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2020年7月31日 (金)

天皇は日本国の君主であらせられる

天皇は日本国の君主である。権力国家つまり政体としての国家機構・国家権力の頂点に立ち最高権力者たる君主ではない。わが國肇国以来の祭祀国家・信仰共同体としての国家即ち日本國體の祭祀主として君臨あそばされて来たといふ意味の君主である。


天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を服従せしめ私物化することではない。支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。

しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心である。簡単に言えば、支那においては、天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。この違いは支那と日本の国家の成り立ちとその後の歴史の違いによる。 

日本天皇は、『朕は国家なり』と言うような国家国民を私物化し支配する西洋的な絶対専制君主とも全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本国に君臨されているである。故に、天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままということである。さらに歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上した。

天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

天皇が日本伝統信仰的祭祀主として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が国家の中心にいまし、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切である。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

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千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、諸事。

午後は、在宅して、室内清掃・資料整理など。

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李登輝氏のご冥福を心より祈念します

李登輝台湾元総統が九十七歳で逝去された。心より哀悼の意を表します。何年か後、台湾が完全独立を達成したら、李登輝氏は「台湾独立の父」として顕彰されるであろう。

李登輝氏は、大正十二年(1923年)、日本統治下の台湾で生まれた。大東亜戦争中に台北高等学校を卒業し、京都帝国大学(現京都大学)農学部に進学した。そして、昭和十九年、学徒出陣により出征する。大阪師団に徴兵検査第一乙種合格で入隊し、台湾に一時帰って基礎訓練を終えた後日本に戻り、その後名古屋の高射砲部隊に陸軍少尉として配属され、終戦を名古屋で迎えた。

総統を退いてからは日本を計九回訪れている。一昨年年6月の沖縄訪問が最後になったという。来日時は日本語を使用した。生涯流暢な日本語を話し「21歳(昭和二十年)まで日本人だった」「難しいことは日本語で考える」と公言していたという。

ニュース番組で、東京到着する直前の飛行機の客席で、「やっとこさ日本に着いた」と言っておられるのを聞いた。完全なる日本語世代であられた。

こんなことを書いては失礼かもしれないが、李登輝氏は精神的には、日本人であられたと思う。戦後の台湾で、国民党の独裁恐怖政治と戦い、且、共産支那の侵略策謀と敢然と立ち向かった李登輝氏の精神的強靭さは、李登輝氏の「日本精神」によると思う。李登輝氏は新渡戸稲造を尊敬し、新渡戸の『武士道』に関する著書ものこされている。

李登輝氏のご冥福を心より祈念するとともに、台湾及び日本をお守りくださいと祈るものである。

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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2020年7月30日 (木)

この頃詠みし歌


旅行きし福井のことなど思ひ出し一人過ごせる雷の鳴る夜

雷鳴を好みし友は今宵また健やかにしも過ごしゐるらん

長州のアームストロング砲が東叡山を破壊しつくしていくさ終りたり

彦根藩と尾張藩が先駆けとなりて攻め来し上野戦争

美人女将の隣にご主人がゐますとも何か楽しき街の居酒屋

皇室を否定してやまと歌は無けれども皇室を否定してやまと歌詠む人多し

神代より皇室と共にやまと歌がありしを知らぬわけでもなからうに

我が二十歳代の恩師の殆どはすでのこれの世を去りたまひたり

萩谷朴関良一窪田章一郎の各先生の面影浮かび来るなり

青木生子先生に我が発表の司会をしていただきしははるかなる昔

参道の上の青空を仰ぎなば太陽は神の光の如く眩し(明治神宮)

日本人の心が強く燃えさかりし明治の御代への憧れ強し(同)

若き日に同じ歌会で共に学びたる人は九十歳にて身罷りたまふ(橋本喜典先生)

テレビ画面に映りゐる女性知事この人を嫌ふ人多きを驚く

若き友がわが前に座して語りゐる命のさきはへ我に与へよ

あと三十年は若返りたしといふ愚かなる願ひを言ひて友と酒酌む

八路軍と抗日パルチザン今もなほわが國に牙を向けてゐるなり

海越えて攻め来る敵を撃破してアジアと日本を守りぬくべし

日本は揺れ動くアジアで今何処に立つか明確に自覚すべし

雨に光る宮居の森を人影少なき夕暮時に歩むすがしさ(根津神社)

大きな樹木見上げて立てばわが命もどっしりと宮居の庭に立つなり(同)

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2020年7月29日 (水)

千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、諸事。


午後からは、在宅して、資料の整理。書状執筆、原稿執筆など。

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2020年7月28日 (火)

根津神社参拝記

本日午後、東都北鎮・根津神社に参拝しました。本来なら、六月末に参拝すべきだったのですが、体調の関係、コロナウイルス猖獗の関係で今日になってしまいました。

境内はとても静かで、小雨が降っておりましたためとても清々しい雰囲気でした。躑躅の花は散っていましたが、神社の樹木の緑はとても瑞々しく美しかった。

明治時代から千駄木に住んでいるわが家は根津神社の氏子であります。「由来書き」によると、根津神社の由緒は次の通りです。

「根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。

江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。

明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

御祭神は、須佐之男命・大山咋命・誉田別命・大国主命・菅原道真公。

私は、全国各地を旅行し、神社仏閣などにお参りをしましたが、日本武尊にかかわる伝説は全国に数多くあります。また、須佐之男命を御祭神にしている神社がとても多いようです。

この二神は、英雄神であられるとともに、大変な苦難を経験した神であられます。また「やまと歌」を詠みになっておられます。

須佐之男命の 

「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」

という御歌は、わが国の短歌の発祥と言われております。
日本武尊は

「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山こもれる 倭しうるわし」

など多くのお歌を詠まれています。「剣魂歌心」という日本の道統を身を以て実行され体現された英雄神須佐之男命と日本武尊であられます。

古来、わが国民はこの二神に特別の親しみと仰慕の念を持っていたと思われます。日本武尊が千駄木の地に須佐之男命を祀られたのが根津神社の発祥であるという伝承もそのことを証ししています。

本日は、何組かの初老のご夫婦が、参拝に来ておられました。とても麗しい光景でした。

根津神社参拝を終えて、小生の好物であるとんかつを食しに、上野広小路近くのお店に行こうと思って電話をしますと、まだ午後四時半だというのに、もう何組かのお客さんが来ているとのことでした。このとんかつ屋さんのことはつい先日NHKの番組で約一時間ほど紹介されましたので、今日、お客さんが増えたのでしょう。なぜか政治家の方も良く来ます。

そこで別のとんかつ屋に行きました。上野は美味しいとんかつ屋が多く、その店はまだ空いていました。私はヒレよりもロースが好きです。

昔はぼん多、双葉、蓬莱屋が上野のとんかつ屋のご三家と言われていましたが、残念ながら私が一番好きだった双葉がなくなってしまいました。

講談家の宝井馬琴先生主催の会が本牧亭で開かれ時は、すぐ前にあった双葉のカツサンドが出ました。懐かしい思い出です。馬琴先生はなかなか過激な方で、「四宮君。いま日本に右翼はいるのかねえ」と聞かれましたので「います」と答えますと、「じゃあなんで田中角栄は生きているんだい」と言われました。昭和五十年代前半のお話しです。

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後は、東都北鎮・根津神社参拝。

帰宅後は、書状執筆など。

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2020年7月27日 (月)

日本共産党の「日本國體論」は全く間違っている


日本共産党の「日本國體論」は全く間違っている

「日本國體」とは「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいますの国」ということである。日本国民は八百万の神々の子孫であるから、「天皇中心の神の国」という國體を守ることは、国民を守ることである。そもそも、日本天皇と日本国民は対立する権力関係にあるのではない。天皇と国民とは、民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われ<天皇の祭祀>を基とした信仰的一体関係にある。

 共産党はこのような天皇を中心とした伝統的な信仰共同体即ち日本國體を破壊しようとしている。森総理の國體発言は当たり前のこと・歴史上の事実を述べたのである。

 日本國體とは、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体のことである。単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、「ものの組み立てられた状態」という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。つまり、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方、即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、國體を「国家の体制」と表現するのは絶対的な誤りである。

 國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(『國體と政体について』)と述べられている。

 小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(『正統憲法復元改正への道標』)と述べておられる。   
         
 「國體」と同じ意義の「国柄」という言葉は、萬葉の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。
 
それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。
 
これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。
 
「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。
 
さらに柿本人麿は、輕皇子(かるのみこ・後の第四二代・文武天皇)がの安騎野(あきのの・奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の山野)へ行幸された時に、
 「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと……」(やすらけくたいらけく四方八方を御統治あそばされるわが大君、高く照らすわが日の神の皇子は、神様であるままに、神様らしく振る舞はれるべく……という意)
と歌った。

 「やすみしし わが大君」は、萬葉仮名では「八隅知之」と書かれてゐる。「四方八方を知る」といふ意である。「天皇は空間的に日本國の四方八方をしろしめしたまふ」といふことである。或いは、「安見知之」とも書く。これは「やすらけくこれを見、知る」といふ意で、「天皇は空間的にたいらけくやすらけく日本國をしろしめしたまふ」といふことである。

 「高照らす 日の皇子」は、「高く照っておられる日の神の皇子」といふ意である。これは、日の神であらせられる天照大神が、生みの御子であられる邇邇藝命を地上に天降らせたまひて天の下を統治せよと御命令になって以来、邇邇藝命の子孫である天皇が日本國を統治されてゐるといふ時間的事実をいった言葉である。
 つまり、「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子」といふ対句表現は、現御神として日本國を時間的に空間的に統治される天皇の御本質を、神話的・詩的に美しく表現した言葉なのである。かうした表現は、『日本書紀』の歌謡の中に現れ、『古事記』では景行天皇記の日本武尊の御歌の中に「高光る 日の御子」といふ言葉がある。

 天皇は武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は太陽神を祭られる<天皇の祭祀>である。

 このような古事記・萬葉以来の我が国の精神伝統が、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいますの国」とする「國體」「国柄」なのである。戦前も戦後も、さらに古代以来今日に至るまで日本國體は変わっていない

 共産党が主張する「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張は全く誤りである。『帝国憲法』の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。そもそも、「国家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の神の国である日本には全くそぐわないのである。 

 戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで、「日本は祭祀主であらせられる天皇を君主と仰ぐ神々のいますの国であることは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。
 『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。

 戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。

 その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは記紀・萬葉以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理、原稿執筆など。

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総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩である。

「日本を取りもどす」をキャッチフレーズにして登場した安倍長期政権は、本当に日本を取りもどしたであらうか。安倍総理が日本を取りもどすために懸命の努力はしてゐることは事実であらう。しかし、まことに遅遅とした歩みであるとしか思へない。

七年間も政権を担ってゐる安倍晋三総理は、靖国神社に一回参拝しただけである。本年も安倍総理は六月二一日、靖国神社で春季例大祭が始まったのに合はせ、「内閣総理大臣 安倍晋三」との名前で供物の「真榊(まさかき)」を奉納したのみである。

安倍総理は、平成二十四年一二月の政権復帰以来、春と秋の例大祭には毎回真榊を奉納してゐる。参拝は平成二十五十二月に一度だけ行ってゐる。共産支那や韓国そしてアメリカの干渉そして国内の亡国野党・偏向メディアの攻撃を恐れたがためであらう。情けないことである。

日本民族の宗教精神の基本は敬神崇祖(神を敬ひ先祖を崇める心)である。そしてそれはわが國の道義精神の基本でもある。毎朝、神棚と先祖の位牌のある仏壇を拝む家庭は、家庭崩壊もないし、子供が非行に走るといふことも少ないと思ふ。國家も同じである。國家のため民族のために命を捧げた人々に感謝の真心を捧げる國は、正しき歩みを続ける。

しかし、現代の日本は、靖國神社といふ國のために命を捧げた人々を祭る宮に、内閣総理大臣が参拝することをとがめだてするような輩が跳梁跋扈してゐる。

総理の靖國神社参拝に干渉して来る共産支那は、アジア最大の軍國主義國家であり一党独裁の専制國家である。またわが國内において総理の靖國神社参拝に反対してゐる勢力即ち反日宗教や左翼勢力こそ、排他独善の教義や思想を持ち、宗教団体を攻撃し弾圧する危険な体質を持ってゐる。

「東京裁判」の判決即ち勝った側が敗者を一方的に裁いた結論を、我々の価値観として受け入れる理由はない。靖國神社問題の根本にあるのは、「東京國際軍事裁判」といふ名の復讐においてわが國が『戦犯國』といふ烙印を押されたことにある。そして大東亜戦争時に政府・軍の枢要な地位にゐた人々が『A級戦犯』として殺されたことにある。

内外の反靖國神社勢力は、「靖國神社にA級戦犯が祀られてゐるから、総理大臣が参拝するのはけしからん」と言ってゐる。「東京裁判」は戦勝國によるわが國への報復である。「東京裁判」には、まともな裁判権はなく、何ら國際法的根拠を持たない。当事國が裁判官になったのがそもそもおかしい。わが國が「サンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受諾した」といふのは、刑執行について問題にしないといふことであって,東京裁判そのものを認めたわけではない。

いはゆる「A級戦犯」とは、講和条約が締結されてゐない時期即ち戦時における勝者による敗者への復讐である「東京國際軍事裁判」において「死刑」の宣告を受け、殺された人々である。これらの方々は、まさに戦争において戦死された方々なのである。靖國神社に英霊として祀られて当然である。故に、いはゆる「A級戦犯」と言はれる方々は、正しくは「昭和殉難者」「戦死者」なのである。

