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2020年7月11日 (土)

日本伝統信仰の他界観


日本人にとって他界とは、高天原とか、海神(わたつみ)の神の宮(竜宮)とか、黄泉の国です。熊野の海の彼方が他界の入り口と信じたのです。海も空も「アマ」と読み、両方とも他界のことで、海の彼方に他界があるというのは水平思考です。

天上に他界があるというのは垂直思考です。

日本には両方あって、天照大神のご命令で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から地上に天降って来るのは、理想郷が天にあると信じたからです。海の彼方にも理想郷があると信じ「海神(わだつみ)信仰」「龍宮信仰」が生まれました。その水平思考が仏教と融合して西方極楽浄土思想が受け容れられました。

大和朝廷のある大和盆地から東へ向かうと伊勢になる。その日の出る方向に天照大神をお祀りしたのが伊勢神宮です。垂直思考は北から、水平思考は南から来たというのが定説になっています。

『萬葉集』に「東歌」があります。東国地方の庶民か詠んだ歌です。今日のわれわれの観念からすると東国は関東以東ですが、古代日本では鈴鹿山脈よりも東が東国というのが定説なのです。岐阜、静岡、長野も東国でした。

「吾妻」の語源は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の物語に由来しています。日本武尊が船で浦賀水道を渡ろうとしたとき嵐になって弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐を静めた。その後、碓井峠にさしかかった日本武尊は東南の方角の浦賀水道を眺めながら、弟橘媛を恋しがられて「吾嬬(あづま)はや」(わが妻よ)、と呼びかけられた。これが「吾妻」の語源なのです。

小生が居住する文京区にも日本武尊の遺跡が多いのです。湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がありますし、根津に鎮座する根津神社は須佐之男命お祀りするために日本武尊が創始したと伝えられます。

駒込という地名も日本武尊が辺りを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来する。馬がいっぱいいるという地名伝説です。

近代化が行き詰まって、昔ながらのものに回帰していくことが、人々の心に安らぎを与えています。生命尊重、自然保護、公害追放と言っても、政治には限界があります。生けとし生けるものが神の現れであるという、古代からの信仰に回帰することが大切です。日本仏教は、「山川草木国土悉皆成仏」「草木成仏」の思想があります。これは仏教と日本古代信仰が融合して生まれた思想であります。

『記紀』や『萬葉集』を学び、全国の古い神社仏閣に参拝し、且つ、その風土に親しむことは実に大切であり意義あることです。


死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」であります。従って人が死んだことを「他界した」というのです。それは平安時代の歌人・在原業平が

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

と詠んでいる通りです。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのであります。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということです。

それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに)の神話を拝すれば明らかです。 

日本人は基本的に、人間は、肉体は滅びても魂はあの世で生き続けるという信仰を持っています。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになりました。

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていました。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じました。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられました。
 
すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれました。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのであります。

春秋二回のお彼岸は今日、仏教行事のように思われていますが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事なのであります。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきたのです。「彼岸」とは向こう岸という意味であり、日本人の他界(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)観念とつながるのです。

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