にさらされて、シーレーンが脅かされている。何とも悔しい限りである。

昭和四十七年九月二十九日に 北京で署名された『日中共同声明』には「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する。」と書かれている。しかし、「日中国交樹立」以来のわが国と「中国」との関係こそきわめて「不正常な状態」であり続けている。

かかる状況が続くと、今に日本民族のナショナリズムが爆発する時が来る。またそう期待したい。

このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう危険すらある。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、拙速なる「日中国交回復」を行った田中角栄、そしてその後「日中友好」を唱えて、共産支那に媚を売り、金と技術を与え続けてきたわが国内の「媚中派」の責任はきわめて大きい。

海洋国家・日本はシナ大陸に深入りしてはならないという論議がある。私もそれは正しいと思う。軍事的にせよ経済的にせよ政治的にせよ日本が大陸に深入りしたらろくなことがなかったことは歴史を見れば明らかだ。

大陸国家であったシナの海洋進出に対して、わが日本はが如何に外交的・軍事的に対処すればいいかが最も大事である。まさに緊急の国家的課題である。

「棍棒片手に猫なで声で外交をすれば、大体成功する」という言葉がある。日米開戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉であるという。脅しと猫なで声が外交の基本ということである。わが国を開戦に追い込んだ人物らしい言葉である。ただし日米開戦直前のアメリカは、「猫なで声」どころではなく、日本を挑発する行動をとっていた。

さらに、「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉もある。国家というものは、国軍を持たなければ駄目である。わが国には、自衛隊は存在するし、その能力は精強だと言われている。しかし、憲法上「国軍」と正しく規定されていない。領土問題・資源問題・拉致問題など色々なことで周辺諸国から馬鹿にされ、なめられ、主権を侵害されっぱなしなのは、「日本は何をやっても報復できない、反撃して来ない」と思われているからである。

『現行占領憲法』があるかぎり、「戦争」「武力の行使」を放棄しているのである。これでは何処の国とも対等な外交はできない。まして、共産支那や北朝鮮や韓国という無法国家とわたりあう事はできない。憲法に『国防』『国軍』『軍事的報復』を明記すべきである。

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2020年12月25日 (金)

辻元清美のようなクズが牛耳る政権ができることの方がずっと恐ろしい。まさに亡国である。

結論を言いますと、「桜を見る」会のホテルへの支払いで多少の問題があったととしても、国家が滅びるわけではない。つまり大した問題ではないということだ。

しかし、辻元清美のようなクズが牛耳る政権ができることの方がずっと恐ろしい。まさに亡国である。

これは安倍氏を守るとか自民党政権を守るということではなく、国家・国民を守るということである。ともかく、亡国野党・偏向メディアを叩き潰すことが第一である。これが昨日今日私の思っていることである。

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「日本を取りもどす」こと「戦後レジウムからの脱却」の方が「桜を見る会」のことよりよほど大事である

政治家の後援会が、その政治家の支持者が集まった会合の費用が足りない分を後援会が補填してホテルに支払っていたことが、天地がひっくり返るほどの悪事なのだろうか。

メディアと野党が騒ぎまわり、「安倍は議員を辞職しろ」などと言ってゐる。私は、安倍氏が総理になる前から「憲法」「領土問題」などで、それこそ「日本を取りもどす」「戦後レジウムからの脱却」になるようなことをするものと期待してゐたのだが、そうはならなかった。

前回の総理辞職も、安倍氏の体調、そして閣僚の不祥事が原因だったが、今回も安倍氏自身の体調、そしてメディアと野党が騒ぎまくる「不祥事」が原因で、今もなお、責められ続けている。

しかし、「桜を見る会」のことでこんな馬鹿騒ぎをすることはない。安倍が嫌いな勢力、自民党を政権の座から引きずり下ろしたい勢力が有頂天になって騒いでいるにすぎない。

今日の日本国が実現しなければならないことは、文字通り「日本を取りもどす」こと、「戦後レジウムからの脱却」である。しかるに安倍氏は長期政権であったにもかかわらず自身の政治信条の実現が出来なかった。安倍氏はそのことを反省すべきである。その方が「桜を見る會」の事よりも余程大事である。

そして偏向メディア、亡国野党の野望を徹底的に粉砕すべきだ。

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2020年12月24日 (木)

田中忠雄先生の思い出

私は、学生時代、生長の家の政治運動に熱心に参加してゐました。当時の生長の家は今とは全く違って、『大日本帝国憲法復元』を強く主張してゐました。私は「憲法復元が本当に実現できるのか、どうしたら実現できるのか」を聞きたいと思って、生長の家本部にあった生長の家政治局、生長の家政治連合本部に、田中忠雄会長を訪ね、そのことを質問しました。

田中忠雄氏は、「帝国憲法復元は、自衛隊がクーデターでも起さなければ無理だ」と言われました。私は、生長の家の最高幹部が谷口総裁とは異なる意見を持ってゐることに大変驚きました。田中先生はその時、「君は少し教条主義的ではないか」と言われました。

田中氏はその頃、左翼学生の暴力闘争を評して「彼等はキツネ憑きならぬイデオロギー憑きである」と批判されてゐました。つまりある思想や主張を頑なに信じ込み、反対する者を暴力的に攻撃することに大きな批判を持ってゐたのであります。私にもその傾向があると言われたのだと後になって分かりました。田中氏は若き頃左翼運動の参加し治安維持法違反で二年間獄に入っておられましたので、「イデオロギー憑き」の危険性を自己の体験として分かっておられたのでしょう。

