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2020年7月12日 (日)

日本民族の光明精神

日本の神々は、特に神代の神々は明るく大らかで神罰を与へることはない。またその後の時代に出現された神々の中に、人間を祟る神がをられたが。それらの神々も、祭る側の神祭り・鎮魂などによって、國土・人間を護る神々に変貌される。三輪山の大物主神、全國の天満宮の御祭神・菅原道真、神田明神に祀れてゐる平将門などはさうした神々であられる。

人間は神の分霊であって原罪などといふものを背負ってはおらず、罪を犯し魂と心が汚れてゐても、禊祓を行ひ、神を祀り、神に祈れば浄められるといふのが、日本伝統信仰・日本神道の信仰であると私は理解してゐる。

日本の伝統信仰が基本的に清らかで明るく楽しく大らかであることは、天岩戸神話に明らかである。天照大神の御出現を仰ぐと、そのみ光りは六合に照りわたり、もろもろの神たちの喜びは天地どよもすほどであったといふ。

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい難行苦行ではない。明るく楽しく清らかな行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に見られる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふ言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

日本人は本来厭世的でもなければ逃避的でもない。それが日本人の國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐる。戦後復興もかうした日本人の心のあり方によって成し遂げられたと思ふ、

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。だから禊祓ひは神道の重要行事なのであらう。

面白く楽しく清らかな行事が「まつり」なのである。ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。

出雲井昌氏は、「『古事記・神代』を繰り返し読んで驚きました。…古代日本人が発見した神、信じていた神々は、どこまでも明るい神々でした。その代表格が天照大神、太陽神です。…悠久の昔から未来永劫に大宇宙を照らし続けて、恵みを与えて下さいます。一点の曇りも無いお日様です。あいつは悪人だから照らしてやらないとは申されません。…『天岩戸』のお話では、天照様は天にのぼってきた須佐之男様が、ひどい悪さを働いた時でも、少しも咎めずに〝天の岩戸〟に入られて、全ての罪はみずから出たことと、ひたすらご自身を省みられました。…『日本神話』に出てくる神々は、天之御中主神から伊邪那岐神、伊邪那美神、大國主神、少名毗古那神、八百万、神々すべて、神罰を与える神は、ただの一柱もおられません」(『日本神話の知恵』)と論じてをられる。

日本人は、如何に世が乱れ、悪が栄えてゐても、必ず光明と平和の世が蘇へると信じて来たし、また現実の歴史もさうなった。また如何なる罪穢も禊祓により浄められると信じてきた。神代の神話も、善悪美醜が生ずるが、やがては一切善・美に還る。悪は善に、醜は美に勝つことはない。これはわが國の神話の精神、日本伝統信仰の基本であると共に、歴史的真実である。日本傳統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現實に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動、そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食ひ止める大きな力となってゐる。

科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の君主であらせられる。これは世界に誇るべき日本國體の素晴らしさである。

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