« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月29日 (土)

今日思ったこと

安倍さんは外交で得点を稼ぎたいのか、二階幹事長や連立相手の創価学会公明党の言いなりになっているのか。ともかく習近平の国賓としての来日は政治家・安倍晋三に大きな汚点を残すと思う。これでは戦後レジームからの脱却は夢物語だ。

|

専制侵略国家・嘘つき国家支那の独裁者習近平を国賓として招くなどということがあっていいはずがない。

みなさんご存知のことと思いますが、日本テレビ系列で以下の報道がありました。

         〇

中国メディアは、去年年末に武漢市で新型コロナウイルスが検出されていたものの中国政府が患者からのサンプルの廃棄を命じ、情報の隠蔽を指示していたと報じた。

この報道は、中国メディアの記事を香港メディアなどが転載する形で伝えているもの。武漢市で去年の年末にはすでに新型ウイルスが検出されたものの、1月初めに中国政府の衛生当局が、「患者からとったサンプルは即刻廃棄するか国家の指定した機関に送らなければいけない」と通知。さらに、「外部に情報を公表してはいけない」と情報の隠蔽を指示していたという。

この記事は、中国のなかで調査報道メディアとして評価の高い「財新」が伝えたものだが、現在は削除されている。情報の隠蔽については武漢市など地方政府に批判が集まっていたが、中央政府の機関も関わっていたとすれば、習近平指導部にとって大きな痛手となるため、情報統制を強めているものとみられる。

          〇
こんな國の独裁者を国賓として招くなどということがあっていいはずがない。ともかく共産支那という国はとんでもない邪悪なる専制侵略国家である。尖閣・台湾・香港に対しても何をするか分からない國だ。警戒を強めるべきである。

|

千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書類泳・資料の整理。

|

2020年2月28日 (金)

明治天皇御製とやまと歌

維新と和歌の復興とは一体である。何故なら、天皇の國家統治の基本に和歌があるからである。和歌は天皇の國家御統治と一體であるばかりでなく、日本の変革の時期、発展の時期に和歌が隆昌する。『萬葉集』は、大化の改新・壬申の乱から平安遷都に至る大変革・大建設の時代に詠まれた全國民の歌が収められてゐる。

天皇國家統治は、やまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。

天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふ理念が、わが國の皇位継承であり、伊勢の神宮の御遷宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國において幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

明治天皇は、『歌』と題されて、

「まごころを うたひあげたる 言の葉は ひとたびきけば わすれざりけり」
「世の中の ことあるときは みな人も まことの歌を よみいでにけり」
「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」
「ことのはの まことのみちを 月花の もてあそびとは おもはざらなむ」

と詠ませられてゐる。

これらの御製は、やまと歌の本質について歌はれてゐる。和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

『古今和歌集・仮名序』(紀貫之)に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

歌の語源は「訴へる」である。物事に感動して何事かを訴へた声調・調べ(音律の調子を合わせ整へること)のある言葉を歌といふ。そして、五七五七七といふ一定の形式と調べが自然に生まれた。

日本國民の心・思想・精神は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。

わが國は元寇・明治維新・大東亜戦争など國家的危機の時に尊皇愛國の精神が燃え上がった。そしてやまと歌が勃興した。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

明治天皇御製

「とこしへに 民やすかれと いのるなる わがよをまもれ伊勢のおほかみ」(明治二十八年・日清戦争)
「民草の うへやすかれと いのる世に 思はぬことの おこりけるかな」(明治三十七年・日露戦争)
「暁の ねざめのとこに おもふこと 國と民との うへのみにして」(明治三十八年・日露戦争)
「千萬の 民とともにも たのしむに ますたのしみは あらじとびおもふ」(明治四十三年)

明治天皇は、御生涯において、九萬三千三十二首の御製を詠ませられた。畏れ多いが、歴代天皇の中で比を見ない。明治維新断行、そして近代日本建設といふ未曽有の変革と発展は、明治天皇の偉大なる神聖権威のもとに推進せられた。そしてそれはやまと歌の隆昌と一体であったのである。

|

千駄木庵日乗二月二十七日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、室内整理。『伝統と革新』編集の仕事。資料整理など。

|

2020年2月27日 (木)

この頃詠みし歌

忙しなく生き行く我も寝る前の神への祈り静かなるべし

老人の多き病院の待合室我もその中の一人なりけり

塩分と酒を控へよとの御託宣若き医師は繰り返し言ふ

ともかくも体が大事と思ふなら医師の言ふことに従はねばならず

罵詈雑言しか言はぬ女の代議士の顔を見る度に吐き気もよほす

この国を滅ぼさんとする輩たちが国会の中で跳梁跋扈す

日嗣の御子を殺めんとせし逆賊が執行猶予とは悔しかりけり

懐かしき師の面影が浮かび来し夜は歌集を讀みてゐるなり(中河幹子先生)

小さき商店が並びてゐたるわが町も今は豆腐屋が残りゐるのみ

ベトナムより来たりてわが國で働ける若者たちの幸を祈らむ

仏米支那に負けざりし國ベトナムの強さを我は高く讃へる

国賓とは一体何か侵略国家暴虐国家の首領には非ず

父と母がこの世を去りし日は遠くなれどなほぞさみしさ強くなり行く

ただの変人か信念の人かはっきりしないがわが前に立つ

慈悲の心で人々を救はむと立ちませる観世音菩薩は美術品にあらず(『日本書紀成立一三〇〇年 出雲と大和展』)

心のみ柱の巨大なる樹は天降り来し神の力と命(同)

いにしへの日の本人の信の力の結晶と仰ぐ大き心柱(同)

もっと冷静に書くべきなるに支那のこと書く時のわが筆ふるひ立つなり

昭和三十四年四月に中学に入学せし頃は団塊の世代などといふ言葉無し

親の仇といふ言葉など無縁などと思ひ来たれどもさにはあらざりき

憎しみは常に新たなり父と母を苦しめし病院の医師と看護師

九十歳を過ぎて病室に苦しみし父母を思へば胸張り裂ける

辻元や志位や小池(晃)が権力者となりたる日本は滅びゆくべし

歴史観がおかしければとても支持などできぬ石破茂さん

テレビスタジオに座りてペラペラと物知り顔に喋りゐるコメンテーターといふ輩


|

千駄木庵日乗二月二十六日

午前は、諸事。

 

午後三時、白金台の台北駐日経済文化代表処にて、謝長廷駐日代表にインタビュー。大変貴重なお話を伺う。台北駐日経済文化代表処は事実上の台湾の駐日大使館であり、謝長廷駐日代表は事実上の駐日大使である。謝長廷氏は京都大学出身。台湾の行政院長(首相)、台湾第二の都市・高雄市長、民主進歩党主席を歴任された大物政治家である。小生と同学年の昭和二十一年生まれ。

 

インタビュー感想記はあらためて書きます。

 

 

帰宅後は、原稿執筆・資料整理など。

 

|

2020年2月26日 (水)

孝明天皇の國を憂ひ民を思はれる大御心が明治維新の原点

安政六年三月三日に井伊直弼誅殺の「桜田門外の変」が起った。
孝明天皇はこの年の七月二十六日に、

「こと國も なづめる人も 殘りなく 攘ひつくさむ 神風もがな」

といふ御製を詠ませられた。

また、次のやうな御製ものこされてゐる。

「澄ましえぬ 水にわが身は 沈むとも にごしはせじな よろづ國民」(御詠年月不詳)

井伊直弼誅殺後、幕府も大いに改革された。孝明天皇は、文久二年五月十一日付渙発の『時局を御軫念の御述懐の勅書』(別名「時局御軫念の御述懐一帖」)では次のやうにお示しになった。

「惟に因循姑息、舊套(旧来のやり方)に從ひて改めず、海内疲弊の極、卒には戎虜(じゅうりょ、外國人)の術中に陥り、坐しながら膝を犬羊(西洋人)に屈し、殷鑑遠からず、印度の覆轍を踏まば、朕、實に何を以てか先皇在天の神靈に謝せんや。若し幕府十年内を限りて、朕が命に従ひ、膺懲の師(懲らしめの軍隊)を作(おこ)さずんば、朕實に断然として、神武天皇神功皇后の遺蹤(いしょう、前例)に則り、公卿百官と、天下の牧伯(諸侯)を師(ひき)いて親征せんとす。卿等其(それ)斯(この)意を體(たい)して、以て報ぜん事を計れ。」

幕府が攘夷を決行しなければ、神武天皇、神功皇后の御事績に倣ひ、孝明天皇御自ら、軍事的行動を起こされると宣せられたのである。幕府は恐懼し、「勅書」を体して「奉勅攘夷」を貫くことを堅く誓約した。

小田村寅二郎氏は、この『時局御軫念の御述懐一帖』について、「この御文章は、ここに謹撰申上げた悲痛極りない御製の数々と共に、幕末を語るすべての日本人が必読すべきものとしてぜひごらんいただきたいと思ふ。」(『歴代天皇の御歌』)と論じてゐる。

文久三年(一八六三年)には、孝明天皇は賀茂神社・石清水八幡宮に御幸され、攘夷祈願を行はれた。今でこそ、石清水八幡宮にはケーブルカーに乗って急峻な男山を登りゆき参拝できるが、江戸時代末期はたとへ輿で登られたとしても大変な難行であったと拝される。

さらに、孝明天皇は、

「戈とりて まもれ宮人 こゝのへの みはしのさくら 風そよぐなり」(御詠年月不詳)

といふ御製をのこされた。この御製は侵略の危機に瀕する日本を憂へられた御歌である。この御製を拝した多くの志士たちが尊皇攘夷の戦ひに決起した。
宮部鼎蔵(熊本藩士。尊攘派志士として、京都を中心に活躍。諸藩の有志たちと協議を重ね尊攘運動を推進したが、池田屋事件にて自刃)は、孝明天皇の御製にこたへ奉り、次の歌を詠んだ。

「いざ子ども 馬に鞍置け 九重の 御階(みはし)の桜 散らぬその間に」

維新の志士の孝明天皇への赤誠・戀闕の心が、尊皇倒幕の行動を起こさしめたのである。

徳富蘇峰氏は、「維新の大業を立派に完成した其力は、薩摩でもない。長州でもない。其他の大名でもない。又当時の志士でもない。畏多くも明治天皇の父君にあらせらるゝ孝明天皇である。…孝明天皇は自ら御中心とならせられて、親王であろうが、関白であろうが、駆使鞭撻遊ばされ、日々宸翰を以て上から御働きかけになられたのである。即ち原動力は天皇であって、臣下は其の原動力に依って動いたのである。要するに維新の大業を完成したのは、孝明天皇の御蔭であることを知らねばならぬ。」(『孝明天皇を和歌御會記及御年譜』「序」)と論じてゐる。

孝明天皇の國を憂ひ民を思はれる大御心が明治維新の原点であり、孝明天皇の大御心にこたへ奉る変革が明治維新であった。君民一體の神國日本の清潔さ・純潔を守らうといふ國粋精神が日本の独立を守った。そしてその國粋精神の體現者・實行者が孝明天皇であらせられた。

|

千駄木庵日乗二月二十五日

午前は、諸事。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、ペマ・ギャルポ氏にインタビュー。

帰宅後は、『萬葉集』講義原稿執筆、『伝統と革新』掲載原稿校正など。

|

2020年2月25日 (火)

いま最も日本にとって大きな課題ある中国の覇権拡大に対して日本は対処すべきであるかである


いま最も日本にとって大きな課題ある中国の覇権拡大に対して日本は対処すべきであるかである。中国の覇権拡大=チベット・東トルキスタン・台湾・香港に対する中国の圧迫、強権政策をどう抑止するかである。

日米同盟は有効に機能していると思うが今後はどうであろうか。トランプ政権の動向が問題である。日本に対する軍事費負担要求はますます強まると思われる。

日本がイラン・イラク・サウジ・イスラエルなど中東の紛争当事国と比較的友好関係を保ち中東の平和に貢献しているのは評価すべきと思う。イスラム教・ユダヤ教という一神教を国家の基軸とし対立する国々との外交・安定の維持は難しいと思うが、日本は成功して来たと言えると思う。特に日本とイランとは古代ペルシャ以来の友好関係がある。

ところが近隣国家とされる韓国、北朝鮮の理不尽な対日姿勢は許し難い。

「自由で開かれたインド洋、南シナ海、東シナ海、太平洋」は極めて大切である。そのためには、米国、インド、オーストラリアとのさらなる連携が必要である。

安倍長期政権への批判があるが、外交・安保面は評価すべきと思う。立憲民主・日本共産両党そして偏向メディアの安倍批判は日本を転覆させるために行っているとしか思えない。

