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2020年9月17日 (木)

日本の神々の偉大さと日本の傳統の素晴らしさに感激するほかはない。 

式子内親王御歌

 後白河法皇の第二皇女であらせられる式子内親王は、賀茂神社の「齋院」(賀茂神社に奉仕する未婚の皇女)になられた。式子内親王は實に十一年間の長きにわたって賀茂神社の祭祀に奉仕された。

 式子内親王が、齋院として最も重大な賀茂祭り(陰暦四月中の酉の日)の前日、賀茂神社の北にあるみあれ野というところに仮屋を建て、潔齋のために一夜泊まる儀式をされた日の思い出を歌われた御歌が、

 忘れめや 葵を草に 引き結び 仮寝の野辺の  露のあけぼの
 (忘れようとしても忘れられはしない。葵を草枕の草として結んで、旅寝をする野辺に、一夜が明けてゆく、この露の置く 曙の姿は、というほどの 意。)

 という歌である。初夏の曙の空と、涼しい露に濡れた野の草とが、清々しく神々しい祭事の雰囲気と一つになっていることを感動的に詠んでいる。この御歌は中世の代表的歌集『新古今和歌集』に収められている。

 後白河天皇も御退位の後出家され、式子内親王御自身も落飾して承女法という法名を名乗られた。このように皇室が佛教への帰依を厚くされていた時代であっても、天皇の祭祀及び皇室の祭事は、日本の文化傳統及び信仰共同體日本の中核を成す行事として、絶える事なく続けられていたのである。

 平安前期に制度的に整えられたといわれている皇室祭祀は、佛教の影響を排除した。孝謙・称徳女帝のように大嘗祭に僧侶を参列させたという例外はあるが、基本的には佛教を関与させなかった。大嘗祭の行われる年には、十一月に入ると「僧尼不浄の輩」の参内を許さないという傳統があった。僧尼を不浄とするところに日本の皇室祭祀の純粋性を保とうとする意志が厳然としている。それでいて退位した後出家されて僧となられる天皇様も多くおられたのである。

 また、皇祖神を祀る伊勢の神宮は、傳統的に佛教を拒否し続け、僧尼を忌むという傳統がある。そのため僧形をした者は社殿に近づくことは許されず、さらに五十鈴川を渡ることさえ許さないという規制が行われた。それでいて、戦國時代以来出来なくなっていた伊勢の神宮の式年遷宮の復興のために守悦(後に皇室より慶光院という号を賜る)という僧尼が全國に募金の旅を行い、皇室及び徳川家康が感動し、式年遷宮復興の大きな端緒となった。

こうした事實は、日本の文化感覺に柔軟さと強靱さの両面があることを明確に物語っている。日本という國はこうした不思議さで歴史を刻んできたのである。日本の神々の偉大さと日本の傳統の素晴らしさに感激するほかはない。 

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