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2020年11月 6日 (金)

長州藩直目付長井雅楽の『航海遠略策』について

長州藩直目付長井雅楽は、文久元年(一八六一)五月に藩主毛利慶親に提出した建言書・『航海遠略策』で次のやうに論じてゐる。

 

 「…御國體相立たず、彼が凌辱軽侮を受け候ふては、鎖も真の鎖にあらず、開も真の開に之無く、然らば開鎖の実は御國體の上に之有るべく、…鎖國と申す儀は三百年来の御掟にて、島原一乱後、別して厳重仰せつけられ候事にて、其以前は異人共内地へ滞留差し免(ゆる)され、且つ天朝御隆盛の時は、京師へ鴻臚館(註・外國使節を接待した宿舎)を建て置かれ候事もある由に候へば、全く皇國の御旧法と申すにてもこれなく候はん。伊勢神宮の御宣誓に、天日の照臨する所は皇化を布き及し賜ふ可(べ)しとの御事の由に候へば、…天日の照臨なし賜へる所は悉く知す(註・統治する)可き御事にて、鎖國など申す儀は決して神慮に相叶はず、人の子の子孫たるもの、上下となく其祖先の志を継ぎ、事を述るを以て孝と仕り候儀にて、往昔神后三韓を征伐し賜ひ(註・神功皇后が朝鮮に遠征されたこと)候も、全く神祖の思し召しを継せ賜へる御事にて、莫大の御大孝と今以て称し奉り候。……仰ぎ願はくは、神祖の思し召しを継がせ賜ひ、鎖國の叡慮思し召し替られ、皇威海外に振ひ、五大洲の貢悉く皇國へ捧げ来らずば赦さずとの御國是一旦立たせ賜はば、禍を転じて福と為し、忽ち點夷(註・小さな外國)の虚喝(註・虚勢を張った脅かし)を押へ、皇威を海外に振ひ候期も亦遠からずと存じ奉り候…」。

 

大和朝廷の頃は、外國との交際も盛んであり、太陽の照るところは全て天皇の統治される地であるといふのが日本の神の御心であるから、鎖國政策は、日本の神の御心に反しており日本の伝統ではないから転換すべきである、そして、外圧といふ禍を転じて福と為し、天皇の御稜威を世界に広めるべきであると論じてゐる。天照大御神の神威を体し鎖國を止めて、海外への発展の道を開くべしといふ気宇壮大な主張である。鎖國は、八紘為宇のわが國建國の精神に悖るといふ正論である。この正論は明治維新の断行によって実現した。

 

この長井雅楽の文書は五月十二日に毛利慶親より三条愛(さねなる)に提出された。これに対して、孝明天皇は、

 

「六月二日長門藩主・毛利慶親の臣・長井雅楽を以てへたまひたる」と題されて、

 

國の風ふきおこしてもあまつ日をもとの光にかへすをぞ待つ

 

との御製を賜った。孝明天皇は決して頑なな攘夷論者・鎖國論者ではあらせられなかったことを証しする。わが國の主体性を確立したうえでの開國・海外発展・外國との交際は否定しておられなかったのである。

 

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