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2020年6月30日 (火)

佐藤正久氏にお話しを伺って思ったこと

佐藤正久氏のお話を伺うことができた。実際の国防安保の最前線に立たれた方のお話なので大変に勉強になった。今日の日本が「現行占領憲法」の制約の中で、国防安保体制を維持していることの困難さがよく分かった。「憲法」に加えて、野党・朝日新聞などの妨害を乗り越え排除しつつこの国の安全と独立の維持することの困難さがよく分かった。

特に、憲法第九条については、佐藤氏も安倍総理もこれを改定し第二項は削除するのが理想とは思っているが、今日の情勢下では全国会議員の三分の二そして国民と半分の支持を得ることはなかなか困難である。従って、加憲しか方法がないということである。

さらに佐藤氏は、アジアの地図を上の方に日本、下の方に支那大陸に置き換えた地図をもとに説明してくれた。ロシア・支那から見ると日本列島の島嶼が支那ロシアのアジアへの軍事進出の大きな邪魔になってゐるということである。したがってロシアが北方領土返還をするのがきわめて望み薄とのことであった。共産支那海軍も日本の排他的水域を自由に航行してアジアへの軍事的影響を強めたいと思っている。だから、尖閣の領有権に固執するのである。

ともかく日本は、戦後日本の横溢してきた「いざとなったらアメリカが日本を守ってくれる」「日本は、支那やロシアの属国になっても、支配下に入っても、戦争はしない方が良い」という亡国的思考を捨てなければならないのである。

「天皇皇室」については、日本天皇を「国家元首」と日本の憲法に書くのはいかがかと思う。日本天皇はアメリカ支那の最高権力者たる「国家元首」トランプや習近平とは全く違う。アフリカなどの国家元首はゲリラの親分だった人もいる。そういう「元首」と同じではない。日本天皇は日本の根柢・最も大事な部分におられる日本人の心の拠りどころであると強調されていた。


佐藤氏は自衛隊の一等陸佐として国防の任にあたっておられたので、現実を無視しないで理想を求めるというものの見方をされる人であると実感した。

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後三時より、永田町の参議院議員会館にて、佐藤正久参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2020年6月29日 (月)

この頃詠みし歌

飲食店に客は戻らずさみしげな顔をして主(あるじ)は厨房に立つ

朝倉文夫記念館の書棚には野依秀市氏の著書並びをり(朝倉文夫・野依秀市両氏は大分出身也)

すでにして店は閉じられ食すこと不可能となりし長崎ちゃんぽん

自衛隊の制服を着て帰宅せし父と遭遇せし押し売りは脱兎の如く逃げ行きにけり

駄菓子屋は消えてなくなりスーパーのお菓子売り場で幼児が泣く

真夜中の地震は恐し本棚より崩れ落ち来る書籍を如何にとやせん

六月の緑の木々は太陽に照らされにつつ光放てり

大観の住まひゐし屋敷は高きビルに挟まれりけり令和の御代に

溜息が出るやうなつまらなき歌並びゐる『角川短歌』

何時よりかすずらん通りといふ名がつきぬ昔は小便横丁と呼ばれゐし路地

わがことを施設の玄関で車椅子に座して待ちゐし母を偲ぶも

これの世を去りし父母(ふぼ)を幾年経ちても思ひ出すなり深き嘆きに

父もゐまさぬ母もゐまさぬこれの世に我はまだまだ生きゆかんとす

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・脱稿・送付。明日行うインタビューの準備。資料の整理など。

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2020年6月28日 (日)

北方領土奪還は、「日本を取りもどす」を謳い文句にして政権の座についた安倍総理がまず第一に実現すべき事である

平成三十一年(二〇一九年)「北方領土の日」の二月七日に開催された「北方領土返還要求国民大会」では、大会アピール(声明)の中に例年盛り込んできた「北方四島が不法に占拠され」との表現が使われなかった。

また安倍晋三総理は、一昨年の同大会での挨拶で使っていた「北方領土の帰属問題」との言葉も避けた。本年(令和二年)の「北方領土返還要求全国大会」でも言わなかった。

それどころか、本年の大会では、「北方四島における共同経済活動も着実に進んでいます。昨年、観光及びごみ処理の分野のパイロット・プロジェクトを実施しました。今後とも、地元の皆様の御意見をよくお聞きしながら、日露双方の法的立場を害することなく、事業化の実現に向けて精力的に取り組んでまいります」などと語った。

ロシアを刺激しないように配慮した挨拶である。ロシアが不法に侵略し占拠し続けているわが国固有の領土・北方領土を一日も早く日本に返還せよとロシアに強く求めるのがわが国政府の基本的立場であらねばならない。
そして安倍総理はそのことを「北方領土返還要求全国大会」において強く主張するべきなのである。

安倍総理は、「日露双方の法的立場を害することなく」などと挨拶の中で述べているが、不当に侵略し占拠し続けているロシアに北方領土における「法的立場」など全くない。

さらに安倍総理は、一昨年まで交渉の基本方針を「北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」と述べていたが、「北方四島」「固有の領土」という言葉も使わなくなった。

外交交渉は言うまでもなく相手のあることであるから、相手国の状況を見極め配慮することは必要ではあろう。しかし、わが國が基本的に譲れない主張や立場まで譲歩してはならない。

特に問題なのは、ロシアによる「第二次世界大戦の結果を日本が認めることが第一歩」というロシアの理不尽な主張を否定出来ないというのはあまりにも情けない。

「第二次世界大戦の結果」とは、ロシア軍が、日本が降伏した後も侵攻を続け我国の領土を占拠するのみならず、わが国の無抵抗の婦女子を強姦したという蛮行、そしてわが国の兵士・庶民をシベリアに連行し、苛酷な強制労働を課して、多くの罪のない日本人を死地に追いやったことである。そして南樺太全千島を侵略占拠したことである。

こんなことを「第二次世界大戦の結果」として、認めることなど出来はしない。わが日本がやるべきことはロシアの理不尽極まりない要求を粉砕することである。

北方領土奪還はまさに「失地回復」であり、戦後失われた「日本を取りもどす」ことである。「日本を取りもどす」を謳い文句にして政権の座についた安倍総理がまず第一に実現すべき事である。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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2020年6月27日 (土)

大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

昭和天皇は『終戦の大詔』において「同胞排擠(はいさい)互に時局を乱(みだ)り為に大道を誤り信義を世界の失ふが如きは朕最も之を戒む」と示されてゐる。

このお言葉はまさに今日の日本の現状をそのまま予言されてゐると拝するべきである。昭和天皇の大御心を疎んじ奉ってきたことが、今日の日本の混迷の原因である。

祖國日本が近代において、欧米列強の侵略支配に抗して祖國の独立を維持し続けただけでなく、アジア解放に努力した歴史に対して、日本國民が誇りを持ち、先人たちに感謝し慰霊すべきなのである。

しかるに、今日の日本の多くの國民が、國内外の反日勢力の洗脳・宣伝によって、自虐史観・東京裁判史観・大東亜戦争侵略戦争論に汚染され、祖國への誇りと自信を喪失してゐる。そして、日本近代史を「近隣諸國への侵略の歴史であった」として罪の意識のみを持ち先人を冒瀆する風潮が横溢してゐる。かうしたことは一刻も早く是正されねばならない。

我々日本國民が日本近代史をどうとらへるかが、今日のそして今後の日本人の精神構造やその國家観に大きな影響を与へ、現実の政治・外交・教育など全てにわたることを規定する。

近代日本が弱肉強食の世界で生き抜き、西欧列強の侵略に抗して独立を維持していくために、「富國強兵」「殖産興業」の合言葉のもと近代國家建設を行ったことは、わが日本民族が誇りにすべき事実である。また、明治維新以後の日本の海外進出そしてその到達点としての大東亜戦争が、日本の一方的な侵略であったといふ歴史観は全く誤りである。

近代日本史および大東亜戦争の正しき意義を認識し、國内外の亡國勢力・反日勢力を一掃することが、國家民族の緊急の課題である。

一五世紀から一七世紀前半にかけて西欧諸國が航海・探検により海外進出を行った大航海時代から白人による世界支配が開始され、特に一九世紀の最後の四半世紀は帝國主義植民地獲得競争の最盛期であり、アフリカ全土が分割され、アジア・太平洋地域のほとんどが欧米の植民地となった。

白色人種の帝國主義植民地獲得競争の波を世界で初めて阻止したのが日露戦争であり、今まで圧迫されてきた有色人種のナショナリズムを覚醒させ、各地に独立運動を発展させる端緒となった。

シンガポールは英國のみならず白色人種のアジア支配の象徴であった。大東亜戦争開始直後における日本軍によるシンガポール陥落は、欧米のアジア支配の終焉を告げる弔鐘であった。チャーチルも「英帝國が終焉した理由は、英軍がアジア人の前で日本軍に惨敗したからである」と述べた。東南アジア諸國が独立したのは大東亜戦争が契機となったのであり、やがて植民地独立の波は全世界に広がり、アフリカに及んだ。

欧米の植民地支配を終末に導いた日本に憎しみをぶつけ、再び日本が欧米の覇権を揺るがせないように弱体化しようとしたのが連合國の日本弱体化政策であり、その第一歩が「東京國際軍事裁判」であり、これに続くものが「占領憲法」の押しつけであった。

東京裁判では帝國主義植民地獲得競争の時代を除いて満洲事変以降のみを裁判の対象とし、日本に対する米英蘭などの包囲陣の形成と経済圧迫などの挑発や、支那における共産勢力の浸透の脅威に関する反証資料の多くを却下した。日本無罪論を唱えたインドのパール判事などの少数意見を無視し、筋書き通りに大東亜戦争を日本の軍部を中心とする共同謀議による侵略戦争として専ら日本を断罪した。

戦勝國の日本占領政策は、東京裁判・神道指令・憲法の押しつけ・厳格な言論統制などを通じて日本人の精神面の弱体化を徹底した。有史以来未曾有の敗戦と異民族支配に動顛した日本は、東京裁判史観即ち大東亜戦争侵略論に汚染され、それは今日に至るまで続いてゐる。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思はなければならない。

日本の國の歴史に誇りを持つとは、歴史の中に生きた先人たちを大切にし、顕彰することにほかならない。大東亜戦争に殉じた英霊を崇敬し慰霊顕彰し、その遺徳を追慕するのは日本國民の心情である。皇軍兵士の勇戦奮闘は、わが國民が子々孫々に語り継ぐべき誇りである。

その國の國民が祖國の歴史を如何に見るかは、その國の将来を決定する要素である。反省と謝罪の意識に責め苛まれる日本は亡國の道を歩むしかない。日本の國を愛し、日本の國の歴史に誇りを持つことが、今後の日本の発展と國民の幸福の基礎である。

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再開第二回目の「萬葉古代史研究會」のお知らせ

再開第二回目の「萬葉古代史研究會」のお知らせ

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 七月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、『政治文化情報』発送作業、午後に発送完了。

この後、資料整理、原稿執筆の準備など。

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2020年6月26日 (金)

私達は、ロシアの侵略国家としての本質を見抜き、断乎として領土奪還の運動を展開していくべきである

言うまでもなく南樺太全千島は、わが国固有の領土である。しかし、ロシアは北方領土を日本に帰す意思はさらさらないと考えるほかはない。

軍事的に周辺諸国を圧迫し、さらにウクライナ南部クリミア半島を軍事力で併合したことで国民の支持を回復したのである。プーチンはこれに味を占め、北東アジアにおいても同じことを繰り返そうとしているのである。

ロシアの独裁者は他国を侵略し、「ロシアの強さ」を国民に示すことによって独裁体制を強化してきた歴史がある。帝政ロシアの皇帝ニコライ二世は、第一次大戦への参戦を決めた時、国民的人気は絶頂に達した。さらにニコライ二世は、満洲・朝鮮そしてわが国に対する侵略を開始した。それが日露戦争である。

日露戦争に敗れた後、革命が起こり、ニコライ二世は惨殺され、ロマノフ王朝は滅びた。スターリンも、「日ソ不可侵条約」を踏み躙り日本への侵略を開始し、南樺太全千島を手に入れた。そして、「日露戦争の仇をとった」と言ったと伝えられる。スターリンまた、フィンランドや東欧諸国を侵略支配し、その独裁体制を強化した。ソ連・ロシアはそういう体質の国である。