共産支那政府は、武漢を中心に拡大している新型コロナウイルスへの対処ついて、情報開示はきちんとしてきただろうか。共産支那政府が、WHOからの台湾締め出しを行ってゐるのは許し難い。日本は厳しく抗議すべきと思う。

新疆ウイグル即ち東トルキスタンでは一〇〇万人規模の人々が強制収容所に送られ、想像を絶するような虐待が繰り返されているという。

同じく今から六一年前に四川省に組み込まれたチベットでも人権蹂躙に加え、凄まじい宗教弾圧が続いているという。チベット仏教寺院では仏画やダライ・ラマ一四世の写真の掲示を制限して、代わりに習近平、毛沢東の肖像画を飾ることを強要し、無理矢理に信仰の対象として拝礼させられているという。伝統的儀式も規制され、寺院近辺には人民解放軍が駐留し、ウイグルと同じく「再教育」のための強制収容所も建てられていると言う。

精神的拷問だけでなく、身体的拷問も行われ、チベット仏教の戒律に反して男性僧侶と尼僧を同じ施設に住まわせ、しかも尼僧に対しては世俗化を促すため性的虐待が繰り広げられているという。とても同じ人間のやることとは思えないほど残忍極まりないことである。


共産支那の台湾併呑は軍事攻撃だけではない。支那による経済台湾併呑の恐れがある。日本は台湾に協力すべきである。

|

千駄木庵日乗二月二十四日

午前は、諸事。

午後は、連載原稿執筆・脱稿・発行所に送付。続いて、本日行う講義の準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『第103回日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邉昇氏が主催者挨拶。小生が「国體の本義を隠蔽する現行憲法の国民主権論」と題して講義。松陰大学准教授高乗智之氏が講義。質疑応答、全員意で討論。

帰宅後は、明日のインタビューの準備など。

|

2020年2月24日 (月)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 三月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

|

私が小沢一郎を許せない理由 私が小沢一郎を許せない理由 私が小沢一郎を許せない理由

小沢一郎は、昭和六一年四月二日に開かれた参議院地方行政委員會で自治大臣として次のように答弁した。

「靖國神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、その追悼ということでだれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。したがって、私もいわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、そして時間が許せば靖國神社の参拝は今までもしておりましたし、するつもりであります」「基本的に、お國のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝國によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております」

ほぼまともな考え方である。しかるに、小沢はその後意見を変えて、「戦争犯罪人が合祀されている現在の靖国神社に、総理大臣が参拝するべきではない」などと主張している。

小沢一郎は、平成25年12月26日、「安倍首相の靖国神社参拝について」と題して次のようなコメントを発表した。

「本日、安倍首相が靖国神社を参拝した。戦没者を慰霊追悼するために国民が自由意思に基づいて靖国神社を参拝することは何ら問題がない。しかし戦争犯罪人が合祀されている現在の靖国神社に、総理大臣が参拝するべきではない。少しでも早く靖国神社を元の姿に直して、総理はもとより天皇陛下、政治家が参拝できるよう改めるべきである」。

さらに小沢は、平成十七年十月二一日号の『夕刊フジ』においてもっとひどいことを言った。即ち「東条英機元首相以下、当時の國家指導者たちは日本國民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。」「彼らは戦争中、一般将兵に対して『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』と教え、特攻や自決を強要した。沖縄やサイパンでは民間人まで自決している。その張本人たちが、おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』うえ、不名誉な戦争犯罪人として裁かれた。とんでもない話だと思う。國家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。この人たちは靖國神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英靈に値しないと考えている。ただ、『東条元首相らは立派だ』と思う人がいるなら、自分で神社を建てて靖國神社から分祀して祀ればいい。僕はその価値はないと思うが、それは自由だ。靖國神社は『一度、合祀した御靈は分祀できない』と主張しているらしいが、靈璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」と。

まず第一に、わが国には「昭和殉難者」はおられても、「戦争犯罪人」は一人もいない。この根本認識が小沢一郎にはないのである。東條英機氏らを裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通り「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく、戦争行為の継続であり敵國の復讐であった。そこにおいて「絞首刑」の「判決」なるものを下され執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝國の戦争行為・復讐戦の戦死者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦争犯罪人」は存在しない。

東条英機元総理は、決して「おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』」のではない。『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』の信念を貫徹せんとして、自決を図られたのである。この歴史的事実に目をそむけ、東條氏冒瀆した小沢の発言は断じて許すことはできない。

「A級戰犯」といわれる人々は、「罪刑法定主義」の原則に反した裁判とは名ばかりの戰勝國による一方的な復讐の場であった「東京國際軍事裁判」で、「絞首刑」に処せられ「法務死」された二十五人の方々である。まさに戰没者であり、殉難者である。ゆえに、わが國政府は、「戰犯」として処刑された方々を、「戰死者」として扱い、その遺族に對する軍人恩給、遺族年金などの支給を、衆参両院で全會一致で決議し実行してきている。そして、靖國神社には昭和殉難者として祭られているのである。

「A級戦犯は靖国神社に祀られるべきではない」という主張は全く誤りである。これは復讐劇であった「東京裁判」を肯定するばかりでなく、亡くなった方々を慰霊するというわが国の伝統的な倫理思想を否定する議論である。靖国神社は戦死者すなわち敵によって殺された人々をお祭りする神社である。戦死者がたとえ戦争についての責任があろうとなかろうとそれは全く関係がないのである。「戦争責任と「戦争犯罪」とは全く異なる。

東條英機氏等十四人の方々を「絞首刑」に処した戦勝國こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本國民として東條氏を戦死者・殉難者として靖國神社に祀らねばならぬのである。それが日本人の道である。

小沢の「A級戰犯が祀られている靖國神社に総理大臣が参拝してはならない」「國家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。この人たちは靖國神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英靈に値しない」などという主張は、戰勝國が行った無法な「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定する議論であり、亡くなった人々を慰靈するというわが國の傳統倫理を否定する議論である。さらに言えば、昭和殉難者に対する重大なる冒瀆である。

昭和二十八年、わが國政府は当時の國會決議を踏まえて戦勝國即ちかつての敵國の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定し、その遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは國家意思と言っても良い。今になって「戦犯」は戦死者ではないから靖國神社に祭るのは間違っているなどと言う小沢の主張はまさしく歴史への冒瀆である。

小沢一郎の主張の変化を「以前言ったことと今言ったことが違う」即ち「自語相違」と言う。結果的に「嘘」をついたことになる。また「昨是今否の詭弁を弄した」と言う。小沢一郎は、その人間性が基本的におかしいと断ぜざるを得ない。小沢の一連の発言を見て来ると、彼が如何に人としての「死者を悼む心」のない非道な人間であるかを証明する。

|

千駄木庵日乗二月二十三日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、室内整理。『伝統と革新』編集の仕事。「巻頭言」の原稿執筆・脱稿・送付。『萬葉集』講義原稿執筆。


|

2020年2月22日 (土)

正統性が無い憲法に基く「立憲主義」は、祖國を亡國への道を歩ましめる

「立憲主義」とは、「政府の統治を憲法に基づき行ふ原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれてゐることに依拠する」といふ考へ方であるといふ。しかし、その基づくべき憲法が如何なるものかが問題である。

『現行占領憲法』は、日本を永久に弱體化しておくために戦勝國=アメリカ占領軍が日本に押しつけられた全く正統性の無い憲法である。正統性の無い『現行憲法』に立脚して「立憲主義」を主張することは間違ってゐる。正統性が無い憲法に基く「立憲主義」は、祖國を亡國への道を歩ましめる。それはまさに「憲法護って國滅ぶ」といふ事態になる。

『立憲主義』とは近代憲法の基本原則であると言ふ。しかし『現行占領憲法』はGHQによって作られた。これによって政府を縛るのが『立憲主義』と言ふは根本的に間違ってゐる。

今日わが國で施行されてゐる憲法がまっとうな憲法、正統性のある憲法なら「立憲主義」は肯定される。しかし、『現行占領憲法』は最初から正統性は無かった。

そこで、『日本國憲法』といふ名称の『現行占領憲法』に如何に正統性がないかを少しく論じてみたい。

『現行憲法』が『大日本帝國憲法』を改正したものだなどといふこと自體が欺瞞である。天皇の統治大権が占領軍最高司令官即ちマッカーサーの隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」といふ『帝國憲法』の条項に明確に違反してゐる。

大変畏れ多いことであるが、「天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合國最高司令官ノ制限ノ下(「subject to」)ニ置カルルモノトス」(バーンズ回答・正しくは「隷属ノ下」と訳されるべきといふのが定説である)とされてゐる時期の「天皇のご裁可」「天皇による公布」は、天皇陛下が自由に表明された御意志即ち「大御心」によるものとは異なる。

「摂政」が置かれてゐる時の憲法改正すら否定されてゐるのに、天皇の統治大権を隷属下に置く存在=連合国最高司令官が存在する時期に憲法改正が行はれていいはずがないのである。『現行占領憲法』には内容的にも制定過程においても全く正統性がない。

『占領憲法』は、十七世紀、十八世紀の欧米の市民革命の基礎理論であった「社會契約論」に立脚してゐる。

中川剛氏は次のやうに論じてゐる。「日本國憲法が、一七・一八世紀の欧米の市民革命の理論的基礎となった社會契約論に立脚して起草された。…アメリカの独立宣言や連邦憲法が、当時の革命思想であった社會契約論によって起草されたため、占領軍総司令部の憲法案起草者にとっても、社會契約の考え方が基本枠組みとして採用され…憲法の基本原理についてさえ、傳統にも文化にも手がかりを求めることができず外國の理論に典拠を探さなくてはならないという恐るべき知的状況が出現するに至った」(『憲法を読む』)。

國の生成・成り立ちが欧米とは全く異なり、市民革命も経験してゐないわが日本國に、西洋國家思想たる「社會契約論」を基礎にした憲法が押し付けられたのである。この一点を以てしても『現行占領憲法』に正統性がないことは明白である。

日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる。日本國は、「数多くの個としての人間」が寄り集まって契約を締結して人為的・人工的に作った権力機構・契約國家(これを「國家法人説」と言ひ換へてもいいと思ふ)とはその本質が全く異なる。「國家法人説」を日本國に当て嵌めることはできない。

「國家法人説」とは、國家を法的な主體としての法人と考へる理論である。そして「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主體となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められてゐる集団」とされてゐる。

つまり、國家は人間が集まって文字通り人為的に作られたといふのが西洋の國家観である。國家とは、社団法人や財団法人のやうに多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだといふのが「契約國家論」「國家法人説」なのである。

天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體たる日本は断じてそのやうな國家ではない。日本といふ國家は、國民の魂が結び合って生まれてきた生命體である。日本民族の農耕を中心とする傳統的生活の中から培はれた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命體が日本國である。そしてその〈むすび〉の中核が日本傳統信仰の祭祀主である天皇である。

「むすび」の語源は、「生(ム)す」である。「草が生す」「苔が生す」といはれる通りである。つまり命が生まれることである。結婚も男と女の「結び」である。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」といふ。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。故に母から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)と言ひ、女の子を「むすめ」(生す女)と言ふのである。

「庵を結ぶ」といふ言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集め、それらを結び合はせて作られた。日本の家庭も〈むすび〉によって成立してゐる。

日本に憲法を押し付けたアメリカ合衆國は、一七七六年七月四日に独立を宣言して「社會契約論」「國家法人説」を基礎して「人為的に造られた國」である。
「生まれる」と「造られる」とでは絶対的な違ひがある。「生む」は日本傳統信仰の「國生み」観念であり、「造る」はキリスト教の「天地創造」の観念である。伊耶那岐命・伊耶那美命は日本國土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を造ったのである。キリスト教の神はなぜか國家は造らなかった。

日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想・國家法人説や、人間不信を基盤とした國民主権論や西洋近代の成文法、そしてさうした思想が基礎になってゐる『現行占領憲法』の「國家観」とは、絶対的に相容れないのである。『現行占領憲法』に正統性がない最大の理由はここにある。

その上、『現行占領憲法』は戦勝國アメリカの占領下に、強制的に押し付けられた憲法である。従って、この『現行占領憲法』には内容的・思想的にも、制定過程においても全く正統性がないのである。

|

千駄木庵日乗二月二十二日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送作業、発送完了。この後、資料の整理など。

|

日本道徳の基本について

 和辻哲郎氏は、「日本は人倫国家であり、その中心は天皇の神聖なる権威である。人々は天皇の神聖なる権威を通じて正義を自覚した。ここからしてこの権威による政治が正義の実現としての人倫国家の創成にまで展開して行く所以も理解せられる」と論じておられる。(日本倫理思想史)

