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2020年1月31日 (金)

「即位の大礼」「大嘗祭」は、「天孫降臨」の繰り返しであり再現である

 

皇位継承とは天孫降臨の繰り返しである。皇位継承とは、まさに現御神、天照大御神の「生みの御子」が降臨あそばされるのである。

 

日本は、現御神日本天皇を祭祀主と仰ぎ、天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

 

會澤正志斎は、『草偃和言』(そうえんわげん)といふ著書で「日嗣の君は、日神の遺體にましまして今も天神に事へ給ふ事在すが如く、氏々の人は皆諸神の子孫にして其遠祖の人々古日神に事へ奉りし時にかはらず、千萬世の後までも天上の儀を傳へて神代の遺風を其まゝに行はれ、今の世も神の世に異なる事なきは、他邦異域に絶てなき事なれば神國と申すなり」と論じてゐる。今即神代、天皇即神といふ篤い信仰精神が語られてゐる。

 

天照大御神と天皇はご一體である。天照大御神と天皇とは時間と歴史を超えて一體である。天皇に仕へる臣下國民もまた、八百万の神々の子孫である。まさに、歴史と時間を貫いて今此処が神代であり、高天原なのである。高天原を地上に持ち来すことが國體の明徴化なのである。今即神代、天皇即神であられるからこそ、日本に革命も皇統の断絶も無いのである。

 

天皇を君主と仰ぐ日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで生きてゐる。ところが、古代オリエントや古代支那などにおいては、祭祀を中心とする共同體は武力征服王朝によって破壊されてしまった。そして古代民族信仰・祭祀宗教は無くなり、太古の王家も古代國家も姿を消した。その後に現れた支配者は武力による征服者であり、國家は権力國家であった。

 

それに比してわが日本は、神話の世界が今日唯今現實に生きてゐる國である。すなはち、わが日本は、古代祭祀宗教の祭祀主たる神聖なる御資格を受け継ぎ給ふ天皇を、現實の君主と仰ぎ、國家と民族の中心者として仰いでゐる殆ど世界唯一の國である。わが國は太古以来の祭祀主を君主と仰ぐ共同體國家が破壊されることなく今日まで続いて来てゐる。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふのである。

 

それは、會澤正志斎が『新論』において、「神州は太陽の出づる所、元気の始まる所にして、天日之嗣、世宸極を御し、終古易らず。」と説き、北畠親房が『神皇正統記』において、「大日本者神國他。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。」と説いてゐる通りである。まことに有難き事實である。

 

歴代天皇は、御玉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

保田與重郎氏は、「天降(あも)りの原義は、天皇陛下の御即位は、天孫降臨を新しい代替りごとに再現される儀式にて、しかも天皇陛下の御生存御在位中は、つねづね、この『天降り』の持續した状態である。だから御代はかはっても、天皇陛下はつねに御一方であるとされてきた」(『萬葉集名歌選釋』)と論じてゐる。

 

われわれ日本民族は、天皇をただ単に神武天皇の肉體的御子孫として仰いできたのではなく、天照大神の生みの御子・地上における御代理・御顕現即ち現御神として仰いで来たのである。歴代天皇お一方お一方が、天照大御神の「生みの御子」であらせられ、現御神であらせられる。この信仰を〈歴聖一如〉と申し上げる。

 

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を繼承した事になるが信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、斉しく天照大御神の御孫で居られる。決して、天照大御神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大御神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である」(『大嘗祭の本義』)と論じてゐる。

 

この「歴聖一如」といはれる天皇信仰は、折口信夫氏の直感でも独断でもなく、また、昭和十年代といふ時代を背景として考へ出された論議でもなく、古代以来のわが國の傳統信仰である。『古事記』『萬葉集』にも語られ歌はれてゐる。

 

平田篤胤は、「わが天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所地看(シロシメ)せと依賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子と申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。」(『靈の眞柱』)と論じてゐる。

 

日蓮は、「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」(『高橋入道殿御返事』)と論じてゐる。

 

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2020年1月30日 (木)

千駄木庵日乗一月三十日

午前は、諸事。

午後二時より、西荻窪にて、同志諸氏と懇談討論。談論風発。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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皇位継承と憲法

歴代の天皇は、皇祖・天照大神の「子孫」(生みの子)であらせられ「皇孫」(すめみま)即ち「眞子」であらせられる。天照大神と瓊瓊杵尊以来神武天皇から今上天皇にいたる御歴代の天皇との御関係は全く同じである。これを「歴聖一如」(歴代の天皇の神聖性は同一つである)と申し上げる。

折口信夫氏は、「古代日本の考へ方によれば、血統上では、先帝から今上天皇が皇位を継承した事になるが、信仰上からは、先帝も今上も皆同一で、等しく天照大神の御孫で居られる。御身體は御一代毎に変るが、魂は不変である。すめみまの命といふ詞は、決して、天照大神の末の子孫の方々といふ意味ではなく、御孫といふ事である。天照大神との御関係は、にゝぎの尊も、神武天皇も、今上天皇も同一である。……」(『大嘗祭の本義』)と説かれてゐる。

平田篤胤は「我が天皇命の高御座は、天照大御神の、萬千秋之長五百秋(ヨロヅチアキノナガイホアキ)に、所知看(シロシメ)せと依(ヨサシ)賜へる御座なる故に、その高御座に位(マ)すは、御孫ながらに、御代御代、天ツ神ノ御子とは申し奉ることなり。此はその高御座に位(マシマ)すは、即天照大御神の御子に坐せばなり。」(『靈の真柱』)と説かれてゐる。

高御座(たかみくら)は、『宣命』(宣命體で書かれた詔勅)や『萬葉集』や『中臣寿詞』に「天津日嗣の高御座」と示されてゐるやうに、「天津日嗣」と不可分であり、天皇の「みくらゐ」を表す言葉である。

「天津日嗣」の、「天津」は「高天原の」、「日」は「太陽」もしくは「靈」の意であり、「天津日嗣」とは、太陽神たる天照大神の靈統を嗣(つ)ぐといふほどの意である。つまり、高天原の天照大神から皇位を永遠に継承してゐるといふほどの意である。「高御座」とは高天原の天照大神のをられる所と同じ高さの所といふ意味である。

天皇は「天津日嗣高御座」(アマツヒツギノタカミクラ)にのぼられることによって、天照大神の地上における御代理すなはち「現御神」としての御本質を開顕されるのである。 

皇位継承・天皇の御即位とは、新たなる天皇の御神靈が日継の御子に天降るといふことである。女性天皇は「天津日嗣の高御座」を継承された現御神であらせられるのであり断じていはゆる「中継ぎの天皇」ではあらせられない。西洋法思想や外國の君主制度そして西洋の生物學や外来の男尊女卑思想などによって、この道統を隠蔽するやうなことは絶対あってはならない。
 
終戦後七十年以上を経過して、愈々益々終戦直後の、戦勝國によるわが國の傳統破壊・弱體化政策を原因とする様々な問題が噴出してきてゐる。しかもそれは、わが國存立の根幹をも揺るがしかねない事態となってゐる。『皇室典範』が『憲法』の下位法となり、「皇位継承」といふ神聖なる日本國體の根幹に関はる重大事を、権力機構が多数決で決定できる事になってゐる事が大問題である。これは「俗」が「聖」を、「政體」が「國體」を、「権力國家」が「祭祀國家」を規定し規制することとなり、國體破壊につながる。皇室の重大事は、國體の本義・道統に基づいて決定せられるべきである。そして道統の継承者は上御一人・日本天皇であらせられる。

『大日本帝國憲法』下においては、天皇御自ら主宰される皇族會議があった。枢密院といふ天皇の最高諮問機関があった。また、常時、天皇を輔弼し奉る内大臣がゐた。宮中顧問官などもゐた。宮内省があった。このやうに、天皇及び皇室を輔弼しお守りする體制が整へられたゐた。戦後は、占領軍の弱體化政策により、悉く廃された。宮内省は宮内庁に格下げとなった。かうしたことが、天皇を君主と仰ぐ國體を隠蔽する大きな原因の一つである。一刻も早く是正されなければならない。

成文憲法が天皇を神聖君主と仰ぐ日本國家の存立の基本を破壊もしくは否定するやうであれば、これを破棄しなければならない。『現行占領憲法』はまさしくさういふ憲法である。制定過程は言ふに及ばず内容そのものもアメリカ製の亡國憲法=『現行占領憲法』を有効としてゐる限り、日本は真の独立國とは言へないのみならず、肇國以来のわが國體が隠蔽され続け、國家國民の頽廃はますますひどくなる。一日も早く日本の傳統に基づいた正しい憲法を開顕すべきである。

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2020年1月29日 (水)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 二月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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『新聞通信調査会定例講演会』における時事通信社政治部長・水島信氏の「政治の行方」と題する講演内容

本日開催された『新聞通信調査会定例講演会』における時事通信社政治部長・水島信氏の「政治の行方」と題する講演で興味深い発言を紹介します。

「日本でオリンピックが行われた年は必ず総理の交代あり。今年も政局が大きく動くと言われている。昨年の秋以降、長期政権のひずみが出て来た。民主党政権を反面教師にしたので長期政権になった。憲法改正は本当に必要か。国民の改憲支持は高くない。ところが野党がバラバラ。反安倍を言うだけでまとまりも対案も無い。国民民主と立憲の合流協議がまとまらない。選挙目当ての離合集散になっている。内閣支持率は結構高い。都連は小池に勝てる都知事候補を立てられるのか。公明の選挙協力をこれまで以上に固めねばならない。自公は相互依存が進んでいる。安倍がこの人だけは後継者にしたくないのが石破。岸田の弱点は発信力の弱さ。安倍は今年秋のタイミングに解散に打って出るかもしれない。安倍の支持を受ける人が次の総裁。加藤・茂木・菅・岸田の四人。安倍の求心力が維持できて次の総裁選があると石破は難しい。公明党の山口体制は十年続いた。ポスト山口は石井啓一。野党共闘は大事だが、政策の合意が不可欠。二〇二〇年に安倍政権での憲法改正は極めて難しい」。

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千駄木庵日乗一月二十九日

午前は、諸事。

午後一時半より、内幸町の日本プレスセンターにて、『新聞通信調査会定例講演会』開催。時事通信社政治部長・水島信氏が「政治の行方」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、土曜日に開かれる「憲法懇話会」における発表の準備なと。

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2020年1月28日 (火)

この頃詠みし歌

冬の夜を一人過ごしてビバルディの「春」聴きをれは心浮き立つ

これからもまた一仕事為さんとす命衰へることを拒絶し

すめらみことは歴聖一如にましますに二重権威などと何故騒ぐのか

歴代の聖天子は一如なる現御神と仰ぎゆくべし

母恋しそのさみしさに古き家で母に呼びかける夢を見し

何時までもこの世に生きると思はねどひと日ひと日を重ねゆくべし

友どちの聲聞きたしと思ふなり冥府といふは遠きと知れど

闘諍堅固の末法の世と言ふけれど平和への祈り絶えることなし

天覧相撲で大きな歓呼にこたへたまふわが大君の清らけき笑まひ

この國の永久の榮を祈りつつすめらみことを仰ぎまつれり

今日もまた一つの仕事をなし終へて心静かに眠りにつかむ

一日の反省をせんと夜遅く机に向かひ日記書きゐる

なほ暫くこの世に生きてゆくべしと心に誓ひ今日も生きたり

朝起きて日の大神を拝ろがめる我の命はなほ新たなり

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千駄木庵日乗一月二十八日

午前は、諸事。室内整理。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。書状執筆など。

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五月三十日に開催された笹川平和財団主催『第1回SPF安全保障セミナー「ポスト冷戦」後の展望 ー米中新冷戦?あるいは更なる混沌か?』における登壇者の発言

五月三十日に開催された笹川平和財団主催『第1回SPF安全保障セミナー「ポスト冷戦」後の展望 ー米中新冷戦?あるいは更なる混沌か?』における登壇者の発言は次の通り。

 

小原凡司上席研究員(元海上自衛隊ヘリコプターパイロット、在中国日本国大使館防衛駐在官)「アメリカが中国に圧力をかけている。二〇一四年頃から中国は危険だという意見が出て来た。昨年(二〇一八)一〇月のトランプのスピーチは、アメリカ国内の意見を集約した。アメリカの技術流出を防止する。リムパック(環太平洋合同演習)から中国を排除。米中新冷戦。中国は次の産業革命を起こす。中華復興を目指す。アメリカも産業革命の重要性を認識したので、中国警戒感は大きい。米中対立は政治体制の抗争になっている。中国国内の政治状況はあまり安定していない。習近平と李克強の経済政策が完全に一致しているわけではない。李克強の経済政策は習近平側近によって否定されたが、李克強は権力を復活させた。中国はその後対米強硬政策に戻った。対米政策は固まっているわけではない。中国は海軍を強化しているが乗組員の養成は出来ていない。中国は空母を建造し続けている。アメリカを挑発しないようにしながら中国は実力をつけていく」。

 