東京裁判の唯一の権威であったマッカーサーは帰國後、米上院の軍事外交委員會での演説で、『日本が戦争に入ったのは主としてセキュリティーのためであった』と言った。マッカーサーは東京裁判が日本に押した侵略國家の烙印を否定したのである。

繰り返し言ふ。七人の昭和殉難者を靖國神社にお祀りするのは当然であるし、祀るかどうかは日本が決める事である。外國があれこれ文句を言ふのは、まさに内政干渉であり、主権侵害である。靖國神社について、外國からとやかく言はれる筋合いはない。 

総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩なのである。反日・反靖國思想は、今や左翼勢力や偏向マスコミだけでなく、与党内部にまで深く浸蝕してゐる。その代表格が石破茂氏である。かかる勢力を駆逐しない限り、日本國は真っ当な國家とはならない。

わが國がまともな外交即ち主権を正しく守りきる対外政策が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。総理はじめ与野党の政治家そしてマスコミが「大東亜戦争は日本の侵略であり近隣諸國に惨禍を及ぼした」と謝罪してゐるのだから、支那や韓國からいかなる無理難題を吹きかけられても、主権を侵害されても、内政干渉されても、わが國は毅然とした対処が出来ないのだ。

「わが國は侵略をした悪い國であり,支那や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても,内政干渉をされても,文句を言ったり反撃してはならない」といふ観念が蔓延してゐる。これはまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。

「現行憲法前文」には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが,二度とそのような事はしないことをお誓ひします。今後はアメリカ様,ソ連様,中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かひを致しません」といふ『詫び証文』である。

この『わび証文』の精神を実践してゐるのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」の無効確認なくして真の主権回復はあり得ない。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う講演の準備。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「安倍首相は日本を取り戻せたか」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う講演の準備。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「安倍首相は日本を取り戻せたか」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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2020年7月25日 (土)

「2025年問題」について

報道によると、2030年には47万人が「死に場所難民」になる。病院でも家でも死ねない人が続出するという。

十年近く前、母が入院していた病院の医師にも、「四宮さんが八十歳・九十歳になるころには、病院のベッドも足りなくなり、医師も看護師も足りなくなる」と言われた。

「2025年問題」という言葉があるというが、団塊世代がすべて75歳以上になり、医療・介護の提供体制が追いつかなくなる問題だ。

その時はちょっと大袈裟の話しなのではないかと思ったが、こうした報道をよく耳にするようになったり、新型コロンウィルスの猖獗を見ていると、決して杞憂でも大袈裟な話でもないと心配になってきた。

施設にも病院にも入らずコロッと死ねればいいと思ってもそうはいかないのが現実である。たとえ死に至る病ではなくても、何かの病気で長期間入院すると、入院する原因となった病気は全快しても、長期間病室に閉じ込められると、老化が進み歩行が困難になったり、老人特有の精神症状が進行することが多い。しかも、医学が進歩しているため、嫌な言い方ではあるが滅多な事では死なない。今でもベッドに縛り付けられた老人が増えている。十年、二十年後にはそのベッドすら足りなくなるというのだから本当に大変である。

「自宅で最期を迎えたい」と望んだとしても、今のままでは在宅医や訪問看護師、訪問介護ヘルパーの数は、足りなくなるという。行政にすべてを任せるのではなく、やはり吾々団塊の世代の一人一人が自助努力、自分で自分の面倒を見るというきわめて困難なことに立ち向かわなければならないのだろうか。

家族にも迷惑はかけたくないし、自分自身も大変である。しかしこの困難を乗り越えて、勇躍あの世に旅立ちたいものである。あの世には、亡くなった家族友人が沢山いるのであるから…。そのためにも、先祖供養をはじめ、お世話になった方々への感謝の祈りが大切である思っている。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、『政治文化情報』発送作業。午後、発送完了。

この後、書状執筆、原稿執筆など。


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2020年7月24日 (金)

志位和夫の國體観について


日本共産党の志位和夫は、その著『天皇の制度と日本共産党の立場』「国家制度の性格をつかむ場合に何よりも大切になるのは、主権がどこにあるかということです。主権という点では、日本国憲法に明記されている通り、日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国ではないことは明らかです。」と論じてゐる。

さらに、『日本共産党綱領(2020年1月18日 第28回党大会で改定)』には次のように書かれてゐる。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」と。

日本共産党は、敗戦後戦勝国によって押し付けられた『現行占領憲法』の「天皇条項」を理論的根拠・金科玉条として日本國體そして天皇皇室を規定し、隠蔽し将来的には破壊しようとしているのである。

日本天皇は権力者ではなく祭り主であらせられる。そして日本国は祭政一致の祭祀国家である。他の国家の国の成り立ちが根本的に異なる。したがって、権力者であらせられない天皇は、「権力の制限規範」とされる成文憲法に制限され、拘束される御存在ではない。

日本と欧米や支那とは國體・歴史・傳統・風俗・習慣が異なるのであるから、欧米や支那の法思想・国家観・君主観をそのまま日本に取り入れることは出来ない。

祭祀國家日本の祭祀主・天皇に関する神聖なる事柄は、世俗の権力問題ではない。即ち決して『現行憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や成文法によって、天皇を規制し拘束し奉るようなことがあってはならない。

成文法があって國體が成立するのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。日本共産党の根本的誤りは、この日本国家観、君主観か全く理解してゐないところにある。

志位はかかる日本の伝統的國體を全く理解しない思想に基づいて次のように論じる。「天皇の制度は、ヨーロッパなどでの立憲君主制―形の上では国王が統治権を多かれ少なかれもっていて、それを憲法や法律(慣習法)などで制限し、事実上国民主権の枠の中にはめ込んでいる国家制度―とも決定的な違いがあります。それは日本国憲法第四条が、天皇の権能について、『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみに行ひ、国政に関する権能を有しない』と明記していることです。世界に、『国政に関する権能を有しない』―統治権にかかわる権限を一切持たない君主というものは、存在しません。天皇を、いかなる意味においても君主と呼ぶことはできないのです。」と。何と浅薄なる君主論・天皇論であることか。

『現行占領憲法』第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」などと書かれている。

これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたことは、政府・自民党政治家も似たようなものであるということだ。

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 「やまとことば」の「しろしめす」は、「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。
 
「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 
『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

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千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、諸事。近親者来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、原稿執筆、資料整理など。

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2020年7月23日 (木)

國體を隠蔽する内閣および宮内庁の官僚たち

 

皇室・天皇の御事について論じることは大変に恐れ多いことであるが事があまりにも重大であるので、敢えて書かせていただきたい。特に、最近、宮内庁が六月十七日、天皇陛下の「相談役」(こんな官職が本当のあるのかどうかわからないが)天皇陛下の靖国神社行幸参拝に反対し、拉致問題も小さな問題だと言った五百旗頭士真・元防衛大学長を指名したことに関して激しい批判が起っている。

 

宮内庁だけでなく、内閣法制局、総理官邸を仕切っている官僚たちは、日本國體の本義を全く知らない。のみならず、まことに畏れ多い言い方であるが、日本國體・天皇皇室の御本質を隠蔽している『現行憲法』で、天皇皇室を雁字搦めにしている。天皇皇室を祭祀主と仰ぐ日本國體を隠蔽してゐる元凶は、実に内閣であり宮内庁であると言っても決して過言ではない。

 

平成二年四月十九日の衆議院内閣委員会において、宮尾盤宮内庁次長(当時)は「(注・大嘗祭は天皇が神となる)宗教的な儀式ではないかというお話がございましたけれども、…その儀式の次第その他を見ましても、そこには神となるというような意味合いを持った事柄というものは私ども見受けられないと思っておりますし、大嘗祭は…天皇が新穀を皇祖、天神地祇にお供えになって、御自らもお召し上がり、そして国家国民の安寧と五穀豊穣というものを感謝し、また祈念される重要な儀式、そういう意味合いの儀式である」と答弁した。

 

高橋紘氏は「(注・即位の大礼・大嘗祭の儀式は)官僚が前例に則して、そこから憲法の政教分離の原則に抵触する部分を抜き出して整合性を持たせてできあがった。これは官僚天皇制ともいうべきものであろう」(『象徴天皇と皇室』)と論じてゐる。

 

まさに今日の皇室は「官僚天皇制」なのである。これは由々しき事である。

 

祭祀が神人合一の行事であること、大嘗祭は天孫降臨の繰り返しであることは,否定してはならないし否定することができない日本の伝統である。

 

水野祐氏は「天皇家においては『践祚大嘗祭』を親祭されて、天照大神の大八洲を賦与された天皇が、年間を通じて霊能を消耗させていくのを防止するために、毎年行われる新嘗祭は、その霊能の更新を図る祭儀であった」(『大嘗祭の起源』・平成二年九月発行「歴史読本 天皇即位謎の大嘗祭」所収)と論じた。

 

三笠宮崇仁殿下は、「今日では皇室祭祀があまりに儀式化されていて、宗教的感情に訴えるものが失われているが、この新嘗祭だけは別である。最近のように科學萬能の社會に住んでいると、新嘗祭の夜はふるさとにもどったように感じる。…日本の皇位継承の諸儀式の中で最も重要なのが、〝おほにへのまつり〟(大嘗祭)である。一般には…〝神人共食〟といわれている。…しかしそれだけではない。…この祭では、第一の神座は、ほのににぎのみこと、つまり〝穀靈〟が天から下るドラマの舞台だったと考えられるが、…穀靈だけとはいえない。神話でほのににぎのみことの子孫が日本の天皇になっているから、そこには〝祖靈〟が加わっていると見なすべきであり、…新帝がそれを身に付けることこそ、即位の諸儀礼の中でも、最も重要だったにちがいない。…大嘗祭で授かった靈力は、毎年行われる同様の儀礼〝にひなめのまつり〟(新嘗祭)によって更新された。大嘗祭または新嘗祭は、五穀豊饒の原動力と考えられた天皇の靈力の継承または更新であったから、単に皇室だけの祭儀ではなく、むしろ全國農民の悲願實現のための農耕儀礼であったのである」(『新嘗祭と大嘗祭』)と論じておられる。

 

さらに三笠宮崇仁親王殿下は、「日本の皇位継承の諸儀式の中で、大嘗祭が最も厳粛な儀式で、新穀や、新米で作った白酒・黒酒、その他の神饌を、天照大神をはじめ諸神に供え、天皇もそれを頂く。神人共食儀礼であり、践祚で受けた霊力を毎年更新するのが、十一月二十三日の夕方から翌朝にかけて神嘉殿で、天皇自ら行われる神嘗祭である…」と説かれている。(『大嘗祭の起源』平成二年九月発行「歴史読本・天皇即位 謎の大嘗祭」所収)

 

真弓常忠氏は、「大嘗祭は、御一代初の新嘗祭であり、天皇が初めて新穀をきこし召すことにより、皇祖天照大神の霊威を身に体されて、大神と御一体となられる儀であり」(『大嘗祭と神宮の遷宮』昭和六十三年十一月発行「別冊歴史読本」所収)と論じてゐる。

 

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

 

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

 

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

 

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

 

いはゆる「官僚天皇制」を一日も早く払拭しなければならない。そのためには『現行占領憲法』の全面否定が断行されなければならない。

 

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内清掃。『伝統と革新』編集の仕事。資料整理など。

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ともかく共産支那はわが国にとって敵対国家である

ともかく共支那はわが国にとって敵対国家である。そしてアジアにおいて最大の侵略国家、軍事大国である。徹底的に対峙し封じ込めねばならない。当たり前のことであるがそのことを改めて強調したい。

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2020年7月22日 (水)

大伴家持の『酒を讃むる歌』について


                          
  太宰帥大伴卿、酒を讃むる歌十三首

驗(しるし)なき 物を思はずは 一坏(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし   (三三八)

 大伴旅人の歌。大伴旅人は、天智天皇四年(六六五)~天平三年(七三一)。父は大伴麻呂。母は巨勢郎女。子には家持ちがゐる。和銅三年、左将軍正五位上。没時は大納言従二位。神亀の末年、太宰帥として筑紫に赴任。                  

 「驗なき」は、やってもしょうがない、効験のない、効果のない、役に立たないの意。シルシは効能、効き目の意。「物を思はずは」は、心配するくらいなら、くよくよするのなら。ズハは、何々するくらいならいっそのこと何々とした方がいいといふほどの意。「濁れる酒」は、粕を濾過してゐない酒。「飲むべくあるらし」のラシは、断定的な内容を若干不確実として断定を避けた用法。

 通釈は、「しても甲斐のない心配をするのなら、いっそのこと、一杯の濁り酒を飲んだほうがましだ」といふ意。

 旅人が濁り酒を詠んだ背後には、濁り酒を飲む自分こそが賢人なのだと主張があるのである。「くよくよしなさんな、酒でも飲みなさい」といふ歌で、現代人にもぴったり来る。

 わが國古代においは、祭祀に用いられた酒は神聖な飲み物であった。神嘗祭(新暦十月十七日に行ふ祭事。その年の新米を神に供へる)では新米と共に新酒も供へられる。

 神事には直會といふ行事がある。祭りの後、祭りの参加者が神饌や神酒のおろし物をいただき分かち飲食する行事である。神様が飲食された物を参加者もいただくといふことで、神人合一の境地に入るのである。