 鏡のように清らかな心を尊ぶわが国伝統信仰は、「鏡」を御神体として拝んだ。『神皇正統記』に「天照大神もたゞ正直をのみ御心とし給ふ」「鏡は一物をもたくはへず、私の心なくして万象を照らす。……これ正直の本源なり」と書かれている。「私の心なき清明心」こそが「神ながらの道」である。その「清明心・神ながらの道」を体現される御存在が祭り主日本天皇であらせられる。

 新渡戸稲造氏は「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身を持ちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』)と論じている。

 共同体は、それを構成する人々の相互信頼と協力によって成り立つ。しかし現実には人々の私利私欲の追求によって相互信頼と協力は屡々破壊される。それを抑制するためには、共同体を構成する人々の利害を超越した神聖性・道義性を持つ御存在が必要となる。それがわが国においては共同体の祭祀主たる天皇であらせられる。
 
 戦後及び現代日本において、戦勝国の日本弱体化政策、さらに共産革命勢力・偏向マスコミ・学者文化人によって、天皇及び御皇室の神聖性・尊厳性が破壊され続けてきた。それが今日のわが国の道義頽廃の根本原因である。

 今日のわが國は、國民の道義心が頽廃し、祖國への愛も、親への尊敬心も、子への慈しみの心も、國民同士の信頼感も薄くなっている。また、自國の歴史と伝統を蔑視し、祖國への誇りを喪失している國民が多い。

 昭和天皇が『終戰の詔書』において「情の激する所濫に事端を滋くし或は同胞排擠互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふが如きは朕最も之を戒む」と御懸念あそばされたことが現實のものとなったのである。

個々人がバラバラにされて集團の中に埋没し、それぞれの欲望を満たすために生きていることが、「自由で民主的な社會」であるはずがない。メディアが偏向報道と俗悪出版・放送を垂れ流している。

 現代の荒廃の根本的原因は、欧米列強による世界支配に唯一抵抗した聖戰たる大東亜戰争後のわが國において、戰勝國の日本弱體化を意図した占領政策が長く続き、わが民族の精神的誇りが破壊されたことにある。

 しかも許せないのは、わが國民にして戰勝國の弱體化政策のお先棒を担ぐどころか率先して「日本解體」を實践した者共がいることである。そういった連中は今日ただ今も蠢いている。朝日新聞・テレビ朝日・日本共産党・立憲民主党がそれである。

 わが國の道統・價値觀、すなわち日本の伝統精神を罵倒し批判し破壊することが「民主主義」であるという亡國的考えを持った者共が、政治の世界やマスコミ界に大きな力を持ち続けてきた。

 教育の目的は、将来の國民に日本國民としての誇りと自信を持たせることにある。道徳觀念・道義精神の基本は、正しい祖國愛である。自分の祖國に誇りを持てない人間に育てられた児童生徒は正しい道義心を持つことができなくなる。

 戰後の左翼偏向教育において、児童生徒に植えつけられたのは、「人権・反戰平和・平等」の名のもとに祖國や社會や家庭に対する憎しみ・怒りの感情である。こういう教育を受け続けた戰後世代の人々が、政界・官界・教育界・財界・言論界など今日の日本を動かしているのだ。日本が混迷するのも当然である。文部省の元事務次官等その典型であろう。

 戰後の日本人の懸命の努力によって経済発展し、物の豊かさを享受した。しかし、モノさえ豊かであればいいカネさえ儲かればいいという考え方が横行し、倫理・道徳の衰退と政治の混迷・家庭崩壊・教育荒廃をもたらした。まさに「衣食足りて禮節を知る」という言葉の逆を行ったのが戰後日本であった。こういった戰後の歴史を根本的に問い直すことが必要である。
 
かつてわが祖国は、東洋の君子国として思いやり深く、恥を重んじ、礼儀正しい国として世界に知られていた。古いものは全て悪いものだと考える軽薄な国民に成り果ててしまっている点にある。親孝行も愛国心も義理も人情も全て旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が今日の亡国的状況をもたらしたのである。

|

千駄木庵日乗二月二十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。

|

2020年2月21日 (金)

今日思ったこと

時期が時期だけに少し書きすぎかもしれませんが、外から来る習近平というウイルス、国内にいる辻元清美というウイルスを駆逐せねばなりません。

|

『日本書紀成立一三〇〇年 出雲と大和展』参観記

本日参観した『日本書紀成立一三〇〇年 出雲と大和展』は、「令和2年(2020)は、我が国最古の正史『日本書紀』が編纂された養老4年(720)から1300年という記念すべき年です。その冒頭に記された国譲り神話によると、出雲大社に鎮座するオオクニヌシは「幽」、すなわち人間の能力を超えた世界、いわば神々や祭祀の世界を司るとされています。一方で、天皇は大和の地において「顕」、すなわち目に見える現実世界、政治の世界を司るとされています。つまり、古代において出雲と大和はそれぞれ『幽』と『顕』を象徴する場所として、重要な役割を担っていたのです。令和2年は、日本が国内外から大いに注目される時でもあります。『幽』と『顕』を象徴する地、島根県と奈良県が東京国立博物館と共同で展覧会を開催し、出雲と大和の名品を一堂に集めて、古代日本の成立やその特質に迫ります」との趣旨で開催された。

「重要文化財日本書紀 巻第二 南北朝時代・永和1~3年(1375~1377) 愛知・熱田神宮蔵」「国宝 銅剣・銅鐸・銅矛(部分) 島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀 文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)」「重要文化財 宇豆柱 島根県出雲市 出雲大社境内遺跡出土 鎌倉時代・宝治2年(1248) 島根・出雲大社蔵」「国宝銅剣・銅鐸・銅矛 島根県出雲市 荒神谷遺跡出土 弥生時代・前2~前1世紀 文化庁蔵(島根県立古代出雲歴史博物館保管)」「国宝七支刀 古墳時代・4世紀 奈良・石上神宮蔵」「模型出雲大社本殿 平成十一年」「国宝秋野鹿蒔絵手箱 鎌倉時代・13世紀 島根・出雲大社蔵」「新沢千塚異一二六号噴出土品」「藤ノ木古墳出土品」「延喜式(九条家本)巻八」「観音菩薩立像 持統天皇六年」「「十一面観音菩薩立像 支那唐時代」などを参観。

出雲と大和の歴史と信仰を伝える貴重な文物である。国宝・重要文化財に指定されてゐる展示品が非常に多かった。神々への信仰と祭祀が日本国存立の根幹であることを改めて認識した。『日本書紀』を重要なテーマにした展覧会を参観したのは今回が初めてである。私も何回か出雲に赴いたが、神社のしめ縄がとても太く大きいことに驚いた。大和の神社との違いを実感した。ただし、大和におけるもっとも古い神社である三輪神社のご祭神は大物主神であり、この神は、大国主神の別名である。また銅鐸・銅矛・埴輪・土器は、古代祭祀を今に伝える貴重なものであるが、大和も出雲も違いはない。つまり、大和地方の信仰も出雲地方の信仰も根源的には一つであるということである。『日本書紀』には出雲神話を融合した神話が語られている。出雲の神である須佐之男命や大国主命は日本人がとても親しみを感じ愛した神ではなかろうか。修験道の佛である蔵王権現は須佐之男命の別名と言われているという。

奈良時代に入ると観世音菩薩像や四天王像などが信仰の対象になった。特に仏像は日本の時代を通じて観音菩薩像が多い。観音様は多くの人々に慕われ信じられた仏様ということであろう。日本の神々の像はとても少ない。日本の神は自然神であり祖先神であるからであろうか。自然や祖霊を神として拝むので特別に神像を造り拝礼する必要が無かったのであろう。

上野の山に日本の古代信仰が生き生きと開示されてゐることに大きな喜びを覚えた。

|

千駄木庵日乗二月二十日

午前は諸事。

午後は、上野公園の東京国立博物館平成館で開催中の『日本書紀成立一三〇〇年 出雲と大和展』参観。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備。

|

2020年2月19日 (水)

支那共産党の幹部や政府の官僚たちは国家を私物化し人民を食い物にしている


支那湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が猖獗を極めている。支那当局の情報開示に対する支那国民のみならず国際社会の信頼感が希薄なことも大きな問題である。

支那人は全てではないが、嘘をつくことを悪とは思わない人が多いのではないか。特に一党独裁の専制国家である「中華人民共和国」は、政治目的・外交目的を達成するためには、どんな見え透いた嘘でも平気な国であることは確かである。歴史問題で支那が言ってゐることは外交戦略上の嘘が多い。

私は文革終結の後、天安門事件の前といふ時期に、数人の同志と共に約二週間ほど支那大陸を旅したことがある。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。日本では考へられないことだ。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる観光地のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無い所が多かった。女性の旅行者は本当に困ったであろう。約三十年も前の事であるから今日は違ってゐるだらう。

また、支那は「張り紙」「標語」が多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。

戦後台湾に入ってきた支那人の政党である國民党の独裁体制下即ち「支那人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸國土」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。近代中国の父といわれる孫文は、このことをなげいた。色紙をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)。

台北は、台湾でも所謂外省人即ち支那人が多い町である。支那の権力者は国家さへ私物化する。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。

毛沢東は、権力掌握後、國家を私物化したのみならず、多くの同志・国民を虐殺した。今日の支那共産党の幹部や政府の官僚たちも国家人民を食いひ物にしている。

党と国家の指導者の居住地である北京の中南海の入り口には、『人民の為に服務せよ』と書かれた大きな看板があった。かうした看板が掲げられてゐるのは、党幹部が人民のために服務してゐないからである。 

共産支那は、北朝鮮とその体質は全く同じである。権力闘争に敗れたら、殺されるか獄に入れられる。毛沢東時代は、過去のこと思ったら大間違い。習近平による周永康、薄熙来、徐才厚などの粛清事件などを見ても明らかである。薄熙来・周永康は、劉少奇・彭徳懐・賀龍のようになぶり殺しにされなかっただけまだましかもしれない。

|

千駄木庵日乗二月十九日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備。

|

第103回日本の心を学ぶ会

第103回日本の心を学ぶ会

テーマ 国體と憲法を考える

国體とは建国以来の日本國に生成された「日本を日本たらしめている根本原理」であります。
「古事記」では日本のはじまりを天皇の信仰的祭祀的な統一による祭祀国家・信仰共同体であるとしています、そして君主と国民、国土が決して対立関係や契約関係にあるわけでなく、血統的生命的に一体のものであることを伝えております。昨年の皇位継承の儀礼はこのことが遠い過去の遺物ではなく今を生きる神話であることを国民の前に示されました。
しかし、一連の儀礼が「現行占領憲法」の定める「政教分離の規定」や「国民主権論」との整合性を問われ続けたことも事実です。
日本の長い歴史のなかで形成された国體精神を国民に見える形で示す儀礼の斎行が「憲法」上の問題になることそのものが、この憲法が日本国の正統なる憲法の名に値しない日本弱体化を目的とした「占領憲法」であるなによりの証拠であるといえましょう。
憲法改正について憲法九条や緊急事態条項について議論されることが多いですが、我々が本当に議論しなければならないことは、我が国の国體に沿った正しい憲法とは何かということではないでしょうか。
今回の勉強会では国體と憲法について考えてみたいと思います。

(今回の勉強会は日曜日ではありません。御注意下さい。)

【日 時】令和元年2月24日 午後6時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html
文京区本郷4-15-14/03(3814)6731都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分

【演 題】国體の本義を隠蔽する現行憲法の国民主権論

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

|

今日思ったこと

ともかく、日本共産党と立憲民主党に政権を取らせてはならない。この二つの政党は叩き潰さねばならない。

|

千駄木庵日乗二月十八日

午前は、諸事。室内整理。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・脱稿送付。書状執筆。明日のスピーチの準備。

|

今日思ったこと

昨日は安倍晋三総理に対して厳しい批判をしたが、何とか政権を揺るがそうとつまらない問題でギャアギャア騒いでいる今の野党に政権を取らせてはならないと思うつよく思う。長妻昭・福山哲郎・蓮舫・辻元清美・志位和夫・小池晃などという亡国政治家が閣僚となって国政即ち国防・安保・外交・教育などを牛耳るのはわが国が亡国への道を歩むことになる。政権交代は、絶対に阻止しなければならない。

|

2020年2月18日 (火)