渡部恒夫上席研究員(元米戦略国際問題研究所(CSIS)上級研究員)「アメリカは世界の覇権国家。戦後世界の秩序を支えてきた。冷戦後唯一の超大国になった。アメリカは世界の安定を支えるのに疲れたという議論がある。フランクリン・ルーズベルトは『子供たちを戦場に送らない』と言って当選した。コーデル・ハル国務長官の中国を守りたいという考えでアメリカ戦争に巻き込まれた。トランプはイラク戦争批判をして余計な所に軍を送らない。『同盟国は防衛をアメリカに押し付けて経済発展した』という主張でトランプは当選。経済ナショナリスト。アメリカ経済の利益のために自由にやろうという考え。中国がアメリカの雇用を奪っているという主張。トランプは我が儘であまり先のことは考えない。アメリカの覇権を脅かす存在を許さない。国防省も軍も安保上の厳しい球を投げている。新疆ウイグルでの人権侵害を許さない。中国に対する完全な封じ込めは無理。トランプの一番の目的は来年の大統領選に勝って生き残ること。ナンバーツーの存在を許さない。新冷戦は日本にとってすごくプラス。前の冷戦では日本産業が発展。イランの核開発を防ぐ道筋はない。これからの世界は荒れる。欧州は右派ポピュリストが強くなっている。今までの国際秩序が液状化している。米中は最後まで行かない。両方とも経済が大事。アメリカは自分の利益に関わるところからは引かない。IT覇権争いは厳しい。」。

 

山口昇参与(元在米国日本国大使館防衛駐在官、陸上自衛隊研究本部長。陸将)「かつての冷戦はかなり安定していた。しかし新しい冷戦は安定していない。相手が強いと自分の力を強める。アテネとスパルタ。これから伸びるのはインド太平洋。『インド太平洋戦略』は日本の安倍総理が使ったのが最初。経済的政治的に希望の持てる地域である共に不安定な地域でもある。中国経済を潰すわけにいかない。日米の海軍は断トツで中国はどんなに頑張ってもダメ。ベトナム、タイ、マレーシアなどとの友好関係は大事。アメリカが中東への関心を失うと危険なことになる。南西海域を防衛するための輸送力が大事。イージス艦を日本海にしばりつけておくのは賢いことではない。南西海域、ソマリア沖にも使えるようにするのが正しい。二十数万の台湾軍は密度の高い軍隊。小さな島に二十数万の軍がいる。要塞国家。一挙に台湾を落とすことはできない」。

 

 

 

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千駄木庵日乗一月二十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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2020年1月27日 (月)

日本皇道精神と現代の危機


「皇道」とは、「皇神の道義」のことである。天照大御神より今上天皇に至る皇統連綿・万世一系の「神の道」を「皇道」と申し上げる。これは、わが日本民族が肇国以来継承し保持して来た道である。

「皇道」は、歴史を貫くわが国の道統の体現者であらせられ、わが国伝統信仰の祭祀主であらせられる天皇が「神の行いのまま即ち神ながらに行いたまう大いなる道」を言うのである。 

神の行いのままに生きられる天皇の御本質を「現御神」即ち「現実に現れたもうた神」「地上に生きたもう神」と申し上げる。

わが国の理想の姿は、神聖なる権威を持たれる天皇の道、即ち皇道によって国家が治まり国民が幸福な生活を営む姿である。

大化改新後の「詔書」によると、外国の使臣(君主の代理、国家の代表として外国に派遣される使者)に「詔書」を発せられる場合には、「明神御日本天皇詔旨」(あきつかみとひのもとをしらしめいすめらみことのみことのり)、国内の重大事には、「明神御大八洲天皇詔旨」(あきつかみとおおやしましらしめすすめらみことのみことのり)と書き出すことが決められていると承る。これは、天皇の神聖性と国家統治のあり方を正しく示している。

日本天皇は恣意(自分の思うまま。思いついたままの考え)のままに日本国を統治されるのではなく、神の御心のまま、皇道に則って統治されるのである。つまり力でも単なる権威でもない「道」による統治が天皇の日本国家統治なのである。日本ほど理想的な国はない。

天照大神は、絶対独裁め全知全能の唯一絶対神ではなくて、一切の自然や人に宿る神即ち八百万の神々の特質・力を生かし高めて総合して下さる神である。そして、天照大神の御使命を地上において実現される方が、現御神日本天皇であらせれる。

だから、神武天皇の日本建国も、ただ単に武力による征服平定ではなくして、日本国中の国津神(国土の神)や民衆を、その同意を得て統合し融和して調和して日本国を建てられたのである。

天皇が現御神であるということは、天皇が一神教の神即ちキリスト教のゴッドのような全知全能の神であるというのではない。「今生きておられる神」「この地上の実在する神」「人にして同時に神なる方」ということである。これがわが日本の特有の皇道精神である。

日本の文化の根底には皇道がある。皇道精神がわが日本國體の基本である。皇道精神は、今日唯今も生きている。わが国には太古以来の信仰が今もわが国民の日常生活に生きている。祭祀は、日本天皇が行いたもう宮中祭祀によって今日ただ今も太古のままの生きた姿でくり返されている。 

伊勢の神宮に代表されるように神殿も太古以来のまま今日の継承されている。伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

あらゆる日本の文化の根底には皇道がある。日本皇道は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなお国民信仰として脈々とその生命を伝えている。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

万世一系の皇統は、高天原より地上へ、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと時間を超えて一貫して連綿として皇道が伝えられている。 
現代西洋文明は没落しつつある

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から東洋文化とりわけ日本伝統文化へと回帰しなければならない。

自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で体験する農耕民族たる日本民族の信仰精神即ち日本皇道が世界の神の平和を作り出すであろう。

一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本皇道精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

西洋精神は、キリスト教もマルクスレーニン主義も、一人の教祖の説いた教義・一つの書物に書かれた教義を絶対的なものと信ずる。一神教的ものの考え方が、いかに世界に闘争を持ち来たしたかは、ロシアや支那や朝鮮やカンボジアなどにおける共産主義思想による殺戮、アイルランドやアラブや旧ユーゴなどにおける宗教戦争を見れば明らかである。

皇道精神は排他独善ではない。自由自在にして大らかなる日本皇道精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。

日本皇道は、大自然を尊ぶ。日本皇道は、大自然から、人生を学び、生き方を学び、国の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の御子)」であり「日女(日の神の姫御子)」なのである。

日本人は、森羅万象ことごとく神ならざるものはないと信じている。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが国は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

人も国土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは全く異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一体の存在であると考える。

闘争と自然破壊に明け暮れる現代世界を救済するのには、日本皇道精神が大きな意味を持つ。これからの時代において、古代の日本より継承されて来た日本皇道精神は大きな使命を有している。

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千駄木庵日乗一月二十六日

午前は、諸事。

 

午後は、本日行う講演の準備・資料整理など。

 

午後六時より、春日の文京区民センターにて、「第百二回日本の心を学ぶ会」開催。林大悟氏が司会。渡邉昇氏が主催者挨拶。犬塚博英氏及び小生が講演。

 

帰宅後は、原皇執筆など。

 

 

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2020年1月26日 (日)

習近平の国賓来日は即刻中止すべきである

河野太郎外務大臣は、今月十四日、米シンクタンクの米戦略問題研究所(CSIS)で講演し、尖閣諸島周辺で共産支那公船が活発に活動していることに懸念を示し、習近平国賓来日を取り上げ、「心から日本が歓迎するには状況を改善するよう努力すべきだ」と語った。そして支那共産が南支那海で一方的な『現状変更』を試みていることを指摘し、「このような中国の姿勢は見過ごせない」と指摘した。そして支那が航行の自由や法の秩序を蔑にする場合は、「それ相応のコストを支払ってもらうような状況を国際社会と連携して作るべきだ」と語った。

 

日本の国防を担当する閣僚として当然の発言である。安倍総理も、茂木敏充外務大臣も共産支那に対してもっともっと厳正な態度で臨むべきである。日本やアジアに対する侵略策謀を繰り返し、独裁専制政治を行っている共産支那の最高権力者・習近平を国賓として迎えるなどということがあっていいはずがない。

 

米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古移転か遅れている。これは支那の侵略を撃退するというわが国にとって最も移設な国防戦略をぶち壊そうとするわが国内の親共産支那勢力・偏向メディアの策謀によるものである。

 

ともかく共産支那による日本アジア侵略策謀に協力するわが國内の売国勢力を徹底的に排撃すべきである。また政府は支那に対して厳正なる態度で対するべきである。習近平の国賓来日を即刻中止すべきである。

 

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千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、諸事。

この後、『政治文化情報』発送作業。発送完了。資料の整理など。

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2020年1月25日 (土)

伊勢皇大神宮を詠んだやまと歌

第一〇三代・後土御門天皇は、明応四年(一四九九)「伊勢」と題されて、

「にごりゆく世を思ふにも五十鈴川すまばと神をなほたのむかな」

と詠ませられた。

後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震・武家の専横などがあり、皇室の衰微が極に達した。崩御になられた後、御大葬は行われず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだという。この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。

今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本国民は神に熱祷しなければならない。伊勢の皇大神宮に参拝すると本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを實感する。

「ここは心のふるさとか そぞろ詣(まい)れば旅ごころ うたた童(わらべ)にかへるかな」

 吉川英治が昭和二十五年十二月、五十八歳の時、『新平家物語』執筆のための取材旅行の途次、伊勢の皇大神宮に参拝して詠じた歌である。実感した心をそのまま素直に歌にしてゐる。伊勢に参拝した日本人誰もが抱く心が歌はれてゐると思ふ。

矢野憲一氏はこの歌について、『わたしたちのお伊勢さま』所収の「私達の伊勢神宮」といふ文章で、「内宮神楽殿で、『即興でお恥ずかしいが……』と書かれた歌です。この歌から『心のふるさと』という言葉が有名になりました。玉砂利の参道を歩きながら吉川英治が、子供の心に返る思いがすると詠じたように、なぜ神宮は懐かしい感じを私たちに与えるのでしょうか。それは日本人皆につながる大御祖(おおみおや)神がおまつりされているからです」と書いてゐる。

日本人の伊勢の大神への崇敬の心は、教義教条に基づくのではない。日本人としてごく自然な畏敬の心である。だからこそ、伊勢の神宮の神域に入ると大いなるものへの畏敬の心に充たされ、童に返ったやうに素直な清らかな心になるのである。

イエスキリストは、「幼兒の如ごとくならずば、天國に入ること能はず」と言ったが、日本人は、伊勢に参宮することによって「うたたわらべにかへる」のである。ここが日本伝統信仰の素晴らしいところである。

この歌は、『吉川英治文庫』所収の「川柳・詩歌集」には、「伊勢神宮にて」との題詞がつけられ、「ここは心のふるさとか ひさの思ひに詣づれば 世にさかしらの恥かしく うたたわらべにかへるかな」とある。即興の歌を推敲したのであらう。「ひさの思ひ」とは、久しく参ってゐなかった懐かしい思ひ、といふほどの意であらう。

伊勢の神宮は日本伝統信仰の結晶である。日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統信仰が現実のものとして顕現してゐる。日本伝統信仰とはいかなる信仰であるかは、伊勢に参宮して神を拝ろがめば感得できる。理論理屈は要らない。

伴林光平は、

「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ)に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」

と詠んだ。

これも、伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりまします故に伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。

「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思はれ、自分自身も神代の人のやうに思はれる」といふ意である。光平は、「今即神代」の信仰を、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴へてゐる。

伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。

 保田與重郎氏は、この光平の歌について論じ、「神苑の杉の並木を歩いてゐると、いつの程にか神代の心に我身我心もなりきってしまふといふ意で、神宮参拝の心持を非常によくうつした名作である。…樹そのものが神と思はれるのである。さうしてその感覚の中では、自分と木は一つになる。…大木を大切にすることの必要さなどといふことは、大木を見て神を知った者は必ず切実に感じる。さうしてさう感じる心が、即ち日本の本質である。日本の生々発展の神の創造力に奉行し得る。…大木を見ても、たゞこれを伐って何に利用しようかといふやうに考へるたぐひの心持が、日本人の一部に動いてゐるが、私はこれを無限に悲しみ、憤ってゐる。…この神苑の大杉は物ではなく、神である。この感覚が永久に日本を支へる感覚である」(橿ノ下)と述べておられる。

西行は、治承四年(一一八〇)六十三歳の時、三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り住んだ時に、

「何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるゝ」

と詠んだ。

若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において、

「おのづから 神にかよへる いにしへの 人の心を まのあたり見む」

と詠んでゐる。

窪田空穂は、

「遠き世に ありける我の 今ここに ありしと思ふ 宮路を行けば」
と詠んだ。

伊勢皇大神宮は、「今即神代」「天地初発之時」への回帰を実感する祭りの聖域である。「今即神代」「天地初発之時」といふ時の「今」とは、時間的感覚でとらへられる「過去・現在・未来」の中の「現在」ではない。「久遠の今」である。それは、ミルチャ・エリアーデの言った「かの初めの時」であり、キリスト教の「われはアルファでありオメガである」、佛教の「久遠元初」と近い意義を持つと考へる。まさに伊勢の神宮は「心のふるさと」なのである。
吉川英治は、次のやうな俳句も詠んだ。

「昭和十四年霧島にて
霧島に 神の子われも 詣でたり」

 宗教の根底にあるものは、天地自然の中に生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮をはじめとした日本の神社は、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地である。

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千駄木庵日乗一月二十四日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料整理。書状執筆。明後日の講演の準備。

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2020年1月24日 (金)

伊勢皇大神宮について

 

 

伊勢参宮においては、「外宮先祭」と言って、皇大神宮(内宮)より先に豊受大神宮にお参りするしきたりがあると承る。

 

真弓常忠氏は「外宮先祭」について、その著『大嘗祭』で、「天照大神もまた、(天皇が天照大神に新穀を奉られるのと同様に・註)この新穀をきこしめすにあたってサバをサバの神に奉られる。皇大神宮にとってサバの神に相当するのは、御饌都神(みけつかみ・神饌を掌られる神)である豊受大神宮にほかならない。ここに外宮先祭の理由がある」と論じてゐる。

 

「サバ」とは、「サバ」とは、「さんばん」とも言ひ、仏教語の「散飯」(さば。三飯、三把とも書く)から出た言葉。「散飯」とは、衆生の飯米の意で、食事の初めに少量を取りわけて神や衆生などに供へるものとされる。

