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2020年4月19日 (日)

今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべし

祇園祭の由来は今からおよそ一一〇〇年前の貞觀十一年(八六九)、京都で流行した疫病を鎮めるため、「祇園社(ぎおんしゃ)」(現在の八坂神社)にて六六本の鉾をつくり疫病の退散を祈願した御霊会が始まりという。
毎年七月に行われる祇園祭山鉾巡行は、今年は例年通りの巡行を中止する方向で関係者が検討を進めていることが四月一六日に分かった。重要無形民俗文化財に指定され、日本三大祭りの一つに数えられる祭礼には、例年、実に多くの観光客が京都に押し寄せる。新型コロナウイルス感染拡大の終息が見通せない中、従来通りの実施は困難だとして、祇園祭山鉾連合会が各山鉾町などとの調整を続けていて、二〇日に記者会見し、方針を示すという。止むを得ないことであろうか。

しかし、神道学者などから、「疫病退散の祭りなのに。いまやらなくて、いつやるの」という疑問の声があがっている。たしかに、祇園祭は、伝染病退治の祭祀なのであるから今こそ行われるべきであろう。これまでも山鉾巡行はコレラが流行した明治時代に秋に延期したり、5月に実施したりしたことがあった。取りやめは、阪急電鉄の地下工事により中止された昭和三七年以来五八年ぶという。

神社関係の大きな祭礼や寺院の大きな法要なども中止延期を決めた神社仏閣も多いようである。たしかに感染拡大防止のために緊急事態宣言が出されているのであるから、多くの人々が集まる大宗教行事の中止や延期は止むを得ないことなのかもしれない。しかし、余りにそういうことを恐れるあまり、本来行われるべき、否、行わなければならない祭礼・法要などを中止や延期にしてしまうのは如何なものであろうか。むしろこういう時にこそ粛々と行われるべき祭礼・法事があるのではないだろうか。

わが國は國難を契機として、一大変革を成し遂げてきた歴史を有する國である。この度もさうであらねばならない。今日の日本も幕末期・明治初頭と同じやうな、否、それ以上の危機に直面してゐる。國難に遭遇してゐる。今日においてこそ、日本傳統精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

日本傳統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の實際生活から生まれて来た信仰である。この日本傳統信仰に今こそ回帰し、今日の疫病猖獗などの國難打開危機を乗り越えるべきである。

これは安易なる神仏へのよりかかりではないし、「叶はぬ時の神頼み」でもない。わが國は、古代以来、神への祭りによって大國難を乗り切ってきた歴史を有する。私はそのことを信じて疑はない。

重要なのは、建國以来の歴史に学び、全國の神社・仏閣に國難打開の祭祀・祈願を行ふべきだといふことである。わが國は維新変革を断行する直前に、内憂外患に見舞はれ、國家の存続すら危ぶまれる状況において、全國民が一体となって、神仏への祭祀と祈願を行った。そして危機を打開し、維新変革を實現してきた。今日においてもさうした歴史に学ぶべきと考へる。

然るに、今回の國難においては、全國各地の神社や寺院などにおいて、神職・僧侶・氏子・信徒が一丸となって、神を祭り、仏に祈願を行ったといふ話を聞かない。それどころか、全國の神社仏閣は大きな行事を自粛し、僧侶は自宅待機などをさせられるといふこともあるといふ話を聞いた。何ともおかしなことである。

感染拡大には十分に対策をとりつつ、疫病・自然災害の鎮静化祈願など神社仏閣の本来の使命・最も大切な役割をはたすべきであろう。今こそ、神職・僧侶の聖なる使命の実行が望まれるのである。今日においてこそ、歴史に学び、神仏への全國家的・全國民的祭祀と祈願を實行し、危機を打開すべきである。

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