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2020年9月 3日 (木)

「復古の精神」を忘却した人たちによって行はれた「未曽有の変革」は西洋の物真似にすぎなくなった

神武創業への回帰、道統の継承、祭政一致の回復といふ明治維新の第一義を隠蔽し忘却せしめた要因は、西欧列強の軍事的侵略から祖國を守るための近代化・西洋化・工業化にのみ専念した事にある。そして「文明開化」が日本の傳統を破壊する事態になる危険さへ生じた。

「復古の精神」を軽視あるいは忘却した者たちによって行はれた「未曽有の変革」は、西洋の物真似と権力の徳川幕府から新たなる権力者への移動にすぎなくなった。少なくとも、傳統を重んじる人たちからはさういふ批判が生まれた。それが西南戦争・神風連の変などの第二維新運動である。

岩倉具視の諮問に対して、王政復古の基礎を「諸事神武創業ノ始ニ原カム」すべしと答へた國學者・玉松操は、維新後堂上に列せられたが、岩倉らの主導する明治新政府の欧化政策を批判し、「我不明にした奸雄の為め誤られたり」と嘆息し、明治三年、官を辞し閉居した。

矢野玄道(やのはるみち。明治二十年逝去。幕末の動乱期に國學関係の多くの著書をあらはし、國學を講じてその振興に努めながら、京都を中心に王政復古運動に専念し、維新後は國家構想をまとめた意見書『献芹詹語』を岩倉具視を通じて明治政府へ提出し、政治の改革にも功績を残した國學者)は、明治新政府の「文明開化」「欧化政策」を憂慮し、次のやうな歌を詠んだ。

「事により彼が善き事もちふともこゝろさへにはうちかたぶくな」

「其のわざを取り用ふれば自ら心もそれにうつる恐れあり」

「潔き神國の風けがさじとこゝろくだくか神國の人」

「橿原の宮に還ると思ひしはあらぬ夢にてありけるものを」

大正十三年に永井荷風は「開港は幕府を瓦解せしめたり。尊王攘夷とは薩長志士の呼號する處なりき。幕府倒れて薩長の世とはなるや攘夷の志士皆洋服を著て平然たり。變節も亦甚しと言ふべし。薩長藩閥の勢力今猶衰へず、變節の風天下に滿つ亦怪しむに足らず。日本はその昔永く支那を手本としけるが維新の際佛蘭西を師とし忽ち變返って英米に親しみ又何時となく獨逸に學び陸軍の軍服など初めは佛蘭西風なりしを獨逸風に改め佛蘭西とさへ云へば危險思想の本場にあらざれば背倫不徳の淫國の如く言ひなせしが獨逸敗北と見て取るや俄に飛行機の師匠を佛蘭西から呼び迎へてドイツのドの字も言はず景氣のいゝ處につく事宛ら娼妓の如しと云はれても吾等辦解の辭なきを如何せん」(『麻布襍記』)と書いてゐる。

幕臣の子孫である永井荷風らしい薩長主導の近代日本に対する酷評と言ってよいと思ふ。

西洋の機械的世界観における「進歩」とは、人間が利用しやすいやうに自然を作りかへることである。つまりは自然の破壊である。自然を神として仰ぐ傳統信仰とは全く相反する世界観である。日本近代の矛盾は神の喪失にあった。

明治維新後の急速な西欧化・近代化は、國内的にも対外的にも多くの矛盾と苦痛を生んだ。「和魂洋才」といふ言葉が生まれたが、すべではないが明治新政府の権力者・指導層(學者・経済人など)が西欧の模倣に汲々として肝心の和魂が忘却され隠蔽される事態となった。すなはち、「明治維新の理想」と「中央集権近代國家建設」との乖離が日本近代の歴史に大きな影をもたらした。わが國は近代化によって世界の強國になったが、豊葦原瑞穂の國=信仰共同體日本は隠蔽された原因はここにあった考へる。

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