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2020年9月25日 (金)

神仏崇拝について


忙しなく日々を過ごせど日に二回神仏の前に座するかしこさ

鬱蒼と茂れる樹木の中に立つ御堂にゐます尊き御仏

今日もまた靖國神社に多くの人が参り来れり梅雨空の下

以前に詠んだ拙歌である。

私は神社によくお参りするが、お寺にもよくお参りする。もちろん宗派は問わない。日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次に仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。我が家も然りである。

神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。我が家の仏壇には御先祖のお位牌と共に大日如来像と観世音菩薩像が安置されている。わが家の宗旨は真言宗智山派である。

日本の家庭に安置されている仏壇の「仏さま」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。「死んだら仏になる」とも言われる。機械などが壊れて使い物にならなくなると「お釈迦になった」と言う人もいる。これはお釈迦様に失礼である。結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。「仏さまのような人」というのは最高の褒め言葉である。しかし、三波春夫は「お客様は仏さまです」とは言わなかった。
 
日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解にして深遠な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教の形態で行い、現世の幸福を祈っているのである。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うにとどまっているように思える。もちろん、仏教の教えを学んでいる在家の人も多いだろうが……。

日本伝統信仰(神道)と仏教は当然別の宗教である。しかし、日本人は日本伝統信仰と外来の仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。すでに日本仏教は外来宗教とは言えないようにも思える。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

明治維新の時、廃仏毀釈(仏教を廃絶し釈尊を毀損する)運動が全国的に行われたことにより、日本は宗教的には排他的な国だと言う人がゐる。しかし廃仏毀釈運動はどうして起こったのかというと、德川幕府時代は、切支丹禁圧し武士階級による封建支配の為に神社と仏教との習合思想の下に、仏寺への神社の従属が強いられた。こうしたことに対する反発が維新断行と共に廃仏毀釈運動が展開されたのである。

尊皇攘夷運動が熾烈に行われた藩において、そうした運動は活発であった。

葦津珍彦氏は「薩摩藩の西郷隆盛は徹底した神仏分離主義者であった。そして薩摩藩は戦国時代以来一向宗を禁止しており慶應元年以後は他の宗派の廃仏にも着手し、大掛かりな寺院整理も断行した。…薩摩藩の廃仏政策は明治四年の西郷隆盛上京以後、中央の政治舞台にも移される。これを端的に示してゐるのが、左院中議官伊地知正治の宮中での神仏分離の徹底を求めた九月の建白であろう。これは西郷の筆跡といはれてゐる」(『国家神道とは何だったのか』)と論じてゐる。

 日本人は、佛教に帰依することによって日本伝統信仰を捨てさることはしなかった。神佛を同時に崇めることに矛盾を感じなかった。外来の佛教は日本伝統信仰と融合することなくして日本に定着することはできなかったのである。日本民族は何百年という歴史の流れの間に佛教を日本化し自家薬籠中のものとして信じたのである。


日本伝統信仰(神道)と仏教は当然別の宗教である。しかし、日本人は日本伝統信仰と外来の仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

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