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2020年8月31日 (月)

この頃詠みし歌

我はただ日々を原稿を書きて過ごすその心意気はなほ盛んなり

生老病死の四苦は誰にも免れず宰相も日々を戦ひてゐる

宰相はついにその職を辞するといふ病に冒されしはあはれなるかな

他人ごとにあらずわれも心不全の病を抱え日々過ごしゐる

半月の浮かべるを見て眼を転ずればスカイツリーが眩く立てり

人口の美と自然の美とが相並ぶ夜空を仰ぐことのよろしさ

母と共に上野寛永寺境内を歩みたること昨日の如く思ひ出す

共に行きたる上野松坂屋化粧品売り場で元気に店員に声をかけし母よ

未だ元気に母がおはせし日々の事を今日もありありと思ひ出しをり

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千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。書状執筆。原稿執筆。

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2020年8月30日 (日)

暴力革命政党日本共産党を叩き潰せ!

以前、衆議院本会議で安倍晋三総理は、日本維新の会の議員から共産党が提唱する野党連合政権に関連し、「共産党が破壊活動防止法の調査対象となっている理由」について質問を受けた。

安倍総理はこれに対し、「現在においても、いわゆる“敵の出方論“に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識」と答弁した。さらに安倍総理は、共産党が過去に「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」とした。

日共の志位和夫委員長はこれに反発し「全く根も葉もない誹謗中傷をやることに対して断固として私は抗議をし、また総理に答弁の撤回を求めたい」と語った。

 志位委員長は、党の綱領に「平和的な手段で議会の多数を得て社会変革を進める」と明記されていると強調。野党連合政権に対して「まともな批判ができない」とも指摘しました。さらに立憲民主、共産両党は、安倍晋三総理の答弁を撤回するよう自民党に求めた。共産の穀田恵二国対委員長は記者団に「事実に基づかない誹謗(ひぼう)中傷は許せない」と述べた。

共産党が結党以来暴力革命運動を肯定し、実行して来たのは明々白々たる事実である。これを否定することは共産党がいかに嘘つき政党であるか、黒を白と言いくるめる邪悪なる政党であるかを自ら証明する行為だ。共産党の体質は全く変わっていないのである。

 共産党の志位和夫は、記者会見で「(暴力革命路線は・注)党が分裂した時期に一方の側がとった誤った行動があった」としつつ「党の方針として破壊活動を行使、実行したことはない」と述べた。

さらに「権力側の出方によっては非平和的手段に訴える」との理念とされる敵の出方論に関しては「革命のプロセスで平和的な革命を追求していくという立場からのもので、暴力革命とはまったく無縁だ」と強調した。

穀田氏は敵の出方論について記者団に、「民主主義を破壊した行為に対し、民主主義の世論で抑えるということを総称して言っている」と説明した。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だった。北朝鮮・共産支那・ソ連の韓國武力侵攻と同時期に日本國内で朝鮮総連と共に武力闘争を展開したのが日本共産党である。昭和二十五年の北朝鮮・共産支那・ソ連による韓國侵略開始即ち朝鮮戦争の勃発・コミンフォルム批判以後、日共はわが國内で凄まじい武装闘争を展開し、武装闘争・火炎ビン闘争を実行して北の侵略を支援した。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起した。

ソ連や共産支那の指令に基づいて、日本共産党が日本國内で暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留してゐた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓國侵略(朝鮮戦争)を阻止できないやうにするための後方撹乱の役割を担ったのだ。つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。日共・朝鮮労働党・支那共産党は同根であると言ふよりも全く同じ組織なのだ。
ソ連共産党の指導者・レーニンは、「プロレタリア独裁とは、直接に暴力に依拠し、どんな法律にも束縛されない権力のことである。プロれタリアートの革命的独裁とは、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの暴力によって戦いとられ支持されるところのどんな法律にも束縛されない権力でもある」と論じた。

これが共産主義革命思想の根幹なのである。共産党は、「リベラル」どころか「自由」とは圧殺する政党であることは明白である。人間が本来的に享受すべき「自由」を圧殺する思想・システムが共産主義なのである。法の支配も三権分立も立憲政治も根底から否定されるのだ。

共産主義集団の指導者、共産主義国家の独裁者が、反対者に対して苛酷にして残虐なる弾圧・粛清を行ってきているのは、かかる理論に基づくのである。習近平も金正恩もその典型である。

共産党は、「党が分裂した時期に一方の側がとった誤った行動があった」としつつ「党の方針として破壊活動を行使、実行したことはない」などと言っている。しかしこれは、暴力革命闘争を実行した責任を徳田球一氏だけにかぶせただけのことだ。むしろ当時の共産党の徳田派は主流派であり圧倒的多数を占めていたのだ。徳田死去後もながく中央委員会議長を務めた野坂参三もその一人であった。

しかも暴力革命路線に積極的に加担しになかったという宮本顕治も、「日本革命の平和的発展の可能性を提起することは、根本的な誤りとなる。従って、議会を通じての政権獲得の理論も同じである」(共産党機関誌『前衛』昭和二十五年五月)と書いて暴力革命を扇動したのだ。

ともかく志位と穀田は大ウソつきであり、こういう大ウソつきはまたまた暴力革命路線に帰り実行する危険が大いにある。だから破壊活動防止法の監視団体なのだ。こんな政党をかばい、共闘しようという立憲民主党は断じて許してはならないし、このような政党が連立政権を組むことは絶対に阻止しなければならない。

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志位和夫の「國體観」の根本的誤り。


日本國體とは、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体のことである。単なる「國家の体制」のことではない。「体制」とは「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。つまり、「國家の体制」とは、無機的な権力機構としての國家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「國家の体制」と表現するのは絶対的な誤りである。

日本天皇は権力者ではなく祭り主である。そして日本國は祭政一致の祭祀國家である。他の國家の國の成り立ちとは根本的に異なる。権力者であらせられない天皇は、「権力の制限規範」とされる成文憲法に制限され、拘束される御存在ではない。

日本と欧米や支那とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、欧米や支那の法思想・國家観・君主観をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

祭祀國家日本の祭祀主・天皇に関する神聖なる事柄は、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

当たり前のことであるが、最初に成文法があって國體が成立するのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。志位和夫はかかる日本の伝統的國體を全く理解しない思想に基づいて次のように論じる。

志位和夫は、「國家制度の性格をつかむ場合に何よりも大切になるのは、主権がどこにあるかということです。主権という点では、日本國憲法に明記されている通り、日本という國は、國民主権の國であって、君主制の國とはいえないことは明らかです」と言っている。

この志位和夫の天皇観、日本國家観は根本的に誤っている。國體と政体を混同している。

志位和夫の君主観・國家観は、君主を権力者であるとし、國家を権力体制であるとする西洋國家観を日本にあてはめるという日本國の歴史と伝統を全く無視した思想なのである。

志位は「天皇の制度は、ヨーロッパなどでの立憲君主制―形の上では國王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを憲法や法律(慣習法)などで制限し、事実上國民主権の枠の中にはめ込んでいる國家制度―とも決定的な違いがあります。それは日本國憲法第四条が、天皇の権能について、『天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない』と明記していることです。世界に、『國政に関する権能を有しない』―統治権にかかわる権限を一切持たない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです」と論じている。

『現行占領憲法』第四条に「天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれているのはわが國の今日の政体即ち権力機構としての國家に関する規定である。

これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたことは、自民党政府・自民党政治家も同じである。

天皇は武力で空間を制圧して國家を治められているのではなく、天照大神の御子としての神聖なる権威によって治められている。そしてその根幹は神を祭られる〈天皇の祭祀〉である。

このような古事記・萬葉以来の我が國の精神伝統が、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいますの國」とする「國體」「國柄」なのである。戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない

共産党が主張する「國體とは戦前の天皇主権の國家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。『大日本帝國憲法』の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の神の國である日本には全くそぐわない。 

古代以来今日に至るまで、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいます國である」ことは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが國は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。

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千駄木庵日乗八月三十日

午前は、諸事。

午後は、本日行う講演の準備など。

午後六時より、千石の大原地域活動センターにて、「第一〇五回 日本の心を学ぶ会」開催。林大悟氏が司会。渡邉昇氏が主催者挨拶。小生が「日本共産党志位和夫の國體観の根本的誤り」と題して講演。全員で討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2020年8月29日 (土)

勅撰和歌集について

和歌は、天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。

天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を讀むことによって可能となる。

言霊が籠る和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之(平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となった)といはれてゐる。

宇多天皇の御代の寛平五年二月、菅原道真の遣唐使廃止の奏状により、唐との交流が途絶へ、それまでの外来文化模倣を反省し、日本固有文化の自覚が強まり、和歌が勃興した。大陸崇拝から国民的自覚へと転換した。漢才の活用もその根底に和魂がなければならないといふ自覚が起きた。これを「国風文化」といふ。そして、漢文学への対抗として、延喜五年四月十八日に、勅撰『古今和歌集』が撰進された。

国風文化勃興の中心人物が、菅原道真と紀貫之である。保田與重郎氏は、「やまとうたを稱へて、他国に対して和歌を主張するといふことは、貫之に始り、これが貫之の英雄たる本質である。」(『やまとうた考』)と論じてゐる。

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献である。

それには、「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざ繁(しげ)きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて言ひ出(いだ)せるなり」(やまとうたは、人の心を種にたとへると、それから生じて出た無数の葉のやうなものである。この世に生きてゐる人は、様様な事に遭遇するので、心に思った事を、見た事聞いた事に託して言ひ表はすものである。)「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)と論じられてゐる。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられてゐたのである。つまり歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思ひ・魂の叫びを、「三十一文字」にして固め成して鎮める働きをする。人間のまごころを表白する抒情詩である。日本民族の人智のさかしらを超えたまごころの調べである。

古代から現代に至る日本人の思想精神を正確にあるがままに自己にものとするには、古代の人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を詠むことによって可能となる。

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千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。

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安倍総理の辞任について

安倍総理の辞任は本当にお気の毒である。テレビでの報道を見ていてつい涙ぐんでしまった。

 

同じ病気で二度も辞任しなければならなかったというのは、ご本人にとって痛恨の極みであろう。

 

祖父の岸信介氏も、母上も丈夫なのにこういう事態になったのは、どういうわけか。

 

総理大臣というのは激務だ。それにたえ得る肉体的精神的強靭さがなければならない。安倍晋三氏にはそれが無かったということか。

 

安倍氏は、今の自民党の政治家の中ではまともな姿勢に立っている人と思うだけに、残念至極である。靖国神社参拝、紀元節祭典の政府行事としての執行など、肝心要のことで我々の期待に応えてはくれなかったことが多かったか、それでも他の政治家が総理になってゐるよりはましであった。