 『日本書紀』に、崇神天皇八年の条によると、疫病流行の國難に際し、崇神天皇は國土開拓経営の神であられる大物主大神の御加護を得るべく、大田田根子を神主として祭りを行われた。その祭祀に芳潤無比な神酒が供へられた。その神酒を崇上天皇に献上したときに、諸大夫たちが神宮で詠んだ歌が、

 「此の神酒は わが神酒ならず 倭成す 大物主の 醸みし神酒 幾久(いくひさ)  幾久」(この神酒は私の神酒ではない。倭の國を生成された大物主大神が醸造された神 酒である。幾代までも久しく栄えよ、栄えよ、といふ意)
である。

 そして大物主大神は、酒の神とも讃へられてゐる。わが國最古の神社といはれる三輪神社の御祭神である。三輪に掛る枕詞は「味酒(うまさけ)」である。古代には酒は神聖な飲み物として尊ばれたのである。

 しかしこの旅人の一連の酒の歌は、さういふ伝統的な酒への信仰を歌ってはゐない。独酌の楽しさを歌ったともいへる。酒は、神聖な飲み物としての価値を残しながらも、嗜好品として多くの人々に飲まれるやうになったのである。

 そしてあまりにも酒を飲む人が多くなり、色々弊害が起こってきたので、禁酒令とは行かなくても「役人は都の中で宴會をあまりしてはならない。ただし一人二人の親しい者同士で飲むくらいならよろしい」あるいは「旱魃などで民が苦しんでゐる時は飲酒をしてはいけない」といふ『お触れ』が出たくらいである。この一連の歌にはさういふ時代背景がある。
                         
 大伴旅人は、現世を忘却して竹林の中で濁り酒を飲むといふ世捨て人的な世界にひかれてゐた。自分の憂ひを払ふために酒をのみといふ心境は、旅人自身の心境に結びついてゐた。旅人は筑紫に赴任した直後に愛妻を失ってゐる。また、大伴氏は次第に藤原氏に政治的権力を奪はれつつあった。またもともと旅人は酒が好きだった。だからかういふ世界に沈淪するのであらう。

 さらにこの「酒を讃むる歌」を詠んで胸の中の鬱屈した思ひを晴らそうとしたのである。酒は神に捧げる神聖な飲み物であるといふ日本古来の考へ方からは脱却してゐる。

当時においては特異な歌。道教の影響が強い。世の中の常識や通俗的な倫理を風刺し嘲笑した歌。この「酒を讃むる歌」十三首は漢籍に出典がある。旅人は、支那の思想文學の中で特に道教にひかれたといはれてゐる。

 道教は、支那固有の宗教であり、不老長寿をめざす神仙の世界に憧れる民間信仰である。儒教の現世主義とは全く異なる思想である。老子・荘子の思想とも結びついてゐるといふ。神秘主義と言ってもいい。日本神道(神ながらの道)とも共通点があるといはれてゐる。

 『萬葉集』には酒を主題にして歌は非常に少なく、この一連の旅人の歌くらいである。この『萬葉集』に収められた酒を主題にした歌は、今日に於いても大きな意味を持ってゐると思ふ。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内清掃、『伝統革新』編集、資料整理、原稿執筆。

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祖国愛の歌

 阿南惟幾陸軍大将は、昭和二十年八月十四日、終戦の詔書に副署するための閣議を終えて後、東京永田町の陸軍大臣官邸にて割腹自決を遂げられた。十五日午前五時だったという。享年五十九歳であられた。その時の辞世は、

 大君の 深き惠に 浴みし身は 言ひ遺すべき 片言もなし

 である。  
                       
 さらに「一死以て大罪を謝し奉る」との言葉も遺した。この「大罪」とは敗戦の責任全般を意味するのか、終戦時の陸軍による武力による権力奪取計画を意味するのか不明である。しかし、國を思い、陛下に忠節を尽くす心に一点の曇もなかった。だからこそ「大罪を謝し奉る」という言葉を遺したのである。

 阿南惟幾陸軍大臣の御令息・阿南惟晟(これあき)氏は、昭和十八年十一月二十日、中部支那において二十一歳で戦死された。その前、大陸戦野の駅頭でわずか十数分間、父上・阿南惟幾将軍と出會われた時、

 ひたすらに 勅諭捧げて 勵まなむ 塵には染まじ 父の子なれば

 という歌を詠まれた。けなげな若者の心が表白されていて、涙なくして読むことのできぬ歌である。「父の子なれば」という結句に萬感の思いがある。

 阿南惟幾陸軍大臣は、昭和二十年八月十日、『全軍将兵に告ぐ』と題した次のような訓示を発表した。

 「ソ聯遂に戈を執って皇軍に寇す。名分如何に粉飾すと雖も、大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり。事茲に至る又何をか言はん。断乎神州護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ。仮令草を喰み、土を囓り、野に伏するとも、断じて戦ふところ、死中自ら活あるを信ず。」

 今日の外交官にこのような気概があるだろうか。

 わが国の学校教育そしてメディアは、戦後七十年以上にわたって、國のために身を捧げるとか、天皇に忠節を尽くすという精神を否定してきた。その結果が今日の体たらくである、と私は思う。

 戦後を代表する歌人の一人とされる寺山修司は、

マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖國はありや

 と歌った。この歌は『祖國喪失』と題された一連の歌の冒頭の一首である。寺山氏は祖國を喪失していたのであろう。しかし、祖國は永遠である。いかに本人が否定し、喪失したと思っていても、否定することも喪失することもできない存在が祖國である。

 また、祖國を永遠たらしめるために多くの人々は祖國のために身を捨て命を捧げたのである。それは大東亜戦争において最前線で散っていった兵士たちも、そして阿南惟幾陸軍大臣などのいわゆる「戦争指導者」として戦後批判された人々も同じである。

 多くの若者たちは海を越えて戦地に赴いた。そして、敵に沈められた輸送船に乗っていた兵士たちも、敵艦に体当たりすることができずに死んでいった特攻隊員も、海の底に沈んでいる。小生は寺山氏の「海に霧ふかし」という言葉にそういうことを連想した。

 石田圭介氏は、この寺山修司氏の歌について、
「このものいひは軽い。『身捨つるほどの祖國はありや』など、軽々に言へたものではないといふのが、私の率直な感想である。祖國は豊かであらうが、貧しからうが、どんなであらうが、親國であり、帰るべき所であり、絶対に護らねばならないものである。ありやなしやなどと問はるべき存在ではない。この歌がいつどこで作られたのか確かめてはゐないが、要するに平和な時と所で作られた歌であることには違ひない。ここには身に迫った危機感は存在しない。極論するならば、言葉のあそびといってよからう。言葉のあそびも歌の一つの領域だからそれを全く否定するものではないが、祖國といった重い存在を手玉にとるのはやはり慎まれる。……ことばの遊びは、なるほどと思はらせればそれで終わりである。……やはり歌の本道は述志にある……」(『評論集・続歌徳』)と論じておられる。

 野村秋介氏は、平成五年十月二十日朝日新聞社で自決された時の遺書『天の怒りか地の声か』において、
「私は寺山修司の『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや』という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころひとつに至るまで私にとっては、すべて祖國そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う。…」と述べておられる。

 寺山氏は昭和十年生まれで、終戦の時、十歳であった。野村氏と全く同い年である。野村氏は、「身を捨つるほどの祖國はある」と信じ、祖國再生の祷りを込めて自決を遂げられた。

 寺山氏は「身捨つるほどの祖國はありや」と歌い、祖國を否定しようとしたのである。しかし、石田氏のいわれる通り、祖國とは「絶対に護らねばならないもの」であり「ありやなしやなどと問はるべき存在」では絶対にない。

 この寺山氏の歌と対極にある歌が三井甲之氏の

ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさねまもる やまとしまねを

 であると論じた人がいる。どなたであったか今は思い出せない。

 多くの先人たちは、祖國日本は永遠と信じ、祖國のために貴い生命が捧げられたのである。また、祖国に身を捧げる人々がおられたからこそ祖國は永遠なのである。尊いのである。三井甲之氏はそのことを歌っているのだと思う。

 小生は學生時代、何かの會合で、神道學者の中西旭先生がしみじみとこの歌を詠じられたのを聞き、非常に感激した。

 三井甲之氏は、明治十六年(一八八三)、山梨県甲府に生まれた。昭和二十八年(一九五三)に亡くなった。一高を経て東大國文科を卒業。昭和三年(一九二八)、『シキシマノミチ會』を結成した。山梨県中巨摩郡敷島町長塚に住居があった。

 三井甲之は、伊藤左千夫門下であり、斎藤茂吉と同時代の人である。茂吉とはお互いに強く意識し合った仲であったという。しかし、今日、三井甲之のことはあまり評価されていない。というよりも無視されている。小生の持っている近代短歌に関する書籍(歌集・研究書・短歌辞典)にも殆ど取り上げられていない。

 以前、畏友・森田忠明氏のご案内で、山梨県中巨摩郡竜王町篠崎の山県神社に参拝して、境内に建立されている三井甲之氏の歌碑を仰いだ思い出がある。

 「天皇に忠節を尽くす」とか「祖國に一身を捧げる」という観念は、外に向けられると憎悪と殺戮につながるという批判がある。しかし、わが國の民族主義・ナショナリズム・愛國心の根底にあるのは、天皇仰慕の心である。わが國は、天皇を中心とした神の國である。そして、日本天皇の國家統治の御精神は決して排他的ではない。憎悪でもない。君民一体・萬邦共栄・四海同胞・八紘一宇の精神である。それはわが國の歴史の寛容性・平和性・包容性を見れば明らかである。

 わが國の祖国愛・ナショナリズムは、祭祀主であらせられる天皇への仰慕の思いと一体であるから、ことばの真の意味において常に健全である。民族主義・ナショナリズムの排他性を超えるものが、わが國の神話の精神・天皇の祭祀の精神である。一切を神として拝む精神である。

 ナショナリズム・愛國心を怖いものするのは、神を喪失しているからである。むすびの精神を喪失しているからである。明治維新の歴史を回顧すれば明らかな通り、國家民族が侵略の危機にさらされている時に勃興するのが日本の臣道であり、尊皇敬神の道である。

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2020年7月21日 (火)

千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、諸事。親族来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備など。

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2020年7月20日 (月)

現御神信仰・國體観念が日本國の強靱なる體質を培った


 天皇、雷岳(いかづちのをか)に御遊(いでまし)し時、柿本朝臣人麻呂の作れる歌
         
大君は 神にしませば 天雲(あまぐも)の 雷(いかづち)の上(うへ)にいほらせるかも   

 通釈は、「天皇は神様でゐらっしゃいますから、天雲の雷の丘にいほりを造ってをられるなあ」といふ意。

「萬葉集」の代表的な天皇讃歌である。柿本人麻呂が、持統天皇に捧げた歌といふのが定説。

「大君は 神にしませば…」と歌ひあげてゐるのは、天津神の「生みの御子」であられ、現御神であられる日本天皇は、山の神、雷の神をも支配されるといふ信仰を歌ひあげてゐる。

この歌は、天皇が山の神も天雲も支配される霊的権能(これを御稜威といふ)をお持ちであるから、雷神が住む丘の上にいほりをむすばれることができるのだといふことを歌ってゐる。

 このやうな現御神信仰・國體観念が白鳳時代の日本國の強靭なる体質を培ったのである。これは柿本人麻呂個人の信仰ではなく、日本民族全体の信仰であった。

 「大君は神にしませば」といふ言葉が類型的といはれるのは、この言葉が人麻呂個人の言葉ではなく、古代日本人共通の天皇信仰の表現であったからである。
しかし、この歌には人麻呂の個性が表現されてゐる。祭り事をされてゐる天皇のお姿を人麻呂らしく壮大なイメージで歌ってをり、詩的レベルは高いと評価されてゐる。

現御神の御資格において山の神・雷神を従へてゐる天皇のお姿を篤い信仰精神で高らかに歌った荘厳な調べの歌である。山の上から天空にまで広がる大いなる歌である。

根底に日本民族の天皇信仰・現御神信仰があるのは勿論であるが、この歌の詩的精神は人麻呂独自のものである。雷の丘などの神聖なる神奈備山は、神の来臨する山であり、天上の世界への通路・天に通じる柱であると信じられてゐる。そこにおいて天皇が神人合一の行事である祭り事をされてをられる神々しさを、人麻呂は感激をもって歌ったのである。

わが國は今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の君主と仰ぎ、國家と民族の統合の中心として仰いでゐる。わが國が様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。

日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國である。その不動の核が神聖君主日本天皇である。

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千駄木庵日乗七月二十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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第104回日本の心を学ぶ会


第104回日本の心を学ぶ会

【テーマ】安倍長期政権を総括する

【日 時】令和2年7月26日 午後6時から

【会 場】文京区シビックセンター 4階ホール

https://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_shisetsu_kuminkaigisitsu.html

文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

【演 題】安倍政権は日本をとりもどせたか

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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2020年7月19日 (日)

言霊の復活が世の乱れを正す大いなる方途である

日本人は神代以来、日本国は「言霊」によって護られる国であると信じて来た。言葉ほど大切なものはない。言葉は人間の心を表現する。言葉のない生活は考へられない。言葉は、共同体において生活する人と人とを結合させ、人と人との間をつなぎ相互に理解を成立させる。言葉は、人間生活そのものを体現し、共同体は基本的に言葉によって成立する。