 

民俗学者の坪井洋文氏の説によると、「サバ」にはお初穂の意味があり、神の前に撒いたり供へるといふ。そして、関西地方で盆や正月に、健康でゐる両親や親方に塩鯖,刺鯖を贈る習俗があるが,目上の人に生飯を贈ることが転じて鯖になったものである、といふ。 

 

豊受大神宮は、第二十一代・雄略天皇二十二年のご鎮座と承る。豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)即ち五穀の神・衣食住・産業の神と仰がれる。はじめは、丹波國比治の眞名井が原といふ所に鎮座されてゐたが、雄略天皇の御夢に、天照大神のお告げがあり、そのお告げを体して皇大神宮の近くの山田原に神殿が造営されたと言ふ。

 

太陽が存在しなければ万物万生は生存しない。また祖先や親が存在しなければ子孫は生まれて来ない。皇大神宮に祀られてゐる天照大御神は、皇室の祖先神であると共に、万物万生の生命の源の神であられる太陽神であられる。即ち、天照大御神は、わが國伝統信仰の最高神・大親神として崇められる。

 

豊受大御神は、天照大御神お召し上がりになる大御饌(御食べ物)の神であらせられる。そして全ての生き物は、食べ物がなければ生きて行けない。豊受大御神は、全日本人が食する食べ物の神であらせられる。

 

矢野憲一氏は「生きていく、生かせていただく最大にして最小の要素が、内宮と外宮の御神徳に集約され、日本人として、いや人間として感謝すべき源が伊勢でおまつりされているのです」(『私たちの伊勢神宮』)と論じておられる。

 

内宮及び外宮正殿に見られる建築様式は「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれてゐる。特徴は高床・切妻の建物で、萱葺の屋根に千木と鰹木が付いてゐること、柱はすべて根元を地中に埋めた掘立式であることなどといふ。弥生時代の高床式倉庫(掘立小屋)が発展したものと考へられてゐる。稲作文化の國日本の神を祭るに相応しい神殿の造り方である。

 

鈴木大拙氏著『禅と日本文化』に次のように書かれている。「禅の茶道に通うところは、いつも物事を単純化せんとするところに在る。この不必要なものを除き去ることを、然は究極実在の直覚的把握によって成しとげ、茶は茶室内の喫茶によって典型化せられたものを生活上のものの上に移すことによって成しとげる。茶は原始的単純性の洗煉美化である」「茶人は書いている『天下の侘(注・わび)の根元は、天照大御神にて、日(本)国の大主にて、金銀珠玉をちりばめ、殿作り候へばとて、誰あって叱るもの無之候に、茅葺・黒米の御供、其外何から何までも、つゝしみふかく、おこたり給はぬ御事、世に勝れたる茶人にて御入候』(石川流「秘事五カ条」)この筆者が天照大神をわび住居をする代表的な茶人と見なしているのは面白い。しかし、これは茶の湯が原始的単純性の美的鑑賞であること、換言すれは、茶は人間の生存が許しうるところまで自然に還って、自然と一つになりたいという、われわれの心奥に感じる憧憬の美的表現であることを示している」。

伊勢の皇大神宮の簡素さ、清浄さ、神聖さが、「原始的単純性の洗煉美化」「自然と一つになりたいという、われわれの心奥に感じる憧憬の美的表現」であると論じているのである。

世に宗教の殿堂は数多くあるが、伊勢の皇大神宮くらい簡素にして清らかで神々しい神殿は存在しないと思ふ。宗教の殿堂には金銀珠玉をちりばめた豪華絢爛たる建物がある。覇者を神として祀った日光東照宮などはその典型ではないだろうか。

伊勢皇大神宮のご正殿から荒祭宮に向かふ途中に、御稲御倉(みしねのみくら)、外幣殿(げへいでん)がある。御稲御倉は、御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)をお祀りする祠である。祠といふことは穂倉であり、神宮神田で収穫された抜穂の御稲が納められてゐる。外幣殿は、古神宝類が納められてゐる。どちらも、高床式の穀倉から神殿に昇華した建物である唯一神明造である。

「唯一神明造」とは、弥生時代の高床式の穀倉形式である。檜の素木造(しらきづくり)の掘立式(柱の素を直接地中の埋めて作る方法)で造営されてをり、屋根は茅葺である。素朴であり、何の豪華さもない。しかし、言ふに言はれぬ清浄さと威厳がある。日本文化の簡素さと清浄さを体現する建物である。日本人の信仰精神の結晶である。

神を祀る社殿のことを祠(ほこら)と言ふのは、穂倉(ほくら)に由来するといはれる。人々の生命の根源である稲などの穀物の収蔵庫は神聖視されたので、神のまします建物が穂倉の形になったのであらう。

原初、わが国の伝統信仰には神殿は無かったとされてゐる。日本の神々は、祭祀が行はれる時に、神が居られるところから降臨されて、樹木や石などに依りつき、祭祀が終了すると元の所に戻られるとされる。今日の祭祀においても、降神の儀・昇神の儀が行はれてゐる。大神神社は今日においても、三輪山そのものが御神体であり、神殿はない。

しかし、時代の推移と共に、自然に神殿が造営されるやうになった。何故神殿が造られるやうになったのか。榎村寛之氏は「自然神から人格神に発展する過程で発生した」(『古代・律令体制の造替の開始』)と説いてゐる。これも一つの考へ方である。

「唯一神明造」の神殿は、日本人が生きてゆくために食する穀物を納める蔵の形に神殿が造られてゐる。まさに日本の命の本源の神が鎮まられる祠である。

 

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千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。執筆依頼など。

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2020年1月23日 (木)

日本傳統精神とは稲作生活から発した自然と人間の共生の精神

 我が國には神話時代(神代)以来の傳統精神がある。日本傳統精神とは、生活の中の中から自然に生まれた精神で、天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)を基本とする。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一観(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などが生まれた。それは古代日本の稲作生活から発した大自然と人間の共生の精神である。

日本傳統精神は文献的には「記紀」と「萬葉集」に示されている。そしてそれを常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇である。日本の傳統精神・生活・文化の基本・核は天皇の祭祀である。

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ込むというのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心・祖先を尊ぶ心である。きわめて自然で自由で大らかな精神である。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

再生と循環は自然の思想である。古代日本人は自然の再生と循環の中に共に生きて来た。日本人は、人の命も自然の命も永遠に共生し循環し続ける事を実感してきた。しかるに今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。自然破壊は何としても是正されなければならない。

日本傳統信仰は、人の命と自然の命を神聖なるものとして拝ろがむ精神である。祭祀という神人合一の行事はその實践である。その最高の祭り主・日本傳統信仰の體現者が日本天皇であらせられる。

わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。日本傳統精神すなわち「日本人が歩むべき道」とは「日本の神々の道」である。したがって、伊耶那岐命・伊耶那美命・天照大神をはじめとする日本の神々を祭られる日本天皇が、日本の道を体現されている方であると信じた。つまり「日本の道」は実体の無い抽象的な教義として継承されてきたのではなく、<天皇の祭祀>という現実に生きた行事によって継承されてきているのである。

わが國の傳統精神における最も大切な行事は祭祀である。「祭祀」とは神に奉仕し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。さらに、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践である。つまり人と自然の本来の姿を回復する行事が祭りである。
そしてそれは、明るく平和的な行事である。動物や人間を生贄として神に捧げる事はしない。

 わが國民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい平和的精神を持っているということである。日本民族は本来的に残虐でもないし、厭世的でもなければ逃避的でもない。また排他的でもない。それがわが國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきている。この「祭祀」の精神が、戦争・闘争テロが繰り返され、自然は破壊され、人の命は軽視される現代を救済し打開する原理となると確信する。

我が國傳統信仰は自然神・祖先神の命と、人の命とが結ばれる信仰である。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきた。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それがわたつみ(神神)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。
 我が國傳統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

 その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来た。

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。ゆゑに、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同體の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。ゆえに天照大御神は、日神に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるようになった。天照大御神は、日の神=自然神と、皇祖神=祖先神との二つの面を持つ女性神であられる。

天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。

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千駄木庵日乗一月二十二日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、室内整理。『伝統と革新』編集の仕事。

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2020年1月22日 (水)

宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。


靈元天皇をはじめとした江戸時代の歴代天皇は、朝廷の儀式を調査・研究あそばされ、「応仁の乱」以来衰退してゐた朝廷の儀式の再興に努力あそばされた。そして、実際に皇太子冊立の儀・伊勢例幣使・賀茂祭など多くの朝儀が再興された。

そして、東山天皇の御代の貞享四年(一六八七)十一月十六日、後土御門天皇即位時の以来中絶してゐた大嘗祭が、二百二十一年ぶりに略儀ではあったが再興された。桜町天皇の御代の元文三年(一七三八)には大嘗祭と新嘗祭が本格的に再興された。

江戸期の歴代天皇がいかに祭祀・神への祈りを大切にされてきたかは次に掲げさせていただく御製を拝すれば火を見るよりも明らかである。

後陽成天皇
天てらす神のいがきのすゑとほく治めしるべき世をや祈らむ

神にしもなほ祈りなば治まれる世のゆくすゑは千代もかぎらじ

後水尾天皇
いかでなほめぐみにあはむ神やしろかけて祈りし心ひとつに

靈元天皇
朝な朝な神の御前にひく鈴のおのづから澄むこゝろをぞ思ふ

あと絶えずはこぶあゆみを雪の上に見るもかしこき神の広前

まもれなほ神の宮居に引くしめのすぐなれと世をいのる誠は

桜町天皇
新嘗の赤丹(あかに)のはつ穂もろ人にとよのあかりの今日たまふなり

天てらす神ぞ知るらむ末ながき代々のひつぎを祈るこゝろは

桃園天皇
もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)のひかりとぞおもふ

光格天皇
朝ごとにかけてぞ仰ぐあきらけき八咫(やた)のかゞみは神の御影(みかげ)と

孝明天皇
國民のやすけきことをけふこゝにむかひて祈る神の御前に

わが命あらむ限(かぎり)はいのらめや遂には神のしるしをもみん

奉るそのみてぐらを受ましてくにたみやすくなほ守りてよ

宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。「神話」の精神は今こそ回復されるべきなのである。「神話の精神」こそが現代の混迷を救済する。宮中祭祀は今に生きる神話であり現代救済の原基である。決して現代にそぐはなくなってはゐない。天地自然の神、祖靈への祭りの精神の回復こそが現代を闘争・戦争・自然破壊・人心の荒廃を救済する道である。天皇・皇室が福祉事業を直接行はれるよりも祭祀の方がよほど大切である。否、大切どころではない。祭祀こそ、天皇・皇室の最高のご使命であり、現代日本を救済する原基である。

祭祀は精神の荒廃を救済し、神のご加護を持ち来たす最も基本的な手段である。日本の神の実在を信じない人にはこのことはいくら説いても無駄である。

天皇が日本国の祭祀主として五穀の豊穣と国民の幸福を祈られるため祭祀を行はせられてゐることが、天皇が神聖なる権威の基なのである。日本傳統信仰の祭祀が科学技術文明による荒廃を救済する。

繰り返し言ふが、宮中祭祀は、現代に生きる神話である。ミルチャ・エリアーデは「神話とされるものは、〝かのはじめの時〟に起こったある出来事や、その時に生きていた人物について語られただけではなく、原初の出来事、原初の人物と直接、間接に関係を持つすべてもまた神話なのである。…神話はその性格の如何にかかわらず人間の行動に対してだけでなく、人間自身の条件に対しても常に、先例であり、範例である。」(『聖なる時間・空間』)と論じでゐる。
個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

日本の神話は、天皇の祭祀によって生きた現実として太古より今日まで継承されてきてゐる。世界に国家多しといへども、建国以来、国家君主が祭祀を行ひ続けてゐる国は日本のみである。宮中祭祀は、現代に生きる神話であり、文化・文藝・政治・経済・宗教など人間のあらゆる「いとなみ」を聖化し「いとなみ」の模範となる行事である。

大嘗祭・新嘗祭をはじめとした宮中祭祀には、日本民族の傳統的世界観・国家観・人間観・神観が示されてをり、日本文化の中核である。

祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

宮中祭祀を中核とする日本の祭祀は、自然神と祖霊を祀る行事である。今日、公害・自然破壊・核兵器など物質文明・近代科学技術文明が生んだ様々な「悪」によって人類全体が大きな危機に瀕してゐる。科学技術文明が徹底的に生態系を破壊せんとしてゐる。文明の進歩によってかへって人間の生命が蝕まれ精神が荒廃してゐる。

かかる状況を打開するためには、イデオロギーや特定の教義によるのではなく、自然と共に生きるといふ日本傳統信仰を回復し、自然と人間に宿る生命を護る態度を養ふことが大切である。宮中祭祀を中核とする日本傳統信仰の祭祀こそ、その原基となるのである。

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千駄木庵日乗一月二十一日

午前は、諸事。室内整理。

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2020年1月21日 (火)

「天皇の國家統治」とは

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事をいふ

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事を言ふのであり、天皇が日本國の元首であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

祭祀國家・信仰共同体であった古代日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。

この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。

天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。

さらにいへば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

 ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

「天皇は君主にあらず象徴なり」と主張する事は、わが國の尊い國體を隠蔽し破壊することとなる。「わが國は天皇を君主と仰ぐ君主國である」といふ建國以来の傳統即ち日本國體を破壊する危険がある。わが國建國以来の天皇を君主と仰ぐ國體は護りぬかねばならないし、正しく開顕しなければならない。

天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる。「現行占領憲法」においても、天皇は日本國の君主であり元首であり統治者であらせられる。