 

そこで次期総理であるが、やはり菅官房長官、岸田政調会長のどちらかということであろうか。日本共産党そして小沢一郎という国賊の影響力の増大は何としての阻止しなければならない。

 

安倍総理の会見を見ていて、第一次安保騒動の時、当時の岸信介総理が「内閣総理大臣を辞する決意をいたしました」と記者会見で語っていたのをありありと思い出した。

 

一国の総理と小生を同列に論じるのは実におこがましいことであるが、私も今病気を抱えているだけに安倍氏のことが身につまされる。心より全快を祈ります。

 

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千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理、原稿執筆など。

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2020年8月27日 (木)

新型コロナ猖獗騒ぎに思う

本日夕刻、久しぶりに床屋に行ったのですが、終るまでずっとマスクをしてゐなければならないと言われました。慢性心不全なので息が切れやすく、マスクをして外を歩くもたいへん苦しい思いがします。しかるにずっと椅子に座らされてマスクをしてゐなけければならないのは、心不全に悪いと思いました。実際に椅子に座っているだけで息が苦しくなったのです。床屋にその旨を告げて出てきてしまいました。感染防止は結構ですが、もう少し多くの人々の個々の事情を考慮してほしいと思います。別の床屋のマスクは大変緩やかで口や鼻を締めつけないマスクなのでそこで髪を刈ってもらいました。

床屋はともかく、この五年以上カラオケスナックに行ってゐません。まして風俗店には三十年以上も行ってゐません。だから営業時間がどう変わろうと私には関係がありません。ただ地元の行きつけの居酒屋には行きます。もう何十年も通ってゐる店です。

繁華街にもあまり行かなくなりました。そういう人が増えてお店の方々は困っているでしょう。お気の毒です。しかし、キャバクラとか風俗と言われる店が多すぎるのではないでしょうか。この新型コロナ猖獗騒ぎで日本の世の中が大きく変化するという予感がします。今までのように、若者たちが渋谷や六本木・新宿などで遊び呆けている姿が減るのはいいことだと思います。

ただ真面目に料理を作り、一生懸命其の料理をお客さんに提供しているお店は實に気の毒です。午後十時過ぎまでお酒を呑むことができなくなっても、美味しい料理をゆっくり楽しむことは出来ます。私も近年は午後十時過ぎまで酒を呑むことは無くなりました。

以上は、再来年七十四歳になり、後期高齢者になる男の率直な思いです。昨日一緒に語り合った同い年の幼馴染みに、「末期高齢者というのはあるのだろうか」と聞いてみました。

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千駄木庵日乗八月二十七日

午前は諸事。

 

午後は資料整理、書状執筆、原稿執筆など。夕刻、久しぶりに床屋に赴く。

 

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萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會
小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。


日時 九月九日(第二水曜日) 午後六時半より
講師  四宮正貴
會場 豊島区立駒込地域文化創造館
東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分
會費 千円
テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。
初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。
お問い合わせは、四宮政治文化研究所まで。(m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp)

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2020年8月26日 (水)

元明天皇御製に学ぶ


 和銅元年戊申、天皇の御製の歌
                              
     
ますらをの 鞆(とも)の音すなり もののふの おほまへつぎみ 楯立つらしも 

 和銅元年は西暦七〇八年。第四三代・元明天皇(天智天皇第四皇女・持統天皇の異母妹)の御製。

元明天皇は、斉明天皇七年(六六一)-養老五年(七二一)。草壁皇子の妃となり、文武・元正両天皇をお生みになる。二十九歳の時、夫君・草壁皇子が薨去され、さらに皇子の文武天皇が崩御されると、御年・四十七歳で天皇に即位された。在位八年二ヵ月で、皇女・元正天皇に譲位される。

 「ますらを」は、武人のこと。漢字で益荒男(ますます荒々しい男)と書く。人並み外れて強い男といふ意。

 「鞆」は、弓を射る時に用いる皮製の防具で、左手の指の内側に巻きつけて弦が当たるのを防いだ。「鞆の音すなり」は、兵士たちが弓を引く練習をしてゐる音がするといふ意である。

 「もののふ」は、宮廷に仕へる文武百官。「おほまへつぎみ」は、大臣のこと。「楯」は、矢・刀・鉾などを防ぐ防具。

 「おほまへつぎみ」とは太政大臣・左右大臣・内大臣の総称。この時の右大臣は、石上麻呂(いそのかみのまろ)。そして石上氏は元来、武の力で天皇にお仕へして来た物部氏であったので、この御歌の「もののふのおほまへつぎみ」を、石上麻呂とする説がある。物部氏は石上神宮の鎮座する辺りの氏族であり、朝廷の武を司ったといふ。

 大和朝廷の武器庫のあったところに鎮座し、建甕槌神(たけみかづちのかみ)が中洲(なかつくに)を平定した時(出雲の國譲り)に帯びた神剣の御霊である「布都御魂大神」(ふつのみたまおほかみ)を、御祭神としているお宮が石上神宮である。

 しかし、通説では「おほまへつぎみ」を、石上麻呂と特定せず、広く元明天皇の侍臣をいふとしてゐる。

 通釈は、「勇敢な兵士たちの鞆の音がする。もののふの大臣が楯を立てて戦ひの準備をしてゐるらしい」といふほどの意。               

 「楯を立てる」とは、戦争の準備をしてゐるといふことである。緊迫感のある歌。しかも、女帝の御歌であるところに注目点がある。

 この御製が歌はれた年の翌年の和銅二年(七〇九)三月に、陸奥・越後の蝦夷を撃つための軍が派遣された。この御製は、東國警備・蝦夷討伐準備のための兵馬の訓練をしてゐる様子或いは狩りへ出発する光景を歌はれたものといふのが通説てある。

 しかし、この御製に和した次の御名部皇女の御歌を拝すれば、そのやうなことを歌はれた御歌ではないとする説もある。

 この御歌が詠まれたのは、文武天皇が崩御され、元明天皇が御即位あそばされた翌年であるから、何か政情不安があったのかもしれない。

 梅原猛氏は、物部氏の系統である石上麻呂は、元明天皇の奈良への遷都の御計画に反対して不気味な動きをしてゐたと説く。石上麻呂の配下の兵士たちが朝早く楯を立てて出陣の準備をしてゐるといふのである。

 それはともかく、この御製には、天皇として責任を強く感じられてゐる気迫が漲ってゐる。「鞆の音すなり」に強い緊迫感溢れる響きがある。

 通説に従へば、この歌は狩りの準備か軍事訓練の際の御製であり、天皇の御命令に従って、東北へ出発する兵士たちの心を思はれて、平安と無事を祈られた御歌である。

御名部皇女が妹君・元明天皇を励まされた御歌 

   
 御名部皇女(みなべのひめみこ)の和(こた)へ奉(まつ)れる御歌
          
わが大君 ものな思ほし 皇神(すめがみ) の嗣(つ)ぎて賜へる 吾無(われな)けなくに

 御名部皇女が元明天皇の御製にお答へした御歌。御名部皇女は、天智天皇の皇女にして元明天皇の同母姉君である。母は、曽我石川麻呂の娘・宗我嬪。高市皇子の室となり、藤原氏の讒言によって滅ぼされた長屋王をお生みになった。
 
「わが大君」は、元明天皇の御事。たとへ実の姉君であっても、妹に対して「わが大君」と呼びかけられたのである。「ものな思ほし」のナは禁止の副詞。「もの思ふ」は思ひ悩む意。

 「皇神」は皇祖神の御事。スメは、「アマテラススメオホミカミ」(天照皇大神)「スメラミコト」(天皇)「スメミマノミコト」(皇御孫命)のスメと同じ。「スメラ」とは最高・最貴の語の語根であって、「皇神」は神聖な神・皇祖神の御血統であることを端的に意味する言葉。「スメラ」は、「澄む」といふ形容詞から発生したとされる。「濁りなき高貴さの属性」に力点を置いた尊称で、「政治的・宗教的に聖別された状態」を意味するといふ。

 「嗣ぎて賜へる」のツギテは継ぎ手か。「後継ぎを賜った」といふ意と思はれる。御名部皇女と高市皇子との間の御子・長屋王は、当時三十三歳。一方、文武天皇の皇子・首皇子(おびとのみこ・後の聖武天皇)はまだ八歳であらせられた。

 長屋王は有力な皇位継承者であられたので、その母君であられる御名部皇女がこのやうな御歌を歌はれたのである。元明天皇を励まされた背景には、有力な皇位継承者・長屋王を皇子にお持ちになってゐる自信があったからであだといはれてゐる。しかし、長屋王は、前述した通り、聖武天皇御即位の後、藤原氏の讒言によって滅ぼされる。

 「吾無けなくに」は、私がゐないわけではない、といふ意。
 
通釈は、「わが大君よ、ご心配なさいますな。皇祖神から後継ぎを賜ってゐる私がをりますから」といふほどの意。つまり、「わが大君よ、何も心配なさいますな。皇祖神の御血統を継承する長屋王が居りますから」と申し上げて、何事かを心配されておられる元明天皇を励まされてゐるのである。

 この元明天皇が抱かれた「ご心配」とは一体どういふ事なのかが問題なのである。妹君の「ますらをの鞆の音すなりもののふのおほまへつぎみ楯立つらしも」といふ御製に答へ奉って、姉君が「わが大君ものな思ほし皇神の嗣ぎて賜へる吾無けなくに」と歌はれた二首の御歌のしらべの緊迫感を拝すれば、「おほまへつぎみ」の軍事的行動の準備とは、単に蝦夷の不穏な動きへの準備よりも重大な不穏な動きへの準備とする説が有力になって来る。

 歌の配列も、このお二方の御歌の前に、後に滅ぼされる長屋王の「宇治間山」の御歌が置かれてゐる事も何か意味があるやうに思はれる。

 『萬葉集』は大伴家持が編纂したといふ説が有力である。家持及び大伴氏は、藤原氏に対抗し、藤原氏から圧迫を受けてゐた。『萬葉集』は藤原氏への批判といふか反発の思ひがその奥底に流れてゐるといふのである。ゆゑに、歌の配列も意味深長なものになってゐるといふのである。

 また、保田與重郎氏は、本居宣長の「嗣ぎて賜へる吾無けなくに」の「吾」は「君」の誤記であるといふ説に賛同してゐる。さうすると、「皇神の嗣ぎて賜へる」は「皇祖神から与へられられ継承されてきた」といふ意になり、「あなたは皇祖神の血統を継ぐ天皇なのだから心配することはない」といふ意味になる。

