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2020年8月 3日 (月)

日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

戦後日本は「人命尊重」「人権擁護」「平和」ということを絶対的価値、最高の目標としてきた。それは「現行占領憲法」の基本原理となっている。しかし、戦後七十数年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出している。人権擁護とか人命尊重とか平和などということがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかったのである。

 

むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければいいという精神を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめたのである。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢したことが今日の日本を作り出したと言える。「現行占領憲法」に象徴される戦後精神というものを徹底的に払い清めなければならない。

 

「共産支那」はまともな國ではない。共産支那は、民主国家でも近代国家でもない。まさに前近代的な専制独裁国家である。このやうな国にこれまで日本は一生懸命経済技術援助を行ひ、且つ、歴史問題で謝罪し続けてきたのである。あまりにも愚かだったといふべきである。

 

『日中国交回復』の時、日本国民の多くは「北京の空は青かった」などに浮かれていたが、いまや公害で青空どころではない。支那大陸からの酸性雨は、日本に悪影響を及ぼしている。否、共産支那の存在自体がわが国にとってとてつもなく大きな「公害」である。

 

「日中友好」に狂奔した政治家、経済人の責任は重大である。経済界には、共産支那の悪辣さがこれほどまでに明白になったにもかかはらず、支那で金儲けをしたい一心で、共産支那に媚を売る連中がいる。政界にもまだ支那に媚を売り、支那の手先のやうなことをしてゐる政治家がいる。全くどうかしている。まさに売国奴である。

 

自虐史観とはいかなる定義であろうか。私の考えでは、自虐史観とは、「米英支蘇」は善人であり悪いことは何もしなかった、日本は悪人であり悪い事しかしなかったといふ史観であると思う。別の言い方をすれば、欧米列強の切り取り強盗し放題は許されるが、日本がやったことは防衛と自存の為の戦いであっても侵略と見なすという史観である。これは「極東国際軍事裁判」という名の戦勝国によるわが国に対する軍事的報復における一方的断罪の理由付けとなった。従って「東京裁判史観」とも言うのである。

 

近代日本の歩み、とりわけ、明治維新から大東亜戦争敗戦までの歴史について、いかに考えるかが、今日の日本にとってきはめて重要な問題である事は言うまでもない。日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

 

安倍総理は最近、戦後レジームからの脱却と言わなくなった。安倍晋三氏は、総理大臣として正々堂々靖国神社に参拝しなくなった。総理が正しい姿勢を見せてこそ、外交問題が正しく解決するのである。

 

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