日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正しさらには國體破壊を防ぐめには、天皇は日本國の統治者・祭祀主であらせられ日本國は立憲君主國であることを明確に成文憲法に規定すべきである。

信仰共同体の君主・祭祀國家の祭祀主であらせられ、國家と國民を統合される神聖にして至高の御存在であるといふ古代以来の天皇観を正しく表現する正統なる憲法に回帰すべきである。 

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千駄木庵日乗一月二十日

午前は、諸事。

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2020年1月20日 (月)

大野健雄氏の正統なる天皇論

大正五年生まれで、京都大學法學部卒業、昭和十四年内務省採用、宮内庁総務課長、京都府県警察本部長、近畿管区警察局長を歴任された大野健雄氏の著書に『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』がある。大野氏は後藤田・中曽根両氏と大体同年代で同じ内務官僚である。後藤田・中曽根両氏と同じく軍隊経験もある。大野氏はこの書物において後藤田・中曽根両氏とは全く正反対の正統なる國體論・天皇論・憲法論を展開されてゐる。

大野氏はその著書『なぜ天皇を尊敬するのか─その哲學と憲法』の「憲法篇・第四章 天皇は君主である」において次のやうに論じてをられる。

「天皇は君主である。当然過ぎる位当然で題名にすること自体如何かと思われるのであるが、君主ではないなどという日本人がいるので事がややこしいのである。それも精神病院にでもいるというのなら話は分るが、一応世間的には學者という事になっている人物なのでまこと慨嘆に堪えない訳である。」と論じてゐる。

「世間的には學者という事になっている人物」のみならず「世間的には政治家それも内閣総理大臣・内閣副総理といわれた人物」にも、天皇は君主ではあらせられないと思ってゐる人物がゐるのである。まことにもって慨嘆に堪へない。

宮沢俊義・清宮四郎両氏が「天皇が『君主に共通な標識』を持ってゐないから、天皇は君主ではなく日本國は君主制ではない」と説いてゐることについて大野氏は、「宮沢、清宮両氏の標識と称するものも…ヨーロッパ諸國の君主について、歴史上見られたと思われるものを抽き出したもので別に大した権威のあるものとは思われず…我が日本の國に適用せらるべき標識とは思われない」と論じてをられる。

ちなみに、宮沢俊義氏のいふ『君主に共通な標識』とは「a独任機関であること b統治権の主要な部分、少なくとも、行政権を有すること、c対外的に國家を代表する資格を有すること d一般國民とは違った身分を有し、多くの場合その地位が世襲であること eその地位に傳統的ないしカリスマ的な威厳が伴うこと f國の象徴たる役割を有すること」であるといふ。

大野氏は、「天皇は立法権に対しては日本國憲法第七条の國會の召集権、衆議院の解散権をお持ちになり、六条によって行政府の長たる内閣総理大臣を任命し給い、さらに司法に対しては最高裁判所の長たる裁判官を任命し給う。これ等は統治権の最も重要な部分と言わずして何ぞや。…天皇の権威にして初めて有効になし能うのであって、天皇以外何人もなし得ないものである」。

「(外國大公使の接受)とは外國の代表である大使公使の信任状の奉呈を受け給うことを含む極めて重要な天皇の大権であり、単なる儀礼的なことではない」
「十九世紀のヨーロッパの覆滅常ならざる諸君主に共通すると称する標識の解釈によってはじめて君主であらせられるのではなく、天皇は太古以来『おおぎみ』にましまし、君主でない天皇など日本國民にとって夢想だにできるものではない。」
「前述の標識の如きは、本来天皇が勿論君主であらせられることを大前提としてそれに適合するような解釈を施すべきであり、もしそれが困難な標識ならば標識の方が間違っているものとして捨て去るべきである。…天皇はもとより君主にましまし、わが國は日本國憲法のもとにおいても立憲君主國であって、象徴的君主制ということができよう」と論じてゐる。まさに正論である。

今日、グレートブリテン・北アイルランド連合王國(イギリス)、スウェーデン王國、オランダ王國など自由民主政治が行なわれている國の君主は、いふまでもなく専制君主ではない。また政治的実権を持っていない。しかし、各國の國王は國民から君主と仰がれてゐる。「政治的実権を持たないから君主ではない」などといふことはない。

日本天皇の「憲法上の御地位」は、独任機関であり、國事行為といふ統治権を有し、対外的に國家を代表する資格を有し、一般國民とは違った身分を有し、その地位はいはゆる世襲であり、傳統的な威厳が伴ひ、國の象徴たる役割を有してゐる。現行占領憲法上の天皇の御地位も、宮沢俊義・清宮四郎両氏がいふ『君主に共通な標識』を十分に充たしてゐる。

『現行憲法』においても、天皇が君主であり日本國は立憲君主國であるといふことはあまりにも明白な事実である。ただし、わが國を弱体化する事を目的として銃剣の圧力で押し付けられた『現行占領憲法』の「天皇条項」が日本國體の真姿を正しく明確に成文化してゐるとはとても言へない。『現行占領憲法』の一日も早い全面否定が必要である。

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千駄木庵日乗一月十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆など。


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2020年1月19日 (日)

中曽根康弘・後藤田正晴両氏の國體否定につながる論議

近年は正統な國體論・國家論・天皇論を學ぶ機會が無い政治家が増えてゐる。「天皇はわが國の君主であり、わが國は立憲君主國である」といふ明々白々たる事実、わが國建國以来の國體否定につながる論議をする政治家は、戦後教育を受けた人だけではない。

大正生まれの政治家、それも政府与党の枢要な地位と役職を経験して来た政治家にも存在する。

何回も書いて来た事だが、内閣官房副長官といふ官僚の最高位に昇りつめ政治家としても内閣副総理といふ枢要な地位についた後藤田正晴氏は、國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではないといふ意識の持ち主であった。

後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣という名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

これは天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國國體を否定し、現行占領憲法体制下においても、わが國は立憲君主制であるという自明の理を否定する発言である。

後藤田氏はまた、「私が役人になった戦前は天皇制であり、当時は官吏といわれていた。…統治権を構成している一員の立場にあり、一方、國民は被治者の立場にあった。…ところが現在は新しい憲法によって國民主権が確立し、役人は全体の奉仕者つまり國民に対してサービスを提供する立場にある。戦前と比較すれば、主客転倒した関係になった」と述べてゐる。(『政治とは何か』)

さらに、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏は次のやうに述べた。
「中曾根康弘 私は國民投票による首相が望ましい姿だと思っています。中曾根内閣はいわゆる大統領的首相の手法でやったのです。というのは、いまの憲法上の首相の地位も、アメリカの大統領より強いですよ。最高裁裁判長も閣議で推薦するとか、自衛隊の最高司令官になっているとか、國會の多数党の首領になっていればアメリカの大統領より権限は強いのです。しかし、それをよう使いませんね。それは吉田茂さんに罪がある。あの人は戦前の総理大臣のイメージが頭から消えきれなかった。つまり、天皇を上に置いて、同輩中の首席的総理大臣というイメージですね。だから『臣茂(しん・しげる)』と言ったわけですよ。そういう戦前の古い陋習の総理大臣というイメージを、吉田さんは持っていた。天皇の権威を維持するために、臣茂が一番いいのだと思ったのではないでしょうか。しかし私に言わしめれば、それが間違いなのです。主権はいま國民に在って、天皇ではないのですからね。総理大臣はそういう意味で、そうとうな責任と権限を持っている。だから、思い切ってやればいいのです。天皇は、歴史と傳統と文化による権威を持ち、首相は政治的権力を持つ。」(JUSTICE 平成十三年三月十九日号)

これは後藤田氏以上に重大な発言である。中曽根氏は、「主権は天皇にはなく國民にある。総理大臣は天皇陛下の臣下ではない。総理大臣が天皇陛下の臣下だといふ思想は戦前の古い陋習である」と主張してゐるのである。

ところが中曽根氏は、通産大臣だった昭和四十八年六月五日、参議院内閣委員會で、「自分は過日イラン訪問の際、イラン首相に『日本はアジアの東にあって王制の國です。あなた方はアジアの西にあって同じく王制の國で、ともに古い傳統をもってゐる』と言った」と発言した。

一体中曽根氏の本心はどちらなのであらうか。中曽根氏がかつて言った通り日本國は「王制」(正しくは立憲君主制)であるのだから、吉田茂内閣総理大臣が『臣茂』と言ったのは当然である。國家存立の最も重要な問題で主張が正反対に変化するのはまことに遺憾である。

後藤田正晴氏は、大正三年八月九日生まれ。昭和十四年、東京大學法學部卒。中曽根康弘氏は、大正七年五月二十七日生まれ。昭和十六年、東京大學法學部卒。二人とも大体同年代でしかも内務官僚であり、軍隊経験もあり、同じやうな人生経歴である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点に立った後藤田氏、そして、内閣総理大臣といふ権力の頂点に上り詰め大勲位まで頂いた中曽根氏といふ「保守政治家」の典型と言っていい二人の人物がこのやうな発言をしたのである。

後藤田氏や中曽根氏は、建國以来の日本の國體と傳統を保守する政治家ではないと思はれても仕方がない。昨年末、中曽根氏が亡くなった時、少し誉めすぎたかと今になって猛省してゐる。

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千駄木庵日乗一月十八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内整理、『伝統と革新』編集の仕事。無理をせずゆっくりと仕事をすすめています。

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2020年1月18日 (土)

地名が歌ひこまれた名歌

やまと歌には地名が詠み込まれた名歌が多い。私が生まれ育った東京の地名やよく訪れた京都を詠んだ歌に好きな歌が多い。次の歌がそれである。

與謝野晶子
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき

石川啄木
京橋の滝山町の新聞社灯ともる頃のいそがしさかな

函館の 青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花

浅草の 夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来し さびしき心

吉井勇
かにかくに 祇園はこひし 寐(ぬ)るときも 枕の下を水のながるる

東京の 秋の夜半に わかれ来ぬ 仁丹の灯よ さらばさらばと

             〇

どの歌もロマン精神溢れる美しき歌だと思ふ。


與謝野晶子・吉井勇が歌った祇園はよく行ったし、八坂神社にも何回も詣でた。賑やかではあるが、東山の麓なので喧噪の巷ではない。特に夜は身も心も美しく酔はせる街だと思った。小さな川がながれてゐるのもゆかしいし、維新の凄惨な歴史が刻まれてゐて歴史の中を歩いてゐる気がしてくる。ただ最近は、余りにも観光客それも支那人が多すぎて行くのが億劫になった。

「仁丹の灯」と言ふのは私は見たことがない。それだけに過ぎにしいにしゑの幻が恋しく思はれる歌である。今は隅田川の向かうにスカイツリーが立ってゐる。これもまた美しい。
啄木が詠んだ「京橋の滝山町」とは何処なのか調べてみたい気がする。昭和五十年代前半、ある新聞社の編集部にゐた頃よく通った新聞印刷会社が京橋消防署のそばにあった。だからこの歌は懐かしい。啄木には京都の歌は無く、東京と東北・北海道を詠んだ歌が多い。そのためか内容的には悲しい歌が多いようだ。

わが街千駄木・根津・谷中を詠んだ名歌を見つけることができないのはとても残念である。荷風や鴎外にも無いようである。

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2020年1月17日 (金)

千駄木庵日乗一月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。執筆者選び、執筆依頼の書状執筆。これが最も大切にして大変な仕事である。

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2020年1月16日 (木)

〈日本なるもの〉の回復の時代に生まれた歌集が『古今和歌集』である

清和天皇・陽成天皇の御代頃から、大陸崇拝熱はさめはじめ、國民的自覚・愛國心が勃興してくる。漢才の活用も根底に和魂がなければその価値を正しく発揮できないといふ思想が起こってくる。

 仁和三年(八八七)、宇多天皇が即位されると、天皇親政の復活と摂関藤原氏の抑制に力を尽くされた。寛平五年(八九三)二月、菅原道真の遣唐使廃止の奏状が提出され、翌年遣唐使を廃止された。唐との交流が途絶へ、それまでの外来文化模倣が反省され、日本固有文化が尊重されるやうになった。

 萩谷朴氏は、「宇多天皇が即位されると、その御一代の政策は、親政の復活と摂関藤原氏の抑圧とに、すべての努力が傾注されることになった。…傳統的な和歌の國風を振作することによって、國體意識を明確にし、摂関藤原氏がひとり政権を壟断すべきでないことを政官界に徹底せしめようという、復古維新の文化政策であった。このために菅原道真が指導者となって、平安朝初期百年の間、科挙(註・支那で行はた官吏の登用試験。隋・唐代に始まり、清代の末期に廃止)の制度のためにする漢詩文全盛の蔭に、男子貴族知識層にはほとんど無縁のものとなっていた和歌の詠作を急速に奨励することとなり、…歌合(註・歌を左右に分け、その詠んだ歌を各一首づつ組み合せて、判者が批評、優劣を比較して勝負を判定する)が盛んに催れ、勅撰和歌集の編纂が企てられ、歌物語が流行することとなった」(『王朝の歌人・紀貫之』)と論じてゐる。

 漢風文化隆盛時代の文藝創作者は概ね男性であって、記紀萬葉時代あれほど活躍してゐた女性の影が薄くなってゐた。女性が復活するのは國風文化が復興した後である。言ひ換へると國風文化復興には女性が深く関ってゐたのである。藤原氏の権力壟断・漢風の隆盛・女性の蔑視は、日本傳統精神の衰退であり隠蔽なのである。

ただ、國風文化衰退の時代であっても、和歌がまったく詠まれなかったといふことはあり得ない。和歌とりわけ恋歌は決して衰退しなかったと考へる。ただ漢風文化が社會的に重んじられてゐたがために、和歌が表面に出なかったといふことであらう。和歌が中絶したといふことは全くあり得ない。
 