田中忠雄氏は、禅の専門家でしたが、そればかりではなく、日本の國體、伝統についても深い見識を持った方でした。田中氏の著書は今でも読んで色々学んでゐます。

私は『大日本帝国憲法』が、日本の國體と伝統を正しく成文化した憲法と思っています。田中氏も同じ思いであったと思います。しかし『帝国憲法復元』をどうやって実現するのかがわかりません。総理大臣が宣言するとか衆参両院で決議するなどということは現状では全く無理です。この課題をどう解決するかが問題であると思います。

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2020年12月22日 (火)

皆様方の御健勝をお祈りいたします。

暮れの忙しい時に、小生の体調のことを気遣っていただいて電話やメールをいただくことに感謝いたしております。十一月下旬から十二月中旬まで入院しておりましたため、忘年会などの会合に一回も出席できませんでした。家に籠っているというのも体に良くないので、一日一回は一時間ほど近所を散歩したり、買い物に行ったりしています。

この一年本当に大変でした。コロナウイルスの猖獗、それに伴う経済活動の低下は国民生活全般に直結する大問題です。何時になったら終息するかわからないのが問題です。

しかし、わが日本は欧米国ほどには死者数・感染者数が多くはないようですが、これからどうなるかが分かりません。メディアは毎日毎日危機感を煽っていますが、おおくの人々はそれほど危機感を持っていないようにも思えます。

来年もまた『政治文化情報』『伝統と革新』の編集執筆という仕事に精を出したいと思っております。また『萬葉古代史研究会』『日本の心を学ぶ会』での講義・講演も休会しないように頑張りたいと思っております。

私と同年代の友人たちも七十歳代になりますと、体の不調を覚える人か多くなっているようです。皆様方の御健勝をお祈りいたします。

皆様方のご支援・ご協力をお願いします。

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2020年12月20日 (日)

古賀俊昭・村上正邦両氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

今年も過ぎ去らうとしてゐます。色々な事がありました。国家的にはコロナウイルス禍の猖獗であることは言ふまでもありません。

私個人のことで言へば、暮れにまた心不全で入院したことです。これは医師の「是非に」といふ勧めによるものです。前回より長く苦しい入院生活でした。個人的なことですので、詳しくは書きませんが、医師と看護師が実によく面倒を見てくれたことに感謝してゐます。

今年は、長年にわたった親しくさせて頂いた方、運動の同志が何人か亡くなりました。特に古賀俊昭東京都議、村上正邦元参院議員の逝去は残念でもありさみしくもありました。

古賀さんとは昭和四十年代の学生時代から同志でした。彼は日本学生同盟、私は生長の家学生部に属してゐました。彼は関西、私は東京で活動してゐました。

時が経過して、古賀氏は東京日野市議会議員となり、活躍しました。私が存じ上げてゐた古屋太郎といふ都議会議員の後継者として東京都議となり、真正保守運動で大活躍しました。特に国語国字問題では地道に活動しておられました。名刺も選挙のための文書も縦書きの堅持しておられました。

信念を曲げない人でした。したがって自民党内においても、都議会においてもどちらかといふと非主流派に属してゐました。しかし蔭の重鎮としての存在感を発揮してゐました。本当に頭の下がる人物、尊敬できる人物でした。まだ七十歳になったばかりでしたから、もっともっと活躍してほしかったと思ひます。

村上正邦氏は、小生が高校生の頃、それこそ生長の家の活動を熱心にしてゐた頃からの知己です。村上氏は、玉置和郎氏の秘書として玉置氏の当選のために頑張ってゐました。秘書とは言っても、玉置氏と対等の関係に近いやうでした。拓殖大学の先輩後輩だったのでせう。

ともかく声は大きいし、主張を貫き通す強固な信念と性格を持ってゐた人で、インテリ宗教といはれた団体で「おとなしく品のある人」が多い生長の家では珍しい存在だったと思ひます。

村上氏自身も参院議員となり、参院自民党幹事長にまで上り詰めました。一時はまさに飛ぶ鳥落とす勢いでした。村上氏の思ひ出を詳しく書くと、生長の家の政治運動の歴史、そして選挙運動の歴史を書かねばなりません。別の機会にしたいと思ひます。

ともかくさみしくなりました。古賀俊昭・村上正邦両氏のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

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2020年12月19日 (土)

今日思ったこと

今この時期に、高級ステーキ店で、現職総理が取り巻き芸能人などと食事をしたことが批判されています。

ある元総理が上野のとんかつ屋のカウンター席で家族と思われる方々と仲よ談笑しながらとんかつを食しているのを二回ほど見かけたことがあります。その元総理はいわゆるたたき上げではありません。二代目の政治家です。庶民的な人だなあと思ったことがあります。

たたき上げと言われる人が質素で庶民的な生活をしているとは限らないと思います。もっともこのような事を大仰に取り上げるメディアもどうかと思います。

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政府与党の揚げ足取り、イチャモンばかりの野党では、とても政権を取れない。

政府与党の揚げ足取り、イチャモンばかりの野党では、とても政権を取れない。野党の支持率があがらないのを見ても分かる。この人に宰相になってもらいたいと政治家が今の野党に一人もいない。たから自民党は何時までも政権を取り続けているのだ。

自民党政権の、皇室に対する姿勢・国防安保政策・憲法問題への姿勢を厳しく監視し批判しなければならない。

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2020年12月14日 (月)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十二月十六日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

体調は万全ではありませんが、この会合は休会せず開催したいと思います。

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萬葉古代史研究會

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。
 
日時 十二月十六日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

体調は万全ではありませんが、この会合は休会せず開催したいと思います。

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