「言葉の乱れは世の乱れ」といはれる。今の日本は乱れてゐる。乱世である。その原因は、言葉の乱れが重大な要素になってゐると考へる。

日本民族は古来、言葉を大切にし、言葉には不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視してきた。『萬葉集』の歌に「言霊」といふ言葉がある。「言霊」とは言語精霊、言葉に宿る霊力のことである。古代日本人は言葉に精霊が宿ってゐると信じ、言霊即ち言葉に内在する霊的力が人間生活に大きな影響を与へると信じた。

古代のみならず今日の日本人の多くは、言葉に宿る神秘的な力によって禍福が左右されると信じるのみならず、「言霊」によって護られ栄えゆく国が日本国であると信じてゐる。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じてゐる。故に、日本人は言葉を慎み、畏敬する。

神道で「祝詞」を唱へ、仏教で経文・経典を読誦し題目や念仏を唱へるのは、それらの言葉に神秘的にして不可思議な力が宿ってゐると信ずるからである。
「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「歌」にも魂が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが日本文藝の起源である。

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる霊力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

「言霊の幸はふ國」といはれるわが國においては、「祝詞」や「歌」は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。「やまとうた・和歌」は神聖な文藝であると考へられてゐた。

『萬葉集』に歌はれた「言霊の幸はふ國」とは、言葉の霊が栄える国、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国といふ意である。「いふ言(こと)の恐(かしこ)き國」とは、言葉におそるべき力が宿る国であるといふ意である。「言擧せぬ國」とは、多弁を慎む國といふ意である。言葉が大切であればこそ、多弁を慎むのである。私が最も心しなければならないことである。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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総務大臣という閣僚が靖国神社に参拝するといふ大変尊い行事を、靖国神社側が断ることがあっていいはずはない。


『朝日新聞』令和二年四月十八日の報道によると、高市早苗総務大臣が、四月二十一年四月二十一日からの靖國神社例大祭に参拝しようとしたら、何と「新型コロナウイルスの感染拡大防止のため」という理由で、靖国神社側から参拝を断られたという。この報道が真実なら、靖国神社の姿勢と対応は理解に苦しむ。

高市総務相が靖国神社に参拝することによって、「新型コロナウイルス」の感染が拡大するなどということはどう考えてもあり得ない。否、それどころか政府閣僚が靖國神社の御神霊に参拝し、英霊に対して感謝と慰霊の誠を捧げ、「新型コロナウイルス」の感染が拡大の防止を祈願することは、まことに大事なことである。これを神社側が断るなどということかあっていいはずがない。

祖霊と自然に宿る神々を拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が、罪穢れや災厄を祓い清めるのである。神社の神々への祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。

我が國は神話時代(神代)以来の傳統精神すなはち日本國民の歩むべき道といふものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命そして國のために命を捧げた英霊、祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、神とか罪悪に関する考へ方が、全て祭祀といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきた。

抽象的な論理や教義として我が國傳統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國においては生活そのものの中に傳統信仰が生きてゐるのである。

『鎮守の森』には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。『鎮守の森』ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行はれてゐる信仰行事である。総務大臣という閣僚が靖国神社に参拝するといふ大変尊い行事を、靖国神社側が断ることがあっていいはずはない。

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2020年7月18日 (土)

千駄木庵日乗七月十八日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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この頃詠みし歌

保守の中にも嫌ふ人の多くゐる小池百合子に一票投ぜり

ご立派な事を説けども実際に為すことは恥ずかしきこと多き我

三密の酒房に人らたむろしてもつ焼きと煮込みをうましと食す

瞼の母の台詞唱へれば亡き母の面影浮かび胸迫るなり

会ひたくなったら俺は目をつむらうよといふ忠太郎の台詞涙押さえ難しも

明日もまた雨が降るらし 時によりすぐれば民の嘆きなりけり

夜の更けに轟きにける雷鳴を一人さみしく聞きてゐるなり

雷鳴を好みし同志(とも)は今宵また健やかにしも過ごしゐるらん

上野戦争で破壊しつくされし東叡山の堂塔伽藍は消えゆきにけり

長州の大砲攻撃東叡山を破壊しつくして戦さ終りぬ

彦根藩と尾張藩を先駆けと為して攻め来し上野戦争

美人女将の隣にご主人ゐますとも何か楽しき町の居酒屋

静かなる街戻り来ぬコロナウイルス蔓延止まざる七月半ば

再び客が少なくなりしと歎きゐる店主と語らふ梅雨の明けぬ夜

皇室を否定してやまと歌無しと思ふに皇室を否定して歌詠む人も多し

神代より皇室と共にやまと歌はありしを知らぬわけでもなからうに

我が発表の司会をしていただきたる青木生子先生は亡くなりたまふ

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2020年7月17日 (金)

千駄木庵日乗七月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内清掃、資料整理、『伝統と革新』編集の仕事。

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天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

御厨貴氏は、『朝日新聞』令和二年七月九日号所載の「語るー天皇・官邸の板挟み」という文章で、次のように書いている。

「天皇の生前退位は、日本政治が近代史上初めて扱う課題です。眠れる獅子の感があった国権の最高機関である国会の議長から、『国会は有識者会議の下請け機関ではない』と批判される事態も生じました。まだすべてを明らかにはできませんが、会議のメンバー全員が天皇と首相官邸の対立に間で大変な経験をしました。平成の天皇は、ご自身一代限りの特例法ではなく、今後代々の生前退位を可能にする恒久法を作ってほしいとお考えだったのでしょう。色々なルートからそれが伝わってきました。ただ、会議の空気は緊急避難的な特例法しかないだろうというものでした。この問題で
私に会いたいと言ってくる方は大勢いましたが、丁重にお断りしました。ただ、長年お世話になっていて、どうしても断れない相手もいた。宮廷政治ならではの力学や作法を目の当たりにしました」と書いている。

この文章によると、皇室を敬う姿勢を示す自民政府及び安倍晋総理は、上御一人のご意向・ご意志に反して恒久法ではなく、特例法を制定したのである。このことは『現行憲法』が日本國體を完全に隠蔽し、恐れ多くも天皇陛下を政治権力者・国会及び政府の下位に立つ御存在にしているということを明らかにしたのである。

しかし、『現行占領憲法』第四条には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」などと書かれている。

これを金科玉条にして、左翼勢力・國體破壊勢力は、天皇陛下の「ご発言」や「ご行動」を掣肘し奉ってきた。こうしたことは、自民党政府・自民党政治家も同じであるということだ。

今日まず行われるべきことは、『現行憲法』の「天皇条項」の廃止である。「天皇は日本国の統治者であらせられる」という國體の真姿を正しく謳った憲法に回帰するために最善の努力をすべきなのである。

畏れ多いことではあるが、憲法が、天皇陛下に対し奉り多くの制約を加え奉っている状況をそのままにして、天皇陛下及び皇族方の皇室制度について、政治権力などがあれこれ申し述べるのは許されない。政府及び国権の最高機関とされる国会の驕りがこういうところに表れている。厳しく批判しなければならない。

権力者ではあらせられない天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

冒頭に述べたとおり、『現行占領憲法』には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

歴代天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。政府や国会が「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行った事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。所謂憲法問題で最も重要なのは、「第一条」である。

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2020年7月16日 (木)

千駄木庵日乗七月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理など。

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2020年7月15日 (水)

共産主義国家の歴史は、悲惨と混乱と自由圧殺、そして権力抗争と殺戮の歴史しかなかった。この歴史を否定することはできない。

昭和二十三年御徒町生まれの写真家杉本博司氏が、「日本経済新聞」令和二年七月九日号に「私の履歴書」を執筆し、次のように書いている。

「私は(一九七十年頃アメリカから・注)一度日本に戻り横浜から船で津軽海峡を横切り、ウラジオストクに着いた。そこからシベリア鉄道でモスクワへと向かったのだが、二日目に機関車が故障、立ち往生した揚げ句軍用機に乗せられた。暖房はなく、プロペラエンジンから暖気を取る太いチューブが通路に引きずり出され、乗客はそのチューブに張り付いて凍えないようにした。ほうほうの体でたどり着いたモスクワは暗かった。郊外の安ホテルで目を覚ますと人々が長蛇の列を成している。よく見るとリンゴを買うための列だ。私が一瞬夢みた共産主義の理想は全く機能していなかった。モスクワからチェコスロバキアと暗い旅は続いた。横浜を出て二か月ほど経っただろうか、ようやく西側のウイーンに着いた。その晩私は天井桟敷でモーツァルトのオペラ、ジョン・ドバンニを見た。そして自由と文明に触れる喜びを心から味わったのだ。コーヒーにケーキ、涙が出るほど美味しかった」と書いていた。

杉本博司氏は、共産主義に憧れを持ち、学生時代には、新左翼の学生運動に挺身したのだが、ロシアと東ヨーロッパへの旅で共産主義の実態を見て、学生時代に持っていた共産主義への憧れは、雲散霧消した。

理論理屈がいかに詳細を極め、説得力のありそうなことを書いていても、現実の共産主義国家の歴史は、悲惨と混乱と自由圧殺、そして権力抗争と殺戮の歴史しかなかった。この歴史を否定することはできない。

しかるにわが国には、未だに共産主義を否定できず、日本共産党などという政党を支持して麗しい國體・自由と繁栄を破壊せんとする愚かなる人々が残存している。

事実ほど強いものはない。このことをそういう人々は正しく認識してもらいたい。

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰途、千駄木にて、地元の友人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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祇園祭の最も重要な行事である山鉾巡行・神輿渡御の中止について

祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼です。祇園祭はもっとも有名であり多くの人が集まると思ひます。古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、貞観十一年(八六九)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行した時、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数六十六カ国にちなんで六十六本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまると言はれてゐます。

ところが今年は祇園祭の最も重要な行事である山鉾巡行・神輿渡御が、新型コロナウイルス対策の為に中止になりました。疫病除去の祭礼なのに、疫病が猖獗してゐるからと言って中止するのは何とも残念なことです。

すでに何回か書きましたが、日本の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことです。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいいと思います。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをもたらします。今日の新型コロナウイルスの感染拡大はこれにあたると思はれます。
『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐます。自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰です。

日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があります。近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまひました。自然を征服しようとか、自然を造り替へようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければなりません。つまり、神々を祭る心の回復が大切です。「草木がものをいふ」といふ日本の伝統的信仰精神に回帰しなければなりません。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのです。全国の神社仏閣は大いに祭祀・法要を行ひ、疫病退散を祈願すべきです。

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2020年7月14日 (火)

千駄木庵日乗七月十四日

午前は、親族来宅。室内清掃。 午後からは、在宅して、資料整理。原稿執筆。明日行うスピーチの準備など。

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2020年7月13日 (月)

日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない

わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が、建國以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。

しかるに、『現行占領憲法』では、前文で「主權が國民にあることを宣言し」、第一条には「主權の存する日本國民の総意に基づく」という規定がある。これを根拠にして「日本は君主制の國ではないと」する意見がある。これは有史以来の國體を根本から否定する論議であるが、こういう議論が起こり得るところに『現行憲法』の重大欠陥がある。

日本國の歴史と傳統すなわち不文法において、天皇中心の共同體を確立しているわが國で、成文憲法に共和制ともとれるような表現があるのは絶対に許されない。ゆえに『現行占領憲法』は否定されなければならない。

日本國の「統治の大權」は建國以来天皇にある。「天皇統治」とは、権力や武力によって人民を支配することではない。

天皇の統治大権とは、権力や武力による支配ではなく、祭祀と一體のものであり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。ゆえに「萬世一系の天皇が日本を統治する」という表現が適切である。それは「天壌無窮の御神勅」の精神に立脚している。

日本國の素晴らしさは、古代に生成した天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家が今日に至るまで解體したり断絶したりすることなく今日まで連綿として続いていることである。また、わが國は神話の時代のままに、高天原から天降られた天照大御神の「生みの御子」の使命を現身の形でそのまま受け継がれる天皇を現實に日本國の元首・君主と仰いでいることである。

わが日本國は崇高なる理想を持った「天皇を君主と仰ぐ神の國」なのである。しかるに、今日の日本は混迷の極に達している。このままで行けば亡國の淵に立たされる危険がある。

日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

吉田松陰先生は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。

今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の「生みの御子」であらせられる日本天皇がしろしめすわが日本國は永遠に不滅である。されば、現御神日本天皇の大御心を体し、日本伝統精神に回帰することによって、いかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。

日本が神国であるといふことが文献上最も早く記されているのは、『日本書紀』巻九「神功皇后の条」である。そこには、「吾聞く。東に神国有り。日本と謂ふ。亦聖王有り。天皇と謂ふ。必ず其の国の神兵也」と記されている。

神国思想は、その後、文永・弘安の元寇という一大国家危機によって全国民的に燃え盛った。

そして北畠親房公の『神皇正統記』に巻頭に「大日本(おほやまと)者(は)神国(かみのくに)他。天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を伝(つた)へ給ふ。我(わが)国のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と云(い)ふ也。神代(かみよ)には豊葦原千五百秋瑞穂(とよあしはらのちいほのあきのみづほの)国と云(い)ふ。天地開闢(てんちかいびやく)の初(はじめ)より此名(な)あり。天祖(あまつみおや)国常立尊(くにのとこたちのみこと)、陽神陰神(をがみめがみ)にさづけ給し勅(みことのり)にきこえたり。」と記されている。

北畠親房は『古事記』及び『日本書紀』冒頭の天地生成の神話まで遡って日本国が神国であることを論じた。また、日本が神国であるということは、日本国は神が護り給う国であるという事だけではなく、天つ神の生みの御子・現御神であらせられる日本天皇が統治したもう国であるということを明確に記している。