わが日本の本来的な精神傳統は、記紀萬葉の世界に明らかなやうに健康的であり開放的であり女性を蔑視してゐない。そこが支那との大きな違ひである。

延喜五年(九〇五)醍醐天皇の命により紀貫之などによって、日本の傳統美・風雅を見事に結晶させた勅撰和歌集たる『古今和歌集』が撰進された。漢風文化が殷賑をきはめてゐた時代は社交の具に過ぎなかったといはれる和歌が、日本文學の主流の位置を回復した。

三島由紀夫氏は『古今和歌集』について、「ぼくは日本の文化というものの一番の古典主義の絶頂は『古今和歌集』だという考えだ。…ことばが完全に秩序立てられて、文化がそこにあるという考えなんです。あそこに日本語のエッセンスが全部生きているんです。そこから日本語というのは何百年、何千年たっても一歩も出ようとしないでしょう。…あとどんな俗語を使おうが、現代語を使おうが、あれが言葉の古典的な規範なんですよ。」(『守るべきものの価値』)と語ってゐる。

漢風一辺倒の訂正、國風文化の復興といふ〈日本なるもの〉の回復の時代に生まれた歌集が『古今和歌集』である。漢字といふ表意文字だけでは、日本的情緒が完全には表現できない。漢字と共に仮名文字を用いると自由に豊かに表現できる。わが國の言語文化は世界に誇るべきものがある。

國風文化勃興の中心人物が、菅原道真と紀貫之である。保田與重郎氏は、「やまとうたを稱へて、他國に対して和歌を主張するといふことは、貫之に始り、これが貫之の英雄たる本質である。」(『やまとうた考』)と論じてゐる。

紀貫之と在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗から生まれて来たと言へる。

紀貫之は、『萬葉集』以後衰退してゐた國風の回復と、民族傳統文化の復興に努力した。それは後鳥羽院以後においても宮廷を中心とするわが國文藝史の民族情緒として継承されていった。特に評価されるべきは、『古今和歌集序』に示された言靈思想の回復である。わが國の和歌の道統が、『萬葉集』→『古今和歌集』→『新古今和歌集』と継承されたことにおける貫之の偉業は高く評価されるべきである。

『古今和歌集』で、國風回復を象徴する歌は次の歌である。

美濃國(みののくに)関の藤川絶えずして君に仕へむ萬代までに

 陽成天皇の大嘗祭の悠紀國であった美濃國の神前で舞ひながら歌った「神遊びの歌」(註・神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞。神楽)である。「美濃國の藤川が絶えることがないやうに、大君に仕へよう、永遠に」といふ意。

平安時代の人々の心の中核には天皇仰慕の心と神代への回帰の心とがあった。

在原業平は「大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ」「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」と詠んでゐる。さらに國歌『君が代』の典拠である「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」も『古今和歌集』の「賀歌」である。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、諸事。

午後は、室内整理。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』次号編集会議。終了後懇親会。談論風発。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、諸事。

午後は、室内整理。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』次号編集会議。終了後懇親会。談論風発。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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「人権尊重」を全てに優先させることがかえって人権を蹂躙し人の尊厳性を奪う

 「天賦人権思想」の土台である西洋の國家観は、人民と國家とを対立する存在としてとらえ、國家権力の干渉を出来るだけ排除し、個人の自由を確保することを目指している。たしかに権力によって個人の自由や権利が理不尽に抑圧され蹂躙されることはあってはならない。

しかし、人は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は、多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」は、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。したがって共同体としての國家をいたずらに敵視したり、國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。國家は人間の生きる場であり、人間が生きるためになくてはならぬ共同体である。

『現行憲法』第十三条には「すべて國民は、個人として尊重される」と書かれていて、歴史のある共同体の秩序の中に生きてそれを次の世代にのこすという大切なことが無視され書かれていない。

日本の「家」は破壊されつつある。それは相続の問題によく現れている。『現行憲法』には、人権を歴史と傳統および共同体とのつながりで捉えるという思想がきわめて希薄である。それどころか『現行憲法』は、「國家のみならず家族・家庭は人権の敵だ」とする考え方が生まれる土壌となった。そして現実に家庭と國家の崩壊が起こりつつある。

「基本的人権の尊重」という原理によって本当に戦後日本の國民一人一人の人権が尊重され守られて来たかというと決してそうではない。むしろ國民の人権が侵害され、教育は荒廃し、犯罪は増加し、國民の共生が著しく損なわれてきた。

「人権尊重・個の尊重」を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになる。それは、今日のわが國の現象を見れば明らかである。

今日の日本の教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

「個人の権利」のみを強調する『現行占領憲法』の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が無視され忘却されている。個としての人間の権利の擁護・尊重の思想がかえって人権のみならず生命の安全すら危殆に瀕せしめる状況を生み出している。

人権尊重の思想によって起ったフランス革命やロシア革命の後、それらの國民の人権が蹂躙されたのと同じである。

人権尊重・人権擁護と國防・治安維持とは全く相対立するものだとして、戦後半世紀以上にわたって、國防や治安維持のための有効な施策が講じられて来なかった。その結果として、北朝鮮による我が國民拉致を未然に防止できなかったという最大の人権侵害の悲劇も起った。また、人権尊重ということを目標として政治運動によって学校長など公教育関係者が自殺に追い込まれるというもっとも悲惨な人権侵害が起こっている。

戦後日本は「國家は人権擁護の敵である」という思想に支配されてきた。そして國家以前に人権があるのだから、人権擁護のためには國家は窮極的には否定されるべきであるという思想が幅をきかして、欲望充足のため権利の濫用、他者の権利や共同体の安全を無視する「自由の濫用」となった。

戦後日本が「國家」という観念を極力否定して来たがゆえに、今日、「國民」という言葉よりも「市民」という言葉が使われることが多い。わが國民に「國民としての意識」がなくなり、國籍不明の「市民という意識」が幅を利かせ、國家に対する責任と義務と奉仕が否定されつつある。「市民」とは、國籍も祖先も歴史も傳統も喪失した人々のことにほかならない。つまり「非國民」である。
 
國民意識の喪失とは歴史と傳統の喪失と同意義である。國民意識は、國の傳統・歴史・形・共通の規範を認識している。傳統・歴史・形・共通の規範(道義精神)の中で人権・自由が真に生かされる。傳統・歴史・形・共通の規範を欠いた裸の人間の権利とは欲望の充足であるに過ぎない。

真に國民の自由と権利を尊重するためには、人権とは何か、人権擁護とは如何なることなのかを、考え直すべきである。國民の自由や権利は尊重されなければならないが、権利の乱用を防止し、他人の権利の尊重・他者との共生や公共の福祉・共同体の維持と正しく調和させなければならない。
 
『現行占領憲法』の履き違えた「平和論」と誤った「人権思想」が、今日の混迷の根本原因である。わが國を弱体化せんとして押し付けられた『亡國憲法』・偏向教育・低俗にして偏向したマスコミの三つが、今日の凄まじいまでの道義道徳の頽廃・人権侵害・人命軽視の元凶である。

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千駄木庵日乗一月十五日

午前は、諸事。

 

午後からは、在宅して、明日開かれる『伝統と革新』編集会議の準備、資料の整理など。

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2020年1月15日 (水)

この頃詠みし歌

古き佃煮屋と飴屋に寄りて帰り来ぬ谷中日暮里はゆかしき街ぞ

祖父に背き兄弟との絆を断ち切りて何が調和だ日時計だと思へり(谷口雅宣)

何時もの店に何時もの人々が並びゐて酒呑みをればこの街は平和

自らの歌の下手さはさて置きて現代歌壇の歌を厭へり

高楼といふ言葉はすでに使はれずタワーマンションといはるる建物を仰ぐ

嫌だ嫌だ人は皆老いてゆくそして死に行く人生とはこんなものか

懐かしき友を偲びて夜を過ごす次第に少なくなる同年代

シャワーを胸にかければ動悸も静まりて禊とはかくも有難きこと

ゆっくりと体動かし朝の掃除に励めば心身ともに健やか

捨てるべき物あまりにも多きわが部屋に埋もれて過ごす我にしありけり

酒を呑むと言っても小生(しょうなま)一杯お銚子一本で満足する我

「噂を信じちゃいけないよ私の心はウブなのさ」そんな歌詞がぴったりな我にしあるらし
すめらみことの御稜威の御光日の本を照らしたまへることの尊さ

神を仰ぎ神に祈るも殺し合ひ憎しみ合ひの世は何時まで続く

今年最後の雑誌発送終りたり若き郵便局員が運びゆきたり

歩きスマホどころか自転車スマホ・ジョギングスマホをする人のゐる

毎朝部屋の何処かを掃除することのよろしさよ祓ひ給へ清め給へと

元日の夜空に浮かぶ三日月は混濁の世にさやかなるかも

鈴木宗男村上正邦両氏も長期間拘禁されて責め立てられぬ

歓呼の声とよもし起る大皇居(おほみかど) 大君は御手を振りたまふなり

日出麿師の見事なる書を仰ぎつつ新しき年を寿ぎにけり(大本東京本部七草粥)

この國の永久の榮を祈りつつ有難き七草粥をいただきにけり(同)

夕暮に桃色に染まる東京の空眺めつつ家路につきぬ

佳き人の語り口は今も変らねば いと懐かしき日々思ひ出す

起き出でて立ちて眺むる日の光その耀よひに力湧き来る

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2020年1月14日 (火)

千駄木庵日乗一月十四日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』原稿執筆、脱稿、印刷所に送付。この後、資料整理。、

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2020年1月13日 (月)

『五箇条の御誓文』に示された「天地の公道」とは



『五箇条の御誓文』に、「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されてゐるのは、封建社會の陋習を打破して欧米諸國家に追ひつかうとする姿勢を示したものであるといふ議論がある。しかし、「天地の公道」とは文字通り「天地の公道」であって欧米精神や欧米の諸制度のことではない。わが國古来より継承して来た「一君萬民の理想政治の道」のことである。

明治維新において、議會政治實現が目指されたのは、神代以来の傳統への回帰であり、決して欧米模倣ではない。議會政治・公議を竭す政治は、「天の岩戸開き神話」の天安河原における八百萬の神々の「神集ひ」以来のわが日本の傳統である。

和辻哲郎氏は、「(注・古代日本における)集団の生ける全体性を天皇において表現するということは、集団に属する人々が自ら好んでやり出したことであって、少数の征服者の強制によったものではない。その際全体意志の決定をどういうふうにしてやったかは正確にはわからないが、神話にその反映があるとすれば『河原の集會』こそまさにそれであった。そこでは集団の全員が集まり、特に思考の力を具現せる神をして意見を述べさせるのである。これは集會を支配する者が思考の力であることを示している。全体意志を決定する者は集會とロゴス(注・言語、論理、真理)なのである」(『國民統合の象徴』)と論じてゐる。

議會政治は神代以来の傳統であり、近代になってわが國に西洋がら輸入されたものではないことは、明治二年六月二十八日に執行された『國是一定天神地祇列聖神霊奉告祭』の祝詞に「昔常夜往く枉事多くなりし時、高天原に事始めせる天の八瑞の河原の故事のまにまに」とあることによって明らかである。

「議會政治實現」とは神代への回帰なのである。明治維新における徳川幕府独裁専制政治打倒、一君萬民國家の建設、議會政治實現は、まさに「復古即革新」=維新である。

江戸時代における「旧来の陋習」の一つは身分差別である。明治十一月二十八日に渙発された『徴兵の告諭』には次のやうに示されてゐる。

「我朝上古の制、海内挙て兵ならざるはなし。有事の日、天子之が元帥となり…固より後世(注・江戸時代のこと)の双刀を帯び、武士と称し厚顔坐食し、甚しきに至ては人を殺し、官、その罪を問はざる者の如きに非ず。…然るに大政維新、列藩版図を奉還し、辛未の歳(注・明治四年)に及び遠く郡県の古に復す。世襲坐食の士は其禄を減じ、刀剣を脱するを許し、四民漸く自由の権を得せしめんとす。是上下を平均し、人権を斉一にする道にして、則ち兵農を合一にする基なり。是に於て、士は従前の士に非ず、民は従前の民に非ず、均しく皇國一般の民にして、國に奉ずるの道も固より其別なかるべし」。

今日喧しく言はれてゐる「人権」といふ言葉が、明治五年に発せられた明治天皇の「告諭」にすでに示されてゐる事實に驚かざるを得ない。維新後の新しき世における「士」とは、士農工商の「士」ではなく、兵役に服する國民すべてが「士」であると明示された。一君萬民・萬民平等の理想を、ここに明確に、明治天皇御自ら示されたのである。

市井三郎氏はこのことについて「この徴兵の告諭は、明治二年以来華族・士族・平民という新しい呼称が制定されはしたが、それが幕藩体制下のような身分差別を意味するものではないことを、最も明瞭に宣明したものでした。…『王政復古』が『一君萬民』思想を介して、『四民平等』と深く結びついていたことを確認しておかねばなりません。当時の基準からすれば、『一君萬民』というイデオロギーによって、何百年にわたる封建的身分差別を、一挙に撤廃する手がうたれたことはみごとといわざるをえません。…明治日本は、階層間の移動の高さでは、西洋をはるかに凌駕するにいたるのです」(『思想から見た明治維新』)と論じてゐる。

明治四年八月二十八日、『穢多(えた)非人の称を廃止、平民との平等が布告され、明治五年八月、農民の間の身分差別が禁じられて職業自由が宣言され、同じ月、学制の公布によって全國民の平等な義務教育が法的理念になる。

