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2020年3月 1日 (日)

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である

「維新」とは、現代の汚れを祓ひ清め、天皇を祭祀主と仰ぐ國の本来の姿を回復して現状を変革することである。大化改新も、建武中興も、明治維新もさういふ精神に基づいて行はれた。日本においては傳統回帰と変革が一つである。だから維新を<復古即革新>といふ。

この場合の「復古」とは時間的過去に逆戻りすることではない。時間を超越した「祖型」「原初」「始原」「始まりの時」「久遠元初」「永遠の今」への回帰である。傳統精神の新たなる発見である。日本の傳統精神を復活せしめて硬直し腐敗した現代を一新することである。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、國民の幸福と國家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本國の道統を原理としなければならない。日本における革新は、古きものの土台の上に立脚する。

東日本大震災など近年多発する自然災害は、自然の脅威が如何に恐ろしく、原発などの科學技術が人間に大きな危害を加へるものであるかが体験された。

欧米の科學技術による人間生活の進歩と発展を至上命題としてきた戦後日本、もっと言へば近代日本への反省が必要である。それには、自然の中に神を見る日本傳統信仰に回帰する以外にない。

体制変革や法律の整備は大切である。しかし、その根本に神への回帰が無ければならない。いくら國家機構を変革し法律を更新しても、様々な悪しき事象が無くなることがないことは現實と歴史が証明してゐる。

『大日本帝國憲法』といふ國體精神に則った理想に近い憲法があっても、昭和の御代において維新変革運動が起った。法律や制度を整へるだけでは真の維新は成就しない。

維新とは、神の復活であり、神代への回帰であり、天孫降臨への回帰である。それは「神勅」の實現であり、神話の再興であり、「今即神代」の實現であり、「高天原を地上へ」の實現である。

わが國においては、國家変革即ち維新と信仰精神・神話の精神は不離一体である。大化の改新、建武中興、明治維新において、神國思想・國體信仰がその中核にあった。現代の維新変革然りである。政治制度の変革の根底に日本傳統信仰が無ければならない。

かかる考へ方は、情緒的であり、観念的であるとの批判もあらう。しかし、今こそ自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神に回帰すべき時である。

現代文明とは、科學の論理によって技術の革新を行ふ文明のことである。現代文明は西洋科學技術文明が主流となってゐる。そしてそれは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

反面、現代文明は今日、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻をもたらし、没落の時期に差しかかってゐる。現代文明の欠陥を是正し、欧米科學技術文明を反省し、新たなる文明を形成しなければならない。

日本傳統信仰は、山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の男子)」であり「日女(ひめ・日の神の女子)」なのである。日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと信じ、人も國土も神が生みたまふたと信じる。

闘争・戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそ、一切の自然や人に神が宿るといふ大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統信仰が大きな役割を果たすと考へる。日本傳統信仰の祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體たる日本國の本姿回復によって現代の危機を救済する大変革即維新が断行されならない。

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