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2020年10月31日 (土)

天皇の大御心にまつろひ奉ることが日本國民の道義心の根幹


天皇国日本存立および日本国民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と国民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇に「清らけき心」「明けき心」で随順したてまつることが、日本国永遠の隆昌の基礎であり、日本国民の倫理精神の基礎である。私心なく天皇にお仕へする心がもっとも大切である。それは、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

支那の有徳王君主思想は、「君主に徳がなくなり間違ったことするやうになればこれを廃する」といふ思想である。日本の尊皇精神は、「天皇は現御神であらせられ、善悪の論を離れて絶対に尊びたてまつるべし」といふ至情である。これを「あかき心」(赤誠心)といふのである。「あかき心」とは私心が無い即ち無私の心である。しかして、無私の心をもっとも体現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられるのである。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。

日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)といふことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「無私の大御心」「神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。

高天原にのぼってこられた須佐之男命に対して、天照大御神が「然(しか)あらば、汝(みまし)が心の清く明きは何を以ちて知らむ」とのりたまひしごとく、日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の体現者であらせられる。

また、天照大御神が、天の岩戸からお出ましになってそのみ光が輝きわたった時、八百万の神々は一斉に「天晴れ、あなおもしろ、あな楽し、あな清明(さや)け」と唱へた。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

「現御神信仰」の公的表現は、『宣命』『詔勅』に現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されてゐる。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く」と示されてゐる。

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられるのである。

人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、天皇の無私にして神ながらなる大御心に回帰する以外にない。日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつろふ(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。

「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」は、「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来のわが國の尊皇精神である。

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千駄木庵日乗十月三十一日

午前は、近親者来宅して、室内清掃。

午後からは、『伝統と革新』原稿執筆、校正など。

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2020年10月30日 (金)

この頃詠みし歌


神の力我に湧き来て秋深し

南無大師遍照金剛と唱ふれば心身ともに力甦る

降り続く秋雨に濡れ団子坂下り来れば知り人の笑顔

一週間ぶりに傘を持たずに外出す秋雨よりも秋晴れが佳し

たどり着きし麻布台の上の建物に『朋有り遠方より来たる』とは吉田茂の書

国士評論家の力強きお話を聞きつつ秋の午後を過ごせり(田久保忠衛先生)

禿頭の人が帽子をかぶりをり割合似合ふと我も喜ぶ

老人二人がわが隣席に座りつつモツの煮込みを食しゐるなり

老人などと詠んでみたけれどそれほどに我と年齢の違ひあらざる如し

うれしくも久方ぶりに夢の中で逝きにし母と語りあひたり

明るき女性がおせち料理のことなどを話しゐるなる大江戸の秋

日暮里も谷中もみんな人々が明るく楽しく生きてゐるらし

訪ね行きし昔の友はすでにおらずそれその息子が店を守りゐる

少年時代に知り合ひし友は還暦を過ぎにけるなりと我に語りき

日本学術会議などといふ組織この国にあらずとも良し

またしてもつまらなき事を大仰にとり上げて騒ぐメティアと野党

半月が高々と照る道を行くこの静かなるひと時の幸

大いなる力を我に与へたまへあと四十年は生き抜かんかな

生きることに執着はあらずと決しきれず今日も生き行く力の限り

御煎餅を買ひて今宵も街を歩み行き後は佃煮屋を目指すばかりぞ

上野なる映画館の帰りには必ずゆきしとんかつや双葉

遠き日に見たる映画を思ひ出す父の恩愛の身に沁みにつつ

古きお店の元気なる老夫人と語らへば母上のことが思ひ出さるる

あれほどの健やかにおはせしわが母は悲しくもこの世から去りたまひたり

悲しくてさみしくて悔しくてならぬことなりは母上がこの世から去りたまひしは

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千駄木庵日乗十月三十日

午前は、諸事。

午後からは、『伝統と革新』原稿執筆・原稿校正。資料整理。その他。

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わが国は、何としても共産支那、ロシア、北朝鮮による侵略を撃退しなければならない。

今日の日本は実に大変な状況に立たされていると思う。わが国の安全に直結する近隣諸国との関係にしても、北朝鮮の金正雲、共産中国の習近平、そしてロシアのプーチンも、政敵・邪魔者を殺すことを何とも思っていない。そういう人々が独裁権力を握っているのである。そして民衆の自由を奪い、命を奪っているのだ。その凶暴性・侵略性が何時近隣国家たる我が国に向かって来るかわからない。わが国は、何としても共産支那、ロシア、北朝鮮による侵略を撃退しなければならない。
それにはアメリカとの協力が不可欠だ。さらに国内にウィルスの如く蔓延する外敵の手先を撃滅しなければならない。

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千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』原稿執筆、校正など。


夕刻は、原稿書きなどの仕事で家にこもってばかりいてはよくないので、久しぶりに谷中の町を散策。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2020年10月28日 (水)

映画『カサブランカ』を見て思ったこと

今日はNHKBSプレミアムでアメリカ映画「カサブランカ」を久しぶりに放送した。ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの主演である。イングリッド・バーグマンは美人女優として今日まで多くの人々の記憶に残っている。この映画については面白い思い出がある。

 

高校時代の恩師が「僕の家内はイングリッド・バーグマンによく似ている」と言われた。私はその奥さんに会いたいと思って、恩師の家を訪問し奥さんにお会いしたが、イングリッド・バーグマンには似ていなかった。その恩師は強度の近眼であられた。

 

私は小学生・中学生の頃は、父親に映画を見に連れて行ってもらった。ディズニー映画や西部劇が多かった。「バンビ」「森は生きている」「不思議の国のアリス」「ピーターパン」「シェーン」「黄色いリボン」などであった。「カサブランカ」はずっと後、テレビ放送で見た。

 

この後も、「タワーリングインフェルノ」「飛べフェニックス」「アラモ」なども見た。このようなに外国映画のほとんどがアメリカ映画であった。チャップリンの映画もテレビで放送した時はよく見た。面白かったのはやはり「独裁者」「殺人狂時代」であった。

 

日本映画はアラカンファンだったので嵐寛寿郎の映画はよく見た。母から親子二代続けてのアラカンファンであった。最終作以前は『鞍馬天狗』は映画館では見たことがない。『明治天皇と日露大戦争』を見て感激した。二〇三高地の橘大隊長戦死の場面では涙をポロポロ流した。今から思うと、大隊長の役は若山富三郎が演じていた。アラカンの扮する明治天皇が「伊藤、この戦いは勝たねば国民にすまんぞ」「国民の声が聞こえる」という台詞が印象に残っている。これも父に連れて行ってもらった。この映画を見たことが小生の愛国心の目覚めに大きな影響を与えたことは確かである。

 

その後は、「網走番外地」である。アラカンの「鬼虎」の役は凄味があった。そして大学時代の後は「男はつらいよ」てあることは言うまでもない。渥美清は言うまでも無く、オジちゃん役の森川信、裏の印刷屋役の太宰久雄も良かった。下町庶民を好演していた。

 

今では映画館に行って映画を見る事が全くと言っていいほど無くなった。テレビで見て楽しんでいる。ションベン臭かった上野日活、根津東映、上野新東宝が懐かしい。

 

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千駄木庵日乗十月二十八日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』の原稿校正、原稿執筆。その他。

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2020年10月27日 (火)

。 「現行占領憲法」の欠陥を根本的に否定し、日本國體精神を根幹にした正統憲法に回帰しなければならない。

日本國體とは相容れない「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである。

 

憲法を論じるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範である」といふことである。イングランド最悪の王と言はれるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『國王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立したとされる。

 

「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」といふ考へ方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。このやうな由来・本質を持つ成文憲法が、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を規定すること自體誤りであり不自然なことである。

 

これまで何回も論じてきたことだが、そもそも天皇は政治的権力は有しないのであるから、『権力の制限規範』である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。国政の関する権能を有しないといふ事は権力者ではないといふことである。従って「権力者」ではあらせられない天皇は、「権力の制限規範」たる憲法を超越した御存在であり、憲法が天皇を制約することがあってはならないのである。

 

したがって、三権の一つであり「国権の最高機関である」と規定されてゐる國會が、権力者であらせられない「天皇の御位」即ち「皇位」について議論し決定することは、憲法が「権力の制限」である以上、出来ないのである。

 

日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による國家・國民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが國の建國以来の天皇を祭祀主就仰ぐ祭祀国家としての國體であり歴史である。

 

また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

 

日本國は信仰共同體であり國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。天皇と國民と國土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。霊的魂的に一體の関係にある。これを「君民一體の國柄」と言ふ。これが日本肇國以来の國柄であり國體である。

 

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。

 

長谷川三千子氏は、「どの民族にも、その民族にとってもっともふさはしい自然な心のはたらかせ方がある筈だ──このことが、この一条(『玉かつま』の「からごゝろ」という一条)を貫く宣長の基本的考へであり、この一条のすべての言葉は、この基本の考へ方から発せられてゐると言ってよい」「元来が『これは人類普遍の原理である』といふ言ひ方は、或る一つの文化が他の文化に、自分たちのものの見方を押しつけようとするときの決まり文句であるが、それを日本人は疑はぬばかりか、自らの言葉として繰り返してゐる。これこそが『漢意』といふ名の文化的倒錯の構造である、と宣長は見抜いてゐるのである」「漢意は単純な外国崇拝ではない。それを特徴づけてゐるのは、自分が知らず知らずの家に外国崇拝に陥ってゐるといふ事実に、頑として気付かうとしない、その盲目ぶりである」(『からごころ』)と論じておられる。

 

戦後日本は、アメリカから押し付けられた「憲法三原理」を「人類普遍の原理」として有難く押し戴いてきた。これを根本的に反省しなければならない。日本人には日本人の「心のはたらかせ方」がある。これを回復しなければならない。それは排他独善といふことではない。日本人にとってどんな考へ方がまともなのか、日本の国柄に合致してゐるのかを考へ、日本人らしさを正しく自覚することである。『現行占領憲法』の三原理である国民主権論・似非平和主義・欲望民主主義はまさに日本の國の国柄に合はない思想である。