徳川幕藩体制といふ封建社會においては全國で二百四を数へた各藩が分立してゐたが、「一君萬民」の國體を明らかにした明治維新といふ大変革によって、廃藩置県が行はれ、「大日本國」といふ統一國家意識が回復し、階級制度、身分差別、各藩分立の撤廃が図られた。さらに、自由民権運動が活発化し、民撰議院設立・憲法制定が實現してゆく。これは、欧米の模倣とか欧米思想の影響ではなく、わが國國體精神の回復なのである。

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千駄木庵日乗一月十三日

 午前は、諸事。

午後からは在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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大東亜戦争とはいかなる戦争であったかを記した東条英機元総理の血を吐くような文章

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ」と切言してゐる。

東條氏の『英米諸国人に告ぐ』という遺書には、「諸君の勝利は力の勝利にして、正理公道の勝利にあらず…如何に戦争は手段を択ばずと言ふとも、原子爆弾を使用して、無辜の老若男女を幾萬若くは十幾万を一気に麘殺するを敢てするが如きに至りては、余りにも暴虐非道と謂はざるを得ず」と書かれ、『日本国民諸君』という遺書には、「大東亜戦争は彼より挑発せられたるものにして、我は国家生存、国民自衛の為、已むを得ず起ちたるのみ」と書かれています。
歴史の真実を明らかにし、大東亜戦争がわが国の侵略であったという一方的に断罪を断固として否定し徹底的に祓い清めねばなりません。

東條英機氏は、大東亜戦争とりわけ日本と米英との戦争について『検事の論告より受けたる所感の要点』(昭和二十一年六月五日)といふ獄中で処刑を目前して記した文書で次のやうに総括しています。

「日本は果たして文明に宣戦せりや 戦争は人類の文明生活に破壊を招来するものにして、従て何れの國家も極力避く可きは論を待たず。之れがため平治國際上戦争の原因発生を紛争の危険前に抑止し、常に互譲の精神を以て之れを阻む迅速なる解決を必要とす。殊に大國國家において然り。…大國の威力を以て小國を屈従し正常なる発展を阻止せんとし然も其の目的を達せんがためには其の生存を脅威せんとするが如き行為は果して之れを以て文明的行為と認むべきや。
一、過去数世紀に欧米の東亜侵略、而して其の搾取政策の前に帝國及東亜民族が其の桎梏の前に苦悩せしかは之れを暫く置くも
二、第一次欧州大戦后の英米の帝國に対する國際圧迫。
三、某々大國に於ける東亜移民の排斥。高関税政策、経済ブロックの結成に依る帝國貿易振興の抑制。
四、支那に於て日支相戦はしむる政策の採用。
五、人種差別待遇。
六、大東亜戦直前に於ける平和通商破棄及経済的脅威。
七、日米交渉終期に於ける帝國に対する受入得ざる策、至難なる提案。
検事の論告に依れば、日本は文明に宣戦せりと称するも、寧ろ文明に宣戦せるは以上の事實より帝國を戦争に追い込みたる英米側に存し其の責任は其の負ふべきものなり。蓋し日本は自己の生存を保証せんがため及東亜國民の生存を永久に確立せんがために戦へるものにして、之れ換言すれば人類の真の文明を求めしがためなり(以下略)」。

大東亜戦争とはいかなる戦争であったかを記した血を吐くような文章です。東條英機元総理を始め、我が國の枢要な地位にいた人々二十八名を「文明」と「平和」の名によってその責任を裁くという『極東國際軍事裁判』に対する痛烈なる批判です。

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千駄木庵日乗一月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、室内整理、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2020年1月12日 (日)

『大東亜共同宣言』に示された日本の戦争理念

大東亜戦争開戦当初、日本軍が連合国軍を打ち破り破竹の進撃を続け欧米列強を駆逐したことは、長い間,欧米の植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々を勇気づけた。日本軍の捕虜となったイギリス軍インド人兵士の中からインド国民軍が結成された。そしてインド独立を達成すべく、日本軍と協力して「進めデリーへ」の合言葉のもとインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも,日本の指導・援助で独立を目指す軍隊組織がつくられた。

日本の指導者の中には,戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておく方が良いといふ考へも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたへるため,日本は昭和十八年,ビルマ,フィリピンを独立させ,また,自由インド仮政府を承認した。

日本はアジア諸国家に大東亜戦争への協力を求め,あはせてその結束を示すため、昭和十八年十一月六日、アジア諸国代表(日本・中華民国・満州国・タイ・フィリピン・ビルマの六カ国および自由インド仮政府)を東京に集めて「大東亜会議」を開催した。

会議では,各国の自主独立,各国の提携による経済発展,人種差別撤廃をうたう『大東亜共同宣言』が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。署名した各国代表は、大日本帝国の東條英機総理、満州国の張景恵総理、中華民国南京政府の汪精衛行政院長、タイ国のワンワイタヤコーン殿下、フィリッピンのホセ・ぺ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、そしてチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班であった。この宣言は,連合国の『大西洋憲章』に対抗することを目指してゐた。

『大東亜共同宣言』には、各国が相提携して戦争を完遂し,大東亜をアメリカ・イギリスから解放して道義にもとづく共存共栄の秩序を建設し,大東亜の安定をはかるといふ理念がうたはれてゐた。

「            大東亞共同宣言
昭和十八年十一月六日「大東亜会議」にて採択
抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス        」

終戦後しばらくして東南アジアの国々の殆どが独立を達成した。戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早めるきっかけとなった。

日本が敗戦によって撤退したのち,インドネシアには,オランダが植民地支配を再開しやうとして復帰してきた。これに対し,戦時中,日本によって訓練されたインドネシアの軍隊が中心となって独立戦争を開始し,1949年独立を達成した。

インドでは,日本軍と協力したインド国民軍の兵士をイギリスが裁判にかけたことに対して,はげしい民衆の抗議運動などもおきた。こうして,長く続いていた独立への気運がさらに高まり,インドは一九四七年,イギリスから独立した。そのほかにも,ビルマは戦後,植民地支配を再開したイギリスから改めて一九四八年に独立を勝ち取った。

かうした事実は、大東亜戦争においてわが国が戦争目的としたことが実現したことに外ならない。勝った國である米英ソよりも、日本の方が倫理的に高かったといふことである。

深田佑介氏は、「極東国際軍事裁判による歴史観を見直すべき時期が到来している…この裁判においては、『民主主義対ファシズム』という対立図式を硬直的、教条的に適用し、戦時における日本の行動は全てファシズムによる悪と断罪した。この裁判に基く歴史観に戦後日本が支配されてきたのは、まことに不幸であった…大東亜会議は『アジアの傀儡を集めた茶番劇』では決してなかったのである。戦後、バー・モウは『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、或いは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない』(『ビルマの夜明け』)で述べる。この誤解している諸国民の中に『日本国民』自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇がある」(『黎明の世紀』)と論じてゐる。

終戦時の関東軍作戦参謀・草地貞吾氏は、「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に与えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く伝えなければならない。」(『大東亜戦争大観論』)と論じてゐる。

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千駄木庵日乗一月十一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、室内整理整頓、原稿執筆など。

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2020年1月11日 (土)

{ 「第102回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ

日本の伝統信仰を考える


 日本人は何千年にもわたる歴史のなかで独自の信仰をはぐくんできました。
 私たちの先祖は自然の中で稲作を中心とした農業や、漁業を行い生活してきました。
 自然は人間に恵みをもたらしますが、同時に猛威をふるい害を与えることもあります。
 日本人はそんな自然の中に神の働きを感じ、祭祀を行い感謝の心をささげてきました。
 この伝統信仰は六世紀には神道と呼ばれるようになりました。
 神道は古代から国民の生活と密接にかかわっており神道の伝統の中には日本人の価値観や叡智が生きております。
毎年数多くの人が地域の神社へ初詣に参拝することを見てもこの信仰は過去の遺物ではなく今を生きる伝統であることがわかります。
昨年の皇位継承にまつわる一連の儀礼は日本の祭り主が天皇であり、天皇の祭祀によって統合される祭祀共同体としての日本国の本姿をはっきりと多くの国民の前に示したように思います。天皇の祭祀によって日本の伝統信仰は今を生きる神話として継承されております。
日本の伝統信仰を見直すことは知ることは日本人が歩んできた道をもう一度見直すことにもなります。
今年最初の勉強会では日本の伝統信仰について考えてみたいと思います。

【日 時】令和2年1月26日(日)午後6時より
【会場】文京区民センター 3-B会議室
http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html
文京区本郷4-15-14/03(3814)6731
都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分/東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分/都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2分

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

【講 師】四宮正貴氏(四宮政治文化研究所 代表)・犬塚博英氏(民族革新会議 議長)演題は決定次第お知らせします。
【司 会】林大吾
【参加費】資料代1000円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)
【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は主催者が作成しました。

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2020年1月10日 (金)

大東亜戦争開戦と東條英機元総理

 

 「昭和天皇は平和を望んでおられたのだが東条などの軍部が陛下の大御心を無視して戦争に突っ走ったのだ」という意見がある。これは全く誤れる議論である。

昭和天皇が平和を望んでおられたのは明白なる事実であるが、東條氏が、陛下の大御心を無視して戦争を始めたなどというのは絵空事である。昭和天皇は東條氏を深く信頼あそばされていたことは戦争直後から最近に至るまでに発表された数々の文書などによって明らかである。

 木下道雄氏(元侍従次長)の『側近日誌』によれば、昭和天皇は「東條ほど朕の意見を直ちに実行に移したものはない」と仰せになったという。東條氏は忠誠心厚き軍人であり、天皇陛下の大御心を無視するなどということは無かったと思われる。

東條氏自身東京裁判で「日本国の臣民が陛下の御意志に反してアレコレすることはありえません」と述べている。

安倍源基氏はその著『昭和動乱の真相』において「(東條氏は・注)天皇に対する忠誠心の強い軍人であったようだ。…陛下の御意志を体して日米開戦を回避するため、全力をあげた…東條内閣成立の翌月、来栖大使を米国に特派したのもこれがためであった。…(注・昭和十六年十二月一日の)歴史的御前会議終了直後における東條首相の表情を、佐藤賢了氏著『東條英機と太平洋戦争』はこのように伝えている。「東條首相に私は陛下のお考えはどうですかとたづねたら『ハルノートをごらんなってはいかに平和を愛好され給う陛下も…』そこまで言うて急に口をつぐんだ。開戦の重大な責任だから、輔弼の責任者たる自分が負うべきことに気がついたのであろう」と記しておられる。

また矢次一夫氏は『天皇・嵐の中の五十年』という松平康昌元内大臣秘書官との対談で、次のように述べておられる。「(東條氏は・注)陛下に信用されない陸軍というものに、まじめに悩んでいたと思いますね。陸相になってからの東条は、陛下の御信任を得るということのために、一生懸命努力したようです。…東條が陛下に所管事項を報告する場合、つとめて陛下が安心されるように、関連する前後の事情、将来の見通しなどについて、詳細を尽くすというふうがあったので、次第に陛下の方でも、東條を通して陸軍を見直すというふうがあったんでしょう」。これに対して松平氏は「その通りです。相当に信用しておられたようです。…九月六日の御前会議の決定ですね。あれを白紙に関して、もう一度戦争をしないよう、考え直せという陛下のお言葉に対して、…東條さんは努力したと思っていますが」と答えている。

 

東條氏は東京裁判においけるキーナン首席検事の「その戦争を行わなければならない。行えというのは裕仁天皇の意思であったか」との尋問に答えて、「意思と反したかもしれませんが、とにかく私の進言、統帥部その他責任者の進言によってシブシブ御同意になったというのが事実です。而して平和御愛好の御精神は最後の一瞬に至るまで陛下は御希望を持っておられました。戦争になっても然り、その御意思の明確になっておりますのは、昭和十六年十二月八日の御詔勅のうちに明確にその文句が加えられております。しかもそれは陛下の御希望によって政府の責任において入れた言葉です。それはまことに己むを得ざるものであり、朕の意思にあらずという意味の御言葉であります」と答えている。

 

さらにウエップ裁判長の「証人以外の何人が天皇に対し米英と宣戦するようにということを進言したか」との尋問に対して東條氏は「自衛上どうしても、戦争をやらねばならないという結論に達したのであるが、最後の決定について、私と両総長(仼杉山参謀総長と永野軍令部総長)が、直接、天皇陛下にお目にかかって申し上げた。私と両総長は『日本の自存を全うするため、平たくいえば戦争以外に生きる道はありません』と申し上げた。しかして御嘉納をいただいたのです」と答えている。

 

東條英機氏はさらに『東京裁判』の陳述において要旨次のように述べた。「日本は米、英、オランダ三国によって戦争の挑発に追いつめられ自衛のため開戦に至った。天皇には何ら責任はない。その理由は、天皇は輔弼の上奏に対して、拒否権を発動されぬ立場であるために、実際政治とは具体的な関係がなかった。・日本の大東亜政策を侵略と決めつけているが、世界におけるアジア大陸の侵略者こそ米英など白人であり、これを日本が解放せずして、誰が行えたであろう。対米開戦は、謀略的かつ侵略的目的のために、長年かかって計画したのではない。昭和十七年十二月一日の御前会議において、やむなく開戦を、初めて決定したのである」と。 

 

大東亜戦争の開戦は、アメリカのあまりに理不尽なる圧迫が原因となった実に以てやむを得ざる選択であって、東條英機首相が、昭和天皇の大御心を無視し国民の声も聞き入れず戦争に突っ走ったなどということは絶対にないのである。むしろ大東亜開戦を一億国民が双手を挙げて歓迎し歓喜したというのが歴史の真実である。

 

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、憲法学者の方と懇談。國體・皇室と憲法について色々語り合い、有意義な時間を過ごした。