日本国は国家的危機に陥った時に、「神国思想」が燃え上がり、危機を打開して来た。そして神国思想は長く日本の道統として今日に至るまで伝えられてきている。従って、わが国の成文憲法には、日本国は神国であり、天皇の統治される国であるということが明確に書かれていなければならない。

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・脱稿・送付。資料整理など。

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2020年7月12日 (日)

日本民族の光明精神

日本の神々は、特に神代の神々は明るく大らかで神罰を与へることはない。またその後の時代に出現された神々の中に、人間を祟る神がをられたが。それらの神々も、祭る側の神祭り・鎮魂などによって、國土・人間を護る神々に変貌される。三輪山の大物主神、全國の天満宮の御祭神・菅原道真、神田明神に祀れてゐる平将門などはさうした神々であられる。

人間は神の分霊であって原罪などといふものを背負ってはおらず、罪を犯し魂と心が汚れてゐても、禊祓を行ひ、神を祀り、神に祈れば浄められるといふのが、日本伝統信仰・日本神道の信仰であると私は理解してゐる。

日本の伝統信仰が基本的に清らかで明るく楽しく大らかであることは、天岩戸神話に明らかである。天照大神の御出現を仰ぐと、そのみ光りは六合に照りわたり、もろもろの神たちの喜びは天地どよもすほどであったといふ。

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい難行苦行ではない。明るく楽しく清らかな行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に見られる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふ言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

日本人は本来厭世的でもなければ逃避的でもない。それが日本人の國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐる。戦後復興もかうした日本人の心のあり方によって成し遂げられたと思ふ、

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。だから禊祓ひは神道の重要行事なのであらう。

面白く楽しく清らかな行事が「まつり」なのである。ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。

出雲井昌氏は、「『古事記・神代』を繰り返し読んで驚きました。…古代日本人が発見した神、信じていた神々は、どこまでも明るい神々でした。その代表格が天照大神、太陽神です。…悠久の昔から未来永劫に大宇宙を照らし続けて、恵みを与えて下さいます。一点の曇りも無いお日様です。あいつは悪人だから照らしてやらないとは申されません。…『天岩戸』のお話では、天照様は天にのぼってきた須佐之男様が、ひどい悪さを働いた時でも、少しも咎めずに〝天の岩戸〟に入られて、全ての罪はみずから出たことと、ひたすらご自身を省みられました。…『日本神話』に出てくる神々は、天之御中主神から伊邪那岐神、伊邪那美神、大國主神、少名毗古那神、八百万、神々すべて、神罰を与える神は、ただの一柱もおられません」(『日本神話の知恵』)と論じてをられる。

日本人は、如何に世が乱れ、悪が栄えてゐても、必ず光明と平和の世が蘇へると信じて来たし、また現実の歴史もさうなった。また如何なる罪穢も禊祓により浄められると信じてきた。神代の神話も、善悪美醜が生ずるが、やがては一切善・美に還る。悪は善に、醜は美に勝つことはない。これはわが國の神話の精神、日本伝統信仰の基本であると共に、歴史的真実である。日本傳統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現實に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動、そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食ひ止める大きな力となってゐる。

科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の君主であらせられる。これは世界に誇るべき日本國體の素晴らしさである。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、諸事。室内清掃。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、印刷所に送付。『伝統と革新』の仕事。

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2020年7月11日 (土)

日本伝統信仰の他界観


日本人にとって他界とは、高天原とか、海神(わたつみ)の神の宮(竜宮)とか、黄泉の国です。熊野の海の彼方が他界の入り口と信じたのです。海も空も「アマ」と読み、両方とも他界のことで、海の彼方に他界があるというのは水平思考です。

天上に他界があるというのは垂直思考です。

日本には両方あって、天照大神のご命令で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から地上に天降って来るのは、理想郷が天にあると信じたからです。海の彼方にも理想郷があると信じ「海神(わだつみ)信仰」「龍宮信仰」が生まれました。その水平思考が仏教と融合して西方極楽浄土思想が受け容れられました。

大和朝廷のある大和盆地から東へ向かうと伊勢になる。その日の出る方向に天照大神をお祀りしたのが伊勢神宮です。垂直思考は北から、水平思考は南から来たというのが定説になっています。

『萬葉集』に「東歌」があります。東国地方の庶民か詠んだ歌です。今日のわれわれの観念からすると東国は関東以東ですが、古代日本では鈴鹿山脈よりも東が東国というのが定説なのです。岐阜、静岡、長野も東国でした。

「吾妻」の語源は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の物語に由来しています。日本武尊が船で浦賀水道を渡ろうとしたとき嵐になって弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐を静めた。その後、碓井峠にさしかかった日本武尊は東南の方角の浦賀水道を眺めながら、弟橘媛を恋しがられて「吾嬬(あづま)はや」(わが妻よ)、と呼びかけられた。これが「吾妻」の語源なのです。

小生が居住する文京区にも日本武尊の遺跡が多いのです。湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がありますし、根津に鎮座する根津神社は須佐之男命お祀りするために日本武尊が創始したと伝えられます。

駒込という地名も日本武尊が辺りを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来する。馬がいっぱいいるという地名伝説です。

近代化が行き詰まって、昔ながらのものに回帰していくことが、人々の心に安らぎを与えています。生命尊重、自然保護、公害追放と言っても、政治には限界があります。生けとし生けるものが神の現れであるという、古代からの信仰に回帰することが大切です。日本仏教は、「山川草木国土悉皆成仏」「草木成仏」の思想があります。これは仏教と日本古代信仰が融合して生まれた思想であります。

『記紀』や『萬葉集』を学び、全国の古い神社仏閣に参拝し、且つ、その風土に親しむことは実に大切であり意義あることです。


死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」であります。従って人が死んだことを「他界した」というのです。それは平安時代の歌人・在原業平が

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

と詠んでいる通りです。そして死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりするのであります。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということです。

それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに)の神話を拝すれば明らかです。 

日本人は基本的に、人間は、肉体は滅びても魂はあの世で生き続けるという信仰を持っています。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになりました。

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていました。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じました。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられました。
 
すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれました。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのであります。

春秋二回のお彼岸は今日、仏教行事のように思われていますが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事なのであります。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねてくると信じてきたのです。「彼岸」とは向こう岸という意味であり、日本人の他界(よその世界・まだ行くことのできぬ世界)観念とつながるのです。

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』及び『伝統と革新』原稿執筆など。

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2020年7月10日 (金)

荒ぶる神は祭祀によって鎮めることができる

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)」(『古事記傳』)と定義してゐる。

日本の自然の神々は、近年はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるといふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをももらたすと古代日本人は信じた。今日の新型コロナウイルスの感染拡大はこれにあたると思はれる。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ國悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

自然の中に精靈が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文學的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

近代以後、科學技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精靈として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

折口信夫氏は、「我々の古文獻に殘った文學は、しゞまの時代の俤を傳へて居る。我々の國の文學藝術は、最初神と精靈との對立の間から出發した。…神の威力ある語が、精靈の力を壓服することを信じたからである。…神代の物語として,語部(かたりべ)の傳へた詞章には、威力ある大神隱れ給ふ時、木草・岩石に到るまで、恣に發言した。さうして到る處に其聲の群り充ちたこと、譬へば五月蠅(さばへ)の様であったと言ふ。而も亦威力ある大神の御子、此國に來臨あると、今まで喚きちらした聲がぴったりと封じられてしまったとある。神威を以て妖異(およづれ)の發言を封じたのである。」(「日本文學における一つの象徴」)と論じ、『六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓』の「荒ぶる神等をば神問(かむと)はしに問はしたまひ、神掃(はら)ひに掃ひたまひて、語問ひし磐ね樹立(こだち)、草の片葉(かきは)も語止(ことや)めて、天(あめ)の磐座(いはくら)放れ、天の八重雲をいつの千別(ちわ)きに千別きて、天降(あまくだ)し依さしまつりき」といふ一節を引用してゐる。

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から學んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精靈たちを畏れるだけではなく、祭祀によって神や精靈たちを祓ひ清め鎮めたのである。

日本傳統信仰は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほ継承されてゐる。のみならず、現實に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食ひ止める大きな力となってゐる。

科學技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、日本には古代信仰・民族信仰が脈々と生きてゐる。伊勢の皇大神宮をはじめとした全國各地の神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本傳統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、國家の平安・國民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本國家の君主であらせられる。これが世界に誇るべき日本國體の素晴らしさである。

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千駄木庵日乗七月十日

午前、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』原稿校正、『政治文化情報」原稿執筆など。

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2020年7月 9日 (木)

三輪山信仰とは

 三輪山は奈良県桜井市にある。大和盆地の東南にある山。麓に古道・山辺の道が通ってゐる。海抜四六七㍍。。紡錘形の美しい山。麓に大物主神を祭る日本最古といはれる大神(おほみわ)神社が鎮座する。この神社の御神体が三輪山である。したがって大神神社には神殿は無い。

大物主神は三輪山の御神霊である。大物主命は出雲に祭られてゐる大國主命の和魂であり別名とされてゐる。大國主命は皇孫命が大和に都を遷されることを知り、御自らの和魂を大物主と名前を変えて大和の神奈備(注地域社会・共同体ごとに信仰の対象になる神の山)である三輪山に鎮まられたとされる。 

 三輪山にはつぎのやうな古来からの伝承がある。崇神天皇の御代に悪疫が流行した時、大物主神が、倭迹々日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト・孝霊天皇皇女)に神憑りし、また、崇神天皇の夢枕にあらはれ、「意富多多泥古命(大田田根子命とも書く・オホタタネコノミコト)に私を祭らせなさい」といはれたので、天皇がそれを実行されると悪疫はなくなったといふ神話がある。

 また、意富多多泥古命の三代の祖の活玉依姫(イクタマヨリヒメ)が、男性が通って来た様子もないのに妊娠した。両親が「どうして子供を身ごもったのか」と聞いたところ、夜、夢の中に眉目秀麗な若者が訪ねて来ると答へた。そこで両親はその男の身許を知るために男の衣服の裾に麻糸を通した針を付けさせた。朝になってその親子が男が帰って行った跡を、糸でたどって追って行くと三輪山に着いた。そこでその男は三輪山の神であることが分かった。                

 御神体になってゐる山には必ず磐座(イハクラ)がある。京都の岩倉にも磐座があり神社がある。巨石信仰は世界共通である。巨石信仰を英語ではストーンサークルといふ。大きな石を幾つか置いてそこに神が降って来るといふ信仰である。

 三輪山には頂上・中腹・三号目の三ヵ所に石群が山を取り巻く輪になってるゐる磐座がある。だから三輪山と名付けられたといふ説もある。

 三輪山はわが國の原始信仰が今日において生きてゐる山である。わが國には地域社會・共同体ごとに信仰の対象になる神の山があった。これを神奈備(かむなび)信仰といふ。そして神奈備山には磐座といはれる巨石がある。特に大和盆地の東南に美しい形で横たはってゐる三輪山を大和地方の人々はの姿を毎日仰ぎながら生活して来た、そして、神奈備とし古くから崇めて来た。

 大和地方の人たちにとって三輪山は信仰の対象なのである。だから近江に都を遷すことによって三輪山と別れることを大和の人々は非常に悲しんだ。或いは神威を恐れた。神の祟りがあるのではないかと恐怖したのかもしれない。大和人にとって大和の國から去るといふ事は三輪山から去ることと同意義だったのである。

 わが國は三輪山信仰などの太古からの信仰が今日唯今も生きてゐる。それも現代生活と隔絶した地域で生きてゐるのではなく、今日唯今の生活の中に生きてる。これが日本伝統信仰のすばらしさである。世界でも類ひ稀なことである。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』原稿校正など。

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軍事的覇権國家・共産支那の日本における最大の手先が自民党二階派であり公明党である

自民党二階派と公明党が侵略国家共産支那の手先であることが愈々明白になった。共産支那は、アジアにおいて覇権を確立せんとして軍事力を拡大し、わが国や台湾をはじめとしたアジア各国に対して重大なる脅威を及ぼしている国である。

 

歴代の共産支那指導者の中でも、とりわけ習近平は強権政治・独裁専制政治を行っている。このような人間の「国賓」として歓迎しようというのが二回派であり公明党である。

 

今は保守と称する人々の中に怪しげな人がいる。真正保守と似非保守とを厳しく峻別しなければならない。

 

台湾武力攻撃の可能性も高い。共産支那を包囲し、アジア進出を防がねばならない。中國は包容すべきではなく、警戒すべきである。日本が主導的立場に立って、アメリカを支援するべきである。

 

「中国人民解放軍」は支那共産党の利益を守る軍であり私兵である。國民を守る軍ではない。支那には選挙がない。しかるに日本の首相・外相は支那に行ってただ一言でも『中國は自由民主主義國家にならなければ駄目』と言ったことはない。支那は数多くのミサイルを日本と台湾に向けている。野蛮國家以外の何ものでもない。大陸間弾道弾も持っている。全世界が中國を封じ込めるしかない。

 

支那は、『鉄砲からに政権が生まれる』と言うように、軍が國家権力の基盤である。決して民主國家ではない。軍権を握るものが全ての権力を握る。毛沢東も鄧小平もそうだった。しかも國家権力機関としての軍事委員會が軍権を掌握するのではない。共産党の軍事委員會なのである。軍は共産党の私兵なのだ。日本でいえば、自由民主党の中に軍事委員會があり、その委員長に総裁が就任し、絶対権力を保持すると云う事である。このような國こそ軍事大國であり軍國主義國家なのである。