安倍晋三氏が真に真正保守の政治家であるのなら、まず第一に実行すべきなの「建国記念の日奉祝行事」の政府主催の實現であり、自らの参列の実行である

『神社新報』令和二年(本年)二月十日号の「社説」は次のやうに論じた。

「神武天皇即位日に因む二月十一日の紀元節は、占領下の昭和二十三年に制定された祝日法による祝祭日の改変にともなって廃止された。その後、神社界の先人たちも力を注いだ『紀元節復活運動』が実を結び、昭和四十一年に『建国記念日』として復活したのである。この『建国記念日』の復活ののち、一事は政府後援の式典が首相参列のもと開催されることもあったが、残念ながら現在は杜絶。平成二十四年の衆議院議員選挙にあたり自由民主党は、政府主催で二月十一日の『建国記念の日』を祝ふ式典を開催するとの考へを示し、平成二十六年の奉祝中央式典において祝辞を述べた高村正彦自民党副総裁(当時)も、建国記念の日の式典のあり方について党内の議論を進める旨を述べてゐた。しかしながら、その後は具体的な進捗等は見られず、昨年の奉祝中央式典で祝辞を述べた萩生田光一自民党幹事長代行(当時)は、政府主催の式典開催などに触れることさへなかった。先人たちが『紀元節復活運動』にかけた情熱を顧みつつ、『建国記念の日』が、大御心を体しつつ国民こぞって『建国をしのび、国を愛する心を養う』人なるやう切に願ふものである」。

自民党は民主党から政権を奪還するために、いはゆる保守層の支持を固くし増やすために「『建国記念の日』を祝ふ式典を政府主催で開催する」との考へを示したに過ぎないのではないか。安倍晋三氏が真に真正保守の政治家であるのなら、まず第一に実行すべきなの「建国記念の日奉祝行事」の政府主催の實現であり、自らの参列の実行である。それさへ実行しないのなら、何のために他に憲法・皇室の御事などの重要なことで問題があっても、それには目をつぶり安倍氏を支持し支援してゐるのかといふことになる。ともかく自民党安倍政権の猛省を促す。一体何をやっているのか!。

|

2020年2月17日 (月)

千駄木庵日乗二月十七日

午前は、諸事。室内整理。


午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆・脱稿・送付。

|

この頃詠みし歌

この頃詠みし歌

罵詈雑言しか言はぬ辻元某の顔を見る度に吐き気もよほす

この國を滅ぼさんとする輩たち国会の中で跳梁跋扈す

国賓とは一体何か侵略国家暴虐国家の首領には非ず

習近平も江沢民も独裁と侵略の國の専制君主ぞ

習近平が来日したら随員と一緒に隔離したらよろしき

ただの変人かそれとも信念の人なるかはっきりしないがわが前に立つ

ベトナムより来たりてわが國で働ける若者たちの幸を祈らむ

仏米支那に負けざりし國ベトナムの強さを我は強く讃へる

あまりにも軽き判決に怒りの思ひ湧き来てやまぬ今宵なりけり

日嗣の御子を殺(あや)めんとしたる大逆賊が執行猶予とは悔しかりけり

|

所功モラロジー研究所教授による「即位礼と大新嘗祭」と題する講演内容

昨年六月九日に麗澤大学キャンパス内モラロジー研究所広池千九郎記念館にて開催された『即位儀礼をより深く学ぶための特別講演会』における所功モラロジー研究所教授による「今秋の即位礼と大新嘗祭」と題する講演内容は次の通り。

 

「平成五年の今の両陛下の御成婚の灯は、午前は雨だったが、午後のパレードには雨が止んだ。皇居前でお出ましを待っていたら明るくなり、雲間から光がさした。そして御所に着かれたらまた雨が降った。三十年前のあの重苦して悲しい御代替わりと今回の明るい御代替わりとは違う。ご譲位という形をとり得る。法律で可能にした。『皇室典範』特例法が衆参両院全員の賛成で決まった。御代替わりの法的根拠が必要。十一月に大嘗祭がある。

 

『元号は要らない、無くすべし』と言う人が三十年前には多かった。今回はそうではないことに感謝したい。平成六年二役所の文書は原則として元号を使うというのが政府の公式見解。西暦と併記。元号を尊重してほしいという意図がある。公文書では元号。千三百年以上使ってきた元号を大事にする。元号にどういう意味があるかを御理解いただければ有難い。元号には文化的意義があり、西暦には文明的意義がある。元号は日本にしかない。

 

即位式は長く京都で行われてきた。明治天皇は初めて東京で行われた。明治に入って京都は火が消えたようにさみしくなった。明治天皇の仰せにより、大正・昭和の大嘗祭は再び京都で行われた。明治二十二年制定の『皇室典範』に『即位礼及び大嘗祭は京都において行なふ』と明文化された。明治天皇の素晴らしいところは故郷を忘れないところ。
大嘗祭は大新嘗祭と理解すべし。『嘗』とは秋祭り。神へお供えし神におもてなしをするのが新嘗祭。新しい粟を嘗める。米ではない。大嘗祭では、お米が中心になってからも、粟などを粗末にせず、むしろ水田で獲れる平常食のお米だけでなく、陸畑で獲れる非常食の粟なども忘れてはならないという、知恵が込められている。

 

大嘗祭は天武天皇がきちんと行われるようになった。仏教全盛自体の称徳天皇も大嘗祭を執行。畑で獲れるもの、水田で獲れるものは大事。日本人が勤勉なのは稲作をしていたから。大嘗祭は全国で獲れた穀物、魚介類は神のお蔭、お天道様のお蔭という感謝の祭り。先祖と神々のお蔭に感謝して来たのが神道の祭り。日本文化の根柢にある」。

 

 

|

千駄木庵日乗二月十六日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、原稿執筆など。

|

2020年2月16日 (日)

昨年六月一日に開催された『アジア問題懇話会』における評論家の宮崎正弘氏の「米中戰爭の行方」と題する講演内容

昨年六月一日に、内幸町の日本プレスセンターにて開催された『アジア問題懇話会』における評論家の宮崎正弘氏の「米中戰爭の行方」と題する講演内容は次の通り。

「中国経済は二〇一一年に崩壊している。中国のGDPは民間企業の設備投資はゼロ。外国企業が作ったものをその国に売っている。住宅を建てる資金は地方政府の借金。共産主義者は借金を返す頭が無い。中国は殆ど国有企業。設備投資は鉄に対して一番した。鉄鋼生産は世界一。余るからダンピング輸出する。日本と韓国が困る。中国は設備投資をどんどんしてきた。余剰になっている。セメントが大量に余っている。それをGDPに入れている。

中国の公表数字では本当のことはわからない。新幹線のほとんどが赤字。出生率は今後ずっと減っていく。国有企業は首切りを行う。八六〇万人の大学卒がいて、半分はバイト。一億一千万人は失業者。このような状況の中で儲けている人もいる。中国の金持ちは言っていることは愛国でやっていることは売国。

アメリカと中国が今やっていることは関税のかけ合い。中国のマネーに汚染されていたのはヒラリー。彼女が失脚したことにより変った。中国軍には桁違いの汚職がある。上納システムになっている。習近平は評判が悪く危ない。軍人の評判が悪い。暗殺の危険あり。一〇数人のボティガードがついている。愚劣な指導者は追いつめられると戦争をする。しかし軍が動かない。中国四千年の歴史の中で中国軍は真面目に戦争しない。上陸用舟艇が足りない。在台湾アメリカ大使館をアメリカ海兵隊が警備している」。

千駄木庵主人曰く。宮崎氏は、「中国四千年の歴史の中で中国軍は真面目に戦争しない」と言われた。なるほど、毛沢東は「敵が後退すれは我が方は前進し、敵が前進すれば我が方は後退し、敵が駐屯すればわが法は攪乱する」と言った。つまり真面目に戦争をしないということである。

|

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した政党である

日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産中国の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。共産党・立憲民主党左派のようの存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしているのだ。

日本共産党撲滅が急務である。そしてその同調者・協力者を糾弾すべきである。特に、自民党の籍を置いていた元政治家が日共機関誌『赤旗』に登場しているのは許し難い。

|

今日思ったこと

令和元年五月九日の新聞報道によれば、お茶の水女子大学付属中学で、秋篠宮悠仁殿下のお机に刃物を二本も置いた一大不祥事で、犯人の長谷川薫は、「今の天皇制では日本は良くならない」「刺すつまりだった」などと話したという。このような重大なる事件を起こした者に対する判決が「懲役1年6か月、執行猶予4年」であった。すぐに社会復帰するということではないか。何とも強い怒りを覚える。皇族しかも皇位継承者に対し奉るテロ未遂がこんな微罪で済むなどということは絶対に許されない。

|

この頃詠みし歌

仏壇に飾れる花をささやかな慰めとして見つめゐるなり

黄菊白菊の花びら光り仏壇を華やかにする寒き冬の日

一心に祈れは念願は成就すると信ずる心は揺らぐことなし

大和三山のことが書かれある佳き人の手紙を讀めば嬉しかりけり (出口京太郎氏よりのお便りありて)

日の本のふるさとの地の香具山は天より降りしとの言ひ伝へあり

天にも地にも山にも海にも神がゐますわが日の本は麗しきかな

その昔一人で登りし大和なる畝傍の山の懐かしきかな

共産支那と南北朝鮮はわが國の不倶戴天の敵なるに甘いぞ日本

チベット台湾トルキスタンと共に戦ひ暴虐支那を撃ち破るべし

敵性國家支那帝國の首領をば國賓として招く愚かなる外交

寒風の吹き荒ぶ中 高台の菩提寺に来て祖霊拝ろがむ

墓石を洗ひまつれば冷え勝る我が手久しぶりに凍えたりけり

辻元某といふ女性議員の顔を見よ醜悪とはまさにこの顔の事

昔行きし支那の町々衛生観念の希薄さに驚きし記憶よみがへる

習近平が来日すれば随員と共に隔離すればよろしき

憤怒の心五七五七七の定型に表現すれば心鎮まる

坂を上り参り来し宮居は賑はへりあまたの願ひ絵馬に書かれて

湯島といふゆかしき名前の街に来て友らとつつく鳥鍋美味し

|

千駄木庵日乗二月十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して室内整理、資料整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

|

2020年2月15日 (土)

暴力革命政党日本共産党を厳しく監視せよ

二月十三日、衆議院本会議で安倍総理は、日本維新の会の議員から共産党が提唱する野党連合政権に関連し、「共産党が破壊活動防止法の調査対象となっている理由」について質問を受けた。

安倍総理はこれに対し、「現在においても、いわゆる“敵の出方論“に立った暴力革命の方針に変更はないものと認識」と答弁した。さらに安倍総理は、共産党が過去に「暴力主義的破壊活動を行った疑いがある」とした。

日共の志位和夫委員長はこれに反発し「全く根も葉もない誹謗中傷をやることに対して断固として私は抗議をし、また総理に答弁の撤回を求めたい」と語った。

 志位委員長は、党の綱領に「平和的な手段で議会の多数を得て社会変革を進める」と明記されていると強調。野党連合政権に対して「まともな批判ができない」とも指摘しました。さらに立憲民主、共産両党は、安倍晋三総理の答弁を撤回するよう自民党に求めた。共産の穀田恵二国対委員長は記者団に「事実に基づかない誹謗(ひぼう)中傷は許せない」と述べた。

共産党が結党以来暴力革命運動を肯定し、実行して来たのは明々白々たる事実である。これを否定することは共産党がいかに嘘つき政党であるか、黒を白と言いくるめる邪悪なる政党であるかを自ら証明する行為だ。共産党の体質は全く変わっていないのである。

 共産党の志位和夫は、13日の記者会見で「(暴力革命路線は・注)党が分裂した時期に一方の側がとった誤った行動があった」としつつ「党の方針として破壊活動を行使、実行したことはない」と述べた。

さらに「権力側の出方によっては非平和的手段に訴える」との理念とされる敵の出方論に関しては「革命のプロセスで平和的な革命を追求していくという立場からのもので、暴力革命とはまったく無縁だ」と強調した。

穀田氏は敵の出方論について記者団に、「民主主義を破壊した行為に対し、民主主義の世論で抑えるということを総称して言っている」と説明した。

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だった

北朝鮮・共産支那・ソ連の韓國武力侵攻と同時期に日本國内で朝鮮総連と共に武力闘争を展開したのが日本共産党である。昭和二十五年の北朝鮮・共産支那・ソ連による韓國侵略開始即ち朝鮮戦争の勃発・コミンフォルム批判以後、日共はわが國内で凄まじい武装闘争を展開し、武装闘争・火炎ビン闘争を実行して北の侵略を支援した。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起した。

ソ連や共産支那の指令に基づいて、日本共産党が日本國内で暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留してゐた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓國侵略(朝鮮戦争)を阻止できないやうにするための後方撹乱の役割を担ったのだ。つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。日共・朝鮮労働党・支那共産党は同根であると言ふよりも全く同じ組織なのだ。