帰宅後も、原稿執筆。

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東京国立博物館参観記

本日参観した東京国立博物館の常設展では、室生寺の鎌倉時代につくられた十二神将像(巳神・酉神)などの仏像、高村光雲・高村光太郎・平櫛田中などの彫刻作品を参観。そして長谷川等伯・横山大観などの日本画などを参観。江戸時代以前のわが国の彫刻は仏像が殆どである。特に観世音菩薩像・阿弥陀如来像・不動明王像が多い。日本人は、この三つの仏様を信じ、救いを求める人が多かったのであろう。

平櫛田中、高村光雲光太郎父子、朝倉文夫という近代日本の代表的彫刻家は、千駄木・谷中に居住していた。また、日本画家も横山大観は池之端に、児玉希望、小堀鞆音(小堀桂一郎先生の祖父にあられる)は、千駄木に居住していた。

文學の世界で森鴎外・夏目漱石は千駄木にいた。という訳で、谷中・千駄木・池之端は近代日本の文化史に極めて重要な町なのである。下

そして、特別展「天皇と宮中儀礼」拝観。大嘗祭・新嘗祭・宮廷にて行われた祭祀・儀式・行事における絵画作品・歴史資料を拝観。平安時代以降、天皇が即位後に行なわせられる大嘗祭では、その都度、悠紀主基屏風が連綿として作成されてきたが、今回展示された明和元年度の屏風は現存最古のもので、極めて貴重な作品であるという。謹んで拝観。

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千駄木庵日乗一月九日

午前は、諸事。

午後は、上野公園の東京国立博物館に赴く。今上天皇御即位礼正殿の御儀で用いられた高御座・御帳台を拝観させていただくためである。しかし、六十分間屋外に立って待たなければならないという。慢性心不全の小生には、とても無理であり、何かあったら折角の多くの方々にご迷惑をかけると思い、拝観をあきらめた。「正倉院展」の時と同じである。まことに残念なことあった。


帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2020年1月 9日 (木)

伊勢皇大神宮について―西行の歌に学ぶ

何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさになみだこぼるゝ
西行

「何事がをられるかは知りませんが、ありがたさに涙がこぼれます」といふ意。『異本山家集』所収。

西行は平安末期・鎌倉初期の歌人。元永元年(一一一八)に生まれ、鳥羽上皇に北面の武士として仕へた。二十三歳の時に出家。この歌は、西行が治承元年(一一七七)、六十六歳の時、三十年ほど過ごした高野山から伊勢國二見浦に移り、伊勢皇大神宮に参拝した時の感動を素直に詠んだ歌。

西行は、六十歳代の数年間を二見の安養山で過ごしたとされてゐる。西行は、伊勢にゐた間、神宮の神官たちにやまと歌を教へ、西行自ら選んだ歌七十二首を神宮に奉納した。西行は、僧侶でありながら伊勢を深く仰慕してゐた。

西行は次の歌も詠んでゐる。

「宮柱 下つ岩根に 敷き立てて つゆも曇らぬ 日のみ影かな」(宮柱を地下の岩にどっしりと立てて、少しも曇らない日の神たる天照大神のみ光であるなあ、といふ意。『新古今和歌集』)

「神路山 月さやかなる 誓ひありて 天の下をば 照らすなりけり」(神路山の月がさやかに照るやうに、天照大神のみ光が萬民をお救ひになるといふ明らかな誓ひがあって、天下をあまねく照らしてゐるなあ、といふ意。『新古今和歌集』)

やまと歌では「月」はしばしば釈尊を暗喩する。天照大神の慈悲の光りと仏が衆生を救ふ誓ひを、一つの信仰として歌ってゐる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させてゐる。理論理屈の世界ではなく、生活の中で自然な形で神仏が融合してゐる。

式年遷宮とは、二十年に一度お宮を立て替へ御装束・御神宝を一切新調して、大御神に新宮へお遷りいただく祭りであり、神宮最大の重儀で大神嘗祭(おほかんなめさい)とも申し上げる。式年遷宮は約千三百年前、天武天皇がお定めになり、持統天皇四年(六九〇)に、第一回の式年遷宮が行はれた。以来、戦國時代に中断したが、今日まで古式ゆかしく傳へられゐる。『遷宮例文』(南北朝時代に皇大神宮権禰宜の興兼(おきかね)が編纂した式年遷宮の記録)には「皇家第一の重事、神宮無双の大営」と記されてゐる。

伊勢の神宮は、日本傳統信仰の最尊最貴の聖地である。日本傳統信仰とはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に来て神を拝ろがめば良いのである。日本傳統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる神殿を生んだ。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲穂への限りない感謝の心である。

イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーは、昭和四十二年の秋、夫人と共に伊勢の皇大神宮に参拝した時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、「Here  in this holy place I feel the  underlying units of all religions(この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます)」と記した。

 人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救ひと安穏をもたらしてゐる。半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史でもあった。神を信じる人々による凄惨な殺しあひが行はれた。

 しかし、宗教の根底にあるものは天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地である。最も偉大にして根源的な宗教が神道である。

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千駄木庵日乗一月八日

午前は諸事。

午後は、今晩の『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より。駒込地域文化創造館にて、『萬葉し古代史研究会』開催。小生が志貴皇子の御歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

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2020年1月 8日 (水)

日本天皇の国家統治の本質

天皇が国家統治されることを「しきませる」と申し上げる。『萬葉集』では「八隅知之 吾大君乃(やすみししわがおほきみの、四方八方のたいらけくやすらけくお治めになるわが大君の、といふ意)」と歌はれてゐる。

「しきませる」は、「しく」(敷く)の尊敬語である。「しく」とは、「一面に広がる」、「広く満ちわたる」といふ意である。「しきませる 國のはたてに」は、天皇の御徳・御稜威が隅々まで広く満ちわたってゐる国といふ意である。

『萬葉集』の巻三に収められてゐる「山部宿禰赤人、伊豫温泉(いよのゆ)に至りて作れる」といふ歌には、「皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の しきます 國のことごと」(三二二。天照大神を祖とされ神のご命令で(天皇が)お治めになってゐる國の何処にでも、といふ意)と歌はれてゐる。

祭り主日本天皇の神聖にしておほらかな御徳が祭祀国家日本の満ちわたることが日本天皇の国家統治の本質なのである。天皇は決して権力や武力で上から民を押さえつけて支配されてゐるのではないことを証明する。

天皇の国家統治の<やまとことば>では「しきます」とともに、「しらす」「しろしめす」とも表現される。「天皇が民の心を知りたまひ民もまた天皇の御心を知る」といふことが「統治」なのである。

祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の国家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本国が成立する。

萬葉集歌人・大伴家持はその長歌で、「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の國には…」(四0九四)と歌ってゐる。現代語に訳せば、「この豊葦原の瑞穂の國を、高天原より天降られまして御統治あそばされました皇祖邇邇藝命から御代を重ねられ、天津日嗣として天の下を御統治になった御歴代の天皇の御代御代、治められたこの四方の國は…」といふほどの意である。

さらに『萬葉集』には、「泊瀬朝倉宮御宇天皇代」(はつせのあさくらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)とか「高市岡本宮御宇天皇代」(たけちのをかもののみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)と記されてゐる。

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。漢字表現は支那のものであっても、信仰自体は日本固有のものであって、神話時代より継承されてきたのである。

人為的に権力・武力によって民と国土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって国民と国土を治めるといふのが天皇の国家統治である。

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千駄木庵日乗一月七日

午前は、諸事。この後、原稿執筆。

午後は池之端の大本東京本部にて開催された『東光苑・七草粥』に出席。七草粥・お茶席の接待を頂く。天地の恵みに感謝するという日本人の良き習慣を味あわせて頂く。
そして美術ギャラリーにて、出口王仁三郎・出口澄など歴代教主の絵画・書・陶器作品そして出口直教祖のお筆先を参観。猪子恒大本東京宣教センター長と懇談。

帰宅後は明日行う『萬葉集』講義の準備、書状作成など。

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2020年1月 6日 (月)

「中華思想」という名の侵略主義


 支那大陸にある政権は、自らを「中國」あるいは「中華」と称して来た。それは帝政時代から今日に至るまで変わらない。支那民族が今でもこのような考え方を持っていることは、その國号を「中華人民共和國」と称し、「中華人民共和國」成立の後にはチベット及びベトナム侵略を行っていることによって明白である。「中華思想」は今も脈々と生きているのである。

支那共産帝國の初代皇帝は毛沢東であり、彼は皇帝としてモスクワに短期間行っただけで、他の外國に行ったことはなかった。そしてニクソンや田中角栄の朝貢を受けたのである。

 津田右左吉氏は次のように論じている。「彼ら(支那人・注)は自分の國を我々が思ふやうな、又近代的意義での、國家とは思ってゐなかったのである。彼らは自分等を中華とし、自分等で無いものを夷狄として、中華は夷狄を支配するべきものと考へ、天の代表者である自分等の天子は、すべての夷狄、即ち全世界・全天下に君臨してゐるものだと考へてゐた。だから彼等の中華思想では…民族全體が一つの國として、他の國と対峙するものとも認めないから、事實上、國といふ観念は無く、従って愛國の情といふものも養はれないのである」(文學に現はれたる我が國民思想の研究)。

 支那人に國家観念が無かったということは、自分の國も無いけれどもよその國も無いということなのである。外國の存在そのものを認めていないのだ。世界・天下の中心の支那があり、世界・天下の人民も國土も全て支那の皇帝のものだとするのである。しかして、世界各地域の王たちは支那皇帝によって冊封(支那皇帝の勅書によって爵位や領土を定められること)されることによって初めて正統な王となり得るという考え方なのである。 こうした支那の身勝手な論理をつきつめれば、支那と対等な関係の國は存在しないということになる。支那人にとって天下即ち全世界が支那の皇帝のものなのである。そして支那の皇帝に朝貢するという形式でしか外交というものはありえないのである。

 こうしたきわめて独善的な支那人の支那中心意識から生まれた優越意識・唯我独尊・大國主義・統一主義・侵略主義の思想體系を「中華思想」と言う。この「中華思想」があの広大にして人口の多い支那大陸を一つの権力國家にまとめあげている唯一の原理である。「中華思想」は、対内的には少数民族の抑圧の原理、対外的には軍事的侵略による覇権確立の原理となっている。

 共産支那による理不尽極まりわが國への恫喝・内政干渉、そして、わが國外交官や國に対する不法行為・人権蹂躙が繰り返され益々ひどくなってきている根本原因は、支那人および支那の政治権力特有の「中華思想」に拠る。支那の日本に対する侮蔑・差別観念は「中華思想」から来ている。

 「中華思想」を簡単に定義すれば、「支那は天下の中心・世界の真ん中にあって文化が華のように咲き誇っている國」という思想であると言っていいと思う。津田氏の論じられている通り、支那人は、支那は世界帝國であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝に貢物を差し上げること)する属國の形式でしか外國の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。世界各地の支配者はシナの皇帝の冊封(天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること)によってその地位と権力を認められるとして来た。こうした「中華思想」には対等な外交関係はあり得ない。

 それだけではなく、「中華思想」は、周辺諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と獣や虫けらのように呼んでこれを蔑視し侮った。「東夷」とは弓を射るのがうまい民族・東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指した。「西戎」とは槍術のうまい民族・西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。「南蛮」とは蛮は虫扁がつく南方の野蛮人のことで、インドシナなど南海諸地方の民族を指した。「北狄」とは犬扁のつく北方の野蛮人のことで、匈奴(きようど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指した。いずれも野蛮な民族ということである。これほどの他民族差別思想・侵略思想・大國主義はない。支那はこの論理によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略して来た。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した後には、強力な國外侵略を行っている。

 支那には天下という観念は発達したが、國家という観念は無かった。津田氏の言う「愛國の情といふものも養はれない」というのは近代以前のことであって、國家観念とかナショナリズムが勃興した近代以降は、西洋や日本に対する強烈な対抗意識が生まれた。それが、かえって「中華思想」という侵略主義・大國主義を一層強化させたと考えられる。

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千駄木庵日乗一月五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料検索・整理。原稿執筆の準備。書状作成。

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2020年1月 5日 (日)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

日時 一月八日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館
豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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大東亜戦争はなぜ戦はれたのか

 


昭和天皇は、わが國が戦争に追い込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分な物である」「総理になった東條は、九月六日の午前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになっている。

鈴木貞一氏は以前テレビで、「資源が無いのに何故アメリカと戦争をしたのですか」との質問に「資源が無いから戦争をはじめたのだ」と答へてゐたと記憶する。

開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めることをして来たのである。

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いている。

 『ハルノート』は、ソ連工作員・パブロフから直接指示されたソ連のスパイ=ハリー・ホワイト米財務長官が六月に起草したものであったことが判明してゐる。(米特殊機関「VENONA資料」)

そのホワイトに対日強硬策を工作したソ連側の当事者パブロフは、ソ連崩壊後に回顧録を執筆しその謀略の内容を明らかにした。当時のアメリカにとって、日本はソ連や支那以上に憎い国であった。

日本が日露戦争に勝利をおさめた後、アメリカにとって仮想敵国は日本だった。アメリカの歴史こそまさに帝国主義の歴史・侵略の歴史であった。十八世紀にイギリスから十三州で独立したアメリカ合衆国は、フロンティア精神を発揮して西部開拓を行い、先住民を駆逐し、メキシコから領土を奪ひ取り、西海岸に到達し、ハワイを併合し、グアム、フィリッピンを植民地化したのはまさに侵略・帝国主義以外のなにものでもない。幕末のペリー来航は、支那大陸への中継港確保が主目的だったが、あわよくば日本の植民地化を狙ったものでもあった。

