« 千駄木庵日乗十月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月三日 »

2020年10月 2日 (金)

日本國體を西洋成文憲法において規定することはあってはならないし、それは本来不可能である

『御譲位』『皇室典範』『御代替わり』『元号』が「政治問題」となって、政府や國會といふ権力機構で論議され決定された。しかし、天皇・皇室に関することは、一般の政治問題とは全くその性格を異にしてゐる。否、「性格を異にする」などといふ生易しいことではない。天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の國體に関はる問題である。

日本天皇の御位は、他國の王位・元首の地位とは全くその本質が異なる。また、皇位繼承は、他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。またそれに伴ふ「元号」改定も政治権力が決定すべきではない。

日本天皇の御位即ち「皇位」は権力者の地位では絶対にない。神代以来の精神的道統を繼承する祭祀主・すめらみことの「御位」である。従って、天皇・皇室の関はる御事を権力機関で議論し決定すべきではない。

そもそも天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體を西洋成文憲法において規定することはあってはならないし、それは本来不可能であると考える。

日本國體・天皇皇室は、日本の傳統的な「神観」「國體観」「天皇観」「人間観」の根幹である。決して欧米の成文憲法によって規定されるべきではないし規定することは本来不可能である。それが大前提である。

人間を単なる肉體ととらへる近代西洋の生物學、國家を権力機構ととらへる近代西洋の國家論によって日本國體・皇位繼承を規定するべきではない。また、外来政治思想に影響されてはならない。

もちろんわが國は、外来の思想・宗教・科學などを包容摂取して来た歴史を持つ。しかし、外来文化の包容摂取は天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體精神を基盤として行はれてきた。外来思想外来文化の流入によってわが国伝統思想・文化が滅びてしまったといふ事はない。

天皇のご存在が、日本國が外来文化を大いに取り入れながらも、日本國の独自性を喪失しなかった根幹である。日本國體精神の中核は、日本天皇の祭祀である。祭祀主日本天皇は、純粋なる日本傳統精神を原基であり中核である。

北畠親房は『神皇正統記』において、「応神天皇の御代より儒教ひろめられ、聖徳太子の御時より、釈教をさかりにし給ひし、これ皆権化の神聖(かみ)にましませば、天照大神の御心を受けて我國の道を広め深くし給なるべし」(巻一)と論じてゐる。

北畠親房は、我國の天照大御神の神意を體して仮の姿を現はした神聖なる人によって説かれた教へが儒教・佛教であるとしてゐる。天照大神の皇孫=日本天皇の皇位繼承については、儒・佛の教へが入り来る以前の純粋なる傳統精神(北畠親房のいふ天照大御神のご神意)に依拠しなければならない。

『現行占領憲法』においてすら、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

さういふ意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。国会・政府といふ政治権力機構が「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽であった。

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位、元号勅定」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。まして元号を政治権力機構が決定することがあってはならない。

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。この度の「改元」において、政治権力によって元号が決められ、國體が隠蔽されたのである。 まことに由々しき事態である。

|

« 千駄木庵日乗十月二日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月三日 »