ソ連共産党の指導者・レーニンは、「プロレタリア独裁とは、直接に暴力に依拠し、どんな法律にも束縛されない権力のことである。プロれタリアートの革命的独裁とは、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの暴力によって戦いとられ支持されるところのどんな法律にも束縛されない権力でもある」と論じた。

これが共産主義革命思想の根幹なのである。共産党は、「リベラル」どころか「自由」とは圧殺する政党であることは明白である。人間が本来的に享受すべき「自由」を圧殺する思想・システムが共産主義なのである。法の支配も三権分立も立憲政治も根底から否定されるのだ。

共産主義集団の指導者、共産主義国家の独裁者が、反対者に対して苛酷にして残虐なる弾圧・粛清を行ってきているのは、かかる理論に基づくのである。習近平も金正恩もその典型である。
 
共産党は、「党が分裂した時期に一方の側がとった誤った行動があった」としつつ「党の方針として破壊活動を行使、実行したことはない」などと言っている。しかしこれは、暴力革命闘争を実行した責任を徳田球一氏だけにかぶせただけのことだ。むしろ当時の共産党の徳田派は主流派であり圧倒的多数を占めていたのだ。徳田死去後もながく中央委員会議長を務めた野坂参三のその一人であった。

しかも暴力革命路線に積極的に加担しにかったという宮本顕治も、「日本革命の平和的発展の可能性を提起することは、根本的な誤りとなる。従って、議会を通じての政権獲得の理論も同じである」(共産党機関誌『前衛』昭和二十五年五月)と書いて暴力革命を扇動したのだ。

ともかく志位と穀田は大ウソつきであり、こういう大ウソつきはまたまた暴力革命路線に帰り実行する危険が大いにある。だから破壊活動防止法の監視団体なのだ。こんな政党をかばい、共闘しようという立憲民主党は断じて許してはならないし、このような政党が連立政権を組むことは絶対に阻止しなければならない。

|

千駄木庵日乗二月十四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理・原稿執筆の準備など。

|

2020年2月14日 (金)

今日思ったこと

お茶の水女子大学の附属中学校で、秋篠宮悠仁殿下のお机に刃物が置いた犯人への判決が「懲役1年6か月、執行猶予4年」とは軽過ぎはしませんか。戦前なら無期懲役になった可能性があります。

|

日本人の山へのロマン精神

 山のあなたの空遠く
 「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
 噫(ああ)われひとと尋(と) めゆきて、
 涙さしぐみ、かへりきぬ。
 山のあなたになほ遠く
 「幸」住むと人のいふ。

 これは、ドイツの詩人カアル・ブッセの詩を上田敏が訳したもので、訳詩集『海潮音』(明治三八年刊行)に収められた。西洋の訳詩でこれほど広く一般に愛唱されているものは無いように思う。それは、幸福というものを追い求めずにはいられない人間の心を流れるように美しい調べで歌っていることと共に、人々が山の彼方に幸福があると信ずる心、つまり日本人の抱いてきた山の彼方へのロマンが歌われているからでもある。

 日本人は海と共に山に対してもロマンを抱いて来た。山は日本人にとって尊く神聖な存在であった。日本神話では、天孫邇邇藝命は山の上に降臨して来たとされている。これは古代日本人が、山は天上の世界に通じる階梯であり、山には天から天降って来た神がいると信じたからである。

 近代日本において、漂白行乞(ぎょうこつ )の中に身を置き、自由律俳句を詠み続けた山頭火は、天孫降臨の地と伝えられる宮崎県高千穂で、

 分け行っても分け行っても青い山

 という句を詠んでいる。

 古代日本人にとって山は信仰の対象であった。三輪山・天香具山・富士山・二上山などはみな神として仰がれた。三輪山への信仰を歌った代表的な歌は、

 三輪山をしかも隱すか雲だにも情(こころ) あらなむ隱さふべしや

 である。額田王(ぬかだのおおきみ)が、近江に遷都された天智天皇に従って、大和に別れを告げて近江に移られる時の歌である。美しく優雅に聳える三輪山には大和の神が鎮まりますという信仰があり、麓には三輪山を御神体とする大和国一の宮大神(みわ)神社がある。額田王にとって大和との別れは三輪山との別れであった。

 神として崇められる山を神奈備山(かむなびやま)と言った。大和の二上山も神奈備山と仰がれた。大和地方は三輪山から日が昇り、二上山に沈む。日の沈む二上山は死者を葬る所であった。その二上山を詠んだ歌が、大津皇子が刑死され二上山に葬られた時、姉である大来皇女(おほくのひめみこ・大伯皇女とも書く )が歌った次の歌である。

 うつそみの人なる吾(われ)や明日よりは二上山(ふたかみやま)を兄弟(いろせ) とわ が見む

 「現世にまだ生きている私は明日からは二上山を弟と思って見ましょう」という意である。大来皇女にとって二上山は弟そのものであったのである。 大和地方に旅すると分かるが、三輪山と二上山は大和盆地の東西にある際立って美しい山である。この二つの山への深い愛着を、額田王と大来皇女という二人の萬葉女性歌人が、静かにそして切々と歌っているのである。 三輪山の方角から昇った太陽は二上山に沈んで行く。その美しく感動的な光景を眺めて暮らした大和人は、二上山の彼方に他界があるというロマンを抱いたのだ。それが後世の西方極楽浄土へのロマンにつながっていくのである。山は天に近い最も清浄な地であるから死者を葬る所となった。つまり山はあの世への入口であった。
 
このように古代日本において、信仰の対象とした仰がれた山は、中古・中世になり乱世の兆しを見せ始めると、その清浄さのゆえに現実生活から逃避する場となっていった。隠者が山に籠ったというのもまた山へのロマンであるとともに現実からの逃避であったと言えよう。そうした歌の典型が次の歌である。

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

 名門に生まれながら不遇であった藤原俊成が二十七歳の若さで詠んだ遁世の歌である。『百人一首』の歌であり『千載集』に収められている。「この世の中には逃れていく道は無い。世を逃れようと思って入って来た山の奥にも鹿が鳴いている」という意。遁世の意を固めて入った山奥も、悲しい鹿の鳴き声がしみじみと聞こえて来て、なおさら悲しくなって憂き世のうちと感じられ、とても安穏の地ではないということを歌っている。

 現実から逃避せんとして山へ入るということは、近代歌人吉井勇も歌っている。

 うつし世の煩悩かなし何ごとも忘れはてむとわれ山に来ぬ

 日本人は、山の懐に抱かれあるいは山の高みに立ち、心身の疲れを癒し心身を浄めんとして来たのである。

 現代人もまた、時に現実からの逃避を夢見る。そして山に憧れる。登山は西洋から伝えられたスポーツと言ってもいいかと思うが、現実生活の労苦からたとえ一時(いっとき)でも自由にならんとして人々は山に登るのである。そのことは次の歌によく表れている。

 雪よ岩よ われらが宿り
 俺たちゃ町には 住めないからに
 (中略)
 朝日に輝く 新雪ふんで
 今日も行こうよ あの山越えて
 
 山よさよなら ごきげんよろしゅう
 また来る時には 笑っておくれ

 『雪山讃歌』(西堀栄三郎作詞)の一節である。「町に住めないから山へ行く」というのである。都会という窮屈にして汚辱にまみれたところを脱出して、清浄な山に登り自由を得んとする。フランスの詩人ボードレールは「自由なる人永遠(とわ)に海を愛さむ」と言ったというが、「自由なる人」はまた山をも愛するのである。

 山林に自由存す
 われこの句を吟じて
 血のわくを覚(おぼ)ゆ 

 これは国木田独歩の『独歩吟』という長詩の書き出しである。恋に悩んだ独歩が自由を求め、北海道の空地(そらち) 川のほとりをさまよった時の詩であるという。山林を愛した独歩の心がひしひしと伝わって来る。
 最近の山林破壊はこうした古代から伝わる山へのロマンという崇高なる精神をも喪失せしめることとなるので

|

千駄木庵日乗二月十三日

午前は、病院に赴き、検査・治療を受ける。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

この後、資料整理など。

|

2020年2月13日 (木)

今日思ったこと

安倍総理の発言は正しいし当然だ。私に言わせれば、辻元某の存在そのものが「罵詈雑言」であり、「無意味」である。こんな奴らに議員歳費を払うこと自体「無意味」「無駄遣い」である。

|

『現行占領憲法』の「国民主権」「政教分離」は、日本國體・皇室の道統とは相容れない

『現行占領憲法』の「国民主権」「政教分離」は、日本國體・皇室の道統とは相容れない

何回か書いた拙文ですが、重要な事と思いますので再度掲載します。

『現行占領憲法』は、日本の傳統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立ってゐる。

「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う國の儀式などの挙行に係る基本方針について」の「第一 各式典の挙行に係る基本的な考え方について」には「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の傳統等を尊重したものとすること」と書かれてゐる。

「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の傳統等を尊重したものとする」といふことにそもそも無理がある。

『現行占領憲法』は、日本國體・皇室の傳統とは相容れない「國民主権」と「政教分離」(祭祀と統治の分離をも意味する)を基本理念としてゐる。従って、憲法の趣旨の沿ふことと、皇室の傳統を尊重する事とはどうしても矛盾してしまふのである。

『現行占領憲法』は、「君主と人民とは相対立する存在であり、國家は國民同士が契約して成立する」といふ西洋法思想・西洋國家観に貫かれており、日本國體の根幹を正しく規定してゐない。それどころか『現行憲法』は國體破壊もしくは隠蔽の元凶になってゐる。

『現行占領憲法』の「政教分離」「國民主権」の原則は、「天皇の國家統治と祭祀との一体」「君民一体」といふ國體の根幹、皇室の傳統を否定してゐる。このやうな「憲法」と皇室の傳統とを整合性を求めることは本来できない。また整合性を求める必要も無い。

祭祀國家日本の祭り主であらせられる日本天皇は、常に國民の幸福と五穀の豊穣そして國家國民の平和と幸福を祈る御存在であらせられるのであるから、外國の専制君主のやうな國民と相対立する御存在ではないし、國民を力によって支配し隷従せしめる御存在ではない。

國民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を國民に示し、また國民の意志を神に申し上げ、國民の幸福の實現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり天皇と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。かうした天皇中心の日本の國柄を「君民一体の日本國體」と言ふのである。また、天皇の祭祀は私的行為では絶対にない。祭祀と天皇の國家統治とは分かち難く一体である。

「憲法」に、日本の國柄に反し天皇の御本質を正しく表現してゐない「天皇条項」があるから、日本は安定を欠いてゐるのである。

この度の「ご譲位」そして「皇室典範改正の議論」においても、「憲法との整合性」「護憲」の名のもとに数々の國體破壊もしくは隠蔽が行はれてゐる。

外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」がわが國の國家傳統を隠蔽し破壊してゐる。これは、國家存立の基礎を揺るがす事實である。

葦津珍彦氏は、「将来の憲法改正においては、君民対決の連想を誘発させる『國民主権』の語を削り、日本國君民一致の精神に基づき『統治権の総攬者(統合し掌握する者)としての天皇』の地位を復元すべきものと思ふ。」(『天皇・神道・憲法』)と論じてゐる。

今日、政治の混乱・道義の低下・外圧の危機が顕著になってゐる。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まってゐる。これを克服するためには、日本民族としての主体性の回復が大事になってくる。

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は常に、天皇を中心とする國體精神であった。特に政治・倫理・文化・生産・軍・教育など國家民族の基本において然りであった。

大化改新・明治維新の歴史を見て明らかなやうに、急速な変化と激動の中でわが國が祖先から受け継いだ傳統を守り、かつ変革を為し遂げた核は、天皇のご存在であった。

わが國の歴史始まって以来、日本といふ統一された國家を体現する核が天皇であった。どのやうな困難な時期においても、日本國家・日本民族が常に傳統を守り統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その中心の核が天皇であった。國家的危機にある今日こそ、日本國體精神の回復が大切なのである。

 天皇の御存在・歴史を貫く天皇の傳統的神聖権威は、まさに「天壤無窮」である。しかし、それは日本を弱體化せんとして戦勝國・アメリカによって國際法を蹂躙して戦争直後に押しつけられた『現行占領憲法』の「規定」によって隠蔽され続けてゐる。

日本國體の道統、皇室の傳統とりわけ「天津日嗣の高御座の繼承」といふ神聖不可侵の事柄の正しき傳統あるべき姿の隠蔽、無視、改変の原因は『現行占領憲法』である。『現行占領憲法』は、「天壤無窮の神勅」に示された「天皇は日本の永遠の統治者であらせられる」といふ國體の本姿を隠蔽してゐる。「諸悪の因」は『現行占領憲法』にあるのである。

|

千駄木庵日乗二月十二日

午前は、諸事。室内整理。


午後は、『政治文化情報』原稿執筆。


午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が山部赤人の歌を講義。

帰途、出席者と懇談。


帰宅後は、原稿執筆。

|

2020年2月12日 (水)