 

戦後日本・現代日本の混迷の原因の大きなものに「國家の統治體制の基礎を定める法・國家の根本法」と定義されてゐる憲法が大きな欠陥を持ってゐるところにある。

 

「現行憲法」の最大の欠陥は、その原理にある。『現行占領憲法』の三原理の一つとされる「國民主権・主権在民」といふ思想は、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪ひ合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。祭祀國家であり君民一體の國柄であるわが日本にはまったく適合しない思想であり、革命=國體破壊につながる思想である。

 

「國民主権論」「主権在民論」は「人類普遍の原理」を詐称してゐるがさうではない。欧米における革命・政治変革から生まれてきた思想であり、日本國體とは相容れない思想である。「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである。

 

憲法は改正すればいい、新しい憲法を作ればいいといふことではない。「現行占領憲法」の欠陥を根本的に否定し、日本國體精神を根幹にした正統憲法に回帰しなければならない。

 

 

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後からは、『伝統と革新』編集。原稿校正、執筆など。その他。

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2020年10月26日 (月)

わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならない

人類は様々の宗教を信じている。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしている。しかし反面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいえる。それは今日に至るまで続いている。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあいが行われている。

イスラム原理主義とキリスト教・ユダヤ教を基盤とするアメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐が渦巻く中にあって、わが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、今日も続いている唯一の国である。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

『鎮守の森』が自然保護の原点である。わが国の神は天津神、国津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが国の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

さらに、海の彼方にも理想の国・麗しい国があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

我が国伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と教団宗教との根本的相違である。つまり、わが国伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰なのである。

だからこそ、わが国伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。わが国において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全国に国分寺・国分尼寺を建立された。わが国において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

わが民族は、今日の混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に国家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

わが国の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖国日本への限り無い愛と、国民同胞意識を回復しなければならない。

昭和四十二年の秋、イギリスの歴史學者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳した。

「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」

わが國傳統信仰を國の内外において恢弘しなければならない。それが一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救う道である。

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集。原稿執筆。その他。

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小川寛大氏の講演内容

昨日行われた「日本の心を学ぶ会」に於いて小川寛大氏は次のようなことが語られた。小生の聞き書きですので文責は小生にあります。

「十年以上つづく自公連立は磨き抜かれている。山口奈津雄は創価学会内で人気あり。公明党選挙を回しているのはオバちゃん。原田会長も人気がある。野党が弱かったから安倍政権は続いた。

総理在任中は靖国神社には行けないと言う前例を作った。アメリカが「失望した」と言ったのにビビった。生長の家はなんの力もない。今日の『朝日』に生長の家は大きな広告を載せた。

学会票は七百万票。各選挙区に一万五千から二万票ある。自公連立が無ければ自民は二百人くらい落ちるという。菅は自公連立が無ければ落ちている。こうしたことは政教分離の話しとつながりかねない。自民党内にも危ないという声がある。

公明は安倍のブレーキだった。八年間続いたが憲法は変わってゐない。尖閣に自衛隊の常駐部隊は置けなかった。リベラルの人は公明はよくやったと言う。菅は安倍以上に公明党に突っ張ることはできない。

学会に新しく入る人はいない。二世三世ばかり。しかしあと百年はつぶれない。しかし人畜無害になる。創価大学人脈とほかの大学出身との学閥の戦いあり。創価大学派の敗北で終わっている」。

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千駄木庵日乗十月二十五日

午前は諸事。

午後は、本日行う講演の準備など。

午後六時半より、春日の文京シビックセンターにて、『第107回日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邉昇氏が主催者挨拶。小川寛大氏及び小生が講演。全員で活発な討論。犬塚博英氏がスピーチ。

帰途、参加者と懇談。

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2020年10月25日 (日)

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切である


天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人に対する暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「人民」と相対立する存在であるという考え方に立って制定されたのが「現行憲法」である。

そして、「民主化」「個人の幸福」のためには、天皇の「地位」を低め「權能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想であり、対立闘争の概念である「國民主權論」が採用されているのである。 

天皇中心の信仰共同體國家・祭祀國家たる日本には無関係の「主權が君主にあるのか、國民にあるのか」という対立概念に基づく「國民主權」を、成文憲法に書くことは、わが國の國柄とは相容れない。

西洋概念で日本國體を規定することはあってはならない。西洋法思想・國家論である「國民主權」なる「概念」を、日本國の憲法に規定することは國體破壊につながる。 

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋の憲法概念に基づいて成文憲法に規定することは重大な誤りである。「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを論議すること自體、日本の傳統的な考え方・國體觀とは全く異質な論議である。

わが國は、信仰的・祭祀的統一によって形成された國家である。そしてその祭祀主が天皇であらせられるのである。祭祀國家として約三千年の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の本質であり、日本國體の尊厳性なのである。

日本國は、國家の意思を最終的に決定する權力としての主權を持つ國民の意思によって形成された國家、すなわち契約國家・集合國家・權力國家・統治システムとしての國家ではない。

日本國家の生成は記紀神話に傳えられている。『記紀』によると、國家成立の三要素たる國土・君主・國民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。祭祀主たる天皇は、國民を支配し隷従させたのではなく、信仰的權威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。

日本國の統治大權は建國以来天皇にある。天皇の統治大權とは、權力や武力による支配ではなく、祭祀と一體のものであり、天皇が神聖な信仰的權威によって統率し統一することである。

志位和夫は、「世界に、『國政に関する権能を有しない』--統治権かかわる権限を一切もたない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです」と論じている。

志位和夫は、西洋法思想、國家論・君主論を「人類普遍の原理」と考えているから、日本の伝統的統治論・君主論・國家論を理解できないのである。そして、このような暴論を吐露するのである。「『國政に関する権能を有しない』--統治権かかわる権限を一切もたない君主というものは、存在しません」という議論は日本國體には全く通用しない空想である。武家が國家権力を持っていた鎌倉時代から江戸時代までの長い時代は、天皇は君主ではあられなかったし、「現行憲法」が施行されている時代も天皇は君主ではないということになる。これほど事実を無視した暴論・空論はない。

日本天皇の「統治」と外國の君主の「支配」との違いを正しく理解すべきである。天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を服従せしめ私物化することではない。

支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係にあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。

しかしわが國においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、國民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族國家の中心であると考えている。簡単に言えば、支那においては、天子は権力と武力によって國民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって國民を慈しむのである。

日本天皇は、『朕は國家なり』というような國家國民を私物化し支配する西洋的な絶対専制君主とも全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本國に君臨されているである。故に、天皇は常に無私の心で統治されるのである。

「無私の心」とは神の御心のままということである。さらに歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上した。

天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威は、かかる御精神から発生するのである。

しかし、天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にいまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本國のあらゆる物事・事象の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、『政治文化情報』発送作業。作業完了。

午後からは、資料整理など。

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2020年10月23日 (金)

日本國體とは祭祀主と仰ぐ精神的信仰的共同体


 日本國體とは、天皇を祭祀主と仰ぐ精神的信仰的共同体のことである。単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことであ。つまり、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「国家の体制」と表現するのは誤りである。

 國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。

 小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。           

 「國體」とほぼ同じ意義の「国柄」という言葉は、萬葉の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

 それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。

 これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

 「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

 さらに柿本人麿は、輕皇子(かるのみこ・後の第四二代・文武天皇)がの安騎野(あきのの・奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の山野)へ行幸された時に、
 「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと……」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく……という意)
 と歌った。

 「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事実をいった言葉である。

 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

 このような古事記・萬葉以来の我が国の精神伝統が、「我が国は天皇を祭祀主と仰ぐ神の国である」とする「國體」「国柄」なのである。

戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない。「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「国家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇祭祀主と仰ぐ国である日本には全くそぐわないのである。 

 戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで、「日本は天皇を君主とする国である」ことは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

 『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。また現行憲法にもきわめて不十分・不完全ではあるが國體を護持する規定が書かれている。

 戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。

 その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは記紀・萬葉以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

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第107回日本の心を学ぶ会


テーマ 菅政権と公明党
菅義偉氏が99代総理大臣に就任し菅政権が誕生しました。
公明党は「菅首相とは考え方が近い。共通の基盤がある」と歓迎しています。
安倍政権下で公明党は幼児教育の無償化や消費税の軽減税率の導入など政策で存在感を示した、一方で安全保障法制やカジノ法案の成立では「平和と福祉の党」という理念に反するという批判が支持母体の創価学会からも起こりました。
今後、菅政権内でどのような存在感を示すかが課題になりそうです。
また新型コロナの流行は創価学会の活動にも大きな影響を及ぼしております。地域の学会員が集まる「座談会」や集会が相次いで縮小や中止され、オンラインでの活動が模索されていますが、「顔を突き合わせてこそ深まる会員同士の絆が弱まり。選挙にも支障がでるのではないか」と懸念されています。また会員数の減少と高齢化は選挙の集票能力にも影響を与えており12年前に比べて集票能力は20%以上減少したといわれております。
公明党が解散総選挙に慎重な背景にこのような組織の弱体化と集票能力の減退があると思われます。
そもそも公明党とは農村から都市に流入した階層の人々の欲求をエネルギーとして拡大した政党であり、現在は地方を含めると3000人の議員を擁す大政党です。日本社会の一角にしっかりと根を張ったこの政党の行方は菅政権だけでなく日本社会そのものにも大きな影響を及ぼすように思えます。今回は菅政権と公明党について考えてみたいと思います。
今回の勉強会では「雑誌:宗教問題」編集長の小川寛大先生をお招きして「宗教界にとって安倍政権とは何だったのか」という演題で、四宮正貴先生には「宗教と現代の危機」という演題で講演していただきます。
【日 時】令和2年10月25日 午後6時30分から
【会 場】文京シビックセンター 三階会議室B
文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分
【演 題】宗教界にとって安倍政権とは何だったのか
【講 師】小川寛大先生 雑誌「宗教問題」編集長
【演 題】宗教と現代の危機
【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表
【司会者】林大悟
【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)
【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395
この告知文は主催者が作成しました。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送準備。発送作業。資料整理など。

