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2020年10月20日 (火)

「元号」が勅定ではなく権力機構によって決められたことにより國體が隠蔽された

「憲法は権力の制限規範」であると言ふ。そして『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったし、しなかった重大なる伝統破壊である。

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこへる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

前述した通り、元号は、臣下の政治家・學者・官僚たちが色々議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。

ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたのである。

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