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2020年9月14日 (月)

皇位継承については、自民党総裁選挙という権力闘争の場で論じられるべきではない。

本日(令和二年九月十四日)の自民党総裁選びに関する報道で、 「自民党総裁選では『女系天皇』について、石破茂元幹事長が容認の可能性に言及。一方、政権中枢で首相を支えてきた岸田文雄政調会長、菅義偉官房長官は「男系継承」の伝統を重視する立場から慎重な姿勢を示しており、議論が停滞する可能性もある」ということが報じられていた。

皇位継承については、自民党総裁選挙という権力闘争の場で論じられるべきではない。

本日のフェイスブック及びブログで書かせて頂いたが、「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

ゆゑに権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志の第一にすべきである。

明治の『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神の意志として宣(の)べられた事が最高の「法」である。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。「詔勅」は神の御意志なのである。

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

皇位継承・天皇の譲位は國家と皇室の重大な事柄である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同体・祭祀國家日本の根本の問題である。権力機関たる行政府が決めるべきではない。

基本的に、皇位継承・御譲位について、臣下があれこれ論議をすることに、私は違和感を覚へる。一切は大御心のままにが、國民の姿勢であるべきだと思ふ。

皇位継承など皇室に関はる重大事は、神代以来のわが國の傳統を遵守しなければならない。神代以来の傳統の継承者・体現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。

皇室論・皇位繼承論・天皇論の根本には、國家観・神観・天皇観がある。日本國は神の生みたまひし國であり、天皇は天照大御神の生みの御子でありたまひ、神は今も生きたまふ、といふ絶対の信が、わが國の傳統信仰である。皇室論・皇位繼承論・天皇論はこの信仰を根本にして論じるられるべきである。

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