わが国は、共産支那・北朝鮮そしてロシアの核攻撃の標的になっているのである。愈々以て、自主防衛体制の強化即ち核武装を断行しなければならない。支那・北朝鮮・ロシアから核攻撃されようとしたら、それを抑止し反撃する体制を確立すべきである。

私達は、ロシアの侵略国家としての本質を見抜き、断乎として領土奪還の運動を展開していくべきである。さらに、ロシアという侵略国家が、いざと言うときには、核兵器を使う国であることは明白である。ロシアと国境を接し、領土を奪われているわが国は、ロシアからの核攻撃を抑止するために、核武装をしなければならない。核武装こそが、自主防衛体制の確立である。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、病院に赴き、検査及び診察を受ける。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆の準備など。

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2020年6月25日 (木)

総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩である。

「日本を取りもどす」をキャッチフレーズにして登城した安倍長期政権は、本当に日本を取りもどしたであろうか。取りもどそうと努力はしているのかもしれない。しかし、まことに遅遅とした歩みであるとしか思えない。

七年間も政権を担っている安倍晋三総理は、靖国神社に一回参拝しただけです。本年も安倍総理は六月二一日、靖国神社で春季例大祭が始まったのに合わせ、「内閣総理大臣 安倍晋三」との名前で供え物の「真榊(まさかき)」を奉納したのみである。

安倍総理は、平成二十四年一二月の政権復帰以来、春と秋の例大祭には毎回真榊を奉納している。参拝は平成二十五十二月に1度だけ行っている。共産支那や韓国そしてアメリカの干渉そして国内の亡国野党・偏向メディアの攻撃を恐れたがためであろう。情けないことである。


日本民族の宗教精神の基本は敬神崇祖(神を敬い先祖を崇める心)である。そしてそれはわが國の道義精神の基本でもある。毎朝、神棚と先祖の位牌のある仏壇を拝む家庭は、家庭崩壊もないし、子供が非行に走るということも少ない。國家も同じである。國家のため民族のために命を捧げた人々に感謝の真心を捧げる國は、正しき歩みを続ける。

わが國は今日、政治・経済・文化・教育の頽廃と荒廃は救いがたい状況にある。日本國の細胞が腐りはじめ、溶けて流れようとしていると言っても過言ではない。このような状況になっている根本原因は、日本國および日本國民が敬神崇祖の心を喪失しつつあるからである。

外國からの内政干渉を恐れて、靖國神社という國のために命を捧げた人々を祭る宮に、内閣総理大臣が参拝することをとがめだてするような輩が跳梁跋扈している事にそれは端的に表われている。

総理の靖國神社参拝に干渉して来る共産支那は、アジア最大の軍國主義國家であり一党独裁の専制國家である。またわが國内において総理の靖國神社参拝に反対している勢力即ち反日宗教や左翼勢力こそ、排他独善の教義や思想を持ち、宗教団体を攻撃し弾圧する危険な体質を持っている。

「東京裁判」の判決即ち勝った側が敗者を一方的に裁いた結論を、我々の価値観として受け入れる理由はない。靖國神社問題の根本にあるのは、「東京國際軍事裁判」という名の復讐においてわが國が『戦犯國』という烙印を押されたことにある。そして大東亜戦争時に政府・軍の枢要な地位にいた人々が『A級戦犯』として殺されたことにある。

内外の反靖國神社勢力は、「靖國神社にA級戦犯が祀られているから、総理大臣が参拝するのはけしからん」と言っている。「東京裁判」は戦勝國によるわが國への報復である。「東京裁判」には、まともな裁判権はなく、何ら國際法的根拠を持たない。当事國が裁判官になったのがそもそもおかしい。わが國が「サンフランシスコ講和条約で、東京裁判を受諾した」というのは、刑執行について問題にしないということであって,東京裁判そのものを認めたわけではない。

いわゆる「A級戦犯」とは、講和条約が締結されていない時期すなわち戦時における勝者による敗者への復讐である「東京國際軍事裁判」において「死刑」の宣告を受け、殺された人々である。この方々は、まさに戦争において戦死された方々なのである。靖國神社に英霊として祀られて当然である。ゆえに、いわゆる「A級戦犯」と言われる方々は、正しくは「昭和殉難者」なのである。

東京裁判の唯一の権威であったマッカーサーは帰國後、米上院の軍事外交委員會での演説で、『日本が戦争に入ったのは主としてセキュリティーのためであった』と言った。マッカーサーは東京裁判が日本に押した侵略國家の烙印を否定したのである。

「東京裁判」の判決即ち勝った側が敗者を一方的に裁いた結論を、我々の価値観として受け入れなければならい理由がどこにあるのか。

繰り返し言う。七人の昭和殉難者を靖國神社にお祀りするのは当然であるし、祀るかどうかは日本が決める事である。外國があれこれ文句を言うのは、まさに内政干渉であり、主権侵害である。靖國神社について、外國からとやかく言われる筋合いはない。 

総理の靖国神社参拝は、まさに「日本を取りもどす」第一歩なのである。反日・反靖國思想は、今や左翼勢力や偏向マスコミだけでなく、与党内部にまで深く浸蝕している。かかる勢力を駆逐しない限り、日本國は真っ当な國家とはならない。

わが國がまともな外交が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。戦後日本は、主権に関して怯懦であり鈍感であり、売國的・土下座外交が行なわれている。その責任は政治家にある。

わが國がまともな外交すなわち主権を正しく守りきる対外政策が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。総理はじめ与野党の政治家そしてマスコミが『大東亜戦争は日本の侵略であり近隣諸國に惨禍を及ぼした』と謝罪しているのだから、支那や韓國からいかなる無理難題を吹きかけられても、主権を侵害されても、内政干渉されても、わが國は毅然とした対処が出来ないのだ。

「わが國は侵略をした悪い國であり,支那や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても,内政干渉をされても,文句を言ったり反撃してはならない」という観念が蔓延している。これはまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。

「現行憲法前文」には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが,二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様,ソ連様,中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」の無効確認なくして真の主権回復はあり得ない。

祖國の歴史への正しい認識と國を守る心を常日頃持っていなければ道徳心は起ってこない。大東亜戦争は誇りある戦いであった事を正しく認識し、子々孫々に語り伝えなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、資料整理・検索・原稿執筆の準備など。

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2020年6月24日 (水)

高山彦九郎の歌に学ぶ

東山 のぼりてみれば あはれなり 手のひらほどの大宮處(おほみやどころ)

高山彦九郎

寛政三年(一七九一)、光格天皇の御代、高山彦九郎が四十五歳の作と推測される。

歌意は、「東山に登ってみると悲しく思はれることである。手のひらほどに小さい御所(を遥拝すると)」といふ意。

「一天万乗の聖天子」「上御一人」の住まはれるにしては、あまりにも質素で小さい京都御所を拝しての実感であり、彦九郎の「尊皇精神」「恋闕の情」がひしひしと伝はってくる。

光格天皇の御代には、「天明の大飢饉」や「皇居焼失」などの事があり、光格天皇は大変に宸襟を悩まらせられたと承る。さういふことへの嘆きもこの歌には含まれてゐると思はれる。

高山彦九郎は、延享四年(一七四七)五月八日、上野国新田郡細谷村(現群馬県太田市)に、高山彦八正教の次男に生まれ、名を正之、仲繩と号した。家は名主を勤めた豪農で、祖先の高山遠江守重栄は平氏より出、南北朝時代には新田義貞の「新田十六騎」の一人として高名をはせたといふ。

十三歳の時に『太平記』を読んで尊皇の志を抱き、十八歳の時、志を立てて郷里を出た。京の都に入るや、三条大橋の上に至り、「草莽の臣高山彦九郎」と名乗って号泣し、跪いて遥かに内裏(皇居)を伏し拝んだ。今、三条大橋東詰(三条京阪駅前)に「高山彦九郎皇居望拝之像」が建てられてゐる。昭和三年に建設されたが,昭和十九年に金属供出のため撤去され、昭和三十六年に再建された。

二年間京都に滞留、この間多くの学者に学んだ。帰国後六年間家業に従ったのち、各地を遊歴して「勤皇論」を説いた。前野良沢・大槻玄沢・林子平・藤田幽谷・上杉鷹山・広瀬淡窓・蒲池崑山など多くの人々と交友した。

そして、水戸、仙台、松前を回り、寛政三年(一七九一)、北陸路から再び京都に入った。岩倉具選(江戸時代中期・後期の日本の公卿。岩倉家七世の祖。篆刻を善くした。公卿としては主に後桜町上皇に仕へ、その院別当などを務めた)宅に寄留した。この時「奇瑞の亀」を献上したことにより、光格天皇から謁を賜った。

川田順氏は、「如何にして彦九郎が天顔に咫尺し奉るを得たか。…寛政三年春、近江國高島郡の一漁師が、湖水で緑毛龜を生捕った。大變な評判になったが、たまたま彦九郎も衆と共にこれを一見し、知人の志水南涯をして飼養せしめ、清原宣條(のぶえだ)等の公卿を經て、遂に叡覽に呈するに至った。龜に毛のあるものは文治の瑞兆なるが故である。かやうな機縁にて、匹夫の彦九郎は、窃に天顔を拝するを得たのであった」(『幕末愛國歌』)と記してゐる。

高山彦九郎が、光格天皇の龍顔を拝する栄に浴した感激を詠んだ歌が次の歌である。

「われをわれと しろしめすかや すべらぎの 玉の御聲の かかるうれしさ」

「わたくしをわたくしとお知りになるであらうか、天皇陛下の玉の御声を拝聴するうれしさはかぎりない」といふほどの意である。  

この歌は、「東山 のぼりてみれば あはれなり」の歌と共に草莽の臣の上御一人に対し奉る恋闕の情を歌った絶唱であり『愛国百人一首』にもとられてゐる。

彦九郎はこの後、九州各地を遊歴し、久留米に至り、寛政五年(一七九三)六月二十七日、時世を嘆じ自刃して果てた。時に四十七歳であった。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備・原稿執筆など。

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2020年6月23日 (火)

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる

大川周明氏は、「(日本精神・大和魂の最も著しい特徴は・注)綜合の精神、統一の精神、包容の精神であります。己を失はずして他を採り入れ、古きを失はずして新しきを採り入れ、すべての思想文化を具体的なる日本国民の生活の上に、それぞれの意義と価値とを発揮させてきた日本精神は、東洋の綜合的精神の生きた姿である」(『新東洋精神』)と論じてゐる。

今日の求められてゐる日本民族主義は、民族の伝統に回帰することによってその日本民族が幸福になるのみならず、世界の平和実件に寄与するといふ理想がなければならない。日本民族精神による世界平和確立への貢献が求められている。

日本建国の精神は世界平和の思想(八絋為宇・万邦共栄の精神)である。決して排他独善の精神ではない。大川氏が言われるように、包容の精神である。日本民族は、外来の諸文化・文明を包容し、包摂し、より高度なものとして来た。日本民族の包容性の中核に強靭なる日本傳統精神がある。


日本民族の中核精神たる日本国体精神は、覇権覇道闘争の精神ではなく、米作りといふ絶対に平和的な人間の生産活動といふのが、日本天皇が神から授かった御使命である。我等日本人はこの精神を発展させて、いよいよ混迷を深める真の全世界の安定と繁栄の実現のために貢献すべきである。それが即ち「この漂へる國を修理固成(つくりかためな) せ」との御神勅を奉行することなのである。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るといふ信仰精神を回復しなければならない。

近代のいわゆる日本主義運動・維新運動の歴史を回顧すると、宗教の影響が大きいというか、宗教思想が維新運動において極めて大きな位置を占めている。


維新運動は、神道国学の思想が根幹となっていることは自明である。維新運動・民族運動の基盤には、日本傳統信仰たる神道・國體信仰がある。大化改新も建武中興も明治維新も、その基盤に國體信仰があった。日本国は、危機に瀕すると必ず、國體信仰が甦る。そして国を変革し危機を乗り越える。これがわが国の光輝ある歴史である。