 保田氏は、「『皇神の継ぎて賜へる』といふのは、皇位はすべて天つ神皇祖神の議(はか)り定められしものだといふ天降りの思想を現されたものにて、御位は天つ神々の定め賜ふものゆゑ、大御心にかけて思ひ案ぜられるやうなことは何一つもあるわけがありませぬ。……大御心安らかにませと、お力づけ、またお慰め申された御歌である」(わが萬葉集)と説かれてゐる。

 文学作品や歴史書に限らず、重要な文献は一字違っただけで、意味が全く変わってしまふ。文献学が如何に大事かが明らかである。

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千駄木庵日乗八月二十六日

午前は、諸事。

 

午後は、インターネットなどを利用して、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

 

午後六時、西日暮里にて、に小中学校時代の友人即ち幼馴染みと懇談。六十年来の友である。学生時代は政治的立場が全く異なっていた。七十四歳になってはそんなことは超越して、いろいろ楽しく語り合った。

 

帰宅後は、原稿執筆。

 

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2020年8月25日 (火)

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は、多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる

共同体国家は倫理精神によって成立する。言ひ換へれば、人が動物ではなく人として生活にしていくようになるのは、共同体の成員として生きることによるのである。個人が自我の拡張ばかりしてゐたら共同体は破壊される。共同体が破壊されればそこに生きる個人は生きていけなくなる。

人間はその本性において「聖なるもの」を求めざるを得ない。日本民族において「聖なるもの」とは祭祀主である天皇であらせられる。

葦津珍彦氏は、「人間は、だれでもが神聖なるものを求めている。…それは、人間が、自らが神聖でなく、崇高でなく、心中いつも穢れのさけがたい存在であることを深く知っているからである。…日本では、遠く悠久の古代から祓いが行われ、祭りが行われて、民族の中に「神をもとめる心」が保たれて来た。…天皇のおつとめの第一は、祭り主をなさるということなのである。この祭りによって、天下の人心の神聖をもとめる心を保たれることである。天皇は親しく祭りをなさるとともに、天下万民をして祭りを執行せしめられた。」(『近代民主主義の終末』)と論じてゐる。

日本伝統信仰の根本行事は「まつり」である。「まつり」は、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、一切の罪穢れを祓ひ清め人としての本来の清らかな姿=生成の根源に立ち帰る行事である。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふ。日本国といふ共同体における最高の祭祀主が、日本天皇であらせられる。

折口信夫氏は、「日本では、神祭りの主體となるのは、宮廷の神祭りで、その祭りに於ける主體は、歴代聖主であられた訣だ。主上の御生活には、日常の生活のほかに、神として改まった御生活があった。そのハレの生活は更にケの生活の規範であって、同時に我々のハレ及びケの生活の典型であったのである。…祭りの時の生活を日常の生活に攝取しようとするのは、誰もが持ってゐる情熱である。しかもこのハレの生活法がケの生活の規範なのである。」(『宮廷と民間』・全集第十七巻き所収)と論じてゐる。

日本民族は、神聖君主日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の体現者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

天皇が日本国の倫理精神の鑑であらせられ、無私・無我・清明心・誠といふ日本古来の伝統的倫理精神の体現者であらせられるのは、天皇が無私になって神に一切をまつろひ奉る行事=「まつり」の執行者であらせられるからである。

「国歌君が代」の斉唱は、祭祀主日本天皇を君主と仰ぐ日本国の永遠を寿ぐ行為である。

筧泰彦氏は「日本人の倫理や道徳の根本は、ワレの心としての『清明心』や『正直』や『誠』にあります。西欧で理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考へるのとは対照的に、『私』を去り『我』を没することを以て根本と考へてゐるのです。天皇は、かかる清明心の根源、無我の体現者たるヒトとして、日本民族が長い歴史的鍛練を通じて作り上げた日本人の『ミチ』の中心点でありませう。」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は、多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下のご存在があってこそ、日本国は安定が保たれる。日本の傳統精神の体現者であらせられる天皇・皇室がおはします限り日本国は安泰である。

天地自然に神の命が生きてゐるといふ信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において正しく回復することが大切である。それが現代の道義の頽廃をはじめとした様々な危機的状況を打開する方途である。

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千駄木庵日乗八月二十五日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後は、書状執筆。資料整理など。

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2020年8月24日 (月)

千駄木の須藤公園について

私宅の近くに須藤公園という公園がある。江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺(だいしょうじ)藩(十万石。寛永十六年〈一六三九年〉、加賀藩の第三代藩主・前田利常が隠居する際、三男・利治に大聖寺七万石を割いて大聖寺藩が立藩された。)の屋敷跡であり、明治維新後、長州出身の政治家・品川弥二郎の邸宅となった。

品川弥二郎は、足軽の家の生まれ、吉田松陰門下となり、尊王攘夷運動に挺身、戊辰戦争では奥羽鎮撫総督参謀。有名な『トンヤレ節』作詞者。維新後は、内務大臣・枢密顧問官などを歴任。永井荷風が明治新政府を「足軽政府」と揶揄し、北村透谷は、明治維新を「幕府から薩長への権力の移動であった」と嘆いたが、品川弥二郎や山県有朋の維新後の足跡を見るとこれらの批判も納得できる面がある。二人とも、維新前の各藩の旧藩主の真似をして旧藩主他の藩邸に住んだ。

吉田松陰は「身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」という辞世を遺したが、品川や山県は、維新後、権力者となり、武蔵の野辺に大邸宅を構えたのである。松陰の、「僕は忠義をなすつもり。諸君は功業をなすつもり」という言葉を想起する。九段坂に品川弥二郎の銅像がある。

明治二十二年(一八八九年)に実業家・須藤吉左衛門(この人物の故事来歴は不明。ただし、須藤公園のすぐ近くに須藤という表札がかかった邸宅が二つある)が買い取ったという。昭和八年(一九三三年)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和二十五年(一九五〇年)に文京区に移管された。

須藤公園の入り口のすぐ前に親戚の家があったので、この公園は小生の子供の頃の遊び場の一つであった。紙芝居屋さんや粘土細工屋さんが来ていた。公園の中を駆け巡ったり、ブランコや砂場で遊んだ。

この公園は、台地と低地とに分かれていて、深山幽谷を流れ下るような高さ約十メートルの滝がある。一時、枯れていたが、今は水が流れ落ちている。そして池があり、回遊式庭園となっている。池には、亀が棲息しており、池の中の岩の上でよく甲羅干しをしている。池の中に島があり、弁天様を祀った朱色のお堂がある。大名屋敷の面影をのこしたなかなか風情のある公園である。須藤公園は住宅密集地の中の森と言った感じある。

公園の上の方が、駒込林町というお屋敷町であり、下の方は、駒込坂下町という下町である。東京の山の手と下町の区別が分かる典型である。私は駒込坂下町に生まれ育った。

公園の一角の小高い丘に

「かしこくも 親王あれませり 九重の 御そのの松に 日の昇る頃                従二位爲守」

と刻まれた歌碑がある。

昭和八年十二月二十三日の、先帝陛下の御生誕を奉祝して入江爲守氏が詠まれた歌である。この歌碑は、昭和十年に町内の青年団が建てたものという。皇太子が日の神の御子としてお生まれになったことを寿いだ歌である。歌碑に何の説明書きがないのが残念である。

入江爲守(ためもり)氏は、明治から昭和御代前期まで宮中に仕えた方であり歌人である。子爵。京都生。慶応四年四月二十日生まれ。冷泉為理(れいぜい-ためすけ)の三男。幼少から父に歌学を学び、漢詩は森槐南に学んだ。のち入江為福の養子となる。昭和天皇の侍従長をつとめた入江相政(すけまさ)の父。明治三十年貴族院議員。のち東宮侍従長,侍従次長を経て、昭和二年皇太后宮大夫。大正四年から御歌所所長を兼ね,「明治天皇御集」「昭憲皇太后御集」編集事業を完成させた。昭和十一年三月十九日六十九歳で薨去。

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千駄木庵日乗八月二十四日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。原稿執筆の準備。

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第105回日本の心を学ぶ会



第105回日本の心を学ぶ会

第105回日本の心を学ぶ会

テーマ 共産主義の脅威を考える

香港のメディア関係者が逮捕されたことについてアメリカの大統領補佐官は強く中国を非難し国家安全維持法の撤廃を求めました。
香港の自由と民主主義についての懸念は世界に広がっており、台湾やオーストラリアなどはアメリカと足並みをそろえて中国と対抗する姿勢をしめしております。
まるで新しい冷戦が香港を最前線として始まったように見えます。
 国内では日本共産党は綱領を改定し、マルクスレーニン主義特有の用語や国民が警戒心を持つような表現を削除変更ましたが、統一戦線戦術や二段階革命など基本路線に誤りはないとし、今後もこれらの基本路線を堅持すると見られております。
 選挙のたびに野党に共闘を呼びかける野党連合政権構想はこのような政権奪取のための統一戦線戦術にほかなりません。
日本共産党は結党100周年に当たる2022年までに野党連合政権の樹立を目指すとしております。この野党連合政権樹立が二段階革命の第一段階であることはいうまでもありません。
 共産主義の脅威は過去のものではなく、現在進行形の脅威として東アジアに拡大しつつであるといえるでしょう。
今回の勉強会では共産主義の脅威について考えてみたいと思います。


(今回の勉強会はオンライン放送を予定しております。詳しくは代表Twitter 、https://mobile.twitter.com/watanabegayou 、日本の心を学ぶ会HP、http://nihonokokoro.blog21.fc2.com/をご確認下さい。)

(今回の勉強会の会場は大原地域活動センターです。お間違えないようご注意ください)

【日 時】令和2年8月30日 午後6時から

【場 所】大原地域活動センター 多目的室C

【所在地】文京区千石1丁目4番3号

【最寄り駅】三田線千石駅( A2口から 徒歩 8分)/丸の内線茗荷谷駅(1番口から徒歩14分)

【演 題】『日本共産党志位和夫の國體観の根本的誤り』

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は、主催者が作成しました。

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2020年8月23日 (日)

わが国民は「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである

わが国は大東亜戦争の敗北した後、戦勝国が開いた「東京国際軍事裁判」という名称の報復により、戦争遂行時の国家指導者は死地に追いやられた。また、七年間にわたり戦勝国によって占領され、その間、憲法を押し付けられ、ありとあらゆる手段で我が国の弱体化・戦勝国への隷属化が図られた。さらに、わが国が戦争遂行にあたって軍事的に進攻した国々に対して何回も何回も謝罪させられ、かつ、賠償金を支払わされ、経済援助を強いられた。

