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2020年2月22日 (土)

日本道徳の基本について

 和辻哲郎氏は、「日本は人倫国家であり、その中心は天皇の神聖なる権威である。人々は天皇の神聖なる権威を通じて正義を自覚した。ここからしてこの権威による政治が正義の実現としての人倫国家の創成にまで展開して行く所以も理解せられる」と論じておられる。(日本倫理思想史)

 鏡のように清らかな心を尊ぶわが国伝統信仰は、「鏡」を御神体として拝んだ。『神皇正統記』に「天照大神もたゞ正直をのみ御心とし給ふ」「鏡は一物をもたくはへず、私の心なくして万象を照らす。……これ正直の本源なり」と書かれている。「私の心なき清明心」こそが「神ながらの道」である。その「清明心・神ながらの道」を体現される御存在が祭り主日本天皇であらせられる。

 新渡戸稲造氏は「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身を持ちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』)と論じている。

 共同体は、それを構成する人々の相互信頼と協力によって成り立つ。しかし現実には人々の私利私欲の追求によって相互信頼と協力は屡々破壊される。それを抑制するためには、共同体を構成する人々の利害を超越した神聖性・道義性を持つ御存在が必要となる。それがわが国においては共同体の祭祀主たる天皇であらせられる。
 
 戦後及び現代日本において、戦勝国の日本弱体化政策、さらに共産革命勢力・偏向マスコミ・学者文化人によって、天皇及び御皇室の神聖性・尊厳性が破壊され続けてきた。それが今日のわが国の道義頽廃の根本原因である。

 今日のわが國は、國民の道義心が頽廃し、祖國への愛も、親への尊敬心も、子への慈しみの心も、國民同士の信頼感も薄くなっている。また、自國の歴史と伝統を蔑視し、祖國への誇りを喪失している國民が多い。

 昭和天皇が『終戰の詔書』において「情の激する所濫に事端を滋くし或は同胞排擠互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふが如きは朕最も之を戒む」と御懸念あそばされたことが現實のものとなったのである。

個々人がバラバラにされて集團の中に埋没し、それぞれの欲望を満たすために生きていることが、「自由で民主的な社會」であるはずがない。メディアが偏向報道と俗悪出版・放送を垂れ流している。

 現代の荒廃の根本的原因は、欧米列強による世界支配に唯一抵抗した聖戰たる大東亜戰争後のわが國において、戰勝國の日本弱體化を意図した占領政策が長く続き、わが民族の精神的誇りが破壊されたことにある。

 しかも許せないのは、わが國民にして戰勝國の弱體化政策のお先棒を担ぐどころか率先して「日本解體」を實践した者共がいることである。そういった連中は今日ただ今も蠢いている。朝日新聞・テレビ朝日・日本共産党・立憲民主党がそれである。

 わが國の道統・價値觀、すなわち日本の伝統精神を罵倒し批判し破壊することが「民主主義」であるという亡國的考えを持った者共が、政治の世界やマスコミ界に大きな力を持ち続けてきた。

 教育の目的は、将来の國民に日本國民としての誇りと自信を持たせることにある。道徳觀念・道義精神の基本は、正しい祖國愛である。自分の祖國に誇りを持てない人間に育てられた児童生徒は正しい道義心を持つことができなくなる。

 戰後の左翼偏向教育において、児童生徒に植えつけられたのは、「人権・反戰平和・平等」の名のもとに祖國や社會や家庭に対する憎しみ・怒りの感情である。こういう教育を受け続けた戰後世代の人々が、政界・官界・教育界・財界・言論界など今日の日本を動かしているのだ。日本が混迷するのも当然である。文部省の元事務次官等その典型であろう。

 戰後の日本人の懸命の努力によって経済発展し、物の豊かさを享受した。しかし、モノさえ豊かであればいいカネさえ儲かればいいという考え方が横行し、倫理・道徳の衰退と政治の混迷・家庭崩壊・教育荒廃をもたらした。まさに「衣食足りて禮節を知る」という言葉の逆を行ったのが戰後日本であった。こういった戰後の歴史を根本的に問い直すことが必要である。
 
かつてわが祖国は、東洋の君子国として思いやり深く、恥を重んじ、礼儀正しい国として世界に知られていた。古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている点にある。親孝行も愛国心も義理も人情も全て旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が今日の亡国的状況をもたらしたのである。

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