今日の日本も深刻な危機的状況にある。しかし、國體信仰を甦らしめることによって、必ずこの危機を打開することか出来ると信じる。神道精神・國體信仰は、決して偏狭にものではないし、独善的ではない。八紘を掩いて宇(いえ)となす精神であり、四海同胞の精神であり、真の世界平和の精神である。この精神に回帰し、世界に闡明することが大切である。

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、親族来宅。室内清掃。 午後からは、『政治文化情報』発送準備など。

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山田宏参議院議員にインンタビューして思ったこと

山田宏参院議員とゆっくりお話ししたのは今回が二回目である。今日の衆参両院議員の中で、篤い愛国心を持ち、正統なる歴史観を持ってゐる随一の方であると思っている。本日も歴史問題とりわけ、支那事変・盧溝橋事件・東京国際軍事裁判という名の戦勝国による我が国に対する復讐について情熱的に語られた。

山田宏氏は、東條英機元総理など東京国際軍事裁判で「絞首刑」となった七名の殉難者の方々のご遺骨が葬られている愛知県三ヶ根山「殉国七士廟」を年一回参拝されている数少ない国会議員の一人である。心より敬意を表する。

憲法問題については、改正するにはともかく衆参両院議員の三分の二以上の賛成が必要である。しかし現状では自民党の身では三分の二以上を確保できない。そこでどうしても公明党が賛成しなければならないということで、「加憲」をしようとしてゐると語られた。

所謂「加憲」は山田宏議員や我々の理想とする憲法問題の解決とはほど遠いことである。ただし、国民民主党や維新にも憲法に対してまともな考え方を持ってゐる人がゐるという。立憲民主や共産党を無視して事を進めれば良いという事であろう。

ただ、自民党の中にも、憲法問題・歴史問題でおかしな考え方を持ってゐる人がゐるとのことであった。石破茂氏の歴史観に対しては強く批判しておられた。私も同感である。ああいう人物に総理になられては困る。

戦後レジームからの脱却とは、日本の自立・日本人の誇りの回復だと思うが、その具体的な現われは、憲法改正・自主憲法の制定である。安倍総理は、「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」という考え方を示した。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」などと云う規定を持つ憲法は独立国の憲法とは言い難い。自衛隊は立派な戦力であり、正真正銘の国軍である。欺瞞と嘘が書かれている『現行憲法』第九条の全面改正が必要である。

昭和殉難者のご遺族については次のような思い出がある。ある年の十二月二十三日、靖国神社に参拝させていただいたら、板垣正先生(当時参院議員・板垣征四郎陸軍大将のご次男)がご家族と靖國神社に参拝しておられた。この日は、父上の御命日だったのである。板垣正先生の後ろ姿を拝し、涙を禁じ得なかった。


山田宏氏は今日、歴史問題ついて情熱的に語られた。そしてパール博士の「判決書」(講談社学術文庫)と「大東亜戦争への道」(中村 粲著)しっかりと讀むべきであると語られた。

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2020年6月22日 (月)

千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、諸事。

 

午後一時より、永田町の参議院議員会館にて、山田宏参議院議員にインタビュー。

 

終了後、有楽町線にて、久しぶりに有楽町の東京交通会館に行く。このビルの地下に長崎ちゃんぽんの専門店があったのであるが、無くなっていた。都心部のいはゆる再開発が進み、比較的古いビルはその姿無くしてしまっていることが多いが、この有楽町の交通会館と大手町の大手町ビルは残っている。しかし入っている店舗は変化している。今度のコロナウイルス騒ぎで益々変るのではないだろうか。新しいビルの中の新しい飲食店よりも、古いビルに以前からある飲食店の方が落ち着いて食事ができる。

 

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。ともかく仕事の方はなかなか減らない。嬉しくも有りがたい。健康に留意して努力したいと思ってゐる。

 

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2020年6月21日 (日)

徳川幕府を崩壊させたのは國民全体が古来より持っていた尊皇の心であった

正しく國史を概観すれば、万民の苦難を救い、さらに外國からの侵略の危機という有史以来未曾有の國難を打開するためには、天皇がわが國の統治者であるというわが國體の真姿を正しく開顕し、日本國民は天皇を唯一の君主として仰ぐという國民的自覚を高揚せしめ、天皇中心の政治体制を確立することが絶対要件であったのである。明治維新においては、天皇中心の國體を明らかにするには、徳川幕藩体制の打倒は必要欠くべからざることであった。公武合体路線や幕藩体制では國難が突破できなかったのである。

 徳川軍一万五千(會津・高松・浜田・大垣各藩及び旗本・新選組・見廻組等から構成)は、慶應四年一月二日、老中格・大河内正質(まさただ)を総督として京都に進発した。新政府軍(薩摩・長州・芸州・彦根・西大路各藩などで構成)がこれを迎え撃ち、鳥羽・伏見両方面で戦闘が開始された。戊辰戦争の勃発である。

一月四日には、議定・嘉彰親王が征討大将軍に補任され、錦旗と征討の節刀を賜り、洛南の東寺に陣を置いた。錦旗が新政府側に翻ったことは、旧幕府軍が朝敵・賊軍になったことを意味する。

 五日まで激戦が続いたが、南下した追討軍が翻す錦旗を遠望した旧幕府軍は浮き足立ち、藤堂藩・淀藩をはじめ御三家・紀伊藩など近畿各藩が新政府軍側についてしまった。これにより、旧幕府軍は陣形・士気ともに崩壊し、敗走する。皆、朝敵となるのを恐れたのである。

 そして、徳川慶喜は一月九日、大阪城を脱して海路江戸に向かった。これにより、新政府軍の勝利が決定的となった。

 鳥羽・伏見における薩長その他新政府軍と、旧幕府軍との兵力比は一対三で、旧幕府軍が圧倒的に有利であった。また、海軍力も財力も旧幕府軍が新政府軍より優勢であった。にもかかわらず、新政府軍が勝利を収めたのは、錦旗の威力すなわち現御神日本天皇の御稜威(神聖権威)によるとしか考えられない。天皇に反抗して戦いを行うことはできないという「尊皇精神」が旧幕府軍にあったから、戦いを続行できなかったのである。

 このときの状況を西郷隆盛は、慶應四年一月三日付けの大久保利通に宛てた書状で、次のように書いている。

 「初戦の大捷、誠に皇運開立の基と、大慶此の事に御座候。兵士の進みも実に感心の次第驚き入り申し候。追討将軍の儀如何にて御座候や。明日は錦旗を押立て、東寺に本陣を御居ゑ下され候へば、一倍官軍の勢ひを増し候事に御座候間、何卒御尽力成し下され度く合掌奉り候」。

 尊皇の大義名分を基とした正しき國史『大日本史』を編纂し、尊皇攘夷運動の発火点となった水戸藩の出身であり、烈公・水戸斉昭の実子である徳川慶喜が、錦旗に歯向かうことなどできよう筈がなかったのである。

 鳥羽・伏見の戦い・大阪城脱出・江戸城明け渡し、という慶喜の姿勢を「不甲斐ない」と批判する史家もいる。現に新政府の東征軍が士気を鼓舞するために歌った『宮さん宮さん』(別名『トンヤレ節』或いは『錦の御旗』)には、「宮さん宮さんお馬の前にひらひらするのは何じゃいな/トコトンヤレトンヤレナ/あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか/トコトンヤレトンヤレナ」「一天万乗のみかどに手向かいする奴を……覗(ねら)いはずさずどんどん撃ちだす薩長土…」「おとに聞こえし関東武士(ざむらい)どっちへ逃げたと/問うたれば…城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」

 この歌は、わが國近代軍歌の濫觴といわれる。作詞は征東軍参謀・品川彌二郎(長州藩士。後に内務大臣・宮中顧問官)、作曲はわが國陸軍の創設者といわれる大村益次郎(周防の人。長州で兵学を講じ、戊辰戦争で新政府軍を指揮。明治二年、兵部大輔となるも同年暗殺される)である。

 「あれは朝敵征伐せよとの錦の御旗じゃ知らないか」という歌詞に、新政府軍が錦旗の権威を拠り所としていたことが歌われている。また、「おとに聞こえし関東武士どっちへ逃げたと問うたれば城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」という歌詞に、大阪城を脱出し江戸に帰ってしまった徳川慶喜への侮蔑の念が現れている。

 しかし、この歌詞は、慶喜にとってあまりにも酷である。彼の尊皇心が「大阪脱出」「江戸城明け渡し」を行わしめたのである。

後年、慶喜はその心情を次のように語ったという。「予は幼き時よりわが父から水戸家代々の遺訓を聴いた。『万一天朝と幕府との間に事ある際には、わが水戸家は宗藩たる幕府を顧みず、進んで天朝のために忠勤を抽(ぬき)んでねばならぬ』と。予は常にこの遺訓を服庸(心につけて忘れない)したが、いったん過って朝敵の汚名を受け、悔恨おのづから禁ぜす。ここにおいて自ら恭順、その罪に服したのである」。

 慶應四年(一八六八)一月十九日、フランス公使・ロッシュは、江戸に帰って来た徳川慶喜に面會し、「再挙」(新政府軍に再度武力戦を挑むこと)を促した。しかし慶喜はこれを拒絶し、次のように語ったという。曰く「わが邦の風として、朝廷の命と称して兵を指揮する時は、百令悉く行はる。たとい今日は公卿大名の輩より申出たる事なりとも、勅命といはんには違背し難き國風なり。されば今兵を交へて此方勝利を得たりとも、萬々一天朝を過(あやま)たば末代まで朝敵の悪名免れ難し。……よし従来の情義によりて当家に加担する者ありとも、斯くては國内各地に戦争起りて、三百年前の如き兵乱の世となり、万民其害を受けん。これ最も余の忍びざる所なり。されば唯当家衰運の然らしむ所と覚悟し、初より皇室に対し二心なき旨を幾度も申し披(ひら)き、天披を待つの外なきことなり。…当家中興の祖より今に二百六十余年、尚も天朝の代官として市民の父母となり國を治めたる功績を何ぞ一朝の怒に空しくすべけんや。此上尚も余が本意に背き、私の意地を張りて兵を動かさんとせば、当家代々の霊威に対して既に忠臣にあらず、まして皇國に対しては逆賊たるべし。……」(『徳川慶喜公伝』)。
 
また、徳川慶喜は渋沢栄一に次のように語ったと書かれている。「(鳥羽・伏見の戦いで仼)やがて錦旗の出でたるを聞くに及びては、(慶喜は仼)益(ますます)驚かせ給ひ、『あはれ朝廷に対して刄向かうべき意思は露ばかり持たざりしに、誤りて賊名を負ふに至りしこそ悲しけれ。最初たとい家臣の刃に斃るるとも、命の限り會桑(會津と桑名)を諭して帰國せしめば、事此に至るまじきを、吾が命令用ゐざるが腹立たしさに、如何やうとも勝手にせよといひ放ちしこそ一期の不覚なれ。』と悔恨の念に堪へず、いたく憂鬱し給ふ」(『徳川慶喜公伝』)。
 
『勝海舟日記』(慶應四年二月十一日付)には、徳川慶喜が勝海舟ら幕臣たちに、次のように語ったと記されている。「我不肖、多年禁門(朝廷のこと)に接近し奉り、朝廷に奉対して、御疏意(疎んじられること)なし。伏見の一挙、実に不肖の指令を失せしに因れり。計らずも、朝敵の汚名を蒙るに至りて、今また辞無し(言葉もない)。ひとへに天裁を仰ぎて、従来の落度を謝せむ。且爾等憤激、其れ謂れ無にあらずといへども、一戦結で解けざるに到らば、印度支那の覆轍(失敗の前例・印度や支那が内部に混乱によって西欧列強に侵略されたこと)に落ち入り、皇國瓦解し、万民塗炭に陥らしむるに忍びず。…臣等も我が此意に体認し、敢て暴動するなかれ、若(もし)聞かずして、軽挙の為さむ者はわが臣にあらず。……」。
 
