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2020年9月12日 (土)

村田清風・吉田松陰が詠んだ大和心

 花の命は永遠であり、美しく咲き美しく散っていくことを日本人が好むということは、日本人が死を恐れないという心を持っていることを意味する。

 その死を恐れない心・潔く散って行く精神・散華の美を尊ぶ心が戦闘的な大和心を生む。そういう大和心を詠んだ歌が、

 「敷島の 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」

 である。

 この歌は、村田清風(長州藩士にして尊皇攘夷論者。)の歌である。わが國に降伏勧告に来た蒙古の使者を北条時宗が斬った戦闘心・攘夷精神を「大和魂」と表現したのである。つまり、どんな大國を相手としても死を恐れないでこれを討つという精神が戦闘的な大和心なのである。
 さらに、  

 「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
 
 という歌がある。吉田松陰の歌である。安政元年(一八五四)、松陰が二十五歳の作である。伊豆下田にて、米艦に便乗して渡米せんとする計画が失敗して捕らえられ、江戸護送の途中、四月十五日、高輪泉岳寺の前を通る時、赤穂義士に手向けた歌。松陰が國法に触れることは分かっていても、國家を思うやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとしたことと、赤穂義士が、吉良上野之助義央を討てば、自分たちも死を賜ることは分かっていたが、やむにやまれぬ思いで吉良を討った精神と共通する思いであった。

 吉田松陰が、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂い、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、万國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も実に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候。」と記している。大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じているのである。 

大和魂・大和心は戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。内憂外患交々至るといった状況にある今日こそ、吉田松陰の如く、大和魂を奮い立たさなければならない時なのである。 

『萬葉集』に収められている大伴家持の長歌に、「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という句がある。
 
大君の御為に自らの命を捧げることを最高の名誉とするというのが日本武士道精神なのである。この精神こそが大和魂であり、「朝日ににほふやまざくら」が潔く散っていく姿そのものなのである。

日本武士道精神は古事記・萬葉の昔から継承されてきた精神である。内憂外患交々来たるといった状況にある今日こそ、大和心・大和魂を回復することが求められている。

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