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2020年6月17日 (水)

近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない

日本各地に神社がある。神社が無い共同体は殆どない。神社は各地の共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。

そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、民は「子」として慈しまれる。

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体が今日においても脈々と傳へられ、現實に生きてゐるところにわが日本國の素晴らしさがある。

古代オリエント、古代支那、古代インドは、征服されて祭祀共同体は破壊され、そこに生きてゐた人々は個別化された。つまり日本國と諸外國とでは國家の成り立ちが根本的に異なるのである。従って、外国の國家思想をわが國の憲法に採用するのは國體隠蔽につながる。易姓革命思想・国民主権論がそれである。

わが國は、地域のみではなく、企業においても神社あるいは祠を立てて神を祭ってゐる。さうした神々は「企業神」と言はれる。企業神は無機質な利益追求の機能集団である企業に倫理的精神的結合を与へてゐる。素晴らしいことである。

しかるに近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない。

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