一体七十年以上も経過して、いまだに、過去のことで周辺諸国に謝罪し、さらに、その戦争に対して、自由な意見表明が出来ない国が世界の何処にあるであろうか。日本だけである。何んとも悔しい。しかも、国内に、祖国の歴史を冒瀆し、祖国を悪しざまに言うことしか考えない連中が跳梁跋扈していることは何んとも許し難い。外国からの干渉がある前に、こういう連中が騒ぎだす。「朝日新聞」「日共」「社民」などはその典型である。

「極東国際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。「平和と人道に対する罪=侵略戦争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した。しかし、そもそもそのような概念は、戦争が開始された時にも、終戦時にも、裁判後にも定着しなかった。つまり人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪したのである。裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戦勝国による一方的な復讐が東京国際軍事裁判であったのである。

「東京裁判史観」とは、極東國際軍事裁判の多数判決即ち六人の判事の西欧列強のアジア侵略を正当化するためにわが國の行為を一方的に処断したにすぎない全く虚妄の「判決」を正しいとする歴史観である。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

日本は白人と戦いアジアを三百年の白人支配から救った。昭和十八年にアジア諸国は独立した。戦後独立したというのは誤りである。インパール作戦はインド独立のための戦いであった。インドに顕彰碑がある。マレーシア人は日本軍は白人と華僑の搾取と支配から解放してくれたと思っている。

東京裁判史観とは、東京裁判の判決が正しく、日本は東南アジアおよび南方を略取しようとして共同謀議をしたという虚構の歴史観である。

極東国際軍事裁判で「日本無罪論」の判決を書いたインドのパール判事は、「時が熱狂と偏見とをやはらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変へることを要求するであらう」と、判決文の最後に書いた。

にもかかわらず、日本国民自身が、戦後七十五年を経過したにもかかわらず、「偏見」と「虚偽」から脱出することができないでいる。歴史を大観すれば、明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦い即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦いであったのである。このことをわが国民は正しく認識し理解し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、諸事。

午後は、室内整理、資料整理など。

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2020年8月22日 (土)

この頃詠みし歌


飛行雲夏の大空を真っ直ぐに

人を裁くな裁かれざらんためなりといふ言葉この頃重く出で来ぬ

パソコンを開きて己が主張をば叩き出すことの嬉しさ

生きて行くことを苦とは思はずに今日も明日も己が道行く

若き友が京都御所拝観のことを語るを聞きつつ旅を思ひ出す

残生などといふ言葉を拒絶してなほ四十年は生きゆかんとす

消息の少なくなりし友の事思ひつつをれば空にまどかなる月

やまと歌は日の本の民の心より生まれ出できし言霊とぞ思ふ

和歌文学こそがわが国文化の中核と深く思ひて歌詠みてをり

「天皇制の否定が近代短歌の出発」などといふ妄論が未だ罷り通る現代歌壇

生老病死の四苦は誰にも免れず宰相も日々を戦ひてゐる

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、『政治文化情報』発送作業。発送完了。

午後は、書状執筆、資料検索、原稿執筆の準備など。

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2020年8月21日 (金)

舒明天皇國見歌の御精神 


「高市岡本宮御宇天皇代(たけちのをかもとのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ) 息長足日 廣額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)

 天皇、香具山に登りて望國(くにみ)しましし時の、御製の歌

大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし國ぞ あきづ島 大和の國は」

この御製歌(おほみうた)は、舒明天皇が大和をほめ讃へられた御歌で、『萬葉集』を代表する叙景歌(自然の風景を歌った歌)である。御製歌とは天皇の御歌のこと。

高市岡本宮に皇居を構へられて天下を御統治された第三十四代・舒明天皇の御代の歌である。高市岡本宮とは、今日の奈良県高市郡明日香村雷丘付近。息長足日廣額天皇とは舒明天皇の御事。

舒明天皇は第三十代敏達天皇の皇孫で、推古天皇元年(五九三)に生誕され舒明十三年(六四一)に崩御された。舒明天皇の御代に初めて遣唐使が派遣された。蘇我氏が大きな力を持ってゐた時代の天皇である。舒明天皇の第二皇子が蘇我入鹿を討ちとって大化改新を断行された中大兄皇子(後の天智天皇)であり、第三皇子が天武天皇である。

「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。

天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。

昭和五十四年十二月四日、昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、昭和天皇は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

昭和五十九年十二月、昭和天皇は、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのびけふも旅ゆく」

である。

農業國家・稲作國家であった古代日本は、國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、共同体の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願ひ感謝しそして自然災害が起こらないやうに神に祈る祭祀を行ふことが大きな使命であった。ゆゑに、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを〈祭政一致〉といふ。

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千駄木庵日乗八月二十二日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後は、資料整理、検索、原稿執筆の準備。

『萬葉集』講義原稿執筆、脱稿、送付。

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2020年8月20日 (木)

國難の時期こそ、「勅撰和歌集」の撰進が行われるべきである。

國難の時期こそ、「勅撰和歌集」の撰進が行われるべきである。

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。

天皇が和歌を詠ませられると共に、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。

天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。

天皇の國家統治は、何回も主張するが、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されてきたのである。

阿部正路氏は、「日本の傳統の最も荒れ果てた現代にこそ新しい真の意味での勅撰集が編まれるべきではないだろうか。それが具体化するかどうかに、日本の傳統の意志の行方が見定められることになるのだと考える。…勅撰集に明らかに見ることのできる、一系の天皇の、和歌に対するゆるぎない信頼の中においてこそ《悠久》の世界を具体化し得たのであった」(『和歌文學発生史論』)と論じてゐる。

國難の時期である今日において、まさに、「國風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革、白村江の戦い・壬申の乱といふ大動乱・大国難の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の國風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれ、承久の變の時に『新古今和歌集』が生まれたやうに、國難に晒されてゐる今日において、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

『萬葉集』は日本の傳統精神の文藝的結晶である
「やまとうた(和歌))は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「やまとうた」は、「まつりごと」から発生した。日本では太古から、天地自然の中に生きてゐる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈る「まつりごと」が行はれてきた。その「まつりごと」において祭り主が神憑りの状態で「となへごと」が発した。それが度々繰り返され一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。

「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之(平安前期の歌人、歌學者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した)である。

和歌は、大化改新・白村江の戦・壬申の乱が起った國家激動の時代における『萬葉集』、平安時代の國風文化復興期における『古今和歌集』、後鳥羽上皇の承久の変における『新古今和歌集』といふやうに國體意識の勃興と切り離せない。「勅撰和歌集」の撰進とは言霊の復活である。

少なくとも衆参両院議員、中央省庁の役人は、やまと歌を詠み、「歌会始」において、天皇陛下にご覧いただくべきである。それが古代日本以来の伝統である。

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千駄木庵日乗八月二十日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。原稿執筆の準備、資料検索。

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2020年8月19日 (水)

〈日本なるもの〉の回復の時代に生まれた歌集が『古今和歌集』である

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂された。『古今和歌集』は仮名で書かれた仮名序と真名序の二つの序文を持つが、仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された。ただし現存する『古今和歌集』には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入れられており、奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜12年(912年)ごろとの説もある。

撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人である。序文では友則が筆頭にあげられているが、仮名序の署名が貫之であること、また巻第十六に「紀友則が身まかりにける時によめる」という詞書で貫之と躬恒の歌が載せられていることから、編纂の中心は貫之であり、友則は途上で没したと考えられている。

『古今和歌集』は、勅命により国家の事業として和歌集を編纂するという伝統を確立した作品でもあり、八代集・二十一代集の第一に数えられる。平安時代中期以降の国風文化確立にも大きく寄与し、『枕草子』では古今集を暗唱することが当時の貴族にとって教養とみなされたことが記されている。収められた和歌のほかにも、仮名序は後世に大きな影響を与えた歌論として文学的に重要である。

『古今和歌集』は上で触れた『枕草子』で見られるように古くからその評価は高く、『源氏物語』においてもその和歌が多く引用されている。また歌詠みにとっては和歌を詠む際の手本としても尊ばれ、藤原俊成はその著書『古来風躰抄』に、「歌の本躰には、ただ古今集を仰ぎ信ずべき事なり」と述べており、これは『古今和歌集』が歌を詠む際の基準とすべきものであるということである。この風潮は明治に至っても続いた。ただし江戸時代になるとその歌風は賀茂真淵などにより、『万葉集』の「ますらをぶり」と対比して「たをやめぶり」すなわち女性的であると言われるようになる。

清和天皇・陽成天皇の御代頃から、大陸崇拝熱はさめはじめ、國民的自覚・愛國心が勃興してくる。漢才の活用も根底に和魂がなければその価値を正しく発揮できないといふ思想が起こってくる。

 仁和三年(八八七)、宇多天皇が即位されると、天皇親政の復活と摂関藤原氏の抑制に力を尽くされた。寛平五年(八九三)二月、菅原道真の遣唐使廃止の奏状が提出され、翌年遣唐使を廃止された。唐との交流が途絶へ、それまでの外来文化模倣が反省され、日本固有文化が尊重されるやうになった。

 萩谷朴氏は、「宇多天皇が即位されると、その御一代の政策は、親政の復活と摂関藤原氏の抑圧とに、すべての努力が傾注されることになった。…傳統的な和歌の國風を振作することによって、國體意識を明確にし、摂関藤原氏がひとり政権を壟断すべきでないことを政官界に徹底せしめようという、復古維新の文化政策であった。このために菅原道真が指導者となって、平安朝初期百年の間、科挙(註・支那で行はた官吏の登用試験。隋・唐代に始まり、清代の末期に廃止)の制度のためにする漢詩文全盛の蔭に、男子貴族知識層にはほとんど無縁のものとなっていた和歌の詠作を急速に奨励することとなり、…歌合(註・歌を左右に分け、その詠んだ歌を各一首づつ組み合せて、判者が批評、優劣を比較して勝負を判定する)が盛んに催れ、勅撰和歌集の編纂が企てられ、歌物語が流行することとなった」(『王朝の歌人・紀貫之』)と論じてゐる。

 漢風文化隆盛時代の文藝創作者は概ね男性であって、記紀萬葉時代あれほど活躍してゐた女性の影が薄くなってゐた。女性が復活するのは國風文化が復興した後である。言ひ換へると國風文化復興には女性が深く関ってゐたのである。藤原氏の権力壟断・漢風の隆盛・女性の蔑視は、日本傳統精神の衰退であり隠蔽なのである。

ただ、國風文化衰退の時代であっても、和歌がまったく詠まれなかったといふことはあり得ない。和歌とりわけ恋歌は決して衰退しなかったと考へる。ただ漢風文化が社會的に重んじられてゐたがために、和歌が表面に出なかったといふことであらう。和歌が中絶したといふことは全くあり得ない。
 