持統天皇が天香具山のことをお詠みになった御製を拝し奉りて

 持統天皇の御製。

春過ぎて夏來たるらし白たへの衣(ころも)ほしたり天(あめ)の香具山  (二八)

 「春が過ぎて夏が来たやうだ。天の香具山に美しく真っ白な衣が干してあるなあ」といふほどの意。

第四十一代・持統天皇は、天智天皇第二皇女。天武天皇の皇后。天武天皇が吉野にお籠りになる時も壬申の乱の時もずっと付き従っておられた。兵制の整備、藤原宮造営などを行はれた。

藤原の宮(藤原京)は、持統・文武・元明天皇の都。明日香清御原宮から遷都され平城京遷都までの十六年間続いた都である。支那式の条坊制を採用したわが國最初の都城といふ。

持統天皇は、藤原京を造営され遷都された後、人々が安穏に暮らしてゐる日とへの安堵感からこの御歌を詠まれたと拝することもできる。

保田與重郎氏は、「遷都といふ大事業のあとゆゑ、格別のおよろこびを民情に即して感じられたのであらう。季節の移りに即して、まづ生活と生業を第一と思ふことは、『萬葉集』の多くの歌を味ふ時の肝心である。我國の古代生活に於ては、産業と祭祀は一体である。天孫降臨の時、皇孫尊は天神から斎穂(稲の種子・米)を授けられた。これを地上にも植ゑ、高天原で行ってゐると同じやうに農事を行ふやうにと教へさとされた。さうされると、地上も高天原と同じ神々の國となること、違ふことなしといふことが、わが日本の建国の理念である。…祭りには、米作りの農が先行し、そのことと一体だった。わが神話が、原始民族の宗教祭儀と大きく異なってゐる眼目はこゝにあって、このことは『萬葉集』の根本精神として一貫してゐる」(萬葉の歌)と論じてゐる。

 藤原の宮は、北に耳成山・東に香具山・西に畝傍山といふやうに三方を大和三山に囲まれ、南には吉野の山が見える。神武天皇は橿原奠都の際に、塩土老翁(しほづちのをぢ)といふ航海・海路の神の「東(ひんがし)に美(うま)し地(くに)有り。青山四周(あおきやまよもにめぐ)れり。…彼の地は、必ず以て大業を恢弘(の)べて、天下(あめのした)に光宅(みちを)るに足りぬべし。蓋し六合(くに)の中心(もなか)か。…就(ゆ)きて都つくるべし」といふ御託宣により、大和橿原の地に都を開かれたが、その神の御意にかなふ都が藤原京であった。

 このやうな古代の都造営の精神を尊ぶ人は、京都に都を遷したことにすら批判的である。例へば、近世國學者・伴信友はその著『宇知都志麻』において、「最前に瓊瓊杵尊を先西偏の國に天降し給ひ、漸く東方を治めて、遂に中洲大和の地に都を定めて無窮に天下を知食せと言依し給ひ……」と述べ、天孫瓊瓊杵尊との深い契りによって都と定められた大和の地であるがゆゑに、神武天皇以来成務天皇に至るまで僅かな例外はあっても十三代の間大和の國を都とされてゐた。しかるに天智天皇が近江に遷都されたのは遺憾であったと論じてゐる。

さらに信友はその著『中外経緯伝草稿』第二において、「山城(今日の京都のこと)に都を定めて、大内裏とて漢ざまを擬(まねび)たる大宮作させ給ひたりければ、……世の中の人の意も為すわざも、いやますます戎ぶり佛ざまにうつりしみつきて、神ながらなる上つ御世の、直く正しく雄々しき大御國ぶりはすたれゆき、……つひにその極み、はなはだしき乱世となりつる…」と論じてゐる。
 
天皇の都は青き山四方のめぐる大和に定められなければならないといふ信仰は相当後の世まで根強く残ってゐたのである。

 持統天皇のこの御製は、壬申の乱による混乱も収束し、理想に近い都である藤原京を造営された大事業の直後にその喜びを民の生活に即して歌はれた御歌であらう。天香具山を結句で置かれたのは、天から降って来た天と地とをつなぐ接点である神聖な輝く山である天香具山を皇居から眺められるのを喜ばれたのであらう。ただ単に景色を詠まれたのでなく藤原京造営の喜びと将来への希望を歌はれたのである。天武天皇の「淑き人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見つ」といふ御製も、壬申の乱による混乱も収束した後の喜びの御歌である。

 さらに、季節の移りに即して民草が衣を干すといふ生活と生業を歌はれたのであり、民を思ふ大御心のほどが拝される。天孫降臨の時、天孫瓊瓊杵尊は天津神から齋穂(稲の種子)を託された。そして稲穂を地上において多く実らせることによって地上を高天原と同じ理想の國にすることを命令された。これがわが國建國の理念であり、天皇國家統治の基本である。神の御命令を正しく実行し多くの産物が生産されたことを神に御報告される行事が、天皇の祭祀である。そして地上で産物の豊饒を実現される事が最大の御使命である。その産物とは稲穂であり布であった。この御製は産物である白い布が神聖なる天香具山に干されてゐる事を喜ばれた御歌であり、天皇の國家統治の御精神が歌はれてゐるのである。

|

千駄木庵日乗二月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。明日行う『萬葉集』講義の準備など。

|

2020年2月11日 (火)

今日思ったこと

新型コロナウイルスによる肺炎が拡大している問題で、ロシア外務省は10日、ロシア中部エカテリンブルクの中国総領事館に6日に着任した総領事に、感染拡大防止のため公邸に2週間とどまるよう求めていることを明らかにしたという。

習近平が日本に来たら、大勢の随員と共に隔離しなければならない事態になる恐れがある。その意味でも習近平の来日は断るべきである。

|

天皇国日本の成り立ち


天照大御神は、『古事記』によると、伊耶那岐命が、筑紫の日向の橘の阿波岐原で禊祓へされた時、左のみ目を洗ひたまひし時になりませる神である。右のみ目を洗ひたまひし時になりませる神は月読命、鼻を洗ひたまひし時になりませる神は須佐之男命である。

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

古代日本人は太陽を崇めた。天孫・邇邇藝命が天降られた地は、「朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)此の地はいと吉(よ)き地(ところ)」(『古事記』)と記されてゐる。『萬葉集』の「人麻呂歌集」には、「ひさかたの 天つみ空に 照れる日の 失せなむ日こそ 我が恋やまめ」といふ歌がある。

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として拝むようになったのである。

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。ゆえに、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同体の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。天照大御神は、日神と穀靈に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるやうになったのであらう。

日本国は「日の御子」と呼ばれる祭祀主の信仰的権威によって統一された。日本の統一は、分立してゐた地方の共同体がともどもに日の大神=天照大御神の権威を仰慕することによって成就した。日の大神の御子である「日の御子」と呼ばれる祭祀主の信仰的権威によって統一したのである。日本各地から太陽神祭祀の象徴である鏡が数多く発見されてゐる。

天照大御神をお祭する祭り主たる天皇は、地上における天照大御神の御代理・神聖なる御存在=現御神として仰がれた。信仰共同体・日本国の〈生きた全体性〉は天照大御神とその地上的御顕現であらせられる現御神日本天皇によって体現される。

祭祀主による日本国の統合は、軍事力によるのではなく、祭祀による統合であった。古代日本において、軍事力が全く使用されなかったといふことはなかったとしても、基本的には祭祀的統合・結合が基本であった。古代日本の地方共同体が稲作生活を基本として交流し、共同を確かめ、稲作生活に必要不可欠な太陽を神と仰ぐ信仰を共通の信仰としたのである。そして天照大御神を最高神と仰ぐ共同体・日本国として統一された。それが天皇国日本の成り立ちである。

|

千駄木庵日乗二月十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

|

2020年2月10日 (月)

日本は神話時代より継承されてきた神聖なる國である。「成文憲法」には、この事が正しく書かれてゐなければならない。

日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である。

いはゆる自由民主体制は、國民一人一人の高い倫理精神が土台になってゐなければならない、さうでなければ、闘争・破壊・腐敗が蔓延し、國民の幸福は實現しない。

ドイツの哲学者ヤスパースは、「自由というものは、神とも道とも涅槃とも、大きな充實した空とも、本然の存在とも呼ばれる超越的存在を私たちが経験する場所としてのみあり得ます」と語ったといふ。(昭和二十七年日本ヤスパース協会への「年頭の辞」・武藤光朗氏著『革命思想と實存哲学』より引用)

道義精神・倫理観のない國家は、権力組織に過ぎない。日本民族の歴史的一貫性、理想、道義、倫理性、傳統を継承し体現するのが真の國家である。さういふ國家に対してこそ、愛國心・國家意識が湧く。愛國心・國家意識は、共に懐かしむことができる歴史意識、傳統精神、道義精神、神話を持つことによって育まれる。

わが日本國民の生活は本来、精神的にも物質的にも、悠久の太古より継承された歴史・傳統・祭祀・信仰に積み重ねの上に形成されてゐる。グローバル化時代などと言はれてゐる今日こそ、その事を正しく認識すべきである。祭祀國家日本の本姿開顕、信仰共同体へ回帰してこそ、真の自由・真の民主政治が實現し國民の幸福が達成できる。

わが國は、ある特定の時代に人為的に作られた國家ではない。神話時代より継承されてきた神聖なる國である。「成文憲法」には、この事が正しく書かれてゐなければならない。

日本の國生み神話は、無名の大地の生成ではなく、國土の生成であるところに大きな意義がある。伊耶那岐命・伊耶那美命による國土生成の神話は、大八島國といふ統一した國土が生まれる物語である。そしてその中心の神が、天照大御神であり、天照大御神の靈統の継承者・地上における御代理が日本天皇である。

日本國民の天皇に対する帰属意識は、権力・武力に対する恐れに基づくのではない。従って、西洋傳来の「成文憲法」が「権力への制限規範」であるのならば、さうした「成文憲法」に権力者では本来あらせられない天皇に関する「条項」があること自体不自然と言へる。現御神・祭祀主であらせられる天皇陛下の御本質への回帰が第一であり天孫降臨・神武建國以来の道統を開顕する事が最も大切である。皇室の御事及び憲法はそこから考へねばならない。

|

千駄木庵日乗二月九日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、室内整理、『政治文化情報』の原稿執筆など。

|

2020年2月 9日 (日)

第103回日本の心を学ぶ会


テーマ 国體と憲法を考える

国體とは建国以来の日本國に生成された「日本を日本たらしめている根本原理」であります。
「古事記」では日本のはじまりを天皇の信仰的祭祀的な統一による祭祀国家・信仰共同体であるとしています、そして君主と国民、国土が決して対立関係や契約関係にあるわけでなく、血統的生命的に一体のものであることを伝えております。昨年の皇位継承の儀礼はこのことが遠い過去の遺物ではなく今を生きる神話であることを国民の前に示されました。
しかし、一連の儀礼が「現行占領憲法」の定める「政教分離の規定」や「国民主権論」との整合性を問われ続けたことも事実です。
日本の長い歴史のなかで形成された国體精神を国民に見える形で示す儀礼の斎行が「憲法」上の問題になることそのものが、この憲法が日本国の正統なる憲法の名に値しない日本弱体化を目的とした「占領憲法」であるなによりの証拠であるといえましょう。
憲法改正について憲法九条や緊急事態条項について議論されることが多いですが、我々が本当に議論しなければならないことは、我が国の国體に沿った正しい憲法とは何かということではないでしょうか。
今回の勉強会では国體と憲法について考えてみたいと思います。

(今回の勉強会は日曜日ではありません。御注意下さい。)

【日 時】令和元年2月24日 午後6時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html
文京区本郷4-15-14/03(3814)6731都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分

【演 題】国體の本義を隠蔽する現行憲法の国民主権論

【講 師】四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

|

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 二月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

|

国民主権論は日本伝統を破壊する

 「現行占領憲法」が第一章に「国民主権」の条項を置くことは、天皇国日本というわが国建国以来の道統を否定することである。

 日本の伝統的な考え方は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が伝統破壊である。

 「現行占領憲法」制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

 「国民主権」の規定を審議した帝国議会では、政府は、「主権」とは「国家意思の実質的源泉」であり、「国民」とは「天皇を含む国民協同体」を指すとしていた。そして芦田均衆議院憲法改正案特別委員長は、欧米の「君主主権」と「主権在民」を対立的に捉えた主権二元論は、わが国においては採り得ないことを特に強調している。

 ところが宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張した。今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されているという。