要するに旧幕府=徳川慶喜は、天皇の神聖権威に刃向かう意思は全くなかったし、刃向かうこともできなかったのである。慶喜は足利高氏になりたくなったのである。かくて江戸城明け渡しが行われた。慶喜の天皇への忠誠心が明治維新を成就したと言っても過言ではない。
 
さらに言えば、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだのは、徳川慶喜及び旧徳川幕府軍のみではない。一般國民もまたしかりであった。鳥羽・伏見の戦いで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のように記している。
 
「(慶應四年仼)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候。」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。
 
徳川幕府を崩壊させたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力でもない。それはわが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、書状執筆、資料整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2020年6月20日 (土)

支那とアメリカにおける民族差別・迫害について

今、アメリカにおける黒人差別が問題になってゐる。さらに支那におけるウィグル人、チベット人などに対する差別と迫害も問題となってゐる。

わが日本民族は、いわゆる有色民族である。有色の反対語は無色である。しかし白色人種とは言われても無色人種とは言われない。どうも有色人種・白色人種という用語自体に問題がある。白人という言葉には、アジア・アフリカ・中南米などに住む人々すなわちいわゆる有色人種を差別する意識がある。否、差別どころか、迫害し、圧迫し、搾取してきた歴史がある。

そもそもアメリカ合衆国という国家自体、先住民族を迫害し殲滅し放逐し、さらにアフリカ人を強制連行して奴隷としてこき使って出来上がった国である。

そしてわが国に原爆を落とし、夜間無差別絨毯爆撃を行って老人・女性・子供を含む無辜のわが国民を大量虐殺した国である。爆撃を実行した米軍パイロットはテレビで、「日本人は人間ではないと思って爆撃した」と語っていた。

白色人種の世界支配・侵略・搾取・蛮行に反撃しそれを食い止めアジア・アフリカ諸国に独立を勝ち取らせた戦いが大東亜戦争だったのである。

日本民族は誇りを回復し、かつて白色人種の世界支配からアジア・アフリカを救ったように、今日においてはアジアにおける最大の覇権国家・軍国主義国家・民族差別迫害国家たる共産支那のアジア侵略支配策謀を粉砕するために努力しなければならない。

以前、テレビで放送されたチベット問題の記録映像を見ていて驚いたのは、共産支那の兵隊が笑いながらチベット佛教の僧侶を蹴飛ばしていたことである。共産支那の兵隊はまことに残虐であり、チベット人を人間と思っていないのである。西戎(西に住む野蛮人)と思っているのである。

共産支那は、多くのチベット・東トルキスタン独立運動・反共産支那運動をする人々を殺し、多くの寺院を破壊し、貴重な教典・佛像などの文化財を破壊した。

「人民日報」や天安門には「全世界の被抑圧は民族団結せよ」と書かれているが、共産支那はそれと全く逆のことをやっている。共産支那こそ他の民族を侵略し抑圧している。

また共産支那の軍隊は「人民解放軍」ではなく「人民虐殺軍」なのである。共産支那政府は七千万以上の支那民衆を殺戮した。毛沢東はスターリン・ヒトラー以上の残虐なる独裁者であった。

今日の共産支那においては、「君子」とは共産党員であり、「小人」とは人民である。共産党員が権力者・支配者として人民の上に立つことが当たり前のこととされるのは、儒教と共産主義独裁思想がよく似てゐるからなのである。

革命のことを「権力の異動である」という説がある。支那の『共産革命』も為政者が変わっただけである。清朝そして國民党政権の後を継いだ毛沢東といふ皇帝及びその配下の官僚による独裁専制政治体制が現出した。二代目の皇帝が鄧小平である。今日の皇帝・専制君主が習近平である。

『中國共産党による一党独裁政治』は、古代支那以来の専制政治の継承である。中國共産党員による行政機構・企業幹部の独占は、支那古代以来の『君子』による『小人』支配の継承である。改革開放によって豊かになったと言っても、『中國人民』全体が豊かになったのではなく、現代における『君子』=『中國共産党員』だけである。だから一般民衆を迫害することを何とも思わないのである。況や、漢民族にとっての夷狄(異民族に対する蔑称)即ち少数民族は支配・搾取・殺戮の対象でしかないのである。

われわれ日本人は、「中国から素晴らしい儒教を学んだ」などと思ってはならない。日本儒教は支那の儒教とは異質である。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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2020年6月19日 (金)

天照大御神の御心であり鏡の心である「清明心」が日本民族の外来文化・文明包摂の精神

太古以来の日本民族の精神的特性は、「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」である。

中村元氏は「日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」とは、中村氏が言はれる「与へられてゐる環境・条件をそのまま肯定する思惟方法」とかなり近いものがあると思ふ。

「与へられてゐる環境を素直に肯定する思惟方法」が、天地自然を人間と対立する存在ととらへず、天地自然を神としてまつり拝ろがむ信仰生活を生んだと思はれる。それは日本の天地自然が麗しく温和であり人間に大いなる恵みを与へる存在である事による。麗しく豊かな自然に恵まれた日本民族は、現世を肯定し、明るい太陽の下で生きてきた。日本民族は本来明るく大らかな民族である。

「明治天皇御製

あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな」

「清明心」をうたひあげられた御製と拝する。大らかな広々とした心が「清明心」である。私心をまじえず眞澄のやうに清らかな心、それが日本人の本来の心である。

「清明心」は、佛教思想の影響が強まった中世になる「正直」といふ言葉になった。『早雲寺殿二十一カ条』(室町後期の武将北条早雲の教訓書)に「こころを直にやはらかに持ち、正直憲法にして…あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持、持仏冥慮にもかなふと見えたり」と記されてゐる。

「正直の心」は、ありのままなる心・素直な心である。つまり清明心の中世的における表現である。

日本民族は、「もののあはれ」といふ美感覚を持ってゐる。「あはれ」とはうれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけて、心の底から自然に出てくる感動のことばである。

「もののあはれ」とは、物事にふれてひき起こされる感動である。知的興味とは違った何かに深く感動することのできる感じやすい心のことである。自然・人生の諸相にふれてひき出される素直なる感動の心である。理論・理屈ではない。「清明心」「正直の心」を美感覚の世界における表現が「もののあはれ」といへる。

本居宣長に次のやうな歌がある。

「事しあればうれしかなしと時々にうごく心ぞ人のまごゝろ」

この宣長の歌について、村岡典嗣氏は「この眞心こそは、やがて古神道に於ける清明(あか)き心、中世神道における正直の觀念の發展せるものに外ならない。彼(註・宣長)が一切の偽善や作為をあくまでも斥け、その見地から儒教を攻撃したのもこの立場からである。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。
宣長にはまた次のやうに歌がある。

「眞心をつゝみかくしてかざらひていつはりするは漢(から)のならはし」

宣長のいふ「からごころ」は、日本人本来の素直なる心・清明心・もののあはれとは正反対に位置するといふことである。

先人は「正直」「清明心」といふに本人の中核精神が「三種の神器」の一つである「鏡」に象徴されると信じた。

北畠親房は、『神皇正統記』で「鏡は一物をたくはず私の心をなくして萬象をてらすに、是非善悪のすがたあらはれずと云ふことなし。其すがたにしたがって感應するを徳とす。是正直の本源なり。」と説いてゐる。

「清明心」は、鏡の心であり、太陽の心であり、天照大御神の御心である。この精神が、「主体性」を喪失せずに「無私」の態度で一切を包容摂取するといふ矛盾と思へるやうなことを為し得て来た原因であると思ふ。

「鏡」は、天照大御神の『神勅』に「吾が児、この寶鏡を視まさむこと、當に吾を視るが如くすべし」と示されてゐる通り、天照大御神の御霊代(れいだい・みたましろ)である。

また、仲哀天皇が筑紫に進軍された時、筑紫の県主・五十迹手(いとて)が『三種の神器』の意義を天皇に奏上した言葉に「白銅鏡の如くにして、分明(あきらか)に山川海原を看行(みそなは)せ」(『日本書紀』「仲哀天皇紀」)とあるやうに、鏡のやうに明らかに山川海原を統治されるお方が、天照大御神の「生みの御子」であられせられる日本天皇なのである。

「鏡」は天照大御神の広大無辺の御慈愛と曇りなき御心を表象する。天照大御神は、素盞鳴尊が悪い行為をされても、それを良く解釈された。それが太陽の明るく大いなる生命=天照大御神の御神徳である。見直し聞き直して、相手を生かされるのが天照大御神の御心である。それがまさに、日本民族の外来文化・文明包摂の心である。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内清掃。原稿執筆・脱稿送付。書状執筆など。

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2020年6月18日 (木)

支那は内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。今日の共産支那も全く同じである。

支那は「中華思想」という差別思想・侵略思想によってこれ迄の長い歴史において周辺諸国を侵略してきた。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝(ようだい)・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した時には、強力な國外侵略を行っている。今日の習近平独裁体制下の共産支那も全く同じである。そして、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・南沙諸島などへの武力侵攻を企て、東シナ海の支配を確立せんとしている。

「中華思想」とは、國家的民族的規模での「功利主義」「利己主義」「自己中心主義」である。「中華の繁栄」のためなら他国を侵略しても良いし、他国が滅んでも良いという思想である。今日のアジアにおける最も大きくまた最も危険な軍国主義国家、軍事大国、侵略国家は共産支那=「中華人民共和国」である。
チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、支那民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。

そして今日唯今も、中華人民共和国は、軍事力強化に狂奔している。「海洋強国」を国家戦略に掲げて海洋権益の拡大を進めている。 共産支那はすでに南シナ海の制海権を掌握しており、東シナ海の制海権も掌握するであろう。「一帯一路」などというのはまさに「中華帝国主義」の別名である。

共産支那の李鵬元首相はかつて「日本という国は五十年後にはなくなっている」と言ったという。まさにわが國は「中華帝国」に属国化され、日本国は独立は失われる危険がある。そんな悪夢を現実にしてはならない。

アメリカの従属下から脱するということは大切である。しかしそれと引き換えに支那の従属下に入ることだけは避けなければならない。

要するに日本に対して核兵器を向けている国と友好などあり得ない。日本の国連への拠出金は全体の一九%なのに、常任理事国になれないのは何故か。日本から経済援助によって「四つの現代化」を成し遂げ、軍事力を飛躍的に強化し、核兵器を持ち、国連の常任理事国になっている共産支那が反対しているからである。

アジア各国との友好は大切である。しかし、支那大陸への深入りは絶対に慎むべきである。日本の軍事的自立を前提としない「日中協力」は軍事大国・アジア最大の侵略国家共産支那のアジア支配に協力するだけである。海洋国家日本は海洋国家と深く連帯して行けばいいのである。私は前からこうしたことを論じているが、共産支那という国に対する誤れる親近感を持ってゐる人がかなりゐることを残念に思ってゐる。


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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、諸事。 午後からは、在宅して、室内清掃、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2020年6月17日 (水)

近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない

日本各地に神社がある。神社が無い共同体は殆どない。神社は各地の共同体村落の精神的中心である。五穀の豊穣と民の幸福といふ共同体共通の祈りが捧げられ、願ひが訴へられる場が神社である。神社とは、常に村全体、共同体全体の神が祀られてゐる社(やしろ)である。

そしてその神社に祀られてゐる神を「氏神」と申し上げ、その神社を崇敬する人々は「氏子」と呼ばれる。それぞれの共同体において日本の神々は「親」と仰がれ、民は「子」として慈しまれる。

天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体が今日においても脈々と傳へられ、現實に生きてゐるところにわが日本國の素晴らしさがある。

古代オリエント、古代支那、古代インドは、征服されて祭祀共同体は破壊され、そこに生きてゐた人々は個別化された。つまり日本國と諸外國とでは國家の成り立ちが根本的に異なるのである。従って、外国の國家思想をわが國の憲法に採用するのは國體隠蔽につながる。易姓革命思想・国民主権論がそれである。

わが國は、地域のみではなく、企業においても神社あるいは祠を立てて神を祭ってゐる。さうした神々は「企業神」と言はれる。企業神は無機質な利益追求の機能集団である企業に倫理的精神的結合を与へてゐる。素晴らしいことである。