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2020年10月22日 (木)

「元号」が勅定ではなく権力機構たる内閣によって決められたことにより國體が隠蔽された。

これまでの歴史を顧みれば明らかな通り、新元号を建てることによって、時代転換、世直し、國家の新生、維新が行はれてきた。

天皇のみのご使命である元号を定めることは、決して権力行為ではなく祭祀であることは、「元号の勅定」が天皇の「統治権の総攬者」としての「國務・政務」について規定されてゐる『大日本帝國憲法』ではなく、「卽位ノ禮及大嘗祭」などの即位に関はる宮中における祭祀についてのみ規定されてゐる『登極令(とうきょくれい) 』に規定されてゐることによって明白である。

明治以後は不文の法のみならず成文法においても明治二十二年(一八八九)二月十一日、『大日本帝國憲法』と同時に公布された『皇室典範』によって一世一元が確認せられ、改元の手続きは『皇室典範』の附属法である『登極令』(明治四十二年【一九〇九】二月十一日公布)において「第二條 天皇踐祚ノ後ハ直ニ元號ヲ改ム  元号ハ樞密顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅定ス 第三條 元號ハ詔書ヲ以テ之ヲ公布ス」と定められてゐる。

近代成文法において、天皇陛下の御意思にあらざれば元号は改めることはできないと明確に規定されてゐる。そして、元号の勅定は、大嘗祭などと同じく、天皇の行はせられる祭祀なのである。

しかるに、令和の御代の改元が新帝によって改元が行はれなかったのは、「ついに日本は、天皇が『時間空間』を統治される國ではなくなった。内閣総理大臣以下政治権力者が『時間』を支配する國となった」と極言することも可能である。といふことはわが國の「元号」は、神聖なる権威を喪失したと考へることも可能である。

しかし、「令和」といふ新しい元号が、現実にはわが國の長年の伝統は崩壊することなく、天皇・皇室の神聖権威と共に、國民の大多数が伝統的権威を継承するものとして歓喜したことは有難いことである。

報道によると、安倍総理は、天皇陛下の政治への関与を禁じた『現行占領憲法』第四条に抵触しないやう配慮しつつ、「新元号」決定前も決定後も、皇居・東宮御所に何回か参内し、天皇陛下、皇太子殿下に選考が元号にご説明申し上げたやうである。天皇陛下、皇太子殿下のご報告申し上げ、ご意向をうかがったと思はれる。安倍総理は、『現行占領憲法』の制約下にあってできるだけの努力はしたと思はれるのである。

「憲法は権力の制限規範」であると言ふ。そして『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったし、しなかった重大なる伝統破壊である。

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこへる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

前述した通り、元号は、臣下の政治家・學者・官僚たちが色々議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。

ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたのである。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、諸事。 午後一時半、永田町の衆議院第一議員会館にて、長島昭久衆議院議員にインビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。 帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2020年10月21日 (水)

日本国民は一日も早く東京裁判の呪縛を払拭し民族の誇りを取り戻すべきである。

戦勝国による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。戦勝国は、わが国を解体し弱体化するために『戦争犯罪人』といわれる人々を捕らえ「裁判」という名の復讐を行ったのである。

 戦勝国は、「戦争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが国の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、牛馬にも劣る非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。

 戦勝国は、法律なき「軍事裁判」の「法廷」即ち残虐無比な復讐の場で、わが国に侵略国家の汚名を着せそれを全世界に宣伝したのである。「日本侵略国家論」こそ、欧米列強の「侵略の歴史」を覆い隠すための便法であった。

 米国は航海の安全を保障されていた日本の「阿波丸」(一万一千二百四十九㌧)を、台湾海峡で魚雷攻撃した。阿波丸は緑十字マークをつけて無防備で航行していたが、二千八名の乗員と乗客が死亡した。

 さらに、米国は広島と長崎の原爆を落とし、わが国主要都市に爆撃を敢行し、無辜のわが国国民を大量虐殺した。ソビエト連邦は、戦争末期に日ソ中立条約を一方的に破棄してわが国に侵攻し、南樺太全千島そして北方四島を占拠し、多くの日本人婦女子を殺戮し、日本人軍民をシベリアに移送して強制労働に従事させ多くの人々を餓死凍死など死に至らしめた。
 
米・ソなどの戦勝国こそ、多くの侵略国である。しかもその責任を回避し、補償さえしなかった。それは数百年にわたる白人によるアジア・アフリカ・中南米侵略支配の常套手段であった。
 
大東亜戦争は、支那大陸におけるわが国の合法的権益を奪い、支那大陸を手中に収めようとする米英ソの謀略と対日経済封鎖力が引き金となって始まった戦いであり、わが国の侵略戦争ではない。
 
わが国近代史を汚辱にまみれた歴史であるとして非難し続けている戦後日本は、国家民族の尊厳性を喪失し、国家民族の存立の基盤を危うくしている。
 
戦勝国は、わが国を戦争に追い込みながら、『東京国際軍事裁判』では、わが国に戦争責任を押しつけた。これは戦勝国の政治宣伝でもあった。
 
戦後日本は今日に至るまで、いわゆる『東京裁判史観』に呪縛され続けている。我々日本国民は一日も早くこの呪縛から解放されねばならない。そして民族の誇りを取り戻すべきである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸事。

午後二時半にて、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、「伝統と革新」掲載原稿執筆など。

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2020年10月20日 (火)

「元号」が勅定ではなく権力機構によって決められたことにより國體が隠蔽された

「憲法は権力の制限規範」であると言ふ。そして『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ない。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在である。天皇は権力者ではあらせられないのであるから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されない。

新しい元号は、天皇が勅定されるといふ伝統が無視され、臣下の権力機構たる政府が決めたといふことは、德川幕府でさへ行ひ得なかったし、しなかった重大なる伝統破壊である。

新井白石(江戸時代中期の旗本・政治家・朱子學者。六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を實質的に主導した)は、享保元年(一七一六年)頃に書いた『折たく柴の記』といふ随筆において、「わが朝の今に至りて、天子の号令、四海の内に行はるゝ所は、獨年号の一事のみにこそおはしますなれ」と書いたといふ。

もっともこの新井白石は、「徳川将軍は天下の主権者たるにふさわしい『日本國王』の称号を持つべきであると」と主張した人物である。事實、正徳元年(一七一一年)に徳川幕府が朝鮮からの使節を迎へるに際して、國書に記載される将軍の称号を「日本國王」と改めさせた。新井白石は、文字通り幕府の御用學者であったと言ふべきである。

新井白石の主張に対して、頼山陽は後に「噫(ああ)、是れ足利氏を助けて虐(注・天皇に対する反逆)を成すものなり」「名分の在る所、踰越(注・のりこへる)すべからず」(『日本外史』)と厳しく批判した。また、新井白石は、徳川吉宗が将軍になると失脚した。

前述した通り、元号は、臣下の政治家・學者・官僚たちが色々議論して原案を作っても、その原案を、天皇に奏上し、叡慮によって決せられ、勅定されるべきなのである。王朝時代においても、元号は公家・學者による討議があったのちに勅定せられた。

ともかく君主たる上御一人日本天皇が勅定あそばされるべき「元号」が、臣下たる権力機構によって決められたことは、國體が大きく隠蔽されたのである。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、親族来宅。室内清掃。 午後からは、原稿執筆の準備。明日行うスピーチの準備など。

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2020年10月19日 (月)

アメリカの大統領や国務長官が来日した時、何故、羽田や成田を使わずに米軍の横田基地に降りるのでしょうか。

国防安保・日米同盟についてお詳しい方に伺いたいのですが、アメリカの大統領や国務長官が来日した時、何故、羽田や成田を使わずに米軍の横田基地に降りるのでしょうか。私は以前から疑問に思っていました。アメリカ政府はまだ日本を軍事占領下に置いていると考えているのでしょうか。わが国のメディアも政党もこのことをあまり報道もしないし問題にもしないのはどうしたわけでしょうか。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、資料整理。「伝統と革新」掲載原稿執筆・脱稿・送付。

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2020年10月18日 (日)

日本国の憲法は、欧米の国家観、政治思想、即ち権力国家思想を払拭し、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家日本の本姿が正しく書かれてゐるべきである

日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である

いはゆる自由民主体制は、國民一人一人の高い倫理精神が土台になってゐなければならない。さうでなければ、闘争・破壊・腐敗が蔓延し、國民の幸福は實現しない。世界の多くの国家はそういう状況に陥っている。

ドイツの哲学者ヤスパースは、「自由というものは、神とも道とも涅槃とも、大きな充實した空とも、本然の存在とも呼ばれる超越的存在を私たちが経験する場所としてのみあり得ます」と語ったといふ。(昭和二十七年日本ヤスパース協会への「年頭の辞」・武藤光朗氏著『革命思想と實存哲学』より引用)

道義精神・倫理観のない國家は、権力組織に過ぎない。日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である。さういふ國家に対してこそ、愛國心・國家意識が湧く。愛國心・國家意識は、共に懐かしむことができる歴史意識、傳統精神、道義精神、神話を持つことによって育まれる。

わが日本國民の生活は本来、精神的にも物質的にも、悠久の太古より継承された歴史・傳統・祭祀・信仰に積み重ねの上に形成されてゐる。グローバル化時代などと言はれてゐる今日こそ、その事を正しく認識すべきである。祭祀國家日本の本姿開顕、信仰共同体へ回帰してこそ、真の自由・真の民主政治が實現し國民の幸福が達成できる。