「『国民』とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わった」という学説によれば、「皇位の改廃は人民の意思によって可能である」ということになる。今上天皇の御即位に際してはその是非を国民投票に問うべしとした歴史学者まで現れた。わが国は君主国にあらずとか、元首は天皇にあらずとする説が学界に横行している。

 このような混乱の原因は、本来西洋思想であり多岐にわたる主権概念を憲法規定に持ち込んだことにある。「主権」の属性としての最高性、無制限性が言われる時、それは容易に伝統を無視した独裁専制に転化し得る。

 主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産支那も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、共産党最高指導者の個人専制恐怖政治が行われてきている。

 主権という言葉ほど多種多様に用いられているものはないが、君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。

 日本では古来主権という言葉はなく、国家における政治作用の根本を言い表す言葉は「知らす」ないし「治らす」であり、また「聞こしめす」である。言葉自体から見ても、権力的な臭みはなかった。「大日本帝国憲法」ではこれを「統治権」という言葉で表現した。

 主権の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として、君主主義の形で主張された。それは封建諸侯やカトリック教会の勢力を制圧して、統一国家を形成するためには有効なる手段であった。君権至上主義や王権神受説も、これがために唱えられ、これがために利用されたのである。しかるにその後、専制君主の圧政から国民が自由を獲得するためには、別の旗印が必要になった。フランス革命の思想的根拠をなした国民主権説がこれであった。

 国民主権説は、西洋の社会契約説、国家契約説と結合して発達したのであるが、広く世界に及ぼした。君主主権といい国民主権といい、いずれも一つの政治目的に利用されて発達したものであるから、主権を権力中心の概念として見たのも当然と言えよう。そしてその根底には「力は法の上にあり、法は強者の権利である」という思想が流れていたのである。

いずれにしても「国民主権・君主主権」という言葉も意味内容も、西洋の国家観念・法思想から生まれてきたのであるから、日本の伝統の天皇の国家統治の実相、日本国体とは全く異なる概念であり用語である。

|

千駄木庵日乗二月八日

午前は、諸事。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

 

午後五時半より、湯島天満宮にて、『一般社団法人日本経綸機構発足記念会』開催。森田忠明代表理事が挨拶。盛宴に移った。

 

帰途、数人の同志と懇談。

 

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

|

2020年2月 8日 (土)

本日聞いた興味深い話。

「台湾は移民社会。十七世紀後半に福建、広東から台湾に来た人たちが所謂本省人の祖先。大東亜戦争後、台湾に国民党軍が流れ込んで来て専制政治行った。台湾人の蜂起が起きた。深い傷跡を残した。省籍矛盾によりその後七十年間台湾は揺れ動いた。国民党の背後に中国あり。明朝末期に台湾は中国に編入。清朝は台湾を開発し運営する気なし。化外の地とした。日清戦争後日本統治下に入る。それまでの台湾には秩序も伝統も無い。児玉源太郎・後藤新平がデザイン通りに台湾を開発。日本による台湾統治開始十年で台湾は経済的に自立」。

「韓国は日本による併合前に、李朝が五一八年続いた。李朝は朱子学に基づく観念国家・イデオロギー国家。科挙合格した者・両班以外は人間ではない。奪う者と奪われる者しか存在しない。小中華主義。満州族に支配された清朝はイカサマと考えた。清朝より朝鮮の方が上と考えた。日本は蛮族。韓国は反日でなければアイデンティティは保てない。親日的になったらアイデンティティクライシス。今の韓国は李朝に先祖返りした。韓国の今の権力者は両班」。

|

2020年2月 7日 (金)

千駄木庵日乗二月七日

午前は、諸事。

午後二時より、小日向の拓殖大学にて、渡辺利夫拓殖大学学事顧問にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆など。

|

2020年2月 6日 (木)

「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである

憲法を論じるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範である」といふことである。イングランド最悪の王と言はれるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『國王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立したとされる。

「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」といふ考へ方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。このやうな由来・本質を持つ成文憲法に、神話時代からの悠久の歴史を有する日本國體を規定すること自體誤りであり不自然なことである。

日本天皇の國家統治の本質は、権力・武力による國家・國民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが國の建國以来の國體であり歴史である。

また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

日本國は信仰共同體であり國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。天皇と國民と國土の関係は、対立関係・支配被支配の関係にあるのではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。霊的魂的に一體の関係にある。これを「君民一體の國柄」と言ふ。これが日本肇國以来の國柄であり國體である。

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。

「どの民族にも、その民族にとってもっともふさはしい自然な心のはたらかせ方がある筈だ──このことが、この一条(『玉かつま』の「からごゝろ」という一条)を貫く宣長の基本的考へであり、この一条のすべての言葉は、この基本の考へ方から発せられてゐると言ってよい」「元来が『これは人類普遍の原理である』といふ言ひ方は、或る一つの文化が他の文化に、自分たちのものの見方を押しつけようとするときの決まり文句であるが、それを日本人は疑はぬばかりか、自らの言葉として繰り返してゐる。これこそが『漢意』といふ名の文化的倒錯の構造である、と宣長は見抜いてゐるのである」「漢意は単純な外国崇拝ではない。それを特徴づけてゐるのは、自分が知らず知らずの家に外国崇拝に陥ってゐるといふ事実に、頑として気付かうとしない、その盲目ぶりである」。これは、長谷川三千子さんの『からごころ』という本にある文章である。

戦後日本は、アメリカから押し付けられた「憲法三原理」を「人類普遍の原理」として有難く押し戴いてきた。これを根本的に反省しなければならない。日本人には日本人の「心のはたらかせ方」がある。これを回復しなければならない。それは排他独善といふことではない。日本人にとってどんな考へ方がまともなのか、日本の国柄に合致してゐるのかを考へ、日本人らしさを正しく自覚することである。『現行占領憲法』の三原理である国民主権論・似非平和主義・欲望民主主義はまさに日本の國の国柄に合はない思想である。

戦後日本・現代日本の混迷の原因の大きなものに「國家の統治體制の基礎を定める法・國家の根本法」と定義されてゐる憲法が大きな欠陥を持ってゐるところにある。

憲法改正或いは自主憲法制定は國家緊急の課題である。しかし、ただ憲法を改正すればいい、新しい憲法を作ればいいといふことではない。「現行占領憲法」の欠陥を根本的に正さなければ改憲の意味はない。「現行憲法」の最大の欠陥は、その原理にある。『現行占領憲法』の三原理の一つとされる「國民主権・主権在民」といふ思想は、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪ひ合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。祭祀國家であり君民一體の國柄であるわが日本にはまったく適合しない思想であり、革命=國體破壊につながる思想である。

「國民主権論」「主権在民論」は「人類普遍の原理」を詐称してゐるがさうではない。欧米における革命・政治変革から生まれてきた思想であり、日本國體とは相容れない思想である。「國民主権」といふ原理は全面的に否定されるべきである。

|

千駄木庵日乗二月六日

午前は、諸事。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。住職夫人に挨拶。四宮家の墓所を掃苔、拝礼。

帰宅後は、明日のインタビューの準備。『やまと新聞』連載原稿執筆・脱稿・送付。

|

本日聞いた興味深い話は下記の通り。

本日聞いた興味深い話

水口章氏(敬愛大学総合地域研究所所長)「イラン司令官殺害の根柢にあるのは、アメリカが中東撤退を方向付けるため。かなり戦略的に意識されている。大きな国際的変化の中で起こっている。ユダヤとイスラムの戦い、シーア派スンニ派との戦いよりも、経済が政治を支配する時代になっている。石油収入の下落の中で産油国では内政に圧力がかかっている。産油国の収入が落ちて来ている。産油国の失業率が高い。イランでも、戦争とか革命を知らない世代が出てきている。ペルシャ湾の問題点は領土紛争。国境問題。海底の利権も決まっていない。火種が拡大していく。危機の連鎖、テロの拡大が考えられる。イランは核の平和利用を進めている日本をモデルにしている。アメリカはイランのキリスト教福音派を使いつつイラン国内を混乱させる。イランの体制を揺さぶる。イラン革命当時より民衆の生活は良くなっている。ハメネイによるコントロールが効かなくなる状態が来るかどうか。トランプ支持者は共和党支持者の九十%以上」。

杉本宏氏(外交ジャーナリスト「どの殺害もドローンが使われている。ターゲットを発見次第殺害できる。政府が特定の人物を暗殺することを公然と行ったのは今回が初めて。司令官は対米テロを主導してきた。予防攻撃。トランプ政権は標的殺害を継続する。自衛権の行使は国際的に認められている」。

渡部恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)「トランプは大統領再選に向けて、アメリカにとって危ない相手を殺害してアメリカの安全に役立っていることを強調。
トランプにとって一番重要なのはキリスト教福音派の支持者。支持者は人工中絶に反対。シオニスト(イスラエル建国支持者)が重要。トランプは個人的関係を重視して外交をしている。ネタニエフ、サウジ皇太子、安倍晋三。出口無き緊張の連続の危険あり。米議会秘密会での事前承認があれば米軍は簡単に殺害できる」。

山口昇氏(笹川平和財団参与)「アイゼンハワーはどんな作戦計画も上手くいかないことが多い。上手くいくのはパレードだけと言った」。

|

千駄木庵日乗二月五日

午前は、諸事。

午後は、資料整理、室内整理など。

午後五時半より、虎ノ門の笹川平和財団ピルにて、『第二回SPF安全保障セミナー・イラン司令官の標的殺害と中東情勢―米国とイランの戦争は回避できるのか』開催。水口章氏(敬愛大学総合地域研究所所長)、杉本宏氏(外交ジャーナリスト)、渡部恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)、山口昇氏(笹川平和財団参与)が討論。

帰宅後は、原稿執筆など。

|

2020年2月 5日 (水)

今日聞いた興味深い話

今日聞いた興味深い話は下記の通りです。

 

「アメリカファーストとは孤立主義。日本自身の防衛力を高めるべし。抑止力を高める。日本は人権に関わることはハッキリと主張すべし。日本の「パスポート力」は世界ナンバーワン。日本は経済が上向きになった。アメリカはシェール革命でアラブが大事ではなくなった。ロシアとイランはその空白を埋めようとしている。ヨーロッパはローマ文明が支配して居る。アジアは中華文明が支配している。その中で日本は独自の日本文明で発展している。その力は大きい。日本の自然と文化が大事なソフトパワーになっている。それを日本人は身につけている。中高校生への教育で神話の事を教えるべし」。

 

|

千駄木庵日乗二月四日

午前は、諸事。

午後一時より、永田町の参議院議員会館にて、松川るい参議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、原稿執筆の準備、資料の整理など。

|

2020年2月 4日 (火)

本日聞いた興味深い話。

「隣国で仲の良い国は無い。日本は明治維新後、何十年かかかって国際的地位を高めた。中国はそれを形を変えてやっている。一九三〇年代に日本がやったことを中国は今やっている。中国は近代的自由民主国家になっていない。共産主義イデオロギー・古代からの帝国統治を続けている。人権尊重・国際貢献できる国になれるのかを今問われている」

「中国に投資した国は投資で儲かった。しかし金は中国国民にゆきわたっていない。治安と国防に金は流れて行った。中国は変っていくという仮説を立てて中国に協力したが。それが間違いであったことがアメリカは分かった。中国は政治的改革をする気はない。尖閣への事件で日本国民もそれが分かった」。

「中国は阿片戦争の歴史的トラウマから脱却していない。逆の方向に進んでいる。中国に破壊的行動をとらせないようにする。しかし万一の事態に対応できるようにする。中国は資源は無いが人口は多い」。

「アメリカにとって日本は重要。日本を失うとアメリカは空母機動部隊が西海岸とハワイに戻らねばならない。日本からの撤退はアジアから撤退すること。アメリカにとって日本は絶対必要」。

「韓米日の反共同盟に韓国は戻ってこない。日本で言うところの全共闘世代が韓国では今日権力を握っている。日本で言えば青法協が権力の中に入ったようなもの。国民の支持もある」。

「中東諸国は、ロシアや西欧列強に勝ち、自動車・精密機械が素晴らしい日本に好感を持っている。シーレーンが途絶えないようにしなければならない。イスラム教徒は商人であり農民ではない。安倍晋三氏は地獄を見た政治家。力量を積んだ政治家」。

|

千駄木庵日乗二月三日

午前は、諸事。

 

午後は、資料の整理。

 

午後六時より、西荻窪にて、宮家邦彦氏(外交政策研究所代表・元外交官)にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。懇談。

 

帰宅後は、原稿執筆など。

 

|

2020年2月 3日 (月)