 

また、南京でも上海でも、中國共産党市委員會・市政府・市公安局が一つの建物の中にある。日本でいえば、自民党東京都連と東京都庁と警視庁が同じ建物にあるということだ。これが一党独裁専制政治の実態である。このような國が反日姿勢を取り強大なる軍事力を有してわが國に相対しているのだ。そしてそのコチラ側には北朝鮮という國際テロ國家が存在している。わが國は余程の覚悟がなければ独立と安全を維持する事はできない。

 

アジアはまだ冷戦が続いている。否、益々熾烈になっている。共産支那が太平洋に出て行くのに待ったをかけているのが日本と台湾。共産支那ははまず台湾を手に入れようとして軍備を増強している。

 

支那が台湾に軍事侵攻すれば、中國はバシー海峡・台湾海峡・南シナ海・東シナ海を押さえる。共産支那は自由民主國家ではなく軍事的覇権國家である。共産支那の日本における最大の手先が自民党二階派であり公明党である。

 

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千駄木庵日乗七月八日

午前は諸事。


午後は、『伝統と革新』原稿校正。


午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が笠朝臣金村などの歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2020年7月 7日 (火)

「有心」「無心」について

大伴書持(ふみもち)の歌

わが屋(や)戸(ど)に 月おし照れり ほととぎす 心あらば今夜(こよひ) 來(き)鳴(な)き響(とよ)もせ              (一四八〇)
 

【大伴書持】大伴家持の弟。天平十八年(七四六)没。金持はゐなかった。
【おし照れり】空高くから煌々と一面に照らしてゐる。【心あらば】思ひやりの心があれば。【鳴き響もせ】鳴き響かせておくれ。

通釈は、「私の家の庭に月が照ってゐる。ほととぎすよ、心があったならば、今夜来て、鳴き立てておくれ」といふ意。

ほととぎすに人の風流・情趣が分かる心を求めてゐる。大伴書持は大歌人家持の弟であるが、『萬葉集』には十二首の歌が収められてゐるだけである。風流を愛し、草花を愛した人。

中世の大歌人・西行に

「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮れ」(出家した心なき身にも、あはれの心はよく分かる。鴫【水鳥の一種】が飛び立つ秋の夕暮れには)

といふ歌がある。

出家した人は、悟りの境地を求め、戀とか愛とか美といふ世界から超脱してゐなければならないとされてゐる。「心なき身」とはさういふことである。出家し僧侶である西行は本来、喜怒哀楽の心・愛憎の心・五感の喜び即ち煩悩から超脱してゐなければならないが、澤から鴫が飛び立つ秋の夕暮れには、哀感・寂寥感を感ぜずにはゐられない。「心なき身」即ち現世的な感情を断絶しなければならない出家の身である西行にも、「もののあはれ」といふことは知ることができるなあ、といふ歌である。これが日本人としての自然な心であらう。

 「もののあはれ」とは物事に対してしみじみと感動する心のことである。単なる哀歓でも悲しみでもない。なかなか定義づけるのは難しい言葉である。

この大伴書持の歌は西行の歌ほど深い内容ではないが、日本人が古来「心」といふものを大切にしてきたことが分かる歌である。書持の歌の「心」は風流を愛する心である。

歌の学問上は、「有心」とは「深い心があること」「思慮分別があること」であり、大切なものとされる。書持の歌はこの心を歌った。

歌学上の「無心」とは「情趣を理解しない心、情趣をわきまへない心」といふ意味である。一方、仏教上の「無心」とは「一切の妄念を離れた心」として大切にされた。西行の「心なき身」の「心」とはこのことである。

醍醐天皇の御代の延喜十六年には『有心無心歌合』が行はれた。七夕の日に「有心」無心」の歌を互ひに歌はせて競はせた歌会である。天上の戀は「無心の戀」であり、地上の人間の戀は「有心の戀」と言はれたといふ。

平安時代には、「無心」とは思慮分別がない、世の常識を超えた心とされ、「有心」とは思慮分別があり常識をわきまへた心とされるようになったといふ。従ってこの歌は、「ほととぎすさん、思慮分別があれば月が煌々と照ってゐるわが家の庭に来て鳴いておくれ」と歌ったのである。

現代の言葉で言へば、「有心」とは、合理的、理知的な心といふことであらう。この言葉の意味は、歌学と仏教では大きく異なると言っていいだらう。

歌学における「有心」とは「真実のある歌を指すとともに、美的様式としてはつややかなもの言ふ」とされる。それが中世になると妖艶な美となる。この大伴書持の歌は、さういふ歌の淵源といふことになろう。一方、「無心」とは一言で言ふと枯淡の境地の事である。

この書持の歌の「心あらば」は、月が照って美しい夜であるのだから、さらに興を添へてほととぎすがわが庭に来て鳴いてくれることを求めたのである。ほととぎすを擬人化して、「心あらば」と求める新しい着想の歌。かういふ歌を、情趣をわきまへた歌、風流、艶の世界の歌と言ふ。やや大袈裟に言へば、新しい機軸・美感覚を打ち立てた歌と言っていい。

奈良朝後期になると、歌が型にはまって来て花鳥風月を型通りに歌ふ歌がやや多くなってゐる。しかし、この大伴書持の歌は、後世の「有心」の世界、艶の世界を詠んだ歌の端緒と言っていいであらう。

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、諸事。


午後らは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。明日行う『萬葉集』講義の準備など。

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この頃詠みし歌

中村メイコ黒柳徹子は何時までも生きてゆくらしと思ふ時あり

よくしゃべる女性は長生きするらしも寡黙ならざる我どうなる

髭の似合ふ人と今日は語らへり爽やかな日本人元一等陸佐

横山大観小堀鞆音が住みてゐし谷中の街を今日も散歩す

堂々男児は死んでもよいと歌ひたる人達を思ふ夕暮の谷中

学生時代の友の消息を知りたしと古き年賀状をめくりゐるなり

如意輪観世音おはす御堂の前に立ち祈りを込めて経誦しまつる

父と母が護りたまへる観音堂われも日日(にちにち)参るかしこさ

父母(ふぼ)の墓所に祈り捧げる孫の顔 菩薩の如く見えにけるかも

墓石の上を飛び歩く猫一匹わが菩提寺は平和なりけり

千駄木の町をへ巡り過ぎし世を 偲べば新緑が眩かりけり

走り回る幼子たちを避けにつつ夕暮時の公園を歩く

中条百合子の屋敷のありし跡所(あとどころ)当時の門柱が残りゐるのみ

財閥とプロレタリア作家と大彫刻家の住みゐし建物が並びゐし所(安田楠夫・中条百合子・高村光雲光太郎父子)

宮本顕治百合子夫妻の住みてゐし屋敷の前に内務警保局官舎ありたり

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2020年7月 6日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 七月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、諸事。

午後は、平河町に鎮座する平河天満宮に参拝。

この後、平河町の先輩事務所訪問。長時間にわたり懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿校正など。


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、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である


宇都宮は共産党と立憲民主が支持した。それだけでもこの弁護士を知事にしてはならないと思ってゐた。

当選するはずはないと思っていたが、宇都宮と山本が落ちて良かった。それでも不安が全くなかったわけではないので、投票に赴き母校の小学校の体育館で小池百合子氏に投票した。

日本共産党は、屁理屈をこねまわして自己を正当化することを得意とする政党である。そして歴史を改竄することを得意とする。

日本共産党は結党以来「君主制打倒」を党是としてきた政党である。志位の言う「天皇制に反対する立場」を取り続けてきた政党である。

共産党の「綱領」に「憲法上の制度であり、その存廃は将来、情勢が熟したときに国民の総意によって解決されるべきものだ」と書かれている。

つまり、「情勢が熟したら」、天皇を君主と仰ぐ建国以来の日本國體を破壊するのである。「解決」などと言う欺瞞的な言葉を使っているが、「廃止する」「打倒する」ということである。

それは共産党が「党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と主張していることによって明らかだ。

共産党は、「立憲君主制」を破壊し打倒し、「共和制」を樹立することを目的としている政党なのである。この事は全く変わりはない。

さらに共産党は、「今の天皇の父=昭和天皇は、明治憲法のもとで軍の統帥権をもつ元首として、侵略戦争と植民地支配を指導した戦争責任があった。このことをきっちり裁けずに戦後日本の政治がスタートしたために、『あの戦争は正しい戦争だった』という時代錯誤の潮流がいまだに幅をきかす。ここに、日本の政治の後進性があります」「(共産党は・注)ま戦後一貫して昭和天皇の戦争責任を追及してきました。昭和天皇の戦争責任は、今なお〝時効〟にできるものではありません」と主張している。

常に平和を望まれ、国民のため、国家のために命懸けで終戦の御聖断を下された昭和天皇様に対し奉り、このような不敬至極な考え方を持っているのが日本共産党である。このような政党に、「即位の大礼」はもちろん、天皇陛下が御親臨される「国会開会式」に出席する資格はない。

『日本共産党』の「綱領」にはさらに次のように書かれている。「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、プーチンという最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民・習近平による独裁専制政治が行なわれてきた。

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩三代の残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、「金一族」のみが専横を極め「金一族」を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民多数が栄養失調で死んで行く国なのだ。

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。「君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民の差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する」というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、他の野党共闘をやりやすくするための方便である。

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にありえない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」をよく読めばそれは明らかである。「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言っているだけである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」(私はこういう言葉は使いたくない)を否定した「共産主義憲法」を制定するのである。共産党が「天皇を君主と仰ぐ日本國體」を容認したわけでは絶対にない。

それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによって火を見るよりも明らかである。

ともかく、「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆の準備。

夕刻、母校に赴き体育館にて都知事選挙の投票。

この後、千駄木の町を久しぶりに散策。地元の友人の店で一献。

帰宅後も、原稿執筆の準備。

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2020年7月 4日 (土)

共産支那・北朝鮮と同根の日本共産党を排撃すべし

 この度施行された「国家安全法」による香港市民への弾圧迫害をみても明らかになった通り、共産政権は国民の自由とか民主とか政府批判は一切認めない。日本共産党は、共産支那や北朝鮮という専制国家と同根である。

昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、日共は日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。これを後方攪乱と言う。

共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。

さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

日本共産党は、あろうことか長い間、「朝鮮戦争をアメリカの侵略だった」などという嘘八百を並べ立てていた。

『日本共産党の四十五年』という書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いている。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後、一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だったのである。

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが国政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰国した。

そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのである。

七0年代初頭、北朝鮮の国家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰国者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰国者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたという。

帰国事業では、日本共産党の有力者が、全国の「帰国協会」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰国させ、政治的には「北朝鮮に社会主義国の建設を」と宣伝した。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なっていない。のみならず、悲惨極まる状況に陥っている帰国者の救援・救出にもソッポを向きかえってそれを妨害して来たのである。

昭和四十年代前半、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝していた。共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭い去ることのできない大きな罪を犯したのである。

拉致問題に関しても日本共産党は、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示していない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本国内にあるはずがない。わが国の警察の捜査が及ばない北朝鮮の国家ぐるみの犯罪について、わが国の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。
 
日本政府に「証拠を示せ」と迫ること自体無理な話であり、こんなことを言うのは共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

そもそも日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産中国の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。共産党や旧社會党・社民党ような政党の存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしてきたのだ。

日本共産党が日本の軍事力強化、日米軍事協力の強化に反対するのは、共産支那や北朝鮮の軍事侵略に協力し加担するためである。日本共産党撲滅が急務である。

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、近親者来宅。室内清掃。


午後は、北区にある菩提寺参詣。親族と共なり。住職夫人に挨拶。四宮家の墓所を掃苔、拝礼、ご冥福とご加護を祈る。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料検索など。

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「國民主権論」の憲法への明記はわが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある


 美濃部達吉氏は、「主権の観念は近世の初期以来、主としてフランスにおいて初めには君主主権説の形において君権の擁護のために主唱せられ、後には一転して國民主権説の形において社会契約説と相結合し、広く世界に大なる影響を及ぼし、ことに米國諸州の英本國よりの独立、米合衆國の成立、フランス革命等につきその思想的基礎を与えたのである。」(『日本國憲法原論』)

大石義雄氏は、「主権在民とは國民主権とかいう言葉は、日本の歴史にはなじまない言葉である。西洋の歴史は、君主退國民の政治闘争の歴史であるから、君主の手に握られていた主権が國民の手に移ったことを示す用語として、主権在民又は國民主権という言葉は、その歴史を示す言葉として適当である。しかし、日本では、皇室対國民の政治闘争の歴史がないのである。」(『憲法改正の根本問題』)と論じてゐる。

小森義峯氏は「國民主権の思想は、國家契約思想や天賦人権思想と結びつくものであり、それら一連の思想は、とりわけ近世初頭において、専制君主の横暴と抑圧に苦しめられていたという、君民対立・抗争の西洋の歴史と風土の中から生まれたものである。そして、それらの思想を言葉を換えて、一言で表わせば、キリスト教的自然法思想と称することができる。」(『正統憲法復元改正への道標』)

小室直樹氏は「主権理論を最初に明確な形で打ち出したのが、フランスの思想家ジャン・ボタンである。…ルイ十四世に代表される『絶対王権』が出現する…その絶対王権の出現にいわばお墨付きを与えたのがボダンの理論なのである。ボダンは、國家は何者にも縛られない『主権』を持っていると主張した。…それ以前の世界では、王といえども臣下の特権を無視することはできなかったし、また、信仰面ではキリスト教会の法王の足元にひれ伏さなければならなかった。さらに傳統主義から逃れることも出来なかった。だが、ボダンによれば、自由に法を制定・改廃することができる。まさにルイ十四世が言ったとおり、『朕は國家なり』なのだ。このボダンの理論によって、中世の王國ははじめて『國家』(stato)になることができた。近代國家の始まりである。」(『日本國憲法の問題点』)

