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2020年9月13日 (日)

天皇及び日本國體と憲法

日本國の憲法は日本國體に合致したものでなければならない。そうでなければ日本國の憲法とはいえない。

 また、日本國の憲法は、不信ではなく信頼という日本の麗しい精神伝統に立脚した成文憲法でなければならない。特に、日本の伝統が破壊され、天皇中心の國體が隠蔽されている現代においては、そのことは大変に意義のあることである。要するに、天皇中心國家という日本國の道統が憲法の条文にも正しく表現されなくてはならないのである。

日本國體は憲法に規定されることによって合法性が与えられるのではない.一國の國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。一國の國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。日本國に即していえば、天皇國日本という我が國の國體は、憲法が制定される以前からずっと続いてきたのであり、憲法に規定されることによって合法性が与えられたのではない。

 憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならない。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

 また、成文憲法というものは、あくまでも國家の権力機構やその権限を文章に規定したものなのである。日本國の國體とか伝統とかは憲法に規定されるもされないもなく厳然として存在するのである。
 
したがって、憲法及び法律そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定したり隠蔽する権限は全くないのである。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならないのである。
 
憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。
 
繰り返し言うが、日本國の憲法は、天皇中心の日本國體(國柄)に基づいて制定されなければならない。國家を権力機関としてとらえた現行憲法
 
そもそも日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来から今日まで信じられて来ている。
 
國家を単なる権力機関として見ると、國家の神聖性・道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。

 今日においてさらに重大な問題は、日本國天皇の祭祀という共同體國家日本の存立の基本である<天皇の祭祀>が、憲法の制約下に置かれるようになっていることである。
 
また「個人の権利」のみを強調する現行憲法の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつあることである。
 
西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらえた現行憲法がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るということが不可能になるのである。 

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