わが日本の本来的な精神傳統は、記紀萬葉の世界に明らかなやうに健康的であり開放的であり女性を蔑視してゐない。そこが支那との大きな違ひである。

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千駄木庵日乗八月十九日

午前は、諸事。

午後は、室内整理。資料整理。原稿執筆の準備など。

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高乗正臣先生の正論

本日は、フェイスブックにおける小生の投稿について、永年にわたり「憲法懇話会」などでご指導を頂いてゐる憲法学者の高乗正臣から次のようなご意見を賜った。同感であるのでご紹介させていただく。

「四宮先生、ご無沙汰しております。安倍政権の欠陥は、そのブレーンに真正保守の論客がいないことだと思います。憲法改正についても、国民主権条項を1条に置くべきとする似而非保守学者を重用したり、現行憲法の精神は堅持するというような『腰砕け』論では話になりません。自民党が野党であった平成24年に作成した『改憲草案』に今一度立ち戻るべきだと強く思っています」。
安倍氏のブレーンには保守の学者・文化人・言論人が多くゐるのだが、肝心要のことで、安倍氏に対して正しいアドバイス・建言をする人が少ないと思われる。

これではそういう人々はよく言われる「お友達」ではあっても、正しい意味のブレーン、理論面・政策面の参謀というか指南役の役目を果たしてゐないのではないか。

安倍氏の発言なとで間違ってゐる、おかしいと思ったことに対してはどんどん批判し訂正させる役目を果たさなければ駄目だ。

ところが安倍氏が間違ったことを言っても実行しても、それを理論的に辻褄合わせをしたり、補完するようなことばかりしていては駄目だ。時には厳しく批判し諌めることが本当のブレーンのやるべきことだ。特に高乗正臣氏が言われるように、「国民主権条項を1条に置くべきとする似而非保守学者を重用したり、現行憲法の精神は堅持するというような『腰砕け』論」を肯定し採用ようでは、安倍氏は真正保守政治とは言えなくなってしまう。

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2020年8月18日 (火)

千駄木庵日乗八月十八日

午前は、親族来宅。室内清掃。


午後は、資料の整理。『政治文化情報』発送準備。

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2020年8月17日 (月)

立憲民主と共産党の連立政権は何としても阻止すべきである。

記録し保存しているDVDを時々見ている。今日は約二十年前の第一次安倍内閣成立そして去年新元号決定の時のニュースを見たのであるが、テレビインタビューに答える安倍総理の顔は生気があり声もハリがあった。最近の安倍氏とはずいぶん違う。やはり疲れているのではないかと思う。気の毒だ。

野党・メディア・与党内議員による執拗な安倍批判攻撃に連日晒されているのだから無理もない。あの田中角栄氏も、金権政治攻撃にさらされていた時は、顔がゆがんだほどだ。安倍氏はどう見ても田中氏ほど心身ともに頑健ではない。

私は、安倍氏は総理就任時からある意味命懸けで総理の任務を果たしていると思ってゐたが、最近はそれも限界なのではないか。このまま総理の職にとどまるか、いったん辞任するかだが、後継者をだれにするかが問題である。麻生・菅・岸田の各氏などがゐるというが、安倍氏の様な「日本を取りもどす」「戦後レジウムからの脱却」という真正保守の立場にはっきりと立ってゐる人はそれほど多くはない。困ったことだ。

こうなったら、山田宏氏・城内実氏・長島昭久などの大抜擢もいいのではないか。

朝日などの偏向メディア・亡国野党が何とか安倍政権・自民党政権の打倒せんとしている。これに対して、安倍氏はまさに命懸け戦い、反撃し、その野望を撃ち砕いてもらいたい。私は天佑神助を祈る。ともかく立憲民主と共産党の連立政権は何としても阻止すべきである。

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千駄木庵日乗八月十六日

午前は、諸事。

午後は、資料整理、書状執筆など。

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2020年8月16日 (日)

「韜光養晦」について

「韜光養晦」

読み方:とうこうようかい
別名:韬光养晦、韬光晦迹

支那語で「自らの力を隠し蓄える」といった意味の表現。鄧小平が掲げた外交政策のスローガンとして知られる。

「韜光養晦」の語には「韜光養晦、有所作為」と続く。自身の能力は対外的にできるだけ隠しつつ、取るべきものは取る、という方針とされる。本来の表記は「韜光養晦」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

支那のこの外交戦略は成功し、日本から経済技術協力を受け、近代化を成し遂げ、自国の軍事力を強くしました。
韜光養晦とは、共産支那の国際社会に対する態度を示す言葉であり、騙され利用されたのはわが國のみならずアメリカも同じです。トランプ氏はそのことに堪忍袋の緒が切れ、共産支那に強硬な態度で臨むようになりました。

わが国は田中角栄による所謂「日中国交回復」以来この戦略に騙され続けてきたのであります。そして今や共産支那の強大な軍事力による侵略の危機にさらされているのであります。


我々が、「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論しました。こうした論議が全く間違っていたことが、近年明白に証明されました。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになりました。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議であります。

南北朝鮮や共産支那に経済協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのです。また軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけです。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立てはありません。

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千駄木庵日乗八月十六日

午前は、諸事。

午後は、同志と電話で打ち合わせ、室内清掃、資料整理。

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荒木和博氏の正論

荒木和博氏はかつて次の文章を書いている。大変重要なご主張なのであらためて掲載させていただく。

 

             ◎
【調査会NEWS1675】(26.10.16)

 

「■ルメイの勲章
         荒木和博

 

 新幹線開業と東京オリンピック50周年で、このところ新聞テレビでも特集が組まれています。しかしもう一つの50周年には誰も関心を持っていません。この年の12月7日、日本国政府が米空軍の参謀総長カーチス・ルメイ将軍に勲一等旭日大綬章を授与したことです。

 

 ルメイは東京大空襲を初めとする都市の無差別爆撃や原爆投下を司令官として指揮し多数の民間人を殺傷した人物でした。新幹線やオリンピック、高度成長で浮かれていたとき、同時にこのようなことが行われていたというのはある意味戦後日本を象徴していたのかも知れません。

 

 叙勲の理由は航空自衛隊の育成に貢献したとのことだったそうですが、実際にはルメイは航空自衛隊にはほとんど関係もしておらず、ともかく叙勲しなければならないという別の理由があり、後付けの理由であったことは明らかです。

 

 勲一等旭日大綬章は通常天皇陛下が直接授与しますが、ルメイについては入間基地で航空幕僚長から授与されています。昭和天皇としては内閣の決定を覆すことはできないものの、最大限の抵抗をされたということでしょう。しかし、ルメイは虐殺をした自分に勲章をくれる日本政府、日本人を心の底では軽蔑したはずです。

 

 どこかの国のように昔のことを蒸し返すべきではないかも知れません。ルメイも命令に従ってやったのは事実でしょう。しかし、少なくとも東京大空襲だけで一晩に老若男女10万人を焼き殺した人間に勲章を授与する必要はないはずです。何かの圧力が加わったのだとしても、本来それは日本人の名誉にかけても拒否すべきでした。そのような醜悪なことが日本の戦後には、見えないことも含めてべっとりと張り付いているのでしょう。

 

 さて、日本は北朝鮮から長期かつ広範囲に拉致の被害を受けてきました。そのために本人も家族もどれだけの苦しみを受け続けてきたかわかりません。拉致問題は明らかに国家犯罪であり、私たちはその犯罪を行いながら、なおかつ隠蔽し続け、「説明してやるから来い」と言っている国に外務省の幹部を派遣しようとしています。そこには国民を拉致されたという怒りは微塵もなく、話を聞いてきたという「実績」を残そうという官僚的発想だけが存在しています。

 

 認定されていようといまいと、ともかく取り返せる人から取り返すのは当然です。そのために交渉が必要というのも分かります。しかし、その交渉は犯罪者である北朝鮮当局に対して強い怒りを持った上で、あえてそれを押さえてするべきです。しかし外務省はもちろん安倍総理にも正直なところその怒りは感じられません。

 

 怒りがなければ生存している全ての拉致被害者を取り返すことなど絶対にできません。それどころか何人か帰ってきたところで手打ちして、北朝鮮に遺骨代か経済援助か分かりませんが貢ぐのが関の山です。今こそ拉致の本質をもう一度認識して、私たちはもっと強い怒りを持つべきではないでしょうか。そうしないとやがて「拉致被害者を数人返した功績」とかいって金正恩に勲章でも授与するなどということが起きるかも知れません。」

 

              ◎

 

戦争に敗北するということは如何に情けないことなのかを証明する文章である。日本人の手で極東国際軍事裁判が行われていたら、ルメイは間違いなく絞首刑である。

 

ルメイなる不倶戴天の敵に勲章を与えただけではなく、東亜解放に貢献した日本の軍民に対する顕彰も行わず、いわゆる「日本の戦争犯罪」なるものを犬のように嗅ぎまわって探し出し、責め立てるというのが戦後日本の欺瞞的「反戦平和」勢力、亡国野党・メディアである。

 

かかることが行われている限り、日本は今日の外交戦、国難に勝つことはできない。そして東アジアは共産支那の支配下に入る。共産党と手を結んで政権を奪取しようという立憲民主党という野党の跳梁跋扈を許してはならない。その為には、自民党の根本的反省が必要である。

 

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2020年8月15日 (土)

千駄木庵日乗八月十五日

午前は、近親者来宅。室内清掃。


午後は、在宅して、書状執筆、資料整理など。

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2020年8月14日 (金)

和歌の復興と維新


日本人の思想精神を正確に自己のものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むことによって可能となる。

佳人にして作家の中河与一氏は「和歌が国風(四宮註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した。」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗八月十四日

午前は、諸事。

昼は、若き友人と懇談。京都旅行・京都御所拝観の話などを聞く。

その後は、原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

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第105回日本の心を学ぶ会


第105回日本の心を学ぶ会

テーマ 共産主義の脅威を考える

香港のメディア関係者が逮捕されたことについてアメリカの大統領補佐官は強く中国を非難し国家安全維持法の撤廃を求めました。
香港の自由と民主主義についての懸念は世界に広がっており、台湾やオーストラリアなどはアメリカと足並みをそろえて中国と対抗する姿勢をしめしております。
まるで新しい冷戦が香港を最前線として始まったように見えます。
 国内では日本共産党は綱領を改定し、マルクスレーニン主義特有の用語や国民が警戒心を持つような表現を削除変更ましたが、統一戦線戦術や二段階革命など基本路線に誤りはないとし、今後もこれらの基本路線を堅持すると見られております。
 選挙のたびに野党に共闘を呼びかける野党連合政権構想はこのような政権奪取のための統一戦線戦術にほかなりません。
日本共産党は結党100周年に当たる2022年までに野党連合政権の樹立を目指すとしております。この野党連合政権樹立が二段階革命の第一段階であることはいうまでもありません。
 共産主義の脅威は過去のものではなく、現在進行形の脅威として東アジアに拡大しつつであるといえるでしょう。
今回の勉強会では共産主義の脅威について考えてみたいと思います。