このやうに、国民主権論は全くわが国の国柄とは相容れないのである。そもそも日本天皇が日本國の君主であらせられ、統治者であらせられるのは、天皇が絶対的な政治権力者であらせられといふことではない。それは、武家専横時代の歴史を見れば余りにも明らかである。日本國の政治権力者は藤原氏・平氏・源氏・北條氏・足利氏・徳川氏と転変を繰り返したが、大君・君主は神聖なる権威の保持者であらせられる上御一人・日本天皇であった。日本國の君主=天皇は、権力のあるなしには全く関はりなく君主であらせられ天皇であらせられる。ゆへに國民主権論を我が國の憲法の基本原理にするのは絶対に誤りであり、國體を隠蔽し、國柄を破壊することとなる。

わが國の歴史には、天皇が主権=國家の最高権力を独占的に掌握し独裁専制政治を行ってゐたなどといふことは全くない。『大日本帝國憲法』にも、「天皇に主権がある」とは全く書かれてゐない。

 わが國は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體である。西洋國家論で言ふところの契約國家・権力國家ではない。我が國は君民一體の國柄である。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合ったといふ歴史は全くない。天皇の政治的権力によって國民が圧迫されたこともない。

故に、君主と國民が対立関係にある國家ではない。國王と人民が主権争奪戦を繰り広げた歴史を持つのは欧米諸國である。従って「主権」が「君主にあるのか、國民にあるのか」などといふことを成文憲法に規定すること自體わが國の國柄とは相容れない。「國家の意思を最終的に決定する権力」という意味での「主権」なる概念と言葉は、天皇中心の信仰共同體國家日本には全くそぐはない。

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは、大きな誤りであり國體を隠蔽し國體破壊につながる。「國民主権論」が憲法に書かれている事が、をわが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。

小生は、小学校時代の國会見学で、参議院議場を見学したとき、担任の教師が、天皇陛下の玉座を指差して、「今にああいふものはなくなります」と言ったのを今でも鮮明に覚えてゐる。「國民主権」などといふ概念が憲法に盛り込まれている限り、かかる教育が行はれる危険があるのである。

日本國の統治の大権は建國以来天皇にある。そして天皇の統治大権は権力支配組織の支配権力ではなく、信仰共同體(人格國家)を「しろしめす」といふ意義である。天皇の日本國統治とは、決して権力によって支配されるといふことではない。

三潴信吾氏は「帝國憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、國家・國民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の傳統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

 それでは「やまとことば」の「しろしめす」(「しらしめす」ともいふ)とは一體いかなる意義なのであらうか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」といふ敬意を添へる語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められてゐる文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでゐる。この場合の「知る」とは単に知識を持ってゐるといふ意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するといふほどの意であろう。

天皇が、天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるといふことであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているといふことである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 先に引用させていただいた文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されてゐる。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)といふ、きわめて信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 『大日本帝國憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」といふ言葉を用いたのである。そしてこの「統」といふ言葉は統べる(統一する)といふ意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)とふ意である。明治天皇は、明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになってゐる。このお言葉こそまさしく「治める」の本質であると拝する。無私と慈愛といふまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

『大日本帝國憲法』の起草に当たった井上毅は「御國の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡持て天か下の民草をしろしめすという意義より成立したるものなり。かゝれば御國の國家成立の原理は、君民の約束のあらずして一の君徳なり。國家の始は君徳に基づくといふ一句は日本國家学の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「わが國の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」(『梧陰存稿』)と論じてゐる。

これは「社会契約論」否定の正統なる論議である。君主と民とは相対立しており國家は君と民、あるいは民同士の契約によって成立するなどといふ西洋法思想・國家観は、日本の國體観念・天皇観とは全く異質なものであると井上毅は説いてゐるのである。

 ただ、井上毅はここで「君徳」と言ってゐるが、日本天皇は人としての「徳」よりももっと深い「祭り主としての神聖権威」、日本傳統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって國家を統治したもうのである。

御稜威とは天皇の有される神霊の威力といふべきものである。折口信夫氏は「御稜威」について、「みいつといふ語の語根いつといふ語は、稜威といふ字をあてる…いつのちわき・いつのをたけびなどといふ風につかってゐます…天子に傳り、これが内にある時は、その威力が完全に発現するところの権威の原動力なる魂の名でありました。」(『神々と民俗』)「天子には天皇霊といふべき偉大な霊魂が必要であって、これが這入ると、天子としての立派な徳を表されるものと考へられてゐました。その徳をみいつといふ語で表してゐます。…これは天皇靈の信仰上の名稱でした。」(『鳥の聲』)と論じてゐる。そしてその御稜威(天皇靈)は大嘗祭において新しき天皇のお體に入るとされる。

 歴代天皇には「人」としての徳がいかにあられやうと、歴聖一如の「御稜威」によって國家を統治したまうのである。今上天皇におかせられては、大嘗祭を執行されて現御神となられ、御稜威を保持されてゐることはいふまでもない。

國體護持を祈る憲法学者は、國體に沿って『現行憲法』を解釈して、「主権が國民に存するであれば、國民の中に天皇も含まれる」とし、また「國民の総意とは今現在生きてゐる國民だけでなく、神武建國以来未来永劫ずっと続くところの日本國民全員の総意、ルソーのいふ普遍意思のやうなものだから、『天皇制』は永遠に持続する。」と主張してゐる。
日本國體にそって解釈すれば、『現行憲法』のいふ「國民の総意」とは、決してある時点における國民各個人の集合による多数決の総計結果ではなく、永遠の過去から永遠の未来にわたる日本國民の普遍的な意志即ち日本國體精神のことである。したがって、わが國が革命によって國體が否定されるか、日本國が地上から何らかの事情によって消滅しないかぎり永遠に変る事はないとすることができる。

憲法をはじめとした成文法及び國家機関の正統性は、天皇を中心とする日本國體の上に立脚してゐるところにある。天皇の正統性は成文憲法に立脚するのでは断じてない。成文憲法は、あくまでも不文憲法=日本國體にのっとって解釈すべきである。

『現行憲法』上の「國民の総意」は選挙人である國民及びその代表者の國会議員の多数意思(=多数決の総計)ではない。言ひ換へると、天皇の御地位は、共和國の大統領のように國民の投票によって選ばれた御存在ではない。申すも恐れ多いことであるが、現行憲法下で、「天皇選出の選挙」が行なはれた事は一度もない。

『現行憲法』の「國民の総意」とは三千年の長い歴史の中で、遠い祖先から継承され培はれてきた「日本國民の傳統的な普遍意思」といふ解釈が、日本國體に合致した解釈である。『日本國憲法』が、形式上は日本國體に基いて制定された『大日本帝國憲法』を改正した憲法であるとされてゐる以上、さういふ解釈以外あり得ない。

大野健雄氏(元宮内庁総務課長)は「総意に基づくというのは、この天皇の御地位は肇國以来子々孫々の末に至るまで、國民の総意を以てお護りしてきたし将来もするのであるぞ、という過去の事實と将来の決意を中外に宣明したものと解すべきである。金森國務相も…議會において『現在の瞬間に生きている日本國民ではなくて…過去及び将来の人をも併せ考えうる考え方である』と言い又『過去、現在、未来という区別なく一つの総意である』と述べているのは、その意味である」(『天皇のまつり』)と論じてゐる。

『現行占領憲法』の「(天皇の御地位は)主権の存する日本國民の総意に基く」といふ条文を、憲法九十六条の「憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成、國民の過半数の賛成を必要とする」といふ条文に基き、「國民の多数意思によって『天皇制』は廃止され得る」と解釈するのは誤りである。

しかし、本来「國民主権論」は、前述した通り日本國體とは合致しない欧米近代の革命思想である。解釈論争が生じてしまふやうな「國民主権論」を憲法の基本原理とすることは國體破壊の道を開く危険がある。

葦津珍彦氏は、「将来の憲法改正においては、君民対決の連想を誘発させる『國民主権』の語を削り、日本國君民一致の精神に基づき『統治権の総攬者(統合し掌握する者)としての天皇の』の地位を復元すべきものと思ふ。」(『天皇・神道・憲法』)と論じてゐる。

日本の傳統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立ってゐる『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい傳統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。現行占領憲法は一刻も早く破棄し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

憲法に、日本の國柄に反し天皇の御本質を正しく表現してゐない「天皇条項」があるから、日本は安定を欠いてゐるのである。正しき自主憲法を制定するに当たっては、天皇中心の日本國體を正しく成文化すべきである。『現行占領憲法』は、君主と人民とは相対立する存在であり國家とは國民同士が契約して成立するものであると考へる西洋法思想・西洋國家観に貫かれており、日本國體の根幹を正しく規定してゐない。むしろ『現行憲法』は國體破壊もしくは隠蔽の元凶になっている。「護憲」の名のもとに数々の國體破壊もしくは隠蔽が行はれている。
 今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現実の國家元首と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでゐる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇といふ神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本國は太古以来の傳統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」がわが國の國家傳統の破壊しやうとしてゐる。それが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

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2020年7月 3日 (金)

「第104回日本の心を学ぶ会」のお知らせ


第104回日本の心を学ぶ会

【テーマ】安倍長期政権を総括する

【日 時】令和2年7月26日 午後6時から

【場 所】文京区シビックセンター 4階ホール

https://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_shisetsu_kuminkaigisitsu.html

文京区春日1-16-21 東京メトロ後楽園駅・丸の内線(4a・5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分、都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分、JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9分

【演 題】安倍政権は日本をとりもどせたか

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内整理、資料整理、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備など。以前より息切れがひどくなったので心配していたら、マスクを付けているためと判明。やや安心。

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2020年7月 2日 (木)

永寿総合病院・湯浅祐二院長の体質

新型コロナウイルスの集団感染が起きた永寿総合病院(東京都台東区)の湯浅祐二院長が1日、都内で記者会見を開き、入院患者や職員ら計約200人が感染した経緯を説明した。集団感染のきっかけとなった可能性がある患者の診断が遅れたことを認めた上で「コロナへの対処法が甘かった」と述べた。

 地域の中核病院の役割を果たせない状況となり「多くの方々に大きな不安を与えてしまった」と謝罪。「私どもの経験が、これからの備えに役立てばと思う」と語った。

最終的に入院患者109人、職員83人が感染し、このうち患者43人が死亡したとした。亡くなった患者の半数に血液疾患があったという。患者・職員ら計214人が感染、うち患者43人が死亡するに至った経緯や対策、職員らの思いを語った。

テレビワイドショーの司会者やコメンテーターは、この湯浅院長の涙を流しての記者会見を評価する人も多かったようである。しかしどうも私は湯浅祐二院長・永寿総合病院を評価することはできない。

というのは、小生の父、暫く永寿総合病院に入院し、他の病院に移されて亡くなった。その経緯に納得出来ないものがあったので、湯浅祐二院長に書面による質問を行ったがいまだに何の回答もない。そこで、良い機会であるのでその父の入院・転院の経緯についての小生の手記、そして永寿総合病院に対する小生の質問書を掲載する。

                       ◎
 永寿総合病院は内科、産婦人科、外科などを備え、病床数は四〇〇。二四時間体制で救急患者を受け入れている二次救急医療機関に指定されている。感染者が出たことを受け二四日から外来診療を中止した。

小生の父は永寿総合病院な長期間入院していた。その時の対応があまりにひどかったので、下記のような抗議文・質問書を院長に提出した。ご参考までに掲載します。

             ◎
永寿総合病院         平成22年3月20日
院長 湯浅祐二殿
四宮正貴

第一   貴病院の対応
1、平成二十二年十一月二十日午前、父・四宮金彌が、尿路感染症で苦しみ出し、救急車で永寿総合病院に行く。診察を受け、すぐ入院ということになった。中野邦夫医師(総合内科・永寿病院副院長)は、付き添って行った小生に対し「老衰が進んでいる。高齢になると老衰とか病気は急激に進行することがある」と言った。
2、十一月二十五日午後、小生が付き添っていると、父が体の痛みを覚え「痛い、痛い」という声をあげていた。小生が付き添っているとは知らなかったある女性看護師は、「痛い、痛い」という父の口真似をしながら廊下から病室に入って来た。小生は、「患者が苦しがっているのに、その真似をするとは何事かと」強く叱りつけた。
3、尿路感染症は数日で小康を得、体力も回復の兆しを見せてきた。十一月二十七日、連絡があり病院に赴くと、担当の中野邦夫医師が「肺に食べ物が入り、熱が出た。どういう結果になるか分からない」と言う。そして、食事をいったん中止するという。「老化による咽頭反射の低下が原因だ」という。しかし、入院前は、全くそういう兆候は無く、食欲は旺盛の方であった。前日の十一月二十六日、私が病院に行って父に会った時、父は「病院の人に無理に食べ物を食べさせられた。」と言っていた。この事で、食べ物が肺に入り、誤嚥下性肺炎を起こした可能性が極めて高い。
4、十二月一日、また病院に呼ばれ、担当の中野邦夫医師の説明を受けた。今度は、何と「MRSA(耐性ブドウ球菌)」が父の喉に付着したという。「耐性ブドウ球菌」とは「耐性を獲得し、最も有効なメチシリンという抗生物質が効かなくなった黄色ぶどう球菌(食中毒などの原因となる菌)。学名、スタフィロコッカス‐アウレウス。皮膚や鼻腔などに存在。院内感染の原因ともなり、抵抗力の弱い手術後の患者や高齢者・未熟児などが感染しやすく、一旦発症するとほとんどの抗生物質が効かないため治療は困難。多剤耐性黄色ぶどう球菌。MRSA(Methicillin-resistantStaphylococcus aureus)」という黴菌である。これが私の父の喉に付着したという。つまり治療が困難な黴菌に院内感染してしまったのである。
5、そして医師は、「回復の見込みはない。延命とは延苦である」とか言って、延命治療については私に任せると言うのだ。病院側の不注意、医療体制の不備によって治療困難な状況に私の父を追い込んでおいて、延命治療は私の判断に任せるなどというのはあまりにも無責任であり、無反省である。