わが國は、ある特定の時代に人為的に作られた國家ではない。神話時代より継承されてきた神聖なる國である。「成文憲法」には、この事が正しく書かれてゐなければならない。

日本の國生み神話は、無名の大地の生成ではなく、國土の生成であるところに大きな意義がある。伊耶那岐命・伊耶那美命による國土生成の神話は、大八島國といふ統一した國土が生まれる物語である。そしてその中心の神が、天照大御神であり、天照大御神の靈統の継承者・地上における御代理が日本天皇である。

日本國民の天皇に対する帰属意識は、権力・武力に対する恐れに基づくのではない。従って、西洋傳来の「成文憲法」が「権力への制限規範」であるのならば、さうした「成文憲法」に権力者では本来あらせられない天皇に関する「条項」があること自体不自然と言へる。現御神・祭祀主であらせられる天皇陛下の御本質への回帰が第一であり天孫降臨・神武建國以来の道統を開顕する事が最も大切である。皇室の御事及び憲法はそこから考へねばならない。

即ち、日本国の憲法は、欧米の国家観、政治思想、即ち権力国家思想を払拭し、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家日本の本姿が正しく書かれてゐるべきである。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。原稿執筆の準備。

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2020年10月17日 (土)

日本学術会議について

日本学術会議が推薦した新会員候補六人を菅義偉総理が拒否したことに対し、亡国野党・偏向メディアが例によって「学問の自由侵害だ」と騒ぎ立てている。

学問の自由・信教の自由・政治活動・言論の自由・集会結社の自由と言うと、「神聖不可侵の国民の権利」であるかの如く言い立てる連中が多い。そういう連中の大多数は、反体制・反保守の立場に立つ連中で、共産支那など共産主義勢力の手先と断じて間違いない。立憲民主・共産などの野党、そして朝日新聞などの偏向メディアはまさしくそういう連中だ。

今日において、政治活動・学問の自由・信教の自由・言論の自由・集会結社の自由を問題にするのなら、まず以て共産支那・北朝鮮・ロシアの強権政治、国民の自由圧殺、権力による国民に対するテロ・殺戮に対して大々的に抗議を行うべきなのにそういう動きは見せない。

そもそも日本学術会議は、年間十億円もの政府の金を使う組織なのであるから、政府及び総理大臣が人事と金の使い方に対して判断を下すのは当然である。

そのことと「学問の自由」とは何の関係もない。本当に「学問の自由」を侵害されたくないのなら、政府という権力機構に金などの面で依存する組織で活動すべきではない。學術会議会員でなくとも、否、ない方が、自由に学問はできる。それは宗教団体が政府からお金の支給を受けないのと同じである。

学術会議が「学問の自由」を本当に守りたいのなら、自分たちの資金だけで運営し、政府の金を受け取らず活動すべきだ。

安全保障関連法やテロなど準備罪を新設した改正組織犯罪処罰法に反対するような国家社会の安全と平和を根底から脅かすような人間が、年間十億円以上の国家予算を使う政府機関たる日本学術会議の会員に任命されないのは当然すぎるほど当然である。

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千駄木庵日乗十月十七日

午前は、近親者来宅。室内清掃。


午後からは、憲法に関する原稿執筆の準備、資料の整理、書状執筆、原稿執筆など。

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日本神話に示された國體精神


天皇と国民と国土は霊的・魂的に一体の関係にある
「国生み神話」は、日本国の祭祀的統一の歴史が物語られてゐる。日本国家の神話的起源思想の特色は、国家成立の三要素たる君主、国土、人民が、生命的・血統的に一体であるところにある。即ち「皇祖神たる天照大神」と「大八島(国土)」と「国民の祖たる八百万神」が、伊耶那岐命・伊耶那美命から生れ出た「はらから」といふ精神にある。

『古事記』の「国生み神話」に、伊耶那岐命は伊耶那美命に「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(註・かれ。だからの意)この吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合はぬ処に、刺し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまふたと語られてゐる。

伊耶那岐命が「国土(くに)を生みなさむ」と申されてゐるところに日本神話の素晴らしさがある。岐美二神は大地を創造されたのではなく、国土の生成されたのである。太古の日本人は劫初から、国家意識が確立してゐたのである。世界の他の国よりも我が国は国家観念が強かったといへる。

中西進氏は、「(世界各地の神話は・註)人類最初の男女神は、人間を生んでいる。國を生むのではない。ところが、日本神話ではそれが國生みに結び付けられ、国土創造の話に転換されている。これは日本神話の特色で」(『天つ神の世界』)と論じてゐる。

岐美二神はお互ひに「あなにやし、えをとめを」「あなにやし、えをとこを」(『本当にいい女ですね』『本当にいい女ですね』)と唱和されて、国生みを行はれた。二神の「むすび」「愛」によって国土が生成されたのである。国土ばかりではなく、日本国民の祖たる八百萬の神々も全て岐美二神の「むすび」よって生まれたのである。日本神話においては、天地が神によって創造されたのではない。日本国家は神の魂が結び合って生まれてきた生命体なのである。

日本民族の農耕を中心とする伝統的生活のから培はれた自然と祖霊を神として拝む信仰が「神話」といふ形で語られてゐるのである。そしてその〈むすび〉の中核が日本伝統信仰の祭祀主である天皇である。これが「祭祀国家」「信仰共同体」としての日本なのである。

「むすび」の語源は、「生(ム)す」である。「草が生す」「苔が生す」と言ふ。「ムス」とは命が生まれることである。故に親から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)と言ひ、女の子を「むすめ」(生す女)と言ふ。

「むすび」とは命と命が一体となり緊密に結合することである。米のご飯を固く結合させたものが「おむすび」である。そして日本伝統信仰ではその米のご飯には生命・魂が宿ってゐると信じてきた。

「庵を結ぶ」といふ言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集めこれらを結び合はせて作られた。結婚も男と女の結びである。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」と言ふ。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。日本の家庭も〈むすび〉によって成立してゐる。日本国土は、伊邪那岐命と伊邪那美命との「むすび」によって生成されたのである。
『古事記』にはさらに、「伊耶那伎大神…筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。…左の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照大神」と語られてゐる。皇祖神であらせられる天照大神は、伊耶那伎大神から生まれた神なのである。

日本国の君主であらせられる天皇の祖先神たる天照大神も、日本国民の祖たる八百萬の神々も、日本国土も、伊耶那岐命・伊耶那美命から生まれた「はらから」なのである。

これがわが国太古からの君主観・国家観・人間観・自然観である。ここに日本神話の深い意義がある。神は、天地と人間を創造し、神と人とが契約を結ぶといふ『創世記』の神話と全く異なる。

村岡典嗣氏は、「(国家の神的起源思想の特色として・註)国家成立の三要素たる国土、主權者及び人民に對する血族的起源の思想が存する。即ち皇祖神たる天照大神や青人草の祖たる八百万神はもとより、大八洲の国土そのものまでも、同じ諾册二神から生れでたはらからであるとの考へである。吾人は太古の国家主義が実に天皇至上主義と道義的關係に於いて存し、天皇即国家といふのが太古人の天皇觀であったことを知る。皇祖神が国土、人民とともに二神から生れ、而も嫡子であると考へられたのはやがて之を意味するので、換言すれば天皇中心の国家主義といふに外ならない。」「日本の國家を形成せる國土(即ち大八洲)と元首(天照大神)と、而してまた國民(諸神)とが、同じ祖神からの神的また血的起源であるといふことである。」(『日本思想史研究』四)と論じてゐる。村岡氏は「主権者」「元首」といふ言葉を使ってゐるが、「主権者」は権力者、「元首」は「head of state」(権力機構の頭首)といふ意味であり、天皇の御本質とは異なる。従って「統治者」「君主」「すめらみこと」と言った方が日本國體に合致する。

ともかく、国家成立の三要素たる国土・君主・国民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と国民と国土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。君主と国民は相対立して国家権力を争奪する関係ではない。生命的魂的に一体の関係にある。これを「君民一体の国柄」といふ。

日本は契約国家でもないし、権力国家でもない。わが国は、信仰的・祭祀的統一によって形成された祭祀国家・信仰共同体である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。かかる尊き国柄が、日本国家成立以来今日まで変ることなく続いて来てゐることは他国に例を見ない。だから「萬邦無比の日本國體」と言ふ。

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理など。

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2020年10月15日 (木)

憲法を論ずる大前提

憲法をはじめとした成文法の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚しているところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのでは断じてない。

わが日本國の國體は言うまでもなく、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家である。これに対し、實際の政治をどのような體制で行われているかを政體という。わが國は有史以来、天皇親政、摂関政治、幕府體制、立憲君主制という歴史を経てきた。しかしどのような政治體制であろうともこの根本には「天皇中心の祭祀國家」という不文法としての國體が厳然として続いていた。

 不文法=國體法とは憲法の一番基礎を成している部分であって、「立國の基本たる法」とも、「國家の根本法の根本法」とも定義づけることができる。これに対して政體法とは、國體法の基礎の上に定められた國家の統治組織や國家活動の原則や國民の權利義務などに関する基本的な定めを総称する。それは成文によって示されることが原則であろう。

 天皇が日本國の祭祀主・君主であらせられるという國體法(不文法)は日本國建國以来不変である。

 歴史上、天皇の國家統治の實相が隠蔽された時期があった。しかし「承久の変」「正中の変」「建武の中興」「明治維新」というこれまで行われた日本の変革は、天皇の統治の實相を正しく顕現せしめる運動であった。

 この様な日本國の國體史・政體史を見てくれば、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文法としての憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文法は國體および皇室に干渉することはできないのである。

 わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によってこの立國の基本を覆したり破壊してはならない。

 しかるに、「現行占領憲法」では、前文で「主權が國民にあることを宣言し」、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定がある。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは有史以来の國體を根本から否定する論議であるが、こういう議論が起こり得るところに「現行憲法」の重大欠陥がある。