しかるに近年その国民の精神的融合と発展の中核である神社において不祥事が起ってゐるのはまことに以て憂えるべき事象と言はねばならない。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸事。

 

午後からは『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

 

この後、原稿執筆の準備。

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この頃詠みし歌

空家の前を今日も通り過ぎ住みてゐし老婦人の姿を思ひ出しをり

お茶の出ない初夏の会合何となく苛立ちて来るを許させたまへ

久しぶりに乗りたる地下鉄乗客少なく空気もきれいで清々しきかな

街は清く静かなりけれど経済の疲弊のことを嘆かざるべからず

何時死んでもかまふものかと思ひをれど次第に命が惜しくなりたり

爆破せよ何もかも爆破せよ自分の祖父と父の像も爆破せよ

三十二年間も元大統領の娘をば監獄に入れんとする今の大統領は地獄へと歩む

北も南も異常なる人間が国政を牛耳りをれば友好などあり得ざるなり

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上田清司参院議員にインタビューして

今日インタビューさせて頂いた上田清司参院議員は、かなり以前、埼玉県知事になられる以前、衆議院議員の頃からファンであった。4期16年の埼玉県知事そして衆議院議員10年1ヶ月の豊富な実績と政治経歴を積まれている政治家は少ない。

これまでの政治家としての活動について、「拉致問題の解決・ジェンダーフリー反対・県立伝統高校の男女共学化反対・選択的夫婦別姓制度導入反対・高橋史朗明星大学教授の埼玉県教育委員指名」など、埼玉県知事として真正保守思想の政治姿勢を貫いてきた。特に拉致問題については当初より、熱心に取り組んで来られた。

名古屋市長の河村たかし氏は親友であるという。そして、河村市長が、芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」実行委員会が同市に未払いの負担金を支払うよう求めて提訴したことに関し、訴訟で全面的に争う姿勢を示し、次回トリエンナーレ開催に関し、元慰安婦を象徴した「平和の少女像」、天皇陛下の不敬画像展示など「表現の不自由展・その後」の展示内容に問題があったと改めて批判した事を強く支持した。今日のインタビューでも、「天皇皇室は制度ではなく文化である」と語られた。

「日本を取りもどす」「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズ・謳い文句で登場した安倍晋三長期政権は今日批判にさらされている。安倍政治は、本当に日本を取り戻しつつあるとは言えない動きを見せているように思えてならない。

今日、真正保守の政治、真に日本を取りもどす政治、戦後レジームからの脱却即ち日本の自立・日本人の誇りの回復が実現されなければならない。そういう時期において、安倍晋三批判をすれば何でも物事が解決すると考えるよりも、真の保守政治家の結集により、似非保守・反日政治勢力を駆逐し、国政を正さねばならない。国政に復帰した上田清司氏の活躍を期待したい。


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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、親族来宅。室内清掃。

午後三時より、永田町の参議院議員会館にて、上田清司参院議員にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。

帰宅後は、睡魔と闘いつつ『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2020年6月15日 (月)

新型コロナウィルスの猖獗と防疫対策の大切さ

新型コロナウイルス問題は、自治体と国家との連携の大切さを益々実感させました。この問題は、単に疫病の猖獗でなく、国家安全保障の問題としてとらえることが必要と思います。この度のことに関しても、某国による細菌戦・生物兵器による攻撃という見方も一部にあるようです。

戦前の帝国陸軍に置かれていた防疫給水部は自然に存在する病原体に対しての防疫活動のほか、生物兵器・細菌兵器に対する防護としての防疫も任務であったとのことです。また、陸軍軍医学校と共同で生物兵器や化学兵器の研究開発機関としての役割も担っていたといわれます。こうした研究は、他の国々も行っていたことであります。

戦争直後の帝銀事件、平成七年に起った地下鉄サリン事件などわが国においてもも細菌・生物兵器を使った凶悪事件が起っています。こうしたことを未然に防止するためにも、また外国からの攻撃を防ぐためにも防疫の研究は大切であると思います。

昨日も記したように、表面的な「繁栄と平和」に酔いしれた日本国民の多くはこれまで長い間こうした問題に無関心でしたし敢て触れないようでした。今回の新型コロナウィルスの猖獗を契機として、根本的な意識変革が必要と思います。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸事。

午後は、本当に久しぶりに都心に出る。地下鉄車内・駅構内はやはり以前より大分空いていた。

午後三時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、「明治の日拡大運営委員会」開催。相澤宏明氏が司会。亡くなられた塚本三郎・古賀俊昭両氏のご冥福を祈り黙祷。お二人とも亡くなられて本当にさみしい限りである。主義・主張はもとより人格的にも立派な人だった。高池勝彦氏が挨拶。古屋圭司衆院議員、山田宏参院議員がスピーチ。全員で活発な討論。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2020年6月14日 (日)

今日の新型コロナウイルス感染症の流行が、日本の維新変革のきっかけになる

「日本を取りもどす」「戦後レジームからの脱却」というキャッチフレーズ・謳い文句で登場した安倍晋三長期政権は本当に日本を取り戻しつつあるでしょうか。外交・憲法など日本を失うような動きを見せているように思えてならないのですが…。

侵害コロナウイルス問題は、自治体と国家との連携の大切さを益々実感させました。この問題は、単に疫病の猖獗でなく、国家安全保障の問題としてとらえることが必要と思います。

安倍長期政権の憲法・国防安保に対する姿勢・実績についてそろそろ総括すべき時に来ているのではないでしょうか。

戦後レジームからの脱却には安倍四選が必須ですが、安倍総理の四選がいいのか、新総裁が選ばれるのがいいのか、判断は難しいところです。しかし、真の真正保守の姿勢を示す政治家は今見当たらないというのが現実であります。日本の自立・日本人の誇りの回復が行われねばなりません。その具体的な現われは、憲法改正・自主憲法の制定であります。

日本国民はこれまで長い間変化をこわがっていきました。しかし国民は新型コロナウィルスの猖獗によって国家が動きだし変革される事を決して恐がらなくなったようにも思えます。国民はしっかり覚醒して来たのでしょうか。

明治維新の直前にも、外國から傳播したコレラの流行により多くの人々が犠牲になった。このことが明治維新の理念たる「攘夷思想」勃興の原因の一つであった。コレラは日本では一九世紀に初めて発症したとされ、それ以前には存在しなかった。

歴史は繰り返すと言ふが、今日の新型コロナウイルス感染症の流行も、日本の変革のきっかけになる。またさうしなければならない、日本民族は、何事も積極的にとらへ、國難を克服し、國家を変革してきた。つまり「ピンチをチャンスに変えた」のである。今回もさうであらねばならない。

日本の習近平来日の延期は、まさに新型コロナウイルス感染症の流行がその原因となった。聖武天皇が、広大無辺の日本傳統信仰によって外来仏教を包摂し一大宗教國家を建設され、内憂外患を撥ね退けられた如く、今日の日本も中華帝主義の日本侵略の危機を撥ね退ける時である。そして対共産支那外交の根本的転換を断行すべきである。今がそのチャンスである。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』原稿執筆。明後日行う『伝統と革新』インタビューの準備など。

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2020年6月13日 (土)

この頃詠みし歌

世の更けの廊下に足音響きゐる薄気味悪きマンション生活

我は我他人は他人己が意志を曲げることなく生きゆかんとす

安倍晋三も小池百合子もそんなに悪人と思へねど嫌悪の情を持つ人多し

靄の中にそっと浮かべる朧月 昨日も今日も都を照らす

うっすらと見ゆる月影を仰ぎても地上の騒乱鎮まることなし

雷鳴が響き雨が降り出せば良きシャワーなりと喜びてをり

警察官が膝つきて民衆を弾圧せぬ姿勢を示すアメリカは良き國

明日もまた生きゆかんとす明後日もまた生きゆかんとすそれが人生

鎮守の森も社(やしろ)もなべて美しけれど神に仕へる人々は如何に

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千駄木庵日乗六月十三日む

午前は、近親者来宅。室内清掃。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』原稿執筆。

夕刻、地元の友人と懇談。帰宅後も原稿執筆。


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2020年6月12日 (金)

日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である

近代以後今日に至るまで、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、和歌文藝の道統が衰微してゐるといふことである。混迷する今日においてこそ、「勅撰和歌集」の撰進が復活されるべきである。

戦争直後の、戦勝国による皇室弱体化策謀は、七十年以上を経た今日、花開き実を結びつつあると言っても過言ではありません。まことに由々しきことであります。しかし、神の御加護は必ずあります。これまでの国史を顧みても、「壬申の乱」「南北朝の争乱」など大変な危機的状況を克服してきました。日本皇室は永遠であり、皇統はまさに天壌無窮であります。われわれ日本国民は、そのことを固く信じつつ、その信の上に立って、最近特に巧妙になってきた國體隠蔽・國體破壊の策謀を断固として粉砕していかねばならないと思います。

日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を伝えられている。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

最近、祭祀共同体日本の根幹を支える神社において、色々と不祥事が起っている。まず以て全国神社の祓清めが断行されねばならない。

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地の神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。

天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。日本の歴史と傳統は、天皇によって体現されます。日本文化の一体性・連続性の窮極の中心者が天皇であります。日本文化傳統の核である祭祀を司っておられるお方が天皇であらせられます。天皇は、日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがへのない唯一の中心者であらせられます。

天皇は外国の国家元首とは全くその本質を異にします。天皇の祭り主・統治者としての真のお姿を回復することが最も大切であると信じます。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、諸事。

この後、終日在宅して、『政治文化情報』原稿執筆。

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2020年6月11日 (木)

民族運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た

民族運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那に対する土下座外交・謝罪外交を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴えて来たことがいかに正しかったかが今日証明されている。

わが国に不法入国して凶悪な犯罪を起している支那人たちの心理には、反日教育によって植え付けられた「侵略国家日本」「自分たちの祖先を苦しめた日本人」に対する報復感情があると思われる。

わが國及び日本国民は相当の覚悟をもって臨まねばならない。我々が、「中国脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論してきた。こうした論議が全く間違っていたことが、明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。

「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。我が国の防衛力の弱体化を策している『九条の会』と称する者どもは、共産支那の手先と断じて間違いない。

かつてわが国は、一九八九年の「天安門事件」によって国際的非難を浴びていた共産支那の国際舞台への復活の道をつけた。それを主導したのは当時の自民党政権である。天安門事件によって欧米を中心とした世界中の国々が共産支那に制裁を発動し、わが国もそれに倣い対支那ODA(政府開発援助)を中止した。

しかるに、当時の官房長官・加藤紘一は「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝してくれる」として制裁解除に尽力した。

ところが結果は全く逆で、共産支那はわが國に感謝するとごろか、日本からの援助によって国力をつけ軍事力・経済力を急激に発展させたにもかかわらず、却って増長して、我国に対して靖国神社・教科書問題などで内政干渉、領土および主権侵害を繰り返すようになった。そしてわが国をはじめとした周辺諸国に対して軍事的恫喝を加えるようになった。

親支那勢力による窮極の「天皇の政治利用」は、平成四年の「天皇御訪中」である。そして、宮沢総理・渡辺美智雄外相・加藤紘一官房長官が積極的に「天皇御訪中」を推進した。

その時、「御訪中」推進派は、「天皇陛下による対中謝罪によって過去の不幸な歴史にけじめをつける」と主張した。これは「朝貢と謝罪」の外交に、天皇陛下を利用し奉る考えであった。

今日も習近平を国賓として日本に呼ぶ計画がある。絶対に実現させてはならないた。

以前、ある支那人と会話する機会があった。彼は、「この前の戦争は、中国が日本に勝ったといはれているが、そうではない。実際にはアメリカが原爆を落し、ソ連が参戦したから日本が降伏したのだ。支那人は、何時か自分たちの手で日本をやっつけてやろうと思っている」と語った。

支那人の全てがそういう考えを持っているわけではないであろうが、反日教育を受けた世代にはそう思っている人が多いのではないか。

今日の日本は、わが國に敵意を持ち、軍事力を増強している支那と南北朝鮮という二つの国に対峙しているのである。自民党政権下でもその前の民主党政権下でも、対支那外交はやることなすこと失敗ばかりである。そして国難を招いている。