私が会いに行くと、目を覚ましていれば、色々話しかけてくる。そして食べ物を欲しがる。つまりまだまだ意識もあり、生きる意欲もある父について、息子の私が『もう延命させなくて良い』つまり『殺してくれ』などと病院に言えるはずがないではないか。しかも嚥下能力の喪失も、「耐性ブドウ球菌」の感染付着も、病院側のミスによると判断せざるを得ない。そういうことへの反省も責任の自覚も無く、「回復の見込みはない。延命とは延苦である」などと言って、事実上、私に「父親を殺してくれ」と言わせようとしているのだ。これは全く許し難いことである。
6、十二月十六日午後、病院で父に付き添っていると、ベッドに拘束され苦しがっている父が、拘束具をはずしてくれとうめくので、看護師を呼ぶ。しかし、十数分経ってからやって来て、ようやく拘束を解いた。あまりのことなので、厳しく抗議する。そして中野邦夫担当医師を呼んでもらう。私が色々抗議すると、中野医師は「では別の病院に行ってくれ」と暴言を吐く。断じて許し難い。医師としての責任感も倫理感覚も持ち合わせていない暴言である。この病院に対しては長い間不信感を持っていたが、もう我慢がならない。徹底的に戦う覚悟を決める。
この病院については、これまでも色々腹の立つこと、許せない事があった。ことは父の命にかかわることである。断固として戦いたい。 しかも医師の態度たるや傲岸不遜と言うか全く誠意が感じられないものであった。

第二 質問
1、 何故入院した後に病状が悪化したのか。
2、 何故食べ物が父の肺の中に入り誤嚥下性肺炎にかかったのか。
3、 何故、嚥下能力を喪失したのか。
4、 何故「耐性ブドウ球菌」が父に感染付したのか。

        ◎
この質問書・抗議文に対する回答は全くなかった。永寿総合病院・湯浅祐二院長とはそういう体質なのである。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、病院に赴き、医師の診察を受ける。心臓の疾患がやや悪化しているので、いろいろ注意事項を聞く。塩分の取り過ぎに十分に気を付けるようにとのことであった。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。『やまと新聞』連載原稿執筆。脱稿。送付。資料の整理など。

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歴代天皇お一方お一方は、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる

歴代天皇お一方お一方は、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられているのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

平成の御大礼・大嘗祭、そして令和の御大礼・大嘗祭は、「現行憲法」の制約がどうあらうとも、厳粛にそして古式を継承し則って行はせられた。そして国民の大多数はその荘厳さに粛然として、天皇国日本の国民であることにあらためて歓喜し感激したのである。

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。この學説は決して妄説ではない。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれている。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族は「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

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2020年7月 1日 (水)

日本共産党の本質

日本が日露戦争に勝利したことにより、帝政ロシア=ロシア帝国は衰退し、共産革命(いはゆる十月革命)か起こった。これでロシアの世界侵略の野望が途絶えたかといふと決してさうではなかった。ロシアとって代ったソ連は「国際共産主義運動=世界赤化、万国の労働者団結せよ」を合言葉・スローガンにして世界侵略支配の野望を益々たぎらせた。

そして、共産主義・ソ連の世界侵略による殺戮の歴史が開始された。我が國及びアジアにおけるその手先が日本共産党などの日本国内の共産主義革命集団である。

日本共産党は、国際共産主義運動の指導組織と言ふよりも、世界共産化・ロシアの世界侵略の謀略組織たるコミンテルン日本支部として大正十一年(一九二二年)に創立したのである。日共は創立当初から大侵略国家ソ連の手先であり出先機関なのである。

日共はソ連・共産支那・北朝鮮などの共産主義独裁国家・全体主義国家と同根の政党であり本質は全く同じである。日共はソ連の世界共産化謀略組織「コミンテルン日本支部」として創立した政党であり最初から共産主義侵略國家の手先なのだ。

それは日本共産党自身が「日本共産党は、一九二二年(大正十一年)七月十五日、コミンテルンと片山潜の援助のもとに創立されました」(『日本共産党の四五年』)「日本共産党は、…十月革命の影響のもとに、創立されました」(日本共産党中央委員会出版局一九七三年発行『共産主義読本』)と書いてゐる通りだ。

さらに、日本共産党創立時にその準備段階から参画し、中央委員となり、綱領作成に携った鍋山貞親氏は、その著書『共産党をたたく一二章』において、「日本の共産党は、一九二二年に成立して以来、四十四年近くの長きにわたりソ連に完全従属して来たことは、否み得ぬ事実である。党の憲法ともいうべき綱領を、よく顧みるがよい。一九二二年、創立した時の綱領はモスクワ製である。ニコライ・ブハーリンが書いて、日本に与えたものだ。次いで第二回目の綱領、いわゆる二七年テーゼもソ連製である。…第三回目の綱領、天皇制打倒を真向うにふりかざしたそれは、文字通りモスクワ製であり、しかも一方的押しつけである。…時を経て、一九五一年に打ち出された第四回目の綱領はどうか。この綱領は端的な暴力革命を指示した点で、有名なのだけれど、これまたモスクワ製である」「革命のための綱領を押しつけるだけではない。それに基づく活動に必要な資金をまかなわれてきたことも事実である。…世間一般が共産党をしてソ連の手先だと見たのも、決して見当ちがいではなかったのである」と。

ロシア十月革命直後の二年間で粛清・処刑された人々は一百万人と言はれる。そしてアジア・東欧・アフリカなど全世界における共産主義革命侵略闘争による犠牲者は一億七千万人に上ると推計されている。(ニューヨーク市立大学アルバート・ウィークス教授の推計)共産支那の「文化大革命」といはれる毛沢東による政敵粛清・自国民虐殺、ガボジアのポルポトによる人民虐殺を加えるともっともっと多くなるであらう。

共産主義思想、共産主義独裁専制国家、共産主義政党・集団こそ、この百数十年間、世界・アジアそしてわが国の平和・自由・繁栄を根柢から破壊して来た。共産主義独裁専制国家及び集団組織の最高権力者は人殺しである。

プーチンはこれまで、反対派粛清・暗殺を指令しきたという。金正恩は気に入らない人間は自分の義理の叔父でも腹違いの兄でも残虐なる方法で殺している。習近平は、形だけの裁判は行うが、敵対者・邪魔な者を監獄に放り込んでいる。ロシア・支那・北朝鮮の独裁者は根本的にさういう体質を持ってゐる。日共の最高指導者だった野坂参三も宮本顕治も、同志を死地に追いやり、そしてリンチを加へて死に至らしめた。

習近平独裁体制下の共産支那は、香港の『一国二制度』を根底から否定した。そして香港住民の自由な活動に対する弾圧を一層激しく残虐に開始した。これが共産党の本質である。日本共産党も決して例外ではない。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。書状執筆。原稿執筆など。

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小池百合子氏について


小池百合子さんに対しては同志関係の人々からの批判が多い。小生が数年前に書いた拙論を掲載します。ご異論もあるかと思いますが、ご一読いただけますれば幸甚です。


               ◎


小池百合子さんは、小生が編集を担当させていただいている季刊誌『伝統と革新』第十一号(平成二十五年四月十五日発行)で、小生の質問に答えて次のように語った。

中國はかねてより、太平洋の野望を抱いていることは知られている通りです。二〇〇八年、米国上院で当時のキーティング太平洋軍司令官がその旨を証言しています。「中国軍高官が太平洋の東西を米国と中国で分割しよう」と。その後、ロシアの中古空母を改造するなど、着々と準備を進めていた。そこに、日本の政権交代です。民主党政権の誕生により日本が混乱することで、中国の戦略行程を前倒しにした感があります。鳩山首相の普天間基地の扱い、つまり「海外、少なくとも県外」発言や、小沢さんが百四十三人もの現職民主党議員を引き連れての朝貢外交など、北京からすれば、小躍りしたくなるような政権でしたからね。中國からすれば、尖閣は単なる突破口でしょう。

このせめぎ合いは十年、二十年と長期にわたるものとなるでしょう、有事に備えるのは当然ですが、一方で痺れを切らした方が負けです。日米同盟の強化とともに、官邸にNSC(国家安全保障会議)を創設し、省庁の縦割りを排し、復情報も一元化すべきです。中長期的な日本の安全保障を構築しなければなりません。ただ、NSCの機能を高めるためには。しっかりした国家観を有するリーダーシップを抱かねばなりません。さもなければ、無用の長物になる恐れがあります。

自民党は憲法改正を党是とし、長年議論を重ね。憲法改正草案を作成してきまた。草案に盛り込まれた「集団的自衛権の行使」「や「国防軍創設」にはもちろん賛成です。

本来、憲法は国民を守るために存在するわけですが、憲法発布の頃と比べ、世界情勢も大きく変化してきました。左派と呼ばれる方々は、戦後の日本の平和を憲法第九条のおかげと言われますが、現実は日米安全保障が日本の平和と安全を支えたと言っていいでしょう。日本の憲法改正を批判するのは中国と韓国くらいじゃないですか。軍国主義に後戻りするとか言ってそれは、彼らが日本を自縄自縛させている方が都合がよいからなのであって、彼らの都合です。それをさらに日本の左派メディアが強調する。そもそも原文が英語で、それを日本語に翻訳しただけの現憲法はいわば「もらいもの」。

日本中の街角で最もたくさん見かける国旗といえば、実はイタリア国旗ではないかと思うんです。…ピザ屋やスパゲッティ屋さんの店先に揚げられているでしょう(笑い)。アメリカでも、フランスでも、中国、韓国でも、自国旗はどこでも誇らしげに掲げられています。日本の国会議員として日の丸の掲揚キャンペーンもやりたいですね。

防衛大臣を務めた期間は短かったですが、私が最も力を入れたのが情報保全対策でした。そこで、ぜひとも実現したいのがスパイ防止法の制定です。日本はスパイ天国ですよ。危機意識の薄い日本では機密保持についてオオ甘です。最悪が国会議員(笑い)。「これは秘密ですから」などと枕詞がつけばなおさら喋りまくる習性があります。たまに開かれる議院運営委員会での秘密会など、数分後には漏れています。笑えない事実です。

私は、日本の中にある伝統、文化など、全てを凝縮しているのが皇室だと思っています。大臣就任中にはありとあらゆる皇室行事に参加させていただきました。新嘗祭、歌会始……すべてです。閣僚である際にしか参加できない行事も多いことから、貴重な機会を逃すまいと思いました。そこで実感したのは、陛下のお役割やお務めがいかに厳しく、かつ重要かということです。陛下は思いをこめてお務めされているのです。アラブの湾岸諸国には王朝・首長制の国々は多数あります。そういう国々へ総理大臣や閣僚が一万回出向くよりも、陛下や皇室の方が一度いらっしゃるだけで、日本のプレゼンスは格段に上がります。日本の皇室の存在はかけがえのないものです。
              〇

小池百合子氏が小沢一郎氏と決別した理由
小池百合子氏は、『文藝春秋』平成二十年一月号で、一時は政治の師と仰いだ小沢一郎氏と決別した理由について次のように書いています。

           〇

「政策上の理由では、三点ある。…国旗・国歌法案と外国人参政権の法案をめぐる対応、そして安全保障上での国連中心主義に対する見解の相違が大きい。私は国旗・国歌法には賛成。外国人参政権には否定的な立場で、自由党内の大勢も同じ見解だった。…しかし、公明の取り込みという政局的観点からか、党内議論とは別に、国旗・国歌法に反対、外国人参政権に賛成とした。…この大転換は私にとって衝撃だった。この二つの問題は国家のあり方の背骨の部分である。日本という国家としてのあり方を問う主要な政策を政局の道具として使うことに違和感を覚えた。いったん芽生えた不信感は、次第に膨れ上がって行った。いま思えば、これが〝小沢離れ〟のきっかけだったかもしれない。…そして、小沢氏の国連原理主義に対しても、じつは私は懐疑的だった。…国連はそれほど立派なものなのか。国連憲章に則って現代の国際社会を読み直せば、それは欺瞞に満ちた構図しか見えてこない。いまや日本の国連予算はアメリカに次ぐ世界第二位にもかかわらず、国連憲章にはいまだに敵国条項が残っている。つまり、第二次大戦での敗戦国である日本の地位は、国連のなかにおいていまだに回復されていない。…その国連での決議が、果たして錦の御旗になるのだろうか、という疑問も残る。…日本は独立した主権国家である。主権国家たるもの自主独立の精神を貫くべきだ。自国の存立にかかわる判断基準を国連という外部組織に求めるべきではないだろう」。

        〇
ほぼ正論と思います。

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