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2020年8月 1日 (土)

宮澤憲法学が國體隠蔽の元凶である


 祭祀国家日本の祭り主であらせられる日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主なのであるから、国民と相対立するご存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめるご存在ではない。国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇であらせられる。つまり天皇と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本国体」というのである。このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。

ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を君主と仰ぐ共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 そして今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家の君主と仰ぎ、国家と民族の統合統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇である。

天皇国日本の「成文憲法」は、こうした日本國體の本義に基いて制定されなければならない。西洋権力国家において生れた「国民主権論」は排除されなければならない。

ところが、今日の政治家(保守を含む)、官僚には、日本の伝統と全く相容れない原理で成り立っている『現行占領憲法』によって日本國體の本義、國體精神よりも隠蔽することに躍起になっている。

日本の官僚は、東京大学法学部出身者が主流を占めている。そして東大法学部は、宮澤俊義という敗戦後戦勝国によって押し付けられた『占領憲法』を金科玉条にしている学者の学説に支配されている。これが今日の我国の憲法問題をおかしくしている元凶である。

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