我々が今やるべきことは何か。それは国内にいる親支那・親朝鮮勢力をしっかりと監視しなければならない。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸事。『伝統と革新』編集の仕事。

午後からは、在宅して、室内清掃。『政治文化情報』の原稿執筆など。

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崇徳上皇御製を拝し奉りて

 「日本の歴史は天皇受難史であり、皇室哀史である」と言う人がいるが、まさにその通りである。しかし、そうでありながら常に、天皇及び皇室がわが國の文化・政治・宗教の中心であった。これがわが國體の有難くも不思議なところである。

崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ人々の心が生んだ傳説がある。崇徳上皇は、長寛二年(一一六四)、御年四六歳で崩御されるまで九年間讃岐で過ごされ、終生京都への還幸を許されなかった。崇徳上皇の御陵は御遺詔によってこの白峰山に営まれた。讃岐で崩御されたので讃岐院と称されることとなった。

 崩御後、崇徳上皇の霊威甚だしくかつ峻厳にして、大火などの様々な奇瑞が都に起こった。そこで、御歴代の天皇・公家・武家は、霊威を鎮め奉るため努力した。治承元年(一一七七)七月、崇徳院の号を奉った。 

平治・治承・寿永の戦乱は崇徳上皇の祟りによると信ずる人が多かった。『保元物語』にはいわゆる<崇徳院説話>が語られている。それによると、崇徳上皇は、配流の地で、御自分の罪の償いと後生菩提のために深爪をして血判で大乗経を書写し、鳥羽天皇御陵にお納め申し上げようと京に送られたが、弟君・後白河天皇は信西入道の進言により、「罪人の手跡を、京に入れてはならぬ」と許されず讃岐に返送された。

これに激怒された上皇は、「日本國の大魔縁(悪魔のこと)となり、皇を取りて民となし、民を皇となさん」と血書し、そのお経を海底に沈められたという。のみならず上皇は髪を刈らず、爪も切らず、お召し物も着替えられず、「生きながら天狗の姿にならせ給ふ」て憤怒の體を通されたという。

そして、保元の乱の後、武家の力が強くなり、秩序が転倒した世となったのは「大魔縁」となられた崇徳上皇の呪いによるものだと信じられた。 実際、慈円著の歴史書『愚管抄』(承久二年・一二二〇成立)には「安元元年(一一七五注)七月廿九日讃岐院に崇徳院と云う名をば宣下せられけり。かやうの事ども怨霊をおそれたりけり」と記されている。また長寛二年(一一六四)から建仁三年(一二0三)にわたる九条兼実という人の日記『玉葉』には「天下の乱逆。連々として了る時無し。是偏に崇徳院の怨霊たるべし」と記されている。そして、後白河法皇の院宣により寿永三年(一一八四)四月十五日、京都粟田口に、崇徳上皇を神霊としてお祀りする神殿を建立し御霊を鎮めた。
 
第百代後小松天皇は、応永二一年(一四一四)、御陵のそばの崇徳上皇の御廟(崇徳上皇の近習が法華堂を建てて上皇御自筆の御画像を奉安し御菩提を祈っていた)に、頓證寺(頓證とはすみやかに悟りを開くこと。追善回向の功徳によって亡者が成仏するよう祈る言葉を『頓證菩提』という)の御追号勅額を奉納し給い尊崇の意を表された。
 
崇徳上皇が怨霊となられたというのはあくまでも傳説であって全て事実かどうかは分からない。しかし、崇徳上皇の悲運な御生涯を悲しむ多くの人々の心が、源平の戦いなどの世の乱れ・武士の台頭などの社會の変動と関連させて、こうした傳説を生んだといえよう。

崇徳上皇は傳統を尊ばれ歌壇の中心として活躍された。崇徳上皇に関しては、怨霊となられたという傳説ばかりが強調されるが、崇徳上皇の御天性は史書『今鏡』(作者未詳。嘉応二年・一一七0年成立)に「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」「幼くおはしましけるより歌を好ませ給ひて、……」と記されているように、上皇は國の傳統を尊ばれ、宮廷の歌壇の中心として活躍されたと傳えられる。側近から俊成、西行、寂然などの大歌人が輩出した。

 もちろん上皇御自身も次のような御歌に代表される数々の名歌を残された。
「御軍(みいくさ)敗れて 後、御室(みむろ)の寛 遍法務が房に入らせ   給ひて

思ひきや身を浮雲になしはてゝ嵐の風にまかすべしとは

 讃岐の松山の津につかせ たまひて、廳野大夫高遠 の御堂に三年過ごし   給へる時、その柱にかき つけさせたまへる

こゝもまたあらぬ雲居となりにけり空ゆく月の影にまかせて

 杉山へおはしまして後、 都なる人のもとにつかは せ給ひける

思ひやれ都はるかにおきつ浪たちへだてたる心ぼそさを     

 讃岐國にて隠れさせ給ふとて皇太后宮太夫俊成( 平安末期鎌倉初期の歌人・歌學者藤原俊成のこと注)にみせよとて書きおかせ 給ひける

夢の世になれこし契朽ちずしてさめむ朝にあふこともがな         」
 
何ともあはれにして悲しみ深き御歌である。天皇は「天の下しらしめすすめらみこと」「一天萬乗の君」と讃えられる日本の統治者であらせられるのであるが、かくの如き境遇になられる天皇も数多くおられた。そして後鳥羽上皇・後醍醐天皇を拝しても明らかな如く、そういう天皇様方はみな素晴らしき御歌をのこされている。
 
特に、崇徳上皇が崩御の際藤原俊成に贈られた「夢の世に」といふ御製はきわめて穏やかな御歌であり、とても怨霊になられたとは思えない。
 
明治天皇は、御即位式を挙げられる直前の明治元年八月二十四日、「御こころばへ、絶へたる事を継ぎ、古き跡を興さんと思召せり」という崇徳上皇の御遺徳を追慕して、讃岐から御神霊をお遷して京都飛鳥井に白峰宮を建立された。武家による政権簒奪の端緒となった保元の乱のために讃岐に御遷幸あそばされた崇徳上皇を御神霊を、武家政権打倒・王政復古の大変革であった明治維新に際して、京の都に祀られるようになったのは意義深きことである。

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、諸事。『伝統と革新』編集の仕事。(インタビュー依頼の確認など)

午後は、今夜行う「萬葉集」講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が笠郎女の歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

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2020年6月 9日 (火)

立憲民主党・共産党・偏向メディア・日教組など左翼勢力は、日本を亡国へ導く元凶である。


立憲民主党・共産党・偏向メディア・日教組など左翼勢力は、反日運動・似非平和運動を行っている。こういう連中こそ、日本を亡国へ導く元凶である。

「平和」「民主主義」を声高に主張する者どもこそ、侵略国家の手先であり、真の平和を破壊し、民主政治を蹂躙する勢力である。

朝日新聞などの左翼変更マスコミ、似非人権運動家・似非平和運動家は、祖国日本やアメリカやドイツの戦争行為に対しては厳しい批判や抗議をおこなっても、旧ソ連・共産支那・北朝鮮の侵略行為・残虐行為・人権侵害がいかに酷くても、何の批判も抗議もしない。断じて許し難い。

彼らの平和運動・人権運動・歴史問題への取り組みは、侵略国家・共産支那に手を貸し、祖国日本の解体を目的とする偽装運動である。彼らは日本軍の戦時中のことを野良犬のように嗅ぎ回って問題にする。ところが旧ソ連によるわが同胞殺戮・強姦・シベリアへの拉致・十万人以上の大量殺戮は全く問題にしない。また、今日唯今行われている共産支那による香港、チベット、モンゴル、東トルキスタンなどにおける蛮行も問題にしない。こういう者共を平和の敵・売国奴と言わずして何と言うのか。

戦後日本の平和はアメリカから押し付けられた憲法の「似非平和主義」によって守られてきたのでない。アメリカの軍事力があったから、そして自衛隊の存在があったから、旧ソ連・共産支那・北朝鮮によって核攻撃も受けず武力侵攻もされず、平和と安全を保つことができたのである。

支那もロシアも北朝鮮も核武装し強大な軍事力を持っているだから、我が国も核武装をして当然である。日本の核武装・軍事力増強に反対する者共こそ、支那・北朝鮮の手先であり平和の敵だ。

「集団的自衛権行使容認は軍国主義復活だ」などと日本共産党は言っていた。同じ共産主義イデオロギーを堅持している共産支那と北朝鮮こそ、アジアにおける凶悪なる軍国主義国家・侵略国家なのである。共産党はまず以て共産支那と北朝鮮に、軍事力の増強と他国への軍事的恫喝へ止めろと抗議すべきである。しかし、そんなことはしない。

日本共産党・立憲民主党・朝日新聞をはじめとする左翼勢力・左翼偏向メディアは、共産帝国主義国家=支那の手先なのである。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、親族来宅。室内清掃。
『伝統と革新』編集の仕事。インタビュー依頼等。

午後からは在宅して、原稿執筆。

夕刻、地元の後輩と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

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宇都宮・日共・立憲民主・朝日を断固として叩き潰すべし。

国会議事堂前に慰安婦少女像と徴用工像を設置すべきと言っている宇都宮を共産党と一緒になって都知事選で応援するという立憲民主は完全に反日政党・反國體政党になった。宇都宮・日共・立憲民主・朝日を断固として叩き潰すべし。

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2020年6月 8日 (月)

神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます

「旅は生ける学問なり」といふ言葉があります。まさしくその通りです。文献で分かったつもりでも、實際に歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多いのです。

大和の国を旅すると、日本国の生成は、まことに麗しい歴史であることを實感します。神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐます。神国日本といふのは決して嘘ではありません。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切であります。傲慢になったり排他的になってはならないと思ひます。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體であります。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふということであります。

神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐます。神話とは遥か遠い昔の傳説ではありません。今日唯今の生きてゐるのであります。太古の祭りが今日も皇室祭祀に継承されてゐるのです。天皇・皇室のご存在の有り難さをしみじみと感じてをります。

大和地方の多くの神社に参拝し、自然を愛でると、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感します。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神であります。

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐます。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、疫病は猖獗し、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではありません。

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられます。支那や朝鮮に横溢してゐる共産主義独裁思想もその亜流です。これを根本的に是正すべき時に来てゐます。

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へます。

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千駄木庵日乗六月八日

午前は,諸事。 午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・インタビューの依頼など。 この後、原稿の校正・原稿執筆の準備など。

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2020年6月 7日 (日)

仁徳天皇の御製を拝し奉りて

仁徳天皇御製

「沖方(へ)には 小船連(つら)らく くろざやの まさづ子吾妹(わぎも) 國へ下らす」

「沖の方には小舟が続いてゐる。あれはまさづ子といふ私のいとしいあの子が國へ帰るのだ、といふ意)」

第十六代・仁徳天皇は、吉備(きび)の國の海部直(あまべのあたひ)の娘、名は黒日売(くろひめ)の容姿が美しいと聞こしめして、宮廷に召してお使ひになった。

しかしながら、『古事記』によると、仁徳天皇の皇后の磐姫皇后(いはのひめのおほきさき)は大変嫉妬心の強い方であらせられ、天皇にお仕へする妃嬪(きひん)たちは宮殿の中に入ることもできなかった、そして皇后は妃嬪のことが話題になっただけでも床に寝転がり足をばたばたさせて嫉妬された。

磐姫皇后の嫉妬を恐れた黒日売は船に乗って故郷に逃げ帰らうされた。その船を見て天皇が、お詠みになった御製が、

「沖方(へ)には 小船連(つら)らく くろざやの まさづ子吾妹(わぎも) 國へ下らす」

である。

この仁徳天皇の御製をお聞きになった磐姫皇后はさらにお怒りになって、人を遣って船から黒日売を下ろして徒歩で帰らせたといふ。かうした皇后の嫉妬物語は古代日本の大らかな精神が表れてゐる感じがする。

一方、『萬葉集』に収められてゐる磐姫皇后の仁徳天皇をお慕ひする御歌は実に悲しい歌である。

「君が行き 日(け)長くなりぬ 山尋ね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ」
 (君の御旅行は日数が長くなった。山を尋ねて迎へに行かうか、ひたすらお待ちしようか、といふ意)

「かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 岩根しまきて 死なましものを」
(これほどまでにあたなを慕ってゐるのならば、高山の岩を枕にして死んでしまった方がよい、といふ意)

「ありつつも 君をば待たむ うちなびく 我が黒髪に 霜の置くまでに」 
(このままで君をお待ちしませう。垂らしたままの私の黒髪が白髪になるまで、といふ意)

「秋の田の 穂の上に霧(き)らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ」 
(秋の田の稲穂の上にかかってゐる朝霞のやうに、いつになったら私の恋は晴れるのでせうか、といふ意)」

いづれの歌も萬葉恋歌の傑作である。これらの歌の悲しくも切ない恋心と,『古事記』に記された激しい嫉妬をされる皇后のお姿は対照的である。

「岩」といふ字が名前についてゐる女性には精神的・靈的に力が強い人が多い。その代表的ご存在が磐姫皇后であられる。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』に出てくる靈的力の強い女性の名前は「お岩」である。

古代人は、岩といふものを非常に神秘的に考へた。地下と地上とをつなぐものと考へた。大きな岩を墓に用いるのは、地下の靈が地上に出て来るのを押さへる役目を持たせたからといふ説もある。

岩には死んだ人の靈が籠ると信じた。墓石には「新たなる使命を帯びて地上に再び蘇るまでそこに鎮まっていただきたい」といふ祈りが込められてゐる。
萬葉時代は、かかる古墳時代の信仰がまだ生き生きと生きてゐたのである。古墳時代の信仰を継承してゐる歌人が柿本人麻呂である。

 「岩」は「いはふ」から出た言葉である。「いは(齋)ふ」は、神に対して穢れと思はれることを謹み、淨め、敬虔な態度を持して神を祀ることである。また、さういふ態度をとって穢れに乗じてくる邪悪を避けようとする行ひをも言ふ。つまり、身を清めて神を祭ることを齋(いは)ふといふ。そして、人々が集まって籠る所をいへ(家)といふやうになった。
                      
 岩や石には神仏や死んだ人の魂が籠ってゐると信じそれを拝むやうになった。特に巨岩は威力があり人格化され意志を持ち人間に語りかける靈妙なものと信じた。
 
 『國歌君が代』の「君が代は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」は、石は靈が籠ってゐるので次第に成長して岩となるといふ信仰が歌はれてゐる。「天皇の御代は、千代に八千代に小さな石が次第に成長して大きくなり大きな岩となって苔がむすまで永遠であっていただきたい」といふ意である。

 「いは」のイは接頭語で、「いのち」「いきる」といふ言葉がある通り生命力を意味する。
           
「岩戸」とは、大地のイメージであり、母のイメージである。大地の母に回帰する信仰の神話物語が、天照大神の岩戸隠れであらう。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、連載原稿執筆・脱稿・送付。

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萬葉古代史研究會再開のお知らせ



しばらく休んでおりました「萬葉古代史研究會」再開します。

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 六月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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2020年6月 6日 (土)

即位の大礼・大嘗祭は、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。この學説は決して妄説ではない。

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

吉田兼好は「帝の御位はいともかしこし、竹の園生の末葉まで人間の種ならぬぞやんごとなき」(『徒然草』)と述べてゐる。「竹の園生」とは皇族の御事である。皇族は「人間の種」ではないといふ信仰である。

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

櫻町天皇
新嘗の赤丹(あかに)のはつ穂もろ人にとよのあかりの今日たまふなり
天てらす神ぞ知るらむ末ながき代々のひつぎを祈るこゝろは

桃園天皇
もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)のひかりとぞおもふ

天皇のお體には天照大御神の神靈がお入りになってをり、天照大御神の地上的御顕現であるといふ信仰が古代以来の現御神信仰である。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」「地上的御顕現」=現御神であらせられるのであるから生物學的男女を超越した御存在であらせられる。

歴代天皇は、祭祀を行はれることによって、天孫降臨の時に天照大神が下された「吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以ちて、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と仰せられた「神勅」に身をもって応へられてゐるのである。

天皇は、天照大御神より「斎庭の穂」を賜って、これを「嘗め」されることにより、天照大御神と御一體となられ、大御神の靈統を繼承され神格を體される。天皇はまさに、「伊勢の大神の入れ替らせ給へるお方」である。

令和の御代の即位の大礼特に大嘗祭について、野党からも偏向メディアからも横田耕一氏が主張したやうな「政教分離」「国民主権」といふ「現行占領憲法」の原理原則に反するといふ批判は起らなかった。といふより目立たなかったし、国民の大多数はそのやうな憲法論議に関心を持たず、素直にお祝ひ申し上げ、喜んだ。それが国民の大多数の意志であった。

平成の御大礼・大嘗祭、そして令和の御大礼・大嘗祭は、「現行憲法」の制約がどうあらうとも、厳粛にそして古式を継承し則って行はせられた。そして国民の大多数はその荘厳さに粛然として、天皇国日本の国民であることにあらためて歓喜し感激したのである。

即位の大礼・大嘗祭が、新たなる天皇の登極であり、新たなる現御神のご降臨であるといふ太古からの信仰的真実を継承し顕現したことは厳然たる事実である。祭祀國家日本の國體隠蔽のために押し付けられたと言って良い『現行占領憲法』と宮中祭祀とを適合させる必要は全くないのである。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸事。近親者来宅。室内清掃。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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2020年6月 5日 (金)

わが国政府は、平壌に自衛隊特殊部隊を派遣して金正恩を拘束し、東京に連行して裁判にかけることが、北朝鮮との関係正常化の前提である

横田滋様のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。以下の拙論は、今から十四年前の平成十八年三月に書いたものですが、状況は全く変わっておりません。あらためて掲載させていただきます。

 

             〇

 

『拉致』は、言うまでもなく北朝鮮による「国家犯罪」であり、国家主権の侵害であり、わが国民の人権を無視した北朝鮮によるテロである。まさに北朝鮮は国際テロ国家なのである。わが国は自由民主国家である。北朝鮮という独裁専制国家にどう対峙して行くかが大問題である。
人さらい国家・人殺し国家・国際テロ国家に対して、歴史問題で謝罪したり補償したり経済援助する必要は毛筋の横幅ほども無い。

 

北朝鮮による日本人拉致が長期にわたって行われてきた原因は、北朝鮮が金正日の指揮のもと国家機関が実行して来たことよるのは言うまでもない。しかし、それとともにあるいはそれ以上に、わが国政府が北朝鮮の主権侵害・国際犯罪・テロ行為に対し何の防御策も講じなかったこと、そして旧社会党などのわが国の政党や偏向マスコミが北朝鮮の体質を認識していながら、それを正しく国民に知らせなかったこともその原因である。わが國の偏向マスコミは、拉致問題について、金正日が、平成十四年九月の小泉総理の訪朝時に拉致を認めるまではあまり報道しなかった。

 

国家は、国民を守る義務がある。政府が、長年にわたって拉致問題を事実上放置し隠蔽し、拉致された人々を救出する具体的な処置を講じなかった責任は大きい。また、北朝鮮の工作船および工作員のわが国領海侵犯・わが国国民の拉致・スパイ活動等々を防止し取り締まることができなかったことも、厳しく批判されねばならない。

 

北朝鮮を訪問し、北へのコメ支援・経済支援を推進して来た政治家・政党そして「有識者・文化人」といわれる人々も厳しく批判しなければならない。とりわけ、北朝鮮寄りの姿勢を保ち、北朝鮮労働党と友党関係にあり、北朝鮮の数々の犯罪行為・スパイ行為・主権侵害行為をかばい立てしてきた旧社会党・社民党という北朝鮮の手先の政党の責任はまた重大である。

 

小泉純一郎総理は、「拉致問題の解決なくして国交正常化はない」と繰り返している。では「拉致問題の解決」とは何か。
それは、①生存している拉致被害者の一日も早い帰国、②真相の糾明、③拉致容疑者(これには当然金正日自身も含まれる)の引渡しの三つである。この三つが実行されることが「拉致問題の解決」である。

 

北朝鮮によって拉致されたわが国民の安否確認と原状回復・謝罪・賠償・真相究明が確実に実行されないかぎり、拉致問題が解決したことにはならないし、わが国は北朝鮮をまともな国家として認定する事は出来ない。ゆえに、国交正常化はもちろんのこと、北朝鮮への食糧支援も絶対に行なうべきではない。

 

国交正常化と拉致問題と核ミサイル問題を同時平行で北朝鮮と協議するという事ではあまりにも生ぬるいといえる。拉致問題と核ミサイル問題の全面的解決なくして、国交正常化はあり得ないという姿勢で臨むべきである。

 

北朝鮮は拉致問題について「解決済み」という態度をとり続けている。そしてわが国政府は「対話と圧力」ということを言い続けている。経済制裁しかわが國のとるべき道はない。政府が経済制裁をする姿勢が大事なのであって、効果があるないは第二である。

 

「平和」を守るという事のためには、正義や道義は後回しというのではダメである。それは本当の平和ではない。「たとえ日本国民が不法に拉致されて国家主権が侵されても、外国と対立し緊張関係になる事は避けなければならない」という考え方は間違っている。こうした敗北主義がテロ国家をのさばらせ、真の平和を実現を妨げるのである。

 

「国交正常化交渉再開→合意成立→経済援助」は、日本国民と北朝鮮住民の平和と幸福には絶対につながらない。日本からの経済・食糧援助は、金正日独裁政権の延命に力を貸し、わが国の安全を脅かし、北朝鮮住民の地獄の生活をさらに続かせるだけである。わが国の北朝鮮への経済援助は、北朝鮮人民を苦しめることにはなっても助けることにはならない。

 

それは、わが国の共産支那への経済協力が共産支那の軍事力増強に力を貸すこととなり、わが国の安全と独立を脅かす結果となった愚行と同じである。

 

北朝鮮はまともな国ではないのは明白であるが、日本もまた北朝鮮とは別の意味においてまともな国家ではないということになる。なぜなら、自国の国民を守ることが出来ず、わが国国民を拉致され殺されても、相手国に対し何の制裁・報復も加えることが出来ない国は、まともな国とはいえないからである。

 

わが国政府は、平壌に自衛隊特殊部隊を派遣して金正日を拘束し、東京に連行して裁判にかけることが、北朝鮮との関係正常化の前提である、というくらいの意気込みを持って北朝鮮に相対するべきである。

 

わが国が「普通の国」すなわちアメリカやイスラエルのような国防体制が確立しているしっかりとした国であるなら、北朝鮮に宣戦を布告し軍事的制裁を実行し、拉致された日本国民を救出ているであろう。

 

北朝鮮という「国」の成り立ちも、まともではない。北朝鮮の「建国」は、大東亜戦争終結後、朝鮮半島の北半分を軍事占領したソ連軍が、共産ゲリラだった金日成を連れて来て朝鮮半島北半分の支配者に仕立て上げただけのことである。

 

一九四八年(昭和二十三年)、朝鮮半島全体で民主的な選挙を実施しようとしても金日成はそれに応じなかった。そして南だけで選挙が行なわれ、李承晩が初代韓国大統領に選ばれた。だから本来的には、朝鮮半島における唯一の正統政府は大韓民国のみなのであって、金日成政権は北朝鮮を軍事占領している集団に過ぎないのだ。

 

そればかりではない。一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日午前四時過ぎ、金日成軍は、突如三十八度線を突破して侵略を開始し、ソウルを火の海にして、二十八日にソウルを占領した。金日成軍による韓国侵略によって三百万人が犠牲になった。この朝鮮戦争で、金日成軍及びそれを支援する共産中国軍と戦ったのは国連軍である。そして、一九五一年二月一日、国連総会は共産中国を侵略者と決議した。つまり、北朝鮮の盤距する政権は侵略者であり正統性がないのである。

 

朝鮮戦争の時、わが国内において、侵略者=北朝鮮・共産中国を支援するために火焔ビン闘争を展開したのが日本共産党である。日共こそわが国における最初にして最大の北朝鮮支援組織だったのである。ともかく、北朝鮮と国交交渉を行なうことは本来正義に反することだし、あの国に経済援助や食糧支援をすること自体、正義に反するのである。