日本政府は「習近平国家主席の『国賓』招聘(しょうへい)見送り」を決断すべきだ

共産支那の武漢で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大についての「緊急事態宣言」めぐり共産支那政府はWHOに圧力をかけたという。WHOのテドロス事務局長の出身地は“超親支那”の国エチオピア。テドロス事務局長(元エチオピア外相・保健大臣)と習近平のチャイナ・マネーで結ばれた仲が、人類の命を危機に向かわせているのである。その罪は重い。 新型コロナウイルスによる肺炎が、支那全土から世界各国に感染が拡大するなか、WHOは何度も緊急事態宣言を見送っていた。フランス紙は30日、中国政府がWHOに圧力をかけたと報じた。これは「人命よりカネ」「人命より国家の体面」という非道の行為である。共産支那の習近平政権やWHOの国際的信用は失墜する。 防衛省が一月二十九日に発表した二〇一九年四月から十二月の航空自衛隊による共産支那機への緊急発進(スクランブル)は五二三回と過去二番目に多かった。沖縄県尖閣諸島付近でも共産支那公船が二七日連続で接続水域を航行している。安全保障上の共産支那による我が国に対する脅威は高まっている。 日本政府は安全保障及び危機管理を真剣に考えるのなら、支那からの「入国制限」や「航空便停止」を厳しく実施するのは当然であり、さらに「習近平国家主席の『国賓』招聘(しょうへい)見送り」を決断すべきだ。

|

千駄木庵日乗二月二日

午前は、諸事。


午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事(明日行うインタビューの準備など)。原稿執筆。資料整理。

|

2020年2月 2日 (日)

日本人と支那人とは文化も習慣も民族性も根本的に異なる


支那湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が猖獗を極めている。支那当局の情報開示に対する信頼感が希薄なことも大きな問題であろう。

支那人は全てではないとは思うが、嘘をつくことを悪とは思わないのではないか。特に権力国家としての支那は、政治目的・外交目的を達成するためには、どんな見え透いた嘘でも平気な国であることは確かである。歴史問題で支那が言っていることは外交戦略上の嘘が多い。「南京大虐殺」や「七三一部隊」の残虐行為などという事も、『愛国虚言』である。「白髪三千丈」という諺は嘘では無いのである。

共産支那では文化大革命の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいたという。支那南部・広西チワン族自治区の武宣県で起きた粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件があった。10年間の惨劇の中、広西チワン族自治区では無数の人々が命を落としたのみならず、ぞっとするような残酷行為と悪意が吹き荒れたという。

「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」とあった。1968年には、中学校の生徒たちが地理の講師を殴り殺した後、遺体を川辺に運び、別の教師に強要して心臓と肝臓を取り出させる事件があった。学校に戻った生徒たちは臓器を焼いて食べたという。身の毛もよだつような情報である。

「祭祀・禮」に関して、日本と支那との大きな違ひは、その供物・捧げ物にある。『論語』の「八佾篇」には「子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰はく、賜(し・子貢の名前)よ、汝はその羊を愛しむも、吾はその禮を愛しむ。」(春秋時代衛の儒者で財政に明るい政治家だった子貢が、生きた羊を生贄にして毎月一日を魯(孔子の生国で、儒家の中心地)の宗廟に告げる儀式を廃止しやうとしたことがある。孔子先生はいはれた。子貢よ、お前は生贄に使ふ羊が惜しいのであらう。私は羊を節約するためになくなる禮の方が惜しいと思ふのだ。)とある。

「郷党篇」には「公に祭れば肉を宿せず」(君主の宗廟の祭りに供へた肉のお下がりはその日のうちに食べて翌日まで持ち越されなかった。)とある。

また、「為政篇」にある有名な「子曰はく、故きを温めて新しきを知れば、以て師爲る可し」(煮物の冷えたのをもう一回温めて飲むやうに、古くからの伝統を反復思索し習熟することによって新しい意味を知る。さういふことができる人が人の師になれるのだ。)とある。「温める」とは、とろ火で肉を煮詰めるやうに時間をかけて繰り返し習熟する意であるといふ。

このやうに支那においては、日常的に獣肉を食し、且つ生きた獣を祭祀における供物とした。わが國の祭祀では、血が流れ出るやうな生きた獣は祭祀に捧げない。日本民族の信仰生活と、支那人のそれとは大きな違ひがある。

日本人と支那人の根本的違ひは、食生活であらう。加藤常賢先生は、「わが国のごとく四面環海で、魚類の植物が豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのであるが、中国のごとき広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行なわれ、動物食で栄養を摂るに至るのは自然である。支那古代では牛と羊と豚は盛んに食った。ことに豚は食った。だから中国人は肉食人種である。明治以来始めて獣肉を食い出したわが國人とは元来異なっている。むしろ食肉の点では西欧人に近い」(『漢字の発掘』)と論じておられる。

儒教には「釈奠」といふ行事がある。支那古代化に伝わる、先聖先師の霊
をまつる行事のことである。後漢以後は孔子およびその門人をまつること
を「釈奠」と専称するやうになったといふ。「釈」も「奠」も置くといふ
意で、供物を神前に捧げて祭ることである。この「釈奠」では牛豚羊など
獣の生贄を供へる。

わが国では律令時代に始まり、二月および八月の上の丁(ひのと)に大学寮(律令制による官吏養成のための最高の教育機関)で孔子並びに十哲の像を掛けて祭った。応仁の頃に廃絶したが、寛永十年に林羅山が再興し、その後昌平黌や藩校でさかんに行はれたといふ。

金谷治氏は、わが国における「釈奠」について次のごとく論じてゐる。「鎌倉時代のころには、大学寮で行なわれる釈奠で獣の肉は供えなくなっていたらしい。中国では豚を供えるのが例であるが、日本では初め猪や鹿を用いた。しかしそれも国情にあわないことで、いつのころにか廃止されたのである。それについて『古今著文集』(鎌倉中期の説話集)では孔子が夢枕にあらわれたことを伝えている。『此の朝に来たりて後は、大神宮来臨、禮を同じうす。穢食供すべからず』というのがそのご託宣で、それ以来、獣肉を供えなくなったという。事実のほどはともかく、釈奠の禮も次第に日本化してきたということであろう」(『人類の知的遺産・孔子』)。

ユダヤ教やキリスト教も神に血を捧げる。朝鮮も祭祀で豚の頭を捧げるやうである。日本では祭祀において米や野菜そして魚介類を神に捧げるが、支那では血の出る獣肉を祭祀の供へ物とするのは、食生活の違ひによる。

温和な日本列島の気候風土の中に生活し農耕民である日本人は、狩猟民の有する肉食と凶暴と好戦性、牧畜民の有する漂泊性と遠征的行動は姿を消している。

朴泰赫氏は「儒教は、何よりも偽善的だ。儒教は中国生まれであるが、中国人は食人種である。…孔子も、日常、人肉を食べていた。…孔子が最も愛していた弟子の子路は論争に負けて、相手に食われている。『三国志』の劉備玄徳が地方の家に招かれて、人肉を食べる生々しい場面が出て来る。」(『醜い韓国人』)と書いてゐる。

支那においては、近年まで食人の習慣があった。日本人と支那人は、同文同種だなどということはない。文化も習慣も民族性も根本的に異なることを我々はしっかりと認識しなければならない。

以上の論議は、決して差別でもないし支那人蔑視でもない。史実・文献をもととしたうえで歴史の事実を述べのである。

|

千駄木庵日乗二月一日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。沼田幹夫氏(前日本交流協会台北事務所代表)が「台湾勤務を終えてー総統戦後の日台関係を展望する」と題して講演。質疑応答。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗智之松陰大学教授が司会。日本文化大学村松伸治教授が「日本国憲法の法的地位」と題して報告。小生が「御代替わりの諸行事と現行憲法」をテーマに報告。全員で活発に討論。

帰宅後は、原稿執筆。

|

2020年2月 1日 (土)

日本は、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持すべし



明治天皇御製

「新高山の 麓の 民草も 繁りまさると 聞くぞ嬉しき」

台湾人はかつては、天皇の民であり、帝国臣民であった。また今日は東亜同胞である。私は台湾人に対して、無上の親近感と敬意と感謝の念を持っている。

その台湾人数万人を虐殺したのが、蒋介石国民党の軍隊である。台湾人は、台湾にやって来た支那人・国民党の暴虐と圧政に抗し、大和魂を奮い立たせて、支那人と戦い、虐殺されたのである。それが二・二八事件の本質である。私は、台湾独立が正義であると信じる。

現在および将来の日台関係とアジア情勢を考える時、日台の絆は、政治・軍事・文化・経済などあらゆる面で強固なものにしなければない。

「台湾独立とは一体どういうことか」という定義が問題である。台湾独立の定義・概念は、台湾人の台湾建設につきると思う。今日台湾はいまだに「中華民国」を名乗り「中華民国憲法」を持っている。これでは真の独立とは言えない。それどころか、共産支那の武力侵攻に「国内問題だ」という正当性を与えてしまう。

今、台湾に生活している二千万人の人々の運命共同意識が台湾の民族意識ということになる。台湾国内のエスニックの対立が融合の方向にあるのは良いことである。しかし、支那大陸に呑み込まれてしまうことを台湾人が望むとはとても思えない。事実、台湾人意識の方が支那人意識より圧倒的に強い。台湾が独立をすることによって、支那の台湾併吞を防ぐことが出来るのである。やはり台湾独立が正義である。

民族とは「言語、地域、経済生活、及び文化の共通性のうちにあらわれる精神の共通性・運命共同意識を基礎として、時間的経過の中で歴史的に構成された人々の堅固な運命共同体である」といわれている。民族と人種とは異なる。台湾人と支那人は、歴史・伝統・文化・言語・基本的生活様式・運命共同体意識が異なっている。台湾人は支那人とは異なった民族である。ゆえに、台湾は民族自決の原則にしたがって支那の支配下から独立するべきなのである。

さらにいえば、明朝において、台湾は明の領土でなかったことは明代の地図に明らかであるし、明朝はオランダの台湾占領と領有に同意している。また清朝においても、台湾は清の植民地であり移住民の島であったに過ぎない。明治六年、わが国の沖縄漁民が台湾に漂着して台湾先住民(いわゆる高砂族)に捕らえられて殺害されたことについて、日本政府は、清国に問責すると、清国政府は「台湾は王化(注・清の皇帝の影響下にあること)の地ではなく、その民は化外(注・清の影響下の外)の民である。……その乱暴あるいは無礼に対して責任を負うことはできない」と陳述した。

日清戦争後、「下関条約」によって台湾は日本に割譲された。そして終戦まで五十一年間日本が統治した。この間台湾は近代化が行われ発展を遂げた。

本来なら、台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのだ。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「支那領」にしてしまった。

しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もない。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。

一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動・「二・二八事件」は、台湾人の「反支那感情」「反国民党感情」の爆発である。台湾人たちは勇敢に戦い、最初は優勢のうちに戦いを進めた。「汚職の一掃・台湾人の自治拡大要求」を根幹とした要求を国民党に突きつけた。ところが、三月八日、大陸から約一万三千人以上の国民党軍応援部隊(戦争直後に来た兵隊たちと違ってアメリカ式の装備を付けた精鋭部隊)が台湾に上陸し、無差別の機関銃掃射を行った。また、事件に参加した者は勿論、多くの台湾人有識者・知識人・指導者などが逮捕・拷問・虐殺された。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数・二万八千人となっているという。実際には、四万とも五万とも言われている。

大陸を追い出されて台湾にやって来た中華民国政府は亡命政権であり、台湾人にとっては外来政権であった。台湾は、戦後五十年間、「中華民国」という名の亡命政権・外来政権の残忍な植民地支配下にあったのである。今日「統一」という名の共産支那の台湾侵略支配が現実のものとなれば、「中華人民共和国」という名の新たなる外来政権による植民地支配の始まりとなるのである。

ともかく二・二八事件とその後の暴虐なる恐怖政治によって、台湾人から「支那は日本の統治から台湾を『解放』してくれたわが祖国」という感情は雲散霧消し、「我々は支那人ではない」「支那人にはなりたくない」という自覚が強くなった。ナショナリズムは外部からの圧力を排して民族の独立を勝ち取ろうとする国民的規模の精神と行動である。二・二八事件とその後の長期にわたる国民党政権による植民地支配という歴史が、台湾人ナショナリズムを勃興させたのである。

二・二八事件以来今年で七十一年を経過した。この間に台湾人は、「台湾は支那とは全く異なった民族であり国家である」という国民的規模の台湾人ナショナリズム・台湾民族精神が強固に確立された。台湾人のナショナリズムは、今日、将来の台湾独立・建国へ向けて強固になっている。我々日本人は、民族自決の大義の上から、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない。

|

千駄木庵日乗一月三十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。明日の『憲法懇話会』における報告の準備。書状執筆。

|

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »