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2020年6月 7日 (日)

仁徳天皇の御製を拝し奉りて

仁徳天皇御製

「沖方(へ)には 小船連(つら)らく くろざやの まさづ子吾妹(わぎも) 國へ下らす」

「沖の方には小舟が続いてゐる。あれはまさづ子といふ私のいとしいあの子が國へ帰るのだ、といふ意)」

第十六代・仁徳天皇は、吉備(きび)の國の海部直(あまべのあたひ)の娘、名は黒日売(くろひめ)の容姿が美しいと聞こしめして、宮廷に召してお使ひになった。

しかしながら、『古事記』によると、仁徳天皇の皇后の磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)は大変嫉妬心の強い方であらせられ、天皇にお仕へする妃嬪(きひん)たちは宮殿の中に入ることもできなかった、そして皇后は妃嬪のことが話題になっただけでも床に寝転がり足をばたばたさせて嫉妬された。

磐姫皇后の嫉妬を恐れた黒日売は船に乗って故郷に逃げ帰らうされた。その船を見て天皇が、お詠みになった御製が、

「沖方(へ)には 小船連(つら)らく くろざやの まさづ子吾妹(わぎも) 國へ下らす」

である。

この仁徳天皇の御製をお聞きになった磐姫皇后はさらにお怒りになって、人を遣って船から黒日売を下ろして徒歩で帰らせたといふ。かうした皇后の嫉妬物語は古代日本の大らかな精神が表れてゐる感じがする。

一方、『萬葉集』に収められてゐる磐姫皇后の仁徳天皇をお慕ひする御歌は実に悲しい歌である。

「君が行き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」
 (君の御旅行は日数が長くなった。山を尋ねて迎へに行かうか、ひたすらお待ちしようか、といふ意)

「かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しまきて 死なましものを」
(これほどまでにあたなを慕ってゐるのならば、高山の岩を枕にして死んでしまった方がよい、といふ意)

「ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我が黒髪に 霜の置くまでに」 
(このままで君をお待ちしませう。垂らしたままの私の黒髪が白髪になるまで、といふ意)

「秋の田の 穂の上に霧(き)らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ」 
(秋の田の稲穂の上にかかってゐる朝霞のやうに、いつになったら私の恋は晴れるのでせうか、といふ意)」

いづれの歌も萬葉恋歌の傑作である。これらの歌の悲しくも切ない恋心と,『古事記』に記された激しい嫉妬をされる皇后のお姿は対照的である。

「岩」といふ字が名前についてゐる女性には精神的・靈的に力が強い人が多い。その代表的ご存在が磐姫皇后であられる。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』に出てくる靈的力の強い女性の名前は「お岩」である。

古代人は、岩といふものを非常に神秘的に考へた。地下と地上とをつなぐものと考へた。大きな岩を墓に用いるのは、地下の靈が地上に出て来るのを押さへる役目を持たせたからといふ説もある。

岩には死んだ人の靈が籠ると信じた。墓石には「新たなる使命を帯びて地上に再び蘇るまでそこに鎮まっていただきたい」といふ祈りが込められてゐる。
萬葉時代は、かかる古墳時代の信仰がまだ生き生きと生きてゐたのである。古墳時代の信仰を継承してゐる歌人が柿本人麻呂である。

 「岩」は「いはふ」から出た言葉である。「いは(齋)ふ」は、神に対して穢れと思はれることを謹み、淨め、敬虔な態度を持して神を祀ることである。また、さういふ態度をとって穢れに乗じてくる邪悪を避けようとする行ひをも言ふ。つまり、身を清めて神を祭ることを齋(いは)ふといふ。そして、人々が集まって籠る所をいへ(家)といふやうになった。
                      
 岩や石には神仏や死んだ人の魂が籠ってゐると信じそれを拝むやうになった。特に巨岩は威力があり人格化され意志を持ち人間に語りかける靈妙なものと信じた。
 
 『國歌君が代』の「君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」は、石は靈が籠ってゐるので次第に成長して岩となるといふ信仰が歌はれてゐる。「天皇の御代は、千代に八千代に小さな石が次第に成長して大きくなり大きな岩となって苔がむすまで永遠であっていただきたい」といふ意である。

 「いは」のイは接頭語で、「いのち」「いきる」といふ言葉がある通り生命力を意味する。
           
「岩戸」とは、大地のイメージであり、母のイメージである。大地の母に回帰する信仰の神話物語が、天照大神の岩戸隠れであらう。

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