 

また、北朝鮮が暴発するだのしないだのという論議があるが、あの国はもともと何をするかわからない国であり、何時でも暴発する危険がある。わが国はそのための万全の対策を講じておくべきである。この万全の対策とは、北に金や食糧を出してご機嫌をとることではない。

 

「北朝鮮=金正日の暴発を防ぐために、食糧や物資やカネを出すべきだ」という考えはまったく間違っている。そんなことをするのは、「泥棒に追い銭」どころの話ではない。自分に襲いかかって来ようとする異常者に刃物を渡すようなものだ。

 

「人道支援」という言葉があるが、北朝鮮を支援することは最も人道に反する行為である。経済援助や食糧支援によって金正日政権を延命させるべきではない。金正日政権が存続することによって、一年で数十万人の北朝鮮人民が飢死していくのだ。また、わが国の安全を根底から脅かす核爆弾や生物化学兵器が増産されるのだ。

 

金正日体制を打倒解体することが北朝鮮人民を幸福にする真の「人道援助」であり、わが国の安全を保障する方途である。またいくら「人道支援」なる事を行ったとて、拉致されたわが同胞が帰って来る保障はまったくない。

 

「金大中の『太陽政策』を見習ってわが国も北を援助すれば、北が変化する」などという意見があるが、金正日=北朝鮮は、イソップの寓話に出て来るような「マントを着た旅人」ではない。核兵器・生物兵器を持ち破壊活動を行なうテロ国家であり、「ならず者」なのだ。こちらが下手(したて)に出て様々な援助をしたからといって、悔い改めるような「国家」では断じてない。

 

北の独裁体制を打倒することを第一に考えねばならない。北朝鮮に住む人民の人権を蹂躙し続けるばかりでなく、餓死せしめている巨大な監獄国家が北朝鮮である。そのような地で呻吟して暮らしている拉致被害者を一刻も早く救出すべきである。

 

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事(執筆依頼など)。室内整理。来週水曜日の『萬葉古代史研究会』における講義のしの準備。原稿執筆など。

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中国はアジア同胞ではない。アジア諸民族諸国家の敵である。日本は中国に対して甘すぎるのだ

日本は中国に対して甘すぎるのだ 中国人の残虐性は、天安門事件・チベット・東トルキスタン・モンゴルなどにおける他民族に対する迫害・殺戮などでよく知られている

 

『日本経済新聞』令和二年五月二十六日号は、「中国漁船のインドネシア人船員が死亡し、海に遺棄される例が相次いでいる。長時間労働を含む虐待の疑いがあり、インドネシア政府は中国政府に解明を求めた。ANS(交流サイト)には遺体が海に投げ込まれる場面が相次ぎ投稿され…インドネシア外務省は同国出身船員が一月に働いていた中国漁船で死亡し東アフリカのソマリア沖で遺棄されたと確認した」「中国漁船におけるインドネシア人船員の労働実態は苛酷だ。釜山で下船した船員の弁護士は、船内で一日十八時間を超える強制労働などがあったと主張した」「船員が日給一㌦(約一〇八円)程度とで、病気になってもすぐに陸上での手当てを受けられない」と報道した。

 

これが中国人のアジア同胞に対する基本的な姿勢なのだ。中国人の全てはないにして中国人は決してアジア人を同胞などと考えていない。奴隷としてこき使い、死んでしまえば海に遺棄してしまえばいいと考えている。

 

冒頭に書いたとおり、中国人の残虐性は、天安門事件でよく知っているはずなのに、日本など「中国との友好」などを重視する愚かなる國が未だに存在する。わが日本は軍事力を増強し、アメリカと協力して中国を封じ込めねばならない。ともかく中国はアジア同胞ではない。アジア諸民族諸国家の敵である。日本は中国に対して甘すぎるのだ。

 

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2020年6月 4日 (木)

千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸事。

 

昼、同志来宅。今後の運動について打ち合わせ。

 

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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2020年6月 3日 (水)

この頃詠みし歌

酔ひし友より電話かかり来ぬ静かなる夜に霹靂の如く

 

あと三十年は生きねばならぬと思ひつつひと日ひと日を大切にする

 

父母(ちちはは)は一体何処(いづこ)におはします逢ひたけれども逢へぬ悲しさ

 

父にも母にも会ひ得ざる悲しみは深くわが心に刻まれてゆく

 

味の素を使ふ人はほとんどいなくなり化学調味料といふ言葉もなし

 

吉井勇の祇園を歌ひし歌読みて過ぎにし旅を思ひ出しをり

 

今日よりは平常営業と居酒屋の主人は嬉しげに言ふ初夏の夕暮れ

 

容保公の悲劇の生涯を偲びつつ會津中将といふ酒を酌む

 

朝敵と断じられたる悔しさを万斛の思ひと言ふべかりけり

 

孝明帝の下したまへる感状を抱きつつ生涯を終へし松平容保

 

生涯に一度はあるべしあの世への道歩み行く旅に立つこと

 

我はまだ若き命をみなぎらせ今日のひと日を健やかに生きん

 

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料整理。原稿執筆。

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2020年6月 2日 (火)

安倍総理は真正保守の政治家としての自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい

 明治維新以後、わが国の最高権力者でテロに遭遇した人は数多い。井伊直弼・大久保利通・大隈重信・原敬・犬養毅・濱口雄幸などである。もっといるかもしれないが頭に浮かんでこない。幕末明治初期はまさにテロの連続であった。

 

昔の政治家はそれだけ命懸けであった。安倍晋三総理の祖父・岸信介氏も、戦時中、東條英機総理と対立し、東條氏の部下であり当時の東京憲兵隊長四方諒二に脅迫された。岸氏は、終戦後は東京国際軍事裁判で「戦犯容疑者」として収監され、どういう刑に処せられるか分からない状況に置かれた。そして総理退任後は、総理官邸でテロに遭った。岸信介氏は文字通り命懸けであった。四方諒二は、中野正剛を死地に追いやった男と言われている。

 

安倍氏は『孟子』公孫丑上にある『自(みずか)ら反(かえり)みて縮(なお)ければ、千万人(せんまんにん)と雖(いえども)も吾(われ)往(ゆ)かん』という言葉が好きだと言うが、まさにその気概を持って自己の政治理念実現のために獅子奮迅の戦いを行ってもらいたい。
 
この孟子の言葉は安倍晋三総理の祖父・岸信介元総理も好きであったと聞いている。第一次安保騒動で国会や総理官邸がデモ隊に取り巻かれた時、岸氏はこの言葉を心の中で反芻していたのではなかろうか。

 

小生は、岸氏と親しかった明治大正昭和三代にわたって活躍した言論人・野依秀市先生の家でこの言葉を書いた岸氏の色紙を見たことがある。

 

最近は、政治家に対するテロも起らず、政治家が命懸けになるということはあまりないように思える。日本は平和な国になったと喜ぶべきであろうか。しかし、今の日本は亡国の淵に立たされていることは確かである。

 

自民党左派、立憲民主、社民・共産・朝日新聞をはじめとする勢力が、安倍氏に対して総攻撃を開始している。安倍総理は真正保守の政治家としての姿勢を堅持し、これに打ち勝って自ら信ずる道を正々堂々ぶれずに突き進んでいってもらいたい。

 

安倍氏の郷土・長州の大先輩である吉田松陰先生も孟子を尊敬し、維新の精神を生き、維新のために命を捧げ、そして維新実現の原動力になった方である。私は、安倍晋三氏に、吉田松蔭先生の精神を継承して祖国の再生のために獅子奮迅の戦いをしてもらいたいと切に望む。

 

安倍総理は遠慮せずに真正保守の政治家としての自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい。祖父の岸信介元総理のような強さ・実行力・決断力を発揮してもらいたい。

 

 

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、親族来宅。室内清掃。

この後、原稿執筆・脱稿・新聞社に送付。『伝統と革新』編集の仕事。

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萬葉古代史研究會再開のお知らせ

 

しばらく休んでおりました「萬葉古代史研究會」再開します。

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 六月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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2020年6月 1日 (月)

自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切

大地震・大津波・火山噴火・台風など、わが国は自然災害が多い。和辻哲郎氏が、その著『風土』において次のやうに論じてゐる。

 「我々は自然の合理的な性格と非合理的な性格とのいずれが著しく目立っているかによって芸術に著しい相違が現われて来たのを見る。…ヨーロッパにおいては、温順にして秩序正しい自然はただ『征服さるべきもの』、そこにおいて法則の見いださるべきものとして取り扱われた。……自然が最も重んぜらるる時でも、たかだか神の造ったものとして、あるいは神もしくは理性がそこに現われたものとしてである。しかるに東洋においては、自然はその非合理性のゆえに、決して征服され能わざるもの、そこに無限の深みの存するものとして取り扱われた。人はそこに慰めを求め救いを求める。特に東洋的なる詩人芭蕉は、単に美的にのみならず倫理的に、さらに宗教的に自然に対したが、そこに知的興味は全然示さなかった。自然と共に生きることが彼の関心事であり、従って自然観照は宗教的な解脱を目ざした。かかることは東洋の自然の端倪すべからざる豊富さをまって初めてあり得たことであろう」。

 ヨーロッパの自然は、比較的温順にして秩序正しいので、神が創造した自然は、神の創造物の中で最も高い地位にある人間によって支配され改造され利用されてよいといふ思想が生まれた。これがヨーロッパの自然観である。こうした自然観が、自然を改造し利用して科学技術を発達させたが、自然破壊につながった。

日本をはじめとした東洋の自然は比較的厳しいので、人間は自然と共生し、自然を畏怖すべきものとして接してきた。そして自然を「神」として拝み、信仰の対象にした。

われわれ日本人は、これからも自然と共に生きる姿勢を保っていかなければならない。

自然災害はまさに自然の非合理の極であり、人間が自然を征服するどころか、自然が人間を征服することを実感させる。 

古代日本人は、人生も自然であり、人の生活は自然の中にあるものであって、人間は自然の摂理と共に生きるべきと考へた。だから西洋のやうな「自然を征服する」とか「自然を改造する」などといふ考へ方は本来なかった。

津田左右吉氏は「萬葉歌人の自然に対する態度についていふべきことは、自然を我が友として見、無情の生物を人と同じく有情のものとすることである。」(『文学に現はれたる我が国民思想の研究』)と論じてゐる。

日本人にとって自然とは、本来、対立するものでも、征服するものでも、造り替へるものでもなかった。自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。自然の摂理に歯向かふ時、人間は自然の報復を受けるといふことを体験的に知ってゐた。報復と言って悪ければ、摂理に逆らふことによって害を受けることを知ってゐた。日本人は古来、自然を畏敬し、順応しつつ生きて来た。

日本人のみならず近代の人類は、自然を破壊し自然の摂理に逆って、文明の進歩発展・経済発展の道をひたすら突っ走ってきたことは確かである。

「山びこ」(山の谷などで起こる声や音の反響)のことをこだま即ち「木霊」「木魂」といふ。山野の樹木に霊が宿るといふ信仰から出た言葉である。まさに日本人は、山野に霊が宿ってゐると思ひ、深山幽谷は古代人の眼から見れば、精霊の世界だったのである。

かうした信仰精神を今日に蘇らせることが自然保護の最高の方策である。法令や罰則の強化は必要ないとは言はないが、それ以前に、自然に宿る神や霊魂を畏敬する心を復活することが大切である。それには、古代日本人の自然観が表白されている日本神話の世界や『萬葉集』の自然詠の精神に回帰することが大切である。

日本民族は、天地自然に素直なる感動と畏敬の念を持ち、天地自然を神として拝んだのである。また、死者の靈も神として拝んだ。一神教の神観念とは大きく異なる。

 それでは、日本民族の神観念と一神教の神観念とは全く相容れないかといふとさうではない。日本人の神観念には、「神はこんな形だ」というふ一定の相形(すがたかたち)はない。神の姿は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、諸事。依頼されていた原稿脱稿、送付。

 

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集作業(執筆依頼)。原稿執筆の準備。

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