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2020年7月28日 (火)

根津神社参拝記

本日午後、東都北鎮・根津神社に参拝しました。本来なら、六月末に参拝すべきだったのですが、体調の関係、コロナウイルス猖獗の関係で今日になってしまいました。

境内はとても静かで、小雨が降っておりましたためとても清々しい雰囲気でした。躑躅の花は散っていましたが、神社の樹木の緑はとても瑞々しく美しかった。

明治時代から千駄木に住んでいるわが家は根津神社の氏子であります。「由来書き」によると、根津神社の由緒は次の通りです。

「根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。

江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

御祭神は、須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主命・菅原道真公。

私は、全国各地を旅行し、神社仏閣などにお参りをしましたが、日本武尊にかかわる伝説は全国に数多くあります。また、須佐之男命を御祭神にしている神社がとても多いようです。

この二神は、英雄神であられるとともに、大変な苦難を経験した神であられます。また「やまと歌」を詠みになっておられます。

須佐之男命の 

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

という御歌は、わが国の短歌の発祥と言われております。
日本武尊は

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」

など多くのお歌を詠まれています。「剣魂歌心」という日本の道統を身を以て実行され体現された英雄神須佐之男命と日本武尊であられます。

古来、わが国民はこの二神に特別の親しみと仰慕の念を持っていたと思われます。日本武尊が千駄木の地に須佐之男命を祀られたのが根津神社の発祥であるという伝承もそのことを証ししています。

本日は、何組かの初老のご夫婦が、参拝に来ておられました。とても麗しい光景でした。

根津神社参拝を終えて、小生の好物であるとんかつを食しに、上野広小路近くのお店に行こうと思って電話をしますと、まだ午後四時半だというのに、もう何組かのお客さんが来ているとのことでした。このとんかつ屋さんのことはつい先日NHKの番組で約一時間ほど紹介されましたので、今日、お客さんが増えたのでしょう。なぜか政治家の方も良く来ます。

そこで別のとんかつ屋に行きました。上野は美味しいとんかつ屋が多く、その店はまだ空いていました。私はヒレよりもロースが好きです。

昔はぼん多、双葉、蓬莱屋が上野のとんかつ屋のご三家と言われていましたが、残念ながら私が一番好きだった双葉がなくなってしまいました。

講談家の宝井馬琴先生主催の会が本牧亭で開かれ時は、すぐ前にあった双葉のカツサンドが出ました。懐かしい思い出です。馬琴先生はなかなか過激な方で、「四宮君。いま日本に右翼はいるのかねえ」と聞かれましたので「います」と答えますと、「じゃあなんで田中角栄は生きているんだい」と言われました。昭和五十年代前半のお話しです。

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