 日本國の歴史と傳統すなわち不文法において、天皇中心の共同體を確立しているわが國で、成文憲法に共和制ともとれるような表現があるのは絶対に許されない。ゆえに「現行占領憲法」は根底から否定されなければならない。

日本國家の生成は記紀神話で伝えられている。記紀によると、國家成立の三要素たる國土・君主・國民は、伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在であり、命の源を一つにする「はらから」である。天皇と國民の関係は、支配・被支配の関係ではない。

祭祀主たる天皇は、國民を支配し隷従させたのではなく、信仰的権威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。信仰共同體・祭祀國家は、単に理念的な存在もっと言えば架空にして抽象的な存在ではなく、海という大自然をめぐらし、その中において稲作を中心とする農耕を営み、村落共同體から民族共同體へと生成発展してきた存在なのである。

日本神話は天皇中心の日本國體を、「豊葦原千百秋之瑞穂國は、天照大御神生みの御子すなわち日本天皇の統治される國」と表現したのである。

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、諸事。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、憲法学者の百地章氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。


帰宅後は資料整理など。

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2020年10月14日 (水)

憲法の根本問題


近代成文憲法は欧米の政治思想・国家観を基礎にしており本来わが國體とは相容れないと思います。しかし、今更近代成文憲法を全面否定し絶縁することはまことに困難かと思います。

政府も国会も、皇室や日本の伝統よりも『現行憲法』の規定を重んじる姿勢を貫いているように思います。「憲法は権力の制限規範」とされています。日本天皇は、祭祀国家日本の祭祀主であらせられ、本来政治権力者ではあらせられません。『現行占領憲法』には、「第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれています。歴史上も憲法上も権力者ではあらせられない日本天皇は、「権力の制限規範」である『現行憲法』によって規制される御存在ではあり得ないと思います。天皇・皇室は「憲法」を超越した御存在であると思います。

新しい元号は、新天皇が勅定されるのが伝統であります。しかし、令和の元号は、「天皇の事前許可を求めれば天皇の国政関与を禁じた憲法に反する」という考え方に基づき天皇の勅許をいただきませんでした。しかしそもそも元号の勅定は、天皇の権力行使ではないし、政治権力行為ではありません。「天皇の祭祀」の重要な事柄です。前述した通り天皇は権力者ではあらせられないのですから、権力の制限規範たる成文憲法に規制されません。臣下の権力機構たる政府が決めるということは、德川幕府でさえしなかった重大なる國體破壊であり伝統破壊でした。しかし現実にはこの度の御代替わりにおいてそういうことが行われたと私は思うのです。

「現行占領憲法」はまさに國體破壊・國體隠蔽の亡国憲法です。一刻も早く全面否定しなければなりません。「現行占領憲法」は「日本の歴史や伝統、わが国独自の国柄」についてはどこにも書かれていません。「現行占領憲法」はまさに無国籍・國體破壊・國體隠蔽の亡国憲法であると思います。一刻も早く改正か失効宣言が必要と思います。しかし、改正も失効宣言も文字通り「七十四年河清を待つ」難事です。しかも、先帝陛下も今上陛下の「憲法を守り」と繰り返し仰せになっています。非常に悩ましいことです。「承詔必謹」と我々の永年の主張である「現行憲法否定」とをどう考えればいいでしょうか。

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千駄木庵日乗十月

午前は、諸事。

午後は、明日行うインタビューの準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が大伴坂上郎女の歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

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2020年10月13日 (火)

 「やむにやまれぬ大和魂」

 かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

 吉田松陰の安政元年、二十五歳の時の歌である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時詠んだ歌である。

赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露できるということは、日本人が神から与えられたまさに最高の幸福である。

 明治維新において神武建国への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切なのである。そのためにも志士たちの詠んだ詩歌を学ぶべきであるし、自己自身も歌心をもつべきである。

明治維新は革命ではなかった。革命とは日本の道統を否定した変革である。近代においては共産主義革命思想がそれである。共産主義革命運動からは美しい日本の歌は決して生まれなかった。

 近代文学において日本の道統への回帰を基本とした現状への抵抗と変革の精神を継承したのが、伊藤左千夫であり与謝野鉄幹であり斎藤茂吉でありそれに続く日本浪漫派の人々なのである。

 復古とはただ古き時代に戻ることではない。永遠に新しい命を持つところの「神ながらの道統」「先人の道」を踏み行うことである。復古即革新は永遠の日本的変革の原理である。そしてそれはやまと歌によって継承されていくのである。

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後三時より、六本木の国際文化会館にて、田久保忠衛氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。


帰宅後は、明日の『萬葉集』講義の準備など。

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第107回日本の心を学ぶ会

テーマ 菅政権と公明党

小川寛大先生 宗教界にとって安倍政権とは何だったのか

四宮正貴氏 宗教と現代の危機

菅義偉氏が99代総理大臣に就任し菅政権が誕生しました。

公明党は「菅首相とは考え方が近い。共通の基盤がある」と歓迎しています。

安倍政権下で公明党は幼児教育の無償化や消費税の軽減税率の導入など政策で存在感を示した、一方で安全保障法制やカジノ法案の成立では「平和と福祉の党」という理念に反するという批判が支持母体の創価学会からも起こりました。

今後、菅政権内でどのような存在感を示すかが課題になりそうです。

また新型コロナの流行は創価学会の活動にも大きな影響を及ぼしております。地域の学会員が集まる「座談会」や集会が相次いで縮小や中止され、オンラインでの活動が模索されていますが、「顔を突き合わせてこそ深まる会員同士の絆が弱まり。選挙にも支障がでるのではないか」と懸念されています。また会員数の減少と高齢化は選挙の集票能力にも影響を与えており12年前に比べて集票能力は20%以上減少したといわれております。

公明党が解散総選挙に慎重な背景にこのような組織の弱体化と集票能力の減退があると思われます。

そもそも公明党とは農村から都市に流入した階層の人々の欲求をエネルギーとして拡大した政党であり、現在は地方を含めると3000人の議員を擁す大政党です。日本社会の一角にしっかりと根を張ったこの政党の行方は菅政権だけでなく日本社会そのものにも大きな影響を及ぼすように思えます。今回は菅政権と公明党について考えてみたいと思います。

今回の勉強会では「雑誌:宗教問題」編集長の小川寛大先生をお招きして「宗教界にとって安倍政権とは何だったのか」という演題で、四宮正貴先生には「宗教と現代の危機」という演題で講演していただきます。

【日 時】令和2年10月25日 午後6時30分から

【会 場】文京シビックセンター 三階会議室B
文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

【演 題】宗教界にとって安倍政権とは何だったのか

【講 師】小川寛大先生 雑誌「宗教問題」編集長

【演 題】宗教と現代の危機

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は主催者が作成しまた。

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2020年10月12日 (月)

「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の日本も、眞の道義精神もなくなってゐる

三島由紀夫氏は言ふ。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(反革命宣言)と。

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがマスコミである。

 三島由紀夫氏は、『瀧ヶ原分とん地は第二の我が家』(昭和四五年九月二五日発表)といふ文章で、「ここでは…利害關係の何もからまない眞の人情と信頼を以て遇され、娑婆ではつひに味はふことのない男の涙といふものを味はった。私にとってはここだけが日本であった。娑婆の日本が失ったものがことごとくここにあった。日本の男の世界の嚴しさと美しさがここだけに活きてゐた。われわれは直接、自分の家族の運命を氣づかふやうに、日本の運命について語り、日本の運營について憂へた。……ぢかに足で踏みしめる富士山麓の日本の大地の足ざはりを以て、日本の危機と困難と悲運について考へることができた。……私は、ここで自己放棄の尊さと嚴しさを教へられ、思想と行爲の一體化を、精神と肉體の綜合の厳しい本道を教へられた。」
 
これは、自決直前の昭和四十五年九月十日から十二日まで、陸上自衛隊富士學校瀧ヶ原分屯地に學生五十名と共に体験入隊した時の文章である。
 
三島氏は、祖國防衛のために一身を捧げる訓練をする自衛隊の中にのみ、「利害關係の何もからまない眞の人情と信頼」「自己放棄の尊さ」即ち眞の倫理精神、道義精神が生きており、戦後日本が失ったものがことごとくあるとし、自衛隊分屯地の中だけが日本である、と断じてゐる。この三島氏の文章は、現代社會の腐敗・混乱・堕落の根源にあるものを示唆してゐる。
 
軍と武を否定した「平和と民主主義の國・戦後日本」には、眞の日本も、眞の道義精神もなくなってゐるのである。               
 
三島氏はさらに言う。「文學・藝術の故郷は非合法の行動の暗い深淵に求められていくことになるであらう。…法はあくまでも近代社會の約束であり、人間性は近代社會や法を越えてさらに深く、さらに廣い。かつて太陽を浴びてゐたものが日陰に追ひやられ、かつて英雄の行爲として人々の稱贊を博したものが、いまや近代ヒューマニズムの見地から裁かれるやうになった」(行動學入門)と。
 
長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、萬葉時代の防人、さらに源義経、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちなどは、「英雄」と讃へられた。

しかし、戦後日本は、さうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として正しく評価しない人々が増えてゐる。
 
「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などといふことは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として否定する人が多くなってゐるのである。

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千駄木庵日乗十月十二日

午前は諸事。

午後からは、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』原稿執筆。明日のインタビューの準備。

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2020年10月11日 (日)

この頃詠みし歌

月光の曲がデッキより流れ来る夜の空には十五夜の月

左翼二人がペラペラしゃべるワイドショー朝から見るを堅く拒絶す

甥っ子と二人で登り来し丘の上先祖の墓に祈り捧げる

静かなる墓苑に来たり花供へ祈り捧げることのよろしさ

顔も見たく無き人と逢ふことが時々あるは致し方なきか

政府予算を使ふのならば人事も政府の意向に沿ふべし(日本学術会議)

