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2020年1月27日 (月)

日本皇道精神と現代の危機


「皇道」とは、「皇神の道義」のことである。天照大御神より今上天皇に至る皇統連綿・万世一系の「神の道」を「皇道」と申し上げる。これは、わが日本民族が肇国以来継承し保持して来た道である。

「皇道」は、歴史を貫くわが国の道統の体現者であらせられ、わが国伝統信仰の祭祀主であらせられる天皇が「神の行いのまま即ち神ながらに行いたまう大いなる道」を言うのである。 

神の行いのままに生きられる天皇の御本質を「現御神」即ち「現実に現れたもうた神」「地上に生きたもう神」と申し上げる。

わが国の理想の姿は、神聖なる権威を持たれる天皇の道、即ち皇道によって国家が治まり国民が幸福な生活を営む姿である。

大化改新後の「詔書」によると、外国の使臣(君主の代理、国家の代表として外国に派遣される使者)に「詔書」を発せられる場合には、「明神御日本天皇詔旨」(あきつかみとひのもとをしらしめいすめらみことのみことのり)、国内の重大事には、「明神御大八洲天皇詔旨」(あきつかみとおおやしましらしめすすめらみことのみことのり)と書き出すことが決められていると承る。これは、天皇の神聖性と国家統治のあり方を正しく示している。

日本天皇は恣意(自分の思うまま。思いついたままの考え)のままに日本国を統治されるのではなく、神の御心のまま、皇道に則って統治されるのである。つまり力でも単なる権威でもない「道」による統治が天皇の日本国家統治なのである。日本ほど理想的な国はない。

天照大神は、絶対独裁め全知全能の唯一絶対神ではなくて、一切の自然や人に宿る神即ち八百万の神々の特質・力を生かし高めて総合して下さる神である。そして、天照大神の御使命を地上において実現される方が、現御神日本天皇であらせれる。

だから、神武天皇の日本建国も、ただ単に武力による征服平定ではなくして、日本国中の国津神(国土の神)や民衆を、その同意を得て統合し融和して調和して日本国を建てられたのである。

天皇が現御神であるということは、天皇が一神教の神即ちキリスト教のゴッドのような全知全能の神であるというのではない。「今生きておられる神」「この地上の実在する神」「人にして同時に神なる方」ということである。これがわが日本の特有の皇道精神である。

日本の文化の根底には皇道がある。皇道精神がわが日本國體の基本である。皇道精神は、今日唯今も生きている。わが国には太古以来の信仰が今もわが国民の日常生活に生きている。祭祀は、日本天皇が行いたもう宮中祭祀によって今日ただ今も太古のままの生きた姿でくり返されている。 

伊勢の神宮に代表されるように神殿も太古以来のまま今日の継承されている。伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

あらゆる日本の文化の根底には皇道がある。日本皇道は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなお国民信仰として脈々とその生命を伝えている。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

万世一系の皇統は、高天原より地上へ、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと時間を超えて一貫して連綿として皇道が伝えられている。 
現代西洋文明は没落しつつある

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から東洋文化とりわけ日本伝統文化へと回帰しなければならない。

自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で体験する農耕民族たる日本民族の信仰精神即ち日本皇道が世界の神の平和を作り出すであろう。

一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本皇道精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

西洋精神は、キリスト教もマルクスレーニン主義も、一人の教祖の説いた教義・一つの書物に書かれた教義を絶対的なものと信ずる。一神教的ものの考え方が、いかに世界に闘争を持ち来たしたかは、ロシアや支那や朝鮮やカンボジアなどにおける共産主義思想による殺戮、アイルランドやアラブや旧ユーゴなどにおける宗教戦争を見れば明らかである。

皇道精神は排他独善ではない。自由自在にして大らかなる日本皇道精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。

日本皇道は、大自然を尊ぶ。日本皇道は、大自然から、人生を学び、生き方を学び、国の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の御子)」であり「日女(日の神の姫御子)」なのである。

日本人は、森羅万象ことごとく神ならざるものはないと信じている。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが国は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

人も国土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは全く異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一体の存在であると考える。

闘争と自然破壊に明け暮れる現代世界を救済するのには、日本皇道精神が大きな意味を持つ。これからの時代において、古代の日本より継承されて来た日本皇道精神は大きな使命を有している。

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