« 千駄木庵日乗十一月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月三日 »

2020年11月 2日 (月)

天皇陛下と『皇室典範』

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の「王権神授説」の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

わが國は権力国家ではなく祭祀国家であり、天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」(のり)なのである。

日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を民に告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。これがわが国の「法」(ノリ)の原点である。現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を民に傳へる『のりごと』である。「法(のり)」は「宣(のり)」である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が「法」なのである。わが國の法の尊厳性はそこから生まれる。

古来、我が國では法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じものである。

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一體たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇は断じて「機関」ではあらせられない。

天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威による。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など國體及び皇室に関する重要なことは、國家の権力機関である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。


「皇位継承」「皇室典範改正」「天皇御譲位」について、「天皇・皇族から意見を聞くことは憲法に反する。象徴天皇制のいまの制度ではできない」というのが今日の通説になっているという。『現行占領憲法』第四条に、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されているのがその根拠になっている。

「皇位継承」「皇室典範』改定」は、日本国家を体現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の国家の国家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

故に権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などという議論は全く間違っている。日本の傳統の根幹に関わることなのであるから、日本の傳統の体現者であらせられる天皇の御意志に添い奉るべきである。

内閣・国会という権力機構が決定したことを、陛下に押し付け奉ることがあってはならない。「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」という國體に関する根本問題について、「天皇の御意思」を全く無視するなどということがあっていいはずがない。

『現行占領憲法』第四条の「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれているのは、『現行憲法』上、天皇は権力者ではあらせられないということである。であるならば、天皇は、「権力の制限規範」である「成文憲法」の制約を受けられないのである。天皇は、「成文憲法」を超越した御存在である。

天皇は権力者ではあらせられないし、申すも畏れ多いが、天皇は権力機関ではあらせられない。したがって「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」という國體に関する根本的事柄について、権力機関たる国会や政府が干渉したり、何事かを決めることは本来出来ないのである。

|

« 千駄木庵日乗十一月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月三日 »