安倍さんは明るく元気な顔になりぬこのまま長く生きたまへと祈る

明るき笑顔で語る女性政治家の前に座りをれば心楽しき

学者には変人多しと聞きてをれどこの頃あらためて身に沁みて知る

新しき宰相は今一つパンチなくこのまま無事に務まるや否や

個性ある人のみが力のある宰相にあらずと思ひつつ菅総理の記者会見を見る

トランプを見よあまりにも個性強くパンチはあれど危なくてならぬ

幼き日の友と久しぶりに会ひにけり幾山川を越えて来し後

お互ひに幼き日々を過ごしたる町を離れずにゐるはめでたき事か

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2020年10月10日 (土)

今日の日本の危機を打開するためには、「歴史に生きる神話」すなはち<天皇の祭祀>への回帰が大切である


神話の世界で天照大神が行はれた祭祀である「新嘗祭」を、今上陛下は今日も行はれてゐる。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科學技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現實に生きてゐる。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなってゐる。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。
日本おいては、これだけ科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きてをり、伊勢の神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のやうにお祭りが行はれてゐる。

のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇はみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の中心者として君臨あそばされてゐる。

わが祖國日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる國である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

今日の日本の危機を打開し救済するためには、「歴史に生きる神話」すなはち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言へば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになる御心を道義的倫理的規範としてならひ奉り、「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復するといふことである。それが理想的な國家實現の基礎である。

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2020年10月 9日 (金)

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御霊である

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御霊である

 

 わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

 今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ってると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

「政教分離」の原則を我が國にあてはめるのは大きな誤り

 

 日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と仏教・キリスト教などの教団宗教との根本的相違である。

 

 今日、靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝や公的機関の玉串料支出が「政教分離」の原則に反するなどという議論が行われるが、「政教分離」とはある特定の神や人物を絶対者と仰ぎ他の宗教を排斥する排他独善の教団宗教が政治権力を掌握してはならないという原則である。

 

 この政教分離の原則は西洋の宗教戦争や政治権力による宗教弾圧の経験から生まれたものである。ゆえに、我が國の伝統信仰とは全く異なる次元の原則なのである。

 

 今日「政教分離」の原則とやらをやかましく言い立てて、日本伝統信仰=神社神道を排斥する輩こそ、キリスト教・浄土真宗の一部そして共産主義者というような排他独善の教義を信ずる者共なのである。
 
我が國の國家危急の際に命を捧げた人々を、敬神崇祖の我が國の伝統精神に基づいてお祀りする靖國神社への内閣総理大臣の公式参拝あるいは公的機関の玉串奉奠を、西洋の宗教戦争から生まれた「政教分離」の原則にあてはめて禁止するなどということは、全く誤っている。

 

 我が國伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰である。それは我が國伝統信仰が、前述したように、國民生活の中から自然に生まれてきた信仰精神であるからである。

 

 だからこそ、神道の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。我が國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。我が國において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。そして日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

夕刻、動坂下にて、近所のご家族の方々と懇談。最近ご主人が退院してきたばかりなのでみんなで激励す。

帰宅後も、原稿執筆。

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萬葉古代史研究會

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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萬葉古代史研究會

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』


四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 十月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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2020年10月 8日 (木)

「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復することが理想的な國家實現の基礎である。

わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてゐる。これが日本伝統信仰の素晴らしさである。世界でも類ひ稀なことである。

 

武智功氏は、「万物に神が宿るという思いは、一神教に見られる人間が自然を支配するという考えとは異なり、地球問題を考える上で大切な思いである。自然を神と置き換えれば、現代人はまさに神をも恐れぬ存在になっているからである。この万物に神が宿るという思いは、また宗教上の対立による諸問題の解決に糸口を探ることや、多様な文化を尊重する気持ちの醸成などに貢献できる可能性もある。日本古来の考え方には、このほかにも個人より共同体を大切にするあり方をはじめとして、現代社会の問題を解決する多様にヒントが存在している」と論じてゐる。

 

神話の世界で、天照大神が行はれたと同じ祭祀「新嘗祭」を、今上陛下は今日も行はれてゐる。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科學技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現實に生きてゐる。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

わが國においては、神話と歴史は分かち難くつらなってゐる。「今即神代」が日本傳統信仰の根幹である。「高天原を地上へ」がわが國民の信仰的理想である。

 

日本おいては、これだけ科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きてをり、伊勢の神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のやうにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇はみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の中心者として君臨あそばされてゐる。

 

わが祖國日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる國である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

今日の日本の危機を打開し救済するためには、「歴史に生きる神話」すなはち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言へば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになる御心を道義的倫理的規範としてならひ奉り、「神を祭る精神」「神ならがの心」を回復するといふことである。それが理想的な國家實現の基礎である。

 

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、資料整理。『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』原稿執筆。

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2020年10月 7日 (水)

維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である

明治二十三年十月三十日に渙発された『教育勅語』にし示された「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」の「皇祖」は伊邪那岐命伊邪那美命二神及び天照大神の御事であり、「皇宗」は神武天皇の御事である。「國ヲ肇ムル」とは、國生み及び天孫降臨と神武建國の御事である。「國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されてゐる以上そのやうに拝するのが自然である。しかし、『教育勅語』渙発に際して、さうしたことに否定的な見解を示した人がゐた。

新田均氏はその著において大要次のやうに論じてゐる。「『教育勅語』発布後文部省は解説書を井上哲次郎(注・東京大学教授。哲学者)に依頼した。井上の草案では、勅語の『皇祖』は『天照大御神』、『皇宗』は『神武天皇』であると説明していた。井上(注・井上毅。大日本帝國憲法制定に参画、法制局長官となり、『教育勅語』など詔勅・法令を起草。枢密顧問官・文相などを歴任。)は文句をつけて『皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇』とするよう求めた。彼は、君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」(『「現人神」「國家神道」という幻想』)

葦津珍彦氏は次のやうに論じてゐる。「勅語には『皇祖皇宗』の道とあり『祖先』の遺風とある。これをもって、皇祖皇宗を初めとして各地の神社の民族祖神の『神靈』の意と解すれば、勅語は神道の強力な一拠点となり得る。明治天皇の勅語としては、かく解するのは決して無理ではない。しかしそれを神宮神社の『神靈』と結びつけることには『神道を國教化するもの』としての強い反抗の底流があった。その反抗の強力なことを知ってをればこそ、井上毅は、とくに厳重な前提条件として尊神とか敬神とか『神靈』を意味する語を絶対に避けねばならないとし、神靈存否の論は、各人の解釈に任せて、勅語そのものの関知せざるところとした。この明治的合理主義官僚が、神社局の思想となる時には、『神靈については当局は関知せず』として、神道独自の精神を放棄して、一切の合法的宗教、哲学との妥協にのみ神経を労して、神宮神社をもって、歴史的偉人の記念堂(モニュメント)と同視して、神道精神を空白化することになる。」(『國家神道とは何だったのか』)

新田氏によると加藤玄智(大正・昭和期の宗教学者)は「わが國明治以来教育界の通弊は、その實証主義、科学萬能主義で在り、それに加ふるに,迎合外交と追随教育の幣は、教育勅語に仰せられた皇祖皇宗を解するに、単なる人間としての祖宗、すなわち人祖人宗に外ならないものとして、これを解し奉ってをった。…」と批判していたといふ。加藤玄智の批判は正しいと思ふ。

「皇祖」を神武天皇のみし、「肇國」を神武建國のみとすることは、『天壌無窮の御神勅』の否定につながる考へ方であり、神話の精神を隠蔽するものである。日本國體は神話を基礎とするのだから、神靈への信を無視し否定した國體精神・國家主義は真の國體精神ではない。

神霊への信仰を排除し神社を歴史的偉人の記念堂のごときものとするのは、明らかに傳統信仰の隠蔽であり、祭祀国家の破壊である。今日の「靖国神社を排除した國立戦没者追悼施設建設」につながる思想である。ここに葦津氏のいふ「明治的合理主義官僚」の日本傳統信仰に対する無理解といふ大きな欠陥が表れてゐる。かうしたことが、祭祀國家・皇道國家日本の本姿を晦ませて日本を覇道化させた原因だと言ひ得る。

従って、村上重良氏らの「國家権力が神道を人民支配のイデオロギーとするためのバイブル・経典が『教育勅語』であった」といふ主張は誤りである。むしろ國家権力による神道精神の隠蔽が行はれたことが近代日本の過誤の根本原因であったと考へる。

神靈への信を忘れ天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同体から遊離した國家至上主義は誤りである。維新とは神の回復であり、信仰共同体日本・祭祀國家日本の回復である。宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきてゐる一神教の世界では、まったく考へられないことだらうが、神社神道・日本傳統信仰は、佛教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ・柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、資料整理。『伝統と革新』編集の仕事など。

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2020年10月 6日 (火)

熊野信仰について



 和歌山県田辺市本宮町本宮に鎮座する熊野本宮大社の御祭神は熊野坐大神(くまのにますおおかみ)と申し上げ、熊野に鎮まりまします大神という意である。

本社には十四柱の神が鎮まっているが、その総称を熊野坐大神と申し上げる。十四柱の神々の主祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ・須佐之男命の別名)。「ケ」は食物を意味する言葉であるから穀霊神と見てよいという。

この神は熊野奇霊御木野命(くまのくしみけぬのみこと)とも申し上げ、木の御神霊である。紀伊の國は木の國であり、山に覆われ木が生い茂る國である。

また熊野の「クマ」とは「神」の意であるという。つまりこの神社に祭られている神は太古より信仰された紀伊の國の樹木の神霊と申し上げてよいと思う。その信仰が大和朝廷の神話の神であられる須佐之男命と融合したのであろう。