 フィリッピン植民地化後、支那大陸への野望を募らせたアメリカの前に立ちはだかる国は日本しかなかった。日本を押さえ込むことがアメリカの目的だったのである。

 このように、日米開戦は、まさに、アメリカ・ルーズベルト政権の挑発によるものなのである。それはルーズベルト政権がソ連に踊らされただけでなく、アメリカのアジア進攻という強い意志によるのである。その証拠は、大東亜戦争の日本降伏の調印式が行われた戦艦「ミズーリ」の艦橋にペリー来航時の米国国旗が翻っていたことである。

わが国は、まさに『開戦の詔勅』に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じてゐる。

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ」と切言してゐる。

大東亜戦争は決して日本による侵略戦争ではなかったのである。

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千駄木庵日乗一月四日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、室内整理。資料整理。原稿執筆の準備。原稿執筆。

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2020年1月 4日 (土)

「現行占領憲法」を全面的に否定しない限り日本の真の意味の独立は回復しない


日本は大東亜戦争の敗北による「反戦意識」、そしてそれに伴う戦勝国の日本弱体化政策により、“戦争否定”というよりも“国家防衛否定”の風潮が今日においても蔓延している。

「日本国憲法がある限り、平和は守られる」という幻想を抱き、国家防衛体制の構築を「悪」であるとして否定している勢力がまだまだ大きな影響力を持っている。

「日米安保条約」を締結したが、それは“有事”の際、米国に自国を守ってもらうためのものである。自主防衛の努力ではなかった。

 「現行占領憲法」は諸悪の根源であり、これが存在する限り戦後が終わらないばかりでなく、わが国は国家存立の基盤である自主防衛体制の確立すら正しく実現することはできない。
 
「現行憲法」は、「占領憲法」といわれているように終戦直後に戦勝国の恫喝によって押し付けられた。従って、わが国の伝統に基礎を置かず、欧米民主主義思想を根幹としている。また、大東亜戦争は日本の一方的侵略であったという自虐史観の論理で汚染され、日本を自主独立国家として規定していない。その結果、日本国民は、内には祖国への誇りを喪失し、外には国際社会から軽侮を受け続けてきた。

 「現行憲法」は、再び日本がアメリカやソ連(ロシア)などの戦勝国に歯向かう国にならないよう仕組まれたものである。つまり、「現行憲法」の条文を守れば守るほど、日本国家の国防・政治・教育・社会・家庭が混乱するようになっているのだ。
 
今日は、民族と民族・国家と国家がエゴをむき出しにした対立・闘争の時代である。わが国は最早、国家意志を曖昧にしたままであり続けることはできなくなった。         
わが国の法律・行政組織は虚構を前提に組み立てられている
 「現行憲法」が如何に亡国憲法であるかはその「前文」を見れば明らかである。「現行占領憲法」前文には、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれているが、これほど現実を無視した文章はない。今日、地球上では現実に武力による解決が行われている。公正と信義などという抽象概念で世界は動いていない。

北方領土を奪取して返さないロシア・竹島を奪取して返さない韓国・わが国国民を拉致し工作船を派遣して破壊活動を行いミサイルをわが国上空に飛ばしている北朝鮮・尖閣沖縄を侵略しようとしている共産中国という公正さも信義も無い国に取り囲まれている国が日本なのだ。

 こうした状況下に置かれたわが国が、「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの生存と安全を保持しようと決意」するだけで、一切の軍事力を放棄していたら、わが国はそうした周辺諸国の餌食になるだけである。現実にわが国は戦後七十数年間、周辺諸国に馬鹿にされ領土を奪われたままではないか。

 さらに「前文」には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と書かれている。これは大東亜戦争のことを言っているのだが、あの戦いは政府のみの行為ではない。一億国民が火の玉となって戦ったアジア解放の聖戦であったのだ。

 「現行憲法」の「前文」の主旨は、日本国及び日本国政府は悪者であり、他国は公正と信義のある国であるということを前提にしているのだ。こんな詫び証文のような「前文」を持つ憲法を、戦争が終わってから七十数年も経過している今日、後生大事に抱えているのは文字通り国恥である。

 「占領憲法」は正しい日本語で書かれていない。「前文」には「われら」という言葉が数多く登場するが、一体これは誰を指しているのか。現行憲法は、「戦勝国の戦勝国による戦勝国のための憲法」なのである。

 日本の法体系は「占領憲法」の下にすべて出来上がっている。他の国の国民は全て「公正と信義」なるものを持っているのだから、日本にはわが国を侵略しようなどという「公正と信義に反する敵国」はあり得ないということになる。そういう嘘八百・虚構を前提に法律が組み立てられている。

 この「前文」の精神に基づいて、憲法「本文」を読めば、「第九条」は、「日本国による防衛戦争」も否定していると考えるのが妥当だ。「九条第一項」の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」は、不戦条約をそのまま文章にしたものだ。

しかし、「第二項」の「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。交戦権はこれを認めない」というのは日本以外に無い条項である。「前項の目的」とは」国際紛争を解決する手段」であり「自衛」ではないというのは苦しい読み方であり曲解である。

「現行憲法」は占領の基本文書であり、二度と再びわが国が戦勝国に立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も与えられなかったのである。
 要するに、「現行占領憲法」には国防が定められていないのである。このことが日本という国家を駄目にしたのである。国防は国家の生命だ。「現行占領憲法」を全面的に否定しない限り日本の真の意味の独立は回復しないのである。

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2020年1月 3日 (金)

宮本雅史産経新聞編集委員による「忠誠を貫いた楠公の精神」と題する講演の内容

昨年五月二十五日に執行された『楠公祭』における宮本雅史産経新聞編集委員による「忠誠を貫いた楠公の精神」と題する講演の内容は次の通り。
「二十五年前に、人間魚雷の黒木博司海軍少佐の取材をしていて楠公に関心を持った。五年間戦場を駆け巡った人である楠公が、五百年、六百年日本人の心の中に残っている。明治維新など歴史の節目で必ず楠公は登場する。足利高氏の側に立った『梅松論』も楠公を評価。高氏も楠公を評価。楠公は死について迷いはなかった。

人間そんなに簡単に生命は懸けられない。楠公の覚悟の決め方は凄い。後醍醐天皇を奉じて民の安寧を守る。それが日本人の心の機微に触れる。水戸駅から二十分の高台に楠公社がある。明治二十九年に建立。万延元年の『桜田門外の変』の烈士の同志血盟の証しが楠公社。孝明天皇は勅書を水戸藩に下された。幕府は返納せよと言って来た。志士達は、絶対に返納してはならないと戦った。桜田烈士の一人金子孫二郎は『七たびも 生きかへり来て 皇國(すめくに)を まもりの魂(たま)と ならむますらを』という歌を遺してゐる。水戸光圀は『大日本史』で楠公は非の打ち所のない人物と評価している。

吉田松陰も西郷南洲も皆湊川神社に参拝している。自分のやろうとしていることは正しいのかと楠公に問いかけて京に上った。楠公の忠義と無私の精神は、幕末の志士達の心の拠りどころになった。

黒木少佐は、人間魚雷訓練の最中に亡くなる。黒木少佐の遺言の中に大楠公の言葉が出てくる。少佐はどうすれば国を守れるのか悩んだ。そして考えた末が人間魚雷。

楠公精神は私利私欲が蔓延する今の世の中では理解できない。しかし何故楠公精神は消えないのか。それは日本人のDNAだから。日本人が失ったものは『らしさ』。戦後七十年の間で『子供らしさ』『男らしさ』が無くなった。出世と金という個人主義になってしまった。恥の文化、義理が無くなった。日本人はどうあるべきかを考えるのが『楠公祭』」。

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千駄木庵日乗一月三日

午前は、諸事。

午後から羽在宅して、資料の整理、原稿執筆。

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天皇の「祭祀」「無私の大御心」が日本國民の道義の規範

 國家には独自の道徳観と理念が内在する。それにしたがって國民を教育し、共同体の正義を実現する。倫理観のない國家は本当の國家ではなく、多くの人の集合体を権力で統制する機構に過ぎない。これでは國民に道義心も愛國心も湧いて来ない。今日の日本はまさにそういう國家になろうとしている。

 日本民族は、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇を道義の鏡として仰いできた。天皇は至高の道徳(日本人としての『道』)の継承者であらせられる。日本國民は古代以来天皇の神聖な権威を鏡として道義心を自覚した。

 「敬神崇祖」は日本人の道義の根幹であるが、それを身を以て実践されて来られたお方が「祭祀」を最大の使命とされる日本天皇であらせられる。日本伝統信仰の「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ということである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇の「祭祀」そして「無私の大御心」が日本國民の道義の規範なのである。

人間の限り無い欲望・闘争心を抑制せしめるには、日本國の神ながらなる傳統精神に回帰する以外にない。

 日本國の生命・歴史・伝統・文化・道義の継承者たる天皇の大御心・御意志にまつろう(服従し奉仕する)ことが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」ということである。神の意志を地上において実現する使命を持つお方が天皇であらせられるのである。

 現御神信仰の公的表現は、宣命詔勅に「現神(あきつかみ)と大八洲知ろしめす倭根子天皇(やまとねこすめらみこと)」と示されている。とりわけ『文武天皇即位の宣命』には「天津日嗣高御座の業と、現神と大八嶋知ろしめす倭根子天皇命の、授賜ひ負賜(おほせたま)ふ貴き高き廣き厚き大命受賜り恐み坐して……明き淨き直き誠の心以て、御稱(いやすす)み稱(すす)みて緩怠(たゆみおこた)る事無く」と示されている。「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の継承者であらせられるのである。

 戦後日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性の破壊してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因がある。
 
 今日のわが祖國日本の道義の頽廃を是正することが緊急の課題である。日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

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2020年1月 2日 (木)

千駄木庵日乗一月二日

午前は、諸事。

午後は、初詣。坂下観音堂参拝。続いて、根津神社参拝。

帰宅後は、資料整理など。

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仁徳天皇御製を拝し奉りて

仁徳天皇御製

高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり

第十六代仁徳天皇は、御名は大鷦鷯尊(オオササキノミコト)と申し上げ、応神天皇の第四皇子であられる。御在位八十七年といはれる。

「髙殿に登って見ると、竈の煙が立ってゐる。民のかまどはにぎはったことだなあ」といふ意。

【高殿】国見をするための高い御殿。【煙】炊煙。【かまど】煮炊きをするための釜。

仁徳天皇はこの上ない仁慈の御徳の天皇であらせられた。即位直後難波の高津宮の高殿に登られ國見をされると、民の家から炊煙が上っていないので、貧しい暮らしをしてゐると思し召され、三年間徴税を免じられた。また雨漏りがひどいのに宮殿の修理もされなかった。そして三年後に再び國見をされると、炊煙が上がっているのを御覧になり大層喜ばれ、「朕(朕)すでに富めり。更に愁無し。……今百姓(おほみたから)の貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。…」(『日本書紀』)と仰せになった。

『日本書紀』においては百姓と書いて「おほみたから」と読む。「國民は天皇の宝である」といふのが天皇の國家統治の御精神である。そして天皇はこの御製をお詠みになった。この御製は『新古今和歌集』に収められてゐる。

御陵墓は、大阪府堺市にあり、百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみささぎ)と申し上げる。歴代天皇の御陵の中、最も規模が大きい。 

御陵の回りは美しく整備されてゐる。御陵は、全長四八0m、周濠を含めた東西の長さ六五六m、南北の長さ七九三m、面積四六万四一二四㎡(甲子園球場の十二倍といふ)で、わが國最大の前方後円墳である。美しい緑の木々に包まれてゐる。

 『日本書紀』によると、仁徳天皇六七年にこの地に行幸され陵地と定められた。この時、鹿が走り出て来て倒れたので、調べると、鹿の耳の中から百舌鳥が飛び出た。そこでこの地が百舌鳥耳原と名付けられたとふう。 

 『古事記』には、仁徳天皇の世を聖帝の世と言ふと記されてゐる。

 「日本思想体系」『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の・注)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じてゐる。  

 また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」といふ。

 一般人が聞きえないことを聞く人といふのは、聴覚器官が普通の人より発達している人といふことではなく、神霊の声を聞く人といふことであり、祭り主といふことである。神の声を聞いて民に伝へ、民の声を聞いて神に申し上げるといふ神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるといふ。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁してゐる人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきはめて重要である。これを知ってゐる人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」といふ意味でもある。

 『萬葉集』に収められた「近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麿朝臣の作れる歌」といふ長歌の冒頭に、「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを…」とある。これは「(『玉だすき』は畝傍にかかる枕詞・注)畝傍の山の橿原に都を開かれた日知りにまします(神武天皇の・注)御代以来、(『つがの木』はつぎにかかる枕詞仼)この世に降臨された現御神はことこどくみな天下を御統治になられたが…」といふほどの意である。ここにも「日知り」といふ言葉が登場する。

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としてゐる。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

 仁徳天皇と同じやうに聖帝とお讃へ申し上げる昭和天皇は、
 
さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ 我がねがひなる

 とお詠みになっておられる。

これは文字通り、<日の御子><現御神>としての神人合一の無上の御境涯を高らかにお詠みになった尊い御製であると共に、「昭和天皇は、昭和二十一年元旦の詔書において『人間宣言』をされ、天皇は神から天皇になった」などといふ議論が全く誤りであることを証明する御製である。 

 ともかく、日本伝統の「ひじり」についての思想と支那の「聖」といふ字の意義とが結合して「聖帝」といふ信仰が生まれたのである。

 このやうに民の心を知りたまひ(しろしめす)聞きたまふ(きこしめす)ことが、天皇の国家統治の基本なのである。 

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千駄木庵日乗一月一日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、資料の整理など。

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