(今回の勉強会はオンライン放送を予定しております。詳しくは代表Twitter 、https://mobile.twitter.com/watanabegayou 、日本の心を学ぶ会HP、http://nihonokokoro.blog21.fc2.com/をご確認下さい。)

(今回の勉強会の会場は大原地域活動センターです。お間違えないようご注意ください)

【日 時】令和2年8月30日 午後6時から

【場 所】大原地域活動センター 多目的室C

【所在地】文京区千石1丁目4番3号

【最寄り駅】三田線千石駅( A2口から 徒歩 8分)/丸の内線茗荷谷駅(1番口から徒歩14分)

【演 題】『日本共産党志位和夫の國體観の根本的誤り』

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は、主催者が作成しました。

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千駄木庵日乗八月十三日

午前は、病院に赴き、検査及び診察を受ける。

午後からは、原稿執筆。

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2020年8月12日 (水)

共産支那は日本にとって最も危険な敵性国家である。

共産支那=中華人民共和国こそ、世界最大最悪の軍国主義国家であり、侵略国家であり、独裁国家である。日本にとって最も危険な敵性国家である。

全世界中で新型コロナウイルスへの対応が続くなか、「共産支那政府による治安維持のための『機関』を香港に設置できる、国家の安全に深刻な危害を及ぼす行為や外国勢力が香港に関与する活動を抑制し処罰する」という「法律」なるものが火事場泥棒的に制定された。

これで一国二制度は完全に崩壊し、香港は支那共産政府の独裁専制政治の下に置かれる事となり市民の自由も民主体制の完全に奪われる。そしていよいよ共産支那は独裁専制政治を実行にうつした。

共産支那=中華人民共和国こそ、世界最大最悪の軍国主義国家であり、侵略国家であり、独裁国家であ.

これまでチベット・東トルキスタン・ベトナムなどを侵略してきた国、そして今日アジア全域において軍事的覇権を確立しようとしている国が共産支那なのである。

偏向マスコミや社民・共産両党・立憲民主党そして自民党親中派は、こうした実態を知っているくせに、共産支那を厳しく批判しない。そして、わが國政府の防衛力整備を非難している。なんとも許し難い。

「中華」を名乗っている支那大陸の政権は、有史以来、帝国主義的侵略支配を意図してきた政権である。

 支那共産政府の現在の領土の六三%は一九四九年まで支那人以外の人々の領土だった。サッチャー元英国首相はかつて「大英帝國も大日本帝國もなくなったが、中華帝國は残っている」と言った。その支那共産政府がわが国を侵略国家・軍国主義国家呼ばわりするのは、文字通り盗人猛々しいというほかはない。

「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。こうした論議が全く間違っていたことが、近年明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。

「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

南北朝鮮や共産支那に経済協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。また軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、何が何でも共産支那の侵略から祖国を守る体制を確立せねばならない。無法国家・侵略者から祖国を守らねばならない。

現実に尖閣への武力侵略が実行されようとしているのである。それでも共産支那を厳しく非難し、祖国防衛体制確立に消極的な人々の心事をわたしは理解することはできない。

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千駄木庵日乗八月十二日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

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2020年8月11日 (火)

中華帝国主義国家=共産支那そしてその独裁者、醜悪なる首領・習近平を叩き潰すべきである。

香港における大弾圧で本性が剥き出しになった支那中国に対して、わが日本は徹底的に戦うべきである。中華帝国主義国家=共産支那そしてその独裁者、醜悪なる首領・習近平を叩き潰すべきである。

共産支那は、わが國に対して恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えている。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれている。日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家であることが明白となっている。

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。これまで長い間「日中友好」を叫んできた日本国内の親共産支那勢力の罪は実に大きい。

共産支那は、わが国に対して「侵略国家だ」と非難するが、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国以来今日までは、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。そしてベトナム・韓国に対しても武力侵攻を行った。

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」などである。

共産支那は、「改革開放路線」と共に、「富国強兵」路線をとり、軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)

支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。「反国家分裂法」の制定はその準備工作である。

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾を侵略し、「内政干渉する日本を懲罰する」とか言って、わが国に対して軍事侵攻を行う危険性がある。

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど悪質な軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほど平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那にはわが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。

日本などの支那周辺諸国にとって、中華帝国主義は最大の脅威である。支那は絶対に自分の非をみとめない国家であり民族である。

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させている。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は「中華帝国主義」の圧迫と脅威にさらされているのである。

「中華思想」とは、漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人であるというとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)をもって律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

「中華帝国主義」の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

「中華帝国主義」の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、支配体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

問題の根本は、わが国の軟弱さである。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢であるべきだ。

共産支那の反日策謀は、共産支那政府の国家戦略に基づいて行なわれている。その第一の目的は、共産支那がアジアの覇者となるために日本を押さえこむこと、第二の目的は、共産党一党独裁体制維持のために民衆の不満を外に向けさせること、である。

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。前述した通りこれまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

今こそ、日本民族のナショナリズムを興起せしめねばならない。共産支那や南北朝鮮と戦争することを期待しているのではない。祖国日本の独立と自由の死守を叫んでいるのである。

巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか、国家の独立と自由と繁栄を守るか、という二者択一の選択が、わが国民に迫られている。「中華帝国主義」こそ二十一世紀の日本及びアジアの最大の脅威である。

「中華帝国主義」の侵略を粉砕するための同盟国家アメリカとの軍事協力強化に反対し執拗に妨害する亡国野党・偏向メディアは、意図するとしいないとに関わらず、「中華帝国主義」の手先である。

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千駄木庵日乗八月十一日

午前は親族来宅。室内清掃。

午後からは、『政治文化情報』原稿執筆など。

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吉村寅太郎烈士の辞世について

幕末の文久三年(一八六三)、三条實美、姉小路公知などの少壮公家と、真木和泉守、平野國臣、桂小五郎、久坂玄瑞など尊攘派の志士たちが連携して、「大和行幸・攘夷御親征」の計画が立てられた。長州藩も協力の姿勢をとった。これは、孝明天皇が神武天皇陵に御幸されて攘夷御親征を祈願され、軍議を勅裁せられ、さらに伊勢皇大神宮に御親拝され、徳川幕府を打倒し、王政復古を一気に實現しやうするといふ計画である。

八月十三日、孝明天皇より攘夷親征のための「大和行幸の詔」が下った。これに呼応し、その先駆となるべく、明治天皇の前侍従中山忠光卿を主将として、藤本鉄石、松本奎堂、吉村寅太郎ら三士を総裁とする「天誅組」が結成された。河内国の村役人らの参加を得て大和国で挙兵した。五条の幕府代官所を襲撃し、近隣の幕府領を朝廷領とし、年貢半減を布告した。

 しかし、「大和行幸・攘夷御親征」には在京諸藩主に反対多く、会津・薩摩両藩間で尊攘派排撃の密議がなされ、八月十八日未明、「大和行幸の詔」は孝明天皇の御本意ではなかったとして、大和行幸の延期を決定した。これにより、天誅組は幕軍の追討を受けることとなった。

天誅組は、吉野山間を転戦し、同年九月二十四日から二十七日東吉野村にて三総裁以下十五志士が戦死した。ここ鷲家は、大和義擧最後の決戦が行はれた地である。

「天誅組終焉之地」の石碑の背後、鷲家川を渡った崖下に「天誅組総裁吉村寅太郎之墓」が建てられてゐた。美しい大自然の中で、地元の人々によって手厚く慰霊の誠が捧げられてゐる。

吉村寅太郎烈士は、天保八年(一八三七)生まれの土佐藩士。高取城攻略の戦ひで弾丸を脇腹に受けたが屈せず、中山忠光主将以下の安否を気づかひ、東吉野村木津川より山を越えてこの地までたどり着いたが、文久三年九月二十七日、幕府方藤堂勢藩士に囲まれ彼等の銃弾によって二十七歳で最後を遂げた。

 「天誅組総裁 吉村寅太郎 遺詠
吉野山風にみだるるもみぢ葉は 我が打つ太刀の血煙と見よ」

と刻まれた吉村寅太郎の辞世碑が建てられてゐる。凄惨なる
戦ひが行はれた頃、このあたりの山々は見事に紅葉してゐた
のであらう。

吉村寅太郎烈士の土佐藩脱藩の際、母上が贈った歌が、

「四方に名を揚げつつ帰れ 帰らずば おくれざりしと母
に知らせよ」

である。寅太郎烈士は母上の望み通り、遅れをとらず立派に
最期を遂げたのである。まさに「この母にしてこの子あり」
を實感させるところの歴史にのこる歌である。

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2020年8月10日 (月)

千駄木庵日乗八月十日

午前は、諸事。

午後は、「政治文化情報]原稿執筆など。

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2020年8月 9日 (日)

第二次大戦の最大侵略國はロシア・ソ連であった

第二次世界大戦の結果、最も利益を獲得したのはソ連である。アジアにおいてもヨーロッパにおいてもソ連は、その勢力範囲を飛躍的に拡大した。ソ連を護りソ連の國家戦略に協力するための謀略をわが國において行なったのがリヒャルト・ゾルゲであり、尾崎秀實であり、朝日新聞である。 

ソ連は、わが國と締結してゐた『日ソ不可侵中立条約』を一方的に踏みにじり、日本及び満州に侵攻して来た國である。そして、多くの日本國民を殺戮し、強姦し、数十萬同胞をシベリアに拉致し、強制労働を課して十数萬人を殺した國である。且つ、南樺太全千島といふわが國固有の領土を奪った國である。

このやうな悪逆非道の國から、一九六四年に『ソ連邦英雄』の称号を与へられたゾルゲとその手先の尾崎を、われわれ日本國民は永遠に許してはならないのである。

尾崎の罪の深さはわが國においてソ連のためにスパイを行なったことだけではない。彼は、わが國を戦争へと追ひ込む謀略活動を行ひ、わが國を未曾有の敗戦に導いた要因を作った民族の裏切り者である。尾崎秀實は、近衛内閣嘱託といふ立場を利用して、わが國の世論や近衛内閣の政策決定に影響を与へ、支那事変・日米開戦を煽動し、わが國を敗戦へと導いた。