 さらに熊野の「クマ」は、奥まった隅のところという意でもある。地理的に熊野は大和から見るとまさに「奥まった隅のところ」である。「奥まった隅のところ」は神秘的なところであり神のいますところと信じられたのである。

 そして『日本書紀』では、伊耶那美命が亡くなってから葬られた地が熊野であるとされており、熊野は夜見の國(あの世)・常世(永遠の理想郷)に近いところと信じられた。なお、『古事記』では出雲の國に葬られたとある。出雲にも熊野神社がある。紀伊國と出雲とは日本伝統信仰において深いつながりというか共通性がある。伊耶那美命はこの神社では熊野牟須美大神(くまのむすみのおおかみ)という御名で祀られている。

 また、『古事記』によると神武天皇が熊野に上陸されると、「大きなる熊、髪(くさ・草のこと)より出で入りしてすなわち失せぬ」とある。

 本地垂迹説(日本の神は仏が人々を救済するために仮の姿を現したという説)では、日本伝統信仰の常世への憧れと仏教の浄土思想が融合したため、熊野三山が阿弥陀如来、新宮が薬師如来、那智が観世音菩薩を本地とするとされる。本宮の主祭神・家津美御子大神の本地は阿弥陀仏であるとされる。ゆえに熊野の神は熊野大権現とも言われる。権現とは仏の仮の姿という意。勿論これは我が国に仏教が伝来し、融合した後からの伝承である。 

 熊野本宮大社の御鎮座は神武天皇御東征以前と伝えられ、第十代崇神天皇六五年に社殿が創建されたという。また奈良時代より修験道(神仏混淆の山岳修行道)の行場であった。そして、平安時代には仏化(神社というよりも寺になったということ)した。熊野水軍を統率し源平の戦いに参加したくらいであり、その権勢は國守や領主を凌いだという。南北朝時代は吉野朝(南朝)に忠誠を尽くした。  

 熊野三山は御歴代の天皇の御崇敬篤く、第五九代宇多法皇(延喜七年・九0七年に行幸)より第九十代亀山上皇まで、上皇、女院の熊野行幸は百余度の多きに達した。鳥羽上皇二十八度、後白河上皇三十四度、後鳥羽上皇二十八度に達している。熊野への行幸は往復二十数日を要する難行苦行の旅であった。こうした皇室の崇敬が熊野水軍という勤皇の軍団が生まれた原因であろう。

 何故このように皇室の御信仰が篤かったのか。それは太古の昔から熊野が聖地として仰がれたと共に、神武天皇が橿原に都を開かれる前に熊野の地を通られたこともその理由の一つであると思われる。また中世期に入ってから末法思想が盛んになり、浄土への憧れが強くなったことが、常世・浄土の入口と信じられた熊野への信仰が平安から鎌倉時代にかけて最高潮に達した原因であろう。

 要するに熊野信仰には、山・森林への自然信仰と、他界信仰(常世への憧れの思想)という日本の伝統信仰が凝集しているのである。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後三時より、永田町の参議院議員会館にて、有村治子参議院議員にインタビュー。

帰宅後は、資料整理、原稿執筆。

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2020年10月 5日 (月)

「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる

 あの世に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けている。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきた。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。
 
先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。

ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。

わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。

 内閣総理大臣が、靖國神社に公式参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

わが国の伝統精神における最も大切な行事は祭祀である。「祭祀」とは神に奉仕し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。さらに、「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践である。つまり人と自然の本来の姿を回復する行事が祭りである。
 
わが国民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい精神を持っているということである。厭世的でもなければ逃避的でもないというのがわが国民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができる信じ続けてきている。この「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。

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千駄木庵日乗十月五日

午前は、諸事。

午後一時より、永年の同志と懇談・打合せ。

この後、資料の整理。明日のインタビューの準備など。

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2020年10月 4日 (日)

天皇及び皇室はわが國の文化・宗教の中心であり続けた

萬葉時代後期から中世初頭までのいはゆる王朝時代は、武による天下支配ではなく、祈り・祭祀による天下統治であった。その主宰者が天皇であらせられた。天皇は常に五穀豊穣と民の幸福を祈られる祭祀主である。そして祭祀と和歌は一体であった。故に和歌文學は、天皇・皇室を核として傳承されてきた。

承久三年(一二二一)の「承久の変」が終はり、これを機として幕府勢力がますます強大になり、朝廷を圧倒するやうになった。「承久の変」の後、北條泰時が入京すると、後鳥羽上皇は『院宣』を泰時に傳へさせられたが、その中に「大小の事、申請に任せて聖断あるべし」といふ文言があったといふ。朝廷の「まつりごと」は、幕府の申請通りに行ふといふ意味に解せる。つまり一君萬民の國體が隠蔽されたのである。

日本天皇及び皇室は、武力・権力によって國民を支配してゐたのではない。日本天皇は「一天萬乗の君」と讃へられ、上御一人・現御神と仰がれながらも、多くの天皇は、時の権力者即ち藤原氏や武家政権によって制限を加へられ、時には離島に流されたまふこともあった。「日本の歴史は天皇受難史であり、皇室哀史である」と言った人もゐるほどである。

日本天皇は「あめのしたしろしめしたまふすめらみこと」と讃へられるが、後醍醐天皇は

「さしてゆく笠置の山をいでしより天が下にはかくれがもなし」

といふ御歌をのこされてゐる。

しかし、建國以来三千年、一系の天子即ち日本天皇は、日本國の中核として君臨されて来た。覇者である足利・北条・徳川政権は滅びても、天皇及び皇室がわが國の文化・宗教の中心であり続けた。これがわが國柄の有難くも不思議な事實である。わが國は武力・権力が支配する覇道國家ではない何よりの証左である。

保田與重郎氏は次のやうに論じてゐる。「今日我々が文藝の志を以て共感する永遠の理想は、つひに後鳥羽院から連綿として、中頃の吉野の天子たちをへて、ずっと宮廷にあったのである。日本の國と民と、さうして血統と神の永遠の誓ひの歌は、花鳥の風詠と竝行して、宮廷の九重の奥で、しかも一等高い自信でつねにくりかへされてきたのである。それは後鳥羽院、順徳院から、龜山上皇、後宇多天皇、伏見天皇、花園天皇とへて、次は後醍醐天皇のもとに南山の憂國悲憤の歌となる。この最も高遠にして永遠な男子の志を展く歌は、維新行動志士によって民衆の歌となったのである」(『後鳥羽院』)。

「おく山の おどろが下も ふみわけて 道ある世ぞと 人にしらせむ」

と詠まれ、「道ある世」の回復を図られた後鳥羽上皇の大御心は、歴史の底流即ち、おどろが下に脈々と流れ続けた。その重大な一つの流れが和歌の継承である。藤原定家の『百人一首』編纂はその大きな事績である。

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千駄木庵日乗十月四日

午前は、諸事。

午後は、親族と共に北区にある菩提寺に参詣。四宮家先祖代々の墓所を掃苔。ご冥福とご加護を祈る。

帰宅後は、『萬葉集』講義原稿執筆など。

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2020年10月 3日 (土)

『百人一首』は和歌文學史上重大な意義を持つ

『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家であり歌人である藤原定家が、小倉山の山荘で選んだとされる百首の私撰和歌集である。戦國時代から江戸初期にかけて宮中・諸大名家で「かるた」として普及し始め、木版画の技術が発達すると元禄時代頃から絵入りの「歌がるた」の形で庶民に広まった。

以来、今日まで長い間、上は朝廷から下庶民に至るまで愛好された歌集が『百人一首』である。日本人が和歌といふ文藝をいかに愛して来たかが分かる。和歌といふ定型文藝が、日本人の感性・生活感覚に合致してゐるといふことであらう。

濱口博章氏は次のやうに論じてゐる。「現在、わが國の古典文學といえば、誰しも『萬葉集』『源氏物語』などの作品を思い浮かべるであろうが、高等教育の普及した当節でも、これを原文で読み味わうことは困難で、況や江戸時代の庶民となれば、思い半ばに過ぎるであろう」「契沖や真淵のようなすぐれた研究者が輩出しようとも『萬葉集』は一般人にとって縁なき存在で……これに引き換え、百人一首は全く大衆のものであった。目に一丁字のない庶民ですら、百人一首の二つや三つはそらんじていたであろう」「『古典』とは、人々によく知られ、後人の典型となるべき価値の定まったものと定義するならば、百人一首こそ『國民の古典』の名に恥じないもので、まさに『庶民の文學』というべきであろう」「百人一首は『かるた』によって一般大衆の間に流布していった。その結果、和歌に対する理解を深め、人々に培われて情操教育の材料となり、長く『美の心』を養って来たのである。これは他のいかなる文學作品にも見られない大きな特徴で、百人一首こそ真に『古典』と呼ぶにふさわしいものであろう」(『江戸庶民にとっての百人一首』)。

和歌は、時間的には古代人から現代人、空間的には上御一人から庶民までの「こころ」一つに結ぶ働きがある。日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を學ぶことによって可能となる。

『百人一首』がわが國和歌文學史上重大な意義を持つのは、特に和歌を學ぶ人ではなく、一般庶民に自然に和歌を親しい存在にしたことである。

加太こうじ氏は、「『百人一首』をするのは小學校六年生ぐらいからで、十五、六歳から二十歳ぐらいにかけての若者が、明治中期から昭和初期にかけて熱中した。…百人一首の和歌は相聞歌=戀歌が多い。その戀歌は文學的情緒と相まって初戀の雰囲気をかき立てた。それ故当時はどこの町内にも百人一首のサークルがあって、」(『東京の原像』)と書いてゐる。

私は東京下町育ちの戦後っ子であり、いはゆる団塊の世代であるが、双六遊びや普通のカルタ取りをして遊んだが、『百人一首』は全くしたことがない。しかし、わが母は、私と生まれ育った町で生まれ育った東京下町生まれであり、『百人一首』をよくしたといふ。母は今でも『百人一首』に収められた歌を暗唱してゐる。

