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2020年1月24日 (金)

伊勢皇大神宮について

 

 

伊勢参宮においては、「外宮先祭」と言って、皇大神宮(内宮)より先に豊受大神宮にお参りするしきたりがあると承る。

 

真弓常忠氏は「外宮先祭」について、その著『大嘗祭』で、「天照大神もまた、(天皇が天照大神に新穀を奉られるのと同様に・註)この新穀をきこしめすにあたってサバをサバの神に奉られる。皇大神宮にとってサバの神に相当するのは、御饌都神(みけつかみ・神饌を掌られる神)である豊受大神宮にほかならない。ここに外宮先祭の理由がある」と論じてゐる。

 

「サバ」とは、「サバ」とは、「さんばん」とも言ひ、仏教語の「散飯」(さば。三飯、三把とも書く)から出た言葉。「散飯」とは、衆生の飯米の意で、食事の初めに少量を取りわけて神や衆生などに供へるものとされる。

 

民俗学者の坪井洋文氏の説によると、「サバ」にはお初穂の意味があり、神の前に撒いたり供へるといふ。そして、関西地方で盆や正月に、健康でゐる両親や親方に塩鯖,刺鯖を贈る習俗があるが,目上の人に生飯を贈ることが転じて鯖になったものである、といふ。 

 

豊受大神宮は、第二十一代・雄略天皇二十二年のご鎮座と承る。豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)即ち五穀の神・衣食住・産業の神と仰がれる。はじめは、丹波國比治の眞名井が原といふ所に鎮座されてゐたが、雄略天皇の御夢に、天照大神のお告げがあり、そのお告げを体して皇大神宮の近くの山田原に神殿が造営されたと言ふ。

 

太陽が存在しなければ万物万生は生存しない。また祖先や親が存在しなければ子孫は生まれて来ない。皇大神宮に祀られてゐる天照大御神は、皇室の祖先神であると共に、万物万生の生命の源の神であられる太陽神であられる。即ち、天照大御神は、わが國伝統信仰の最高神・大親神として崇められる。

 

豊受大御神は、天照大御神お召し上がりになる大御饌(御食べ物)の神であらせられる。そして全ての生き物は、食べ物がなければ生きて行けない。豊受大御神は、全日本人が食する食べ物の神であらせられる。

 

矢野憲一氏は「生きていく、生かせていただく最大にして最小の要素が、内宮と外宮の御神徳に集約され、日本人として、いや人間として感謝すべき源が伊勢でおまつりされているのです」(『私たちの伊勢神宮』)と論じておられる。

 

内宮及び外宮正殿に見られる建築様式は「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれてゐる。特徴は高床・切妻の建物で、萱葺の屋根に千木と鰹木が付いてゐること、柱はすべて根元を地中に埋めた掘立式であることなどといふ。弥生時代の高床式倉庫(掘立小屋)が発展したものと考へられてゐる。稲作文化の國日本の神を祭るに相応しい神殿の造り方である。

 

鈴木大拙氏著『禅と日本文化』に次のように書かれている。「禅の茶道に通うところは、いつも物事を単純化せんとするところに在る。この不必要なものを除き去ることを、然は究極実在の直覚的把握によって成しとげ、茶は茶室内の喫茶によって典型化せられたものを生活上のものの上に移すことによって成しとげる。茶は原始的単純性の洗煉美化である」「茶人は書いている『天下の侘(注・わび)の根元は、天照大御神にて、日(本)国の大主にて、金銀珠玉をちりばめ、殿作り候へばとて、誰あって叱るもの無之候に、茅葺・黒米の御供、其外何から何までも、つゝしみふかく、おこたり給はぬ御事、世に勝れたる茶人にて御入候』(石川流「秘事五カ条」)この筆者が天照大神をわび住居をする代表的な茶人と見なしているのは面白い。しかし、これは茶の湯が原始的単純性の美的鑑賞であること、換言すれは、茶は人間の生存が許しうるところまで自然に還って、自然と一つになりたいという、われわれの心奥に感じる憧憬の美的表現であることを示している」。

伊勢の皇大神宮の簡素さ、清浄さ、神聖さが、「原始的単純性の洗煉美化」「自然と一つになりたいという、われわれの心奥に感じる憧憬の美的表現」であると論じているのである。

世に宗教の殿堂は数多くあるが、伊勢の皇大神宮くらい簡素にして清らかで神々しい神殿は存在しないと思ふ。宗教の殿堂には金銀珠玉をちりばめた豪華絢爛たる建物がある。覇者を神として祀った日光東照宮などはその典型ではないだろうか。

伊勢皇大神宮のご正殿から荒祭宮に向かふ途中に、御稲御倉(みしねのみくら)、外幣殿(げへいでん)がある。御稲御倉は、御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)をお祀りする祠である。祠といふことは穂倉であり、神宮神田で収穫された抜穂の御稲が納められてゐる。外幣殿は、古神宝類が納められてゐる。どちらも、高床式の穀倉から神殿に昇華した建物である唯一神明造である。

「唯一神明造」とは、弥生時代の高床式の穀倉形式である。檜の素木造(しらきづくり)の掘立式(柱の素を直接地中の埋めて作る方法)で造営されてをり、屋根は茅葺である。素朴であり、何の豪華さもない。しかし、言ふに言はれぬ清浄さと威厳がある。日本文化の簡素さと清浄さを体現する建物である。日本人の信仰精神の結晶である。

神を祀る社殿のことを祠(ほこら)と言ふのは、穂倉(ほくら)に由来するといはれる。人々の生命の根源である稲などの穀物の収蔵庫は神聖視されたので、神のまします建物が穂倉の形になったのであらう。

原初、わが国の伝統信仰には神殿は無かったとされてゐる。日本の神々は、祭祀が行はれる時に、神が居られるところから降臨されて、樹木や石などに依りつき、祭祀が終了すると元の所に戻られるとされる。今日の祭祀においても、降神の儀・昇神の儀が行はれてゐる。大神神社は今日においても、三輪山そのものが御神体であり、神殿はない。

しかし、時代の推移と共に、自然に神殿が造営されるやうになった。何故神殿が造られるやうになったのか。榎村寛之氏は「自然神から人格神に発展する過程で発生した」(『古代・律令体制の造替の開始』)と説いてゐる。これも一つの考へ方である。

「唯一神明造」の神殿は、日本人が生きてゆくために食する穀物を納める蔵の形に神殿が造られてゐる。まさに日本の命の本源の神が鎮まられる祠である。

 

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