これは、レーニンの「社會主義の勝利にいたるまでの基本原則は資本主義國家間の矛盾対立を利用して、これら諸國を互ひにかみ合はすことである。」(一九二〇年十一月、モスクワ共産党細胞書記長會議)といふ戦略、そして一九三五年にモスクワで開催された『第七回コミンテルン大會』において決定された「米英と日独といふ資本主義國家同士を戦はせて、双方とも疲弊させ、ソ連への圧迫を排除して上で、米英を打倒してソ連の世界制覇を實現する」といふ戦略に基づくものであった。

さらに昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった決議は、米英仏日独といった『帝國主義列強』を互ひに対立させ、戦争に追ひ込め、といふ戦略指令であった。日本について言へば、①日本を米國との戦争へ追ひ込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、といふことが書かれてゐたといふ。

ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透を図って米國との対決路線に追ひ込み、また、マスコミにも、反米英を主軸とした排外主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米國内でも、ソ連の手先によって排日機運の盛り上げが工作されてゐた。

ソルゲと尾崎などのコミンテルンのエージェントたちは、当時わが國内で澎湃と湧き起こって来てゐた「國家革新」「東亜解放」といふ正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦ふよりも「米英を撃つべし」といふ世論を煽った。『革命の祖國・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。その協力者が、第一次近衛内閣の書記官長・風見章であった。風見章は戦後何と左派社会党の国会議員になった。そして「日ソ友好」に狂奔した。彼は革新的共産主義者だったのである。この点で近衛文麿の責任は實に大きい。

わが國と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったことは今日明らかになってゐる。張作霖爆殺事件もその真の下手人はソ連であるといふ説がある。

かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなり、日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は完全に成功したのである。そしてソ連は大戦終了後、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても即ちユーラシア大陸において大幅に領土と勢力圏を拡大したのである。第二次大戦の最大侵略國はロシア・ソ連であった。

今日においても、侵略国家ロシア、共産支那の手先になってわが国内で蠢動してゐる協力者が存在する。

ともかく昭和二十年八月九日は、旧ソ連即ち今日のロシアによる侵略か開始された日である。そして南樺太全千島が奪われ、多くの日本人同胞が殺戮された。さらに支那大陸・北朝鮮の共産化し、その惨禍は今日唯今に及んでいるのである。このことを我々日本人は永遠に忘れてはならない。

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千駄木庵日乗八月九日

午前は、諸事。

午後からは、書状執筆、原稿執筆など。


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日本國體を破壊して共産党が政権を掌握した時こそ、日本国が専制独裁国家になってしまうのである。

志位和夫日本共産党委員長は、「(天皇の制度・注)は、何よりも『世襲』にもとづく制度であり、それ自体が人間の間に差別や身分的秩序をつくりだす制度であるという点で、『民主主義および人間平等の原則』と両立するものではありません」(令和元年六月発行『天皇の制度と日本共産党の立場』)と語っている。


日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。それは「綱領」を読めばそれは明らかである。「綱領」には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、共産党の言う「天皇の制度」を否定した「共産主義憲法」を制定する。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。

しかし、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。このことはソ連・共産支那・北朝鮮を見れば火を見るよりも明らかなことである。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。これは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。「君主制打倒」「天皇制廃止」こそ、日本共産党の基本姿勢なのである。

日本共産党は、今日においても、天皇を君主と仰ぐ日本國體の破壊を目指してゐる。それは日本共産党の指導者・不破哲三が、「私たちは、目標としては民主主義の精神、人間の平等の精神に立って、天皇制をなくす立場に立ちます。これをどうして實現するかといえば、主権者である國民の多数意見が、その方向で熟したときに、國民の総意で解決する、ということです。これが、天皇制の問題を解決してゆく、道理ある方法だと考えて、今度の綱領に明記したわけであります」「日本の國の制度、政治の制度の問題としては、一人の個人が『日本國民統合』の象徴になるとか、あるいは一つの家族がその役割をするとか、こういう仕組みは民主主義にもあわないし、人間の平等の原則にもあわないと考えています。ですから将来の日本の方向として、どういう制度をとるべきかということをいえば、天皇制のない民主共和制をめざすべきだというのが日本共産党の方針であって、この点に変わりはありません」(平成十六年の日本共産党創立八十一周年記念講演)と述べていることによって明白である。

日本共産党の「綱領」にも、「(象徴天皇制は・注)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に國民の総意によって解決される」と書かれている。

つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまではできない」といふ当然至極のことを言ったまでのことである。日本共産党は情勢が熟したら、天皇を君主と仰ぐ建國以来の日本國體を破壊することを目指す政党である。この事には何に変はりはない。「解決」などと言ふ欺瞞的な言葉を使ってゐるが、「廃止する」「打倒する」といふことである。共産党は権力を掌握したら、いはゆる「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。

それは、「綱領」の「前文」に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『國民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…國民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の實現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張してゐることによって明らかだ。

志位和夫は、「綱領がのべているように、現制度は何よりも『世襲』にもとづく制度であり、それ自体が人間の間に差別や身分的秩序をつくりだす制度であるという点で、『民主主義および人間平等の原則』と両立するものではありません」と語っている。

権力者の世襲、厳しい国民の間の差別及び身分的秩序を基本とした独裁専制政治が行われ、多くの国民が苦しみに喘いでいるのは、北朝鮮・共産支那などの共産国家である。この事実を志位は全く無視している。

天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊して共産党が政権を掌握した時こそ、日本国が専制独裁国家になってしまうのである。

『日本共産党』の「綱領」には次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきている。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民は差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのである。

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2020年8月 8日 (土)

千駄木庵日乗八月八日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

 

午後からは、『政治文化情報』原稿執筆など。

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『現行占領憲法』は、万邦無比の日本國體を隠蔽しているどころか、日本國體破壊の元凶である

日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、政体上の「機関」ではない。また成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。

『現行占領憲法』は、西洋法思想に基づき、前文で「主權が國民にあることを宣言し」、第一条で「(天皇の・注)地位は、主權の存する日本國民の総意に基づく」と規定している。これを根拠にして日本は君主國家ではないとする意見が出て来る。こういう議論が起こるところに『現行憲法』の重大欠陥がある。憲法改正であろうと自主憲法制定であろうと、『現行占領憲法』の「國民主權」論を踏襲するのでは意味がない

『現行占領憲法』は、万邦無比の日本國體を隠蔽しているどころか、日本國體破壊の元凶なのである。一日も早くこのような亡國憲法は全面否定されなければならない。

「現行憲法」第一条の、「(天皇の地位は・注)主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定は、主權在民論・契約國家思想・權力國家思想に要約される西洋法思想に基づく規定である。西洋法思想における「主權」とは「領土や國民を支配する國家の權力」「國家として持つ最高獨立性」のことであり、憲法上最も重要な意味は「國家の意思を最終的に決定する權力」であるとされている(伊藤正己著『注釈憲法』)。

その西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定するのは重大なる國體隠蔽である。

特に、「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを論議することは日本の傳統的な考え方・國體觀とは全く異質である。

わざわざこのような政体としての権力機構に関する規定を、祭祀国家・信仰共同体であるわが國の國體条項に書くこと自体が大いなる國體隠蔽なのである。この一点を以てしても、「現行占領憲法」はまさしく日本の傳統を破壊する憲法である。

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千駄木庵日乗八月七日

午前は諸事。

午後からは、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2020年8月 6日 (木)

安倍・小池両氏を激励しましょう。

今日わが日本は文字通り内憂外患の国難の真っただ中にある。こういう時こそ、国政の最高責任者、首都東京の政治の最高責任者は、その任務を正しく強力に実行してもらいたい。

ところが安倍総理が、7月6日に首相執務室で吐血したという情報が走った。本当か嘘か全くわからない。しかし、今日のニュースを見ると、安倍総理は極めて元気そうに記者会見していた。ほっとした。

私は安倍氏には批判すべき点が多いとは思っているが、与野党を問わず今の政治家の中で、もっともまともな真正保守に近い思想を持っている人ではないか思っている。どうか元気に頑張ってもらいたい。

小池百合子さんは、保守の立場に立つまともな人々からも厳しい批判の声があるけれども、この度の李登輝元台湾総統の死去に際して、私も全く知らなかった小池氏と李登輝氏との深い絆が明らかになった。日本と台湾で大きな自然災害が起った時も、お互いに助け合ったという。素晴らしいことと思う。

ご異論はあるかと思うが、こうした国難の時には、私は安倍・小池両氏を支持し激励したいと思う。

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千駄木庵日乗八月六日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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2020年8月 5日 (水)

「國民主権論」はわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口

「國民主権論」はわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口

 

 『日本國憲法』と称する『現行占領憲法』の<三原理>とは、「國民主権主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」である。

 

 嘘と欺瞞に満ちた『現行憲法』の「前文」には「日本國民は、正当に選挙された代表者を通じて行動し、……ここに主権が國民にあることを宣言し…そもそも國政は、國民の厳粛な信託によるものであって、その権威は國民に由来し、その権力は國民のこれを代表者が行使し、その福利は國民がこれを享受する」と書かかれている。「國民の厳粛な信託」などというものが一体何処にあるのであろうか。

 

 『現行憲法』でいう「國民主権主義」の「主権」とは、「國家意思を最終的に決定する権限」を言う。主權在民論・契約國家思想・權力國家思想に要約される西洋法思想に基づく規定である。西洋法思想における「主權」とは「領土や國民を支配する國家の權力」「國家として持つ最高獨立性」のことであり、憲法上最も重要な意味は「國家の意思を最終的に決定する權力」であるとされている(伊藤正己著『注釈憲法』)。

 

 『現行占領憲法』の「國民主権主義」は、「戦前の我が國は天皇主権の國であり、天皇制権力のもとに軍國主義國家となり國民の権利は奪われ戦争に駆り立てられた」という思想に基づくものである。

 

しかしこれは全く誤れる思想である。我が國の歴史には、天皇が主権=國家の最高権力を独占的に掌握し独裁専制政治を行っていたなどということは全くない。『大日本帝國憲法』にも、「天皇に主権がある」とは全く書かれていない。
 
我が國は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体である。西洋國家論で言うところの契約國家・権力國家ではない。我が國は君民一体の國柄である。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合ったという歴史は全くない。

 

「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同体國家日本には全くそぐわない。天皇を中心とした信仰共同體である日本國は、権力支配組織ではない。だからわが國には西洋的主権論はあてはまらない。
 
西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定すること自體、大きな誤りであり國體を隠蔽し破壊につながる。
 
今日の多くの憲法学者やマスコミは「國民主権論」をわが國の國家伝統の破壊、共和制革命への突破口としようと躍起になっている。それが一般國民の常識となって浸透していることは実に以て根本的な非常識であり、國家存立の基礎を揺るがす凶事である。

 