戦後になって、特に占領軍が禁止したと言ふわけでもなからうが、『百人一首』は衰退したといへるかもしれない。近代短歌ですら「第二藝術」「病人文學」「奴隷の韻律」などと批判されたのだから、『百人一首』が忘却されかけたのは当然かもしれない。それは、決して革新でも進歩でもなかった。ただの破壊であり断絶であった。

しかし、『百人一首』は全く廃れたといふことはなく、継承されて来た。最近は復活してゐる。『百人一首』を各家庭で復興させることにより、青少年たちが日常生活の中で感覚的に日本の古典・日本傳統美を理解することができると思ふ。

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、『萬葉集』講義原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事など。

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2020年10月 2日 (金)

日本國體を西洋成文憲法において規定することはあってはならないし、それは本来不可能である

『御譲位』『皇室典範』『御代替わり』『元号』が「政治問題」となって、政府や國會といふ権力機構で論議され決定された。しかし、天皇・皇室に関することは、一般の政治問題とは全くその性格を異にしてゐる。否、「性格を異にする」などといふ生易しいことではない。天皇國日本といふかけがへのない信仰共同體・祭祀國家の國體に関はる問題である。

日本天皇の御位は、他國の王位・元首の地位とは全くその本質が異なる。また、皇位繼承は、他國の王位繼承・元首の選び方・権力者交代システムとは全くその本質を異にする。またそれに伴ふ「元号」改定も政治権力が決定すべきではない。

日本天皇の御位即ち「皇位」は権力者の地位では絶対にない。神代以来の精神的道統を繼承する祭祀主・すめらみことの「御位」である。従って、天皇・皇室の関はる御事を権力機関で議論し決定すべきではない。

そもそも天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體を西洋成文憲法において規定することはあってはならないし、それは本来不可能であると考える。

日本國體・天皇皇室は、日本の傳統的な「神観」「國體観」「天皇観」「人間観」の根幹である。決して欧米の成文憲法によって規定されるべきではないし規定することは本来不可能である。それが大前提である。

人間を単なる肉體ととらへる近代西洋の生物學、國家を権力機構ととらへる近代西洋の國家論によって日本國體・皇位繼承を規定するべきではない。また、外来政治思想に影響されてはならない。

もちろんわが國は、外来の思想・宗教・科學などを包容摂取して来た歴史を持つ。しかし、外来文化の包容摂取は天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體精神を基盤として行はれてきた。外来思想外来文化の流入によってわが国伝統思想・文化が滅びてしまったといふ事はない。

天皇のご存在が、日本國が外来文化を大いに取り入れながらも、日本國の独自性を喪失しなかった根幹である。日本國體精神の中核は、日本天皇の祭祀である。祭祀主日本天皇は、純粋なる日本傳統精神を原基であり中核である。

北畠親房は『神皇正統記』において、「応神天皇の御代より儒教ひろめられ、聖徳太子の御時より、釈教をさかりにし給ひし、これ皆権化の神聖(かみ)にましませば、天照大神の御心を受けて我國の道を広め深くし給なるべし」(巻一)と論じてゐる。

北畠親房は、我國の天照大御神の神意を體して仮の姿を現はした神聖なる人によって説かれた教へが儒教・佛教であるとしてゐる。天照大神の皇孫=日本天皇の皇位繼承については、儒・佛の教へが入り来る以前の純粋なる傳統精神(北畠親房のいふ天照大御神のご神意)に依拠しなければならない。

『現行占領憲法』においてすら、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

さういふ意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。国会・政府といふ政治権力機構が「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽であった。

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位、元号勅定」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。まして元号を政治権力機構が決定することがあってはならない。

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。この度の「改元」において、政治権力によって元号が決められ、國體が隠蔽されたのである。 まことに由々しき事態である。

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、諸事。

午後三時より、西荻窪にて、憲法学者の高乗正臣氏にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。

帰宅後は資料整理など。

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2020年10月 1日 (木)

 舎人皇子のますらをぶりを詠んだ御歌

 舎人皇子の御歌
                            
ますらをや片戀せむと嘆けども醜(しこ)のますらをなほ戀にけり (一一七)

 舎人皇子が舎人娘子に贈った「ますらをぶり」の戀歌。舎人皇子は、天武天皇第三皇子。天武天皇四年(六七六)~天平七年(七三五)。第四七代・淳仁天皇の父君。勅を奉じて『日本書紀』を選進した責任者。没後、太政大臣を贈られた。諡号は崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)。淳仁天皇の父である。奈良時代初期に長屋王とともに皇親勢力として権勢をふるった。日本書紀の編集も総裁した。折口氏は「古来の風習として、貴種の皇子は、豪族に養はれた。舎人氏に扶育を受けられたので、御名も舎人親王。その家の嬢子と戯れあった筈だ」という。

舎人娘子は、伝未詳。

 「ますらをや片戀せむ」のヤは反語(本来の意味とは反対の意味を含ませる表現法。多くは疑問の形で、例えば「これが嘆かずにいられるか」のように表す)。ますらをとして片恋するものであらうか、ますらをは片戀するものではないといふ意。「堂々たる日本男児たるもの片思ひなどするものか」といふ意。自嘲的響きもある。

「醜のますらを」は頑なで卑しい男子。自己嫌悪感を表現してゐる。自分の不甲斐なさを嘆くと共に、戀心を表白してゐる。

 通釈は、「堂々たる日本男児たる者片戀などするものかと嘆いても、みっともない男児である私はやはり戀してしまふ」といふほどの意。

折口氏訳「立派な男が片戀ひなどするものではない、と溜息づいては、反省するけれど、この手におへない一人前の男は、それにもかゝはらず、なほ焦がれてゐることだ」。
 
日本男児たる者、常に國家を心に置き、大君に仕へ奉るべきだとするのが、この時代の男性の心意気であった。それなのに一人の女性に戀々とする自分自身を恥じて「醜の」と詠んだ。
  
また、日本男児の戀は、女性から愛されて結ばれるのがあるべきなのだが、戀の相手がなかなか私のことを思ってくれないみっともない私はそうはいかない、といふ自嘲的な気持も込められてゐる。
 
ただし、この歌は相手の女性に贈った歌であるから、本心から自分のことを「不甲斐ない奴」と思ってゐたわけではないし、自分の戀を嘆いてゐるわけでもない。また「醜」とは現代語の醜いとはやや違った意味であって、「かたくなに」「強い」といふ意味もある。防人の歌に「今日よりはかへりみなくて大君の醜(しこ)の御楯と出で立つ吾は」(今日以後他の一切を顧慮することなく、卑しき身ながら大君の御楯となって出発します。私は)といふ歌がある。
 
この御歌はもちろん相手の女性(舎人娘子)に訴へかけた戀歌であるが、「片戀」といふ言葉以外に直接的に相手に訴へかける言葉はない。しかし、それだけにこの歌を受け取る女性にとっては、「これほどまでに私のことを戀ひ慕って下さるのか」といふ心を起こさせる歌である。またそれを期待して詠んだ歌であるともいへる。

折口氏は「必ずしも、片恋ひであると信じてゐる訣でなく、かういふ表現で、結婚を申し入れたのである」という。

 『萬葉集』とは「ますらをぶり」の歌集であると、近世(江戸中期)國學者の賀茂真淵が主張した。「ますらをぶり」とは、「男らしく」「日本男児らしく」といふほどの意で、「男性的で大らかな歌風」のことをいふ。さらに、『古今和歌集』は以後の歌風を「たをやめぶり」(女性的で優雅な歌風)といった。『萬葉集』の「ますらをぶり」の歌とは、この舎人皇子の御歌や防人の歌である。

 そして、真淵は「ますらをぶり」とは大和の國を都とした時代(白鳳・天平時代)すなわち萬葉時代の歌風であり、「たをやめぶり」は京都の文化であるとした。しかし、『萬葉集』を「ますらをぶり」だけの歌集だとすることはできない。大伴家持の歌などにはむしろ平安朝の歌風に近い歌も数多くある。

 それはともかく、賀茂真淵は、和歌は「すめらみくにの上つ世の姿」、つまり萬葉時代に帰らなければならないと主張した。「ますらをぶり」の精神風土を尊重しなければいけないとした。それは平安時代以来続いた「たをやめぶり」への反発であった。

 真淵は現在の静岡県出身であり、東國の人であった。そして、徳川吉宗の子の田安宗武の和歌の師であったので、武家の美學を昂揚させようとして、「ますらをぶり」「萬葉ぶり」を復活を唱へた。

 しかし、賀茂真淵の弟子の本居宣長は、『源氏物語』を高く評価し、「たをやめぶり」も日本の文化の大切な流れであるとした。

 儒教や仏教の影響からか、武士たるもの、戀愛を文學にしてはならないといふやうな風潮が生まれた。語ってもいけないといはれた。「男女の愛」を文や歌に表現することは武士のやることではないとされるやうになった。

 しかし、神話時代や古代日本においては、武士の元祖のやうな方であられる須佐之男命や日本武尊は、戦ひの歌・「ますらをぶり」の歌と共に、戀愛の歌を大いに歌はれた。天智天皇・天武天皇そして藤原鎌足も戀歌を歌った。

 わが國のますらをは大いに戀愛をし、戀を歌った。須佐之男命が妻を娶られた時の喜びの歌である「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(多くの雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を作る。ああその八重垣よ、といふほどの意)は、和歌の発祥とされてゐる。

 古事記・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体なのである。     わが國文學は戀愛が大きな位置を占める。男女の愛情を尊んだ。『萬葉集』の戀愛歌・相聞歌を見ればそれは明らかである。

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千駄木庵日乗十月一日

ごぜ名は、病院に赴き、検査と治療を受ける。

帰宅後は、『萬葉集』講義原稿執筆、明日のインタビューの準備など。

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