「現行占領憲法」は、万邦無比の日本國體を隠蔽しているどころか、國體破壊の元凶なのである。天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体國家日本の成文憲法に「國民主権」を記す必要は全くない。

 

 日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主とする信仰共同體である。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古来からの國體思想である。

 

 國家を単なる権力機関として見ると、國家の神聖性・道義性が隠蔽され、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、さらには天皇皇室でさえ、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、国家が國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。

 

 今日においてさらに重大な問題は、日本國天皇の祭祀という共同體國家日本の存立の基本である<天皇の祭祀>が、憲法の制約下に置かれるようになっていることである。

 

 憲法に、日本の國柄に反し天皇の御本質を正しく表現していない「天皇条項」があるから、日本は安定を欠いているのである。天皇中心の日本國體を正しく成文化すべきである。それためには、天皇が日本の「君主」「統治者」であらせられることを明確に規定するべきである。

 

 日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている「現行憲法」が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。

 

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千駄木庵日乗八月五日

午前は、諸事。

午後は、資料整理。原稿執筆など。

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2020年8月 4日 (火)

この頃詠みし歌

 

 

我もまた憎しみ持てば十倍返しとかいふテレビの台詞親しも

 

駒込神明宮といふ地名の場所は山奥の景色なりけり「鬼平犯科帳」

 

七十三年生きて来たれる街こそがわが故郷と思ひ喜ぶ

 

人類の進歩と調和といふ言葉何か空しく蘇えり来る

 

朝の空久方ぶりに太陽が照りつけるベランダで深呼吸する

 

嫌な奴の怒声が電話より聞こえ来るわが声も相手が聴けば同じ怒声なるらん

 

若き店員がきびきびと働く肉屋さんで少し高めの肉を買ひたり

 

一日に二本の原稿を書き終へて一人静かに夜を過ごせり

 

梅雨が明けし夜空に浮かぶ満月が煌々として冴えかえるなり

 

満月は昔のままの光放ちつつコロナウイルス猖獗の都の空に浮かべり

 

きらびやかに光を放つスカイツリーの真横に昔ながらの満月浮かぶ

 

朱色なる満月がスカイツリーのすぐ横にどっしりと浮かぶ梅雨明けの夜

 

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第三十六号

今月発売

 

たちばな出版発行 四宮正貴責任編集
オピニオン雑誌『傳統と革新』第三十五号
 定価 本體価格1000円+税。 168頁                  
168〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 

36-3

 

 

 

 

 

 

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千駄木庵日乗八月四日

午前は、諸事。

親族来宅。室内清掃。

午後からは、資料整理など。

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伝統と革新第三十六号 今月末に発売

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2020年8月 3日 (月)

亡国勢力を駆逐することが必要である。

森田康之助先生(故人。文学博士・国学院大教授)は、「歴史を見る目は即ち将来を見通す目であり、歴史とは未来記に他ならない」(『伴信友の思想』)と言はれた。日本近代史に対する正しい認識が、現在及び将来の日本を決定づける大きな要素になる。何時までも自虐史観にとりつかれてゐると、日本は亡国の道を歩む。すでに歩み続けてゐると言っていい。

自虐史観を払拭することは、決して無反省でいいといふことではない。私は、明治以後の日本が良いことしかしなかったとは思はない。また戦前の日本が理想的な国だったとも思はない。もしさうだったとしたら、昭和維新運動は起こらなかったであらう。近代化によって、西洋覇道精神が日本国に浸潤したことも事實である。そのことの反省はもちろん必要である。

しかし、日本国が、西欧列強の侵略に抗して自国の独立を護るために、西洋化・近代化を推進し富国強兵を図った。そのことによって国内的にも対外関係においても様々な矛盾が生じた。しかし、「日本だけが悪かった、日本は悪いことしかしなかった」といふ歴史認識は根本的に改めなければならない。

渡部昇一氏は次のやうに論じてゐる。「十九世紀末から二十世紀前半の国際社会は、『侵略は是』とされた時代であった。この時代の思想を簡潔に表現するならば、『弱肉強食』あるいは『適者生存』という言葉を使うのが、最もふさわしい。…欧米の植民地政策は、ダーウィニズムによって〝お墨付き〟をもらったようなものであった。何故なら、『優れた白人が有色人種を征服することは、自然の摂理なのだ』ということになったからである。…当時は、進化論を持ち出せば、何でも正当化できるという雰囲気が欧米社会に充満していのである。このような『弱肉強食』を是とする国際社会の中で、日本がその生存と独立を維持しようとすれば、同じように弱肉強食の論理に従わざるを得なかった。」(『かくて昭和史は甦る』)と。

東條英機元総理は、「東京国際軍事裁判」に於けるキーナン検事の尋問に答へて、「この裁判の事件は、昭和三年来の事柄に限って審査しているが、三百年以来少なくとも阿片戦争までさかのぼって調査されたら、事件の原因結果がよく分かると思う。」と述べた。欧米列強の数百年間にわたる東亜侵略の歴史を踏まへて、大東亜戦争は論じられ、評価されなければならない。大東亜戦争は、数百年来の西欧列強・白色人種国家の東亜侵略に対する正義の抵抗であったのだ。

『極東国際軍事裁判(東京裁判)』を創設したマッカーサーですら、一九五一年五月、米上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、「日本が第二次大戦に赴いた目的はその殆どが自国の安全保障のためであった」と『東京国際軍事裁判』の訴因を全く覆す証言を行ひ、大東亜戦争は日本の侵略ではなかったと述べた。

『極東国際軍事裁判』の裁判長を勤めたウエップもバーガミニーといふ人の著書の序文で、「米国も英国も日本が一九四一年に置かれたような状況に置かれれば、戦争に訴えたかもしれない」と書いてゐるといふ。

歴史問題は、真摯に冷静に考究されなければならない。ところが現状はさうなってゐないことが問題なのである。近隣諸国、つまり共産支那や南北朝鮮は、歴史問題をわが國に対する外交的圧迫、攻勢、脅迫の手段にしてゐる。

のみならず、国内の反日的な政治家・メディア・学者文化人は、近隣諸国に対してわが国への内政干渉を煽動し、近隣諸国のわが国への外圧=内政干渉を利用して、わが国の尊厳性・誇りそして日本民族の国民的自覚を喪失せしめ、窮極的には、天皇中心の日本國家の崩壊を目論んでゐる。かかる亡国勢力を駆逐することが必要である。

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千駄木庵日乗八月三日

午前は、諸事。

午後からは、原稿執筆・脱稿送付。資料整理など。

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日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

戦後日本は「人命尊重」「人権擁護」「平和」ということを絶対的価値、最高の目標としてきた。それは「現行占領憲法」の基本原理となっている。しかし、戦後七十数年を経過して、人権が侵害され、人命が軽視され、国民の平和が侵される残虐無比の事件が日常茶飯事になるというまったく逆の結果を生み出している。人権擁護とか人命尊重とか平和などということがいくら麗々しく憲法の原理として書かれていても、それは空念仏にすぎなかったのである。

 

むしろそういう原理に基づく戦後教育は、自分さえよければいいという精神を養い、他人や国のために尽くす、親に孝養を尽くすという人倫の根本を忘却せしめたのである。そして、己の権利のみを主張する精神が横溢したことが今日の日本を作り出したと言える。「現行占領憲法」に象徴される戦後精神というものを徹底的に払い清めなければならない。

 

「共産支那」はまともな國ではない。共産支那は、民主国家でも近代国家でもない。まさに前近代的な専制独裁国家である。このやうな国にこれまで日本は一生懸命経済技術援助を行ひ、且つ、歴史問題で謝罪し続けてきたのである。あまりにも愚かだったといふべきである。

 

『日中国交回復』の時、日本国民の多くは「北京の空は青かった」などに浮かれていたが、いまや公害で青空どころではない。支那大陸からの酸性雨は、日本に悪影響を及ぼしている。否、共産支那の存在自体がわが国にとってとてつもなく大きな「公害」である。

 

「日中友好」に狂奔した政治家、経済人の責任は重大である。経済界には、共産支那の悪辣さがこれほどまでに明白になったにもかかはらず、支那で金儲けをしたい一心で、共産支那に媚を売る連中がいる。政界にもまだ支那に媚を売り、支那の手先のやうなことをしてゐる政治家がいる。全くどうかしている。まさに売国奴である。

 

自虐史観とはいかなる定義であろうか。私の考えでは、自虐史観とは、「米英支蘇」は善人であり悪いことは何もしなかった、日本は悪人であり悪い事しかしなかったといふ史観であると思う。別の言い方をすれば、欧米列強の切り取り強盗し放題は許されるが、日本がやったことは防衛と自存の為の戦いであっても侵略と見なすという史観である。これは「極東国際軍事裁判」という名の戦勝国によるわが国に対する軍事的報復における一方的断罪の理由付けとなった。従って「東京裁判史観」とも言うのである。

 

近代日本の歩み、とりわけ、明治維新から大東亜戦争敗戦までの歴史について、いかに考えるかが、今日の日本にとってきはめて重要な問題である事は言うまでもない。日本人は、「自虐史観」「東京裁判史観」と一日も早く訣別しなければならない。

 

安倍総理は最近、戦後レジームからの脱却と言わなくなった。安倍晋三氏は、総理大臣として正々堂々靖国神社に参拝しなくなった。総理が正しい姿勢を見せてこそ、外交問題が正しく解決するのである。

 

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千駄木庵日乗八月二日

午前は、諸事。

午後からは、室内清掃。原稿執筆。

午後六時より、団子坂にて、親族と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2020年8月 1日 (土)

宮澤憲法学が國體隠蔽の元凶である


 祭祀国家日本の祭り主であらせられる日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主なのであるから、国民と相対立するご存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめるご存在ではない。国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇であらせられる。つまり天皇と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本国体」というのである。このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。

ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を君主と仰ぐ共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 そして今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家の君主と仰ぎ、国家と民族の統合統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇である。

天皇国日本の「成文憲法」は、こうした日本國體の本義に基いて制定されなければならない。西洋権力国家において生れた「国民主権論」は排除されなければならない。

ところが、今日の政治家(保守を含む)、官僚には、日本の伝統と全く相容れない原理で成り立っている『現行占領憲法』によって日本國體の本義、國體精神よりも隠蔽することに躍起になっている。

日本の官僚は、東京大学法学部出身者が主流を占めている。そして東大法学部は、宮澤俊義という敗戦後戦勝国によって押し付けられた『占領憲法』を金科玉条にしている学者の学説に支配されている。これが今日の我国の憲法問題をおかしくしている元凶である。

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千駄木庵日乗八月一日

午前は、諸事。

近親者来宅。室内清掃。書状執筆。原稿執筆など。

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